スペイン アンドラ フランス ポルトガル オランダ ベルギー ルクセンブルク デンマーク
フェロー諸島 スウェーデン フィンランド ノルウェー アイスランド 各国のデータ
バロンドールFIFAバロンドールFIFA最優秀選手UEFA欧州最優秀選手UEFA年間(欧州)最優秀選手
UEFAジュビリーアウォーズフットボールリーグ歴代名選手100人
トップリーグ得点王うちゴールデンシュー(ブーツ)ヨーロッパ得手王(ゴールデンブーツ以前)
ワールドカップ得点王チャンピオンズカップ・チャンピオンズリーグ得点王UEFAカップ・ヨーロッパリーグ得点王
カップウィナーズカップ得点王
母国の代表監督経験者ワールドカップ優勝監督EURO優勝監督チャンピオンズカップ・チャンピオンズリーグ優勝監督
UEFAカップ・ヨーロッパリーグ優勝監督カップウィナーズカップ優勝監督
【数字】国際サッカー歴史統計連盟による20世紀世界最優秀選手順位/[数字]同20世紀世界最優秀GK順位
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ス ペ イ ン 173人】 
  La Roja/La Furia          
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
アレシャンドロ・デ・ラ・ソタ
(18??/?/?〜?)
〔FW〕<A>
アスレティック・クラブ ※第1回コパ・デル・レイ決勝で決勝点をあげた選手。
(0/0)
ペドロ・パラへス
(1883/12/17〜1950/2/15)
〔FW〕<A>
マドリード ※マドリードのコパ・デル・レイ初優勝メンバー。
マドリードに「レアル」の称号が与えられた際のマドリード会長。
(0/0)
アルマンド・ヒラルト
(1885/1/1〜?)
〔FW/MF〕<A>
フットボール・スカイ
マドリード
エスパニョール・マドリード
※キューバ出身である。
マドリードの公式戦初ゴールを記録した選手。
ヒラルト3兄弟のひとり。
(0/0)
フランシスコ・ブル
(1885/4/12〜1962/6/10)
〔DF〕<A>
インテルナシオナル
バルセロナ
エスパニョール
バルセロナ
※初代スペイン代表監督で、オリンピックアントワープ大会では、ピチーチ、サモラらを擁し、銀メダルを獲得した。
(0/0)
マヌエル・プラスト
(188?/?/?〜?)
〔FW〕<A>
マドリード ※コパ・デル・レイ決勝で決勝点をあげ、ビルバオの3連覇を阻止するとともにマドリードの初優勝の立役者となった。以後、マドリードのコパ・デル・レイ4連覇に貢献した。
(0/0)
ホセ・マリア・ベラウステ
(1889/5/15〜1964/9/4)
〔DF/MF〕<A>
アスレティック・クラブ ※オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
ビルバオ及び代表キャプテン。
(?/?)
ラファエル・モレノ・アランサディ
(1892/3/1〜1922/3/1)
〔FW〕<S>
ピチーチ アスレティック・クラブ ※白いヘッドギアがトレードマークのスペインの伝説的フォワード。
リーガ・エスパニョーラの得点王に与えられる「ピチーチ賞」は彼の名に因む。
29歳の時にチフスにかかり死去した。
オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(1/5)
ホセ・マリア・ペーニャ
(1895/4/19〜1988/1/13)
〔MF〕<A>
レアル・マドリード ※マドリード初のプロ契約選手のひとり。
100mハードルのスペインチャンピオンでもあった。
(?/21)
サンティアゴ・ベルナベウ
(1895/6/8〜1978/6/2)
〔FW〕<S>
マドリードの神
レアル・マドリード ※レアル・マドリードのホームスタジアムにその名を残すクラブ草創期の伝説的ストライカー。しかしマドリー入団時はゴールキーパー志望だったという。
50年代、クラブの会長としてディ・ステファノ、プスカシュ、コパらを獲得し、黄金期を築いた。
(?/?)

ドミンゴ・アセド
(1898/6/6〜1980/9/14)
〔FW〕<A>
アスレティック・クラブ ※オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
ビルバオの最年少出場記録を持つ。
(1/11)
フェリックス・セスマガ
(1898/10/12〜1925/8/24)
〔FW〕<A>
バルセロナ
ラシン・サマ
アスレティック・クラブ
※オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(4/8)
リカルド・サモラ
(1901/1/21〜1978/9/8)
〔GK〕<SS>
エル・ディビーノ
(神聖なる男)
エスパニョール
バルセロナ
エスパニョール
レアル・マドリード
ニース
ワールドカップ 34年(8)
※リーガ・エスパニョーラの最優秀ゴールキーパーには彼の名を取った「サモラ賞」が与えられる。ちなみに自身もサモラ賞に2度輝いている。
オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(0/46)[5]
ジョゼップ・サミティエール
(1902/2/2〜1972/5/4)
〔FW〕<S>
ペペ
魔法使い
ロブスターマン
バルセロナ
レアル・マドリード
ニース
※アルカンタラと並びバルセロナの伝説的選手。
オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(2/21)

フェリックス ケサダ
(1902/7/1〜1959/7/9)
〔DF〕<A>
レアル・マドリード ※キンコセスやエラスティとともにレアル・マドリードの強固なディフェンス陣を形成した。
(0/9)
シリアコ・エラスティ
(1904/8/8〜1984/11/8)
〔DF〕<S>
デポルティーボ・アラベス
レアル・マドリード
デポルティーボ・アラベス
ワールドカップ 34年(8)
※キンコセスとはアラベス時代からのディフェンスパートナー。2人を失ったアラベスは2部に降格してしまった。
(0/14)
ジャシント・キンコセス
(1905/7/17〜1997/5/10)
〔DF〕<S>
デポルティーボ・アラベス
レアル・マドリード
ワールドカップ 34年(8)
※エラスティとはアラベス時代からのディフェンスパートナー。2人を失ったアラベスは2部に降格してしまった。
(0/25)
バタ
アグスティン・サウト・アラナ

(1908/5/11〜1986/8/21)
〔FW〕<A>
バタ アスレティック・クラブ (?/?)
ルイス・レゲイロ
(1908/7/1〜1995/12/6)
〔FW〕<A>
コルソ
(のろ鹿)
レアル・ウニオン
レアル・マドリード
アストゥリアス
クラブ・アメリカ
ワールドカップ 34年(8)
(16/25)
ガスパール・ルビオ
(1908/12/14〜1983/1/3)
〔FW〕<S>
キング・ガスパール
魔術師
サン・サドゥルニ・デ・ノヤ
レバンテ
レアル・マドリード
フベントゥード・アストゥリアナ
クラブ・エスパーニャ
レアル・マドリード
アトレティコ・マドリード
バレンシア
レバンテ
レアル・マドリード
グラナダ
レアル・ムルシア
レバンテ
グラナダ
レバンテ
メリリャ
※レアル・マドリード時代はキングの異名を取った。
代表暦は短いものの、初めてイングランドを破った試合で2得点をあげた。
その後クラブを転々とし、キューバでもプレーしたことがある。
(9/4)
ギリェルモ・ゴロスティサ
(1909/2/15〜1966/8/23)
〔FW〕<A>
アスレティック・クラブ
バレンシア
ワールドカップ 34年(8)
(?/19)
パコ・ビエンゾバス
(1909/3/26〜1981/4/30)
〔FW〕<A>
パコ レアル・ソシエダ
オサスナ
レアル・ソシエダ
※リーガ・エスパニョーラ初代得点王。
(2/2)
マヌエル・オリバレス
(1909/4/2〜1976/2/16)
〔FW〕<A>
デポルティーボ・アラベス
レアル・マドリード

ドノスティア
レアル・サラゴサ
エルクレス
マラガ
アルヘシラス
※50得点到達のマドリー最速記録を持つ。
(0/1)
ヴィクトル・ウナムーノ
(1909/5/25〜1988/5/20)
〔FW〕<A>
アスレティック・クラブ
レアル・ベティス
アスレティック・クラブ
(0/0)
グレゴリオ・ブラスコ
(1909/6/10〜1983/1/31)
〔GK〕<A>
アスレティック・クラブ
レアル・クラブ・エスパーニャ
リーベル・プレート
アトランテ
(0/5)
イシドロ・ランガラ
(1912/5/25〜1992/8/21)
〔FW〕<S>
レアル・オビエド
エウスカディ
サン・ロレンソ

ベラクルス

レアル・クラブ・エスパーニャ
ワールドカップ 34年(8)
※スペイン内戦中はメキシコでプレーした。
(17/12)
エドムンド・スアレス
(1916/1/12〜1978/12/14)
〔FW〕<A>
ムンド アスレティック・クラブ
ログロニェス
エヘルシート・デ・レクペラシオン・デ・レバンテ

バレンシア
アルコヤーノ
※バレンシアの歴代最多得点記録保持者。
(3/3)
マリアーノ・マルティン
(1919/10/20〜1998/9/9)
〔FW〕<A>
バルセロナ
ヒムナスティック・タラゴナ
※リーガ・エスパニョーラ連続試合得点記録保持者。
(0/3)
セサル・ロドリゲス・アルバレス
(1920/6/29〜1995/3/1)
〔FW〕<S>
セサル バルセロナ
 グラナダ(L)
クルトゥラル・レオネサ
ペルヒニャン
エルチェ
ワールドカップ 50年(4)
(6/12)
イグナシオ・エイサギーレ
(1920/11/7〜2013/9/1)
〔GK〕<A>
バレンシア
レアル・ソシエダ
オサスナ
ワールドカップ 50年(4)
※父、アグスティンも代表ゴールキーパーだった。
(0/18)
テルモ・サラ
(1921/1/20〜2006/2/23)
〔FW〕<SS>
サンティ アスレティック・クラブ
インダウチュ
バラカルド
ワールドカップ 50年(4)
※メッシやロナウドが登場するまで、リーガ・エスパニョーラ最多得点記録保持者だった。
スペイン史上最高のフォワードとされ、ビルバオの2度目の黄金期に活躍したエースストライカー。
(20/20)
ミゲル・ムニョス
(1922/1/19〜1990/7/16)
〔MF〕<A>
ラシン・サンタンデール
セルタ・デ・ビーゴ
レアル・マドリード
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年
※50年代のレアル・マドリード黄金期を選手、監督として過ごした。
チャンピオンズカップを選手、監督として制した初めての人物。
リーガ・エスパニョーラの最優秀監督賞は「ミゲル・ムニョス賞」という。
(0/7)
アグスティン・ガインサ
(1922/5/28〜1995/1/6)
〔FW〕<A>
ピル アスレティック・クラブ ワールドカップ 50年(4)
※ビルバオ一筋で、キャプテンもつとめた。
(10/33)
サビノ・バリナガ
(1922/8/15〜1988/3/19)
〔FW〕<A>
サウサンプトン
レアル・マドリード
 レアル・バリャドリード(L)
レアル・ソシエダ
レアル・ベティス
※キャリアのスタートはイングランドである。
サンティアゴ・ベルナベウでの公式戦クラブ初得点をあげた選手。
(0/0)
パイーニョ
マヌエル・フェルナンデス・フェルナンデス

(1923/1/21〜2012/6/12)
〔FW〕<S>
セルタ・デ・ビーゴ
レアル・マドリード

デポルティーボ・ラ・コルーニャ

グラナダ
※レアル・マドリードの通算1000得点目を決めた選手。
(3/3)
アントニ・ラマレッツ
(1924/6/4〜2013/7/30)
〔GK〕<S>
マラカナの猫 マヨルカ
サン・フェルナンド
 レアル・バリャドリード(L)
バルセロナ
ワールドカップ 50年(4)
インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年
※50年代のバルセロナ、代表で活躍した名ゴールキーパー。
(0/35)

ルイス・モロウニィ
(1925/3/12〜2010/2/12)
〔MF〕<A>
レアル・マドリード
ラスパルマス
チャンピオンズカップ 55-56年
※カナリア諸島出身である。
(2/7)
ラファエル・レスメス
(1926/11/9〜2012/10/8)
〔DF〕<A> 
レアル・バリャドリード
レアル・マドリード
ワールドカップ 50年(4)
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
※代表歴は少ないものの、50年代のレアル・マドリード黄金期不動のディフェンダー。
(0/2)
エスタニスラオ・バソラ
(1926/11/18〜2012/3/16)
〔FW〕<S>
バルセロナ
 レリダ(L)
ワールドカップ 50年(4)
※代表戦で15分間にハットトリックを達成したことがある。
(13/22)
ホアン・セガーラ
(1927/9/3〜2008/9/3)
〔DF〕<S>
バルセロナ インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年 58-60年
※50年代のバルセロナ不動のディフェンダー。キャプテンもつとめた。
(0/25)
フアン・アロンソ
(1927/12/13〜1994/9/8)
〔GK〕<A>
グロニェス
ラシン・フェロル
レアル・マドリード
プルス・ウルトラ
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年

※50年代のレアル・マドリード黄金期の守護神。

(0/2)
グストー・ビオスカ 
(1928/2/29〜2014/11/1)
〔DF〕<S>
バルセロナ
コンダル
インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年 58-60年
※バルサ史上屈指のディフェンダーのひとり。

(0/11)
エクトル・リアル
(1928/10/14〜1991/2/24)
〔FW〕<A>
サン・ロレンソ
サンタフェ
クラブ・ナシオナル
レアル・マドリード
エスパニョール
オリンピック・マルセイユ
ウニオン・エスパニョーラ
チャンピオンズカップ 55-56年 57-58年 58-59年 59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年

50年代のレアル・マドリード黄金期のフォワード。
アルゼンチン出身である。

(1/5)
ホセ・マリア・サラガ
(1930/8/15〜2012/4/3)
〔MF〕<A>
レアル・マドリード チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期の中盤に君臨、キャプテンもつとめた。
アラベスの監督時代にバルダーノを見出した。
(0/8)
ヘスス・ガライ
(1930/12/6〜1995/2/10)
〔DF/MF〕<A>
アスレティック・クラブ
バルセロナ
マラガ
ワールドカップ 62年
(1/29)
マルキートス
マルコス・アロンソ・イマス

(1933/4/16〜2012/3/6)
〔DF〕<A>
マルキートス ラシン・サンタンデール
レアル・マドリード
エルクレス
レアル・ムルシア
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期不動のディフェンダー。
(0/2)
フランシスコ・ヘント
(1933/10/21〜2022/1/18)
〔FW(WG)〕<S>
カンタブリアの疾風 ラシン・サンタンデール
レアル・マドリード
ワールドカップ 62年 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年 65-66年
インターコンチネンタルカップ 60年
※俊足かつ技術にも卓越した左ウィンガー。
チャンピオンズカップ決勝戦出場8回、優勝6回は史上最多である。
(5/43)30】

エンリケ・マテオス
(1934/3/15〜2001/7/6)
〔FW〕<A>
レアル・マドリード
セビージャ
レクレアティーボ・ウェルバ
ヒムナスティカ・トレラベーガ
クリーブランド・ストーカーズ
イーストロンドン・セルティック
トルーカ・サンタンデール
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期に活躍した。
(3/8)
ルイス・デル・ソル
(1935/4/6〜2021/6/20)
〔FW〕<A>
レアル・ベティス
レアル・マドリード
ユヴェントス
ローマ
レアル・ベティス
ワールドカップ 62年 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期に活躍し、その後ユヴェントスへ移籍、イタリアで成功した数少ないスペイン人選手。
(3/16)
ルイス・スアレス・ミラモンテス
(1935/5/2〜2023/7/9)
〔MF〕<SS>
アルキテクト
(建築家)
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
バルセロナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
サンプドリア
ワールドカップ 62年 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年 58-60年
※インテル歴代最高の10番とされる。
1964年、ゲームメーカーとして欧州ネイションズカップとチャンピオンズカップを制したにもかかわらずバロンドールをデニス・ローに持っていかれた。
異名の「アルキテクト」はディ・ステファノが命名した。
(14/32)
フアン・サンティステバン
(1936/12/8〜)
〔MF〕<A>
レアル・マドリード
ヴェネツィア
レアル・マドリード
レアル・ベティス
ボルティモア・ボーイズ
チャンピオンズカップ 56-57年 57-58年 58-59年 59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期の中盤で活躍した選手。
(0/7)
アントニオ・ベタンコルト
(1937/3/13〜2015/3/15)
〔GK〕<A>
ラス・パルマス
レアル・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
レアル・マドリード
ラス・パルマス
ワールドカップ 66年
チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」の守護神。
(0/2)
マヌエル・サンチス・マルティネス
(1938/3/26〜2017/10/28)
〔DF〕<A> 
レアル・バリャドリード
レアル・マドリード
コルドバ
ワールドカップ 66年
チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
息子のオンティジュエロもレアル・マドリードの選手として活躍した。
(1/11)
ルイス・アラゴネス
(1938/7/28〜2014/2/1)
〔FW〕<S>
エル・サビオ
(賢人)
Zapatones
(大きなブーツ)
レアル・オビエド
レアル・ベティス
アトレティコ・マドリード
インターコンチネンタルカップ 75年
※70年代のアトレティコ黄金期の中心選手。
74年引退後、そのままクラブの監督に就任し、バイエルンの代わりに出場したインターコンチネンタルカップを獲得した。
代表監督時代、それまで象徴的存在だったラウルを外し、物議を醸した。
メディアからの単独取材に応じないことで有名。
(3/11)
パチン
エンリケ・ペレス・ディアス
(1938/12/28〜2021/2/10)
〔DF/MF〕<A>
オサスナ
レアル・マドリード
ワールドカップ 66年
チャンピオンズカップ 59-60年 65-66年
インターコンチネンタルカップ 60年
※中盤から後方の5つのポジションを全てこなすユーティリティープレーヤー。
60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
(0/8)
イグナシオ・ソコ
(1939/8/31〜2015/9/28)
〔MF/DF〕<A>
オサスナ
レアル・マドリード
ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 65-66年
60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
(1/25)
アマンシオ・アマロ
(1939/10/16〜2023/2/21)
〔FW〕<S>
エル・ブルーホ
(魔術師)
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
レアル・マドリード
ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」のエースストライカー。
マドリード・カスティージャ監督時代、後のキンタ・デル・ブイトレを率いた。
(11/42)
マルセリーノ・マルティネス
(1940/4/29〜2023/2/21)
〔FW〕<A>
レアル・サラゴサ ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
インターシティーズ・フェアーズカップ 63-64年
※60年代のサラゴサ黄金期のエース。
(4/14)
ホセ・アンヘル・イリバル
(1943/3/1〜)
〔GK〕<S>
エル・チョポ
(チビ)
アスレティック・クラブ ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
※ホームゲームでの10試合連続完封、1018分無失点という記録を持つ。
(0/49)
イニャキ・サエス
(1943/4/23〜)
〔DF〕<A>
バラカルド
アスレティック・クラブ
※スペインU-18代表からA代表まで指揮した経験がある。アンダー世代の代表では多くのタイトルを獲得した。
(0/3)
ラモン・グロッソ
(1943/12/8〜2002/2/13)
〔FW/MF〕<A>
レアル・マドリード
 アトレティコ・マドリード(L)
チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
(1/14)
ホセ・エウロヒオ・ガラテ
(1944/9/20〜)
〔FW〕<S>
アトレティコ・マドリード インターコンチネンタルカップ 75年
(5/18)
ピッリ
ホセ・マルティネス・サンチェス

(1945/3/11〜)
〔DF/MF/FW〕<S>
ピッリ グラナダ
レアル・マドリード
プエブラ
ワールドカップ 66年 78年
チャンピオンズカップ 65-66年
(16/41)
グレゴリオ・ベニト
(1946/10/21〜)
〔DF〕<A>
ゴヨ ラーヨ・バジェカーノ
レアル・マドリード
※10代の頃は陸上競技の選手だった。
(0/22)
カルレス・レシャック
(1947/1/13〜)
〔FW〕<A>
チャーリー バルセロナ ワールドカップ 78年
インターシティーズ・フェアーズカップ プレーオフ 71年
カップウィナーズカップ 78-79年
※選手、コーチとしてバルセロナを支えたクライフの相棒。
バルサ監督時代にはメッシを見い出した。
元横浜フリューゲルス監督で、当時遠藤保仁の才能を早くから見出していた。
(2/15)
ミゲル・アンヘル・ゴンサレス
(1947/12/24〜)
〔GK〕<A>
オウレンセ
レアル・マドリード
 カステリョン(L)
ワールドカップ 78年 82年
UEFAカップ 84-85年
(0/18)
ハビエル・イルレタ
(1948/4/1〜)
〔FW〕<A>
アトレティコ・マドリード
アスレティック・クラブ
インターコンチネンタルカップ 75年
※70年代のアトレティコ黄金期の中心選手。
監督としては、2000年代に「スーペル・デポル」を率いた。
(0/6)
キニ
エンリケ・カストロ・ゴンサレス

(1949/9/23〜)
〔FW〕<S>
キニ スポルティング・デ・ヒホン
バルセロナ

スポルティング・デ・ヒホン
ワールドカップ 78年 82年
カップウィナーズカップ 81-82年
※ピチーチ賞獲得5回は2位タイである。
(8/35)

ホアン・マヌエル・アセンシ
(1949/9/23〜)
〔MF〕<A>
エルチェ
バルセロナ
ブエブラ
ワールドカップ 78年
インターシティーズ・フェアーズカップ プレーオフ 71年
カップウィナーズカップ 78-79年
(7/41)
ハビエル・クレメンテ
(1950/3/12〜)
〔FW〕<B>
アスレティック・クラブ ※スペイン代表監督を長くつとめた。その中には、日本で「無敵艦隊」と呼ばれた31戦無敗記録も含まれる。
しかし大一番で不運な判定により敗れたり、一方的に攻めながら勝ちきれない試合も多かった。
(0/0)
マリアノ・ガルシア・レモン
(1950/9/30〜)
〔GK〕<A>
レアル・マドリード
 タラヴェラ(L)
 レアル・オビエド(L)
レアル・マドリード
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(0/2)
ビセンテ・デル・ボスケ
(1950/12/23〜)
〔MF/DF〕<A>
レアル・マドリード
 カステリョン(L)
 コルドバ(L)
 カステリョン(L)
※選手時代はレアル・マドリードで活躍、監督としてはチャンピオンズリーグとW杯を制した2人目の人物(最初はM・リッピ)。
さらに2012年にはEUROも制し、W杯とEUROを制した2人目の人物(最初はH・シェーン)、そして史上初3タイトルの優勝監督となった。
(1/18)
ダニ
ダニエル・ルイス・バサン・フスタ
(1951/6/28〜)
〔FW〕<A>
ダニ アスレティック・クラブ
バラカルド
ワールドカップ 78年
(10/25)
ミゲリ
ミゲル・ベルナルド・ビアンケティ
(1951/12/19〜)
〔DF〕<A>
ミゲリ
ターザン
カディス
バルセロナ
ワールドカップ 78年
カップウィナーズカップ 78-79年 81-82年
(1/32)
サンティリャーナ
カルロス・アロンソ・ゴンサレス

