オーストリア 【53人】 |
 |
Das Team/Wunderteam 〔In the 1930s〕 |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ヨハン・ストゥドニチュカ
(1883/10/12〜1967/10/18)
〔FW〕<A> |
ヤン |
ウィンナー |
(18/28) |
レオポルド・ノイバウアー
(1889/10/15〜?)
〔FW〕<A> |
− |
ウィンナー |
(7/18) |
リヒャルト・クサン
(1891/7/3〜1958/2/10)
〔FW〕<S> |
− |
ラピード・ウィーン   ヴァッカー・ウィーン |
※リーグ得点王3回。
(14/24) |
エディ・バウアー
(1894/2/13〜1948/3/4)
〔FW〕<A>  |
− |
ラピード・ウィーン |
(13/23) |
ヨセフ・ウリディル
(1895/7/3〜1962/5/20)
〔FW〕<S> |
− |
ラピード・ウィーン  
ファースト・ウィーン |
※リーグ得点王3回。
(8/8) |
ヨセフ・ブルム
(1898/2/4〜1956/10/18)
〔DF〕<A> |
− |
ファースト・ウィーン |
※30年代に「ヴンダーチーム」と呼ばれたオーストリア代表のメンバー。
(3/51) |
グスタフ・ヴィーザー
(1898/6/24〜1960/?/?)
〔FW〕<S> |
− |
ラピード・ウィーン
アウストリア・ウィーン   |
※現役時代はリーグ得点王3回。
指導者としても、最新のスポーツ医学に基づいたトレーニング等を導入し、ドイツ・サッカー界に新しい風を吹き込んだ監督として高い評価を得ている。
(16/27) |
ハインリッヒ・シェーンフェルト
(1900/8/3〜?)
〔FW〕<A> |
− |
トリノ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ハコア・ウィーン
ブルックリン・ワンダラーズ
ハコア・ウィーン |
※イタリア選手権(後のセリエA)の初代得点王。
(0/0) |
フリードリヒ・グシュヴァイドル
(1901/12/13〜1970/4/15)
〔FW〕<S> |
フリッツ |
ファースト・ウィーン |
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(12/44) |
マティアス・シンデラー
(1903/2/10〜1939/1/23)
〔FW〕<SS> |
ザ・マン・オブ
紙の男 |
ヘルタ・ウィーン
アウストリア・ウィーン |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」の中心選手で、オーストリア史上最高の選手といわれる。
ユダヤ人であり、併合後はドイツ代表になることを断り続けた。39年に自宅で死亡、死因は事故死、自殺、陰謀説などがある。
(27/43)【22】
|
ヨハン・ホルバート
(1903/5/20〜1968/7/30)
〔FW〕<A> |
ハンス |
ラピード・ウィーン
ヴァッカー・ウィーン |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(29/49) |
カール・ラパン
(1905/9/26〜1996/1/2)
〔MF/FW〕<B> |
− |
ヴァッカー・ウィーン
アウストリア・ウィーン
ラピード・ウィーン
セルヴェット |
※現役引退後は主にスイスで活動した。
スイス代表監督を長年つとめ、守備的なフォーメーションである「スイスボルト」を考案したことで有名。
このシステムは、後にイタリアで改良が加えられ、「カテナチオ」となる。
(1/2) |
レオポルド・ホフマン
(1905/10/31〜1976/1/9)
〔MF〕<A> |
− |
ファースト・ウィーン |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(1/27) |
ヨーゼフ・スミスティック
(1905/11/28〜1985/11/28)
〔MF/DF〕<S> |
− |
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(2/39) |
カール・セスタ 
(1906/3/18〜1974/7/12)
〔DF〕<S> |
− |
ウィンナー
アウストリア・ウィーン
ファースト・ウィーン |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(1/44)
(0/3)ドイツ |
アントン・シャル
(1907/6/22〜1947/8/10)
〔FW〕<S> |
− |
アドミラ・ウィーン     |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(27/28)
 |
ルドルフ・ヒデン 
(1909/3/9〜1973/9/11)
〔GK〕<S> |
ルディ |
ウィンナー
ラシン・クラブ・パリ |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
ドイツのオーストリア併合後フランスへ逃れた。
(0/20)
(0/1)フランス[24]
 |
カール・ツィシェック
(1910/8/28〜1985/10/6)
〔FW(WG)〕<S> |
− |
ヴァッカー・ウィーン |
ワールドカップ 34年(4)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(24/40) |
フランツ・ワーグナー 
(1911/9/23〜1974/12/8)
〔MF〕<A> |
− |
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 34年(4) 38年(ドイツ)
※「ヴンダーチーム」のメンバー。
(0/18)
(0/3)ドイツ |
フランツ・ビンダー 
(1911/12/1〜1989/4/24)
〔FW〕<S> |
ビンボ |
ラピード・ウィーン    |
※非公式だが生涯で1000得点以上をあげている。
(16/19)
(10/9)ドイツ
 |
ヨーゼフ・ビカン 
(1913/9/25〜2001/12/12)
〔FW〕<SS> |
ペピ |
ラピード・ウィーン
アドミラ・ウィーン
スラヴィア・プラハ         
ヴィートゴヴィツェ
ディナモ・プラハ |
ワールドカップ 34年(4)
※父はボヘミア出身である。
1933年より「ヴンダーチーム」のメンバー。
公式戦で800点以上あげており、ペレやロマーリオとも肩を並べるフォワード。
チェコスロバキアリーグのシーズン最多得点記録(57得点)を持つ。
俊足でも知られ、100mを10秒8で走ったといわれる。
(19/19)
(12/14)チェコスロバキア
(3/1)ボヘミア・モラビア【34】
 |
ウィルヘルム・ハーネマン 
(1914/4/14〜1991/8/23)
〔FW〕<A> |
− |
ファースト・ウィーン
ヴァッカー・ウィーン |
(3/23)
(16/23)ドイツ |
エルンスト・ストヤスパル
(1925/1/14〜2002/4/3)
〔FW〕<A> |
ストイッシ |
アウストリア・ウィーン    
ラシン・ストラスブール
ベジエ
モナコ
トロワ
メス |
ワールドカップ 54年(3)
(14/32) |
エルンスト・ハッペル
(1925/11/29〜1992/11/14)
〔DF〕<A>    |
− |
ラピード・ウィーン ラシン・クラブ・パリ
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 54年(3)
※オーストリア史上最高の監督といわれる。
欧州で初めてプレッシングを戦術に取り入れ、後のトータルフットボールの基礎をつくったとされる。
フェイエノールト監督時代、オランダのクラブ初のビッグイヤーを獲得、その後ハンブルガーでも2度目の欧州チャンピオンとなった。
一方オランダ代表監督として後一歩でW杯優勝を逃すなど、準優勝も多い。
(5/51)
 |
エルンスト・オツウィルク
(1926/3/7〜1980/1/23)
〔MF〕<S> |
オッシー |
アウストリア・ウィーン
サンプドリア アウストリア・ウィーン |
ワールドカップ 54年(3)
※50年代、欧州を代表するミッドフィルダーのひとり。
世界選抜のキャプテンに2度選ばれている。
バロンドールがもう少し早く創設されていたら、受賞していただろうともいわれている。
(6/62)【59】
 |
ヴァルター・ゼーマン
(1927/5/1〜1991/8/8)
〔GK〕<S> |
− |
ウィーン
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 54年(3)
(0/?)[37]
 |
テオドール・ワーグナー
(1927/8/6〜2020/1/21)
〔FW〕<A> |
− |
ヴァッカー・ウィーン
リンツ
ヴァッカー・インスブルック
|
ワールドカップ 54年(3)
※54年W杯対スイス戦でハットトリックを達成した。
(22/46) |
エーリッヒ・プロブスト
(1927/12/5〜1988/3/16)
〔FW〕<A>  |
− |
アドミラ・ウィーン ファースト・ウィーン
ラピード・ウィーン
ヴッパーターラーSVボルシア
チューリッヒ
アウストリア・ザルツブルク
ザルツブルカー ファースト・ウィーン |
ワールドカップ 54年(3)
※54年W杯対チェコスロバキア戦でハットトリックを達成した。
(17/19) |
ロベルト・ディーンスト
(1928/3/1〜2000/6/13) 〔FW〕<A> |
− |
ラピード・ウィーン    |
ワールドカップ 54年(3) 58年(16)
(12/27) |
カール・コラー
(1929/2/8〜2009/1/24)
〔MF〕<S> |
− |
ファースト・ウィーン |
ワールドカップ 54年(3) 58年(16)
※オーストリアサッカー史に名を残す名ミッドフィルダー。
(5/86)
 |
ゲルハルト・ハナッピ
(1929/2/16〜1980/8/23)
〔DF〕<S> |
− |
ヴァッカー・ウィーン
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 54年(3)
※オーストリア史上最高のディフェンダーといわれる。
(12/93)
 |
エーリッヒ・ホフ
(1936/8/3〜1995/1/25)
〔FW〕<A>  |
− |
ウィナー
アウストリア・ウィーン
ウィナー |
(28/37) |
ホルスト・ネメク
(1939/1/25〜1984/6/23)
〔FW〕<A> |
− |
アウストリア・ウィーン   |
(16/29) |
ロベルト・サーラ
(1946/6/9〜1994/12/31)
〔DF〕<A> |
− |
アウストリア・ウィーン
ファフォリンナー・ウィーン |
ワールドカップ 78年 カップウィナーズカップ 78-79年
※当時としては画期的な攻撃的サイドバック
78年W杯時の代表キャプテン。
(3/55) |
ハインツ・シルヒャー
(1947/4/14〜2018/7/20)
〔MF〕<A> |
− |
シュトルム・グラーツ
アヤックス
パリ
ニーム・オリンピック
ストラスブール
シュトルム・グラーツ |
チャンピオンズカップ 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
(0/1) |
フリードリッヒ・コンシリア
(1948/2/25〜)
〔GK〕<A> |
− |
ヴァッテンス
ヴァッカー・インスブルック
アンデルレヒト
アウストリア・ウィーン |
ワールドカップ 78年 82年
※元ガンバ大阪監督。
(0/84) |
ヨーゼフ・ヒッケルスベルガー
(1948/4/27〜)
〔MF〕<A>  |
− |
アウストリア・ウィーン
キッカーズ・オッフェンバッハ
フォルトゥナ・デュッセルドルフ
ヴァッカー・インスブルック
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 78年
※39歳という若さでオーストリア代表監督となった。
(5/39) |
クルト・ヤーラ
(1950/10/14〜)
〔MF〕<A> |
− |
シュトルム・グラーツ
ラピード・ウィーン レッドブル・ザルツブルク |
ワールドカップ 78年 82年
※ハンブルガーの監督時代に高原を獲得した。
(15/59) |
ハンス・クランクル
(1953/2/14〜)
〔FW〕<S> |
− |
ラピード・ウィーン
ウィーナー
ラピード・ウィーン 
バルセロナ
ファースト・ウィーン(L)
ラピード・ウィーン
ウィーナー
クレムザー
アウストリア・ザルツブルク
|
ワールドカップ 78年 82年
カップウィナーズカップ 78-79年
※歌手でもあり、オーストリアのヒットチャートで2位に入ったことがある。
(34/69)
 |
ブルーノ・ペッツァイ
(1955/2/3〜1994/12/31)
〔DF〕<S> |
− |
ヴァッカー・インスブルック
アイントラハト・フランクフルト
ヴェルダー・ブレーメン
スワロフスキー・ティロル |
ワールドカップ 78年 82年
UEFAカップ 79-80年
※70〜80年代の欧州を代表するリベロ。
39歳の時、アイスホッケーの試合中に心臓麻痺で死去した。
(9/84) |
ヘリベルト・ヴェーバー
(1955/6/28〜)
〔DF〕<A> |
− |
シュトルム・グラーツ
ラピード・ウィーン レッドブル・ザルツブルク |
ワールドカップ 78年 82年
※オーストリアを代表するリベロ。
(1/68) |
ヘルベルト・プロハスカ
(1955/8/8〜)
〔MF〕<S>   |
hneckerl(縮れ髪) |
アウストリア・ウィーン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ アウストリア・ウィーン |
ワールドカップ 78年 82年
(12/84)
 |
ヴァルター・シャッハナー
(1957/2/1〜)
〔FW〕<A> |
− |
アルペン・ドナヴィッツ
アウストリア・ウィーン 
チェゼーナ
トリノ
ピサ
アヴェリーノ
シュトルム・グラーツ
グラーツァー
ザンクト・ペルテン
ドナウフェルト
アルペン・ドナヴィッツ
レオーヴェン
シュトルム・グラーツ
レオーヴェン
チロル・インスブルック
コッティングブルーン
アイントラハト・ヴェルス |
ワールドカップ 78年 82年
(23/64) |
アントン・ポルスター
(1964/3/10〜)
〔FW〕<S> |
トニ |
アウストリア・ウィーン  
トリノ
セビージャ
ログロニェス
ラーヨ・バジェカーノ
ケルン
ボルシア・メンヘングラートバッハ
アウストリア・ザルツブルク |
ワールドカップ 90年 98年
※代表最多得点記録保持者。
セビージャ時代、33得点したにもかかわらず、得点王になれなかったことがある。
(44/95)
 |
ヴォルフガンク・ファイアージンガー
(1965/1/30〜)
〔DF〕<A> |
− |
アウストリア・ザルツブルク
ボルシア・ドルトムント
リンツ
アウストリア・ザルツブルク
シュワルツ・ヴァイス・ザルツブルク |
ワールドカップ 98年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
(0/46) |
ペーター・シュテーガー
(1966/4/11〜)
〔MF〕<A> |
− |
ファフォリンナー・ウィーン
フォルヴェルツ・シュタイアー
ファースト・ヴィエナ
アウストリア・ウィーン チロル・インスブルック
リンツ
アウストリア・ウィーン
アドミラ・ヴァッカー・メードリング
ウンタージーベンブルーン |
ワールドカップ 98年
(15/65) |
アンドレアス・ヘルツォーク
(1968/9/10〜)
〔MF〕<S> |
アルペン・マラドーナ |
