ス ペ イ ン 【173人】 |
 |
La Roja/La Furia |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アレシャンドロ・デ・ラ・ソタ
(18??/?/?〜?)
〔FW〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ |
※第1回コパ・デル・レイ決勝で決勝点をあげた選手。
(0/0) |
ペドロ・パラへス
(1883/12/17〜1950/2/15)
〔FW〕<A> |
− |
マドリード |
※マドリードのコパ・デル・レイ初優勝メンバー。
マドリードに「レアル」の称号が与えられた際のマドリード会長。
(0/0) |
アルマンド・ヒラルト
(1885/1/1〜?)
〔FW/MF〕<A> |
− |
フットボール・スカイ
マドリード
エスパニョール・マドリード |
※キューバ出身である。
マドリードの公式戦初ゴールを記録した選手。
ヒラルト3兄弟のひとり。
(0/0) |
フランシスコ・ブル
(1885/4/12〜1962/6/10)
〔DF〕<A>  |
− |
インテルナシオナル
バルセロナ
エスパニョール バルセロナ |
※初代スペイン代表監督で、オリンピックアントワープ大会では、ピチーチ、サモラらを擁し、銀メダルを獲得した。
(0/0) |
マヌエル・プラスト
(188?/?/?〜?)
〔FW〕<A>  |
− |
マドリード |
※コパ・デル・レイ決勝で決勝点をあげ、ビルバオの3連覇を阻止するとともにマドリードの初優勝の立役者となった。以後、マドリードのコパ・デル・レイ4連覇に貢献した。
(0/0) |
ホセ・マリア・ベラウステ
(1889/5/15〜1964/9/4)
〔DF/MF〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ |
※オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
ビルバオ及び代表キャプテン。
(?/?) |
ラファエル・モレノ・アランサディ
(1892/3/1〜1922/3/1)
〔FW〕<S> |
ピチーチ |
アスレティック・クラブ |
※白いヘッドギアがトレードマークのスペインの伝説的フォワード。
リーガ・エスパニョーラの得点王に与えられる「ピチーチ賞」は彼の名に因む。
29歳の時にチフスにかかり死去した。
オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(1/5)
 |
ホセ・マリア・ペーニャ
(1895/4/19〜1988/1/13)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・マドリード |
※マドリード初のプロ契約選手のひとり。
100mハードルのスペインチャンピオンでもあった。
(?/21) |
サンティアゴ・ベルナベウ
(1895/6/8〜1978/6/2)
〔FW〕<S> |
マドリードの神
|
レアル・マドリード |
※レアル・マドリードのホームスタジアムにその名を残すクラブ草創期の伝説的ストライカー。しかしマドリー入団時はゴールキーパー志望だったという。
50年代、クラブの会長としてディ・ステファノ、プスカシュ、コパらを獲得し、黄金期を築いた。
(?/?)
 |
ドミンゴ・アセド
(1898/6/6〜1980/9/14)
〔FW〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ |
※オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
ビルバオの最年少出場記録を持つ。
(1/11)
|
フェリックス・セスマガ
(1898/10/12〜1925/8/24)
〔FW〕<A> |
− |
バルセロナ
ラシン・サマ
アスレティック・クラブ |
※オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(4/8) |
リカルド・サモラ
(1901/1/21〜1978/9/8)
〔GK〕<SS>  |
エル・ディビーノ
(神聖なる男) |
エスパニョール
バルセロナ
エスパニョール
レアル・マドリード
ニース |
ワールドカップ 34年(8)
※リーガ・エスパニョーラの最優秀ゴールキーパーには彼の名を取った「サモラ賞」が与えられる。ちなみに自身もサモラ賞に2度輝いている。
オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(0/46)[5]
 |
ジョゼップ・サミティエール
(1902/2/2〜1972/5/4)
〔FW〕<S> |
ペペ
魔法使い
ロブスターマン |
バルセロナ
レアル・マドリード
ニース |
※アルカンタラと並びバルセロナの伝説的選手。
オリンピックアントワープ大会銀メダリスト。
(2/21)
 |
フェリックス ケサダ
(1902/7/1〜1959/7/9)
〔DF〕<A>  |
− |
レアル・マドリード |
※キンコセスやエラスティとともにレアル・マドリードの強固なディフェンス陣を形成した。
(0/9) |
シリアコ・エラスティ
(1904/8/8〜1984/11/8)
〔DF〕<S> |
− |
デポルティーボ・アラベス
レアル・マドリード
デポルティーボ・アラベス |
ワールドカップ 34年(8)
※キンコセスとはアラベス時代からのディフェンスパートナー。2人を失ったアラベスは2部に降格してしまった。
(0/14) |
ジャシント・キンコセス
(1905/7/17〜1997/5/10)
〔DF〕<S> |
− |
デポルティーボ・アラベス
レアル・マドリード |
ワールドカップ 34年(8)
※エラスティとはアラベス時代からのディフェンスパートナー。2人を失ったアラベスは2部に降格してしまった。
(0/25)
 |
バタ
アグスティン・サウト・アラナ
(1908/5/11〜1986/8/21)
〔FW〕<A> |
バタ |
アスレティック・クラブ  |
(?/?) |
ルイス・レゲイロ
(1908/7/1〜1995/12/6)
〔FW〕<A> |
コルソ
(のろ鹿) |
レアル・ウニオン
レアル・マドリード
アストゥリアス
クラブ・アメリカ |
ワールドカップ 34年(8)
(16/25) |
ガスパール・ルビオ
(1908/12/14〜1983/1/3)
〔FW〕<S> |
キング・ガスパール
魔術師 |
サン・サドゥルニ・デ・ノヤ
レバンテ
レアル・マドリード フベントゥード・アストゥリアナ
クラブ・エスパーニャ
レアル・マドリード
アトレティコ・マドリード
バレンシア
レバンテ レアル・マドリード
グラナダ
レアル・ムルシア
レバンテ
グラナダ
レバンテ
メリリャ |
※レアル・マドリード時代はキングの異名を取った。
代表暦は短いものの、初めてイングランドを破った試合で2得点をあげた。
その後クラブを転々とし、キューバでもプレーしたことがある。
(9/4) |
ギリェルモ・ゴロスティサ
(1909/2/15〜1966/8/23)
〔FW〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
バレンシア |
ワールドカップ 34年(8)
(?/19) |
パコ・ビエンゾバス
(1909/3/26〜1981/4/30)
〔FW〕<A> |
パコ |
レアル・ソシエダ
オサスナ
レアル・ソシエダ |
※リーガ・エスパニョーラ初代得点王。
(2/2) |
マヌエル・オリバレス
(1909/4/2〜1976/2/16)
〔FW〕<A> |
− |
デポルティーボ・アラベス
レアル・マドリード
ドノスティア
レアル・サラゴサ
エルクレス
マラガ
アルヘシラス |
※50得点到達のマドリー最速記録を持つ。
(0/1) |
ヴィクトル・ウナムーノ
(1909/5/25〜1988/5/20)
〔FW〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
レアル・ベティス
アスレティック・クラブ |
(0/0) |
グレゴリオ・ブラスコ
(1909/6/10〜1983/1/31)
〔GK〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
レアル・クラブ・エスパーニャ
リーベル・プレート
アトランテ |
(0/5) |
イシドロ・ランガラ
(1912/5/25〜1992/8/21)
〔FW〕<S> |
− |
レアル・オビエド  
エウスカディ
サン・ロレンソ
ベラクルス 
レアル・クラブ・エスパーニャ  |
ワールドカップ 34年(8)
※スペイン内戦中はメキシコでプレーした。