(1952/8/23〜)
〔FW〕<A>
サンティリャーナ ラシン・サンタンデール
レアル・マドリード
ワールドカップ 78年 82年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(15/56)
ウルッティ
ハビエル・ウルティコエチェア

(1952/11/17〜)
〔GK〕<A>
ウルッティ レアル・ソシエダ
エスパニョール
バルセロナ
ワールドカップ 78年 82年 86年(8)
カップウィナーズカップ 78-79年 81-82年
※バルサの守護神として活躍したが、代表ではアルコナーダやスピサレッタの控えに回っていた。
(0/5)
ペリコ・アロンソ
ミゲル・アンヘル・アロンソ
(1953/2/1〜)
〔MF〕<A>
ペリコ レアル・ソシエダ
バルセロナ
サバデル
ワールドカップ 82年
※ソシエダを2度の優勝に導いたスター選手。
シャビ・アロンソの父。
(1/20)
ヘスス・マリア・サトゥルステギ
(1954/1/12〜)
〔FW〕<A>
レアル・ソシエダ ワールドカップ 82年
※ソシエダ黄金期の中心選手。
(8/32)
ルイス・アルコナーダ
(1954/6/26〜)
〔GK〕<A>
レアル・ソシエダ ワールドカップ 78年 82年
※ソシエダ黄金期の守護神。
84年欧州選球権決勝で敗戦につながるミスを犯した。
(0/68)
ファンデ・ラモス
(1954/9/25〜)
〔MF〕<B>
エルチェ
アルコヤーノ
アリカンテ
※指導者として、セビージャやトッテナムで名声を高めた。
セビージャ監督時代、試合中にライバルのベティスサポーターが投げ込んだペットボトルが直撃し、一時意識不明となったことがある。
(0/0)
フアニート
フアン・ゴメス・ゴンサレス

(1954/10/10〜)
〔FW〕<S>
フアニート アトレティコ・マドリード
ブルゴス
レアル・マドリード

マラガ
ワールドカップ 78年 82年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※交通事故により死去した。
(8/34)
ヘスス・マリア・サモラ
(1955/1/1〜)
〔MF〕<A>
レアル・ソシエダ ワールドカップ 82年
※ソシエダ黄金期の中心選手。
(3/30)
ホセ・アントニオ・カマーチョ
(1955/6/8〜)
〔DF(SB)〕<A>
レアル・マドリード ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(0/81)
ホアキン・カパロス
(1955/10/13〜)
〔?〕<B>
プルス・ウルトラ
レガネス
コンケンセ
タランコン
※レアル・マドリード出身だが、トップチームには上がれなかった。
監督としてはセビージャの指導者時代に頭角を現した。若手育成にも定評がある。
(0/0)
ラモン・アレサンコ
(1956/5/19〜)
〔DF〕<S>
デポルティーボ・アラベス
アスレティック・クラブ
バルセロナ
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※バルセロナの最多出場記録保持者だった。
(4/34)
アンドニ・ゴイコエチェア・ラスコアガ
(1956/5/23〜)
〔DF〕<A>
アスレティック・クラブ
アトレティコ・マドリード
ワールドカップ 86年(8)
(4/39)
ラファエル・ゴルディージョ
(1957/2/24〜)
〔DF(SB)〕<A>
レアル・ベティス
レアル・マドリード
レアル・ベティス
エシハ
ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 85-86年
※左サイドのスペシャリスト。
ソックスを下ろしてプレーしていた。
(3/75)
ビクトル・ムニョス
(1957/3/15〜)
〔MF〕<A>
レアル・サラゴサ
バルセロナ
サンプドリア
レアル・サラゴサ
セントミレン
ワールドカップ 86年(8)
カップウィナーズカップ 81-82年 89-90年
(3/60)
アントニオ・マセーダ
(1957/5/16〜)
〔DF〕<A>
スポルティング・デ・ヒホン
レアル・マドリード
ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 85-86年
(8/36)
フランシスコ・ブーヨ
(1958/1/13〜)
〔GK〕<A>
マヨルカ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
ウエスカ
レアル・マドリード
セビージャ
※カシージャスに抜かれるまで、レアル・マドリードのゴールキーパー最多出場記録を持っていた。
(0/7)
リカルド・ガジェゴ
(1959/2/8〜)
〔MF〕<A>
レアル・マドリード
ウディネーゼ
ラーヨ・バジェカーノ
ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(2/42)
ラファエル・ベニテス
(1960/4/16〜)
〔DF〕<C>
カスティージャ
パルラ
リナレス
※レアル・マドリードの下部組織出身だが、選手としては大成しなかった。
指導者としては、スペイン、イングランド、イタリアのクラブで大きな実績を残している。
(0/0)
ビクトル・フェルナンデス
(1960/12/28〜)
〔MF〕<C>
サリネーナ ※セルタやサラゴサの監督時代に高い評価を得た。
日本代表監督候補にもあがったことがある。
(0/0)
チェンド
ミゲル・ポルラン・ノゲーラ

(1961/10/12〜)
〔DF(SB)〕<A>
チェンド レアル・マドリード ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
チャンピオンズカップ 97-98年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※「キンタ・デル・ブイトレ」のひとり。
(0/26)
アンドニ・スピサレッタ
(1961/10/23〜)
〔GK〕<S>
アスレティック・クラブ
バルセロナ
バレンシア
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(8) 98年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※ドリームチーム、代表で長く活躍したゴールキーパー。
(0/126)34]

フリオ・サリナス
(1962/9/11〜)
〔FW〕<S>
フリオ アスレティック・クラブ
アトレティコ・マドリード
バルセロナ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
スポルティング・デ・ヒホン
横浜マリノス
デポルティーボ・アラベス
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(22/56)
ドナト
(1962/12/30〜)
〔DF/MF〕<A>
アメリカ
ヴァスコ・ダ・ガマ
アトレティコ・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
※ブラジル出身である。94年にスペイン国籍を取得、W杯出場はないが、EUROでは10番をつけた。
「スーペル・デポル」のメンバー。
2002年、リーガの最年長得点記録を43年ぶりに更新した。
(3/12)
ホセ・マリア・バケーロ
(1963/2/11〜)
〔MF〕<A>
レアル・ソシエダ
バルセロナ
ベラクルス
ワールドカップ 90年(16) 94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(7/29)
ミチェル
ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ

(1963/3/23〜)
〔FW(WG)〕<S>
ミチェル
グアポ(美男子)
レアル・マドリード
アトレティコ・セラヤ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※「キンタ・デル・ブイトレ」のひとり。
(21/66)
エミリオ・ブトラゲーニョ
(1963/7/22〜)
〔FW〕<S>
エル・ブイトレ
(禿鷲)
レアル・マドリード
アトレティコ・セラヤ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※「キンタ・デル・ブイトレ」の中心選手。
(26/69)

エルネスト・バルベルデ
(1964/2/9〜)
〔FW〕<A>
アラベス
セスタオ
エスパニョール
バルセロナ
アスレティック・クラブ
マヨルカ
※日本代表監督候補にリストアップされたことがある。
2017年からバルセロナの監督をつとめる。
(0/1)
エウセビオ・サクリスタン
(1964/4/13〜)
〔MF〕<A>
レアル・バリャドリード
アトレティコ・マドリード
バルセロナ
セルタ・デ・ビーゴ
レアル・バリャドリード
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
バリャドリード時代の城彰二のチームメイトでもある。
(0/15)
アイトール・べギリスタイン
(1964/8/12〜)
〔MF〕<A>
チキ レアル・ソシエダ
バルセロナ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
浦和レッドダイヤモンズ
ワールドカップ  94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(6/22)
キケ・フローレス
(1965/2/2〜)
〔DF〕<A>
バレンシア
レアル・マドリード
レアル・サラゴサ
ワールドカップ 90年(16)
※監督としては、特にバレンシア時代名声を高めた。
(0/15)
マヌエル・サンチス・オンティジュエロ
(1965/5/23〜)
〔DF〕<S>
マノーロ レアル・マドリード ワールドカップ 90年(16) 94年 (8) 98年
チャンピオンズカップ 97-98年 99-00年
トヨタカップ 98年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※父もレアル・マドリードで活躍した名ディフェンダー。
(1/48)
マルティン・バスケス
(1965/9/25〜)
〔MF〕<A>
レアル・マドリード
トリノ
オリンピック・マルセイユ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
アトレティコ・セラヤ
カールスルーエ
ワールドカップ 90年 (16)
※「キンタ・デル・ブイトレ」のひとり。
(1/38)
ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア
(1965/10/21〜)
〔DF〕<A>
オサスナ
バルセロナ
 レアル・ソシエダ(L)
アスレティック・クラブ
横浜マリノス
オサスナ
ワールドカップ 94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(4/36)
ミゲル・アンヘル・ナダル
(1966/7/28〜)
〔MF〕<S>
マヨルカ
バルセロナ
マヨルカ
ワールドカップ 94年(8) 98年 02年(8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
※「ドリームチーム」のメンバーのひとり。
テニスプレーヤーのラファエル・ナダルは甥。
(3/63)
ホセ・ルイス・カミネロ
(1967/11/8〜)
〔MF/DF〕<A>
レアル・バリャドリード
アトレティコ・マドリード
レアル・バリャドリード
ワールドカップ 94年 (8)
(8/21)
ギジェルモ・アモール
(1967/12/4〜)
〔MF〕<A>
バルセロナ
フィオレンティーナ
ビジャレアル
ワールドカップ 98年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(4/37)
フェルナンド・イエロ
(1968/3/23〜)
〔DF/MF〕<S>
機関車 レアル・バリャドリード
レアル・マドリード
アル・ラーヤン
ボルトン・ワンダラーズ
ワールドカップ 90年(16) 94年(8) 98年 02年(8)
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※守備的なポジションながら、ラウルに破られるまで代表最多得点者だった。
解任されたロペテギの後任として急遽代表監督となった。
(29/89)
フアン・アントニオ・ピッツィ
(1968/6/7〜)
〔FW〕<A>
ロサリオ・セントラル
デポルティーボ・トルーカ
テネリフェ
バレンシア
テネリフェ
バルセロナ
リーベル・プレート
ロサリオ・セントラル
ポルト
ロサリオ・セントラル
ビジャレアル
ワールドカップ 98年
スーパーカップ 97年
※アルゼンチン出身である。
引退後ポロの選手だったことがある。
(8/22)
ラファエル・アルコルタ
(1968/9/16〜)
〔DF〕<A>
アスレティック・クラブ
レアル・マドリード
アスレティック・クラブ
ワールドカップ 90年(16) 94年(8) 98年
(0/54)
サンティアゴ・カニサレス
(1969/12/18〜)
〔GK〕<S>
サンティ レアル・マドリード
 エルチェ(L)
 メリダ(L)
 セルタ・デ・ビーゴ(L)
バレンシア
ワールドカップ 94年 (8) 98年 06年(16)
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 04年
※02年W杯では正ゴールキーパーとして臨むはずだったが、大会直前にアフターシェーブローションの瓶を足に落として負傷し、出場を逃した。そこで出番が回ってきた当時21歳のカシージャスが、その後長く正ゴールキーパーをつとめた。
オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(0/45)
アベラルド
(1970/3/19〜)
〔MF〕<A>
スポルティング・デ・ヒホン
バルセロナ
デポルティーボ・アラベス
ワールドカップ 94年(8) 98年
スーパーカップ 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※「ドリームチーム」のメンバー。
オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(3/54)
ルイス・エンリケ
(1970/5/8〜)
〔FW〕<S>
ルチョ スポルティング・デ・ヒホン
レアル・マドリード
バルセロナ
ワールドカップ 94年(8) 98年
スーパーカップ 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(12/62)
アルベルト・フェレール
(1970/6/6〜)
〔DF(SB)〕<A>
チャピ バルセロナ
 テネリフェ(L)
バルセロナ
チェルシー
ワールドカップ 94年(8) 98年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(0/36)
ジョゼップ・グアルディオラ
(1971/1/18〜)
〔MF〕<S>
ペップ バルセロナ
ブレシア
ローマ
アル・アハリ
ワールドカップ 94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
カップウィナーズカップ 96-97年
スーパーカップ 92年 97年
※「ドリームチーム」の心臓「4番」として活躍した。
監督としてもバルセロナを率い、ドリームチーム以上?のチームを作り上げた。最も高年俸の監督のひとり。
2013年、バイエルンへの監督就任が発表され、世界中を驚かせた。
オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(5/47)
イスマエル・ウルサイス
(1971/10/7〜)
〔FW〕<A>
レアル・マドリード
 アルバセテ(L)
 セルタ・デ・ビーゴ(L)
ラーヨ・バジェカノ
サラマンカ
エスパニョール
アスレティック・クラブ
アヤックス
(8/25)
ウナイ・エメリ
(1971/11/3〜)
〔MF〕<B>
レアル・ソシエダ
トレド
ラシン・フェロル
レガネス
ロルカ・デポルティーボ
※選手としては目立った活躍はできなかった。
33歳で指導者の道へ進み、バレンシア、セビージャなどで大きな実績を上げた。
(0/0)
セルジ・バルフアン
(1971/12/28〜)
〔DF(SB)〕<A>
バルセロナ
アトレティコ・マドリード
ワールドカップ 94年(8) 98年
スーパーカップ 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(1/56)
アルフォンソ・ペレス
(1972/9/26〜)
〔FW〕<A>
レアル・マドリード
レアル・ベティス
バルセロナ
 オリンピック・マルセイユ(L)
レアル・ベティス
ワールドカップ 98年
(11/38)
フレン・ゲレーロ
(1974/1/7〜)
〔MF〕<A>
バスクの貴公子 アスレティック・クラブ ワールドカップ 94年(8) 98年
(13/41)
ガイスカ・メンディエタ
(1974/3/27〜)
〔MF〕<A>
メンディ カステリョン
バレンシア
ラツィオ
 バルセロナ(L)
ミドルズブラ
ワールドカップ 02年(8)
※高額の移籍金でラツィオに入団したが、セリエAに全くなじめなかった。
(8/40)
イバン・エルゲラ
(1975/3/28〜)
〔DF/MF〕<A>
アルバセテ
ローマ
エスパニョール
レアル・マドリード
バレンシア
ワールドカップ 02年(8)
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年
トヨタカップ 02年
スーパーカップ 02年
(4/55)
フアン・カルロス・バレロン
(1975/6/17〜)
〔MF〕<A>
エル・フラコ
(やせっぽち)
ラス・パルマス
マヨルカ
アトレティコ・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
ワールドカップ 02年(8)
※「スーペル・デポル」と呼ばれたチームのゲームメーカー。
卓越した技術を持つ一方で闘争心が足りないとの見方もある。
(5/46)
ルベン・バラハ
(1975/7/11〜)
〔MF〕<A>
エル・ピポ レアル・バリャドリード
アトレティコ・マドリード
バレンシア
ワールドカップ 02年(8)
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 05年
※2000年代のスペインを代表するピボーテ。代表初得点は対日本戦である。
(7/43)
ミチェル・サルガド
(1975/10/22〜)
〔DF(SB)〕<A>
ミチェル セルタ・デ・ビーゴ
サラマンカ
レアル・マドリード
ブラックバーン・ローヴァーズ
ワールドカップ 06年(8)
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年
トヨタカップ 02年
スーパーカップ 02年
※サンス元レアル・マドリード会長の娘婿である。
(0/53)
フェルナンド・モリエンテス
(1976/4/5〜)
〔FW〕<A>
モロ
ナンド
アルバセテ
レアル・サラゴサ
レアル・マドリード
モナコ

リヴァプール
バレンシア
オリンピック・マルセイユ
ワールドカップ 98年 02年(8)
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 05年
※ラウルとの相性は抜群だったが、銀河系軍団が形成されるにしたがって、はじき出される格好となった。
(27/47)
マルコス・セナ
(1976/7/17〜)
〔MF〕<A>
コリンチャンス・パウリスタ
 ジュベントゥージ(L)
サンカエターノ
ビジャレアル
ニューヨーク・コスモス
ワールドカップ 06年(16)
クラブ世界選手権優勝 99年
EURO 08年
※ブラジル出身で、同じサッカー選手のアスンソンはいとこである。
EURO2008では「クアトロ・フゴーネス」を後方から支えた。
(1/28)
グティ
ホセ・マリーア・グティエレス・エルナンデス

(1976/10/31〜)
〔MF〕<A>
グティ
リトル・シュスター
レアル・マドリード
ベシクタシュ
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※ラウルらとともにレアル・マドリードの一時代を築いたミッドフィルダー。
時に「天才」と評されるサッカーセンスの持ち主だが、代表にはあまり縁がなかった。
(3/14)
ラウール・ゴンサレス
(1977/6/27〜)
〔FW〕<S>
エル・ニーニョ
(神の子)
レアル・マドリード
シャルケ04
アル・サッド
ニューヨーク・コスモス
ワールドカップ 98年 02年(8) 06年(16)
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※アトレティコの下部組織で育ったが、クラブのユース部門終了によりライバルのレアル・マドリードへ移籍した。
レアル・マドリードの最多出場、最多得点記録保持者であり、クラブの象徴的な選手。
2014年にメッシに破られるまで、チャンピオンズリーグ最多得点記録保持者だった。
リーガ・エスパニョーラでの得点数第4位である。
(44/102)
ダビド・アルベルダ
(1977/9/1〜)
〔MF〕<A>
バレンシア
 ビジャレアル(L)
ワールドカップ 02年(8) 06年(16)
(0/51)
ホセバ・エチェベリア
(1977/9/5〜)
〔MF/FW〕<A>
レアル・ソシエダ
アスレティック・クラブ
ワールドカップ 98年
(12/53)
ジョアン・カプデビラ
(1978/2/3〜)
〔DF(SB)〕<A>
エスパニョール
アトレティコ・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
ビジャレアル
ベンフィカ
エスパニョール
ノースイースト・ユナイテッド
リールセ
タラガ
サンタ・コロマ
ワールドカップ 10年(優)
EURO 08年
※オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(4/60)
カルレス・プジョル
(1978/4/13〜)
〔DF〕<S>
スーペルマン
プジョー
バルセロナ ワールドカップ 02年(8) 06年(16) 10年(優)
EURO 08年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 09年 11年
※チベット仏教に興味があるらしい。
オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(3/100)
カルロス・マルチェナ
(1979/7/31〜)
〔DF/MF〕<A>
セビージャ
ベンフィカ
バレンシア
ビジャレアル
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
ワールドカップ 06年(16) 10年(優)
EURO 08年
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 04年
※ツアーコンダクターの資格を持っている。
オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(2/69)
シャビ・エルナンデス
(1980/1/26〜)
〔MF〕<SS>
バルセロナ
アル・サッド
ワールドカップ 02年(8) 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 09年 11年
※長くバルセロナの中盤に君臨し、グアルディオラ、コクー、デコ、イニエスタという錚々たる選手たちとコンビを組んできた。
バルセロナの最多出場記録保持者。
オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(13/133)
アリツ・アドゥリス
(1981/2/11〜)
〔FW〕<A>
アスレティック・クラブ
ブルゴス
レアル・バリャドリード
アスレティック・クラブ
マヨルカ
バレンシア
アスレティック・クラブ
(2/13)
イケル・カシージャス
(1981/5/20〜)
〔GK〕<SS>
Sイケル レアル・マドリード
ポルト
ワールドカップ 02年(8) 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年 13-14年
トヨタカップ 98年 02年 14年
スーパーカップ 02年 14年
※憧れの選手はシュマイケルで、エトーとはとても仲がよい。
16歳でチャンピオンズリーグのメンバーに召集された(リーガデビューは翌年)。以来レアル・マドリード、代表のゴールマウスを守る。
代表最多出場記録保持者。他にも、代表最多勝利、代表無失点記録、代表試合完封数記録などを持つ。
(0/167)
ビセンテ・ロドリゲス
(1981/7/16〜)
〔MF(WG)〕<A>
レバンテ
バレンシア
ブライドン&ホーヴ・アルビオン
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 04年
(3/38)
ホアキン・サンチェス
(1981/7/21〜)
〔MF(WG)〕<A>
レアル・ベティス
バレンシア
マラガ
フィオレンティーナ
レアル・ベティス
ワールドカップ 02年(8) 06年(16)
※フィールドプレーヤーでリーガの最多出場記録を持つ。
(4/51)
シャビ・アロンソ
(1981/11/26〜)
〔MF〕<S>
バスクの星
マエストロ
エル・プルモン
レアル・ソシエダ
リヴァプール
レアル・マドリード
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 04-05年 13-14年
スーパーカップ 05年 14年
※父はソシエダのスター選手だったペリコ・アロンソ。兄もサッカー選手である。
(16/113)
ダビド・ビジャ
(1981/12/3〜)
〔FW〕<S>
エル・グアヘ スポルティング・デ・ヒホン
レアル・サラゴサ
バレンシア
バルセロナ
アトレティコ・マドリード
ニューヨーク・シティ
 メルボルン・シティ(L)
ヴィッセル神戸
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年
チャンピオンズリーグ 10-11年
クラブワールドカップ 11年
スーパーカップ 11年
※代表最多得点記録保持者。
2019年、ヴィッセル神戸に移籍。
(59/97)
ビクトール・バルデス
(1982/1/14〜)
〔GK〕<A>
バルデサレッタ バルセロナ
マンチェスター・ユナイテッド
 スタンダール・リエージュ(L)
ミドルズブラ
ワールドカップ 10年(優)
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 11年
※代表ではカシージャスがいるため、常に第2キーパーに甘んじてた。
(0/20)
ホセ・マヌエル・レイナ
(1982/8/31〜)
〔GK〕<A>
ペペ バルセロナ
ビジャレアル
リヴァプール
 ナポリ(L)
リヴァプール
バイエルン・ミュンヘン
ナポリ
ミラン
 アストン・ヴィラ(L)
ラツィオ
ビジャレアル
コモ
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
※父もゴールキーパーでアトレティコの守護神だった。
(0/36)
アルバロ・アルベロア
(1983/1/17〜)
〔DF(SB)〕<A>
レアル・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
リヴァプール
レアル・マドリード
ウェストハム・ユナイテッド
ワールドカップ 10年(優)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年
クラブワールドカップ 14年
スーパーカップ 14年
(0/56)
フェルナンド・トーレス
(1984/3/20〜)
〔FW〕<S>
エル・ニーニョ 
(神の子)
アトレティコ・マドリード
リヴァプール
チェルシー
ミラン
アトレティコ・マドリード
サガン鳥栖
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年 17-18年
※キャプテン翼のファンだという。幼少のころは若林に憧れてゴールキーパーをしていたことがある。同じフォワードながら日向はあまり好きになれなかったらしい。
2018年、サガン鳥栖に移籍
(38/110)
アンドレス・イニエスタ
(1984/5/11〜)
〔MF〕<SS>
ドン・アンドレス バルセロナ
ヴィッセル神戸
エミレーツ・クラブ
ワールドカップ  06年(16) 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 11年 15年
※レアル・マドリードの下部組織に入団する予定だった。
故郷の村でぶどう園、ワイナリーを経営している。
2018年、ヴィッセル神戸に移籍
(13/126)
サンティ・カソルラ
(1984/12/13〜)
〔MF〕<A>
サンティ ビジャレアル
レクレアティーボ・ウェルバ
マラガ
アーセナル
ビジャレアル
アル・サッド
レアル・オビエド
ワールドカップ 14年
EURO 08年 12年
※大けがを克服し、古巣へ復帰した。
(15/81)
アルバロ・ネグレド
(1985/8/20〜)
〔FW〕<A>
ラーヨ・バジェカーノ
アルメニア
レアル・マドリード
セビージャ
マンチェスター・シティ
バレンシア
 ミドルズブラ(L)
ベシクタシュ
アル・ナスル
カディス
バリャドリード
EURO 12年
(10/21)
ヘスス・ナバス
(1985/11/21〜)
〔DF〕<S>
セビージャ
マンチェスター・シティ
セビージャ
ワールドカップ 10年(優)
EURO 12年
ヨーロッパリーグ 05-06年 06-07年 19-20年 22-23年
(5/56)
ダビド・シルバ
(1986/1/8〜)
〔MF〕<S>
エル・クコ
(カッコウ)
Pony Salvaje
(野生のポニー)
バレンシア
エイバル
セルタ・デ・ビーゴ
マンチェスター・シティ
レアル・ソシエダ
ワールドカップ 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
※カナリア諸島出身。
母は日系人ともフィリピンがルーツともいわれている。
(35/125)
セルヒオ・ラモス
(1986/3/30〜)
〔DF(SB)〕<S>
セビージャ
レアル・マドリード
パリ・サンジェルマン
セビージャ
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年 16年 17年
※サイドバック、センターバック両方を高いレベルでこなせる稀有な選手。
(23/180)
ジェラール・ピケ
(1987/2/2〜)
〔DF〕<S>
ピッケンバウアー マンチェスター・ユナイテッド
レアル・サラゴサ
バルセロナ
ワールドカップ 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 07-08年 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 09年 11年 15年
※妻はラテンポップシンガーのシャキーラ。
(5/102)
セスク・ファブレガス
(1987/5/4〜)
〔MF〕<S>
セスク アーセナル
バルセロナ
チェルシー
モナコ
コモ1907
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
クラブワールドカップ 11年
スーパーカップ 11年
※利き脚は右だが、手は左利きである。
EURO2012では、ビジャ不在、トーレス不調の中、フォワードに入り、0トップとして話題となった。
(15/110)
ペドロ・ロドリゲス・レデスマ
(1987/7/28〜)
〔FW(WG)〕<A>
ペドロ
ペドリート
バルセロナ
チェルシー
ローマ
ラツィオ
ワールドカップ 10年(優) 14年
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 09年 11年 15年
※カナリア諸島出身である。
(17/65)
フアン・マタ
(1988/4/28〜)
〔MF〕<A>
フアニート バレンシア
チェルシー
マンチェスター・ユナイテッド
ガラタサライ