ラピード・ウィーン
ヴェルダー・ブレーメン
バイエルン・ミュンヘン
ヴェルダー・ブレーメン
ラピード・ウィーン
ヴェルダー・ブレーメン
バイエルン・ミュンヘン ヴェルダー・ブレーメン
ロサンゼルス・ギャラクシー |
ワールドカップ 90年 98年
UEFAカップ 95-96年
(26/103)
 |
イヴィツァ・ヴァスティッチ
(1969/9/29〜)
〔FW〕<A> |
イヴォ |
スプリト
ファースト・ヴィエナ
ザンクト・ペルケン
アドミラ・ヴァッカー・メードリング
デュイスブルク
シュトルム・グラーツ
名古屋グランパスエイト
アウストリア・ウィーン
リンツ |
ワールドカップ 98年
※クロアチア出身である。
(14/50) |
マルク・ヤンコ
(1983/6/25〜)
〔FW〕<A> |
− |
アドミラ・ヴァッカー・メードリング
レッドブル・ザルツブルク
トゥウェンテ
ポルト
トラブゾンスポル
シドニー
バーゼル
スパルタ・プラハ
ルガーノ |
※母親は槍投げのオリンピック銅メダリストである。
(28/70) |
クリスティン・フックス
(1986/4/7〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
ウィーナー・ノイシュタット
マッテルスブルク
ボーフム
マインツ05(L)
シャルケ04
レスター・シティ
シャーロット
シャーロット・インディペンデンス |
※レスターでは岡崎のチームメイト、シャルケでは内田のチームメイトだった。
(1/78) |
マーティン・ハルニック
(1987/6/10〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヴェルダー・ブレーメン
フォルトナ・デュッセルドルフ(L)
シュトゥットガルト
ハノーファー96
ヴェルダー・ブレーメン
ハンブルガー(L) |
※オーストリアで暮らしたことがないため、代表では「ドイツ人」と呼ばれていた。
(15/64) |
マルコ・アルナウトヴィッチ
(1989/4/19〜)
〔FW〕<A> |
− |
トゥウェンテ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ヴェルダー・ブレーメン
ストーク・シティ
ウェストハム・ユナイテッド
上海上港
ボローニャ
インテルナツィオナーレ・ミラノ |
※ルーツはバルカン半島である。
代表最多出場記録保持者。素行の悪さで度々話題となる。 |
ダヴィド・アラバ
(1992/6/24〜)
〔MF/DF〕<A> |
− |
バイエルン・ミュンヘン
ホッフェンハイム(L)
バイエルン・ミュンヘン
レアル・マドリード |
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年
※父はナイジェリア人、母はフィリピン人である。 |
ハンガリー 【46人】 |
 |
The Magical Magyars 〔In the 1950s〕 |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ボルバス・ガスパル
(1884/7/26〜1976/10/14)
〔FW(WG〕<A> |
− |
フェレンツヴァーロシュ
MACブダペスト 
フェレンツヴァーロシュ |
(11/41) |
イェネ・カーロイ
(1886/1/15〜1926/7/28)
〔MF/FW〕<A> |
− |
MTK |
※ユヴェントス初代監督。
(10/25) |
シュロッセル・イムレ
(1889/10/11〜1959/7/19)
〔FW〕<S> |
− |
フェレンツヴァーロシュ     
MTK
ウィナー
フェレンツヴァーロシュ
BVSCブダペスト |
※ハンガリーリーグ最多得点記録保持者。
16歳で代表デビューした。
(59/68)
 |
シェーファー・アルフレット
(1893/2/13〜1945/8/30)
〔FW〕<A>  |
− |
MTK 
バーゼル
ニュルンベルク |
(17/15) |
グットマン・ベーラ
(1900/3/13〜1981/8/28)
〔MF/DF〕<A>   |
− |
MTK
ハコア・ウィーン
ブルックリン
ニューヨーク・ジャイアンツ
ニューヨーク・ハコア
ニューヨーク
ハコア・オールスターズ |
※60年代のベンフィカ黄金期の監督。
チャンピオンズカップ2連覇を成し遂げた。
WMシステムに代わる4-2-4を考案したことでも知られる。
(1/4)
 |
ハーザー・フェレンツ
(1902/11/21〜1957/4/28)
〔FW〕<A> |
− |
ユヴェントス
MTK |
(14/32) |
ブコヴィ・マールトン
(1903/11/10〜1985/2/2)
〔DF〕<A> |
− |
Alba-Audace
フェレンツヴァーロシュ
セト34 |
(0/11) |
タカーチュ・ヨーゼフ
(1904/6/30〜1983/9/3)
〔FW〕<A> |
− |
ヴァシャシュ
フェレンツヴァーロシュ |
(26/32) |
シェベシュ・グスターヴ
(1906/1/22〜1986/1/30)
〔FW〕<A> |
− |
ソヴァージュ・ノマデ
ビヤンクール
MOM
MTK |
※「マジック・マジャール」の監督。
オリンピックヘルシンキ大会で金メダルに導いた。54年W杯では大本命に挙げられていたが、準優勝に終わった。
(0/1)
 |
ティコシュ・パール
(1908/1/8〜1988/10/8)
〔FW〕<A> |
− |
ブダイ33
MTK |
ワールドカップ 38年(準)
(12/48) |
カルマール・イェネー
(1908/3/21〜1990/1/13)
〔FW〕<A> |
− |
MTK
エクセルシオール・ルーペ
ルーペ
スタッド・ドゥ・ランス |
※50年代、ホンベート監督として、プスカシュやチボルらを擁し、国内リーグを4度制した。ハンガリー動乱後は彼らとともにスペインへ亡命し、スペインのクラブを率いた。
(4/15) |
トルディ・ジェザ
(1909/2/11〜1985/8/16)
〔FW〕<A> |
− |
フェレンツヴァーロシュ |
ワールドカップ 34年(8) 38年(準)
(25/46) |
シャーロシ・ジェルジ
(1912/9/15〜1993/6/9)
〔FW〕<S> |
− |
フェレンツヴァーロシュ   |
ワールドカップ 34年(8) 38年(準)
(42/62)
 |
ジェンゲッレール・ジュラ
(1915/12/17〜1999/3/29)
〔FW〕<S> |
− |
ウーイペシュト    
ローマ
アンコーナ |
ワールドカップ 38年(準)
(33/39) |
デアーク・フェレンツ
(1922/1/16〜1998/4/18)
〔FW〕<S> |
− |
Szentlorinci 
フェレンツヴァーロシュ ウーイペシュト |
※ハンガリーリーグシーズン最多得点記録(66ゴール)保持者で、これは欧州最多ゴール数でもある。
(29/20) |
ヒデクチ・ナーンドル
(1922/3/3〜2002/2/14)
〔FW〕<S>  |
− |
エレクトロモス
ヘルミナメゼイ
MTK |
ワールドカップ 54年(準) 58年
※50年代に「マジック・マジャール」と呼ばれたハンガリー代表のひとり。
代表ではフォワードながら若干下がり目から、ゲームを組み立て、プスカシュらにパスを出した。
オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
MTKのホームスタジアムに名を残す。
監督としても、フィオレンティーナをカップ・ウィナーズカップ優勝に導いた実績がある。
(39/69)
 |
ジュラ・ローラント
(1923/2/6〜1981/5/31)
〔DF/MF〕<S> |
− |
ソンバトヘイ
ナジヴァーラディ
ネムゼテイ・ヴァシャシュ ナジヴァーラディ
アラソド
ヴァシャシュ
ブタペスト・ホンヴェート
ブタペスト・スパルタクス
ヴァーツィ・ヴァシャシュ |
ワールドカップ 54年(準)
※「マジック・マジャール」のひとり。 オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(0/37) |
スサ・フェレンツ
(1923/12/1〜2006/8/19)
〔FW〕<A> |
− |
ウーイペシュト |
※ウーイペシュトのホームスタジアムに名を残す。
(18/24) |
ザカリアーシュ・ヨージェフ
(1924/3/25〜1971/11/22)
〔DF/MF〕<S> |
− |
カーベルジャール
ガンマ
MTK エギェテールテシュ |
ワールドカップ 54年(準)
※「マジック・マジャール」のひとり。 オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(0/35) |
イストヴァン・ニエルス
(1924/5/25〜2005/3/9)
〔FW〕<S> |
− |
ウーイペシュト
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ
レッコ |
※フランス生まれで、主にインテルで活躍した。
(2/2) |
ブザーンスキー・イェネー
(1925/5/4〜2015/1/11)
〔DF〕<S> |
− |
ペーチ
ドロギ・バーニャース |
ワールドカップ 54年(準)
※「マジック・マジャール」のひとり。
オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(0/48) |
ボジク・ヨージェフ
(1925/11/28〜1978/5/31)
〔MF〕<S>  |
− |
キシュペスト
ブタペスト・ホンヴェート |
ワールドカップ 54年(準) 58年
※「マジック・マジャール」のひとり。 オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
ホンヴェートのホームスタジアムにその名を残す。
(11/101)【56】
 |
グロシチ・ジュラ
(1926/2/4〜2014/6/13)
〔GK〕<S> |
− |
ドロギ・バーニャース
MATEOSZブタペスト テヘルフヴァル
ブタペスト・ホンヴェート
タタバーニャ・バニャス |
ワールドカップ 54年(準) 58年 62年(8)
※「マジック・マジャール」のひとり。
オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(0/86)[18]
 |
プスカシュ・フェレンツ 
(1927/4/2〜2006/11/17)
〔FW〕<SSS>   |
エチ
疾走する少佐
小さなキャノン砲 |
キシュペスト
ブタペスト・ホンヴェート  
レアル・マドリード       |
ワールドカップ 54年(準) 62年<スペイン>
チャンピオンズカップ 58-59年 59-60年 65-66年
インターコンチネンタルカップ 60年
※「マジック・マジャール」のキャプテン。ハンガリー史上最高の選手であり、サッカー史上最高のストライカーのひとりに数えられる。
代表最多得点記録保持者。
レアル・マドリード時代は当時チームに君臨していたディ・ステファノの引き立て役も厭わず、抜群のコンビネーションで、多くのタイトル獲得に貢献した。
代表での84得点はイラン代表のダエイに抜かれるまで史上最多。出場数は85試合であり、驚異的な数字である。
亡命者のため、当時共産主義諸国の記者たちから好まれておらず、バロンドールの受賞はならなかった。 オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(84/85)
(0/3)スペイン【6】
 |
クバラ・ラディスラオ 
(1927/6/10〜2002/5/17)
〔FW/MF〕<S> |
ラッシ |
TEブダペスト
フェレンツヴァーロシュ
スロヴァン・ブラチスラヴァ
ヴァシャシュ
バルセロナ
エスパニョール
チューリッヒ
トロント・ファルコンズ |
インターシティーズ・フェアーズカップ 58-60年
※50年代、バルセロナの中心選手。
マジック・マジャールと同世代の選手ながら、早くに亡命したため、ハンガリー代表キャップ数はわずか3である。
イタリアに亡命していた際、トリノの遠征に同行するはずだったが、子どもの病気のため急遽辞退し「スペルガの悲劇」に遭遇せずにすんだ。
10年以上に渡りスペイン代表監督をつとめた。
(4/6)チェコスロバキア
(0/3)
(11/19)スペイン
 |
ブンジャーク・デジェー
(1928/5/3〜2010/10/1)
〔FW〕<A> |
− |
ヴァシャシュ |
ワールドカップ 58年
(1/25) |
ブダイ・ラースロー
(1928/7/19〜1983/7/2)
〔FW(WG)〕<A> |
− |
フェレンツヴァーロシュ
ブタペスト・ホンヴェート |
ワールドカップ 54年(準) 58年
※「マジック・マジャール」のひとり。 オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(10/39) |
ラントシュ・ミハーイ
(1928/9/29〜1989/12/31)
〔MF/DF〕<A> |
− |
MTK |
ワールドカップ 54年(準)
※「マジック・マジャール」のひとり。 オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(5/52) |
パロテシュ・ペテル
(1929/6/27〜1967/5/17)
〔FW〕<A> |
− |
MTK |
ワールドカップ 54年(準)
※「マジック・マジャール」のひとり。
オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
(18/24) |
チボル・ゾルターン
(1929/8/23〜1997/9/1)
〔FW(WG)〕<S> |
− |
フェレンツヴァーロシュ
チェペル
ブダペスト・ホンヴェード
ローマ
バルセロナ
エスパニョール
バーゼル
アウストリア・ウィーン
トロント・シティ |
ワールドカップ 54年(準)
インターシティーズフェアーズカップ 58-60年
※「マジック・マジャール」のひとり。
オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
引退後はバルセロナでコーヒーショップを経営していたことがある。
(17/43) |
コチシュ・シャーンドル
(1929/9/23〜1979/7/22)
〔FW〕<SS> |
ゴールデンヘッド
シャニ |
フェレンツヴァーロシュ
ブタペスト・ホンヴェート  
ヤング・フェローズ
バルセロナ |
ワールドカップ 54年(準)
インターシティーズ・フェアーズカップ 58-60年
※「マジック・マジャール」のストライカー。
オリンピックヘルシンキ大会金メダリスト。
ヘディングシュートを得意とし、黄金の頭と呼ばれた。
1試合平均2.20得点はW杯記録である。
事故で左足を失い、病院で誤って転落したとも、ショックにより飛び降り自殺したとも言われている。
(75/68)【39】
 |
ティヒ・ラヨシュ
(1935/3/21〜1999/1/6)
〔FW〕<S> |
− |
ブタペスト・ホンヴェート    |
ワールドカップ 58年 62年(8) 66年(8)
※亡命による「マジック・マジャール」崩壊後のホンヴェート及び代表のエース。
(51/72)
 |
ノヴァク・デゾ
(1939/2/3〜2014/2/26)
〔DF〕<A> |
− |
フェレンツヴァーロシュ
ドゥナウーイヴァーロシュ
フェレンツヴァーロシュ
バヤ ヴォラーン
ソンバトヘイ・ハラダーシュ
フェレンツヴァーロシュ
アル・イテハド |
※オリンピック東京大会金メダリスト。
オリンピックメキシコ大会金メダリスト。
(3/9)
|
アルベルト・フロリアン
(1942/9/15〜2011/10/31)
〔FW/MF〕<S>  |
フロリ |
フェレンツヴァーロシュ    |
ワールドカップ 62年(8)