(17/12) |
エドムンド・スアレス
(1916/1/12〜1978/12/14)
〔FW〕<A> |
ムンド |
アスレティック・クラブ
ログロニェス
エヘルシート・デ・レクペラシオン・デ・レバンテ
バレンシア
アルコヤーノ |
※バレンシアの歴代最多得点記録保持者。
(3/3) |
マリアーノ・マルティン
(1919/10/20〜1998/9/9)
〔FW〕<A> |
− |
バルセロナ
ヒムナスティック・タラゴナ |
※リーガ・エスパニョーラ連続試合得点記録保持者。
(0/3) |
セサル・ロドリゲス・アルバレス
(1920/6/29〜1995/3/1)
〔FW〕<S> |
セサル |
バルセロナ
グラナダ(L)
クルトゥラル・レオネサ
ペルヒニャン
エルチェ |
ワールドカップ 50年(4)
(6/12) |
イグナシオ・エイサギーレ
(1920/11/7〜2013/9/1)
〔GK〕<A> |
− |
バレンシア
レアル・ソシエダ
オサスナ |
ワールドカップ 50年(4)
※父、アグスティンも代表ゴールキーパーだった。
(0/18) |
テルモ・サラ
(1921/1/20〜2006/2/23)
〔FW〕<SS> |
サンティ |
アスレティック・クラブ     
インダウチュ
バラカルド |
ワールドカップ 50年(4)
※メッシやロナウドが登場するまで、リーガ・エスパニョーラ最多得点記録保持者だった。
スペイン史上最高のフォワードとされ、ビルバオの2度目の黄金期に活躍したエースストライカー。
(20/20)
 |
ミゲル・ムニョス
(1922/1/19〜1990/7/16)
〔MF〕<A>    |
− |
ラシン・サンタンデール
セルタ・デ・ビーゴ
レアル・マドリード |
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年
※50年代のレアル・マドリード黄金期を選手、監督として過ごした。
チャンピオンズカップを選手、監督として制した初めての人物。
リーガ・エスパニョーラの最優秀監督賞は「ミゲル・ムニョス賞」という。
(0/7)
 |
アグスティン・ガインサ
(1922/5/28〜1995/1/6)
〔FW〕<A> |
ピル |
アスレティック・クラブ |
ワールドカップ 50年(4)
※ビルバオ一筋で、キャプテンもつとめた。
(10/33) |
サビノ・バリナガ
(1922/8/15〜1988/3/19)
〔FW〕<A> |
− |
サウサンプトン
レアル・マドリード
レアル・バリャドリード(L)
レアル・ソシエダ
レアル・ベティス |
※キャリアのスタートはイングランドである。
サンティアゴ・ベルナベウでの公式戦クラブ初得点をあげた選手。
(0/0) |
パイーニョ
マヌエル・フェルナンデス・フェルナンデス
(1923/1/21〜2012/6/12)
〔FW〕<S> |
− |
セルタ・デ・ビーゴ
レアル・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
グラナダ |
※レアル・マドリードの通算1000得点目を決めた選手。
(3/3) |
アントニ・ラマレッツ
(1924/6/4〜2013/7/30)
〔GK〕<S> |
マラカナの猫 |
マヨルカ
サン・フェルナンド
レアル・バリャドリード(L)
バルセロナ |
ワールドカップ 50年(4)
インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年
※50年代のバルセロナ、代表で活躍した名ゴールキーパー。
(0/35)
 |
ルイス・モロウニィ
(1925/3/12〜2010/2/12)
〔MF〕<A>    |
− |
レアル・マドリード
ラスパルマス |
チャンピオンズカップ 55-56年
※カナリア諸島出身である。
(2/7) |
ラファエル・レスメス
(1926/11/9〜2012/10/8)
〔DF〕<A> |
− |
レアル・バリャドリード
レアル・マドリード |
ワールドカップ 50年(4)
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
※代表歴は少ないものの、50年代のレアル・マドリード黄金期不動のディフェンダー。
(0/2) |
エスタニスラオ・バソラ
(1926/11/18〜2012/3/16)
〔FW〕<S> |
− |
バルセロナ
レリダ(L) |
ワールドカップ 50年(4)
※代表戦で15分間にハットトリックを達成したことがある。
(13/22)
 |
ホアン・セガーラ
(1927/9/3〜2008/9/3)
〔DF〕<S> |
− |
バルセロナ |
インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年 58-60年
※50年代のバルセロナ不動のディフェンダー。キャプテンもつとめた。
(0/25) |
フアン・アロンソ
(1927/12/13〜1994/9/8)
〔GK〕<A> |
− |
グロニェス
ラシン・フェロル
レアル・マドリード
プルス・ウルトラ |
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年 インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期の守護神。
(0/2) |
グストー・ビオスカ
(1928/2/29〜2014/11/1)
〔DF〕<S> |
− |
バルセロナ
コンダル |
インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年 58-60年
※バルサ史上屈指のディフェンダーのひとり。
(0/11) |
エクトル・リアル
(1928/10/14〜1991/2/24)
〔FW〕<A> |
− |
サン・ロレンソ
サンタフェ
クラブ・ナシオナル
レアル・マドリード
エスパニョール
オリンピック・マルセイユ
ウニオン・エスパニョーラ |
チャンピオンズカップ 55-56年 57-58年 58-59年 59-60年 インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期のフォワード。
アルゼンチン出身である。
(1/5) |
ホセ・マリア・サラガ
(1930/8/15〜2012/4/3)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・マドリード |
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期の中盤に君臨、キャプテンもつとめた。
アラベスの監督時代にバルダーノを見出した。
(0/8) |
ヘスス・ガライ
(1930/12/6〜1995/2/10)
〔DF/MF〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
バルセロナ
マラガ |
ワールドカップ 62年
(1/29) |
マルキートス
マルコス・アロンソ・イマス
(1933/4/16〜2012/3/6)
〔DF〕<A> |
マルキートス |
ラシン・サンタンデール
レアル・マドリード
エルクレス
レアル・ムルシア |
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期不動のディフェンダー。
(0/2) |
フランシスコ・ヘント
(1933/10/21〜2022/1/18)
〔FW(WG)〕<S> |
カンタブリアの疾風 |
ラシン・サンタンデール
レアル・マドリード |
ワールドカップ 62年 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年 65-66年
インターコンチネンタルカップ 60年
※俊足かつ技術にも卓越した左ウィンガー。
チャンピオンズカップ決勝戦出場8回、優勝6回は史上最多である。
(5/43)【30】
 |
エンリケ・マテオス
(1934/3/15〜2001/7/6)
〔FW〕<A> |
− |
レアル・マドリード
セビージャ
レクレアティーボ・ウェルバ
ヒムナスティカ・トレラベーガ
クリーブランド・ストーカーズ
イーストロンドン・セルティック
トルーカ・サンタンデール |
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年 インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期に活躍した。
(3/8) |
ルイス・デル・ソル
(1935/4/6〜2021/6/20)
〔FW〕<A> |
− |
レアル・ベティス
レアル・マドリード
ユヴェントス
ローマ
レアル・ベティス |
