イングランド スコットランド ウェールズ アイルランド 北アイルランド ジブラルタル アイルランド R ド イ ツ
東ドイツ ザールラント イタリア サンマリノ 各国のデータ
バロンドールFIFAバロンドールFIFA最優秀選手UEFA欧州最優秀選手UEFA年間(欧州)最優秀選手
UEFAジュビリーアウォーズフットボールリーグ歴代名選手100人
トップリーグ得点王うちゴールデンシュー(ブーツ)ヨーロッパ得点王(ゴールデンブーツ以前)
ワールドカップ得点王チャンピオンズカップ・チャンピオンズリーグ得点王UEFAカップ・ヨーロッパリーグ得点王
カップウィナーズカップ得点王
母国の代表監督経験者ワールドカップ優勝監督EURO優勝監督チャンピオンズカップ・チャンピオンズリーグ優勝監督
UEFAカップ・ヨーロッパリーグ優勝監督UEFAカップウィナーズカップ優勝監督
【数字】国際サッカー歴史統計連盟による20世紀世界最優秀選手順位/[数字]同20世紀世界最優秀GK順位
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イングランド 【207人】
  Three Lions         
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場 代表引退者のみ)
チャールズ・ウィリアム・アルコック
(1842/9/2〜1907/2/26)
〔FW〕<S>
 
ワンダラーズ ※イングランド初代キャプテン。FA事務局長を兼任していた。
サッカーやクリケットの国際試合開催に尽力した。
(1/5)
モートン・ベッツ
(1847/8/30〜1914/4/19)
〔FW〕<S>
ワンダラーズ ※第1回FAカップ決勝で決勝点をあげた。
(0/1)
ジョン・チャールズ・クレッグ
(1850/6/15〜1937/6/26)
〔FW〕<S>
シェフィールド ※世界最古のクラブであるシェフィールドで活躍した。
FA会長も務めた。
(0/1)
カスバート・オッタウェイ
(1850/7/19〜1878/4/2)
〔FW〕<S>
オックスフォード大学
オールド・イートニアンズ
※1872年、スコットランドとの初の公式代表戦に出場した。
(0/2)
アレクサンダー・ボンサー
(1851/10/7〜1907/8/17)
〔FW〕<S>
ワンダラーズ
ロイヤル・エンジニアーズ
(1/2)
ロバート・ヴィダル
(1853/9/3〜1914/11/5)
〔FW〕<S>
ウエストミンスターのドリブル王子 ワンダラーズ (?/?)
ジョン・グドール
(1863/6/19〜1942/5/20)
〔FW〕<S>
プレストン・ノースエンド
ダービー・カウンティ
ニューブライトン・タワー
グロソップ・ノースエンド
ワトフォード
※イングランドフットボールリーグ初代得点王。
(12/14)
ティンズリー・リンドリー
(1865/10/27〜1940/3/31)
〔FW〕<A>
ノッティンガム・フォレスト
ワンダラーズ
プレストン・ノースエンド
※俊足のアタッカー。
サッカーシューズではスピードが出ないといって、革靴を履いてプレーしていた。
(?/?)
ウィリアム・タウンリー
(1866/2/14〜1950/5/30)
〔FW(WG)〕<S>
ブラックバーン・ローヴァーズ
ダーウィン
マンチェスター・シティ
※ブラックバーンのFAカップ獲得に貢献した。
(2/2)
ジャック・サウスワース
(1866/11/11〜1956/10/16)
〔FW〕<S>
ブラックバーン・ローヴァーズ
エヴァートン
(3/3)
ジョン・ディビー
(1866/12/26〜1940/10/11)
〔FW〕<S>
ジャック アストン・ヴィラ ※アストン・ヴィラの5度のリーグ優勝に貢献した。
(1/2)
チャールズ・リチャードソン・スペンスリー
(1867/5/17〜1915/11/10)
〔GK/DF〕<A>
ジェノア ※イタリアサッカー草創期の強豪であったジェノアのキャプテン。
(0/0)
フレッド・ゲーリー
(1868/1/23〜1955/1/8)
〔FW〕<S>
エヴァートン
リヴァプール
※エヴァートンのリーグ初優勝に貢献した。
(3/2)
ビリー・バセット
(1869/1/27〜1937/4/8)
〔FW〕<S>
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン ※ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンのFAカップ獲得に貢献した。
(7/16)
エドガー・チャドウィック
(1869/6/14〜1942/2/14)
〔MF〕<A>
ブラックバーン・ローヴァーズ
エヴァートン
バーンリー
サウサンプトン
リヴァプール
ブラックプール
グロソップ・ノースエンド
※初代オランダ代表監督。
オリンピックロンドン大会、ストックホルム大会で銅メダルを獲得した。
(0/7)
ハーバート・キルピン
(1870/1/24〜1916/10/22)
〔MF/DF〕<A>
インテルナツィオナーレ・トリノ
ミラン
※ミラン草創期に活躍した。
(0/0)
チャーリー・ウィリアムス
(1873/11/19〜1952/?/?)
〔GK〕<A>
アーセナル
マンチェスター・シティ
トッテナム・ホットスパー
※初代デンマーク代表監督。
オリンピックロンドン大会で銀メダルを獲得した。
(0/0)
スティーブ・ブルーマー
(1874/1/20〜1938/4/16)
〔FW〕<SS>
ベイルフェイス ダービー・カウンティ
ミドルズブラ
ダービー・カウンティ
※今なおイングランド史上最高のストライカーとされる選手。
フットボールリーグ歴代2位の得点数を誇り、5度得点王となったが、ディヴィジョン1の優勝経験がない。
ダービー・カウンティの野球クラブにも所属していた。
(28/23)
ウィリアム・フォーク
(1874/4/12〜1916/5/1)
〔GK〕<A>
シェフィールド・ユナイテッド
チェルシー
ブラッドフォード・シティ
(0/1)
サム・レイボールド
(1875/7/11〜1949/?/?)
〔FW〕<S>
サム リヴァプール
サンダーランド
アーセナル
(?/?)
ハーバート・チャップマン
(1878/1/19〜1934/1/6)
〔FW〕<B>
シェフィールド・ユナイテッド
ノッツ・カウンティ
 ノーサンプトン・タウン(L)
トッテナム・ホットスパー
※WMシステムを開発し、30年代のアーセナル黄金期をつくりあげた名将。
(0/0)
アーサー・ジョンソン
(1879/4/12〜?)
〔FW〕<A>
レアル・マドリード ※初めてのクラシコで得点した選手。
レアル・マドリード初代監督。
(0/0)
ビリー・バーンズ
(1879/5/20〜1962/?/?)
〔FW〕<A>
ウェストハム・ユナイテッド
ルートン・タウン
クィーンズパーク・レンジャーズ
※ビルバオ2代目監督。
コパ・デルレイなどのタイトルを獲得した。
(0/0)
ヴィヴィアン・ウッドワード
(1879/6/3〜1954/1/31)
〔FW〕<A>
トッテナム・ホットスパー
チェルシー
※オリンピックロンドン大会、ストックホルム大会にキャプテンとして出場し、金メダルを獲得した。
第一次大戦では西部戦線の前線へ配属されドイツ軍と戦った。
(29/23)
ボブ・クロンプトン
(1879/9/26〜1941/3/16)
〔DF〕<S>
ボブ ブラックバーン・ローヴァーズ ※長く代表のキャプテンをつとめ、ビリー・ライトに抜かれるまでキャプテンとしての出場数最多記録を持っていた。
(0/41)
アルフ・コモン
(1880/5/25〜1946/4/3)
〔FW〕<S>
サンダーランド
シェフィールド・ユナイテッド
サンダーランド
ミドルズブラ
アーセナル
プレストン・ノースエンド
(2/3)
ジミー・ホーガン
(1882/10/16〜1974/1/30)
〔FW〕<B>
バーンリー
ネルソン
フラム
スウィンドン・タウン
ボルトン・ワンダラーズ
※フーゴ・マイスルの右腕として、「ヴンダーチーム」と呼ばれるオーストリア代表のコーチを務めた。
(0/0)
ウィリアム・ガルブット
(1883/1/9〜1964/2/24)
〔FW〕<B>
アーセナル
ブラックバーン・ローヴァーズ
アーセナル
※監督としてジェノアで3回、ビルバオで1回優勝。
(0/0)
ジョー・ショー
(1883/5/7〜1963/9/?)
〔DF〕<A>
ベリー
アクリントン・スタンリー
アーセナル
※チャップマンの死後、アーセナル監督を引き継いた。
(0/0)
フレッド・ペントランド
(1883/7/29〜1962/3/16)
〔FW〕<A>
ブラックプール
ブラックバーン・ローヴァーズ
ブレントフォード
クィーンズパーク・レンジャーズ
ミドルズブラ
ハリファックス・タウン
ストーク・シティ
※ビルバオ監督時代、リーガ2連覇、コパ・デルレイ4連覇を含む5度の優勝を成し遂げた。
(0/5)
サム・ハーディ
(1883/8/26〜1966/10/24)
〔GK〕<S>
リヴァプール
アストン・ヴィラ
ノッティンガム・フォレスト
(0/21)
アルバート・シェパード
(1885/9/10〜1929/11/8)
〔FW〕<S>
ボルトン・ワンダラーズ
ニューカッスル・ユナイテッド
※ニューカッスルの黄金期にボルトンから移籍し、クラブのリーグ制覇や、FAカップ獲得に貢献した。
(?/?)
バート・フリーマン
(1885/10/1〜1955/8/11)
〔FW〕<S>
アストン・ヴィラ
アーセナル
エヴァートン
バーンリー
ウィガン・ボロゥ