インターシティーズ・フェアーズカップ 64-65年
※ハンガリー人唯一のバロンドール受賞者。
オリンピックローマ大会銅メダリスト。
(32/75)
 |
ドゥナイ・アンタル
(1943/3/21〜)
〔FW〕<A> |
− |
ペーチ
ウーイペシュト  
デブレツェニ |
※オリンピックメキシコ大会金メダリスト。
(9/31) |
ベネ・フェレンツ
(1944/12/17〜2006/2/27)
〔FW(WG)〕<S> |
フェリケ |
ウーイペシュト   
ヴォラーン
セプシ78
ヴォラーン
ソロクサーリ
ケチケメーティ |
ワールドカップ 66年(8)
※オリンピック東京大会金メダリスト及び得点王。
(36/76)
 |
ファゼカシュ・ラースロー
(1947/10/15〜)
〔FW〕<A> |
− |
ウーイペシュト
ロイヤル・アントワープ |
ワールドカップ 78年 82年
※オリンピックメキシコ大会金メダリスト。
(24/92) |
ニラシ・ティボル
(1955/1/18〜)
〔FW〕<A> |
− |
フェレンツヴァーロシュ
アウストリア・ウィーン  |
ワールドカップ 78年 82年
(32/70) |
ガラバ・イムレ
(1958/7/29〜)
〔DF〕<A> |
− |
VAC
タブタペスト・ホンヴェート
スタッド・レンヌ
シャルルロワ
BVSCブダペスト |
ワールドカップ 82年 86年
(3/82) |
データーリ・ラヨシュ
(1963/4/24〜)
〔FW〕<A> |
− |
タブタペスト・ホンヴェート  
アイントラハト・フランクフルト
オリンピアコス
ボローニャ
アンコーナ
フェレンツヴァーロシュ
ジェノア
ヌーシャテル・ザマックス
セント・ペルテン
BVSCブダペスト
ドゥナケジ
|
ワールドカップ 86年
(13/61) |
キプリッチ・ヨージェフ
(1963/9/6〜)
〔FW〕<A> |
− |
タタバーニャ・バニャス
フェイエノールト
APOELニコシア
デン・ボス |
ワールドカップ 86年
(28/70) |
キラーイ・ガボール
(1976/4/1〜)
〔GK〕<B> |
− |
ソンバトヘイ・サラダーシュ
ヘルタ・ベルリン
クリスタルパレス
ウェストハム・ユナイテッド(L)
アストン・ヴィラ(L)
バーンリー
バイエル・レバークーゼン
1860ミュンヘン
フラム
ソンバトヘイ・ハラダーシュ |
※ダボダボのトレーニングパンツがトレードマーク。
(0/108) |
ゲラ・ゾルターン
(1979/4/22〜)
〔MF〕<B> |
− |
ペーチ・メチェク
フェレンツヴァーロシュ
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
フラム
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン フェレンツヴァーロシュ |
(26/97) |
ジュジャーク・バラージュ
(1986/12/23〜)
〔MF/FW〕<B> |
− |
デブレツェニ
PSV
アンジ・マハチカラ
ディナモ・モスクワ
ブルサスポル
アル・ワフダ
アル・イテハド
アル・アイン
デブレツェニ |
※代表最多出場記録保持者。 |
サライ・アーダーム
(1987/12/9〜)
〔FW〕<B> |
− |
マインツ05
シャルケ04
ホッフェンハイム
ハノーファー96(L)
マインツ05
バーゼル |
(25/78) |
ニコリッチ・ネマニャ
(1987/12/31〜)
〔FW〕<B> |
− |
Barcsi
Kaposvolgye
Kaposvar
ヴィデオトン 
レギア・ワルシャワ
シカゴ・ファイアー
フェヘールヴァール
ペンディクスポル
AEKラルナカ |
※セルビア・ヴォイヴォディナ出身である。
(8/43) |
ス イ ス 【36人】 |
 |
hweizer Nati |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ハンス・ガンパー
(ジョアン・ガンペール)
(1877/11/22〜1930/7/30)
〔FW〕<B> |
− |
バーゼル
ユニオン・アスレティック
バルセロナ |
バルセロナの創始者。
(0/0)
 |
マックス・アベグレン
(1902/4/7〜1970/8/25)
〔FW〕<A> |
Xam |
ローザンヌ・スポルト
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ |
ワールドカップ 34年(8)
アンドレ・アベグレンの兄。
オリンピックパリ大会銀メダリスト。
(34/68) |
アンドレ・アベグレン
(1909/3/7〜1944/11/8)
〔FW〕<A> |
Trello |
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ソショー・モンベリアル
セルヴェット
ラ・ショー・ド=フォン |
ワールドカップ 34年(8) 38年(8)
※マックス・アベグレンの弟。
(29/52)
 |
レオポルド・キエルホルツ
(1911/6/9〜1980/6/4)
〔FW〕<A> |
− |
セルヴェット
ベルン
スタッド・ドゥ・ランス
サンクト・ガレン |
ワールドカップ 34年(8)
(12/17) |
アルフレッド・ビッケル
(1918/5/12〜1999/8/18)
〔FW〕<A> |
− |
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ |
ワールドカップ 38年 50年
※第二次大戦を挟んでW 杯に出場した2人の選手のひとり。
(15/71) |
ロジェール・ボケット
(1921/4/9〜1994/3/10)
〔DF〕<A> |
− |
セルヴェット
オリンピック・リヨン
セルヴェット |
ワールドカップ 50年 54年(8)
(2/48) |
ジャック・ファットン
(1925/12/19〜2011/7/26)
〔FW〕<A> |
ジャッキー |
ローザンヌ・スポルト |
ワールドカップ 50年 54年(8)
(29/53) |
シャルル・アンテネン
(1929/11/3〜2000/5/20)
〔FW〕<A> |
キキ |
ラ・ショー・ド=フォン
ローザンヌ・スポルト ラ・ショー・ド=フォン |
ワールドカップ 50年 54年(8) 62年
(22/56) |
ヨセフ・ヒューギ
(1930/1/23〜1995/4/16)
〔FW〕<A> |
− |
バーゼル |
ワールドカップ 54年(8)
(22/34) |
オイゲン・マイヤー
(1930/4/30〜2002/3/26)
〔FW〕<A> |
− |
シャフハウゼン
ヤングボーイズ 
|
ワールドカップ 54年(8) 62年
(3/42) |
ロルフ・ブレットラー
(1942/10/24〜)
〔FW〕<A> |
− |
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ  
ルガーノ
バーゼル
ザンクトガレン
ルツェルン
ロカルノ |
(12/28) |
ヤコブ・クーン
(1943/10/12〜2019/11/26)
〔MF〕<A>  |
ケビ |
チューリッヒ |
ワールドカップ 66年
(5/63) |
フリッツ・クンツリ
(1946/1/8〜)
〔FW〕<A> |
− |
チューリッヒ  
ヴィンタートゥール
ローザンヌ・スポルト |
ワールドカップ 66年
(?/?) |
ペーター・リシ
(1950/5/16〜2000/12/11)
〔FW〕<B> |
− |
ラショー=ド=フォン
ヴィンタートゥール
チューリッヒ 
ルツェルン |
(3/15) |
クラウディオ・スルサー
(1955/10/8〜)
〔FW〕<A> |
− |
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ  
ローザンヌ・スポルト |
(13/49) |
ハインツ・ハーマン
(1958/3/28〜)
〔MF〕<A> |
− |
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ヌーシャテル・ザマックス
セルヴェット グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
アーラウ
バーゼル |
※元代表最多出場記録保持者。
(15/117) |
アラン・ガイガー
(1960/11/5〜)
〔DF〕<A> |
− |
シオン
セルヴェット
ヌーシャテル・ザマックス
サンテティエンヌ
シオン
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
|
ワールドカップ 94年(16)
(5/112) |
クビライ・トゥルキルマズ
(1967/3/4〜)
〔FW〕<A> |
− |
ベリンツォーナ
セルヴェット
ボローニャ
ガラタサライ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ロカルノ
ルツェルン
ベリンツォーナ
ブレシア
ルガーノ |
※両親はトルコ出身である。
(34/62) |
アドリアン・クヌップ
(1968/7/2〜)
〔FW〕<A> |
− |
バーゼル
アーラウ
ルツェルン
シュトゥットガルト
ガラタサライ |
ワールドカップ 94年(16)
(26/49) |
ステファヌ・シャプイサ
(1969/6/28〜)
〔FW〕<S>  |
− |
ローザンヌ・スポルト
バイエル・ユルティンゲン
ボルシア・ドルトムント
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ヤングボーイズ
ローザンヌ・スポルト |
ワールドカップ 94年(16)
※スイス史上最高の選手といわれる。
(21/103)
 |
チリアコ・スフォルツァ
(1970/3/2〜)
〔MF〕<A> |
− |
アーラウ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
カイザースラウテルン
バイエルン・ミュンヘン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
カイザースラウテルン
バイエルン・ミュンヘン
カイザースラウテルン |
ワールドカップ 94年(16)
UEFAカップ 95-96年
(6/79)
 |
ステファヌ・エンジョズ
(1974/9/7〜)
〔DF〕<A> |
− |
ヌーシャテル・ザマックス
ハンブルガー
ブラックバーン・ローヴァーズ
リヴァプール
ウィガン・アスレティック ブラックバーン・ローヴァーズ |
UEFAカップ 00-01年
スーパーカップ 01年
※代表デビューが日本戦である。
(0/72) |
ブレイズ・ヌクフォ
(1975/5/25〜)
〔FW〕<A> |
− |
ローザンヌ・スポルト
エシャラン
アル・アラビ
イヴェルドン・スポルト ローザンヌ・スポルト
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ルガーノ(L)
ルツェルン
マインツ05
ハノーファー96
トゥウェンテ
シアトル・サウンダーズ |
ワールドカップ 10年
※コンゴ民主共和国出身である。
(7/34) |
パトリック・ミュラー
(1976/12/17〜)
〔DF〕<A> |
− |
セルヴェット
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
リヨン
マヨルカ
バーゼル
オリンピック・リヨン
モナコ |
ワールドカップ 06年(16)
※リヨンリーグ6連覇のメンバー。
(3/81) |
ハカン・ヤキン
(1977/2/22〜)
〔FW/MF〕<A> |
− |
バーゼル
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ザンクト・ガレン
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ バーゼル
パリ・サンジェルマン バーゼル
シュトゥットガルト
ガラタサライ
シュトゥットガルト
ヤングボーイズ
アル・ガラファ
ルツェルン
ベッリンツォーナ |
ワールドカップ 06年(16) 10年
(20/87) |
ヨハン・フォーゲル
(1977/3/8〜)
〔MF〕<A> |
− |
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
PSV
ミラン
レアル・ベティス
ブラックバーン・ローヴァーズ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ |
ワールドカップ 06年(16)
(2/94) |
アレクサンダー・フライ
(1979/7/15〜)
〔FW〕<A> |
− |
バーゼル
トゥーン
ルツェルン
セルヴェット
スタッド・レンヌ
ボルシア・ドルトムント バーゼル |
ワールドカップ 06年(16) 10年
※代表最多得点記録保持者。
(42/84) |
ステファン・リヒトシュタイナー
(1984/1/16〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
リール
ラツィオ
ユヴェントス
アーセナル
アウクスブルク |
ワールドカップ 10年 14年(16) 18年(16)
(8/108) |
ギョクハン・インレル
(1984/6/27〜)
〔MF〕<A> |
− |
バーゼル
アーラウ
チューリッヒ
ウディネーゼ
ナポリ
レスター・シティ
ベシクタシュ
イスタンブール・バシャクシェヒル
アダナ・デミルスポル ベシクタシュ |
ワールドカップ 14年(16)
※ルーツはトルコである。
(7/89) |
フィリップ・センデロス
(1985/2/14〜)
〔DF〕<A> |
− |
セルヴェット
アーセナル
ミラン(L)
エヴァートン(L)
フラム
バレンシア
アストン・ヴィラ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
レンジャーズ
ヒューストン・ダイナモ
キアッソ |
ワールドカップ 06年(16) 10年 14年(16)
※父はスペイン人、母はセルビア人である。
妻の影響でイスラム教に改宗している。
スイス黄金世代のひとり。
(5/57) |
ヴァロン・ベーラミ
(1985/4/19〜)
〔MF/DF〕<A> |
− |
ルガーノ
ジェノア
エラス・ヴェローナ(L)
ラツィオ
ウェストハム・ユナイテッド
フィオレンティーナ
ナポリ
ハンブルガー
ワトフォード
ウディネーゼ
シオン
ジェノア
ブレシア |
ワールドカップ 06年(16) 10年 14年(16) 18年(16)
※コソボ紛争から逃れるため亡命したアルバニア人である。
スイス黄金世代のひとり。
(2/83) |
トランクイロ・バルネッタ
(1985/5/22〜)
〔MF〕<A> |
− |
ザンクト・ガレン
ハノーファー96(L)
バイエル・レバークゼン
シャルケ04
アイントラハト・フランクフルト(L)
フィラデルフィア・ユニオン ザンクト・ガレン |
ワールドカップ 06年(16) 10年 14年(16)
※スイス黄金世代のひとり。
(10/75) |
ブレリム・ジェマイリ
(1986/4/12〜)
〔MF〕<A> |
− |
チューリッヒ
ボルトン・ワンダラーズ
トリノ
パルマ
ナポリ
ガラタサライ
ジェノア(L)
ボローニャ
モントリオール・インパクト(L)
深セン
チューリッヒ |
ワールドカップ 06年(16) 14年(16) 18年(16)
※マケドニア出身のアルバニア人である。
スイス黄金世代のひとり。
(10/69) |
ジェルダン・シャチリ
(1991/10/10〜)
〔MF〕<A> |
− |
バーゼル
バイエルン・ミュンヘン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ストーク・シティ