ワールドカップ 62年 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期に活躍し、その後ユヴェントスへ移籍、イタリアで成功した数少ないスペイン人選手。
(3/16) |
ルイス・スアレス・ミラモンテス
(1935/5/2〜2023/7/9)
〔MF〕<SS>   |
アルキテクト
(建築家) |
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
バルセロナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
サンプドリア |
ワールドカップ 62年 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
インターシティーズ・フェアーズカップ 55-58年 58-60年
※インテル歴代最高の10番とされる。
1964年、ゲームメーカーとして欧州ネイションズカップとチャンピオンズカップを制したにもかかわらずバロンドールをデニス・ローに持っていかれた。
異名の「アルキテクト」はディ・ステファノが命名した。
(14/32)
 |
フアン・サンティステバン
(1936/12/8〜)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・マドリード
ヴェネツィア
レアル・マドリード
レアル・ベティス
ボルティモア・ボーイズ
|
チャンピオンズカップ 56-57年 57-58年 58-59年 59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代のレアル・マドリード黄金期の中盤で活躍した選手。
(0/7) |
アントニオ・ベタンコルト
(1937/3/13〜2015/3/15)
〔GK〕<A> |
− |
ラス・パルマス
レアル・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
レアル・マドリード ラス・パルマス |
ワールドカップ 66年 チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」の守護神。
(0/2) |
マヌエル・サンチス・マルティネス
(1938/3/26〜2017/10/28)
〔DF〕<A> |
− |
レアル・バリャドリード
レアル・マドリード
コルドバ |
ワールドカップ 66年
チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
息子のオンティジュエロもレアル・マドリードの選手として活躍した。
(1/11) |
ルイス・アラゴネス
(1938/7/28〜2014/2/1)
〔FW〕<S>   |
エル・サビオ
(賢人)
Zapatones
(大きなブーツ) |
レアル・オビエド
レアル・ベティス
アトレティコ・マドリード |
インターコンチネンタルカップ 75年
※70年代のアトレティコ黄金期の中心選手。
74年引退後、そのままクラブの監督に就任し、バイエルンの代わりに出場したインターコンチネンタルカップを獲得した。
代表監督時代、それまで象徴的存在だったラウルを外し、物議を醸した。
メディアからの単独取材に応じないことで有名。
(3/11)
 |
パチン
エンリケ・ペレス・ディアス
(1938/12/28〜2021/2/10)
〔DF/MF〕<A> |
− |
オサスナ
レアル・マドリード |
ワールドカップ 66年
チャンピオンズカップ 59-60年 65-66年
インターコンチネンタルカップ 60年
※中盤から後方の5つのポジションを全てこなすユーティリティープレーヤー。
60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
(0/8) |
イグナシオ・ソコ
(1939/8/31〜2015/9/28)
〔MF/DF〕<A> |
− |
オサスナ
レアル・マドリード |
ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 65-66年
60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
(1/25) |
アマンシオ・アマロ
(1939/10/16〜2023/2/21)
〔FW〕<S> |
エル・ブルーホ
(魔術師) |
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
レアル・マドリード  |
ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」のエースストライカー。
マドリード・カスティージャ監督時代、後のキンタ・デル・ブイトレを率いた。
(11/42)
 |
マルセリーノ・マルティネス
(1940/4/29〜2023/2/21)
〔FW〕<A> |
− |
レアル・サラゴサ |
ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
インターシティーズ・フェアーズカップ 63-64年
※60年代のサラゴサ黄金期のエース。
(4/14) |
ホセ・アンヘル・イリバル
(1943/3/1〜)
〔GK〕<S> |
エル・チョポ
(チビ) |
アスレティック・クラブ |
ワールドカップ 66年
欧州ネイションズカップ 64年
※ホームゲームでの10試合連続完封、1018分無失点という記録を持つ。
(0/49) |
イニャキ・サエス
(1943/4/23〜)
〔DF〕<A>  |
− |
バラカルド
アスレティック・クラブ |
※スペインU-18代表からA代表まで指揮した経験がある。アンダー世代の代表では多くのタイトルを獲得した。
(0/3) |
ラモン・グロッソ
(1943/12/8〜2002/2/13)
〔FW/MF〕<A> |
− |
レアル・マドリード
アトレティコ・マドリード(L) |
チャンピオンズカップ 65-66年
※60年代「イェイェ・マドリード」のメンバー。
(1/14) |
ホセ・エウロヒオ・ガラテ
(1944/9/20〜)
〔FW〕<S> |
− |
アトレティコ・マドリード   |
インターコンチネンタルカップ 75年
(5/18) |
ピッリ
ホセ・マルティネス・サンチェス
(1945/3/11〜)
〔DF/MF/FW〕<S> |
ピッリ |
グラナダ
レアル・マドリード
プエブラ |
ワールドカップ 66年 78年
チャンピオンズカップ 65-66年
(16/41) |
グレゴリオ・ベニト
(1946/10/21〜)
〔DF〕<A> |
ゴヨ |
ラーヨ・バジェカーノ
レアル・マドリード |
※10代の頃は陸上競技の選手だった。
(0/22) |
カルレス・レシャック
(1947/1/13〜)
〔FW〕<A> |
チャーリー |
バルセロナ |
ワールドカップ 78年
インターシティーズ・フェアーズカップ プレーオフ 71年
カップウィナーズカップ 78-79年
※選手、コーチとしてバルセロナを支えたクライフの相棒。
バルサ監督時代にはメッシを見い出した。
元横浜フリューゲルス監督で、当時遠藤保仁の才能を早くから見出していた。
(2/15) |
ミゲル・アンヘル・ゴンサレス
(1947/12/24〜)
〔GK〕<A> |
− |
オウレンセ
レアル・マドリード
カステリョン(L) |
ワールドカップ 78年 82年 UEFAカップ 84-85年
(0/18) |
ハビエル・イルレタ
(1948/4/1〜)
〔FW〕<A> |
− |
アトレティコ・マドリード
アスレティック・クラブ |
インターコンチネンタルカップ 75年
※70年代のアトレティコ黄金期の中心選手。
監督としては、2000年代に「スーペル・デポル」を率いた。
(0/6) |
キニ
エンリケ・カストロ・ゴンサレス
(1949/9/23〜)
〔FW〕<S> |
キニ |
スポルティング・デ・ヒホン
バルセロナ    
スポルティング・デ・ヒホン |
ワールドカップ 78年 82年
カップウィナーズカップ 81-82年
※ピチーチ賞獲得5回は2位タイである。
(8/35)
 |
ホアン・マヌエル・アセンシ
(1949/9/23〜)
〔MF〕<A> |
− |
エルチェ
バルセロナ
ブエブラ |
ワールドカップ 78年
インターシティーズ・フェアーズカップ プレーオフ 71年
カップウィナーズカップ 78-79年
(7/41) |
ハビエル・クレメンテ
(1950/3/12〜)
〔FW〕<B>  |
− |
アスレティック・クラブ |
※スペイン代表監督を長くつとめた。その中には、日本で「無敵艦隊」と呼ばれた31戦無敗記録も含まれる。