(3/5)
クレム・スティーブンソン
(1890/2/6〜1961/10/24)
〔FW〕<A>
アストン・ヴィラ
ハッダースフィールド・タウン
(0/1)
チャールズ・ブッチャン
(1891/9/22〜1960/7/25)
〔FW〕<S>
チャーリー アーセナル
サンダーランド
アーセナル
(4/6)
ハリー・チャンバース
(1896/12/17〜1949/7/29)
〔FW〕<S>
リヴァプール ※リヴァプールのリーグ連覇に貢献した。
(5/8)
ビリー・ウォーカー
(1897/10/29〜1964/11/28)
〔FW〕<S>
アストン・ヴィラ ※アストン・ヴィラの最多得点記録保持者。
(9/18)
ジョー・スペンス
(1898/12/15〜1966/12/31)
〔FW〕<A> 
マンチェスター・ユナイテッド
ブラッドフォード・シティ
シェフィールド
(1/2)
デヴィッド・ジャック
(1899/4/3〜1958/9/10)
〔FW〕<A>
プリマス・アーガイル
ボルトン・ワンダラーズ
アーセナル
(3/9)
ジャック・ランバート
(1902/5/22〜1940/12/7)
〔FW〕<A>
リーズ・ユナイテッド
ドンカスター・ローヴァーズ
アーセナル
フラム
※30年代、アーセナル最初の黄金期のセンターフォワード。
(?/5)
ジョージ・カムシル
(1902/11/27〜1966/3/7)
〔FW〕<S>
ダーハム・シティ
ミドルズブラ
(9/18)
ジョージ・ブラウン
(1903/6/22〜1948/7/10)
〔FW〕<S> 
ハッダーズフィールド・タウン
アストン・ヴィラ
バーンリー
リーズ・ユナイテッド
ダーリントン
※ハッダーズフィールドのリーグ3連覇に貢献した。
(5/9)
ゴードン・ホジソン
(1904/4/16〜1951/7/14)
〔FW〕<S>
トランスヴァール
アストン・ヴィラ
リヴァプール
リーズ・ユナイテッド
※ヨハネスブルク出身のため、南アフリカ代表の経験がある。
(1/3)
(0/1)南アフリカ
ハリー・ヒブス
(1906/5/27〜1984/4/23)
〔GK〕<A>
バーミンガム (0/25)
トム・ワーリング
(1906/10/12〜1980/12/20)
〔FW〕<A>
ポンゴ トレンメア・ローヴァーズ
アストン・ヴィラ
バーンズリー
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
トレンメア・ローヴァーズ
※30-31年シーズンの49得点は、フットボールリーグ歴代2位の記録である。
(4/5)
ディキシー・ディーン
ウィリアム・ラルフ・ディーン
(1907/1/22〜1980/3/1)
〔FW〕<SS>
ディキシー トレンメア・ローヴァーズ
エヴァートン