リヴァプール
オリンピック・リヨン
シカゴ・ファイアー
バーゼル |
ワールドカップ 10年 14年(16) 18年(16) 22年(16)
チャンピオンズリーグ 12-13年 18-19年
クラブワールドカップ 13年 19年
スーパーカップ 13年 19年
※両親はアルバニア人で、コソボ出身である。
14年W杯対ホンジュラス戦でハットトリックを達成した。
(32/125) |
ヨジップ・ドゥルミッチ
(1992/8/8〜)
〔FW〕<A> |
− |
チューリッヒ
ニュルンベルク
バイエル・レバークーゼン
ボルシア・メンヘングラートバッハ
ハンブルガー(L)
ノリッジ・シティ
HNKリエカ
ディナモ・ザグレブ |
ワールドカップ 18年(16)
※ルーツはクロアチアである。 |
グラニト・ジャカ
(1992/9/27〜)
〔MF/DF〕<A> |
− |
バーゼル
ボルシア・メンヒェングラートバッハ
アーセナル
バイエル・レバークーゼン |
ワールドカップ 14年(16) 22年(16)
※両親はアルバニア人で、コソボ出身である。
代表最多出場記録保持者。 |
リヒテンシュタイン 【2人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
マリオ・フリック
(1974/9/7〜)
〔FW〕<B> |
− |
バルザース
ザンクト・ガレン
バーゼル
チューリッヒ
アレッツォ
エラス・ヴェローナ
テルナーナ
シエナ
ザンクト・ガレン グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ バルザース |
※代表最多得点記録保持者。
(16/104) |
マルティン・シュトックラサ
(1979/5/29〜)
〔DF〕<B> |
− |
ファドゥーツ
チューリッヒ
クリエンス(L) ファドゥーツ
ディナモ・ドレスデン
リート
ザンクト・ガレン |
(5/113) |
ポーランド 【30人】 |
 |
(The white and reds / The White Eagles) |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
テオドール・ペテレク
(1910/11/7〜1969/1/12)
〔FW〕<A> |
− |
ルフ・ホジューフ  |
(6/9) |
エルンスト・ヴィリモフスキ 
(1916/6/23〜1997/8/30)
〔FW〕<S> |
Ezi |
カトヴィツェ
ルフ・ホジューフ  
カトヴィツェ
ケムニッツ
1860ミュンヘン
アウクスブルク
オッフェンバッハ
ジンゲン
カイザー・スラウテルン
ケーラー |
ワールドカップ 38年
※W杯で1試合4得点をあげた最初の選手。
ナチスによるポーランド占領後はドイツの市民権を得、ドイツ代表にもなった。そのため戦後共産党政権下のポーランドでは裏切り者とされ、故郷に帰ることができなかった。
(21/22)
(13/8)ドイツ
 |
テオドール・アニオラ
(1925/11/4〜1993/7/10)
〔MF〕<A> |
− |
レフ・ポズナン   |
(2/7) |
ヘラルド・チースリク
(1927/4/27〜2013/11/3)
〔FW〕<A> |
− |
ルフ・ホジューフ  |
(27/45) |
エルンスト・ポール
(1932/11/3〜1995/9/12)
〔FW〕<A> |
− |
オーゼル・ウッチ
レギア・ワルシャワ
グールニク・ザブジェ  |
※グールニク・ザブジェのホームスタジアムにその名を残す。
(39/46)
 |
ルシアン・ブリフツィ
(1934/6/13〜)
〔FW〕<A> |
− |
レギア・ワルシャワ  |
(18/58) |
アンジェイ・ヤロシク
(1944/11/26〜)
〔FW〕<B> |
− |
ソスノヴィエツ 
ストラスブール
スポルティング・トゥーロン・ヴァール |
※オリンピックミュンヘン大会金メダリスト。
(11/25) |
ロベルト・ガドハ
(1946/1/10〜)
〔FW〕<A> |
− |
レギア・ワルシャワ
ナント
シカゴ・スティング |
ワールドカップ 74年(3)
※オリンピックミュンヘン大会金メダリスト。
(16/62) |
ヘンリク・カスペルチャク
(1946/7/10〜)
〔MF〕<A> |
Kasper |
スタル・ミエレツ
レギア・ワルシャワ スタル・ミエレツ
メス |
ワールドカップ 74年(3) 78年
※オリンピックモントリオール大会銀メダリスト。
(5/61) |
ヴォジミエシュ・ルバンスキ
(1947/2/28〜)
〔FW〕<S>  |
− |
グールニク・ザブジェ     
ロケレン
ヴァラシエンヌ
スタッド・カンペール |
ワールドカップ 78年
※ラヴァンドフスキに破られるまで、代表最多得点記録保持者だった。
ポーランドを代表するフォワードだが、ケガなどにより3位となった74年W杯には出場していない。
オリンピックミュンヘン大会金メダリスト。
(48/75)
 |
カジミエシュ・デイナ
(1948/10/23〜1989/9/1)
〔MF/FW〕<A> |
カカ |
LKSウッチ
レギア・ワルシャワ
マンチェスター・シティ
サンディエゴ・ソッカーズ |
ワールドカップ 74年(3) 78年
※74年W杯ではケガのルバンスキ不在を感じさせない活躍を見せ、チームの3位に貢献した。
41歳の時、サンディエゴで自動車事故死した。
(41/97)
 |
ヤン・トマシェフスキ
(1948/1/9〜)
〔GK〕<A> |
トメク
英国を止めた男
(Man That Stopped England) |
レギア・ワルシャワ
LKSウッチ
ケルミナル・ベールスホット
エルクレス LKSウッチ |
ワールドカップ 74年(3) 78年
※辛口解説者として有名。
オリンピックモントリオール大会銀メダリスト。
(0/63) |
イェジィ・ゴルゴン
(1949/7/18〜)
〔DF〕<A> |
− |
グールニク・サブジェ
ザンクトガレン |
ワールドカップ 74年(3) 78年
※オリンピックミュンヘン大会金メダリスト。 オリンピックモントリオール大会銀メダリスト。
(6/55) |
グジェゴシ・ラトー
(1950/4/8〜)
〔FW(WG)〕<S> |
− |
スタル・ミエレツ 
ロケレン
アトランテ |
ワールドカップ 74年(3) 78年 82年(3)
※ポーランド上院議員だったことがある。
オリンピックミュンヘン大会金メダリスト。
オリンピックモントリオール大会銀メダリスト。
(45/100)
 |
アンジェイ・シャルマッフ
(1950/5/10〜)
〔FW〕<A> |
− |
アルカ・グディニャ
グールニク・サブジェ
スタル・ミエレツ
オセール
ギャンガン
クレルモン・フット |
ワールドカップ 74年(3) 78年 82年(3)
※オリンピックモントリオール大会銀メダリスト。
(25/55) |
カジミエシュ・クミェツィク
(1951/9/19〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヴィスワ・クラクフ   
シャルルロワ(L)
AEL
シュトゥットガルト・キッカーズ
オッフェンブルガー |
ワールドカップ 74年(3) オリンピックミュンヘン大会金メダリスト。
※オリンピックモントリオール大会銀メダリスト。
(8/35) |
ユゼフ・ムイナルチク
(1953/9/20〜)
〔GK〕<A> |
− |
オドラ・オポーレ ヴィジェフ・ウッチ
バスティア
ポルト |
ワールドカップ 82年(3) 86年(16)
チャンピオンズリーグ 86-87年
トヨタカップ 87年
スーパーカップ 88年
(0/42) |
ヴワディスワフ・ジュムダ
(1954/6/6〜)
〔DF〕<A> |
− |
グワルディア・ワルシャワ
シロンスク・ヴロツワフ
ヴィジェフ・ウッチ
エラス・ヴェローナ
ニューヨーク・コスモス
クレモネーゼ |
ワールドカップ 74年(3) 78年 82年(3) 86年(16)
※W杯出場試合21は3位タイの記録。
オリンピックモントリオール大会銀メダリスト。
(2/91)
 |
ズビグニェフ・ボニエク
(1956/3/3〜)
〔FW/MF〕<S> |
ジビ |
ヴィジェフ・ウッチ
ユヴェントス
ローマ |
ワールドカップ 78年 82年(3) 86年(16)
チャンピオンズカップ 84-85年
スーパーカップ 84年
カップウィナーズカップ 83-84年
※80年代の代表やユヴェントスの中心選手。
ユーヴェではプラティニと抜群のコンビネーションを見せた。
(24/80)
 |
ヴォジミエシュ・スモラレク
(1957/7/16〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヴィジェフ・ウッチ
レギア・ワルシャワ ヴィジェフ・ウッチ
アイントラハト・フランクフルト
フェイエノールト
ユトレヒト |
ワールドカップ 82年(3) 86年(16)
※息子はエウゼビウシュ・スモラレク。
(13/63) |
トマシュ・ヴァウドフ
(1971/5/10〜)
〔DF〕<A> |
− |
グールニク・サブジェ
ボーフム
シャルケ04
ヤギエロニア・ビャウィストク |
ワールドカップ 02年
※オリンピックバルセロナ大会銀メダリスト。
(2/74) |
イェジー・ドゥデク
(1973/3/23〜)
〔GK〕<A> |
− |
ティヒ
フェイエノールト
リヴァプール
レアル・マドリード |
ワールドカップ 02年
チャンピオンズリーグ 04-05年
スーパーカップ 05年
(0/59) |
トマシュ・フランコフスキー
(1974/8/16〜)
〔FW〕<B> |
− |
ヤギエロニア・ビャウィストク
ストラスブール
名古屋グランパスエイト
ポワティエ
マルティーグ
ヴィスワ・クラクフ  
エルチェ
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
テネリフェ(L)
シカゴ・ファイアー
ヤギエロニア・ビャウィストク |
※名古屋ではトーマスと呼ばれていた。
(10/22) |
ミハウ・ジェヴワコフ
(1976/4/22〜)
〔DF〕<A> |
− |
ボロニア・ワルシャワ
フツニク・ワルシャワ ボロニア・ワルシャワ
ベベレン
ムスクロン
アンデルレヒト
オリンピアコス
アンカラギュシュ レギア・ワルシャワ |
ワールドカップ 02年 06年
(3/102) |
エウゼビウシュ・スモラレク
(1981/1/9〜)
〔FW〕<A> |
− |
フェイエノールト
ボルシア・ドルトムント
ラシン・サンタンデール
ボルトン・ワンダラーズ(L)
カヴァラ ボロニア・ワルシャワ
アル・ホール
デン・ハーグ
ヤギエロニア・ビャウィストク |
ワールドカップ 06年
※父はヴォジミエシェ・スモラレク。
(20/47) |
パヴェウ・ブロジェク
(1983/4/21〜)
〔FW〕<B> |
− |
ヴィスワ・クラクフ 
ウッチ(L)
カトヴィツェ(L)
トラブゾンスポル
セルティック
レクレアティーボ・ウェルバ
ヴィスワ・クラクフ |
ワールドカップ 06年
※双子の弟も代表選手である。 |
ロベルト・レヴァンドフスキ
(1988/8/21〜)
〔FW〕<S> |
− |
レフ・ポズナン
ボルシア・ドルトムント
バイエルン・ミュンヘン     
バルセロナ |
ワールドカップ 18年 22年
※2010年代を代表するセンターフォワード。
代表最多出場記録、最多得点記録保持者。
12-13年チャンピオンズリーグ準決勝、対レアル・マドリード戦で4得点をあげた。 |
グジェゴシュ・クリホビアク
(1990/1/29〜)
〔MF〕<A> |
− |
ジロンダン・ボルドー
スタッド・ドゥ・ランス(L)
ナント(L)
スタッド・ドゥ・ランス
セビージャ
パリ・サンジェルマン
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(L)
ロコモティフ・モスクワ
クラスノダール
AEKアテネ(L)
アル・シャバブ(L)
アブハー・クラブ
アノルトシスr・ファマグスタ |
ワールドカップ 18年 22年
ヨーロッパリーグ 14-15年・15-16年
(5/100) |
ヴォイチェフ・シュチェスニー
(1990/4/18〜)
〔GK〕<A> |
− |
アーセナル
ブレントフォード(L)
アーセナル
ローマ
ユヴェントス
バルセロナ |
ワールドカップ 18年 22年
※父も元代表ゴールキーパーである。
(0/84) |
アルカディウシュ・ミリク
(1994/2/28〜)
〔MF〕<A> |
− |
ロズヴォイ・カトヴィツェ
グールニク・ザブジェ
バイエル・レバークーゼン
アウクスブルク(L)
アヤックス
ナポリ
オリンピック・マルセイユ
ユヴェントス |
ワールドカップ 18年 22年 |
チェコスロバキア 【43人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ヤン・ヴァルニク 
(1892/4/11〜1950/6/12)
〔FW〕<A> |
− |
スパルタ・プラハ |
(9/12)
(0/2)オーストリア |
アントニン・ヤンダ
(1892/9/21〜1960/1/21)
〔FW〕<A> |
− |
スパルタ・プラハ
スラヴィア・プラハ |
(12/10) |
カレル・ペスク
(1895/9/20〜1970/9/30)
〔MF〕<A> |
− |
スパルタ・プラハ |
(1/44) |
ヨゼフ・シルニー
(1902/1/23〜1981/5/18)
〔FW〕<S> |
− |
スラヴィア・プラハ スパルタ・プラハ |
ワールドカップ 34年(準)
(28/50) |
フランティシェク・プラーニチカ
(1904/6/2〜1996/7/20)
〔GK〕<S> |
プラハの猫 |
スラヴィア・プラハ |
ワールドカップ 34年(準) 38年(8)
(0/73)[9]
 |
ヤロスラヴ・ブルグル 
(1906/3/7〜1986/9/15)
〔DF〕<A> |
− |
スパルタ・プラハ |
ワールドカップ 34年(準) 38年(8)
(0/57)
(?/?)ボヘミア・モラビア |
フランティシェク・スヴォボダ
(1906/8/5〜1948/7/6)
〔FW〕<A> |
− |
スラヴィア・プラハ |
ワールドカップ 34年(準)
(22/43) |
アントニーン・プチ 
(1907/5/16〜1988/4/18)
〔FW〕<S> |
− |
スラヴィア・プラハ  |
ワールドカップ 34年(準) 38年(8)
※代表最多得点記録保持者。
(34/60)
(1/1)ボヘミア・モラビア
 |
ヨゼフ・コシチャレーク
(1909/8/31〜1971/11/21)
〔MF〕<S> |
− |
スパルタ・プラハ |
ワールドカップ 34年(準) 38年(8)
(2/43) |
オルドリッヒ・ネイエドリー 
(1909/12/25〜1990/6/11)
〔FW〕<S> |
− |
スパルタ・プラハ |
ワールドカップ 34年(準) 38年(8)
(29/44)
(?/?)ボヘミア・モラビア
 |
フェルディナンド・ダウチーク
(1910/5/30〜1986/11/14)
〔DF〕<A>  |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ
スラヴィア・プラハ |
ワールドカップ 34年(準) 38年(8)
※スロバキア代表経験がある。
監督としては、バルセロナなどスペインのクラブで多く指揮を取った。
(0/1)スロバキア
(0/15)チェコスロバキア |
ヴラディミール・コペツキー 
(1912/10/14〜1967/7/30)
〔MF〕<A> |
− |
スラヴィア・プラハ |
ワールドカップ 34年(準) 38年(8)
(8/26)
(?/?)ボヘミア・モラビア |
スヴァトプルク・プルスカル
(1930/10/28〜2005/5/29)
〔MF〕<A> |
− |