しかし大一番で不運な判定により敗れたり、一方的に攻めながら勝ちきれない試合も多かった。
(0/0) |
マリアノ・ガルシア・レモン
(1950/9/30〜)
〔GK〕<A> |
− |
レアル・マドリード
タラヴェラ(L)
レアル・オビエド(L)
レアル・マドリード |
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(0/2) |
ビセンテ・デル・ボスケ
(1950/12/23〜)
〔MF/DF〕<A>      |
− |
レアル・マドリード
カステリョン(L)
コルドバ(L)
カステリョン(L) |
※選手時代はレアル・マドリードで活躍、監督としてはチャンピオンズリーグとW杯を制した2人目の人物(最初はM・リッピ)。
さらに2012年にはEUROも制し、W杯とEUROを制した2人目の人物(最初はH・シェーン)、そして史上初3タイトルの優勝監督となった。
(1/18)
 |
ダニ
ダニエル・ルイス・バサン・フスタ
(1951/6/28〜)
〔FW〕<A> |
ダニ |
アスレティック・クラブ
バラカルド |
ワールドカップ 78年
(10/25) |
ミゲリ
ミゲル・ベルナルド・ビアンケティ
(1951/12/19〜)
〔DF〕<A> |
ミゲリ
ターザン |
カディス
バルセロナ |
ワールドカップ 78年
カップウィナーズカップ 78-79年 81-82年
(1/32) |
サンティリャーナ
カルロス・アロンソ・ゴンサレス
(1952/8/23〜)
〔FW〕<A> |
サンティリャーナ |
ラシン・サンタンデール
レアル・マドリード |
ワールドカップ 78年 82年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(15/56) |
ウルッティ
ハビエル・ウルティコエチェア
(1952/11/17〜)
〔GK〕<A> |
ウルッティ |
レアル・ソシエダ
エスパニョール
バルセロナ |
ワールドカップ 78年 82年 86年(8)
カップウィナーズカップ 78-79年 81-82年
※バルサの守護神として活躍したが、代表ではアルコナーダやスピサレッタの控えに回っていた。
(0/5) |
ペリコ・アロンソ
ミゲル・アンヘル・アロンソ
(1953/2/1〜)
〔MF〕<A> |
ペリコ |
レアル・ソシエダ
バルセロナ
サバデル |
ワールドカップ 82年
※ソシエダを2度の優勝に導いたスター選手。
シャビ・アロンソの父。
(1/20) |
ヘスス・マリア・サトゥルステギ
(1954/1/12〜)
〔FW〕<A> |
− |
レアル・ソシエダ |
ワールドカップ 82年
※ソシエダ黄金期の中心選手。
(8/32) |
ルイス・アルコナーダ
(1954/6/26〜)
〔GK〕<A> |
− |
レアル・ソシエダ |
ワールドカップ 78年 82年
※ソシエダ黄金期の守護神。
84年欧州選球権決勝で敗戦につながるミスを犯した。
(0/68) |
ファンデ・ラモス
(1954/9/25〜)
〔MF〕<B>   |
− |
エルチェ
アルコヤーノ
アリカンテ |
※指導者として、セビージャやトッテナムで名声を高めた。
セビージャ監督時代、試合中にライバルのベティスサポーターが投げ込んだペットボトルが直撃し、一時意識不明となったことがある。
(0/0) |
フアニート
フアン・ゴメス・ゴンサレス
(1954/10/10〜)
〔FW〕<S> |
フアニート |
アトレティコ・マドリード
ブルゴス
レアル・マドリード
マラガ |
ワールドカップ 78年 82年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※交通事故により死去した。
(8/34) |
ヘスス・マリア・サモラ
(1955/1/1〜)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・ソシエダ |
ワールドカップ 82年
※ソシエダ黄金期の中心選手。
(3/30) |
ホセ・アントニオ・カマーチョ
(1955/6/8〜)
〔DF(SB)〕<A>  |
− |
レアル・マドリード |
ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(0/81) |
ホアキン・カパロス
(1955/10/13〜)
〔?〕<B> |
− |
プルス・ウルトラ
レガネス
コンケンセ
タランコン |
※レアル・マドリード出身だが、トップチームには上がれなかった。
監督としてはセビージャの指導者時代に頭角を現した。若手育成にも定評がある。
(0/0) |
ラモン・アレサンコ
(1956/5/19〜)
〔DF〕<S> |
− |
デポルティーボ・アラベス
アスレティック・クラブ
バルセロナ |
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※バルセロナの最多出場記録保持者だった。
(4/34) |
アンドニ・ゴイコエチェア・ラスコアガ
(1956/5/23〜)
〔DF〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
アトレティコ・マドリード |
ワールドカップ 86年(8)
(4/39) |
ラファエル・ゴルディージョ
(1957/2/24〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
レアル・ベティス
レアル・マドリード
レアル・ベティス
エシハ |
ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 85-86年
※左サイドのスペシャリスト。
ソックスを下ろしてプレーしていた。
(3/75) |
ビクトル・ムニョス
(1957/3/15〜)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・サラゴサ
バルセロナ
サンプドリア
レアル・サラゴサ
セントミレン |
ワールドカップ 86年(8)
カップウィナーズカップ 81-82年 89-90年
(3/60) |
アントニオ・マセーダ
(1957/5/16〜)
〔DF〕<A> |
− |
スポルティング・デ・ヒホン
レアル・マドリード |
ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 85-86年
(8/36) |
フランシスコ・ブーヨ
(1958/1/13〜)
〔GK〕<A> |
− |
マヨルカ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
ウエスカ
レアル・マドリード
セビージャ |
※カシージャスに抜かれるまで、レアル・マドリードのゴールキーパー最多出場記録を持っていた。
(0/7) |
リカルド・ガジェゴ
(1959/2/8〜)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・マドリード
ウディネーゼ
ラーヨ・バジェカーノ |
ワールドカップ 82年 86年(8)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
(2/42) |
ラファエル・ベニテス
(1960/4/16〜)
〔DF〕<C>    |
− |
カスティージャ
パルラ
リナレス |
※レアル・マドリードの下部組織出身だが、選手としては大成しなかった。
指導者としては、スペイン、イングランド、イタリアのクラブで大きな実績を残している。
(0/0) |
ビクトル・フェルナンデス
(1960/12/28〜)
〔MF〕<C>  |
− |
サリネーナ |
※セルタやサラゴサの監督時代に高い評価を得た。
日本代表監督候補にもあがったことがある。
(0/0) |
チェンド
ミゲル・ポルラン・ノゲーラ
(1961/10/12〜)
〔DF(SB)〕<A> |
チェンド |
レアル・マドリード |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
チャンピオンズカップ 97-98年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※「キンタ・デル・ブイトレ」のひとり。
(0/26) |
アンドニ・スピサレッタ
(1961/10/23〜)
〔GK〕<S> |
− |
アスレティック・クラブ
バルセロナ
バレンシア |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(8) 98年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※ドリームチーム、代表で長く活躍したゴールキーパー。