ノッツ・カウンティ
スライゴ・ローヴァーズ
ハースト
※イングランドサッカー史上最も多くの得点を決めた選手。
エヴァートンの最多得点記録を持ち、さらに1シーズン60得点はイングランドリーグにおいて最多得点記録である。
アメリカ南部の意味の「ディキシー」という愛称を本人は気に入っていなかった。
(18/16)
ジャック・ボウワース
(1908/2/22〜1970/6/4)
〔FW〕<S>
ダービー・カウンティ
ランカスター・シティ
(2/3)
エディ・ハプグッド
(1908/9/24〜1973/4/20)
〔DF〕<S>
ケタリング・タウン
アーセナル
(0/30)
ウィルフ・コッピング
(1909/8/17〜1980/7/?)
〔MF〕<S>
リーズ・ユナイテッド
アーセナル
リーズ・ユナイテッド
(0/20)
ジョージ・マイル
(1910/5/8〜1998/2/19)
〔DF〕<A>
アーセナル ※30年代、アーセナル最初の黄金期を牽引した。チャップマンの下でプレーした選手で最後の生存者だった。
(0/19)
レスリー・リーブスリー
(1911/7/23〜1949/5/4)
〔DF〕<B>
ドンカスター・ローヴァーズ
マンチェスター・ユナイテッド
チェスター・フィールド
トーキー・ユナイテッド
クリスタル・パレス
※40年代に「グランデ・トリノ」をつくり上げた名将。
選手とともにスペルガの悲劇にて死去。
(0/0)
クリフ・バスティン
(1912/3/14〜1991/12/4)
〔FW〕<S>
エクセター・シティ
アーセナル
※アーセナルの5度のリーグ優勝に貢献した。
(12/21)
テッド・ドレイク
(1912/8/16〜1995/5/30)
〔FW〕<S>
サウサンプトン
アーセナル
※バスティンとともにアーセナルの最初の黄金期を牽引した。
(6/5)
ウォルター・ウィンターボトム
(1913/1/31〜2002/2/16)
〔MF〕<B>
マンチェスター・ユナイテッド ※W杯代表監督として1950年から4回連続で指揮を取った。
(0/0)
リッチ・カーター
(1913/12/21〜1994/10/9)
〔FW〕<A>
サンダーランド
ダービー・カウンティ
ハル・シティ
コーク・アスレティック
(7/13)
フランク・スウィフト
(1913/12/26〜1958/2/6)
〔GK〕<S>
マンチェスター・シティ ※イギリス代表として「世紀の試合(FIFAへの復帰記念)」に出場した。
チャンピオンズカップを戦うマンチェスターU.に記者として同行し、「ミュンヘンの悲劇」で死去した。
(0/33)[26]
ジョー・マーサー
(1914/8/9〜1990/8/9)
〔MF〕<A>
エヴァートン
アーセナル
(0/5)
スタンリー・マシューズ
(1915/2/1〜2000/2/23)
〔FW(WG)〕<SS>
フットボールの神様
ドリブルの魔術師
ストーク・シティ
ブラックプール
ストーク・シティ
ワールドカップ 50年 54年(8)
※17歳でプロデビューし、50歳で現役引退、33年間で1度も警告を受けたことがないというフットボールの神様。
イギリス代表として「世紀の試合(FIFAへの復帰記念)」に出場した。
サッカー選手として初めて「Sir」の称号を授かった(現役中に受章した唯一の人物)。
1953年、FAカップ決勝での大逆転勝利の立役者となった。この試合は「マシューズ・ファイナル」といわれる。
バロンドールの第1回受賞者である(バロンドール自体マシューズを称えるためできたという説もある)。
(11/54)【11】

フレディ・スティール
(1916/5/6〜1976/4/23)
〔FW〕<A>
ストーク・シティ
マンスフィールド・タウン
ポート・ヴェイル
(8/6)
ウィルフ・マニオン
(1918/5/16〜2000/4/14)
〔FW〕<S>
ミドルズブラ
ハル・シティ
ケンブリッジ・ユナイテッド
ワールドカップ 50年
※イギリス代表として「世紀の試合(FIFAへの復帰記念)」に出場した。
(11/26)
ボブ・ペイズリー
(1919/1/23〜1996/2/14)
〔MF〕<A>
リヴァプール ※選手としてリヴァプールで活躍、監督としても70年代のリヴァプール黄金期を指揮した名将。
チャンピオンズカップを3度制している。
(8/6)
ビル・ニコルソン
(1919/1/26〜2006/10/23)
〔MF(WG)〕<A>
ノースフリート・ユナイテッド
トッテナム・ホットスパー
※選手、監督としてトッテナムで活躍、特に60年代にはクラブの黄金期をつくり上げた。
(1/1)
トミー・ ロウトン
(1919/10/6〜1996/11/6)
〔FW〕<S>
バーンリー
エヴァートン