デュクラ・プラハ
ヤプロネツ・ナド・ニソウ |
ワールドカップ 54年 58年 62年(準)
(1/56) |
ヨゼフ・マソプスト
(1931/2/9〜2015/6/29)
〔MF〕<S>    |
− |
ヴォドテフナ・テプリツェ
デュクラ・プラハ
モレンベーク |
ワールドカップ 58年 62年(準)
※チェコスロバキア史上最高の選手といわれる。
(10/63)
 |
ヴィリアム・シュロイフ
(1931/8/2〜2007/9/1)
〔GK〕<A> |
− |
オロモウツ
スロヴァン・ブラチスラヴァ
ロコモティフ・コシツェ |
ワールドカップ 54年 58年 62年(準)
※スロバキア出身である。
(0/39) |
ミロスラヴ・ウィーテク
(1931/11/4〜1997/7/12)
〔FW〕<B> |
− |
ヴァニーク・オストラヴァ  
ヴィートコヴィツェ |
(0/1) |
ラディスラヴ・ノヴァーク
(1931/12/5〜2011/3/21)
〔MF〕<S>  |
− |
デュクラ・プラハ ヤプロネツ・ナド・ニソウ |
ワールドカップ 54年 58年 62年(準)
※50年代の代表不動のディフェンダー。
(1/75) |
ジョゼフ・ベングロシュ
(1936/2/18〜2021/1/26)
〔MF〕<B>  |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ |
※スロバキア出身である。
チェコスロバキア代表監督として欧州選手権3位、W杯ベスト8の実績がある。
元ジェフ市原監督。退任の際、後任としてオシムを推薦したという。
(0/0) |
ヤーン・ポプルハール
(1935/8/12〜2011/3/6)
〔DF〕<S>  |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ
オリンピック・リヨン
ズブロヨフカ・ブルノ
スロヴァン・ウィーン |
ワールドカップ 62年(準)
※スロバキア出身である。
スロヴァン・ブラチスラヴァ時代、温厚な性格から「女」という愛称があった。
(1/62)
 |
アドルフ・シェレル
(1938/5/5〜2023/7/22)
〔FW〕<A> |
− |
スロヴナフト・ブラチスラヴァ
ロコモティフ・コシツェ
コシチェ
ニーム・オリンピック
オリンピック・アヴィニヨン |
ワールドカップ 58年 62年(準) ※スロバキア出身である。
(22/36) |
カレル・ブリュックナー
(1939/11/13〜)
〔DF〕<C>  |
− |
シグマ・オロモウツ
バーニク・オスオトラヴァ |
※2002年W杯予選敗退を受け、チェコ代表監督に就任。
ネドヴェド、チェフ、ポボルスキーらを擁し、欧州屈指のチームを創り上げた。
EURO2004では優勝候補の一角と見られていたが、ベスト4に終わった。
(0/0) |
ヨゼフ・イェリーネク
(1941/1/9〜)
〔FW〕<A> |
− |
デュクラ・プラハ
ホムトフ
ゴーアヘッド・イーグルス
ボヘミアンズ・プラハ |
ワールドカップ 62年(準)
(2/10) |
ヨゼフ・アダメツ
(1942/2/26〜2018/12/24)
〔FW〕<S>  |
− |
スパルタク・トルナヴァ
デュクラ・プラハ
スロヴァン・ブラチスラヴァ   
スパルタク・トルナヴァ
スロヴァン・ウィーン |
ワールドカップ 62年(準) 70年
※スロバキア出身である。
ブラジルとの親善試合でハットトリックをあげたことがある。
(14/44) |
イヴォ・ヴィクトル
(1942/5/21〜)
〔GK〕<S> |
− |
ブルノ
デュクラ・プラハ |
ワールドカップ 70年
欧州選手権 76年
(0/63)[25]
 |
ヤロスラヴ・ポラーク
(1947/7/11〜)
〔MF〕<A> |
− |
スパルタ・プラハ
アウストリア・ザルツブルク |
ワールドカップ 70年
欧州選手権 76年 ※スロバキア出身である。
(5/67) |
カロル・ドビアシュ
(1947/12/18〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
スパルタク・トルナヴァ
ボヘミアンズ・プラハ
ロケレン
ヘント・ゼーハーフェン |
ワールドカップ 70年
欧州選手権 76年 ※スロバキア出身である。
(1/49) |
ラディスラヴ・ジョザ
(1948/1/16〜1999)
〔FW〕<B> |
− |
ロコモティーザ・コシツェ
トレンチーン
ドゥナイスカ・ストレダ |
※ハンガリー生まれ、スロバキア出身である。
(0/1) |
アントニーン・パネンカ
(1948/12/2〜)
〔MF〕<A> |
− |
ボヘミアンズ・プラハ
ラピード・ウィーン
ザンクト・ペルテン |
ワールドカップ 82年
欧州選手権 76年
※柔らかく中央にPKを蹴ることをパネンカキックと呼ぶ。(76年欧州選手権決勝PK戦最後のキッカーとして決めた。)
(17/59) |
アントン・オンドルシュ
(1950/3/27〜)
〔DF〕<A> |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ デュクラ・バンスカー・ビストリツァ
スロヴァン・ブラチスラヴァ
クラブ・ブルッヘ
トノン=レ=バン ビール/ビエンヌ |
欧州選手権 76年
※スロバキア出身である。
欧州選手権優勝時のキャプテン。
(9/58) |
マリアーン・マスニー
(1950/8/13〜)
〔FW(WG)〕<A> |
− |
バンスカー・ビストリツァ
スパルタク・トルナヴァ
イジードル・アムゼー
ペトルジャルカ |
ワールドカップ 82年
欧州選手権 76年 ※スロバキア出身である。
(18/75) |
ズデニェク・ネホダ
(1952/4/9〜)
〔FW〕<A> |
− |
ゴットワルドフ
デュクラ・プラハ
ダルムシュタット98
スタンダール・リエージュ
グルノーブル・フット38
アマーリエンドロフ |
ワールドカップ 82年
欧州選手権 76年
※代表最多出場記録保持者。
(31/90)
 |
ラディスラフ・ヴィーゼク
(1955/2/22〜)
〔FW/MF〕<A> |
− |
デュクラ・ジャテツ
デュクラ・プラハ
ル・アーブル |
ワールドカップ 82年
※オリンピックモスクワ大会金メダリスト。
(13/55) |
ミラン・ルホヴィー
(1963/1/16〜)
〔FW〕<B> |
− |
Gumarne Puchov スロヴァン・ブラチスラヴァ
デュクラ・プラハ 
スポルティング・デ・ヒホン
サンテティエンヌ
PAOKテッサロニキ
シント・トロイデン |
ワールドカップ 90年(8)
(7/31) |
イワン・ハシェック
(1963/9/6〜)
〔MF〕<A>  |
− |
スパルタ・プラハ
ストラスブール
サンフレッチェ広島
ジェフ・ユナイテッド市原
スパルタ・プラハ |
ワールドカップ 90年(8)
※90年W杯時の代表キャプテン。
弁護士の資格を持っている。
(5/55) |
トマーシュ・スクラビー
(1965/9/7〜)
〔FW〕<A> |
チェコの空中要塞 |
スパルタ・プラハ
ユニオン・ヘプ スパルタ・プラハ
ジェノア
スポルティングCP |
ワールドカップ 90年(8)
※90年W杯コスタリカ戦でヘディングだけでハットトリックを達成した。通算5得点はスキラッチに次いで2位。
ジェノア時代にカズの唯一の得点をアシストした。
(14/43) |
リュボミール・モラフチーク
(1965/6/22〜)
〔MF〕<A>  |
ルボ |
ニトラ
サンテティエンヌ
バスティア
デュイスブルク
セルティック
ジェフ・ユナイテッド市原
ニトラ |
ワールドカップ 90年(8)
※セルティックの25番はモラフチークの代名詞とされ、その後、中村俊輔がつけた。
(7/42) |
リュボミール・ルホビーク
(1967/3/31〜)
〔FW〕<B> |
ルル |
プーホフ インテル・ブラチスラヴァ
デュクラ・バンスカー・ビストリツァ
インテル・ブラチスラヴァ
マルティーグ
インテル・ブラチスラヴァ
浦和レッドダイヤモンズ
インテル・ブラチスラヴァ
スパルタク・トルナヴァ
グラーツァー
ケールンテン
アルトメディア・ペトルジャルカ
ヴィーナーフェルト
アペトロン
ヴィーナーフェルト
|
(0/2) |
パベル・クカ
(1968/7/19〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヘプ
スラヴィア・プラハ
カイザースラウテルン
ニュルンベルク
シュトゥットガルト スラヴィア・プラハ |
(7/24) |
ホルスト・シーグル
(1969/2/15〜)
〔FW〕<A> |
− |
スパルタ・プラハ
ヘプ
スパルタ・プラハ
カイザースラウテルン
スパルタ・プラハ  
プジーブラム
ビクトリア・プルゼニ
|
(0/4) |
ペテル・ドゥボフスキー
(1972/5/7〜2000/6/23)
〔FW〕<B> |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ 
レアル・マドリード
レアル・オビエド |
(6/14) |
ラデク・ベイブル
(1972/8/29〜)
〔MF〕<A> |
− |
スラヴィア・プラハ
アトレティコ・マドリード
ランス スラヴィア・プラハ
ラピード・ウィーン
スロヴァン・リベレツ
|
(0/2) |
ヴラディミール・シュミツェル
(1973/5/24〜)
〔MF〕<A> |
− |
スラヴィア・プラハ
ランス
リヴァプール
ジロンダン・ボルドー スラヴィア・プラハ |
チャンピオンズリーグ 04-05年
UEFAカップ 00-01年
(0/1) |
パトリック・ベルゲル
(1973/11/10〜)
〔MF〕<A> |
バーガーキング |
スラヴィア・プラハ ボルシア・ドルトムント
リヴァプール
ポーツマス
アストン・ヴィラ
ストーク・シティ(L)
スパルタ・プラハ |
(0/2) |
チ ェ コ 【21人】 |
 |
Narodak |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
イワン・ハシェック
(1963/9/6〜)
〔MF〕<A>  |
− |
スパルタ・プラハ
ストラスブール
サンフレッチェ広島
ジェフ・ユナイテッド市原
スパルタ・プラハ |
ワールドカップ 90年(8)
(0/1) |
トマーシュ・スクラビー
(1965/9/7〜)
〔FW〕<A> |
チェコの空中要塞 |
スパルタ・プラハ
ユニオン・ヘプ スパルタ・プラハ
ジェノア
スポルティングCP |
ワールドカップ 90年(8)
(3/6) |
パベル・クカ
(1968/7/19〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヘプ
スラヴィア・プラハ
カイザースラウテルン
ニュルンベルク
シュトゥットガルト スラヴィア・プラハ |
(22/63) |
ホルスト・シーグル
(1969/2/15〜)
〔FW〕<A> |
− |
スパルタ・プラハ
ヘプ
スパルタ・プラハ
カイザースラウテルン
スパルタ・プラハ  
プジーブラム
ビクトリア・プルゼニ
|
※チェコリーグ得点王に4度輝いている。
(7/19) |
カレル・ポボルスキー
(1972/3/30〜)
〔MF〕<A> |
エクスプレス・トレイン |
ディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ
ビクトリア・ジシュコフ
スラヴィア・プラハ
マンチェスター・ユナイテッド
ベンフィカ
ラツィオ
スパルタ・プラハ ディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ |
ワールドカップ 06年
※チェフに抜かれるまで代表最多出場記録保持者だった。
(8/118)
 |
ラデク・ベイブル
(1972/8/29〜)
〔MF〕<A> |
− |
スラヴィア・プラハ
アトレティコ・マドリード
ランス スラヴィア・プラハ
ラピード・ウィーン
スロヴァン・リベレツ
|
(3/56) |
パベル・ネドベド
(1972/8/30〜)
〔MF〕<S> |
チェコの大砲 |
デュクラ・プラハ スパルタ・プラハ
ラツィオ
ユヴェントス |
ワールドカップ 06年
スーパーカップ 99年
※無尽蔵のスタミナが持ち味のミッドフィルダー。
多くのディフェンダーから一番やりにくい相手との評価を得ている。趣味は練習というくらい、練習の虫。
(18/91)
 |
ヤン・コレル
(1973/3/30〜)
〔FW〕<A> |
ディノ |
ミレフスコ
スパルタ・プラハ
スポルティング・ロケレン
アンデルレヒト
ボルシア・ドルトムント
モナコ
ニュルンベルク
クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ
カンヌ |
ワールドカップ 06年
※代表最多得点記録保持者。
若いころはゴールキーパーだった。そのためドルトムント時代にレーマンの退場によりゴールマウスを守ったことがある。
当初はドイツ語読みでコラーと呼ばれていたため、実況アナが呼ぶたびに視聴者が誰か選手を怒っていると勘違いしていた時期があった。
(55/91)
 |
ヴラディミール・シュミツェル
(1973/5/24〜)
〔MF〕<A> |
− |
スラヴィア・プラハ
ランス
リヴァプール
ジロンダン・ボルドー スラヴィア・プラハ |
チャンピオンズリーグ 04-05年
UEFAカップ 00-01年
(27/80) |
パトリック・ベルゲル
(1973/11/10〜)
〔MF〕<A> |
バーガーキング |
スラヴィア・プラハ ボルシア・ドルトムント
リヴァプール
ポーツマス
アストン・ヴィラ
ストーク・シティ(L)
スパルタ・プラハ |
※ネドベドとは犬猿の仲とされる。一方でシュミツェルは親友である。
(18/42) |
パベル・ホルバト
(1975/4/22〜)
〔MF〕<B> |
− |
スパルタ・プラハ
ヤブロネツ
スラヴィア・プラハ
スポルティングCP
ガラタサライ
テプリツェ
ヴィッセル神戸
スパルタ・プラハ
ヴィクトリア・ブルゼニ |
※神戸ではホルヴィの登録名でプレーした。
ヨーロッパリーグ最年長得点記録を持っていた。
2010年から4年連続でチェコリーグの最優秀選手に選ばれている。
(0/19) |
マレク・ヤンクロフスキ
(1977/5/9〜)
〔DF(SB)/MF〕<A> |
ヤンク |
バニーク・オストラヴァ
ナポリ
ウディネーゼ
ミラン バニーク・オストラヴァ |
ワールドカップ 06年
チャンピオンズリーグ 06-07年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 07年
(11/78) |
トマーシュ・ウィファルシ
(1978/3/24〜)
〔MF〕<A> |
− |
オロモウツ
ハンブルガー
フィオレンティーナ
アトレティコ・マドリード
ガラタサライ
スパルタ・プラハ |
ワールドカップ 06年
ヨーロッパリーグ 09年-10年
(2/78) |
トマーシュ・ロシツキー
(1980/10/4〜)
〔MF〕<A> |
モーツァルト
ザウバー |
スパルタ・プラハ
ボルシア・ドルトムント
アーセナル |
ワールドカップ 06年 |
ズデニェク・グリゲラ
(1980/5/14〜)
〔DF〕<A> |
ズデノ |
テスコマ・ズリーン ドルノヴィツェ
スパルタ・プラハ
アヤックス
ユヴェントス
フラム |
ワールドカップ 06年
(2/65) |
ダヴィド・ラファタ
(1981/9/18〜)
〔FW〕<B> |
− |
チェスケー・ブジェヨヴィツェ
イフラヴァ(L)
スコダ・クサンティ
ヤブロネツ
アウストリア・ウィーン
ヤブロネツ 
スパルタ・プラハ |
※2011年から3年連続チェコリーグ得点王。 |
ミラン・バロシュ
(1981/10/28〜)
〔FW〕<A> |
バリミリス |
バニーク・オストラヴァ
リヴァプール
アストン・ヴィラ