(0/126)[34]
 |
フリオ・サリナス
(1962/9/11〜)
〔FW〕<S> |
フリオ |
アスレティック・クラブ
アトレティコ・マドリード
バルセロナ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
スポルティング・デ・ヒホン
横浜マリノス
デポルティーボ・アラベス |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(22/56)
 |
ドナト
(1962/12/30〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
アメリカ
ヴァスコ・ダ・ガマ
アトレティコ・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ |
※ブラジル出身である。94年にスペイン国籍を取得、W杯出場はないが、EUROでは10番をつけた。
「スーペル・デポル」のメンバー。
2002年、リーガの最年長得点記録を43年ぶりに更新した。
(3/12) |
ホセ・マリア・バケーロ
(1963/2/11〜)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・ソシエダ
バルセロナ
ベラクルス |
ワールドカップ 90年(16) 94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(7/29) |
ミチェル
ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ
(1963/3/23〜)
〔FW(WG)〕<S> |
ミチェル
グアポ(美男子) |
レアル・マドリード
アトレティコ・セラヤ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※「キンタ・デル・ブイトレ」のひとり。
(21/66) |
エミリオ・ブトラゲーニョ
(1963/7/22〜)
〔FW〕<S> |
エル・ブイトレ
(禿鷲) |
レアル・マドリード
アトレティコ・セラヤ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※「キンタ・デル・ブイトレ」の中心選手。
(26/69)
 |
エルネスト・バルベルデ
(1964/2/9〜)
〔FW〕<A> |
− |
アラベス
セスタオ
エスパニョール
バルセロナ
アスレティック・クラブ
マヨルカ |
※日本代表監督候補にリストアップされたことがある。
2017年からバルセロナの監督をつとめる。
(0/1) |
エウセビオ・サクリスタン
(1964/4/13〜)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・バリャドリード
アトレティコ・マドリード
バルセロナ
セルタ・デ・ビーゴ
レアル・バリャドリード |
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
バリャドリード時代の城彰二のチームメイトでもある。
(0/15) |
アイトール・べギリスタイン
(1964/8/12〜)
〔MF〕<A> |
チキ |
レアル・ソシエダ
バルセロナ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
浦和レッドダイヤモンズ |
ワールドカップ 94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
カップウィナーズカップ 88-89年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(6/22) |
キケ・フローレス
(1965/2/2〜)
〔DF〕<A>  |
− |
バレンシア
レアル・マドリード
レアル・サラゴサ |
ワールドカップ 90年(16)
※監督としては、特にバレンシア時代名声を高めた。
(0/15) |
マヌエル・サンチス・オンティジュエロ
(1965/5/23〜)
〔DF〕<S> |
マノーロ |
レアル・マドリード |
ワールドカップ 90年(16) 94年 (8) 98年
チャンピオンズカップ 97-98年 99-00年
トヨタカップ 98年
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※父もレアル・マドリードで活躍した名ディフェンダー。
(1/48) |
マルティン・バスケス
(1965/9/25〜)
〔MF〕<A> |
− |
レアル・マドリード
トリノ
オリンピック・マルセイユ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
アトレティコ・セラヤ
カールスルーエ |
ワールドカップ 90年 (16)
※「キンタ・デル・ブイトレ」のひとり。
(1/38) |
ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア
(1965/10/21〜)
〔DF〕<A> |
− |
オサスナ
バルセロナ
レアル・ソシエダ(L)
アスレティック・クラブ
横浜マリノス
オサスナ |
ワールドカップ 94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(4/36) |
ミゲル・アンヘル・ナダル
(1966/7/28〜)
〔MF〕<S> |
− |
マヨルカ
バルセロナ
マヨルカ |
ワールドカップ 94年(8) 98年 02年(8)
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
※「ドリームチーム」のメンバーのひとり。
テニスプレーヤーのラファエル・ナダルは甥。
(3/63) |
ホセ・ルイス・カミネロ
(1967/11/8〜)
〔MF/DF〕<A> |
− |
レアル・バリャドリード
アトレティコ・マドリード
レアル・バリャドリード |
ワールドカップ 94年 (8)
(8/21) |
ギジェルモ・アモール
(1967/12/4〜)
〔MF〕<A> |
− |
バルセロナ
フィオレンティーナ
ビジャレアル |
ワールドカップ 98年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(4/37) |
フェルナンド・イエロ
(1968/3/23〜)
〔DF/MF〕<S>  |
機関車 |
レアル・バリャドリード
レアル・マドリード
アル・ラーヤン
ボルトン・ワンダラーズ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(8) 98年 02年(8)
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※守備的なポジションながら、ラウルに破られるまで代表最多得点者だった。
解任されたロペテギの後任として急遽代表監督となった。
(29/89)
 |
フアン・アントニオ・ピッツィ
(1968/6/7〜)
〔FW〕<A> |
− |
ロサリオ・セントラル
デポルティーボ・トルーカ
テネリフェ
バレンシア
テネリフェ
バルセロナ
リーベル・プレート
ロサリオ・セントラル
ポルト
ロサリオ・セントラル
ビジャレアル |
ワールドカップ 98年
スーパーカップ 97年
※アルゼンチン出身である。
引退後ポロの選手だったことがある。
(8/22) |
ラファエル・アルコルタ
(1968/9/16〜)
〔DF〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
レアル・マドリード
アスレティック・クラブ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(8) 98年
(0/54) |
サンティアゴ・カニサレス
(1969/12/18〜)
〔GK〕<S> |
サンティ |
レアル・マドリード
エルチェ(L)
メリダ(L)
セルタ・デ・ビーゴ(L)
バレンシア |
ワールドカップ 94年 (8) 98年 06年(16)
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 04年
※02年W杯では正ゴールキーパーとして臨むはずだったが、大会直前にアフターシェーブローションの瓶を足に落として負傷し、出場を逃した。そこで出番が回ってきた当時21歳のカシージャスが、その後長く正ゴールキーパーをつとめた。
オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(0/45) |
アベラルド