ヴィッセル神戸
ウェスタンシドニー・ワンダラーズ
ワールドカップ 10年(優) 14年
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年 16-17年
※愛読書は村上春樹の小説である。
(10/41)
セルヒオ・ブスケツ
(1988/7/16〜)
〔MF〕<S>
バルデサレッタ バルセロナ
インテル・マイアミ
ワールドカップ 10年(優) 14年 18年(16) 22年(16)
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 11年 15年
(2/143)
ハビ・マルティネス
(1988/9/2〜)
〔MF/DF〕<A>
アスレティック・クラブ
バイエルン・ミュンヘン
カタール
ワールドカップ 10年(優)
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年
(0/18)
ジエゴ・コスタ
(1988/10/7〜)
〔FW〕<A>
スポルティング・ブラガ
 ペナフィエル(L)
アトレティコ・マドリード
 スポルティング・ブラガ(L)
 セルタ(L)
 アルバセテ(L)
バリャドリード
アトレティコ・マドリード
 ラーヨ・バジェカーノ(L)
チェルシー
アトレティコ・マドリード
アトレチコ・ミネイロ
ウルヴァーハンンプトン・ワンダラーズ
ボタフォゴ
グレミオ
ワールドカップ 14年 18年(16)
ヨーロッパリーグ 17-18年
スーパーカップ 12年
※ブラジル代表として親善試合に出場した経験があるが、スペイン代表を選択した。
(10/24)
(0/2)ブラジル(親善試合)
ジョルディ・アルバ
(1989/3/21〜)
〔DF(SB)〕<A>
バレンシア
 ジムナスティック・タラゴナ(L)
バルセロナ
インテル・マイアミ
ワールドカップ 14年 18年(16) 22年(16)
EURO 12年
ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 14-15年
クラブワールドカップ 15年
ダヴィド・デ・ヘア
(1990/11/7〜)
〔GK〕<A>
アトレティコ・マドリード
マンチェスター・ユナイテッド
フィオレンティーナ
ワールドカップ 18年(16)
ヨーロッパリーグ 16-17年
(0/45)
チアゴ・アルカンタラ
(1991/4/11〜)
〔MF〕<A>
バルセロナ
バイエルン・ミュンヘン
リヴァプール
ワールドカップ 18年(16)
※父は元ブラジル代表のマジーニョ。
(2/46)
コケ
ホルヘ・レスレクシオン・メロディオ

(1992/1/8〜)
〔MF〕<A>
コケ アトレティコ・マドリード ワールドカップ 14年 18年(16) 22年(16)
ヨーロッパリーグ 09-10年 11-12年 17-18年
スーパーカップ 10年 12年
ダニエル・カルバハル
(1992/1/11〜)
〔DF(SB)〕<A>
ダニ バイエル・レバークーゼン
レアル・マドリード
ワールドカップ 18年(16) 22年(16)
ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
21-22年 23−24年
クラブワールドカップ 14年 16年 17年 18年 22年
スーパーカップ 14年 16年 17年 22年
イスコ
フランシスコ・ロマン・アラルコン

(1992/4/21〜)
〔MF/FW〕<S>
イスコ バレンシア
マラガ
レアル・マドリード
セビージャ
レアル・ベティス
ワールドカップ 14年 18年(16)
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
21-22年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年 16年 17年
※代表ではイニエスタの後継者と目されていた。
(12/38)
アルバロ・モラタ
(1992/10/23〜)
〔FW〕<A>
レアル・マドリード
ユヴェントス
レアル・マドリード
チェルシー
アトレティコ・マドリード
 ユヴェントス(L)
ミラン
ワールドカップ 22年(16)
ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 13-14年 16-17年
クラブワールドカップ 16年
スーパーカップ 16年
イニャキ・ウィリアムス
(1994/6/15〜)
〔FW〕<B>
アスレティック・クラブ ※父はガーナ人、母はリベリア人である。
所属選手をバスク人に限定しているビルバオ初の純アフリカ系選手。
ガーナ代表に変更した。
ロドリ
ロドリゴ・エルナンデス

(1996/6/22〜)
〔MF/DF〕<A>
ロドリ ビジャレアル
アトレティコ・マドリード
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 22年(16)
ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 22-23年
クラブワールドカップ 23年
スーパーカップ 23年
フェラン・トーレス
(2000/2/29〜)
〔FW〕<A>
バレンシア
マンチェスター・シティ
バルセロナ
ワールドカップ 22年(16)
※2月29日生まれである。
ドイツ相手にハットトリックした初めてのスペイン人。
バレンシア時代に不当な扱いを受けていたことを告発した。
ガビ
パブロ・パエス
(2004/8/5〜)
〔MF〕<A>
ガビ バルセロナ ワールドカップ  22年(16)
ネイションズリーグ 22-23年
※スペイン代表の最年少得点記録を持つ。
ラミン・ヤマル
(2007/7/13〜)
〔FW〕<A>
バルセロナ ※モロッコ人の父と赤道ギニアの母を持つ。
15歳9か月、クラブ史上最年少でトップチームデビューを飾った。
ア ン ド ラ 1人】
 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
コルド
ヘスス・ルイス・アルバレス
(1970/9/4〜)
〔GK〕<C>
サラマンカ
アンドラ
バラゲール
(0/79)
フ ラ ン ス 92人】
  Les Bleus 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ポール・ニコラス
(1899/11/4〜1959/3/3)
〔FW〕<A>
レッド・スター
アミアン
※3度のオリンピックに出場している。
(20/35)
エティエンヌ・マトレル
(1905/12/25〜1986/3/23)
〔DF〕<A>
ベルフォール
トロワ
ソショー・モンベリアル
ワールドカップ 30年 34年 38年(8)
(0/46)
エドムンド・デルフール
(1907/11/1〜1990/12/19)
〔FW〕<A>
スタッド・フランセ
ラシン・クラブ・パリ
ルーべ
ルーアン
レッドスター・オリンピック
ワールドカップ 30年 34年 38年(8)
(2/41)
リュシアン・ローラン
(1907/12/10〜2005/4/11)
〔FW〕<A>
CAパリ
ソショー・モンベリアル
クラブ・フランソア
CAパリ
ミュルーズ
ソショー・モンベリアル
スタッド・レンヌ
ストラスブール
トゥールーズ
ベサンソン
ワールドカップ 30年 34年
※W杯で最初にゴールをあげた選手。
98年W杯では1930年W杯フランス代表最後の生存者として、フランスの優勝を見届けた。
(2/10)
ロジェ・クルトア
(1912/5/30〜1972/5/5)
〔FW〕<A>
ソショー・モンベリアル
ローザンヌ・スポルト
ソショー・モンベリアル
トロワ
ワールドカップ 34年 38年(8)
(10/22)
ジャン・ニコラ
(1913/6/9〜1978/9/8)
〔FW〕<A>
ルーアン ワールドカップ 34年 38年(8)
(21/25)
ラルビ・ベンバレク
(1914/6/16〜1992/9/16)
〔MF〕<A>
黒い真珠 ICカサブランカ
USモロッコ
オリンピック・マルセイユ
USモロッコ
スタッド・フランセ
アトレティコ・マドリード
オリンピック・マルセイユ
ベル=アッベス
※モロッコ出身で、欧州で初めて活躍したアフリカ人選手とされる。
50年代のアトレティコの黄金期のリーグ連覇に貢献した。
(3/14)
アルベール・バトー
(1919/7/2〜2003/2/28)
〔MF〕<A>
スタッド・ドゥ・ランス ※ランスや代表監督として実績がある。
(1/8)
ジャン・バラテ
(1923/6/7〜1986/7/1)
〔FW〕<A>
リール (19/32)
ロジェール・マルシェ
(1924/3/5〜1997/11/1)
〔DF〕<A>
スタッド・レンヌ
ラシン・クラブ・パリ
ワールドカップ 54年 58年(3)
(1/63)
ロベール・ジョンケ
(1925/5/3〜2008/12/18)
〔DF〕<S>
ハイバリーの英雄 スタッド・ドゥ・ランス
ストラスブール
ワールドカップ 54年 58年(3)
(0/58)
タデ・シソウスキ
(1927/2/16〜2005/2/24)
〔FW〕<A>
メス
パリ

ヴァランシエンヌ
ナント
(11/13)
ジャン・ヴァンサン
(1930/10/29〜2013/8/13)
〔FW〕<S>
リール
スタッド・ドゥ・ランス
ワールドカップ 54年 58年(3)
(22/46)
ジャン・ジャック・マルセル
(1931/6/13〜2014/10/3)
〔MF〕<A>
ソショー・モンベリアル
オリンピック・マルイセユ
スポルタン・トゥーロン・ヴァール
ラシン・クラブ・パリ
ワールドカップ 54年 58年(3)
(3/44)
レイモン・コパ
(1931/10/13〜2017/3/3)
〔FW/MF〕<S>
ナポレオン アンジェ
スタッド・ドゥ・ランス
レアル・マドリード
スタッド・ドゥ・ランス
ワールドカップ 54年 58年(3)
チャンピオンズカップ 56-57年 57-58年 58-59年
※レジオンドヌール勲章を初めて受章したサッカー選手。
(18/45)【43】

ロジェ・ピアントニ
(1932/12/26〜2018/5/26)
〔FW〕<A>
ナンシー
スタッド・ドゥ・ランス

ニース
ワールドカップ 58年(3)
(18/37)
ミシェル・イダルゴ
(1933/3/22〜2020/3/26)
〔MF〕<A>
ル・アーヴル
スタッド・ドゥ・ランス

モナコ
※1976年に代表監督に就任。プラティニら擁して、欧州選手権やW杯で好成績を残した。
(0/1)
ジュスト・フォンテーヌ
(1933/8/18〜2023/3/1)
〔FW〕<SS>
カサブランカ
ニース
スタッド・ドゥ・ランス
ワールドカップ 58年(3)
※モロッコ出身である。
W杯1大会での最多得点(13得点)の記録を持つ。
(30/21)【30】

ルシアン・ミュラー
(1934/9/3〜)
〔MF〕<S>
マカ ストラスブール
トゥールーズ
スタッド・ドゥ・ランス
レアル・マドリード
バルセロナ
スタッド・ドゥ・ランス
ワールドカップ 66年
インターシティーズフェアーズカップ  65-66年
(3/16)
イヴォン・ドゥイス
(1935/5/16〜2021/1/29)
〔FW〕<A>
リール
ル・アーブル

モナコ
カンヌ
ワールドカップ 58年(3)
(4/25)
ギー・ルー
(1938/10/18〜)
〔?〕<B>
オセール ※当時2部だったオセールをトップまで押し上げ、地元では英雄的存在である。
(0/0)
ジャン・ジョルカエフ
(1939/10/27〜)
〔DF/FW〕<A>
オリンピック・リヨン
オリンピック・マルセイユ
パリ・サンジェルマン
パリ
ワールドカップ 66年
※カルムイク系である。
ユーリ・ジョルカエフの父。
(3/48)
エメ・ジャケ
(1941/11/27〜)
〔MF〕<A>
サンテティエンヌ
オリンピック・リヨン
※現役時代は黄金期のサンテティエンヌで活躍した。
94年W杯予選敗退を受けて代表監督に就任、カントナら、それまでのスター選手を外し、ジダンら移民の子孫らをメンバーに加えたため、批判され、極右からは脅迫されたことがある。
98年大会においてフランスに初のW杯をもたらした。
(0/0)
ベルナール・ボスキエ
(1942/6/19〜)
〔DF〕<A>
ソショー・モンベリアル
サンテティエンヌ

オリンピック・マルセイユ
マルティーグ
ワールドカップ 66年
※60年代サンテティエンヌ黄金期の中心選手。
(3/42)
エルヴェ・レヴェリ
(1946/5/5〜)
〔FW〕<S>
サンテティエンヌ
ニース
サンテティエンヌ
シャトールー
※60年代サンテティエンヌ黄金期の中心選手。
(15/30)

ゲオルゲ・ベレタ
(1946/5/15〜)
〔MF/FW〕<A>
サンテティエンヌ
オリンピック・マルセイユ
(4/44)
ジェラール・ウリエ
(1947/9/3〜)
〔?〕<C>
ル・トゥケ ※元は英語教師であり、プロのサッカー選手ではない。
94年W杯出場を逃した際の代表監督。
その後、リヴァプールや黄金期のリヨンで指揮を執った。
(0/0)
アンリ・ミシェル
(1947/10/29〜)
〔MF〕<A>
ナント ワールドカップ 78年
※異なる国の監督として4回W杯に出場している。
(4/58)
アーセン・ベンゲル
(1949/10/22〜)
〔DF/MF〕<C>
ミューティグ ※アルザス系フランス人である。
アーセナルの監督を長くつとめる名将。スペクタクルなサッカーを標榜し、これまで堅い守備とカウンター主体での退屈といわれたアーセナルのカラーを一変させた。03-04年シーズンには無敗優勝を成し遂げたこともある。
日本代表監督待望論が常にある。
マリユス・トレゾール
(1950/1/15〜)
〔DF〕<S>
アジャクシオ
オリンピック・マルセイユ
ジロンダン・ボルドー
ワールドカップ 78年 82年(4)
欧州選手権 84年
※グアドループ出身である。
(4/65)
ベルナール・ラコンブ
(1952/8/15〜)
〔FW〕<S>
オリンピック・リヨン
サンテティエンヌ
ジロンダン・ボルドー
ワールドカップ 78年 82年(4)
欧州選手権 84年
※リーグ・アンで2番目に多く得点を上げた選手。
アラン・ジレス
(1952/9/2〜)
〔MF〕<S>
ジジ ジロンダン・ボルドー
オリンピック・マルセイユ
ワールドカップ 82年(4) 86年(3)
欧州選手権 84年
※プラティニ、ジャンジニ、ティガナとともに80年代のフランス代表の中盤を形成した。
(6/47)
ジェラール・ジャンヴィオン
(1953/8/21〜)
〔DF〕<A>
サンテティエンヌ
パリ・サンジェルマン
ベジエ
ワールドカップ 78年 82年(4)
※マルティニーク出身である。
(0/40)
ディディエ・シクス
(1954/8/21〜)
〔FW(WG)〕<A>
ヴァランシエンヌ
ランス
オリンピック・マルセイユ
クラブ・ブルッヘ
ストラスブール
シュトゥットガルト
ミュルーズ
アストン・ヴィラ
メス
ストラスブール
ヴァランシエンヌ
ガラタサライ
ヴァロリス
ASPVストラスブール
ライプツィヒ
ワールドカップ 78年 82年(4)
(13/52)
ドミニク・ロシュトー
(1955/1/14〜)
〔FW〕<A>
アンギーユ
(ウナギ)
サンテティエンヌ
パリ・サンジェルマン
トゥールーズ
ワールドカップ 78年 82年(4) 86年(3)
(15/49)
ミッシェル・プラティニ
(1955/6/21〜)
〔MF〕<SS>
Le Roi(王)
将軍
ナンシー
サンテティエンヌ
ユヴェントス
ワールドカップ 78年 82年(4) 86年(3)
欧州選手権 84年
チャンピオンズカップ 84-85年
トヨタカップ 85年
スーパーカップ 84年
カップウィナーズカップ 83-84年
※ルーツはイタリアである。日本では愛称を一般的に「将軍」と意訳される。
靴下を下ろし、ユニフォームの裾を出してプレーするのを好んだ。
代表の試合の前の国家斉唱では、決してラ・マルセイエーズを歌わなかった。UEFA会長を務めたことがある。
(41/72)7】

マキシム・ボシス
(1955/6/26〜)
〔DF〕<A>
ナント
ラシン・クラブ・パリ

ナント
ワールドカップ 78年 82年(4) 86年(3)
欧州選手権 84年
※82年W杯ではサイドバック、86年はリベロをつとめた。
(1/76)
ジャン・ティガナ
(1955/8/23〜)
〔MF〕<S>
ティティ レアル・バマコ
スポルタン・トゥーロン・ヴァール
オリンピック・リヨン
ジロンダン・ボルドー
オリンピック・マルセイユ
ワールドカップ 82年(4) 86年(3)
欧州選手権 84年
※マリ出身である。
プラティニ、ジレス、ジャンジニとともに80年代の代表の中盤を形成した。稲本のフラム在籍時の監督。
(1/52)
パトリック・バチストン
(1957/3/12〜)
〔DF〕<A>
メス
サンテティエンヌ
ジロンダン・ボルドー
モナコ
ジロンダン・ボルドー
ワールドカップ 78年 82年(4) 86年(3)
欧州選手権 84年
(3/56)
ベルナール・ジャンジニ
(1958/1/18〜)
〔MF〕<A>
ソショー・モンベリアル
サンテティエンヌ
モナコ
セルヴェット
オリンピック・マルセイユ
ジロンダン・ボルドー
ワールドカップ 82年(4) 86年(3)
欧州選手権 84年
※プラティニ、ジレス、ティガナとともに80年代の代表の中盤を形成した。
FKが得意で、FKだけならプラティニより上と自負していた。
(6/27)
ルイス・フェルナンデス
(1959/10/2〜)
〔MF〕<A>
マンゲット
サンプリエスト
パリ・サンジェルマン
ラシン・クラブ・パリ
カンヌ
ワールドカップ  86年(3)
欧州選手権 84年
※スペイン出身である。
84年欧州選手権あたりから、ジャンジニに代わり代表の中盤のレギュラーに加わった。
(6/60)
マニュエル・アモロス
(1962/2/1〜)
〔DF(SB)〕<A>
将軍の近衛兵
モナコ
オリンピック・マルセイユ
オリンピック・リヨン
ワールドカップ 82年(4) 86年(3)
欧州選手権 84年
(1/82)
ジャン=ピエール・パパン
(1963/11/5〜)
〔FW〕<S>
高性能爆撃機
パピナード
J.P.P.
ヴァランシエンヌ
クラブ・ブルッヘ
オリンピック・マルセイユ

ミラン
バイエルン・ミュンヘン
ジロンダン・ボルドー
ギャンガン
ワールドカップ 86年(3)
チャンピオンズカップ 93-94年
UEFAカップ 95-96年
※キャリア絶頂期の、90年、94年とフランスがW杯出場を逃したことから、その実力のわりに代表での目立った活躍はない。
現役引退後もアマチュアとして選手を続けた。
(30/54)
ポール・ル・グエン
(1964/3/1〜)
〔DF/MF〕<A>
スタッド・ブレスト29
ナント
パリ・サンジェルマン
※特に黄金期のリヨンを指揮したことで有名。
(0/17)
フランク・ソゼー
(1965/10/28〜)
〔MF〕<A>
ソショー・モンベリアル
オリンピック・マルセイユ
モナコ
オリンピック・マルセイユ
アタランタ
ストラスブール
モンペリエ
ハイバーニアン
チャンピオンズカップ 92-93年
※代表では、プラティニ後のオフェンシブ・ミッドフィルダーとして活躍したが、W杯には出場できなかった。
(9/39)
ローラン・ブラン
(1965/11/19〜)
〔DF〕<S>
プレジデント
Lolo
モンペリエ
ナポリ
ニーム・オリンピック
サンテティエンヌ
オセール
バルセロナ
オリンピック・マルセイユ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 98年(優)
カップウィナーズカップ 96-97年
スーパーカップ 97年
※98年W杯準決勝でレッドカード(相手の演技)をもらい、決勝に出場できなかった。
(16/97)