オリンピック・リヨン
ポーツマス(L)
ガラタサライ
バニーク・オストラヴァ
アンタルヤスポル |
ワールドカップ 06年
(41/88) |
ヤロスラフ・プラシル
(1982/1/5〜)
〔MF〕<A> |
− |
フラデツ・クラーロヴェー
モナコ
クレテイユ(L)
オサスナ
ジロンダン・ボルドー
カターニア |
ワールドカップ 06年 |
ペトル・チェフ
(1982/5/20〜)
〔GK〕<S> |
− |
フメル・ブルシャニ
スパルタ・プラハ
スタッド・ドゥ・レンヌ
チェルシー
アーセナル |
ワールドカップ 06年
チャンピオンズリーグ 11-12年 ヨーロッパリーグ 12-13年
※694分連続無失点のプレミアリーグ記録を持つ、2000年代欧州屈指のゴールキーパー。
頭蓋骨陥没骨折の重傷を負ったため、復帰後はヘッドギアをつけてプレーしている。
代表最多出場記録保持者。
(0/124) |
テオドール・ゲブレ・セラシェ
(1986/12/24〜)
〔DF〕<B> |
− |
ヴィソチナ・イフラヴァ
ヴェルケー・メジジーチー(L)
スラヴィア・プラハ
スロヴァン・リベレツ
ヴェルダー・ブレーメン スロヴァン・リベレツ |
※父はエチオピア人である。
(3/52) |
トマーシュ・ネツィド
(1989/8/13〜)
〔FW〕<A> |
− |
スラヴィア・プラハ
ヤブロネツ(L)
CSKAモスクワ
PAOKテッサロニキ(L)
スラヴィア・プラハ(L)
ズヴォレ
ブルサスコル
レギア・ワルシャワ(L)
スラヴィア・プラハ(L)
デン・ハーグ |
※U-17、U -19欧州選手権得点王である。 |
スロバキア 【10人】 |
 |
Repre |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
リュボミール・モラフチーク 
(1965/6/22〜)
〔MF〕<A>  |
ルボ |
ニトラ
サンテティエンヌ
バスティア
デュイスブルク
セルティック
ジェフ・ユナイテッド市原
ニトラ
|
ワールドカップ 90年(8)
(6/37) |
リュボミール・ルホビーク 
(1967/3/31〜)
〔FW〕<B> |
ルル |
プーホフ インテル・ブラチスラヴァ
デュクラ・バンスカー・ビストリツァ
インテル・ブラチスラヴァ
マルティーグ
インテル・ブラチスラヴァ
浦和レッドダイヤモンズ
インテル・ブラチスラヴァ
スパルタク・トルナヴァ
グラーツァー
ケールンテン
アルトメディア・ペトルジャルカ
ヴィーナーフェルト
アペトロン
ヴィーナーフェルト
|
※チェコスロバキアリーグ、スロバキアリーグ両方で得点王になった。
(0/9) |
ペテル・ドゥボフスキー 
(1972/5/7〜2000/6/23)
〔FW〕<B> |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ 
レアル・マドリード
レアル・オビエド |
※滝の撮影中に誤って転落し、命を落とした。
(12/33) |
ロベルト・セメニク
(1973/1/13〜)
〔FW〕<B> |
− |
デュクラ・バンスカー・ビストリツァ
コシツェ 
ゲンチレルビルニィ(L)
テプリツェ
ドルノヴィツェ
ジェール バンスカー・ビストリツァ |
(1/8) |
ミロスラフ・カルハン
(1976/6/21〜)
〔MF〕<A> |
− |
スパルタク・トルナヴァ
レアル・ベティス
ベシクタシュ
ヴォルフスブルク
マインツ05 スパルタク・トルナヴァ |
(14/107) |
ヴラティスラフ・グレシュコ
(1977/7/24〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
デュクラ・バンスカー・ビストリツァ
インテル・ブラチスラヴァ
バイエル・レバークーゼン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
パルマ
ブラックバーン・ローヴァーズ
ニュルンベルク バイエル・レバークーゼン |
(2/34) |
シラールド・ネーメト
(1977/8/8〜)
〔FW/MF〕<A> |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ
コシツェ
スパルタ・プラハ(L)
インテル・ブラチスラヴァ
ミドルズブラ
ストラスブール
アレマニア・アーヘン
|
※ハンガリー系少数民族出身である。
(22/59) |
マレク・ミンタール
(1977/9/2〜)
〔MF〕<A> |
ファントマ
スナイパー |
ジリナ
ニュルンベルク
ハンザ・ロシュトク
ニュルンベルクU |
(14/45) |
ローベルト・ヴィッテク
(1982/4/1〜)
〔FW〕<A> |
− |
スロヴァン・ブラチスラヴァ
ニュルンベルク
オリンピック・リヨン
リール
アンカラギュチュ
トラブゾンスポル
イスタンブル スロヴァン・ブラチスラヴァ |
ワールドカップ 10年(16)
(23/82) |
マレク・ハムシーク
(1987/7/27〜)
〔MF〕<A> |
Marechiaro
(マレキアーロ) |
スロヴァン・ブラチスラヴァ
ブレシア
ナポリ
大連プロフェッショナル
ヨーテボリ
トラブゾンスポル |
ワールドカップ 10年(16)
※代表最多出場記録、代表最多得点記録保持者。
(26/136) |
ルーマニア 【24人】 |
 |
Tricolorii (The Tricolours) |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アヴァール・イストヴァン 
(1905/5/28〜1977/10/13)
〔FW〕<A> |
− |
アラド
ブラショヴ
ウーイペシュト
ラピード・ブクレシュティ |
ワールドカップ 34年
(2/3)
(24/21)ハンガリー |
ステファヌ・ドバイ
(1909/4/7〜1994/4/7)
〔FW〕<A> |
− |
バナトゥル・ティミショアラ
リペンシア・ティミショアラ   
フェレル・クルージュ
ガズメタン・メディアシュ |
ワールドカップ 34年 38年
(20/41) |
ユリウ・ボドラ 
(1912/2/26〜1992/3/12)
〔FW〕<A> |
− |
オラデア
ヴェヌス・ブクレシュティ
オラデア
Ferar Cluj
MTK |
ワールドカップ 34年 38年
(30/48)
(4/13)ハンガリー |
シュテファン・コヴァチ
(1920/10/2〜1995/5/12)
〔MF〕<B>    |
− |
シャルルロワ=マルシェンヌ
リペンシア・ティミショアラ
トゥルヌ・セヴェリン
フェラル・クルージュ
クルージュ
ウニヴェルシタテア・クルージュ |
※ミケルスからアヤックス監督を引き継ぎ、チャンピオンズカップ2連覇を成し遂げた。
(0/0)
 |
ゲオルゲ・コンスタンティン
(1932/12/14〜2010/3/9)
〔FW〕<A>  |
− |
ステアウア・ブクレシュティ  
カイセリスポル |
(12/39) |
エメリク・イェネイ
(1937/3/22〜)
〔FW〕<A>   |
− |
ステアウア・ブクレシュティ
カイセリスポル |
※ステアウア監督時代、東欧に初めてビッグイヤーをもたらしたルーマニアきっての名将。
(0/12) |
アンゲル・ヨルダネスク
(1950/5/4〜)
〔FW〕<A>  |
− |
ステアウア・ブクレシュティ
クレタ |
※サッカー界から引退後は政治家に転身した。
(26/64) |
ドゥドゥ・ゲオルゲスク
(1950/9/1〜)
〔FW〕<A> |
− |
ディナモ・ブクレシュティ   
バカウ |
※2012年にメッシに抜かれるまで、欧州リーグ(ゴールデンブーツが創設されてから)の1シーズン最多得点記録保持者(47得点)だった。
(21/44) |
ラースロー・ベレニ
(1953/3/11〜)
〔MF〕<A>  |
− |
トゥルグ・ムレシュ
ステアウア・ブクレシュティ
ラシン・ジェ・ワーヴル
クレテイユ・リュシタン
オルレアン |
チャンピオンズカップ 85-86年
スーパーカップ 86年
(25/108) |
ヘルムート・ドゥカダム
(1959/4/1〜)
〔GK〕<A> |
セビリアの英雄 |
アラド
ステアウア・ブクレシュティ |
チャンピオンズカップ 85-86年
※チャンピオンズカップ決勝でPKをことごとく止めた優勝の立役者。
その後、静脈血栓塞栓症を患ったため、「秘密警察から拷問を受けた」「チャウシェスク大統領の息子に脅迫された」「バルサのライバルであるレアル・マドリードから贈られたベンツの供出を拒んだため制裁を受けた」など憶測が流れたが、真意は定かではない。
(0/2) |
マリウス・ラカトゥシュ
(1964/4/5〜)
〔FW〕<A> |
Fiara |
ブラショフ
ステアウア・ブクレシュティ
フィオレンティーナ
レアル・オビエド
ステアウア・ブクレシュティ
ナシオナル・ブクレシュティ |
ワールドカップ 90年(16) 98年(16)
チャンピオンズカップ 85-86年
スーパーカップ 86年
(13/84) |
ミオドラグ・ベロデディチ
(1964/5/28〜)
〔DF〕<A> |
Belo
東欧のベッケンバウアー |
ステアウア・ブクレシュティ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
バレンシア
レアル・バリャドリード
ビジャレアル
アトランテ
ステアウア・ブクレシュティ |
ワールドカップ 94年(8)
チャンピオンズカップ 85-86年 90-91年
トヨタカップ 91年
スーパーカップ 86年
※ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
(5/55) |
ゲオルゲ・ハジ
(1965/2/5〜)
〔MF〕<S>   |
東欧のマラドーナ |
ファルル・コンスタンツァ
スポルトゥル・ストゥデンツェスク
ステアウア・ブクレシュティ
レアル・マドリード
ブレシア
バルセロナ
ガラタサライ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(8) 98年(16)
スーパーカップ 86年 00年
UEFAカップ 99-00年
※ルーマニア史上最高の選手といわれる。
代表最多得点出場記録保持者。
(35/125)
 |
ゲオルゲ・ポペスク
(1967/10/9〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
ウニヴェルシタテア・クライオヴァ
ステアウア・ブクレシュティ(L)
PSV
トッテナム・ホットスパー
バルセロナ
ガラタサライ
レッチェ
ディナモ・ブクレシュティ
ハノーファー96 |
ワールドカップ 90年(16) 94年(8) 98年(16)
スーパーカップ 00年
UEFAカップ 99-00年
カップウィナーズカップ 96-97年
※ドリーム・チームの後期に活躍したディフェンシブ・ミッドフィルダー。
(16/115)
 |
ダン・ペトレスク
(1967/12/22〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
ステアウア・ブクレシュティ
オルト(L)
フォッジャ
ジェノア
シェフィールド・ウェンズデイ
チェルシー
ブラッドフォード・シティ
サウサンプトン
ナシオナル |
ワールドカップ 94年(8) 98年(16)
カップウィナーズカップ 97-98年
(12/95) |
ドリネル・ムンテアヌ
(1968/6/25〜)
〔MF/DF(SB)〕<A> |
− |
メタルル・ボチシャ
レシツァ
オルト
インテル・シビウ
ディナモ・ブクレシュティ
サークル・ブルッヘ
ケルン
ヴォルフスブルク
ステアウア・ブクレシュティ
クルージュ
アルゲシュ
ヴァスルイ
ウニヴェルシタテア・クルージュ |
ワールドカップ 94年(8) 98年(16)
※代表最多出場記録保持者。
(16/134) |
イリエ・ドゥミトレスク
(1969/1/6〜)
〔MF〕<A> |
− |
ステアウア・ブクレシュティ
オルト(L)
トッテナム・ホットスパー
セビージャ(L)
ウェストハム・ユナイテッド
クラブ・アメリカ
アトランテ
ステアウア・ブクレシュティ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(8) 98年(16)
(22/63) |
フロリン・ラドチョウ
(1970/3/17〜)
〔FW〕<A> |
Radu |
ディナモ・ブクレシュティ
バーリ
エラス・ヴェローナ
ブレシア
ミラン
エスパニョール
ウェストハム・ユナイテッド
エスパニョール
シュトゥットガルト
ブレシア
ディナモ・ブクレシュティ
モナコ
クレテイユ・リュシタノ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(8)
(21/40) |
ヴィオレル・モルドヴァン
(1972/8/8〜)
〔FW〕<A> |
− |
グロリア・ビストリツァ
ディナモ・ブクレシュティ
ヌーシャテル・ザマックス
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ 
コヴェントリー・シティ
フェネルバフチェ
ナント
アル・ヴァーダ
ナント
セルヴェット
ポリテフニカ・ティミショアラ
ラピード・ブクレシュティ
|
ワールドカップ 94年(8) 98年(16)
(26/70) |
アドリアン・ムトゥ
(1979/1/8〜)
〔FW/MF〕<A> |
フェノメーノ |
アルジェシュ・ピテシュティ
ディナモ・ブクレシュティ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
エラス・ヴェローナ
パルマ
チェルシー
ユヴェントス
フィオレンティーナ
チェゼーナ
アジャクシオ
ペトロルル・プロィエシュティ
プネー・シティ |
※代表最多得点記録保持者。
ドーピング問題によるトラブルが絶えない。
(35/77) |
クリスティアン・キヴ
(1980/10/26〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
レシツァ
ウニヴェルシタテア・クライオヴァ
アヤックス
ローマ
インテルナツィオナーレ・ミラノ |
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
(3/75) |
ラズヴァン・ラツ
(1981/5/26〜)
〔DF〕<B> |
− |
ラピド・ブクレシュティ
バカウ(L)
エレクトロマグネティカ
シャフタール・ドネツク
ウェストハム・ユナイテッド
ラーヨ・バジェカーノ
PAOK
ラーヨ・バジェカーノ
ポリ・ティミショアラ |
(2/113) |
ヴラド・キリケシュ
(1989/11/14〜)
〔DF〕<B> |
− |
インテルナツィオナル・クルテア・デ・アルジェシュ
パンドゥリイ・トゥルグ・ジウ
ステアウア・ブクレシュティ
トッテナム・ホットスパー
ナポリ
サッスオーロ
クレモネーゼ |
− |
ガブリエル・トルジェ
(1989/11/22〜)
〔FW〕<A> |
− |
ポリテフニカ・ティミショアラ
ポリテフニカ・ティミショアラ
ディナモ・ブクレシュティ
ウディネーゼ
グラナダ(L)
エスパニョール(L)
コンヤスポル(L)
オスマンルスポル(L)
テレク・グロズヌイ
カルデミル・カラビュックスポル(L)
ディナモ・ブクレシュティ(L)
スィヴァススポル
AEL
バンドゥルマスポル
ディナモ・ブクレシュティ
ファルル・コンスタンツァ |
※ルーマニアのメッシとも呼ばれる。
(11/56)
|
ブルガリア 【17人】 |
 |
(The Lions / The Tricolors) |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ディミタール・ミラノフ
(1928/10/18〜1995/?/?)