(1970/3/19〜)
〔MF〕<A> |
− |
スポルティング・デ・ヒホン
バルセロナ
デポルティーボ・アラベス |
ワールドカップ 94年(8) 98年
スーパーカップ 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※「ドリームチーム」のメンバー。
オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(3/54) |
ルイス・エンリケ
(1970/5/8〜)
〔FW〕<S> |
ルチョ |
スポルティング・デ・ヒホン
レアル・マドリード
バルセロナ |
ワールドカップ 94年(8) 98年
スーパーカップ 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(12/62) |
アルベルト・フェレール
(1970/6/6〜)
〔DF(SB)〕<A> |
チャピ |
バルセロナ
テネリフェ(L)
バルセロナ
チェルシー |
ワールドカップ 94年(8) 98年
チャンピオンズカップ 91-92年
スーパーカップ 92年 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(0/36) |
ジョゼップ・グアルディオラ
(1971/1/18〜)
〔MF〕<S>    |
ペップ |
バルセロナ
ブレシア
ローマ
アル・アハリ |
ワールドカップ 94年 (8)
チャンピオンズカップ 91-92年
カップウィナーズカップ 96-97年
スーパーカップ 92年 97年
※「ドリームチーム」の心臓「4番」として活躍した。
監督としてもバルセロナを率い、ドリームチーム以上?のチームを作り上げた。最も高年俸の監督のひとり。
2013年、バイエルンへの監督就任が発表され、世界中を驚かせた。
オリンピックバルセロナ大会金メダリスト。
(5/47)
 |
イスマエル・ウルサイス
(1971/10/7〜)
〔FW〕<A> |
− |
レアル・マドリード
アルバセテ(L)
セルタ・デ・ビーゴ(L)
ラーヨ・バジェカノ
サラマンカ
エスパニョール
アスレティック・クラブ
アヤックス |
(8/25) |
ウナイ・エメリ
(1971/11/3〜)
〔MF〕<B> |
− |
レアル・ソシエダ
トレド
ラシン・フェロル
レガネス
ロルカ・デポルティーボ |
※選手としては目立った活躍はできなかった。
33歳で指導者の道へ進み、バレンシア、セビージャなどで大きな実績を上げた。
(0/0) |
セルジ・バルフアン
(1971/12/28〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
バルセロナ
アトレティコ・マドリード |
ワールドカップ 94年(8) 98年
スーパーカップ 97年
カップウィナーズカップ 96-97年
※「ドリームチーム」のメンバー。
(1/56) |
アルフォンソ・ペレス
(1972/9/26〜)
〔FW〕<A> |
− |
レアル・マドリード
レアル・ベティス
バルセロナ
オリンピック・マルセイユ(L)
レアル・ベティス |
ワールドカップ 98年
(11/38) |
フレン・ゲレーロ
(1974/1/7〜)
〔MF〕<A> |
バスクの貴公子 |
アスレティック・クラブ |
ワールドカップ 94年(8) 98年
(13/41) |
ガイスカ・メンディエタ
(1974/3/27〜)
〔MF〕<A> |
メンディ |
カステリョン
バレンシア
ラツィオ
バルセロナ(L)
ミドルズブラ |
ワールドカップ 02年(8)
※高額の移籍金でラツィオに入団したが、セリエAに全くなじめなかった。
(8/40) |
イバン・エルゲラ
(1975/3/28〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
アルバセテ
ローマ
エスパニョール
レアル・マドリード
バレンシア |
ワールドカップ 02年(8)
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年
トヨタカップ 02年
スーパーカップ 02年
(4/55) |
フアン・カルロス・バレロン
(1975/6/17〜)
〔MF〕<A> |
エル・フラコ
(やせっぽち) |
ラス・パルマス
マヨルカ
アトレティコ・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ |
ワールドカップ 02年(8)
※「スーペル・デポル」と呼ばれたチームのゲームメーカー。
卓越した技術を持つ一方で闘争心が足りないとの見方もある。
(5/46) |
ルベン・バラハ
(1975/7/11〜)
〔MF〕<A> |
エル・ピポ |
レアル・バリャドリード
アトレティコ・マドリード
バレンシア |
ワールドカップ 02年(8)
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 05年
※2000年代のスペインを代表するピボーテ。代表初得点は対日本戦である。
(7/43) |
ミチェル・サルガド
(1975/10/22〜)
〔DF(SB)〕<A> |
ミチェル |
セルタ・デ・ビーゴ
サラマンカ
レアル・マドリード
ブラックバーン・ローヴァーズ |
ワールドカップ 06年(8)
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年
トヨタカップ 02年
スーパーカップ 02年
※サンス元レアル・マドリード会長の娘婿である。
(0/53) |
フェルナンド・モリエンテス
(1976/4/5〜)
〔FW〕<A> |
モロ
ナンド |
アルバセテ
レアル・サラゴサ
レアル・マドリード
モナコ
リヴァプール
バレンシア
オリンピック・マルセイユ |
ワールドカップ 98年 02年(8)
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 05年
※ラウルとの相性は抜群だったが、銀河系軍団が形成されるにしたがって、はじき出される格好となった。
(27/47) |
マルコス・セナ
(1976/7/17〜)
〔MF〕<A> |
− |
コリンチャンス・パウリスタ
ジュベントゥージ(L)
サンカエターノ
ビジャレアル
ニューヨーク・コスモス |
ワールドカップ 06年(16)
クラブ世界選手権優勝 99年
EURO 08年
※ブラジル出身で、同じサッカー選手のアスンソンはいとこである。
EURO2008では「クアトロ・フゴーネス」を後方から支えた。
(1/28) |
グティ
ホセ・マリーア・グティエレス・エルナンデス
(1976/10/31〜)
〔MF〕<A> |
グティ
リトル・シュスター
|
レアル・マドリード
ベシクタシュ |
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※ラウルらとともにレアル・マドリードの一時代を築いたミッドフィルダー。
時に「天才」と評されるサッカーセンスの持ち主だが、代表にはあまり縁がなかった。
(3/14) |
ラウール・ゴンサレス
(1977/6/27〜)
〔FW〕<S> |
エル・ニーニョ
(神の子) |
レアル・マドリード   
シャルケ04
アル・サッド
ニューヨーク・コスモス |
ワールドカップ 98年 02年(8) 06年(16)
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※アトレティコの下部組織で育ったが、クラブのユース部門終了によりライバルのレアル・マドリードへ移籍した。
レアル・マドリードの最多出場、最多得点記録保持者であり、クラブの象徴的な選手。
2014年にメッシに破られるまで、チャンピオンズリーグ最多得点記録保持者だった。
リーガ・エスパニョーラでの得点数第4位である。
(44/102)
 |
ダビド・アルベルダ
(1977/9/1〜)
〔MF〕<A> |
− |
バレンシア
ビジャレアル(L) |
ワールドカップ 02年(8) 06年(16)
(0/51) |
ホセバ・エチェベリア
(1977/9/5〜)
〔MF/FW〕<A> |
− |
レアル・ソシエダ
アスレティック・クラブ |
ワールドカップ 98年
(12/53) |
ジョアン・カプデビラ
(1978/2/3〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
エスパニョール
アトレティコ・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
ビジャレアル
ベンフィカ
エスパニョール
ノースイースト・ユナイテッド
リールセ
タラガ
サンタ・コロマ |