エリック・カントナ
(1966/5/24〜)
〔MF〕<S>
キング
カンフーキッカー
オセール
 マルティーグ(L)
オリンピック・マルセイユ
 ジロンダン・ボルドー(L)
モンペリエ
オリンピック・マルセイユ
ニーム・オリンピック
リーズ・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
※マンチェスターU.で、ファンが選ぶ歴代NO.1「7番」に選ばれている。ユニフォームの襟を立てる着こなしがトレードマークだった。
孤高を貫く選手で、その不遜ぶりは、かのファーガソンでさえ手を焼いたほどだが、サッカーに対する真摯な姿勢は評価されている。
ジャケ元代表監督は、本人に代表落選を告げる時、死ぬほど怖かったらしい。引退後は俳優として度々映画に出演している。
(20/45)
バジール・ボリ
(1967/1/2〜)
〔DF〕<A>
ゴール前の殺し屋
オセール
オリンピック・マルセイユ
レンジャーズ
モナコ
浦和レッドダイヤモンズ
チャンピオンズカップ 92-93年
※コートジボワール出身である。
(1/45)
ダビド・ジノラ
(1967/1/25〜)
〔FW/MF〕<A>
ニーノ スポルタン・トゥーロン・ヴァール
マトラ・ラシン
スタッド・ブレスト29
パリ・サンジェルマン
ニューカッスル・ユナイテッド
トッテナム・ホットスパー
アストン・ヴィラ
エヴァートン
※94年W杯予選のブルガリア戦で、時間稼ぎをせずに、簡単にクロスを上げたことが失点につながったとして、予選敗退の戦犯扱いにされた。
その非難から逃れるためイングランドのクラブへ移籍、ニューカッスルの躍進に貢献した。
(3/17)
フランク・ルブーフ
(1968/1/22〜)
〔DF〕<A>
スタッド・ラヴァル
ストラスブール
チェルシー
オリンピック・マルセイユ
アル・サッド
アル・ワクラ
ワールドカップ 98年(優) 02年
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年
※98年W杯決勝で、出場停止のブランに代わり出場した。
(4/50)
ユーリ・ジョルカエフ
(1968/3/9〜)
〔FW/MF〕<A>
グルノーブル・フット38
ストラスブール
モナコ

パリ・サンジェルマン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
カイザースラウテルン
ボルトン・ワンダラーズ
ブラックバーン・ローヴァーズ
メトロスターズ/レッドブル・ニューヨーク
ワールドカップ 98年(優) 02年 06年(準)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年
UEFAカップ 97-98年
※父ジャンはカルムイク系で元フランス代表選手、母はアルメニア系である。
(28/82)
マルセル・デサイー
(1968/9/7〜)
〔MF/DF〕<SS>
モンスター
ザ・ロック
ナント
オリンピック・マルセイユ
ミラン
チェルシー
アル・ガラファ
カタール
ワールドカップ 98年(優) 02年
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年
チャンピオンズリーグ 92-93年 93-94年
スーパーカップ 94年 98年
※ガーナ出身である。
90年代最高のディフェンシブ・ミッドフィルダー、ディフェンダーのひとり。
一時期、インサイドキックが世界一速いといわれていた。
(3/116)
ディディエ・デシャン
(1968/10/15〜)
〔MF〕<S>
マラソンマン ナント
オリンピック・マルセイユ
 ボルドー(L)
ユヴェントス
チェルシー
バレンシア
ワールドカップ 98年(優)
EURO 00年
チャンピオンズリーグ 92-93年 95-96年
トヨタカップ 96年
スーパーカップ 96年
※キャプテンとして出場した試合数は、フランスで最多。
豊富な運動量と確かな戦術眼でピッチ内の監督のような存在だった。
実際に監督になってからも、モナコのチャンピオンズリーグ準優勝を手始めに、マルセイユのリーグ優勝、14年W杯では、代表に団結力を植え付け、前回の代表の汚名をそそぐなど高い評価を得ている。
18年W杯で優勝監督となり、選手、監督としてカップを手にした3人目の人物となった。
(4/103)
ビセンテ・リザラズ
(1969/12/9〜)
〔DF(SB)〕<S>
リザ ジロンダン・ボルドー
アスレティック・クラブ
バイエルン・ミュンヘン
オリンピック・マルセイユ
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 98年(優)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年 03年
チャンピオンズリーグ 00-01年
トヨタカップ 01年
※バスク系フランス人のため、ビルバオに在籍していたことがある。
(2/97)
パトリス・ロコ
(1970/2/6〜)
〔FW〕<A>
ナント
パリ・サンジェルマン
ロリアン
モンペリエ
オリンピック・リヨン
トロワ
ロリアン
アジャクシオ
(7/26)
ステファヌ・ギヴァルシュ
(1970/9/6〜)
〔FW〕<A>
スタッド・ブレスト29
ギャンガン
オセール

スタッド・レンヌ

ニューカッスル・ユナイテッド
レンジャーズ
オセール
ギャンガン
ワールドカップ 98年(優)
(1/14)
エマニュエル・プティ
(1970/9/22〜)
〔MF〕<A>
マヌ モナコ
アーセナル
バルセロナ
チェルシー
ワールドカップ 98年(優) 02年
EURO 00年
※ポニーテールでプレーする姿が印象的だった。
(6/63)
クリスティアン・カランブー
(1970/12/3〜)
〔MF〕<A>
ナント
サンプドリア
レアル・マドリード
ミドルズブラ
オリンピアコス
セルヴェット
バスティア
ワールドカップ 98年(優)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年
※ニューカレドニア出身であり、フランス人という意識はないと公言している。そのためフランスの核実験に公然と反対したことがある。
オセアニア年間最優秀選手に2度選ばれている。
妻は世界一の美脚とされたモデルで、「美女と野獣」にたとえられる。
(1/53)
ファビアン・バルテズ
(1971/6/28〜)
〔GK〕<S>
バルティ トゥールーズ
オリンピック・マルセイユ
モナコ
マンチェスター・ユナイテッド
オリンピック・マルセイユ
ナント
ワールドカップ 98年(優) 02年 06年(準)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年 03年
チャンピオンズリーグ 92-93年
(0/87)
リリアン・テュラム
(1972/1/1〜)
〔DF〕<S>
哲人
テュテュ
モナコ
パルマ
ユヴェントス
バルセロナ
ワールドカップ 98年(優) 02年 06年(準)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 03年
UEFAカップ 98-99年
※グアドループ出身である。
地球上で最も早く日が変わるため、1972年に生まれた最初の子供とされている。
サルコジ大統領から内閣入りの話を持ちかけられたことがあるらしい。
元代表最多出場記録保持者。
(2/142)

クリストフ・デュガリー
(1972/3/24〜)
〔FW〕<A>
ジロンダン・ボルドー
ミラン
バルセロナ
オリンピック・マルセイユ
ジロンダン・ボルドー
バーミンガム・シティ
カタール
ワールドカップ 02年 06年(準)
EURO 00年
(8/55)
ジネディーヌ・ジダン
(1972/6/23〜)
〔MF〕<SS>
ジズー カンヌ
ジロンダン・ボルドー
ユヴェントス
レアル・マドリード
ワールドカップ 98年(優) 02年 06年(準)
EURO 00年
チャンピオンズリーグ 01-02年
トヨタカップ 02年
スーパーカップ 96年 02年
※ルーツはアルジェリアで、ベルベル人である。
90〜2000年代における世界最高のミッドフィルダー。プレースタイルが似ている選手が、「ジダン2世」「○○のジダン」と呼ばれる程その影響力は絶大である。
少年時代のアイドルはフランチェスコリで、長男に「エンツォ」と名づけた。また、キャプテン翼の影響を大きく受けたという。
テニスを嗜み、アンドレ・アガシのファン。
シャレで「地団駄」を踏むという日清カップヌードルのCMにでいたことがある。
レアル・マドリードの監督時代はチャンピオンズリーグ3連覇の偉業を成し遂げた。
(31/108)
グレゴリー・クペ
(1972/12/31〜)
〔GK〕<A>
サンテティエンヌ
オリンピック・リヨン
アトレティコ・マドリード
パリ・サンジェルマン
ワールドカップ 02年 06年(準)
コンフェデレーションズ カップ 01年 03年
※リヨン黄金期の守護神で、当時フランスナンバー1ゴールキーパーともいわれたが、代表のレギュラーには定着できなかった。
(0/34)
クロード・マケレレ
(1973/2/18〜)
〔MF〕<S>
マカ ナント
オリンピック・マルセイユ
セルタ・デ・ビーゴ
レアル・マドリード
チェルシー
パリ・サンジェルマン
ワールドカップ 02年 06年(準)
EURO 00年
チャンピオンズリーグ 01-02年
スーパーカップ 02年
※コンゴ民主共和国出身である。
レアル・マドリードの豪華な攻撃陣を後方で支えたアンカー。
彼のレアル・マドリード退団はその後のマドリー低迷と迷走の一端ともされる。
(0/71)
ヴァンサン・カンデラ
(1973/10/24〜)
〔DF(SB)/MF〕<A>
トゥールーズ
ギャンガン
ローマ
ボルトン・ワンダラーズ
ウディネーゼ
シエナ
メッシーナ
ワールドカップ 98年(優)
EURO 00年
(5/40)
ロベール・ピレス
(1973/10/29〜)
〔MF〕<A>
メス
オリンピック・マルセイユ
アーセナル
ビジャレアル
アストン・ヴィラ
ワールドカップ 98年(優)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年 03年
※父はポルトガル、母はスペイン出身である。
(14/79)
シルヴァン・ヴィルトール
(1974/5/10〜)
〔FW〕<A>
スタッド・レンヌ
ジロンダン・ボルドー

アーセナル
オリンピック・リヨン
スタッド・レンヌ
オリンピック・マルセイユ
メス
ナント
ワールドカップ 02年 06年(準)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年 03年
※ルーツはグアドループである。
(26/92)
パトリック・ヴィエラ
(1976/6/23〜)
〔MF〕<S>
オクトパス カンヌ
ミラン
アーセナル
ユヴェントス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 98年(優) 02年 06年(準)
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年
※セネガル出身である。
試合中、敵の選手とよく口論や乱闘騒ぎを起こし問題となる。
(6/107)
リュドヴィク・ジュリ
(1976/7/10〜)
〔MF〕<A>
リュド
スピーディージュリ
オリンピック・リヨン
モナコ
バルセロナ
ローマ
パリ・サンジェルマン
モナコ
ロリアン
コンフェデレーションズ カッ  03年
チャンピオンズリーグ  05-06年
※バルセロナの右ウィンガーとして活躍した。
W杯など大きな大会には縁がなかった。
(3/17)
ティエリ・アンリ
(1977/8/17〜)
〔FW〕<S>
ティティ
キング・オブ・クール
モナコ
ユヴェントス
アーセナル

バルセロナ
ニューヨーク・レッドブルズ
 アーセナル(L)
ワールドカップ 98年(優) 02年 06年(準) 10年
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 03年
チャンピオンズリーグ 08-09年
クラブワールドカップ 09年
スーパーカップ 09年
※ルーツはグアドループである。
元代表歴代最多得点記録保持者。またアーセナルの公式戦最多得点記録保持者でもある。
ヴェンゲルによってセンターフォワードにコンバートされ才能が開花した。
フランス人だがワインが飲めず、チーズも苦手である。
永井豪の漫画のファン。
ベルギー代表コーチとしてW杯3位に貢献した。
(51/123)
ウィリアム・ギャラス
(1977/8/17〜)
〔DF〕<A>
ビリー
ウィリー
カーン
オリンピック・マルセイユ
チェルシー
アーセナル
トッテナム・ホットスパー
ワールドカップ 06年(準) 10年
※ルーツはグアドループである。
仲のよいアンリとは生年月日が同じ。
(5/84)
ダヴィド・トレゼゲ
(1977/10/15〜)
〔FW〕<A>
トレゼゴール プラセンテ
モナコ
ユヴェントス

エルクレス
バニーヤース
リーベル・プレート
ニューウェルズ・オールドボーイズ
プネー・シティ
ワールドカップ 98年(優) 02年 06年(準)
EURO 00年
※両親はアルゼンチン人である。
(34/71)
ニコラ・アネルカ
(1979/3/14〜)
〔FW〕<A>
ニコ
サイレントキング
パリ・サンジェルマン
アーセナル
レアル・マドリード
 リヴァプール(L)
マンチェスター・シティ
フェネルバフチェ
ボルトン・ワンダラーズ
チェルシー

上海申花
 ユヴェントス(L)
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
ワールドカップ 10年
EURO 00年
コンフェデレーションズ カップ 01年
チャンピオンズリーグ 99-00年
※ルーツはマルティニークである。
クラブ内で何かともめごとを起こすため、チームを転々とする傾向があるが、本人は異なる国でサッカーをすることを好んでいる様子である。
(14/69)
エリック・アビダル
(1979/9/19〜)
〔DF〕<A>
モナコ
リール
オリンピック・リヨン
バルセロナ
モナコ
オリンピアコス
ワールドカップ 06年(準) 10年
チャンピオンズリーグ 08-09年 10-11年
スーパーカップ 09年 11年
クラブワールドカップ 09年 11年
※ルーツはマルティニークである。
肝臓の移植手術を受けた。
(0/67)
フローラン・マルダ
(1980/6/13〜)
〔MF/FW〕<A>
シャトールー
ギャンガン
オリンピック・リヨン
チェルシー
トラブゾンスポル
メス
デリー・ダイナモス
 ワーディー・デグラ(L)
ディフェルダンジュ
ワールドカップ 06年(準) 10年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年
※ギュイアンヌ出身である。
(9/80)
(0/3)ギュイアンヌ
パトリス・エヴラ
(1981/5/15〜)
〔DF(SB)〕<A>
マルサラ
モンツァ
ニース
モナコ
マンチェスター・ユナイテッド
ユヴェントス
オリンピック・マルセイユ
ウェストハム・ユナイテッド
ワールドカップ 10年 14年(8)
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
※セネガル出身である。
10年W杯ではキャプテンとして臨んだが、練習ボイコットの首謀者とみなされ、グループリーグ敗退の戦犯の一人にされてしまった。
(0/81)
フランク・リベリ
(1983/4/7〜)
〔MF〕<S>
スカーフェイス メス
ガラタサライ
オリンピック・マルセイユ
バイエルン・ミュンヘン
フィオレンティーナ
サレルニターナ
ワールドカップ 06年(準) 10年
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年
※幼少のころ、父親の運転する車で事故に遭い、その時の傷痕が今も顔に残っている。
結婚を機にムスリムに改宗した。
14年W杯はケガのため出場を断念、8月には代表からの引退を表明した。
(16/80)
バカリ・サニャ
(1983/2/14〜)
〔DF(SB)〕<A>
オセール
アーセナル
マンチェスター・シティ
ベネヴェント
モントリオール・インパクト
ワールドカップ 10年 14年(8)
※ルーツはセネガルである。
特徴的なドレッドヘアはエクステンションである。
(0/65)
マテュー・ヴァルブエナ
(1984/9/28〜)
〔MF〕<A>
リブルヌ
オリンピック・マルセイユ
ディナモ・モスクワ
オリンピック・リヨン
フェネルバフチェ
オリンピアコス
アポロン・リマソール
ワールドカップ 10年 14年(8)
※身長164cmと非常に小柄である。
(8/52)
ヨアン・キャバイェ
(1986/1/14〜)
〔MF〕<A>
リール
ニューカッスル・ユナイテッド
パリ・サンジェルマン
クリスタル・パレス
アル・ナスル
サンテティエンヌ
ワールドカップ 14年(8)
※父方の祖母はベトナム人である。
(4/48)
オリヴィエ・ジルー
(1986/9/30〜)
〔FW〕<S>
グルノーブル・フット38
イストルトゥール
モンペリエ

アーセナル
チェルシー
ミラン
ロサンゼルスFC
ワールドカップ 14年(8) 18年(優) 22年(準)
ヨーロッパリーグ 18-19年
チャンピオンズリーグ 20−21年
※アンリを抜いて代表最多得点記録保持者となった。
ウーゴ・ロリス
(1986/12/26〜)
〔GK〕<A>
ニース
オリンピック・リヨン
トッテナム・ホットスパー
ロサンゼルスFC
ワールドカップ 10年 14年(8) 18年(優) 22年(準)
ネーションズリーグ 20-21年
※代表最多出場記録保持者。
ジェレミ・メネス
(1987/5/7〜)
〔FW〕<A>
ソショー・モンベリアル
モナコ
ローマ
パリ・サンジェルマン
ミラン
ジロンダン・ボルドー
アンタルヤスポル
クラブ・アメリカ
パリ
レッジーナ
バーリ
※リーグアン最年少ゴール記録を持つ。
ミラン時代は本田のチームメイト。
(2/24)
サミル・ナスリ
(1987/6/26〜)
〔MF〕<A>
オリンピック・マルセイユ
アーセナル
マンチェスター・シティ
 セビージャ(L)
アンタルヤスポル
ウェストハム・ユナイテッド
アンデルレヒト
※ルーツはアルジェリアである。
EURO2012で、記者に暴言を吐くという騒動を起こした。
14年W杯ではチームの団結を乱すと考えられてか代表漏れとなった。
(5/41)
カリム・ベンゼマ
(1987/12/19〜)
〔FW〕<S>
オリンピック・リヨン
レアル・マドリード
アル・イテハド
ワールドカップ 14年(8)
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
21-22年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年 16年 17年 22年
ネーションズリーグ 20-21年

※ルーツはアルジェリアで、ベルベル人である。
元ブラジル代表のロナウドを敬愛している。
(27/81)
アントワーヌ・グリエズマン
(1991/3/21〜)
〔MF(WG)〕<S>
アントン レアル・ソシエダ
アトレティコ・マドリード
バルセロナ
アトレティコ・マドリード
ワールドカップ 14年(8) 18年(優) 22年(準)
ヨーロッパリーグ 17-18年
ネーションズリーグ 20-21年
※代表の大黒柱として、W杯優勝に貢献した。
エンゴロ・カンテ
(1991/3/29〜)
〔MF〕<A>
ブローニュ
カーン
レスター・シティ
チェルシー
アル・イテハド
ワールドカップ 18年(優)
ヨーロッパリーグ 18-19年
チャンピオンズリーグ 20−21年
スーパーカップ 21年
クラブワールドカップ 22年
※マリ出身である。
アンダー世代では代表経験はなく、イングランドプレミアリーグ移籍後頭角を現した。
アレクサンドル・ラカゼット
(1991/5/28〜)
〔FW〕<A>
オリンピック・リヨン
アーセナル
オリンピック・リヨン
(3/16)
ポール・ポグバ
(1993/3/15〜)
〔MF〕<S>
マンチェスター・ユナイテッド
ユヴェントス
マンチェスター・ユナイテッド
ユヴェントス
ワールドカップ 14年(8) 18年(優)
ヨーロッパリーグ 16-17年
ネーションズリーグ 20-21年
※ルーツはギニアである。
ラファエル・ヴァラン
(1993/4/25〜)
〔DF〕<S>
ランス
レアル・マドリード
マンチェスター・ユナイテッド
コモ
ワールドカップ 14年(8) 18年(優) 22年(準)
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年 16年 17年
ネーションズリーグ 20-21年

※ルーツはマルティニークである。
ジダンやブランがイエロの後継者と太鼓判を押す逸材としてマドリードに入団した。
(5/93)
ウスマン・デンベレ
(1997/5/15〜)
〔FW(WG)〕<A>
スタッド・レンヌ
ボルシア・ドルトムント
バルセロナ
パリ・サンジェルマン
ワールドカップ 18年(優) 22年(準)
ネーションズリーグ 20-21年
マルクス・テュラム
(1997/8/6〜)
〔FW〕<A>
ソショー
ギャンガン
ボルシア・メンヒェングラートバッハ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 22年(準)
※リリアン・テュラムの息子。
キリアン・エムバペ
(1998/12/20〜)
〔FW〕<SS>
ドナテロ モナコ
パリ・サンジェルマン
レアル・マドリード
ワールドカップ 18年(優) 22年(準)
ネーションズリーグ 20-21年
※父はカメルーン出身、母はアルジェリア人である。
18年W杯では4得点をあげ、優勝に貢献、決勝ではペレ以来となる10代での得点を記録した。
ポルトガル 58人】
  A Seleco 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ペペ・ソアレス
(1908/1/30〜1931/10/24)
〔FW〕<A>
ペペ ベレネンセス ※オリンピックアムステルダム大会で活躍した。
(7/14)
マヌエル・ソエイロ
(1909/3/17〜1977/2/?)
〔FW〕<A>
スポルティングCP (5/12)
フェルナンド・ペイロテオ
(1918/3/10〜1978/11/28)
〔FW〕<S>
スポルティングCP
ベレネンセス
※アンゴラ出身である。
40年代、スポルティングにおいて「5人のバイオリン弾き」と讃えられた中心選手。
(15/20)
アルバーノ
(1922/12/21〜1990/3/5)
〔FW〕<A>
セイシャル
スポルティングCP
※40年代、「5人のバイオリン弾き」のひとり。
(3/15)
ジェスス・コレイア
(1924/4/3〜2003/11/30)
〔FW〕<A>
スポルティングCP
CFU
※40年代、「5人のバイオリン弾き」のひとり。
(3/13)
ジョゼ・トラバッソス
(1926/27/22〜2002/2/12)
〔FW〕<A>
CFU
スポルティングCP
※40年代、「5人のバイオリン弾き」のひとり。
(6/35)
マヌエル・バスケス
(1926/7/29〜2003/7/10)
〔FW〕<A>
スポルティングCP
アトレティコCP
※40年代、の「5人のバイオリン弾き」のひとり。
(7/26)
コスタ・ペレイラ
(1929/12/22〜1990/10/25)
〔GK〕<A>
ベンフィカ (0/22)
ジョゼ・アグアス
(1930/11/9〜2000/12/10)
〔FW〕<S>
ベンフィカ
アウストリア・ウィーン
ワールドカップ 66年(3)
チャンピオンズカップ 60-61年 61-62年
※アンゴラ出身である。
ルイ・アグアスの父。娘はポルトガル初のロック歌手。
(11/25)
ジェルマーノ
(1932/12/23〜2004/7/14)
〔DF〕<A>
アトレティコCP
ベンフィカ
ワールドカップ 66年(3)
(0/24)
マリオ・コルナ
(1935/8/6〜2014/2/25)
〔MF〕<S>
聖なる怪物 ベンフィカ
オリンピック・リヨン
ワールドカップ 66年(3)
チャンピオンズカップ 60-61年 61-62年
※モザンビーク出身である。
走り幅跳びのモザンビーク記録を持っていた。
(8/57)
ジョゼ・アウグスト・アルメイダ
(1937/4/13〜)
〔FW(WG)〕<A>
ベンフィカ ワールドカップ 66年(3)
チャンピオンズカップ 60-61年 61-62年
(9/45)
ジョゼ・アウグスト・トーレス
(1938/9/8〜2010/9/3)
〔FW〕<A>
ベンフィカ
ヴィトリア・セトゥーバル
エストリル・プライア
ワールドカップ 66年(3)
チャンピオンズカップ 60-61年 61-62年
(14/33)
エウゼビオ
(1942/1/25〜2014/1/5)
〔FW〕<SS>
モザンビークの黒豹 スポルティング・ロレンソ・マルケス
ベンフィカ