チェルシー
ノッツ・カウンティ
ブレントフォード
アーセナル
※ディーンの後継者として10代にしてエヴァートンのエースストライカーとなったが、第二次大戦によって全盛期を棒に振った。
イギリス代表として「世紀の試合(FIFAへの復帰記念)」に出場した。
(22/23)
アルフ・ラムゼイ
(1920/1/22〜1999/4/28)
〔DF〕<S>
サウサンプトン
トッテナム・ホットスパー
ワールドカップ 50年
※66年W杯の優勝監督。
(3/32)
ジョージ・ハードウィック
(1920/2/2〜2004/4/19)
〔DF〕<A>
ミドルズブラ
オールダム・アスレティック
(0/13)
ジャック・ローリー
(1920/10/7〜1998/7/28)
〔FW〕<A>
ジャック
ガナー
マンチェスター・ユナイテッド
プリマス・アーガイル
(6/6)
ジョー・フェイガン
(1921/3/12〜2001/6/30)
〔DF〕<A>
マンチェスター・シティ
ブラッドフォード・パーク・アヴェニュー
※シャンクリーやペイズリーのアシスタントコーチとしてリヴァプールの黄金期を支えた。
その後ペイズリーからリヴァプールの監督を引き継ぎ、チャンピオンズカップを制した。
(0/0)
スタン・モーテンセン
(1921/5/26〜1991/5/22)
〔FW〕<S>
ブラックプール
ハル・シティ
サウスポート
バース・シティ
ランカスター・シティ
ワールドカップ 50年
(23/25)
ニール・フランクリン
(1922/1/24〜1996/2/9)
〔DF〕<A>
ストーク・シティ
ハル・シティ
クルー・アレクサンドラ
ストックポート・カウンティ
(0/27)
レン・シャクルトン
(1922/3/3〜2000/11/27)
〔FW〕<A>
ブラッドフォード・パーク・アヴェニュー
ニューカッスル・ユナイテッド
サンダーランド
(1/5)
トム・フィニー
(1922/4/5〜2014/2/14)
〔FW〕<S>
プレストンの配管工 プレストン・ノースエンド ワールドカップ 50年 54年(8) 58年
※サッカー以外に配管工を生業としていたため「プレストンの配管工」の異名を持つ。
(30/76)
ビリー・ライト
ウィリアム・アンブローズ・ライト
(1924/2/6〜1994/9/3)
〔DF〕<S>
ビリー ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ  ワールドカップ 50年 54年(8) 58年
※キャプテンとしての代表キャップ数はムーアと並んで最多である。
(3/105)
ジャッキー・ミルバーン
(1924/5/11〜1988/10/9)
〔FW〕<S>
ジャッキー
ジェット
ニューカッスル・ユナイテッド
リンフィールド
ワールドカップ 50年
※チャールトン兄弟は甥にあたる。
(10/13)
ジミー・ディッキンソン
(1925/4/25〜1982/11/8)
〔MF〕<A>
ポーツマス ワールドカップ 50年 54年(8)
(0/48)
ナット・ロフトハウス
(1925/8/27〜2011/1/15)
〔FW〕<S>
ウィーンのライオン ボルトン・ワンダラース ワールドカップ 54年(8)
(30/33)

アーサー・ローリー
(1926/4/21〜2002/12/19)
〔FW〕<A>
ガナー ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
フラム
レスター・シティ
シュルーズベリー・タウン
(0/0)
ドン・レヴィー
(1927/7/10〜1989/5/26)
〔FW〕<A>
ドン レスター・シティ
ハル・シティ
マンチェスター・シティ
サンダーランド
リーズ・ユナイテッド
※選手としてはマンチェスターCで活躍。
監督として、60〜70年代にかけてリーズの黄金時代をつくった。
しかし、代表監督では結果を残せなかった。
(4/6)
ロジャー・バーン
(1929/2/8〜1958/2/6)
〔DF〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド ワールドカップ 54年(8)
※「Busby Babes」のひとりで、「ミュンヘンの悲劇」で死去したユナイテッドのキャプテン。
(0/33)
ビル・フォルケス
(1932/1/5〜2013/11/25)
〔DF〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド チャンピオンズカップ 67-68年
※「Busby Babes」のひとりで、「ミュンヘンの悲劇」の生存者のひとり。
事故後、バーンに代わりキャプテンを引き継いだ。
一時マツダSC(現サンフレッチェ広島)のコーチをしていたことがある。
(0/1)
トミー・テイラー
(1932/1/29〜1958/2/6)
〔FW〕<S>
バーンズリー
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 54年(8)
※「ミュンヘンの悲劇」で早世したユナイテッドの中心選手。
(16/19)
ボビー・ロブソン
(1933/2/18〜2009/7/31)
〔FW〕<A>
フラム
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
フラム
ワールドカップ  58年 62年(8)
※モウリーニョは彼がバルセロナ監督時代の通訳(登録上は助監督)だった。
(4/20)
ボビー・スミス
(1933/2/22〜2010/9/18)
〔FW〕<S>
 