ワールドカップ 10年(優)
EURO 08年
※オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(4/60) |
カルレス・プジョル
(1978/4/13〜)
〔DF〕<S> |
スーペルマン
プジョー |
バルセロナ |
ワールドカップ 02年(8) 06年(16) 10年(優)
EURO 08年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 09年 11年
※チベット仏教に興味があるらしい。
オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(3/100)
 |
カルロス・マルチェナ
(1979/7/31〜)
〔DF/MF〕<A> |
− |
セビージャ
ベンフィカ
バレンシア
ビジャレアル
デポルティーボ・ラ・コルーニャ |
ワールドカップ 06年(16) 10年(優)
EURO 08年
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 04年
※ツアーコンダクターの資格を持っている。
オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(2/69) |
シャビ・エルナンデス
(1980/1/26〜)
〔MF〕<SS> |
− |
バルセロナ
アル・サッド |
ワールドカップ 02年(8) 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 09年 11年
※長くバルセロナの中盤に君臨し、グアルディオラ、コクー、デコ、イニエスタという錚々たる選手たちとコンビを組んできた。
バルセロナの最多出場記録保持者。
オリンピックシドニー大会銀メダリスト。
(13/133)
 |
アリツ・アドゥリス
(1981/2/11〜)
〔FW〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
ブルゴス
レアル・バリャドリード
アスレティック・クラブ
マヨルカ
バレンシア
アスレティック・クラブ  |
(2/13) |
イケル・カシージャス
(1981/5/20〜)
〔GK〕<SS> |
Sイケル |
レアル・マドリード
ポルト |
ワールドカップ 02年(8) 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 99-00年 01-02年 13-14年
トヨタカップ 98年 02年 14年
スーパーカップ 02年 14年
※憧れの選手はシュマイケルで、エトーとはとても仲がよい。
16歳でチャンピオンズリーグのメンバーに召集された(リーガデビューは翌年)。以来レアル・マドリード、代表のゴールマウスを守る。
代表最多出場記録保持者。他にも、代表最多勝利、代表無失点記録、代表試合完封数記録などを持つ。
(0/167)
 |
ビセンテ・ロドリゲス
(1981/7/16〜)
〔MF(WG)〕<A> |
− |
レバンテ
バレンシア
ブライドン&ホーヴ・アルビオン |
UEFAカップ 03-04年
スーパーカップ 04年
(3/38) |
ホアキン・サンチェス
(1981/7/21〜)
〔MF(WG)〕<A> |
− |
レアル・ベティス
バレンシア
マラガ
フィオレンティーナ レアル・ベティス |
ワールドカップ 02年(8) 06年(16)
※フィールドプレーヤーでリーガの最多出場記録を持つ。
(4/51) |
シャビ・アロンソ
(1981/11/26〜)
〔MF〕<S> |
バスクの星
マエストロ
エル・プルモン |
レアル・ソシエダ
リヴァプール
レアル・マドリード
バイエルン・ミュンヘン |
ワールドカップ 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 04-05年 13-14年
スーパーカップ 05年 14年
※父はソシエダのスター選手だったペリコ・アロンソ。兄もサッカー選手である。
(16/113)
 |
ダビド・ビジャ
(1981/12/3〜)
〔FW〕<S> |
エル・グアヘ |
スポルティング・デ・ヒホン
レアル・サラゴサ
バレンシア
バルセロナ
アトレティコ・マドリード
ニューヨーク・シティ
メルボルン・シティ(L)
ヴィッセル神戸 |
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年
チャンピオンズリーグ 10-11年
クラブワールドカップ 11年
スーパーカップ 11年
※代表最多得点記録保持者。
2019年、ヴィッセル神戸に移籍。
(59/97)
 |
ビクトール・バルデス
(1982/1/14〜)
〔GK〕<A> |
バルデサレッタ |
バルセロナ
マンチェスター・ユナイテッド
スタンダール・リエージュ(L)
ミドルズブラ |
ワールドカップ 10年(優)
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 11年
※代表ではカシージャスがいるため、常に第2キーパーに甘んじてた。
(0/20) |
ホセ・マヌエル・レイナ
(1982/8/31〜)
〔GK〕<A> |
ペペ |
バルセロナ
ビジャレアル
リヴァプール
ナポリ(L)
リヴァプール
バイエルン・ミュンヘン
ナポリ
ミラン
アストン・ヴィラ(L)
ラツィオ
ビジャレアル
コモ |
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
※父もゴールキーパーでアトレティコの守護神だった。
(0/36) |
アルバロ・アルベロア
(1983/1/17〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
レアル・マドリード
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
リヴァプール
レアル・マドリード
ウェストハム・ユナイテッド |
ワールドカップ 10年(優)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年
クラブワールドカップ 14年
スーパーカップ 14年
(0/56) |
フェルナンド・トーレス
(1984/3/20〜)
〔FW〕<S> |
エル・ニーニョ
(神の子) |
アトレティコ・マドリード
リヴァプール
チェルシー
ミラン
アトレティコ・マドリード
サガン鳥栖 |
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年 17-18年
※キャプテン翼のファンだという。幼少のころは若林に憧れてゴールキーパーをしていたことがある。同じフォワードながら日向はあまり好きになれなかったらしい。
2018年、サガン鳥栖に移籍。
(38/110)
 |
アンドレス・イニエスタ
(1984/5/11〜)
〔MF〕<SS>  |
ドン・アンドレス |
バルセロナ
ヴィッセル神戸
エミレーツ・クラブ |
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 11年 15年
※レアル・マドリードの下部組織に入団する予定だった。
故郷の村でぶどう園、ワイナリーを経営している。
2018年、ヴィッセル神戸に移籍。
(13/126)
 |
サンティ・カソルラ
(1984/12/13〜)
〔MF〕<A> |
サンティ |
ビジャレアル
レクレアティーボ・ウェルバ
マラガ
アーセナル
ビジャレアル
アル・サッド
レアル・オビエド |
ワールドカップ 14年
EURO 08年 12年
※大けがを克服し、古巣へ復帰した。
(15/81) |
アルバロ・ネグレド
(1985/8/20〜)
〔FW〕<A> |
− |
ラーヨ・バジェカーノ
アルメニア
レアル・マドリード
セビージャ
マンチェスター・シティ
バレンシア
ミドルズブラ(L)
ベシクタシュ
アル・ナスル
カディス
バリャドリード |
EURO 12年
(10/21) |
ヘスス・ナバス
(1985/11/21〜)
〔DF〕<S> |
− |
セビージャ
マンチェスター・シティ
セビージャ |
ワールドカップ 10年(優)
EURO 12年
ヨーロッパリーグ 05-06年 06-07年 19-20年 22-23年
(5/56) |
ダビド・シルバ
(1986/1/8〜)
〔MF〕<S> |
エル・クコ
(カッコウ)
Pony Salvaje
(野生のポニー) |
バレンシア
エイバル
セルタ・デ・ビーゴ
マンチェスター・シティ
レアル・ソシエダ |
ワールドカップ 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