ボストン・ミニットメン
モンテレイ
トロント・メトロス・クロアチア
ベイラ・マル
ラスベガス・クイックシルバー
ウニオン・トマール
ニュージャージー・アメリカンズ
ワールドカップ 66年(3)
チャンピオンズカップ 60-61年 61-62年
※モザンビーク出身である。
ペレとも並び称される60年代を代表するストライカー。
そのシュートフォームは釜本に大きな影響を与えたとされる。
(41/64)9】
 
アントニオ・シモンエス
(1943/12/14〜)
〔FW(WG)〕<A>
ベンフィカ
ボストン・ミニットメン
サンノゼ・アースクエイクス
ニュージャージー・アメリカンズ
トロント・トルネード
ワールドカップ 66年(3)
チャンピオンズカップ 61-62年
※北米リーグインドアサッカーでも活躍した。
(3/46)
アルトゥール・ジョルジェ
(1946/2/13〜)
〔FW〕<S>
ポルト
アカデミカ・コインブラ
ベンフィカ

ベレネンセス
 ロチェスター・ランサーズ(L)
(1/16)
ネーネ
タマグニーニ・ゴメス・バプティスタ

(1949/11/20〜)
〔FW〕<A>
ネーネ ベンフィカ (22/66)
ウンベルト・コエーリョ
(1950/4/20〜)
〔DF〕<S>
ベンフィカ
パリ・サンジェルマン
ラスベガス・クイックシルバーズ
ベンフィカ
※ポルトガル史上最高のストッパーと称される。
(6/64)
マヌエル・フェルナンデス
(1951/7/5〜)
〔FW〕<A>
スポルティングCP
ヴィトリア・セトゥーバル
(7/31)
ルイ・ジョルダン
(1952/8/9〜)
〔FW〕<S>
ベンフィカ
レアル・サラゴサ
スポルティングCP

ヴィトリア・セトゥーバル
※アンゴラ出身である。
(15/43)
フェルナンド・ゴメス
(1956/11/22〜)
〔FW〕<S>
ポルト
スポルティング・デ・ヒホン
ポルト
スポルティングCP
ワールドカップ 86年
チャンピオンズカップ 86-87年
トヨタカップ 87年
(13/48)

ルイ・アグアス
(1960/4/28〜)
〔FW〕<S>
ポルティモネンセ
ベンフィカ

ポルト
レッジャーナ1919
ワールドカップ 86年
(10/31)
ジョアン・ドミンゴス・ピント
(1961/11/21〜)
〔DF〕<A>
ポルト ワールドカップ 86年
(1/70)
ジョゼ・モウリーニョ
(1963/1/26〜)
〔MF〕<C>
リオ・アヴェ
ベレネンセス
セジンブラ
コメルシオ・エ・インドゥストリア
※選手としては全く平凡であったが、監督としてはポルト、インテルでチャンピオンズリーグを制した名将。特にインテルではイタリア初の3冠を成し遂げた。
ロブソンがバルセロナ監督時代、助監督(通訳)をしていた。
ホームでのリーグ戦連続無敗記録150試合を持つ。
(0/0)
パウロ・フットレ
(1966/2/28〜)
〔MF/FW(WG)〕<A>
ヨーロッパのマラドーナ スポルティングCP
ポルト
アトレティコ・マドリード
ベンフィカ
オリンピック・マルセイユ
レッジャーナ1919
ミラン
ウェストハム・ユナイテッド
アトレティコ・マドリード
横浜フリューゲルス
ワールドカップ 86年
(6/41)
ホルヘ・カデテ
(1968/8/27〜)
〔FW〕<A>
スポルティングCP
ヴィトリア・セトゥーバル

ブレシア
セルティック
セルタ・デ・ビーゴ
ベンフィカ
エストレラ・アマドーラ
(5/33)
パウロ・ベント
(1969/6/20〜)
〔MF〕<A>
アマドーラ
ヴィトリア・ギマランイス
ベンフィカ
レアル・オビエド
スポルティングCP
ワールドカップ 02年
※スポルティング時代クアレスマやロナウドの面倒をよく見ており、今でも慕われている。
(0/35)
フェルナンド・コウト
(1969/8/2〜)
〔DF〕<S>
ポルト
 アルデミカ(L)
パルマ
バルセロナ
ラツィオ
パルマ
ワールドカップ 02年
スーパーカップ 97年
UEFAカップ 94-95年
カップウィナーズカップ 96-97年 98-99年
(8/110)

ビトール・バイーア
(1969/10/15〜)
〔GK〕<S>
ポルト
バルセロナ
ポルト
ワールドカップ 02年
UEFAカップ 02-03年
カップウィナーズカップ 96-97年
(0/80)
ジョアン・ピント
(1971/8/19〜)
〔FW〕<A>
ボアビスタ
ベンフィカ
スポルティングCP
ボアビスタ
スポルティング・ブラガ
ワールドカップ 02年
スーパーカップ 87年
※89年U-20W杯を制した黄金世代のひとり。
38歳の時孫が生まれた。
(23/81)
パウロ・ソウザ
(1970/8/30〜)
〔MF〕<S>
ベンフィカ
スポルティングCP
ユヴェントス
ボルシア・ドルトムント
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 パルマ(L)
パナシナイコス
エスパニョール
チャンピオンズリーグ 95-96年 96-97年
トヨタカップ 97年
※黄金世代のひとり。
(0/51)

ジョルジュ・コスタ
(1971/10/14〜)
〔DF〕<A>
タンク(戦車)
重戦車
野獣
ポルト
 ペナフィエル(L)
 マリティモ(L)
 チャールトン・アスレティック(L)
スタンダール・リエージュ
ワールドカップ 02年
※黄金世代のひとり。
(2/50)
マヌエル・ルイ・コスタ
(1972/3/29〜)
〔MF〕<S>
マヌ ファフェ
ベンフィカ
フィオレンティーナ
ミラン
ベンフィカ
ワールドカップ 02年
スーパーカップ 03年
※黄金世代の中心選手。ピルロが若干下がり目のポジションで生きていくきっかけを作ったファンタジスタ。
実家は文房具屋である。
(26/94)

リカルド・サ・ピント
リカルド・コラソン・デ・レオン
(1972/10/10〜)
〔MF〕<A>
サルゲイロス
スポルティングCP
レアル・ソシエダ
スポルティングCP
スタンダール・リエージュ
(9/45)
ルイス・フィーゴ
ルイシュ・フィリープィ・マザイラ・カアイル

(1972/11/4〜)
〔MF(WG)〕<S>
フィーゴ
白豹
スポルティングCP
バルセロナ
レアル・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 02年 06年(4)
チャンピオンズリーグ 01-02年
スーパーカップ 97年 02年
カップウィナーズカップ 96-97年
※黄金世代のひとりで、ロナウドに抜かれるまで代表最多出場記録保持者だった。
語学が堪能で、少年時代は学業も優秀だった。
レアル・マドリードへ移籍した際はバルセロニスタから守銭奴呼ばわりされ、経営する日本料理店が襲撃されたり、コーナーキックを蹴る際に豚の頭の皮を投げられたりした。
(32/127)

ペドロ・パウレタ
ペドロ・ミゲル・カレイロ・レセンデス

(1973/4/28〜)
〔FW〕<A>
パウレタ
アソリスの鳥人
エストリル・プライア
サマランカ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
ジロンダン・ボルドー

パリ・サンジェルマン

ソン・ロケ
ワールドカップ 02年 06年(4)
※ポルトガル代表で2位の得点記録を持ている。
(47/88)
セルジオ・コンセイソン
(1974/11/15〜)
〔MF〕<A>
ペナフィエル
レサ
フェルゲイラス
ポルト
ラツィオ
パルマ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ラツィオ
ポルト
スタンダール・リエージュ

カーディシーヤ
PAOKテッサロニキ
ワールドカップ 02年
カップウィナーズカップ 98-99年
スーパーカップ 99年
(12/56)
コスチーニャ
フランシスコ・ジョゼ・ロドリゲス・ダ・コスタ
(1974/12/1〜)
〔DF〕<A>
コスチーニャ クルーベ・オリエンタル
マシコ
CDナシオナル
モナコ
ポルト
ディナモ・モスクワ
アトレティコ・マドリード
アタランタ
ワールドカップ 06年(4)
チャンピオンズリーグ 03-04年
トヨタカップ 04年
(2/53)
ヌーノ・ゴメス
ヌーノ・ミゲル・ソアレス・ペレイラ・リベイロ

(1976/7/5〜)
〔FW〕<A>
ヌーノ・ゴメス ボアビスタ
ベンフィカ
フィオレンティーナ
ベンフィカ
スポルティング・ブラガ
ブラックバーン・ローヴァーズ
ワールドカップ 02年 06年(4)
※「ゴメス」というニックネームはフェルナンド・ゴメスにちなんでつけられた。
(29/79)
デコ
アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ

(1977/8/27〜)
〔MF〕<S>
デコ
マジコ(魔法使い)
ハポネス
コリンチャンス・パウリスタ
ベンフィカ
 アルヴェルカ(L)
 サルゲイロス(L)
ポルト
バルセロナ
チェルシー
フルミネンセ
ワールドカップ 06年(4) 10年(16)
チャンピオンズリーグ 03-04年 05-06年
UEFAカップ 02-03年
※ブラジル出身である。
祖父はインド系。日本人的な顔立ちから「ハポネス」と呼ばれる。
(5/75)
マニシェ
ヌーノ・リカルド・オリベイラ・リベイロ
(1977/11/11〜)
〔FW〕<A>
マニシェ ベンフィカ
アルベルカ
ベンフィカ
ポルト
ディナモ・モスクワ
 チェルシー(L)
アトレティコ・マドリード
 インテルナツィオナーレ・ミラノ(L)
ケルン
スポルティングCP
ワールドカップ 06年(4)
チャンピオンズリーグ 03-04年
トヨタカップ 04年
(7/53)
リエジソン
(1977/12/17〜)
〔FW〕<A>
コリチーバ
フラメンゴ
コリンチャンス・パウリスタ
スポルティングCP
コリンチャンス・パウリスタ
フラメンゴ

ポルト
ワールドカップ 10年(16)
※ブラジル出身である。
(4/14)
リカルド・カルバーリョ
(1978/5/18〜)
〔DF〕<A>
レッサ
ポルト
 ヴィトリア・セトゥーバル(L)
 アルベルサ(L)
チェルシー
レアル・マドリード
モナコ
上海上港集団
ワールドカップ 02年 06年(4) 10年(16)
EURO 16年
チャンピオンズリーグ 03-04年
UEFAカップ 02-03年
(5/89)
パウロ・フェレイラ
(1979/1/18〜)
〔DF〕<A>
ヴィトーリア・セトゥバル
ポルト
チェルシー
ワールドカップ 06年(4) 10年(16)
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年
(0/62)
シモン・サブローザ
(1979/10/31〜)
〔FW〕<A>
スポルティングCP
バルセロナ
ベンフィカ

アトレティコ・マドリード
ベシクタシュ
エスパニョール
ノースイースト・ユナイテッド
ワールドカップ 06年(4) 10年(16)
ヨーロッパリーグ 09-10年
スーパーカップ 10年
(22/85)
エルデル・ポスティガ
(1981/8/2〜)
〔FW〕<A>
ポルト
トッテナム・ホットスパー
ポルト
 サンテティエンヌ(L)
 パナシナイコス(L)
スポルティングCP
レアル・サラゴサ
バレンシア
 ラツィオ(L)
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
アトレティコ・コルタカ
リオ・アヴェ
アトレティコ・デ・コルタカ
ワールドカップ 06年(4) 14年
UEFAカップ 02-03年
トヨタカップ 04年
(27/71)
ブルーノ・アルヴェス
(1981/11/27〜)
〔DF〕<A>
ポルト
 ファレンセ(L)
 ヴィトリア・ギマランイス(L)
 AEKアテネ(L)
ゼニト・サンクトペテルブルク
フェネルバフチェ
カリアリ
レンジャーズ
パルマ
ファマリカン
アポロン・スミルニ
ワールドカップ 10年(16) 14年 18年(16)
EURO 16年
※父はブラジル出身である。
(11/96)
ペペ
ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラ

(1983/2/26〜)
〔DF〕<A>
パブロ マリティモ
ポルト
レアル・マドリード
ベシクタシュ
ポルト
ワールドカップ 10年(16) 14年 18年(16) 22年(8)
EURO 16年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年
トヨタカップ 04年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年
ネーションズリーグ 18-19年
※ブラジル出身である。
メッシの手踏みつけが物議をかもすなど、ピッチ内でのラフプレーや暴力的行為が度々問題視され、マツコ&有吉の怒り新党内の「新・3大○○調査会」で紹介された。
ラウル・メイレレス
(1983/3/17〜)
〔MF〕<A>
ボアビスタ
 デポルティーボ・アラベス(L)
ポルト
リヴァプール
チェルシー
フェネルバフチェ
ワールドカップ 10年(16) 14年
チャンピオンズリーグ 11-12年
※趣味はタトゥーで、全身に大掛かりなタトゥーを入れている。
(10/76)
リカルド・クアレスマ
(1983/9/26〜)
〔MF(WG)〕<A>
スポルティングCP
バルセロナ
ポルト
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 チェルシー(L)
ベシクタシュ
アル・アハリ・ドバイ
ポルト
ベシクタシュ
カスムバシャ
ヴィトーリア
ワールドカップ 18年(16)
EURO 16年
(10/80)
クリスティアーノ・ロナウド
(1985/2/5〜)
〔FW/MF〕<SS>
クライベイビー
CR
CR7
スポルティングCP
マンチェスター・ユナイテッド

レアル・マドリード
ユヴェントス
マンチェスターユナイテッド
アル・ナスル
 
ワールドカップ 06年(4) 10年(16) 14年 18年(16) 22年(8)
EURO 16年
チャンピオンズリーグ 07-08年 13-14年 15-16年 16-17年
17-18年
クラブワールドカップ 08年 14年 16年
スーパーカップ 14年 16年 17年
ネーションズリーグ 18-19年
※マデイラ島出身である。
メッシと並び称される2000年代最高のアタッカー。
代表最多出場、最多得点記録保持者。
ジョージ・ベストも認めたマンチェスターU.の「7番」の後継者。
ミドルネームの「ロナウド」は父のお気に入りの俳優ロナルド・レーガン元アメリカ大統領に因む。
幼少の頃はベンフィカのファンだったが、ライバルであるスポルティングの下部組織に入った。得意なスポーツは卓球。献血ができなくなるからという理由で、タトゥを入れない主義である。
EURO優勝の功績により故郷の空港がクリスティアーノロナウド空港と改められた。しかし同空港に設置された銅像が全く似ていない。
SIXPADのCMでは見事な肉体を披露している。
FIFA公認の世界最多得点記録保持者となった。
ジョアン・モウティーニョ
(1986/9/8〜)
〔MF〕<A>
スポルティングCP
ポルト
モナコ
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
ブラガ
ワールドカップ 14年 18年(16)
EURO 16年
ヨーロッパリーグ 10-11年
ネーションズリーグ 18-19年
ナニ
ルイス・カルロス・アルメイダ・ダ・クーニャ

(1986/11/17〜)
〔FW(WG)〕<A>
ナニ スポルティングCP
マンチェスター・ユナイテッド
スポルティングCP
フェネルバフチェ
バレンシア
 ラツィオ(L)
スポルティングCP
オーランド・シティ
ヴェネツィア
メルボルン・ヴィクトリー
アダナ・デミルスポル
エストレラ・デ・アマドーラ
ワールドカップ 14年
EURO 16年
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
※カーボベルデ出身である。
(24/112)
ファビオ・コエントラン
(1988/3/11〜)
〔DF(SB)〕<A>
リオ・アヴェ
ベンフィカ
 ナシオナル(L)
 レアル・サラゴサ(L)
 リオ・アヴェ(L)
レアル・マドリード
 モナコ(L)

 スポルティングCP(L)
リオ・アヴェ
リオ・アヴェ
ワールドカップ 10年(16) 14年
チャンピオンズリーグ 13-14年 16-17年
クラブワールドカップ 14年
スーパーカップ 14年 16年
(5/52)
ベルナルド・シウバ
(1994/8/10〜)
〔MF〕<A>
ベンフィカ
モナコ
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 22年(8)
ネーションズリーグ 18-19年
ブルーノ・フェルナンデス
(1994/9/8〜)
〔MF〕<A>
ノヴァ―ラ
ウディネーゼ
サンプドリア
スポルティング
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 22年(8)
ネーションズリーグ 18-19年
アンドレ・シウヴァ
(1995/11/6〜)
〔FW〕<A>
ポルト
ミラン
 セビージャ(L)
 アイントラハト・フランクフルト
ライプツィヒ
 レアル・ソシエダ(L)
ワールドカップ 18年(16) 22年(8)
ネーションズリーグ 18-19年
ルベン・ディアス
(1997/5/14〜)
〔DF〕<A>
ベンフィカ
マンチェスター・シティ
ワールドカップ  22年(8)
ネーションズリーグ 18-19年
オ ラ ン ダ 79人】
  Clockwork Orange / Oranje 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ヤン・ボス
(1888/4/17〜1939/8/25)
〔FW〕<A>
UVV
スパルタ・ロッテルダム
D.FC
UVV
※オリンピックストックホルム大会銅メダリスト。
(19/20)
ハリー・デニス
(1896/8/28〜1971/7/13)
〔DF〕<A>
HBS ※オリンピックアントワープ大会銅メダリスト。
(0/56)
キース・ピール
(1897/6/9〜1976/9/3)
〔FW〕<A>
フェイエノールト (7/8)
パック・ファン・ヒール
(1904/1/21〜1984/12/18)
〔MF〕<A>
フェイエノールト ワールドカップ 34年 38年
※第二次大戦前のフェイエノールトの中心選手。
(0/64)
アベ・レンストラ
(1920/11/27〜1985/9/2)
〔FW〕<A>
ヘーレンフェーン ※オランダリーグシーズン最多得点記録保持者。
ヘーレンフェーンのホームスタジアムにその名を残す。
(33/47)
ファース・ヴィルケス
(1923/10/13〜2006/8/15)
〔FW〕<A>
ファース セルセス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
トリノ
バレンシア
VVVフェンロー
レバンテ
※オランダ初のプロ選手としてインテルでプレーした。
(35/38)
リヌス・ミケルス
(1928/2/9〜2005/3/3)
〔FW〕<A>
将軍 アヤックス ※70年代にクライフらを擁し、アヤックスや代表において「トータルフットボール」と呼ばれる戦術を確立した希代の名将。
88年にはオランダを初の欧州チャンピオンに導いた。
(0/5)
レオ・カニェルス
(1933/4/1〜2010/5/26)
〔FW〕<A>
NAC (2/3)
クーン・ムーライン
(1937/2/15〜2011/1/4)
〔FW(WG)〕<S>
クーンチェ
Mr.フェイエノールト
フェイエノールト チャンピオンズカップ 69-70年
インターコンチネンタルカップ 70年
UEFAカップ 73-74年
※フェイエノールトの象徴的存在。クラブのマスコット「クーンチェ」は彼の愛称から取られている。
(4/38)
ヘンク・フロート
(1938/4/22〜2022/5/11)
〔FW〕<A>
アヤックス
フェイエノールト
アヤックス
(12/39)
シャーク・スワルト
(1938/7/3〜)
〔FW(WG)〕<A>
アヤックス チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
(10/31)
ヤン・ヨンクブルート
(1940/11/25〜2023/8/31)
〔GK〕<S>
DWS
アムステルダム
ローダ
ゴーアヘッド・イーグルス
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
※選手としてはアマチュア登録で、本業はタバコ屋だった。
W杯ではキーパーながら背番号8をつけていた。
(0/24)
リヌス・イスラエル
(1942/3/19〜)
〔DF〕<A>
鉄の男 DWS
フェイエノールト
エクセルシオール
ズヴォレ
ワールドカップ 74年(準)
チャンピオンズカップ 69-70年
インターコンチネンタルカップ 70年
UEFAカップ 73-74年
(3/47)
レオ・ベーンハッカー
(1942/8/2〜)
〔?〕<C>
Xerxes DZB ※トリニダード・トバゴをW杯初出場に導いた。
その後、ポーランド代表をEURO本戦に導くなどした功績により、ポーランドから勲章を授与された。
(0/0)
ピート・カイザー
(1943/6/14〜2017/2/10)
〔FW(WG)〕<S>
ピート アヤックス ワールドカップ 74年(準)
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
※クライフとのコンビは「royal pair」と呼ばれたが、コンビの後半は確執もあったとされる。
(11/34)
ウィルヘルム・ファン・ハネヘム
(1944/2/20〜)
〔MF〕<A>
デ・クロメ(O脚)
レフティモンスター
セルセス
フェイエノールト
AZ
シカゴ・スティング
ユトレヒト
フェイエノールト
ワールドカップ 74年(準)
チャンピオンズカップ 69-70年
UEFAカップ 73-74年
(6/52)
ヴィム・シュルビア
(1945/1/16〜)
〔DF〕<S>
アヤックス
シャルケ04
メス
ロサンゼルス・アズテックス
スパルタ・ロッテルダム
ゴールデンベイ・アースクエイク
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
(3/60)
バリー・フルシュホフ
(1946/9/30〜)
〔DF〕<S>
アヤックス
マーストリヒト
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
(6/14)
ビム・ヤンセン
(1946/10/28〜2022/1/25)
〔MF/DF〕<A>
フェイエノールト
ワシントン・ディプロマッツ
アヤックス
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年
インターコンチネンタルカップ 72年
UEFAカップ 73-74年
※元サンフレッチェ広島監督。
(1/65)
フース・ヒディンク
(1946/11/8〜)
〔MF〕<B>
デ・フラーフスハップ
PSV
デ・フラーフスハップ
ワシントン・ディプロマッツ
サンノゼ・アースクエイクス
NEC
デ・フラーフスハップ

※PSV、韓国代表、オーストラリア代表など戦力の落ちるとみられるチームをまとめ上げ、結果を残すことに長けた名将。
その手腕はしばしば「ヒディンクマジック」と称される。
(0/0)
ビリー・ファン・デル・カイレン
(1946/12/6〜2021/4/19)
〔FW〕<S>
ビリー PSV UEFAカップ 77-78年
※エールディヴィジ最多得点記録保持者。
W杯代表からはもれている。
(7/22)
ヨハン・クライフ
(1947/4/25〜2016/3/24)
〔FW/MF〕<SSS>
フライングダッチマン
ジーザス
アヤックス
バルセロナ
ロサンゼルス・アズテックス
ワシントン・ディプロマッツ
レバンテ
アヤックス
フェイエノールト
ワールドカップ 74年(準)
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
※70年代にサッカー界を席巻したトータルフットボールにおける中心選手。
W杯は74年大会の出場のみである。78年大会は、子供の誘拐未遂事件がきっかけで辞退したことを後に告白した。
若いころ、仮病など、あらゆる手を使って兵役逃れに成功した。
バルセロナ監督時代には「エル・ドリーム・チーム」と呼ばれる欧州最強チームを作り上げ、バルセロナにチャンピオンズリーグ初制覇をもたらした。
機械オンチで、パソコンはおろか携帯電話も持っていない。
心臓病のため禁煙を余儀なくされ、代わりにチュッパチャプスを舐めていたところ、それがテレビに映し出されチュッパチャプスが世に広まる一因となった。
2016年、肺がんにより死去。
(33/48)【2】