ボビー チェルシー
トッテナム・ホットスパー

ブライトン&ホーヴ・アルビオン
ワールドカップ  58年
※トッテナムのダブル獲得に貢献した。
(13/15)
デニス・ヴァイオレット
(1933/9/20〜1999/3/6)
〔FW〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド
ストーク・シティ
※「ミュンヘンの悲劇」の生存者のひとり。
(1/2)
ジョニー・ヘインズ
(1934/10/17〜2005/10/18)
〔MF〕<S>
フラム
 ウィンブルドン(L)
 トロント・シティ(L)
ダーバン・シティ
ウェルドストーン
ワールドカップ 54年(8) 58年 62年(8)
(18/56)
レイ・ウィルソン
(1934/12/17〜2018/5/15)
〔DF〕<A>
ハダースフィールド・タウン
エヴァートン
オールダム・アスレティック
ブレッドフォード・シティ
ワールドカップ 62年(8) 66年(優)
(0/63)
ブライアン・クラフ
(1935/3/21〜2004/9/20)
〔FW〕<A>
ミドルズブラ
サンダーランド
※ノッティンガム・フォレストを率い、チャンピオンズカップを2度制した名将。
(0/2)
ジャック・チャールトン
(1935/5/8〜2020/7/10)
〔DF〕<S>
リーズ・ユナイテッド ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
インターシティーズフェアーズカップ  67-68年 70-71年
※ボビー・チャールトンの兄。叔父はジャッキー・ミルバーン。
(6/35)
ジミー・アームフィールド
(1935/9/25〜2018/1/22)
〔DF〕<A>
ブラックプール ワールドカップ 62年(8) 66年(優)
(0/43)
ジミー・マレー
(1935/10/11〜2008/10/11)
〔FW〕<A>
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
マンチェスター・シティ
※ウルヴァーハンプトン黄金期のフォワード。
(0/0)
ダンカン・エドワーズ
(1936/10/1〜1958/2/6)
〔MF〕<S>
ブームブーム マンチェスター・ユナイテッド ※「Busby Babes」のひとり。「ミュンヘンの悲劇」にて早世し、サッカー界では夭折の天才とされる。
18歳と138日での代表デビューはオーエンに破られるまで最年少記録だった。
(5/18)
トニー・バートン
(1937/4/8〜1993/8/20)
〔MF〕<B>
フラム
ノッティンガム・フォレスト

ポーツマス
※アストン・ヴィラをチャンピオンズカップ優勝に導いた名将。
(0/0)
ボビー・チャールトン
(1937/10/11〜)
〔FW/MF〕<SS>
ボビー マンチェスター・ユナイテッド
ブレストン・ノースエンド
ウォーターフォード・ユナイテッド
ワールドカップ 62年(8) 66年(優) 70年(8)
チャンピオンズカップ 67-68年
※イングランド史上最高の選手とされる。
ルーニーに破られるまで、代表最多得点記録者だった。また、今もなおマンチェスターU.の最多得点記録保持者である。
「Busby Babes」のひとりで、「ミュンヘンの悲劇」の生存者。事故の10年後にキャプテンとしてユナイテッドをイングランド初の欧州チャンピオンに導いた。
ジャック・チャールトンは兄で、叔父にジャッキー・ミルバーンがいる。
現役時代からすでに頭髪がかなり薄かった。
2012年春の叙勲で、旭日小綬章を受章した。
(49/106)【10】

ゴードン・バンクス
(1937/12/30〜2019/2/12)
〔GK〕<SS>
バンクシー
Banks of Eingland
チェスターフィールド
レスター・シティ
ストーク・シティ
 クリーブランド・ストッカーズ(L)
 ヘレニック(L)
フォートローダーデール・ストライカーズ
セントパトリック・アスレティック
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
※70年W杯ブラジル戦ではペレをも唸らせる歴史に残るスーパーセーブを見せた。
交通事故で右目を失明した。
(0/73)[2]

ロジャー・ハント
(1938/7/20〜2021/9/28)
〔FW〕<S>
リヴァプール
ボルトン・ワンダラーズ
 ヘレニック(L)
ボルトン・ワンダラーズ
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
(18/34)
テリー・ペイン
(1939/3/23〜)
〔FW(WG)〕<A>
サウサンプトン
ヘレフォード・ユナイテッド
ワールドカップ 66年(優)
(7/19)
ジョージ・コーエン
(1939/10/22〜2022/12/23)
〔DF〕<A>
フラム ワールドカップ 66年(優)
※16年間フラム一筋で活躍した。
(0/37)
ジミー・グリーブス
(1940/2/20〜2021/9/19)
〔FW〕<S>
グリーブジー チェルシー
ミラン
トッテナム・ホットスパー

ウェストハム・ユナイテッド
ブレントウッド・タウン
チェルムスフォード・シティ
バーネット
ウッドフォード・タウン
ワールドカップ 62年(8) 66年(優)
カップウィナーズカップ 62-63年
※リーグ得点王6回。イングランド屈指のフォワードだが、優勝した66年W杯では調子が上がらず、ハーストらの控えに甘んじた。
イングランドフットボールリーグ最多得点記録保持者。
(44/57)
ボビー・ムーア
(1941/4/12〜1993/2/24)
〔MF〕<SS>
ザ・キャプテン ウェストハム・ユナイテッド
フラム
サン・アントニオ・サンダー
シアトル・サウンダーズ
ハーニング・フレマド
ワールドカップ 62年(8) 66年(優) 70年(8)
カップウィナーズカップ 64-65年
※イングランド史上最高のディフェンダーとされる。
ウェストハムの6番は永久欠番となっている。
70年W杯で宝石の窃盗犯の容疑をかけられ、それが影響してか自身もチームも精彩を欠いたとされている。
映画「勝利への脱出」にペレらとともに出演した。
(2/108)【24】