※カナリア諸島出身。
母は日系人ともフィリピンがルーツともいわれている。
(35/125) |
セルヒオ・ラモス
(1986/3/30〜)
〔DF(SB)〕<S> |
− |
セビージャ
レアル・マドリード
パリ・サンジェルマン
セビージャ |
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年 16年 17年
※サイドバック、センターバック両方を高いレベルでこなせる稀有な選手。
(23/180) |
ジェラール・ピケ
(1987/2/2〜)
〔DF〕<S> |
ピッケンバウアー |
マンチェスター・ユナイテッド
レアル・サラゴサ
バルセロナ |
ワールドカップ 10年(優) 14年 18年(16)
EURO 08年 12年
チャンピオンズリーグ 07-08年 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 09年 11年 15年
※妻はラテンポップシンガーのシャキーラ。
(5/102) |
セスク・ファブレガス
(1987/5/4〜)
〔MF〕<S> |
セスク |
アーセナル
バルセロナ
チェルシー
モナコ
コモ1907 |
ワールドカップ 06年(16) 10年(優) 14年
EURO 08年 12年
クラブワールドカップ 11年
スーパーカップ 11年
※利き脚は右だが、手は左利きである。
EURO2012では、ビジャ不在、トーレス不調の中、フォワードに入り、0トップとして話題となった。
(15/110) |
ペドロ・ロドリゲス・レデスマ
(1987/7/28〜)
〔FW(WG)〕<A> |
ペドロ
ペドリート |
バルセロナ
チェルシー
ローマ
ラツィオ |
ワールドカップ 10年(優) 14年
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年 11年
スーパーカップ 09年 11年 15年
※カナリア諸島出身である。
(17/65) |
フアン・マタ
(1988/4/28〜)
〔MF〕<A> |
フアニート |
バレンシア
チェルシー
マンチェスター・ユナイテッド
ガラタサライ
ヴィッセル神戸
ウェスタンシドニー・ワンダラーズ |
ワールドカップ 10年(優) 14年
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年 16-17年
※愛読書は村上春樹の小説である。
(10/41) |
セルヒオ・ブスケツ
(1988/7/16〜)
〔MF〕<S> |
バルデサレッタ |
バルセロナ
インテル・マイアミ |
ワールドカップ 10年(優) 14年 18年(16) 22年(16)
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 08-09年 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 11年 15年
(2/143) |
ハビ・マルティネス
(1988/9/2〜)
〔MF/DF〕<A> |
− |
アスレティック・クラブ
バイエルン・ミュンヘン
カタール |
ワールドカップ 10年(優)
EURO 12年
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年
(0/18) |
ジエゴ・コスタ 
(1988/10/7〜)
〔FW〕<A> |
− |
スポルティング・ブラガ
ペナフィエル(L)
アトレティコ・マドリード
スポルティング・ブラガ(L)
セルタ(L)
アルバセテ(L)
バリャドリード
アトレティコ・マドリード
ラーヨ・バジェカーノ(L)
チェルシー
アトレティコ・マドリード
アトレチコ・ミネイロ
ウルヴァーハンンプトン・ワンダラーズ
ボタフォゴ
グレミオ |
ワールドカップ 14年 18年(16)
ヨーロッパリーグ 17-18年
スーパーカップ 12年
※ブラジル代表として親善試合に出場した経験があるが、スペイン代表を選択した。
(10/24)
(0/2)ブラジル(親善試合)
|
ジョルディ・アルバ
(1989/3/21〜)
〔DF(SB)〕<A> |
− |
バレンシア
ジムナスティック・タラゴナ(L)
バルセロナ
インテル・マイアミ |
ワールドカップ 14年 18年(16) 22年(16)
EURO 12年 ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 14-15年
クラブワールドカップ 15年 |
ダヴィド・デ・ヘア
(1990/11/7〜)
〔GK〕<A> |
− |
アトレティコ・マドリード
マンチェスター・ユナイテッド
フィオレンティーナ |
ワールドカップ 18年(16)
ヨーロッパリーグ 16-17年
(0/45) |
チアゴ・アルカンタラ
(1991/4/11〜)
〔MF〕<A> |
− |
バルセロナ
バイエルン・ミュンヘン
リヴァプール |
ワールドカップ 18年(16)
※父は元ブラジル代表のマジーニョ。
(2/46) |
コケ
ホルヘ・レスレクシオン・メロディオ
(1992/1/8〜)
〔MF〕<A> |
コケ |
アトレティコ・マドリード |
ワールドカップ 14年 18年(16) 22年(16)
ヨーロッパリーグ 09-10年 11-12年 17-18年
スーパーカップ 10年 12年 |
ダニエル・カルバハル
(1992/1/11〜)
〔DF(SB)〕<A> |
ダニ |
バイエル・レバークーゼン
レアル・マドリード |
ワールドカップ 18年(16) 22年(16)
ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
21-22年 23−24年
クラブワールドカップ 14年 16年 17年 18年 22年
スーパーカップ 14年 16年 17年 22年
|
イスコ
フランシスコ・ロマン・アラルコン
(1992/4/21〜)
〔MF/FW〕<S> |
イスコ |
バレンシア
マラガ
レアル・マドリード
セビージャ
レアル・ベティス |
ワールドカップ 14年 18年(16)
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
21-22年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年 16年 17年
※代表ではイニエスタの後継者と目されていた。
(12/38) |
アルバロ・モラタ
(1992/10/23〜)
〔FW〕<A> |
− |
レアル・マドリード
ユヴェントス
レアル・マドリード
チェルシー
アトレティコ・マドリード
ユヴェントス(L)
ミラン |
ワールドカップ 22年(16) ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 13-14年 16-17年
クラブワールドカップ 16年
スーパーカップ 16年 |
イニャキ・ウィリアムス
(1994/6/15〜)
〔FW〕<B> |
− |
アスレティック・クラブ |
※父はガーナ人、母はリベリア人である。
所属選手をバスク人に限定しているビルバオ初の純アフリカ系選手。
ガーナ代表に変更した。 |
ロドリ
ロドリゴ・エルナンデス
(1996/6/22〜)
〔MF/DF〕<A> |
ロドリ |
ビジャレアル
アトレティコ・マドリード
マンチェスター・シティ |
ワールドカップ 22年(16) ネイションズリーグ 22-23年
チャンピオンズリーグ 22-23年
クラブワールドカップ 23年
スーパーカップ 23年
|
フェラン・トーレス
(2000/2/29〜)
〔FW〕<A> |
− |
バレンシア
マンチェスター・シティ
バルセロナ |
ワールドカップ 22年(16)
※2月29日生まれである。
ドイツ相手にハットトリックした初めてのスペイン人。
バレンシア時代に不当な扱いを受けていたことを告発した。 |
ガビ
パブロ・パエス
(2004/8/5〜)
〔MF〕<A> |
ガビ |
バルセロナ |
ワールドカップ 22年(16) ネイションズリーグ 22-23年
※スペイン代表の最年少得点記録を持つ。 |
ラミン・ヤマル
(2007/7/13〜)
〔FW〕<A> |
− |
バルセロナ |
※モロッコ人の父と赤道ギニアの母を持つ。
15歳9か月、クラブ史上最年少でトップチームデビューを飾った。 |
ア ン ド ラ 【1人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
コルド
ヘスス・ルイス・アルバレス
(1970/9/4〜)
〔GK〕<C>  |
− |
サラマンカ
アンドラ
バラゲール |
(0/79) |