ロブ・レンセンブリンク
(1947/7/3〜2020/1/24)
〔FW(WG)/MF〕<S>
ロブ クラブ・ブルッヘ
アンデルレヒト
ポートランド・ティンバース
トゥールーズ
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
スーパーカップ 76年 78年
カップウィナーズカップ 75-76年 77年-78年
※プロとしてオランダのクラブでプレーしたことがない。
78年W杯はクライフ不在の中、オランダのエースとして活躍し、W杯通算1000ゴール目を奪った。
決勝では、キーパーと1対1の場面で放ったシュートがポストに嫌われ、結果オランダは初優勝を逃す結果となった。
(14/49)

ルート・ヘールス
(1948/7/28〜)
〔FW〕<S>
テルスター
フェイエノールト
ゴー・アヘッド・イーグルス
クラブ・ブルッヘ
アヤックス

アンデルレヒト
スパルタ・ロッテルダム

PSV
NAC
ワールドカップ 74年(準)
スーパーカップ 78年
※アヤックスに在籍した4年間全てで得点王になった。
74年W杯では、背番号がアルファベット順であったため「1」をつけた。
(11/20)
アリー・ハーン
(1948/11/26〜)
〔DF〕<S>
アリー アヤックス
アンデルレヒト
スタンダール・リエージュ
PSV
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年 76年 78年
カップウィナーズカップ 75-76年 77-78年
(6/35)
ルート・クロル
(1949/3/24〜)
〔DF(SB)〕<S>
ルート アヤックス
バンクーバー・ホワイトキャプス
ナポリ
カンヌ
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
(4/83)
ルイ・ファン・ハール
(1951/8/8〜)
〔MF〕<B>
アヤックス
ロイヤル・アントワープ
テルスター
スパルタ・ロッテルダム
AZ
※「スーパーアヤックス」をつくり上げた名将で、サッカー界きっての戦術家といわれる。
バルセロナ時代は自身の弟子であるオランダ人選手を重用する傾向があったため、好まれていなかった。一方で、後の主力となるシャビやイニエスタをトップチームに引き上げたことでも知られる。
14年W杯では代表監督をつとめ、時には5バックで守る堅守と、徹底した縦に早い攻撃を貫き、3位という成績を収めた。
(0/0)
ヨハン・ニースケンス
(1951/9/15〜)
〔MF〕<S>
ヨハン アヤックス
バルセロナ
ニューヨーク・コスモス
フローニンゲン
フォートローダーデール
ローウェンブリュー
バール
ツーク
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
チャンピオンズカップ 70-71年 71-72年 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
カップウィナーズカップ 78-79年
※「もう一人のヨハン」と呼ばれていた。
得意なスポーツは野球で、プロからもオファーがくるほどの実力者だった。
(17/49)
ウィリー・ファン・デ・ケルクホフ
(1951/9/16〜)
〔MF〕<A>
ウィリー トゥウェンテ
PSV
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
UEFAカップ 77-78年
※レネの双子の兄。
(5/63)
レネ・ファン・デ・ケルクホフ
(1951/9/16〜)
〔FW(WG)〕<A>
レネ トゥウェンテ
PSV
アポロン・スミルニス
精工
ヘルモント・スポルト
アイントホーフェン
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
UEFAカップ 77-78年
※ウィリーの双子の弟。
(5/47)
ヨニー・レップ
(1951/11/25〜)
〔FW(WG)〕<S>
アヤックス
バレンシア
バスティア
サンテティエンヌ
ズヴォレ
フェイエノールト
ハールレム
ワールドカップ 74年(準) 78年(準)
チャンピオンズカップ 72-73年
インターコンチネンタルカップ 72年
スーパーカップ 73年
(12/42)
キース・キスト
(1952/8/7〜)
〔FW〕<A>
ヘーレンフェーン
AZ'67
パリ・サンジェルマン
ミュルーズ
ヘーレンフェーン
AZ'67
(4/21)
ハンス・ファン・ブロイケレン
(1956/10/4〜)
〔GK〕<S>
ハンス ユトレヒト
ノッティンガム・フォレスト
PSV
ワールドカップ 90年(16)
欧州選手権 88年
チャンピオンズカップ 88-89年
※1対1の場面やPKに強い。
(0/73)37]

ダニー・ブリント
(1961/8/1〜)
〔DF〕<S>
スパルタ・ロッテルダム
アヤックス
ワールドカップ 90年(16) 94年(8)
チャンピオンズリーグ 94-95年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年
UEFAカップ 91-92年
カップウィナーズカップ 86年-87年
※息子のダレイも代表選手で、14年W杯メンバーだった。
(1/42)

ルート・グーリット
(1962/9/1〜)
〔FW/MF〕<SS>
黒いチューリップ ハールレム
フェイエノールト
PSV
ミラン
サンプドリア
チェルシー
ワールドカップ 90年(16)
欧州選手権 88年
UEFAカップ 88-89年 89-90年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 90年
※スリナム出身である。
ミランのオランダトリオのひとりとして、90年前後の黄金期を支えた中心選手。
日本では「フリット」といわれるのが一般的だが、「フリッター(フライ)」のようであることから、あまり好んでいない。
3度目の奥さんはクライフの姪である。
かつて日本航空のCMに出演していた。ジャンクSPORTSに出演した際、サッカーに詳しくない浜田雅功が現役時代のドレッドヘアのVTRを見て「あ〜知ってる」とコメントし、苦笑していた。
(17/66)【18】

フランク・ライカールト
(1962/9/30〜)
〔MF/DF〕<SS>
フランク アヤックス
レアル・サラゴサ
ミラン
アヤックス
ワールドカップ 90年(16) 94年(8)
欧州選手権 88年
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
チャンピオンズリーグ 94-95年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 89年 90年
カップウィナーズカップ 86年-87年
※スリナム出身である。
ミランのオランダトリオのひとりとして、90年前後の黄金期を支えた中心選手。
(10/73)
ヴィム・キーフト
(1962/11/12〜)
〔FW〕<A>
アヤックス
ピサ
トリノ
PSV

ジロンダン・ボルドー
PSV
ワールドカップ 90年(16)
欧州選手権 88年
(11/43)
ロナルト・クーマン
(1963/3/21〜)
〔DF〕<S>
大砲
スノーフレイク
フローニンゲン
アヤックス
PSV
バルセロナ

フェイエノールト
ワールドカップ 90年(16) 94年(8)
欧州選手権 88年
チャンピオンズカップ 88-89年 91-92年
スーパーカップ 92年
※エールディヴィジ公式戦PKでの44得点は最多である。
「ドリーム・チーム」のメンバーのひとり。兄のエルウィンも元代表選手。
(14/78)

ジェラルド・ファネンブルグ
(1964/3/5〜)
〔MF/DF〕<A>
ジェラ アヤックス
PSV
ジュビロ磐田
ユトレヒト
カンヌ
1860ミュンヘン
ワールドカップ 90年(16)
欧州選手権 88年
チャンピオンズカップ 87-88年
※本人曰く、アヤックスからPSVに移籍したのは、クライフ監督と喧嘩したため。
(1/42)
マルコ・ファン・バステン
(1964/10/31〜)
〔FW〕<SS>
サンマルコ アヤックス
ミラン
ワールドカップ 90年(16)
欧州選手権 88年
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 89年
カップウィナーズカップ 86年-87年
※ミランのオランダトリオのひとりとして、90年前後の黄金期を支えた中心選手。
バロンドールを3回獲得しており、最多タイである。
ケガのため若くして引退を余儀なくされたが、史上最高レベルのフォワードのひとりとして認識されている。
しかしW杯での得点はない。
(24/58)12】

ション・ボスマン
(1965/2/1〜)
〔FW〕<A>
アヤックス
メヘレン
PSV
アンデルレヒト
トゥウェンテ
AZ
ワールドカップ 94年(8)
欧州選手権 88年
(17/30)
ヴィム・ヨンク
(1966/10/12〜)
〔MF〕<A>
ヴィム フォレンダム
アヤックス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
PSV
シェフィールド・ウェンズディ
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
(11/49)
アーロン・ヴィンター
(1967/3/1〜)
〔MF〕<A>
アヤックス
ラツィオ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
アヤックス
 スパルタ・ロッテルダム(L)
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
UEFAカップ 91-92年 97-98年
カップウィナーズカップ 86年-87年
※ルーツはスリナムである。
(6/84)
デニス・ベルカンプ
(1969/5/10〜)
〔MF〕<S>
アイスマン
飛ばないオランダ人
アヤックス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
アーセナル
ワールドカップ 98年(4)
UEFAカップ 91-92年 93-94年
カップウィナーズカップ 86-87年
※ローにあやかって「デニス」と名づけられたが「N」の文字がひとつ多い。
極度の飛行機嫌いで有名。「飛ばないオランダ人」と揶揄されている。
(37/79)

ピエール・ファン・ホーイドンク
(1969/11/29〜)
〔FW〕<A>
ピエール ローゼンダール
NAC
セルティック
ノッティンガム・フォレスト
フィテッセ
ベンフィカ
フェイエノールト

フェネルバフチェ
ワールドカップ 98年(4)
UEFAカップ 01-02年
※ルーツはスリナムである。
(14/46)
アーサー・ヌマン
(1969/12/14〜)
〔DF〕<A>
ハールレム
トゥウェンテ
PSV
レンジャーズ
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
(0/45)
ブライアン・ロイ
(1970/2/12〜)
〔MF〕<A>
アヤックス
ファッジア
ノッティンガム・フォレスト
ヘルタ・ベルリン
NAC
ワールドカップ 90年(16) 94年(8)
(9/32)
フランク・デ・ブール
(1970/5/15〜)
〔DF〕<S>
アヤックス
バルセロナ
ガラタサライ
レンジャーズ
アル・ラーヤン
アル・シャマル
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
チャンピオンズリーグ 94-95年 07-08年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年
UEFAカップ 91-92年
※ロナルドの双子の兄。
(13/112)
ロナルド・デ・ブール
(1970/5/15〜)
〔MF/FW〕<A>
アヤックス
トゥウェンテ
アヤックス
バルセロナ
レンジャーズ
アル・ラーヤン
アル・シャマル
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
チャンピオンズリーグ 94-95年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年
※フランクの双子の弟。
(13/67)
エドウィン・ファン・デルサール
(1970/10/29〜)
〔GK〕<S>
アイスラビット
摩天楼
緑の巨人
アヤックス
ユヴェントス
フラム
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 98年(4) 06年(16)
チャンピオンズリーグ 94-95年 07-08年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年
UEFAカップ 91-92年
※代表最多出場記録保持者。
イングランドプレミアリーグでPKによる1得点をあげている。
コクーとは生年月日が同じ。
(0/130)29]

フィリップ・コクー
(1970/10/29〜)
〔MF〕<S>
AZ
ヘーレンフェーン
PSV
バルセロナ
PSV
アル・ジャジーラ
ワールドカップ 98年(4) 06年(16)
※ファン・デルサールとは生年月日が同じ。
(10/101)
ジミー・フロイド・ハッセルバインク
(1972/3/27〜)
〔FW〕<A>
テルスター
AZ
カンポマイオレンセ
ボアヴィスタ
リーズ・ユナイテッド

アトレティコ・マドリード
チェルシー

ミドルズブラ
チャールトン・アスレティック
カーディフ・シティ
ワールドカップ 98年(4)
※スリナム出身である。
(9/23)
ヤープ・スタム
(1972/7/17〜)
〔DF〕<A>
ヤープ ズヴォレ
カンブール・レーワルデン
ヴィレムU
PSV
マンチェスター・ユナイテッド
ラツィオ
ミラン
アヤックス
ワールドカップ 98年(4)
チャンピオンズリーグ 98-99年
トヨタカップ 99年
※ダービッツのゴーグルを「スキーゴーグルか?」と嘲弄したところアッパーで殴られたことがある。
(3/67)
エドガー・ダービッツ
(1973/3/13〜)
〔MF〕<S>
闘犬 アヤックス
ミラン
ユヴェントス
 バルセロナ(L)
インテルナツィオナーレ・ミラノ
トッテナム・ホットスパー
アヤックス
クリスタル・パレス
バーネット
ワールドカップ 98年(4)
チャンピオンズリーグ 94-95年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年
UEFAカップ 91-92年
※スリナム出身である。
緑内障を患ったためゴーグルをつけてプレーしている。
(6/74)

マルク・オーフェルマルス
(1973/3/29〜)
〔MF(WG)〕<A>
ロードランナー
TGV
ゴー・アヘッド・イーグルス
ヴィレムU
アヤックス
アーセナル
バルセロナ
ゴー・アヘッド・イーグルス
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
(17/86)
ミハエル・ライツィハー
(1973/5/3〜)
〔DF(SB)〕<A>
アヤックス
 フォレンダム(L)
 フローニンゲン(L)
ミラン
バルセロナ
ミドルズブラ
PSV
ワールドカップ 98年(4)
チャンピオンズリーグ 94-95年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年 97年
※スリナム出身である。
(1/72)
ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト
(1975/2/5〜)
〔MF/DF(SB)〕<A>
ジオ フェイエノールト
 ヴァールヴァイク(L)
レンジャーズ
アーセナル
バルセロナ
フェイエノールト
ワールドカップ 98年(4) 06年(16) 10年(準)
※母親はインドネシア系である。
(6/106)
ロイ・マカーイ
(1975/3/9〜)
〔FW〕<A>
ファントム フィテッセ
テネリフェ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ

バイエルン・ミュンヘン
フェイエノールト
※06-07年チャンピオンズリーグ対レアル・マドリード戦の開始10.2秒での得点は、大会最速記録である。
プロ生活14シーズンで二桁得点を挙げている2000年代屈指のFWのひとりだが、代表ではあまり出番に恵まれなかった。
(6/43)
クラレンス・セードルフ
(1976/4/1〜)
〔MF〕<S>
アヤックス
サンプドリア
レアル・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ミラン
ボタフォゴ
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
チャンピオンズリーグ 94-95年 97-98年 02-03年 06-07年
トヨタカップ 98年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 03年 07年
※スリナム出身である。
クライフェルトやK-1ファイターのボンヤスキーはアヤックス・アカデミーの同期でる。
異なる3クラブでチャンピオンズリーグの優勝を経験した唯一の選手。オランダ王家から「ナイト」の称号を授かった。
2014年に現役引退し、即ミランの監督となった。
(11/87)
ルート・ファン・ニステルローイ
(1976/7/1〜)
〔FW〕<S>
ルート デン・ボッシュ
ヘーレンフェーン
PSV

マンチェスター・ユナイテッド
レアル・マドリード

ハンブルガー
マラガ
ワールドカップ 06年(16)
※オランダ、イングランド、スペインのリーグで得点王となった。
クライフェルトとは生年月日が同じだが、犬猿の仲とされる。
(35/70)
パトリック・クライフェルト
(1976/7/1〜)
〔FW 〕<S>
アヤックス
ミラン
バルセロナ
ニューカッスル・ユナイテッド
バレンシア
PSV
リール
ワールドカップ 94年(8) 98年(4)
チャンピオンズリーグ 94-95年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年
※父親はスリナム出身である。
ファン・ニーステルローイとは生年月日が同じだが、犬猿の仲とされる。
(40/79)

ボウデヴァイン・ゼンデン
(1976/8/15〜)
〔MF 〕<A>
ボロ PSV
バルセロナ
チェルシー
ミドルズブラ
リヴァプール
オリンピック・マルセイユ
サンダーランド
ワールドカップ 98年(4)
※幼少のころから柔道を習っており、黒帯を持っている。
競泳のファン・デン・ホーフェンバントと幼馴染である。
(7/54)
マルク・ファン・ボメル
(1977/4/22〜)
〔MF〕<A>
フォルトナ・シッタート
PSV
バルセロナ
バイエルン・ミュンヘン
ミラン
PSV
ワールドカップ 06年(16) 10年(準)
※バイエルンでは、ドイツ人以外で初のキャプテンとなった。
(10/79)
ヨリス・マタイセン
(1980/4/5〜)
〔DF〕<A>
ヴィレムU
AZ
ハンブルガー
マラガ
フェイエノールト
ワールドカップ 06年(16) 10年(準)
(3/84)
ディルク・カイト
(1980/7/22〜)
〔FW/MF〕<A>
ユトレヒト
フェイエノールト

リヴァプール
フェネルバフチェ
フェイエノールト
ワールドカップ 06年(16) 10年(準) 14年(3)
※14年W杯では右サイドハーフ(5バックの右サイドバック)として奮迅の活躍を見せた。
(24/104)
ラファエル・ファン・デル・ファールト
(1983/2/11〜)
〔MF〕<A>
ラフィー
小さな天使
アヤックス
ハンブルガー
レアル・マドリード
トッテナム・ホットスパー
ハンブルガー
レアル・ベティス
ミッティラン
エスビャウ
ワールドカップ 06年(16) 10年(準)
※イブラヒモヴィッチとは犬猿の仲とされる。
(25/109)
ロビン・ファン・ペルシ
(1983/8/6〜)
〔FW(WG)〕<S>
Pey
RVP
フェイエノールト
アーセナル

マンチェスター・ユナイテッド
フェネルバフチェ
フェイエノールト
ワールドカップ 06年(16) 10年(準) 14年(3)
UEFAカップ 01-02年
※代表最多得点記録保持者。
卓球が得意。
(50/103)
クラース・ヤン・フンテラール
(1983/8/12〜)
〔FW〕<A>
ハンター PSV
 デ・フラーフスハップ(L)
 アペルドールン(L)
ヘーレンフェーン
アヤックス

レアル・マドリード
ミラン
シャルケ04
アヤックス
シャルケ
ワールドカップ 10年(準) 14年(3)
(42/76)
ヨニー・ハイティンハ
(1983/11/15〜)
〔DF〕<A>
ヨニー アヤックス
アトレティコ・マドリード
エヴァートン
フラム
ヘルタ・ベルリン
アヤックス
ワールドカップ 06年(16) 10年(準)
(7/87)
アリエン・ロッベン
(1984/1/23〜)
〔MF(WG)〕<S>
フローニンゲン
PSV
チェルシー
レアル・マドリード
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 06年(16) 10年(準) 14年(3)
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年

※100mを10秒台で走るともいわれ、14年W杯対スペイン戦で世界最速を記録し話題となった。テニスとチェスが得意。
睾丸癌を克服した。
(37/96)
ウェズレイ・スナイデル
(1984/6/9〜)
〔MF〕<S>
アヤックス
レアル・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ガラタサライ
ニース
アル・ガラファ
ワールドカップ 06年(16) 10年(準) 14年(3)
チャンピオンズリーグ 09年-10年
クラブワールドカップ 10年
※長友と仲がよい。
(31/134)
ナイジェル・デ・ヨング
(1984/11/30〜)
〔MF〕<A>
アヤックス
ハンブルガー
マンチェスター・シティ
ミラン
ロサンゼルス・ギャラクシー
ガラタサライ
マインツ05
アル・アリ・ドーハ
アル・シャハニア
ワールドカップ 10年(準) 14年(3)
※ルーツはスリナムである。
W杯でのシャビ・アロンソへの跳び蹴りなど、ラフプレーが度々問題視される。
(1/81)
バス・ドスト
(1889/5/31〜)
〔FW〕<A>
エメン
ヘラクレス・アルメロ
ヘーレンフェーン
ヴォルフスブルク
スポルティングCP
アイントラハト・フランクフルト
クラブ・ブルッヘ
ユトレヒト
NEC
(1/18)
デイリー・ブリント
(1990/3/9〜)
〔MF〕<S>
アヤックス
 フローニンゲン(L)
マンチェスター・ユナイテッド
アヤックス
バイエルン・ミュンヘン
ジローナ
ワールドカップ 14年(3) 22年(8)
ヨーロッパリーグ 16-17年
※父ダニーもアヤックスや代表で活躍したトップ選手。
(3/108)
フィルジル・ファン・ダイク
(1991/7/8〜)
〔DF〕<S>
フローニンゲン
セルティック
サウサンプトン
リヴァプール
ワールドカップ 22年(8)
チャンピオンズリーグ 18年-19年
クラブワールドカップ 19年
※ルーツはスリナムである。
メンフィス・デパイ
(1994/2/13〜)
〔FW〕<A>
PSV
マンチェスター・ユナイテッド
オリンピック・リヨン
バルセロナ
アトレティコ・マドリード
コリンチャンス・パウリスタ
ワールドカップ 14年(3) 22年(8)
※ルーツはガーナである。
フィンチェント・ヤンセン
(1994/5/15〜)
〔FW〕<A>
アルメレ・シティ
AZ
トッテナム・ホットスパー
 フェネルバフチェ(L)
モンテレイ
ロイヤル・アントワープ
ワールドカップ 22年(8)
※母は元競泳選手である。
ジャスティン・クライフェルト
(1996/12/8〜)
〔FW〕<B>
アヤックス
ローマ
 ライプツィヒ(L)
 ニース(L)
 バレンシア(L)
ボーンマス
※パトリック・クライフェルトの次男。
コーディ・ガクポ
(1999/5/7〜)
〔MF/FW(WG)〕<A>
PSV
リヴァプール
※ルーツはガーナとトーゴである。
ベ ル ギ ー 40人】
  Rode Duivels(Red Devils 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ロベルト・デ・フェーン
(1886/3/27〜1939/12/8)
〔FW〕<A>
クラブ・ブルッヘ (26/23)
ルイス・ヴァン・ヘーゲ
(1889/5/8〜1985/6/24)
〔FW〕<A>
サン・ジロワセ
ミラン
サン・ジロワセ
※10年代にミランで活躍した。
2度オリンピックに出場した。アントワープ大会金メダリスト。
(11/29)
レイモンド・ブライネ
(1907/4/28〜1978/12/24)
〔FW〕<A>
ケルミナル・ベールスホット
スパルタ・プラハ
ケルミナル・ベールスホット
ワールドカップ 38年
(26/54)
ベルナルド・ヴォールホーフ
(1910/5/10〜1974/2/18)
〔FW〕<A>
リールセ ワールドカップ 30年 34年 38年
※ルカクに抜けれるまで、長く代表の最多得点記録保持者だった。
(30/61)

アルトゥール・クールエールス
(1916/2/28〜1998/8/5)
〔FW〕<A>
ケルミナル・ベールスホット
モレンベーク
ワールドカップ  38年
(2/4)