〔FW〕<A> |
− |
CSKAソフィア  |
※オリンピックメルボルン大会銅メダリスト。
(20/39) |
イヴァン・ペトコフ・コレフ
(1930/11/1〜2005/7/1)
〔FW〕<A> |
− |
CSKAソフィア |
ワールドカップ 62年 66年
※オリンピックメルボルン大会銅メダリスト。
(25/75) |
ドブロミル・ジェチェフ
(1942/11/12〜)
〔DF〕<A> |
− |
スパルタ・ソフィア
レフスキ・ソフィア |
ワールドカップ 62年 66年 70年 74年
※W杯4大会連続出場。
(1/93) |
ゲオルギ・アスパルホフ
(1943/5/4〜1971/6/31)
〔FW〕<A> |
− |
レフスキ・ソフィア
ボテフ・プロヴディフ
レフスキ・ソフィア |
ワールドカップ 62年 66年 70年
※レフスキ・ソフィアのホームスタジアムにその名を残す。
交通事故死した。
(19/50) |
ペタル・ジェコフ
(1944/10/10〜)
〔FW〕<A> |
− |
Dimitrovgrad
Beroe Stara Zagora 
CSKAソフィア    |
ワールドカップ 66年 70年 74年
※オリンピックメキシコ大会銀メダリスト。
(25/44) |
ディミタール・ペネフ
(1945/7/12〜)
〔DF〕<A>  |
− |
ロコモティフ・ソフィア
CSKAソフィア |
ワールドカップ 66年 70年 74年
(2/90) |
フリスト・ボネフ
(1947/2/3〜)
〔MF〕<A>  |
− |
ロコモティフ・プロヴディフ
CSKAソフィア
AEKアテネ |
ワールドカップ 70年 74年
※代表最多得点記録保持者。
(48/96) |
ナスコ・シラコフ
(1962/4/26〜)
〔FW/MF〕<A> |
− |
レフスキ・ソフィア
スパルタク・ヴァルナ
ハスコヴォ
レフスキ・ソフィア 
レアル・サラゴサ
エスパニョール
レフスキ・ソフィア
ランス
レフスキ・ソフィア
ボテフ・プロヴディフ
スラヴィア・ソフィア |
ワールドカップ 86年 94年(4)
(37/82) |
ペトル・アレクサンドロフ
(1962/12/7〜)
〔FW〕<B> |
− |
レフスキ・カルロヴォ スラヴィア・ソフィア
コルトレイク
エネルギー・コットプス
アーラウ レフスキ・ソフィア ヌーシャテル・ザマックス
ルツェルン 
バーデン
アーラウ |
ワールドカップ 94年(4)
(5/25) |
ボリスラフ・ミハイロフ
(1963/2/12〜)
〔GK〕<A> |
− |
レフスキ・ソフィア
べレネンセス
ミュルーズ
ボテフ・プロヴディフ
レディング
スラヴィア・プラハ
チューリッヒ |
ワールドカップ 86年 94年(4) 98年
(0/102) |
トリフォン・イヴァノフ
(1965/7/27〜)
〔DF〕<A> |
ブルガリアの狼 |
エタル・ヴェリコ・タルノヴォ
CSKAソフィア
レアル・ベティス
ヌーシャテル・ザマックス
ラピード・ウィーン
アウストリア・ウィーン |
ワールドカップ 94年(4) 98年
(6/77) |
クラシミール・バラコフ
(1966/3/29〜)
〔MF〕<A> |
ベリコ |
エタル・ヴェリコ・タルノヴォ
スポルティングCP
シュトゥットガルト |
ワールドカップ 94年(4) 98年
(16/92) |
フリスト・ストイチコフ
(1966/2/8〜)
〔FW/MF〕<S>   |
イッツォ |
CSKAソフィア  
バルセロナ
柏レイソル |
ワールドカップ 94年(4) 98年
チャンピオンズリーグ 91-92年
スーパーカップ 92年 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※ブルガリア史上最高の選手といわれる。
左足の正確なキックとドリブル突破が持ち味のフォワード。
「ドリーム・チーム」のメンバー。
(37/83)
 |
エミル・コスタディノフ
(1967/8/12〜)
〔MF/FW〕<A> |
− |
CSKAソフィア
ポルト
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
バイエルン・ミュンヘン
フェネルバフチェ
ティグレス |
ワールドカップ 94年(4) 98年
(26/70) |
マルティン・ペトロフ
(1979/1/15〜)
〔MF/FW〕<A> |
ストイチコフ2世 |
CSKAソフィア
セルヴェット
ヴォルフスブルク
アトレティコ・マドリード
マンチェスター・シティ
ボルトン・ワンダラーズ |
− |
ディミタール・ベルバトフ
(1981/1/30〜)
〔FW〕<A> |
ベルヴォ
天使の顔を持つ悪魔 |
CSKAソフィア
バイエル・レバークーゼン
トッテナム・ホットスパー
マンチェスター・ユナイテッド
フラム
モナコ
PAOKテッサロニキ
ケーララ・ブラスターズ |
※代表最多得点記録保持者。
(48/74) |
ヴァレリ・ボジノフ
(1986/2/15〜)
〔FW〕<B> |
ブージエ |
レッチェ
フィオレンティーナ
ユヴェントス(L)
マンチェスター・シティ
パルマ
スポルティングCP
レッチェ
エラス・ヴェローナ(L)
ヴィチェンツァ(L)
レフスキ・ソフィア
テルナーナ
パルチザン
梅州五華
ローザンヌ・スポルト
リエカ
ボテフ・ヴラツァ
レフスキ・ソフィア
ボテフ・ヴラツァ
デルフィーノ・ペスカーラ
レフスキ・ソフィア
セプテムブリ・ソフィア |
※15歳でイタリアセリエAデビュー、EURO2004では史上2番目の若さで出場したが、その後はケガなどもあり、あまりパッとしない。
(6/43) |
ユーゴスラビア 【50人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ドラガン・ヨヴァノヴィッチ
(1903/9/29〜1936/6/2)
〔FW〕<A> |
− |
SKユーゴスラビア   |
(4/8) |
ブラゴイェ・マルヤノヴィッチ
(1907/9/9〜1984/10/1)
〔FW〕<S> |
− |
BSKベオグラード   |
ワールドカップ 30年(4)
(36/57) |
イヴァン・ベック 
(1909/10/29〜1983/6/2)
〔FW〕<A> |
− |
セト34
サンテティエンヌ |
ワールドカップ 30年(4)
(4/7)
(0/5)フランス |
アウグスト・レスニク 
(1914/7/16〜1992/2/24)
〔FW〕<A> |
− |
スパルタ・ザグレブ
グラダンスキ・ザグレブ 
ディナモ・ザグレブ
ドゥブラヴァ ディナモ・ザグレブ |
(4/10) |
ライコ・ミティッチ
(1922/11/19〜2008/3/29)
〔FW〕<A>  |
− |
BSKベオグラード
ツルベナ・ズベズダ |
ワールドカップ 50年 54年(8)
※ツルヴェナ・ズヴェズダにおいて「第1の星人」とされている。
オリンピックロンドン大会、ヘルシンキ大会銀メダリスト。
(32/59)
 |
スティエパン・ボベク
(1923/12/3〜2010/8/22)
〔FW〕<S> |
− |
ユーゴスラヴィア国民軍
パルチザン |
ワールドカップ 50年 54年(8)
※代表最多得点記録保持者。
オリンピックロンドン大会、ヘルシンキ大会銀メダリスト。
(38/63)
 |
ベルナルド・ブカシュ
(1927/5/1〜1983/4/4)
〔MF〕<A> |
− |
ザグレブ
ハイドゥク・スプリト
ボローニャ
ハイドゥク・スプリト |
ワールドカップ 50年 54年(8)
※クロアチア出身である。
(22/59) |
ヴラディミル・ベアラ
(1928/11/2〜2014/8/11)
〔GK〕<S> |
ビッグ・ヴラッド |
ハイドゥク・スプリト
ツルヴェナ・ズヴェズダ
アレマニア・アーヘン
ヴィクトリア・ケルン |
ワールドカップ 50年 54年(8) 58年(8)
※クロアチア出身である。
オリンピックヘルシンキ大会銀メダリスト。
(0/59)[21]
 |
ブランコ・ゼベツ
(1929/5/17〜1988/9/26)
〔FW(WG)〕<A> |
− |
ボラク・ザグレブ
パルチザン ツルヴェナ・ズヴェズダ
アレマニア・アーヘン |
ワールドカップ 50年 54年(8)
※オリンピックヘルシンキ大会銀メダリスト。
(17/65) |
ミリャン・ミリャニッチ
(1930/5/4〜2012/1/13)
〔DF〕<C>  |
− |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
|
※選手時代は目立った実績はないものの、監督としてツルヴェナ・ズヴェズダの黄金期をつくり上げ、代表監督としても2度W杯の指揮を取った名将。
(0/0) |
ボラ・コスティッチ
(1930/6/14〜2011/1/10)
〔FW〕<A> |
ボラ |
ツルヴェナ・ズヴェズダ 
ヴィチェンツァ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
セントルイス・スターズ |
※オリンピックローマ大会金メダリスト。
(26/33) |
トゥドル・ベセリノヴィッチ
(1930/10/22〜2017/5/17)
〔FW〕<A>  |
− |
ヴォイヴォディナ・ノヴァサド   
パルチザン
サンプドリア
|
ワールドカップ 54年(8) 58年(8)
※オリンピックメルボルン大会銀メダリスト。
(28/37) |
ヴヤディン・ボシュコヴ
(1931/5/16〜2014/4/27)
〔MF〕<A>   |
− |
ヴォイヴォディナ・ノヴァサド
サンプドリア
ヤングボーイズ
|
ワールドカップ 54年(8) 58年(8)
※ユーゴスラビアで最も成功した監督とされる。
(0/57) |
ムハメド・ムイッチ
(1932/4/25〜2016/2/20)
〔FW〕<A> |
− |
ヴェレジュ・モスタル
ジロンダン・ボルドー
ディナモ・ザグレブ |
ワールドカップ 62年(4)
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。
オリンピックメルボルン大会銀メダリスト。
(17/32) |
メロス・ミルティノヴィッチ
(1933/2/5〜2003/1/28)
〔FW〕<A> |
− |
パルチザン
BSKベオグラード
バイエルン・ミュンヘン
パリ
スタッド・パリ |
ワールドカップ 54年(8) 58年(8)
(16/33) |
ドラジャン・イェルコヴィッチ
(1936/8/6〜2008/12/9)
〔FW〕<A>  |
− |
ディナモ・ザグレブ
ヘント |
ワールドカップ 58年(8) 62年(4)
※クロアチア出身で、代表の初代監督をつとめた。
クロアチア選抜で試合に出場したことがある。
(11/21) |
ドラゴスラヴ・シェクララツ
(1937/11/30〜2019/1/5)
〔MF〕<A> |
シェキ |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
カールスルーエ
セントルイス・スターズ
OFKベオグラード
インディペンディエンテ・サンタフェ
ミジョナリオス
アメリカ・デ・カリ |
ワールドカップ 58年(8) 62年(4)
※マケドニア出身である。
ツルヴェナ・ズヴェズダにおいて「第2の星人」とされている。
晩年はコロンビアでプレーした。
オリンピックメルボルン大会銀メダリスト。
(6/41) |
ミラン・ガリッチ
(1938/3/8〜2014/9/13)
〔FW(WG)〕<S> |
− |
パルチザン
スタンダール・リエージュ
スタッド・ドゥ・ランス |
ワールドカップ 62年(4)
※オリンピックローマ大会金メダリスト。
(37/51) |
ベリボル・バソヴィッチ
(1939/10/3〜2002/3/4)
〔DF〕<A> |
− |
パルチザン ツルヴェナ・ズヴェズダ
パルチザン
アヤックス |
チャンピオンズカップ 70-71年
(2/32) |
ヨシップ・スコブラル
(1941/3/12〜)
〔FW〕<S> |
− |
OFKベオグラード
ハノーファー96
オリンピック・マルセイユ  
リエカ |
ワールドカップ 62年(4)
※クロアチア出身である。
フランスリーグシーズン最多得点記録保持者。
(11/32)
 |
イヴィツァ・オシム
(1941/5/6〜2022/5/1)
〔FW〕<A>  |
シュトラウス
シュワーボ(ドイツ人) |
ゼレツニツァル・サラエヴォ
ズウォレ ゼレツニツァル・サラエヴォ
ストラスブール
スダン・アルデンヌ
ヴァランシエンヌ ストラスブール |
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。
元日本代表監督。この時期の言動は「オシムの言葉」として話題となった。
サラエヴォ大学を修了し、数学の学士の資格を持っていた。
東京オリンピックの際、ユーゴ代表として初来日し、それ以来親日家である。その日本戦で得点をあげた。
70年前後の欧州を代表するストライカーと認識されており、サントスが親善試合でユーゴを訪れた際、ペレが「オシム(ケガをしていて出場を辞退していた)が出ないなら、俺も出ない。」と言い出したという逸話がある。
大相撲のファン。お気に入りは琴欧洲であった。
(8/16)
 |
ドラガン・ジャイッチ
(1946/5/30〜)
〔FW(WG)〕<S>  |
ジャヤ |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
バスティア ツルヴェナ・ズヴェズダ |
ワールドカップ 74年
※ユーゴスラビア史上最高の選手といわれる。
代表最多出場記録保持者。
ツルヴェナ・ズヴェズダにおいて「第3の星人」とされている。
(23/85)
 |
ブランコ・オブラク
(1947/5/27〜)
〔FW〕<A>   |
− |
オリンピア・リュブリアナ
ハイドゥク・スプリト
シャルケ04
バイエルン・ミュンヘン |
ワールドカップ 74年
※スロベニア出身である。
(8/50)
 |
ラドミル・アンティッチ
(1948/11/22〜)
〔DF〕<B>  |
− |
スロヴォダ・ウジツェ
パルチザン
フェネルバフチェ
レアル・サラゴサ
ルートン・タウン |
※監督としてのキャリアの多くはスペインである。特にアトレティコでの名声が高く、2冠獲得という偉業を達成している。
(0/1) |
ドゥシャン・バイェヴィッチ
(1948/12/10〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヴェレジュ・モスタル
AEKアテネ
ヴェレジュ・モスタル |
ワールドカップ 74年
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。
(29/37) |
ヴァヒド・ハリルホジッチ
(1952/10/15〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヴェレジュ・モスタル
ナント 
パリ・サンジェルマン |
ワールドカップ 82年
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。主にフランスで活躍した。
2015年、アギーレ解任を受けて日本代表監督に就任し、W杯本戦出場を勝ち取ったが、大会直前に解雇された。
(8/32) |
サフェト・スシッチ
(1955/4/13〜)
〔MF〕<A>  |
Pape
マジック |
FKサラエヴォ
パリ・サンジェルマン
レッドスター・パリ |
ワールドカップ 82年 90年(8)
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。
(21/54)
 |
ヴラディミル・ペトロヴィッチ
(1955/7/1〜)
〔MF〕<A>  |
− |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
アーセナル
ロイヤル・アントワープ
スタッド・ブレスト
スタンダール・リエージュ
ナンシー |
ワールドカップ 74年 82年
※ツルヴェナ・ズヴェズダにおいて「第4の星人」とされている。
(5/34) |
ファルク・ハジベギッチ
(1957/10/7〜)
〔DF〕<A>  |
− |
サラエヴォ レアル・ベティス ソショー・モンペリアル |
ワールドカップ 82年 90年(8)
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。
(6/65) |
ズラトコ・ヴヨヴィッチ
(1958/8/26〜)
〔FW〕<A> |
− |