ピーター・ボネッティ
(1941/9/27〜2020/4/12)
〔GK〕<A>
チェルシー
セントルイス・スターズ
チェルシー
ダンディー・ユナイテッド
ウォーキング
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
※バンクスの控えだが、W杯メンバーに2度選ばれている。
(0/7)
ジェフ・ハースト
(1941/12/8〜)
〔FW〕<S>
ウェストハム・ユナイテッド
ストーク・シティ
コープ・タウン・シティ
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
コーク・セルティック
シアトル・サウンダーズ
テレフォード・ユナイテッド
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
カップウィナーズカップ 64-65年
※W杯の決勝でハットトリックした唯一の選手(延長戦の疑惑のゴールの当事者)。
(24/49)
イアン・キャラハン
(1942/4/10〜)
〔MF〕<A>
リヴァプール
 フォートローダーテール(L)
スウォンジー・シティ
 キャンベラ・シティ(L)
コーク・ユナイテッド
サンテフィヨルド
クルー・アレクサンドラ
ワールドカップ 66年(優)
※リヴァプールで活躍し、公式戦857試合に出場した。
(0/4)
ノビー・スタイルズ
(1942/5/18〜2020/10/30)
〔MF〕<A>
ノビー マンチェスター・ユナイテッド
ミドルズブラ
ブレストン・ノースエンド
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
チャンピオンズカップ 67-68年
(1/28)
アレックス・ステップニー
(1942/9/18〜)
〔GK〕<A>
ビッグ・アル トゥーティング&ミッチャム・ユナイテッド
ミルウォール
チェルシー
マンチェスター・ユナイテッド
ダラス・トルネード
アルトリンチャム
ワールドカップ 70年(8)
チャンピオンズカップ 67-68年
※ゴールキーパーながら、マンチェスターU.時代に2得点を挙げている。
(0/1)
テリー・ヴェナブルズ
(1943/1/6〜2023/11/26)
〔MF〕<A>
チェルシー
トッテナム・ホットスパー
クィーンズパーク・レンジャーズ
セント・パトリック・アスレティック
※イングランド代表やバルセロナ、トッテナムの監督として実績を上げた。
EURO96では、イングランド史上最高のベスト4へ導いた。
(0/2)
ノーマン・ハンター
(1943/10/9〜2020/4/17)
〔DF〕<A>
リーズ・ユナイテッド
ブリストル・シティ
バーンズリー
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
インターシティーズフェアーズカップ  67-68年 70-71年
※リーズでJ・チャールトンと長くコンビを組んでいた。
第1回のPFA年間最優秀選手。

(2/28)
マーティン・ピータース
(1943/11/8〜2019/12/21)
〔MF〕<A>
ウェストハム・ユナイテッド
トッテナム・ホットスパー
ノリッチ・シティ
シェフィールド・ユナイテッド
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
UEFAカップ 71-72年
(20/67)
フランシス・リー
(1944/4/29〜2023/10/2)
〔FW〕<A>
ボルトン・ワンダラーズ
マンチェスター・シティ
ダービー・カウンティ
ワールドカップ 70年(8)
(10/27)
トミー・スミス
(1945/4/5〜)
〔DF〕<A>
リヴァプール
 タンパベイ・ローディス(L)
ロサンゼルス・アズテックス
スウォンジー・シティ
チャンピオンズカップ 76-77年 77-78年
UEFAカップ 72-73年 75-76年
スーパーカップ 77年
(0/1)
アラン・ボール Jr
(1945/5/12〜2007/4/25)
〔MF〕<A>
アシュトン・ユナイテッド
ブラックプール
エヴァートン
アーセナル
 ヘレニック(L)
サウサンプトン
 フィラデルフィア・フューリー(L)
ブラックプール
サウサンプトン
フロレスト・アテナ
イースタンAA
ブリストル・ローヴァーズ
ワールドカップ 66年(優) 70年(8)
(8/72)
コリン・ベル
(1946/2/26〜)
〔MF〕<A>
ベリー
マンチェスター・シティ
サンノゼ・アースクエイクス
ワールドカップ 70年(8)
(9/48)
ジョン・ラドフォード
(1947/2/22〜)
〔FW〕<A>
アーセナル
ウェストハム・ユナイテッド
ブラックバーン・ローヴァーズ
ビショップズ・ストートフォード
※60〜70年代にかけてのアーセナルの中心選手。
得点数は、アーセナル歴代4位である。
(0/2)
ハリー・レドナップ
(1947/3/2〜)
〔MF〕<B>
ハリー ウェストハム・ユナイテッド
ボーンマス
ブレントフォード
シアトル・サウンダーズ
リーミントン
シアトル・サウンダーズ
フェニックス・ファイア
ボーンマス
※息子のジェイミーは元代表選手。フランク・ランパードは甥である。
(0/0)
エムリン・ヒューズ
(1947/8/28〜2004/11/9)
〔DF〕<S>
ブラックプール
リヴァプール
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
ロザラム・ユナイテッド
ハル・シティ
スウォンジー・シティ
ワールドカップ 70年(8)
チャンピオンズカップ 76-77年 77-78年
UEFAカップ 72-73年 75-76年
スーパーカップ 77年
(1/62)
レイ・クレメンス
(1948/8/5〜)
〔GK〕<S>
スカンソープ・ユナイテッド
リヴァプール
トッテナム・ホットスパー
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 76-77年 77-78年 80-81年
UEFAカップ 72-73年 73-74年 75-76年
スーパーカップ 77年
(0/61)
ミック・シャノン
(1948/11/28〜)
〔FW〕<A>
ミック サウサンプトン
マンチェスター・シティ
サウサンプトン
ニューカッスル・ユナイテッド
ブリストル・ローヴァーズ
ノリッジ・シティ
ポーツマス
※引退後は競馬の調教師に転身し、成功を収めている。
(21/46)
ブライアン・キッド
(1949/5/29〜)
〔FW〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド
アーセナル
マンチェスター・シティ
エヴァートン
ボルトン・ワンダラーズ
 アトランタ・チーフス(L)
フォート・ローダーテール・ストライカーズ
ミネソタ・ストライカーズ
(1/2)
ピーター・シルトン
(1949/9/18〜)
〔GK〕<S>
シルツ レスター・シティ
ストーク・シティ
ノッティンガム・フォレスト
サウサンプトン
ダービー・カウンティ
プリマス・アーガイル
ウィンブルドン
ボルトン・ワンダラーズ
コヴェントリー・シティ
ウェストハム・ユナイテッド
レイトン・オリエント
ワールドカップ 82年 86年(8) 90年(4)
チャンピオンズカップ 78-79年 79-80年
※現役32年間でリーグ1005試合出場の記録を持つ。
86年W杯ではマラドーナに5人抜きと、神の手ゴールを決められた。
(0/125)[8]
マルコム・マクドナルド
(1950/1/7〜)
〔FW〕<A>
フラム
ルートン・タウン
ニューカッスル・ユナイテッド
アーセナル
(6/14)
ケヴィン・キーガン
(1951/2/14〜)
〔FW/MF〕<SS>
マイティマウス リヴァプール
ハンブルガー
サウサンプトン
ニューカッスル・ユナイテッド
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 76-77年
UEFAカップ 72-73年 75-76年
※70年代、リヴァプール黄金期のエースで、西ドイツでも活躍したスター選手。一方、当時の代表は低迷期であり、W杯出場は82年の1試合のみである。
全日空サッカークラブのプレシーズンマッチに特別参加したことがある。
(21/63)【38】