アルベール・ドゥ・クレン
(1917/6/28〜1990/3/13)
〔FW〕<A>
ベルト メヘレン ※ベルギーリーグ最多得点記録保持者。
(9/12)
レイモン・ゲタルス
(1921/10/7〜2004/12/6)
〔GK〕<B>
DCブリュッセル
ラシン・ブリュッセル
※偉大なベルギー人の38位に選出されているベルギーを代表する名将。
代表監督の他、アンデルレヒトやマルセイユの監督として名声を得ており、特にマルセイユでは、フランスのクラブ初のビッグイヤーをもたらした。
(0/0)
ジョゼフ・メルマンス
(1922/2/16〜1996/1/20)
〔FW〕<A>
アンデルレヒト ワールドカップ 54年
(27/56)
ギー・ティス
(1922/12/6〜2003/8/1)
〔FW〕<A>
ケルミナル・ベールスホット
モレンベーク
ケルミナル・ベールスホット
スタンダール・リエージュ
サークル・ブルッヘ
ロケレン
※80年代、「レッドデビルス」と呼ばれた代表を率いた名将。
(0/2)
リク・コペンス
(1930/4/29〜2015/2/5)
〔FW〕<A>
リク ケルミナル・ベールスホット
シャルルロワ=マルシェンヌ
モレンベーク
ベヘレン・スポルト
ワールドカップ 54年
(21/47)
アルマン・ジュリオン
(1937/2/24〜)
〔MF〕<A>
Jef アンデルレヒト
ヘント
ロケレン
(9/64)
ロジェール・クラエセン
(1941/9/27〜1982/10/3)
〔FW〕<A>
スタンダール・リエージュ
アルマニア・アーヘン
ケルミナル・ベールスホット
(7/17)
ポール・ヴァン・ヒムスト
(1943/10/2〜)
〔FW〕<S>
ボレ・ガゾン アンデルレヒト
モーレンベーク
エーントラハト・アールスト
ワールドカップ 70年
インターシティーズフェアーズカップ  69-70年
※ルカクに抜けれるまで、代表最多得点記録保持者だった。
映画「勝利への脱出」に出演している。
(30/81)60】
ジャン=マリー・プファフ
(1953/12/4〜)
〔GK〕<S>
ベフェレン
バイエルン・ミュンヘン
リールセ
トラブゾンスポル
ワールドカップ 82年 86年(4)
※80年代欧州屈指のゴールキーパーのひとり。
(0/84)16]

エリック・ゲレツ
(1954/5/8〜)
〔DF(SB)〕<S>
スタンダール・リエージュ
ミラン
マーストリヒト
PSV
ワールドカップ 82年
※80年代「レッド・デビルス」のメンバー。
(2/86)
ヤン・クーレマンス
(1957/2/28〜)
〔MF〕<S>
カジュ リールセ
クラブ・ブルッヘ
ワールドカップ 86年(4)
※80年代「レッド・デビルス」のメンバー。
(23/96)
ミシェル・プロドーム
(1959/1/24〜)
〔GK〕<A>
鉄の男 スタンダール・リエージュ
メヘレン
ベンフィカ
ワールドカップ 90年(16) 94年(16)
スーパーカップ 88年
カップウィナーズカップ 87年-88年
※90年代欧州屈指のゴールキーパーのひとり。
(0/58)[22]

エルウィン・ヴァンデンベルグ
(1959/1/26〜)
〔FW〕<A>
リールセ
アンデルレヒト

リール
ヘント

モーレンベーク
ワールドカップ 82年 86年(4)
UEFAカップ 82-83年
※80年代「レッド・デビルス」のメンバー。
(20/58)
フランキー・ヴァン・デル・エルスト
(1961/4/30〜)
〔DF〕<A>
モーレンベーク
クラブ・ブルッヘ
ワールドカップ 86年(4) 90年(16) 94年(16)
※80年代「レッド・デビルス」のメンバー。
(1/86)
ジョルジュ・グルン
(1962/1/25〜)
〔DF〕<A>
アンデルレヒト
パルマ
アンデルレヒト
レッジャーナ1919
ワールドカップ 86年(4) 90年(16) 94年(16)
※80年代「レッド・デビルス」のメンバー。
(6/77)
ダニー・ヴェルリンデン
(1963/8/15〜)
〔GK〕<A>
De Muur(壁) リールセ
クラブ・ブルッヘ
ワールドカップ 94年(16) 98年
※1390分間無失点という欧州リーグの記録を持つ。
(0/1)
ロレンツォ・スターレンス
(1964/4/30〜)
〔MF/DF〕<A>
コルトレイク
クラブ・ブルッヘ
アンデルレヒト
大分トリニータ
ワールドカップ 90年(16) 94年(16) 98年
(6/77)
ヨシップ・ウェーバー
(1964/11/16〜2017/11/8)
〔FW〕<A>
スラヴォンスキ・ブロド
ハイドュク・スプリト
ディナモ・ヴィンコヴィツィ
サークル・ブルッヘ
アンデルレヒト
ワールドカップ  94年(16)
(6/8)
クロアチア(1/3)
マルク・デグリース
(1965/9/4〜)
〔FW〕<A>
クラブ・ブルッヘ
アンデルレヒト
シェフィールド・ウェンズディ
PSV
ヘント
ゲルミナル・ベールスホット
ワールドカップ 90年(16) 94年(16)
(23/63)
ヴィンツェンツォ・シーフォ
(1966/2/19〜)
〔MF〕<S>
エンツォ アンデルレヒト
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボルドー
オセール
トリノ
モナコ
アンデルレヒト
シャルルロワ
ワールドカップ 86年(4)
※シチリア出身である。
プラティニから「20世紀最後のゲームメーカー」と評されたことがある。
80年代「レッド・デビルス」のメンバー。
(18/84)

ルク・ニリス
(1967/5/25〜)
〔FW〕<A>
ラッキー・ルク ウィンタースラッグ
アンデルレヒト
PSV
アストン・ヴィラ
ワールドカップ 94年(16) 98年
(10/56)
マルク・ヴィルモッツ
(1969/2/22〜)
〔FW〕<A>
ミスター1000ボルト
ワイルド・ボア
(野生の猪)
シント・トロイデン
メヘレン
スタンダール・リエージュ
シャルケ04
ジロンダン・ボルドー
シャルケ04
ワールドカップ 90年(16) 94年(16) 98年 02年(16)
UEFAカップ 96-97年
(28/70)
エリック・ドフランドル
(1973/8/2〜)
〔DF(SB)〕<A>
RFCリエージュ
ジェルミナル・エケレン
クラブ・ブルッヘ
オリンピック・リヨン
スタンダール・リエージュ
ブリュッセル
デンデル
リールセ
RFCリエージュ
ワールドカップ 02年(16)
ティミー・シモンス
(1976/12/11〜)
〔DF/MF〕<A>
KVSKユナイテッド
クラブ・ブルッヘ
PSV
ニュルンベルク
クラブ・ブルッヘ
ワールドカップ 02年(16)
ダニエル・ファン・ブイテン
(1976/2/7〜)
〔MF〕<A>
シェルルロワ
スタンダール・リエージュ
オリンピック・マルセイユ
 マンチェスター・シティ(L)
ハンブルガー
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 02年(16) 14年(8)
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年
※父はプロレスラーだった。
エミール・ムペンザ
(1978/7/4〜)
〔FW〕<A>
スタンダール・リエージュ
シャルケ04
スタンダール・リエージュ
ハンブルガー
アル・ラーヤン
マンチェスター・シティ
プリマス・アーガイル
シオン
ネフチ・バクー
ワールドカップ 98年 02年(16)
(0/57)
ヴェスレイ・ソンク
(1978/8/9〜)
〔MF〕<A>
モレンベーク
ジェルミナル・エケレン
ケルミナル・ベールスホット
ロイヤル・アントワープ
ヘンク
アヤックス
ボルシア・メンヘングラートバッハ
クラブ・ブルッヘ
リールセ
ワースラント=ベフェレン
アッペルテレ・アイヘム
ワールドカップ 02年(16)
※地方議会議員に出馬し当選したが、ヘンクに移籍することになり辞退したことがある。
(24/55)
トーマス・フェルメーレン
(1985/11/14〜)
〔DF〕<A>
アヤックス
 ヴァールヴァイク(L)
アーセナル
バルセロナ
 ローマ(L)
ヴィッセル神戸
ワールドカップ 14年(8)
ヴァンサン・コンパニ
(1986/4/10〜)
〔DF〕<A>
ヴィンス・ザ・プリンスヴィニー アンデルレヒト
ハンブルガー
マンチェスター・シティ
アンデルレヒト
ワールドカップ 14年(8) 18年(3)
※父はコンゴ民主共和国出身である。
2019年に古巣アンデルレヒトに監督兼任として復帰した。
(4/89)
ヤン・フェルトンゲン
(1987/4/24〜)
〔DF〕<A>
アヤックス
 ヴァールヴァイク(L)
トッテナム・ホットスパー
ベンフィカ
アンデルレヒト
ワールドカップ 14年(8) 18年(3) 22年
※代表最多出場記録保持者。
マルアン・フェライニ
(1987/11/22〜)
〔MF〕<A>
スタンダール・リエージュ
エヴァートン
マンチェスター・ユナイテッド
山東魯能
ワールドカップ 14年(8) 18年(3)
ヨーロッパリーグ 16-17年
※父はモロッコ出身である。
アフロヘアが印象的。
(18/87)
エデン・アザール
(1991/1/7〜)
〔MF〕<S>
リール
チェルシー
レアル・マドリード
ワールドカップ 14年(8) 18年(3) 22年
ヨーロッパリーグ 12-13年 18-19年
※復活したレッドデビルス(代表)のエース。
日本語で息子の名前のタトゥーを入れている。
(33/126)
ケヴィン・デ・ブライネ
(1991/8/28〜)
〔MF〕<S>
ヘンク
チェルシー
 ヘンク(L)
ヴェルダー・ブレーメン
ヴォルフスブルク
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 14年(8) 18年(3) 22年
ティボ・クルトゥワ
(1992/5/11〜)
〔GK〕<S>
ヘンク
チェルシー
 アトレティコ・マドリード(L)
レアル・マドリード
ワールドカップ 14年(8) 18年(3) 22年
ロメル・ルカク
(1993/5/13〜)
〔FW〕<A>
アンデルレヒト
チェルシー
 ウェスト・ブロムウィッチ・アルビアオン(L)
 エヴァートン(L)
マンチェスター・ユナイテッド
インテルナツィオナーレ・ミラノ
チェルシー
 インテルナツィオナーレ・ミラノ(L)
 ローマ(L)
ナポリ
ワールドカップ 14年(8) 18年(3) 22年
チャンピオンズリーグ 11-12年
※ルーツはコンゴ民主共和国である。
代表最多得点記録保持者。
ルクセンブルク 2人】
  De Roude Leiw(The Red Lions) 
名前(誕生年月日〜)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ルイス・ピロット
(1940/11/11〜2016/4/16)
〔MF〕<B>
スタンダール・リエージュ
ロイヤル・アントワープ
(7/49)
ジェフ・シュトラッサー
(1974/8/5〜)
〔DF〕<B>
メス
カイザースラウテウン
ボルシア・メンヘングラートバッハ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
※代表最多出場記録保持者。
(7/96)
デンマーク 38人】
  The Red and Whites)/ Danish Dynamite〔In the 1980s〕
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ソフス・ニールセン
(1888/3/15〜1963/8/6)
〔FW〕<A>
フレム
ホルシュタイン・キール
フレム
※オリンピックロンドン大会、ストックホルム大会銀メダリスト。
ロンドン大会準決勝フランスA戦で10得点をあげた。
(16/20)
ヴィルヘルム・ウォルフスハーゲン
(1889/11/11〜1958/7/5)
〔FW〕<A>
KB ※オリンピックロンドン大会、ストックホルム大会銀メダリスト。
(14/18)
ポウル・ニールセン
(1891/12/25〜1962/8/9)
〔FW〕<A>
Tist ケベンハウン ※代表最多得点記録保持者のひとり。
(52/38)
パウリ・イェルゲンセン
(1905/12/4〜1993/10/30)
〔FW〕<A>
フレム (44/47)
ヨン・ハンセン
(1924/6/24〜1990/1/12)
〔FW〕<A>
フレム
ユヴェントス
ラツィオ
※オリンピックロンドン大会銅メダリスト。
(10/8)
ベント・ハンセン
(1933/9/13〜2001/3/8)
〔DF〕<A>
B1993 ※オリンピックローマ大会銀メダリスト。
(?/58)
オーレ・マドセン
(1934/9/21〜2006/3/26)
〔FW〕<A>
ヘレルプ
スパルタ・ロッテルダム
ヘレルプ
(42/50)
ハラルト・ニールセン
(1941/10/26〜2015/8/11)
〔FW〕<S>
ボローニャ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ナポリ
サンプドリア
※オリンピックローマ大会銀メダリスト。
(15/14)
モアテン・オルセン
(1949/8/14〜)
〔DF〕<S>
B1901
サークル・ブルッヘ
モレンベーク
アンデルレヒト
ケルン
ワールドカップ 86年(16)
UEFAカップ 82-83年
※80年代欧州有数のリベロ。「ダニッシュダイナマイト」と呼ばれた攻撃的な代表チームを後方から支えた。
(4/102)

アラン・シモンセン
(1952/12/15〜)
〔FW/MF〕<S>
小さな巨人 ヴェイレ
ボルシア・メンヘングラートバッハ

バルセロナ
チャールトン・アスレティック
ヴェイレ
ワールドカップ 86年(16)
UEFAカップ 74-75年 78-79年
カップウィナーズカップ  81-82年
※ネッツァー移籍後のボルシアMGの中心選手で、デンマーク人唯一のバロンドール受賞者。
86年W杯ではケガのため本来のプレーはできなかった。
(20/55)
フランク・アルネセン
(1956/9/30〜)
〔MF〕<A>
アヤックス
バレンシア
アンデルレヒト
PSV
ワールドカップ 86年(16)
チャンピオンズカップ 87-88年
※「ダニッシュダイナマイト」のメンバー。
(14/52)
ブレーベン・エルケーア・ラルセン
(1957/9/11〜)
〔FW〕<S>
ビゾンテ(野牛)
ゴールケア
ケルン
ロケレン
エラス・ヴェローナ
ヴェイレ
ワールドカップ 86年(16)
※「ダニッシュダイナマイト」のメンバー。
クラブではヴェローナのスクデッド獲得に貢献した。
(38/69)
ヨン・エリクセン
(1957/11/20〜2002/2/12)
〔FW〕<A>
スベンボル
オーデンセ
ローダ
ミュルーズ
フェイエノールト
セルヴェット
ルツェルン
スベンボル
ワールドカップ 86年(16)
(6/17)
セーレン・レアビー
(1958/2/1〜)
〔MF〕<A>
アヤックス
バイエルン・ミュンヘン
モナコ
PSV
ワールドカップ 86年(16)
チャンピオンズカップ 87-88年
※「ダニッシュダイナマイト」のメンバー。
(10/67)
ミカエル・マニケ
(1959/7/17〜)
〔MF〕<A>
マンネ フビドブレ
ベンフィカ
コペンハーゲン
※ベンフィカでは生ける伝説とされるフォワード。
元ポルトガル代表のマニシェの愛称の由来となっている。
(2/11)
ラルス・オルセン
(1961/2/2〜)
〔DF〕<A> 
ブレンビー
トラブゾンスポル
スラン
バーゼル
ブレンビー
EURO 92年
※「ダニッシュダイナマイト」のメンバー。
(4/84)
イェスパー・オルセン
(1961/4/20〜)
〔MF〕<A> 
ネストベェズ
アヤックス
マンチェスター・ユナイテッド
ネストベェズ
ジロンダン・ボルドー
カーン
ワールドカップ 86年(16)
※「ダニッシュダイナマイト」のメンバー。
(5/43)
ヨン・シヴェベーク
(1961/10/25〜)
〔DF〕<A> 
ヴェイレ
マンチェスター・ユナイテッド
サンテティエンヌ
モナコ
ペスカーラ
ヴェイレ
オーフス
ワールドカップ 86年(16)
EURO 92年
※「ダニッシュダイナマイト」のメンバー。
(1/87)
ヤン・ハインツェ
(1963/8/17〜)
〔MF/DF(SB)〕<A>
PSV
バイエル・ユルティンゲン
バイエル・レバークーゼン
PSV
ワールドカップ 98年(8) 02年(16)
チャンピオンズカップ 87-88年
(4/86)
ピーター・シュマイケル
(1963/11/18〜)
〔GK〕<S>
グレート・デーン
白い巨人
ブレンビー
マンチェスター・ユナイテッド
スポルティングCP
アストン・ヴィラ
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 98年(8)
EURO 92年
チャンピオンズリーグ 98-99年
スーパーカップ 91年
※父はポーランド人である。
90年代世界最高のゴールキーパーともいわれる。
元々ハンドボールのゴールキーパーであるため、プレーでもしばしばその特徴が現れる。
(1/129)7]

ミカエル・ラウドルップ
(1964/6/15〜)
〔FW/MF〕<SS>
ミカ ケベンハウン
ブレンビー
ユヴェントス
 ラツィオ(L)
バルセロナ
レアル・マドリード
ヴィッセル神戸
アヤックス
ワールドカップ 86年(16) 98年(8)
キング・ファハドカップ 95年
トヨタカップ 85年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
※「ダニッシュダイナマイト」と呼ばれた代表のエース。だが、代表入りに難色を示した時期があり、EURO92優勝メンバーではない。
「ドリーム・チーム」の中心選手でもあった。
(37/104)55】

ヨン・イェンセン
(1965/5/3〜)
〔MF〕<A>
ブレンビー
ハンブルガー
ブレンビー
アーセナル
ブレンビー
ヘルフォルゲ
EURO 92年
カップウィナーズカップ 93-94年
(4/69)
フレミング・ポウルセン
(1966/12/3〜)
〔FW〕<A>
オーフス
カスティージャ
ケルン
PSV
ボルシア・ドルトムント
EURO 92年
UEFAカップ 92-93年
(21/62)
ブライアン・ラウドルップ
(1969/2/22〜)
〔FW〕<A>
ブレンビー
バイエル・ユルティンゲン
バイエルン・ミュンヘン
フィオレンティーナ
 ミラン(L)
レンジャーズ
チェルシー
コペンハーゲン
アヤックス
ワールドカップ 98年(8)
EURO 92年
キング・ファハドカップ 95年
チャンピオンズリーグ 93-94年
※ミカエル・ラウドルップの弟。
切れ味鋭い独特のドリブルが持ち味。
悪性リンパ腫を患ったが、克服した。
(21/81)
トーマス・ヘルヴェグ
(1971/6/24〜)
〔DF/MF〕<A>
オーデンセ
ウディネーゼ
ミラン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ノリッジ・シティ
ボルシア・メンヘングラートバッハ
オーデンセ
ワールドカップ 98年(8) 02年(16)
(2/108)
ペーター・メラー
(1972/3/23〜)
〔FW〕<B>
オールボー
コペンハーゲン
 チューリッヒ(L)
ブレンビー
PSV
レアル・オビエド
 ブレンビー(L)
 フラム(L)
コペンハーゲン
ワールドカップ 98年(8)
(5/20)
エッベ・サンド
(1972/7/19〜)
〔FW〕<A>
ブレンビー
シャルケ04
ワールドカップ 98年(8) 02年(16)
(22/66)
マルティン・ヨルゲンセン
(1975/10/6〜)
〔MF〕<A>
オーフス
ウディネーゼ
フィオレンティーナ
オーフス
ワールドカップ 98年(8) 02年(16) 10年
(12/102)
トーマス・グラヴェセン
(1976/3/11〜)
〔MF〕<A>
ヴェイレ
ハンブルガー
エヴァートン
レアル・マドリード
セルティック
 エヴァートン(L)
ワールドカップ 02年(16)
(5/66)
ヨン・ダール・トマソン
(1976/8/29〜)
〔FW〕<A>
ゴールの外科医 キューゲ
ヘーレンフェーン
ニューカッスル・ユナイテッド
フェイエノールト
ミラン
シュトゥットガルト
ビジャレアル
フェイエノールト
ワールドカップ 02年(16) 10年
UEFAカップ 01-02年
スーパーカップ 03年
※代表最多得点記録保持者のひとり。
02年W杯のキャンプ地で聴覚に障害のある地元の少年との交流が一部で話題になり、本まで出版されたが、後に本人へのインタビューで全くの作り話だということが判った。
(52/112)
デニス・ロンメダール
(1977/7/22〜)
〔FW(WG)〕<A>
リンビー
PSV
 ヴァールヴァイク(L)
チャールトン・アスレティック
アヤックス
 NEC(L)
オリンピアコス
ブレンビー
ヴァールヴァイク
ワールドカップ 02年(16) 10年
(21/126)
イェスパー・グレンケア
(1977/8/12〜)
〔MF〕<A>
オールボー
アヤックス
チェルシー
バーミンガム・シティ
アトレティコ・マドリード
シュトゥットガルト
コペンハーゲン
ワールドカップ 02年(16) 10年
(5/80)
ダニエル・アッゲル
(1984/12/12〜)
〔DF〕<A>
ダニー ブレンビー
リヴァプール
ブレンビー
ワールドカップ 10年
※刺青をしているが、自ら彫り師もしている。
(12/75)
モアテン・ラスムセン
(1985/1/31〜)
〔FW〕<B>
ダンカン オーフス
ブレンビー
セルティック
 マインツ05(L)
 オールボー(L)
 スィヴァススポル(L)
ミッティラン
オーフス
ボゴニ・シュスエチン
エノシス・ネオン・パラリムニ
※デンマークリーグ最多得点記録保持者。
(4/13)
カスパー・シュマイケル
(1986/11/5〜)
〔GK〕<A>
マンチェスター・シティ
 ダーリントン(L)
 ベリー(L)
 フォルカーク(L)
 カーディフ・シティ(L)
 コヴェントリー・シティ(L)
ノッツ・カウンティ
リーズ・ユナイテッド
レスター・シティ
ニース
アンデルレヒト
セルティック
ワールドカップ 18年(16) 22年
※ペーター・シュマイケルの息子。
長く伸び悩んでいたが、レスターの守護神として、クラブのリーグ初優勝に貢献した。
ニクラス・ベントナー
(1988/1/16〜)
〔FW〕<A>
アーセナル
 バーミンガム・シティ(L)
 サンダーランド(L)
 ユヴェントス(L)
ヴォルフスブルク
ノッティンガム・フォレスト
ローゼンボリ
コペンハーゲン
ワールドカップ 10年
(30/81)
シモン・ケアー
(1989/3/26〜)
〔DF〕<A>
ミッティラン
パレルモ
ヴォルフスブルク
 ローマ(L)
リール
フェネルバフチェ
セビージャ
アタランタ(L)
ミラン
ワールドカップ 10年 18年 22年
※リヴァプールのファンである。
元代表最多出場記録保持者。
クリスティアン・エリクセン
(1992/2/14〜)
〔MF〕<A>
アヤックス
トッテナム・ホットスパー
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ブレントフォード
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 10年 18年(16) 22年
※10年W杯の最年少出場選手。
代表最多出場記録保持者。
フェロー諸島 2人】
 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
オリ・ヨハンセン
(1972/5/6〜)
〔DF〕<C>
トヴォロイリ
トースハウン
※代表最多出場記録保持者。
(1/83)
ログウィ・ヤコブセン
(1979/5/5〜)
〔MF〕<B>
クラクスヴィーク
トースハウン
フグラフィヨルズル
※EURO2008予選でイタリアから2試合で1点ずつあげた。
スウェーデン 39人】
  Blagult 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ヘルベルト・カールソン
(1896/9/8〜1952/10/21)
〔FW〕<A>
イェーテボリ
ニューヨーク・バイキングス
インディアナ・フローリング
ニューヨーク・ナショナルズ
ニューヨーク・ジャイアンツ
※主にアメリカで活躍した。
オリンピックアントワープ大会得点王。
(19/20)
ルドルフ・コック
(1901/6/29〜1979/10/31)
〔FW(WG)〕<A>
Putte AIK ※オリンピックパリ大会銅メダリスト。
アイスホッケーのナショナルチームにも在籍したことがある。
監督として「Gre-No-Li」を要し、ロンドン大会で金メダルを獲得した。
(12/37)
スヴェン・リデル
(1905/1/14〜1975/4/4)
〔FW〕<A>
エルグリーテ ※100年近く前に活躍した選手だが、イブラヒモヴィッチに抜かれるまで、代表最多得点記録保持者だった。
オリンピックパリ大会銅メダリスト。
(49/43)
スヴェン・ヨナソン
(1909/7/9〜1984/9/17)
〔FW〕<A>
エルフスボリ ワールドカップ 34年(8) 38年(4)
※ベルリンオリンピックでは日本に敗れた(ベルリンの奇跡)。
(20/42)
グンナー・グレン
(1920/10/30〜1991/11/10)
〔MF〕<S>
プロフェッサー ゴルダ
イェーテボリ