ハイドゥク・スプリト
ジロンダン・ボルドー
カンヌ
パリ・サンジェルマン
ソショー・モンペリアル
ニース |
ワールドカップ 82年 90年(8)
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。
(25/70) |
トミスラヴ・イヴコヴィッチ
(1960/8/11〜)
〔GK〕<A> |
− |
ディナモ・ザグレブ
ヴィンコヴィツィ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ヴァッカー・インスブルック
ヴェアナー
ヘンク
スポルティングCP
エストリル
ヴィトリア・セトゥバール
ベレネンセス
サラマンカ
アマドーラ |
ワールドカップ 90年(8)
※クロアチア出身である。
W杯ではマラドーナのPKを止めるなど活躍した。
(0/38) |
スレチコ・カタネッツ 
(1963/7/16〜)
〔FW〕<A>  |
− |
オリンピア・リュブリアナ
ディナモ・ザグレブ
パルチザン
シュトゥットガルト
サンプドリア |
ワールドカップ 90年(8)
カップウィナーズカップ 89-90年
※スロベニア出身でオシムの愛弟子である。 オリンピックロサンゼルス大会銅メダリスト。
(5/31)
 |
ヴヤディン・スタノイコヴィッチ 
(1963/9/10〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
クマノヴォ
ヴァルダル・スコピエ
パルチザン
デーゲフォーシュ
トレッレボリ |
ワールドカップ 90年(8)
※ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
(1/21) |
ドラゴリュブ・ブルノヴィッチ
(1963/11/2〜)
〔MF〕<A> |
− |
ブドゥチノスト・ポドゴリツァ
パルチザン
メス
エルグリーテ
メス
アリス・ボネヴェーク |
ワールドカップ 90年(8)
※モンテネグロ出身である。
(1/25) |
イリヤ・ナイドスキ 
(1964/3/26〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
ヴァルダル・スコピエ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
レアル・バリャドリード
デニズリスポル
CSKAソフィア |
ワールドカップ 90年(8)
チャンピオンズカップ 90年-91年
トヨタカップ 91年
※ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
(1/11) |
ドラガン・ストイコヴィッチ 
(1965/3/3〜)
〔MF〕<S>  |
ピクシー(妖精) |
ラドニツキ・ニシュ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
オリンピック・マルセイユ
エラス・ヴェローナ オリンピック・マルセイユ
名古屋グランパスエイト |
ワールドカップ 90年(8) 98年(16)
チャンピオンズリーグ 92-93年
(9/41)
 |
ダルコ・パンチェフ 
(1965/9/7〜)
〔FW〕<A>  |
コブラ |
ヴァルダル・スコピエ
ツルヴェナ・ズヴェズダ  
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ライプティヒ
フォルトゥナ・デュッセルドルフ
シオン |
ワールドカップ 90年(8)
チャンピオンズカップ 90年-91年
トヨタカップ 91年
※ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
(17/27)
 |
レフィク・シャバナジョヴィッチ
(1965/10/7〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
ゼレツニツァル・サラエヴォ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
AEKアテネ
オリンピアコス
カンザスシティ・ウィザーズ |
ワールドカップ 90年(8)
チャンピオンズカップ 90-91年
トヨタカップ 91年
※ボスニア・ヘルツェゴビナ出身である。
ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
オリンピックロサンゼルス大会銅メダリスト。
(0/8) |
ミロスラヴ・ジュキッチ 
(1966/2/19〜)
〔DF〕<A>  |
− |
マルチュヴァ・シャバツ
ラド
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
バレンシア
テネリフェ |
ワールドカップ 98年(16)
(0/2) |
デヤン・サビチェヴィッチ 
(1966/9/15〜)
〔MF〕<S>  |
デーヨ |
ブドゥチノスト・ポドゴリツァ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ミラン
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 90年(8)
チャンピオンズカップ 90-91年
トヨタカップ 91年
チャンピオンズリーグ 93-94年
スーパーカップ 94年
(11/27)
 |
メホ・コドロ 
(1967/1/12〜)
〔FW〕<A> |
− |
ヴェレジュ・モスタル
レアル・ソシエダ
バルセロナ
テネリフェ
デポルティーボ・アラベス
マッカビ・テルアビブ |
(0/2) |
ダヴォル・シュケル
(1968/1/1〜)
〔FW〕<S>  |
トマホーク |
オシエク
ディナモ・ザグレブ
セビージャ
レアル・マドリード
アーセナル
ウェストハム・ユナイテッド
1860ミュンヘン |
ワールドカップ 98年(3) 02年
UEFAカップ 97-98年
(1/2) |
スラビシャ・ヨカノロヴィッチ 
(1968/8/16〜)
〔MF〕<A> |
バルカンの壁 |
ヴォイヴォディナ・ノヴァサド
パルチザン
レアル・オビエド
テネリフェ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
チェルシー
シウダ・デ・ムルシア |
ワールドカップ 98年(16)
(0/6) |
ズボニミール・ボバン 
(1968/10/8〜)
〔MF〕<S> |
ゾロ
ズヴォーネ |
ディナモ・ザグレブ
バーリ
ミラン
セルタ・デ・ビーゴ |
ワールドカップ 98年(3)
チャンピオンズリーグ 93-94年
スーパーカップ 94年
(1/8) |
ロベルト・ヤルニ 
(1968/10/26〜)
〔MF/DF(SB)〕<S> |
− |
ハイドゥク・スプリト
バーリ
トリノ
ユヴェントス
レアル・ベティス
レアル・マドリード
ラスパルマス
パナシナイコス |
ワールドカップ 90年(8) 98年(3) 02年
(1/7) |
ロベルト・プロシネチキ 
(1969/1/12〜)
〔MF〕<S> |
バルカンの黄金銃 |
ディナモ・ザグレブ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
レアル・マドリード
レアル・オビエド
バルセロナ
セビージャ
クロアチア・ザグレブ
フルヴァツキ
スタンダール・リエージュ
ポーツマス
オリンピア
NKザグレブ |
ワールドカップ 90年(8) 98年(3) 02年
チャンピオンズカップ 90-91年
(4/15) |
プレドラク・ミヤトヴィッチ
(1969/1/19〜)
〔FW〕<A> |
ページャ
バルカンの速射砲 |
パルチザン
バレンシア
レアル・マドリード
フィオレンティーナ
レバンテ |
ワールドカップ 98年(16)
チャンピオンズリーグ 97-98年
トヨタカップ 98年
※整髪料でベッタリの髪が印象的。
(28/69) |
シニシャ・ミハイロヴィッチ 
(1969/2/20〜2022/12/16)
〔DF/MF〕<A>  |
グランシニストラ
(偉大なる左足) |
ヴォイヴォディナ・ノヴァサド
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ローマ
サンプドリア
ラツィオ
インテルナツィオナーレ・ミラノ |
ワールドカップ 98年(16)
スーパーカップ 99年
カップウィナーズカップ 98-99年
(0/4) |
ヴラディミル・ユーゴヴィッチ 
(1969/8/30〜)
〔MF〕<S> |
− |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ラド(L)
サンプドリア
ユヴェントス
ラツィオ
アトレティコ・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
モナコ(L)
アドミラ・ヴァッカー
アーレン |
ワールドカップ 98年(16)
チャンピオンズリーグ 91-92年 95-96年
トヨタカップ 92年 96年
スーパーカップ 96年
(1/4) |
アレン・ボクシッチ 
(1970/1/21〜)
〔FW〕<A> |
− |
ハイドゥク・スプリト
カンヌ
オリンピック・マルセイユ
ラツィオ
ユヴェントス ラツィオ
ミドルズブラ |
ワールドカップ 02年
チャンピオンズリーグ 92-93年
トヨタカップ 96年
カップウィナーズカップ 98-99年
(10/40) |
セルビア・モンテネグロ 【14人】 |
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(1994〜ユーゴスラビア) Plavi (Blues) |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ドラガン・ストイコヴィッチ 
(1965/3/3〜)
〔MF〕<S>  |
ピクシー(妖精) |
ラドニツキ・ニシュ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
オリンピック・マルセイユ
エラス・ヴェローナ オリンピック・マルセイユ
名古屋グランパスエイト |
ワールドカップ 90年(8) 98年(16)
チャンピオンズリーグ 92-93年
※元名古屋グランパス監督。
ピクシーの由来は少年時代に見ていたアニメ「ピクシー&ディクシー」の主人公のねずみである。
ツルヴェナ・ズヴェズダにおいて「第6の星人」とされている。
大の親日家で日本食を好んで食べる。趣味は盆栽である。
初代セルビア・モンテネグロサッカー協会会長。
オリンピックロサンゼルス大会銅メダリスト。
(6/44) |
ミロスラヴ・ジュキッチ 
(1966/2/19〜)
〔DF〕<A>  |
− |
マルチュヴァ・シャバツ
ラド
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
バレンシア
テネリフェ |
ワールドカップ 98年(16)
(2/46) |
デヤン・サビチェヴィッチ 
(1966/9/15〜)
〔MF〕<S>  |
デーヨ |
ブドゥチノスト・ポドゴリツァ
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ミラン
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ラピード・ウィーン |
ワールドカップ 90年(8)
チャンピオンズカップ 90-91年
トヨタカップ 91年
チャンピオンズリーグ 93-94年
スーパーカップ 94年
※モンテネグロ出身である。
ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
オランダトリオ後のミランのタイトル獲得に貢献した。
(11/29) |
スラビシャ・ヨカノロヴィッチ 
(1968/8/16〜)
〔MF〕<A> |
バルカンの壁 |
ヴォイヴォディナ・ノヴァサド
パルチザン
レアル・オビエド
テネリフェ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
チェルシー
シウダ・デ・ムルシア |
ワールドカップ 98年(16)
(10/58) |
プレドラク・ミヤトヴィッチ
(1969/1/19〜)
〔FW〕<A> |
ページャ
バルカンの速射砲 |
パルチザン
バレンシア
レアル・マドリード
フィオレンティーナ
レバンテ |
ワールドカップ 98年(16)
チャンピオンズリーグ 97-98年
トヨタカップ 98年
(0/4) |
シニシャ・ミハイロヴィッチ 
(1969/2/20〜2022/12/16)
〔DF/MF〕<S>  |
グランシニストラ
(偉大なる左足) |
ヴォイヴォディナ・ノヴァサド
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ローマ
サンプドリア
ラツィオ
インテルナツィオナーレ・ミラノ |
ワールドカップ 98年(16)
スーパーカップ 99年
カップウィナーズカップ 98-99年
※ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
(9/58)
 |
ヴラディミル・ユーゴヴィッチ 
(1969/8/30〜)
〔MF〕<S> |
− |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ラド(L)
サンプドリア
ユヴェントス
ラツィオ
アトレティコ・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
モナコ(L)
アドミラ・ヴァッカー
アーレン |
ワールドカップ 98年(16)
チャンピオンズリーグ 91-92年 95-96年
トヨタカップ 92年 96年
スーパーカップ 96年
※ツルヴェナ・ズヴェズダ「第6の星人」のひとり。
(3/37) |
サヴォ・ミロシェヴィッチ 
(1973/9/2〜)
〔FW〕<A> |
− |
パルチザン
アストン・ヴィラ
レアル・サラゴサ
パルマ レアル・サラゴサ
エスパニョール
セルタ・デ・ビーゴ
オサスナ
ルビン・カザン |
ワールドカップ 06年
※代表最多出場記録保持者。
(35/101) |
ダルコ・コバチェヴィッチ
(1973/11/18〜)
〔FW〕<A> |
− |
プロレテル・ズレリャニン
ツルヴェナ・ズヴェズダ
シェフィールド・ウェンズディ
レアル・ソシエダ
ユヴェントス
ラツィオ
レアル・ソシエダ
オリンピアコス |
ワールドカップ 98年(16)
(10/59) |
ムラデン・クルスタイッチ 
(1974/3/4〜)
〔DF〕<A>  |
− |
センタ
キキンダ
パルチザン
ヴェルダー・ブレーメン
シャルケ06
パルチザン |
ワールドカップ 06年
(3/46) |
デヤン・スタンコヴィッチ 
(1978/9/11〜)
〔MF〕<A> |
デキ |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
ラツィオ
インテルナツィオナーレ・ミラノ |
ワールドカップ 98年(16) 06年 10年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
カップウィナーズカップ 98-99年
※ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロ、セルビア代表としてW杯に出場した。
(12/61) |
マテヤ・ケジュマン
(1979/4/12〜)
〔FW〕<A> |
− |
ラドニチキ・ピロト
ロズニツァ
スメデレポ
パルチザン
PSV  
チェルシー
アトレティコ・マドリード
フェネルバフチェ
パリ・サンジェルマン
ゼニト・サンクトペテルブルク(L)
南華
BATEボリソフ |
ワールドカップ 06年
(17/49) |
ネマニャ・ヴィディッチ 
(1981/10/21〜)
〔MF〕<A> |
マン・オブ・スチール
ロボコップ
ヴィダ |
ツルヴェナ・ズヴェズダ
スパルタク・スポティツァ(L)
スパルタク・モスクワ
マンチェスター・ユナイテッド
インテルナツィオナーレ・ミラノ |
ワールドカップ 06年 10年
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
(1/20) |
ミルコ・ヴチニッチ 
(1983/10/1〜)
〔FW〕<A> |
− |
スティエスカ・ニクシッチ
レッチェ
ローマ
ユヴェントス |
(0/3) |