フィル・ニール
(1951/2/20〜)
〔DF〕<S>
ノーザンプトン・タウン
リヴァプール
ボルトン・ワンダラーズ
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 76-77年
UEFAカップ 75-76年
スーパーカップ 77年
(5/50)
レイ・ケネディ
(1951/7/28〜)
〔MF/FW〕<S>
アーセナル
リヴァプール
スウォンジー・シティ
ハートリプール・ユナイテッド
チャンピオンズカップ 76-77年 77-78年 80-81年
UEFAカップ 75-76年
スーパーカップ 77年
※アーセナル、リヴァプールという2つのビッグクラブで活躍し、特に70年代のリヴァプール黄金期の中心選手である。
(3/17)
スティーヴ・ペリマン
(1951/12/21〜)
〔MF〕<A>
スティーヴ トッテナム・ホットスパー
オックスフォード・ユナイテッド
ブレントフォード
※トッテナムのキャプテンを長く務め、クラブの最多出場記録を持つ。
元清水エスパルス監督でクラブの黄金期を築いた。当時、戸田和幸のトッテナム移籍を仲介したとされる。
(0/1)
ポール・マリナー
(1953/5/22〜)
〔FW〕<A>
プリマス・アーガイル
イスプウィッチ・タウン
アーセナル
ポーツマス
ウーロンゴン・シティ
オールバニー・キャピタルズ
サンフランシスコ・ベイ
ワールドカップ 82年
(13/35)
フィル・トンプソン
(1954/1/21〜)
〔DF〕<A>
リヴァプール
シェフィールド・ユナイテッド
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 76-77年 77-78年 80-81年
UEFAカップ 72-73年 75-76年
スーパーカップ 77年
※70年代、リヴァプール黄金期のディフェンダー。
(1/42)
トレヴァー・フランシス
(1954/4/19〜)
〔FW/MF〕<S>
バーミンガム・シティ
 デトロイト・エクスプレス(L)
ノッティンガム・フォレスト
マンチェスター・シティ
サンプドリア
アタランタ
レンジャーズ
ウーロンゴン・シティ
クイーンズパーク・レンジャーズ
シェフィールド・ウェンズデイ
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 78-79年 79-80年
スーパーカップ 80年
(12/52)
サム・アラダイス
(1954/10/19〜)
〔DF〕<B>
ビッグ・サム ボルトン・ワンダラーズ
サンダーランド
ミルウォール
タンパベイ・ローディーズ
コヴェントリー・シティ
ハダースフィールド・タウン
ボルトン・ワンダラーズ
プレストン・ノースエンド
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
リムリックプレストン・ノースエンド
※ロングボールを多用した戦術を好む傾向があり、つまらないとの指摘もあるが、ボルトンを1部に昇格させ、UEFAカップ圏内を狙えるまでにチームを育てた手腕は評価されている。
ダーツの腕前はプロ級であるという。
(0/0)
スティーヴ・コッペル
(1955/7/9〜)
〔MF〕<A>
スティーヴ トレンメア・ローヴァーズ
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 82年
(7/42)
レイ・ウィルキンス
(1956/9/14〜)
〔MF〕<S>
チェルシー
マンチェスター・ユナイテッド
ミラン
パリ・サンジェルマン
レンジャーズ
クイーンズパーク・レンジャーズ
クリスタルパレス
クイーンズパーク・レンジャーズ
ウィコム・ワンダラーズ
ハイバーニアン
ミルウォール
レイトン・オリエント
ワールドカップ 82年 86年(8)
(3/84)
ブライアン・ロブソン
(1957/1/11〜)
〔MF〕<S>
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
マンチェスター・ユナイテッド
ミドルズブラ
ワールドカップ 82年 86年(8) 90年(4)
カップウィナーズカップ 90-91年
※マンチェスターU.のエースナンバーである「7」をつけていた。
少年時代のベッカムのアイドル。
(26/90)
グレン・ホドル
(1957/10/27〜)
〔DF〕<A>
ザ・ウィザード
(魔法使い)
テクニカル・ウィルス
トッテナム・ホットスパー
モナコ
スウィンドン・タウン
チェルシー
ワールドカップ 82年 86年(8)
※グレン・ミラーにちなんで名づけられた。
(8/53)
テリー・ブッチャー
(1958/12/28〜)
〔DF〕<A> 
テリー イスプウィッチ・タウン
レンジャーズ
コヴェントリー・シティ
サンダーランド
クライデバンク
ワールドカップ 82年 86年(8) 90年(4)
UEFAカップ 80-81年
(3/77)
ゲーリー・リネカー
(1960/11/30〜)
〔FW〕<S>
リンクス(山猫) レスター・シティ
エヴァートン