ミラン
フィオレンティーナ
ジェノア
オーグリュテ
ワールドカップ 58年(準)
※「Gre-No-Li」のひとり。50年代ミラン黄金期の中心選手。
オリンピックロンドン大会金メダリスト。
(32/57)
グンナー・ノルダール
(1921/10/19〜1995/9/15)
〔FW〕<SS>
ポンピエレ
(消防士)
ヘルネフォルス
デゲルフォルス
ノルシェーピン
ミラン

ローマ
カールスタット
※「Gre-No-Li」のひとり。
50年代のミラン黄金期のエースストライカーで当時欧州屈指のフォワード。セリエA得手王5回は最多で、通算得点数は2位、ミランではトップである。またシーズン35得点はセリエAの最多得点記録となっている。
2人の兄や息子のトマスも元代表選手である。
当時スウェーデンはプロを代表に呼ばなかったため、W杯の出場はない。
オリンピックロンドン大会金メダリストで得点王。
(43/33)46】
ニルス・リードホルム
(1922/10/8〜2007/11/5)
〔MF〕<S>
バローネ スレイプニル
ノルシェーピン
ミラン
ワールドカップ 58年(準)
※「Gre-No-Li」のひとり。50年代のミラン黄金期の中心選手でノルダールのゴールを度々アシストした。引退後はローマの監督として成功を修めた。
オリンピックロンドン大会金メダリスト。
(10/21)
カール=アルフレッド・ヤコブソン
(1926/1/15〜2015/3/4)
〔FW〕<B>
GAIS (3/6)
グンナー・アンデション
(1928/8/14〜1969/10/1)
〔FW〕<A>
イェーテボリ
オリンピック・マルセイユ
モンペリエ
ジロンダン・ボルドー
(0/0)
レナルト・スコグルンド
(1929/12/24〜1975/7/8)
〔MF(WG)〕<A>
ナクカ ハマルビー
ソルナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ

サンプドリア
パレルモ
ワールドカップ 50年 58年(準)
(1/11)
オルヴァル・ベルグマルク
(1930/11/16〜2004/5/10)
〔DF〕<A>
オレブロ
ソルナ
ローマ
ワールドカップ 58年(準)
(0/90)
クルト・ハムリン
(1934/11/19〜)
〔FW〕<S>
Kurre ソルナ
ユヴェントス
パドヴァ
フィオレンティーナ
ミラン
ナポリ
ストックホルム
ワールドカップ 58年(準)
カップウィナーズカップ 60-61年 67-68年
(17/32)
ベルティル・ヨハンソン
(1935/3/22〜2021/5/5)
〔FW〕<A>
イェーテボリ (0/4)
ビョルン・ノルドクヴィスト
(1942/10/6〜)
〔DF〕<A>
シュネッカール PSV
イェーテボリ
スタンダール・リエージュ
モナコ
エルグリーテ
ワールドカップ 70年 74年 78年
※冬季にはアイスホッケーの選手として活躍した。
(0/115)
オヴェ・キンドヴァル
(1943/5/16〜)
〔FW〕<A>
ノルシェーピン
フェイエノールト
ノルシェーピン
イェーテボリ
ワールドカップ 70年 74年
チャンピオンズカップ 69-70年
(16/43)
スヴェン・ゴラン・エリクソン
(1948/2/5〜)
〔DF〕<C>
トルスビー ※イェーテボリ監督時代、セミプロのクラブをUEFAカップ優勝に導いた。
その後、ラツィオでスクデット獲得。2001年には、史上初外国人イングランド代表監督として話題となった。
(0/0)
ロニー・ヘルストレーム
(1949/2/21〜)
〔GK〕<A>
ハンマルビー
カイザースラウテルン
スンドヴァル
ワールドカップ 70年 74年 78年
(0/77)[44]
コニー・トルステンション
(1949/8/28〜)
〔FW〕<A>
オトビダベリ
バイエルン・ミュンヘン
チューリッヒ
ワールドカップ 74年 78年
チャンピオンズカップ 73-74年 74-75年
(7/40)
ヤン・マットソン
(1951/4/17〜)
〔FW〕<B>
オステル
フォルトナ・デュッセルドルフ
バイヤー・ユルティンゲン
オステル
(0/13)
ラルフ・エドストレーム
(1952/10/7〜)
〔FW〕<A>
ノルシェーピン
PSV
イェーテボリ
ミネソタ・キックス
オーグリュテ
ワールドカップ 74年 78年
(15/40)
トルビョルン・ニルソン
(1954/7/9〜)
〔FW〕<A>
イェーテボリ
PSV
イェーテボリ
カイザースラウテルン
イェーテボリ
※スウェーデン人唯一のチャンピオンズカップ(リーグ)得点王である。
(9/28)
トーマス・ラベリ
(1959/8/13〜)
〔GK〕<S>
エスターズ
イェーテボリ
ワールドカップ 94年(3)
※代表最多出場記録を持つ80〜90年代欧州屈指のゴールキーパーのひとり。
(0/143)[19]

グレン・ヒーセン
(1959/10/30〜)
〔DF〕<A>
イェーテボリ
PSV
フィオレンティーナ
リヴァプール
GAIS
ワールドカップ 90年 94年(3)
UEFAカップ 81-82年 86-87年
(7/68)
ヨナス・テルン
(1967/3/20〜)
〔MF〕<A>
マルメ
チューリッヒ
ベンフィカ
ナポリ
ローマ
レンジャーズ
ワールドカップ 90年 94年(3)
(6/75)
ケネト・アンデション
(1967/10/6〜)
〔FW〕<A>
イェーテボリ
ノルシェーピン
メヘレン
リール
カーン
バーリ
ボローニャ
ラツィオ
フェネルバフチェ
ワールドカップ 94年(3)
スーパーカップ 99年
(32/83)
マルティン・ダーリン
(1968/4/16〜)
〔FW〕<A>
マルメ
ボルシア・メンヘングラートバッハ
ローマ
ブラックバーン・ローヴァーズ
ハンブルガー
ワールドカップ 94年(3)
(29/60)
ステファン・シュヴァルツ
(1969/4/18〜)
〔DF〕<A>
マルメ
バイエル・レバークーゼン
ベンフィカ
アーセナル
フィオレンティーナ
バレンシア
サンダーランド
ワールドカップ 90年 94年(3)
(6/69)
トーマス・ブロリン
(1969/11/29〜)
〔FW〕<A>
小さなバイキング ネスビケン
スタンドヴァル
パルマ
リーズ・ユナイテッド
クリスタル・パレス
ワールドカップ 94年(3)
カップウィナーズカップ 92-93年
スーパーカップ 93年
※ゴールを決めた後、拳を突き上げ、クルリと回るパフォーマンスをしていた。
(26/47)
パトリック・アンデション
(1971/8/18〜)
〔DF〕<A> 
マルメ
ブラックバーン・ローヴァーズ
ボルシア・メンヘングラートバッハ
バイエルン・ミュンヘン
バルセロナ
ワールドカップ 94年(3) 02年(16)
※父は元代表ディフェンダーのロイ・アンデション。
(3/96)
ヘンリク・ラーション
(1971/9/20〜)
〔FW〕<A>
ヘンケ ヘルシンボリ
フェイエノールト
セルティック

バルセロナ
ヘルシンボリ
 マンチェスター・ユナイテッド(L)
ワールドカップ 94年(3) 02年(16) 06年(16)
チャンピオンズリーグ 05-06年
※父はカーボベルデ出身である。
(37/106)
マルクス・アルベック
(1973/6/5〜)
〔FW〕<A>
マッカン エルリーテ
リンビー
バーリ
ヘーレンフェーン
アストン・ヴィラ
ハンザ・ロシュトク
コペンハーゲン
ワールドカップ 02年(16) 06年(16)
(29/74)
アンデシュ・スヴェンソン
(1976/7/17〜)
〔MF〕<A>
エルフスボリ
サウサンプトン
エルフスボリ
ワールドカップ 02年(16) 06年(16)
代表最多出場記録保持者。
(21/148)
フレドリック・ユングベリ
(1977/4/16〜)
〔MF〕<A>
フレディ ハルムスタッズ
アーセナル
ウェストハム・ユナイテッド
シアトル・サウンダーズ
シカゴ・ファイヤー
セルティック
清水エスパルス
ムンバイ・シティ
ワールドカップ 02年(16) 06年(16)
※ゲイに人気がある。
2011年、Jリーグに久々の大物選手として来日したが、12年シーズンは「クラブとのビジョンの違い」との理由で契約解除となった。
(15/72)
オロフ・メルベリ
(1977/9/3〜)
〔DF〕<A>
ソルナ
ラシン・サンタンデール
アストンヴィラ
ユヴェントス
オリンピアコス
ワールドカップ 02年(16) 06年(16)
※ユングベリとは犬猿の仲である。
スローインで自ゴールへオウンゴールしたことがある。
(8/117)
ズラタン・イブラヒモヴィッチ
(1981/10/3〜)
〔FW〕<S>
イブラ
イル・ジェニオ
(天才)
マルメ
アヤックス
インテルナツィオナーレ・ミラノ

バルセロナ
ミラン

パリ・サンジェルマン

マンチェスター・ユナイテッド
LAギャラクシー
ミラン
ワールドカップ 02年(16) 06年(16)
スーパーカップ 09年
ヨーロッパリーグ 16-17年
※父はボスニア人、母はクロアチア人である。
テクニック、フィジカル両面に優れた万能型ストライカー。
テコンドー仕込みのアクロバティックなシュートも得意。イングランドとの親善試合で30mオーバーヘッドゴール披露した。
欧州きっての悪童であり、チームメートなどとも度々衝突する。
代表最多得点記録保持者
(62/122)
キム・シェルストレーム
(1982/8/24〜)
〔MF〕<A>
コンゴ・キム ヘッケン
ユールゴーデン
スタッド・レンヌ
オリンピック・リヨン
スパルタク・モスクワ
 アーセナル(L)
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ユールゴーデン
ワールドカップ 06年(16)
マルクス・ベリ
(1986/8/17〜)
〔FW〕<A>
ヨーテボリ
フローニンゲン
ハンブルガー
PSV
パナシナイコス
アル・アイン
クラスノダール
ヨーテボリ
ワールドカップ 18年(16)
(24/90)
エミル・フォルスベリ
(1991/10/23〜)
〔MF〕<A>
スンツヴァル
 Medskogsbrons(L)
マルメ
ライプツィヒ
ニューヨーク・レッドブルズ
アレクサンデル・イサク
(1999/9/21〜)
〔FW〕<A>
ソルナ
ボルシア・ドルトムント
 ヴィレムU(L)
レアル・ソシエダ
ニューカッスル・ユナイテッド
※両親はエリトリア出身である。
フィンランド 6人】
  Huuhkajat 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ヤリ・エーマン
(1891/11/14〜1931/1/20)
〔FW〕<B>
HIFK ※オリンピックストックホルム大会で活躍した。
代表監督でもあった。
(?/?)
ヤリ・リトマネン
(1970/2/20〜)
〔MF〕<S>
リティ レイパス・ラハティ
ヘルシンキ
ミリコスケン・パロ42
アヤックス

バルセロナ
リヴァプール
アヤックス
ラハティ
ハンザ・ロシュトック
マルメ
フラム
ラハティ
ヘルシンキ
チャンピオンズリーグ 94-95年
トヨタカップ 95年
スーパーカップ 95年 01年
※フィンランド史上最高の選手で、90年代スーパーアヤックスの中心選手。しかしバルセロナ移籍後はケガなどで本来の活躍はできなかった。
最も偉大なフィンランド人の42位に選ばれた。
代表最多出場記録保持者。
(32/137)
サミ・ヒーピア
(1973/10/7〜)
〔DF〕<A>
ビッグ・サミー ミリコスケン・パロ42
ヴィレムU
リヴァプール
バイエル・レバークーゼン
チャンピオンズリーグ 04-05年
トヨタカップ 05年
UEFAカップ 00-01年
スーパーカップ 01年 05年
(5/105)
ペトリ・パサネン
(1980/9/24〜)
〔DF〕<B>
ラハティ
 ハメーンリンナ(L)
アヤックス
ポーツマス
ヴェルダー・ブレーメン
レッドブル・ザルツブルク
オーフス
ラハティ
ミカエル・フォルセル
(1981/3/15〜)
〔FW〕<A>
ヘルシンキ
チェルシー
 クリスタル・パレス(L)
 ボルシア・メンヘングラートバッハ(L)
バーミンガム・シティ
ハノーファー96
リーズ・ユナイテッド
ラハティ
ヘルシンキ
ボーフム
ヘルシンキ
HIFK
※ドイツ出身である。
(29/87)
テーム・プッキ
(1990/3/29〜)
〔FW〕<B>
コーテーペー
セビージャ
ヘルシンキ
シャルケ04
セルティック
ブレンビー
ノリッジ・シティ
ミネソタ・ユナイテッド
※リトマネンの代表最多得点記録を更新した。
ノルウェー 19人】
  Drillos 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
グンナー・アンデルセン
(1890/7/17〜1968/4/25)
〔MF〕<A>
リン・オスロ (0/46)
エイナー・グンデルセン
(1896/9/20〜1962/10/29)
〔FW〕<A>
オッド・グレンランド (26/33)
アスビョルン・ハルヴォルセン
(1898/12/3〜1955/1/16)
〔MF〕<A>
Assi サルプスボルグ
ハンブルガー
※ハンブルガーのドイツ選手権優勝に貢献した。
(0/19)
ユルゲン・ユーヴェ
(1906/11/22〜1983/4/12)
〔FW〕<A> 
リン・オスロ ワールドカップ 38年
※今なお、代表最多得点記録保持者である。
オリンピックベルリン大会銅メダリスト。
ノンフィクション作家でもあった。
(33/45)
アルネ・ブルースタッド
(1912/4/14〜1987/8/22)
〔FW〕<A>
リン・オスロ ワールドカップ 38年
※オリンピックベルリン大会銅メダリスト。
(17/33)
トルビョルン・スヴェンセン
(1924/4/22〜2011/1/8)
〔DF〕<A>
サンナフィヨール・フットボール (0/104)
オッド・イヴェルセン
(1945/11/6〜2014/12/29)
〔FW〕<A>
ローゼンボリ
ラシン・メヘレン
ローゼンボリ
ヴォレレンガ・フォトバル
ローゼンボリ

※リーグ得点王4回。
(19/45)
ルネ・ブラツェット
(1961/3/19〜)
〔DF〕<S>
ニーデルフ・トロンハイム
ローゼンボリ
ヴェルダー・ブレーメン
ワールドカップ 94年
カップウィナーズカップ 92-93年
(4/60)

ヒェティル・レクダル
(1968/11/6〜)
〔MF〕<A>
モルデ
ボルシア・メンヘングラートバッハ
リールセ
 モルデ(L)
スタッド・レンヌ
ヘルタ・ベルリン
ヴォレレンガ・フォトバル
ワールドカップ 94年 98年(16)
※W杯でのノルウェー代表最多得点記録保持者。
(17/83)
ヘニング・ベルグ
(1969/9/1〜)
〔DF〕<A>
ヴォレレンガ・フォトバル
リールストロム
ブラックバーン・ローヴァーズ
マンチェスター・ユナイテッド
ブラックバーン・ローヴァーズ
レンジャーズ
ワールドカップ 94年 98年(16)
チャンピオンズリーグ 98-99年
トヨタカップ 99年
(9/100)
スティグ・インゲ・ビョルンビー
(1969/12/11〜)
〔DF〕<A>
ストレーメン
コングスヴィンゲル
ローゼンボリ
リヴァプール
 ローゼンボリ(L)
 ブレンビー(L)
ブラックバーン・ローヴァーズ
ワールドカップ 94年 98年(16)
※父はノルディックスキージャンプの五輪選手である。
(1/75)
オイビンド・レオナルドセン
(1970/8/17〜)
〔MF〕<A>
モルデ
ローゼンボリ
ウィンブルドン
リヴァプール
トッテナム・ホットスパー
アストン・ヴィラ
リン・オスロ
ストレームスゴトセト
ワールドカップ 94年 98年(16)
(19/86)
オーレ・グンナー・スールシャール
(1973/3/26〜)
〔FW/MF〕<A>
童顔の殺し屋 モルデ
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 98年(16)
チャンピオンズリーグ 98-99年
トヨタカップ 99年
※99年チャンピオンズリーグ決勝ロスタイムに劇的な決勝ゴールをあげた。
(23/67)

トーレ・アンドレ・フロー
(1973/6/15〜)
〔FW〕<A>
フロナウド トロムセ
ブラン
チェルシー
レンジャーズ
サンダーランド
シエナ
ヴォレレンガ・フォトバル
リーズ・ユナイテッド
ミルトンキーンズ・ドンズ
ソグナル・フトボール
ワールドカップ 98年(16)
(23/76)
ヨン・カリュー
(1979/9/5〜)
〔FW〕<A>
ヴォレレンガ・フォトバル
ローゼンボリ
バレンシア
ローマ
ベシクタシュ
オリンピック・リヨン
アストンヴィラ
 ストーク・シティ(L)
ウェストハム・ユナイテッド
※父は元ガンビア代表ゴールキーパーである。
(24/91)
ヨン・アルセ・リーセ
(1980/9/24〜)
〔DF〕<A>
ハルク オーレスン
モナコ
リヴァプール
ローマ
フラム
チャンピオンズリーグ 04-05年
スーパーカップ 01年 05年
※試合中興奮するとユニフォームを脱ぐ癖がある。
(16/110)
アレクサンダー・セルロート
(1995/12/5〜)
〔FW〕<A>
ローゼンボリ
 ボデ/グリムト(L)
フローニンゲン
ミッティラン
クリスタルパレス
 ヘント(L)
 トラブゾンスポル(L)
ライプツィヒ
 レアル・ソシエダ(L)
ビジャレアル
アトレティコ・マドリード
マルティン・ウーデゴール
(1998/12/17〜)
〔MF〕<A>
ストレーム・スゴトセト
レアル・マドリード
 ヘーレンフェーン(L)
 フィテッセ(L)
 レアル・ソシエダ(L)
アーセナル
※16歳で代表デビュー。
その後、レアル・マドリードに移籍し、話題となった。
アーリング・ハーランド
(2000/7/21〜)
〔FW〕<S>
ブリン
モルデ
レッドブル・ザルツブルク
ボルシア・ドルトムント
マンチェスター・シティ
※父も元代表選手である。
2020年ドルトムントに移籍すると、ゴールを量産、話題を呼んだ。
2022年にはイングランドプレミアリーグ最速10得点を更新した。
アイスランド 6人】
  Strakarnir okkar 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
アスゲイル・シグルヴィンソン
(1955/5/8〜)
〔MF〕<A>
Sigi ヴェストマナエヤル
スタンダール・リエージュ
バイエルン・ミュンヘン
シュトゥットガルト
(5/45)
アルノール・グジョンセン
(1961/7/30〜)
〔FW〕<A> 
ヴィーキングル・レキャヴィーク
ロケレン
アンデルレヒト
ジロンダン・ボルドー
ヘッケン
エーレブルー
ヴァルル・レイキャヴィーク
ストヤルナン
※アイスランドの英雄的存在。
息子のエイドゥルもアイスランドのトップ選手で、同時期に代表だったことがある。
(14/73)

エイドゥル・グジョンセン
(1978/9/15〜)
〔FW/MF〕<A>
グッディ ヴァルル・レイキャヴィーク
PSV
KRレイキャヴィーク
ボルトン・ワンダラーズ
チェルシー
バルセロナ
モナコ
 トッテナム・ホットスパー(L)
ストーク・シティ
 フラム(L)
AEKアテネ
サークル・ブルッへ
クラブ・ブルッへ
ボルトン・ワンダラーズ
石家荘永昌
モルデ
プネー・シティ
※父はアルノール・グジョンセン。
代表最多得点記録保持者。
(24/78)
アルフレズ・フィンボガソン
(1989/2/1〜)
〔FW〕<A>
Sigi ブレイザブリク
 オーグナブリック・コーパヴォグル(L)
ロケレン
 ヘルシンボリ(L)
ヘーレンフェーン
レアル・ソシエダ
 オリンピアコス(L)
アウグスブルク
リンビー
オイペン
ワールドカップ 18年
※代表のエース。
ギルフィ・シグルズソン
(1989/9/8〜)
〔MF〕<A>
レディング
 シュールズベリー(L)
 クルー(L)
ホッフェンハイム
 スウォンジー・シティ(L)
トッテナム・ホットスパー
スウォンジー・シティ
エヴァートン
リンビー
ヴァルル・レイキャヴィーク
ワールドカップ 18年
(25/78)
コルベイン・シグソールソン
(1990/3/4〜)
〔FW〕<A>
コーパヴォグス
AZ
アヤックス
ナント
 ガラタサライ(L)
ソルナ
ヨーテボリ
(26/64)