バルセロナ
トッテナム・ホットスパー

名古屋グランパスエイト
ワールドカップ 82年 86年(8) 90年(4)
カップウィナーズカップ 88-89年
※イングランド代表での得点数はルーニー、チャールトンに次いで3位である。
現役時代一度もカードを出されたことがない。
初期のドリームチームのメンバーのひとり。
(48/80)
クリス・ワドル
(1960/12/14〜)
〔FW(WG)〕<A>
マジッククリス ニューカッスル・ユナイテッド
トッテナム・ホットスパー
オリンピック・マルセイユ
シェフィールド・ウェンズデイ
フォルカーク
ブラッドフォード・シティ
サンダーランド
バーンリー
トーキー・ユナイテッド
ワークソップ・タウン
グラップウェル
ワールドカップ 86年(8) 90年(4)
※当時イギリス人選手では珍しく、ヨーロッパ大陸でも活躍した選手。
マルセイユの20世紀最高選手を決める投票で2位に選ばれている。
(6/62)
スティーヴ・ブルース
(1960/12/31〜)
〔DF〕<A>
スティーヴ ジリンガム
ノリッジ・シティ

マンチェスター・ユナイテッド
バーミンガム・シティ
シェフィールド・ユナイテッド
カップウィナーズカップ 90-91年
スーパーカップ 91年
※マンチェスターU.時代、長くパリスターとのコンビで鉄壁の守備を誇った。
(0/0)
ピーター・ベアズリー
(1961/1/18〜)
〔FW〕<A>
カーライル・ユナイテッド
バンクーバー・ホワイトキャプス
ニューカッスル・ユナイテッド
リヴァプール
エヴァートン
ニューカッスル・ユナイテッド
ボルトン・ワンダラーズ
 マンチェスター・シティ(L)
フラム
ハートリプール・ユナイテッド
メルボルン・ナイツ
ワールドカップ 86年(8) 90年(4)
(9/59)
クライヴ・アレン
(1961/5/20〜)
〔FW〕<A>
クイーンズパーク・レンジャーズ
クリスタル・パレス
トッテナム・ホットスパー
ジロンダン・ボルドー
マンチェスター・シティ
チェルシー
ミルウォール
ワールドカップ 86年(8) 90年(4)
(0/5)
ケリー・ディクソン
(1961/7/24〜)
〔FW〕<A>
レディング
チェルシー
サウサンプトン
ルートン・タウン
ミルウォール
ワトフォード
ドンカスター・ローヴァーズ
ワールドカップ 86年(8)
(4/8)
マーク・ヘイトリー
(1961/11/7〜)
〔FW〕<A>
Attila コヴェントリー・シティ
 デトロイト・エクスプレス(L)
ポーツマス
ミラン
モナコ
レンジャーズ
クィーンズパーク・レンジャーズ
リーズ・ユナイテッド
レンジャーズ
ハル・シティ
ロス・カウンティ
ワールドカップ 86年(8)
(9/32)
スチュアート・ピアース
(1962/4/24〜)
〔DF(SB)〕<A>
サイコ ウェルドストーン
コベントリー・シティ
ノッティンガム・フォレスト
ニューカッスル・ユナイテッド
ウェストハム・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 90年(4)
※カペッロの代表監督電撃辞任により暫定で指揮を執ることになった。その後、久しぶりに結成されたオリンピックイギリス代表の監督をつとめた。
53歳にしてイングランド13部のクラブで現役復帰した。
(5/78)
アラン・スミス
(1962/11/21〜)
〔FW〕<A>
レスター・シティ
アーセナル
カップウィナーズカップ 93-94年
(2/13)
ゲーリー・スティーヴンス
(1963/3/27〜)
〔DF〕<A>
エヴァートン
レンジャーズ
トランメア・ローヴァーズ
ワールドカップ 86年(8) 90年(4)
(0/46)
ニール・ウェブ
(1963/7/30〜)
〔MF/DF〕<A>
レディング
ポーツマス
ノッティンガム・フォレスト
マンチェスター・ユナイテッド
ノッティンガム・フォレスト
 スウィンドン・タウン(L)
グリムズビー・タウン
アルダーショット・タウン
ワールドカップ 90年(4)
カップウィナーズカップ 90-91年
スーパーカップ 91年
(4/26)
デヴィッド・シーマン
(1963/9/19〜)
〔GK〕<S>
ポニーテール
Mr.セーフハンド
ピーターバラ・ユナイテッド
バーミンガム・シティ
クイーンズパーク・レンジャーズ
アーセナル
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 98年(16) 02年(8)
カップウィナーズカップ 93-94年
(0/75)
イアン・ライト
(1963/11/3〜)
〔FW〕<A>
愛すべき悪童 グリニッジ・ボロ
クリスタル・パレス
アーセナル

ウェストハム・ユナイテッド
ノッティンガム・フォレスト
セルティック
バーンリー
カップウィナーズカップ 93-94年
※ショーン・ライト=フィリップスを養子としている。
(9/31)
ジョン・バーンズ
(1963/11/7〜)
〔MF〕<A>
ワトフォード
リヴァプール
ニューカッスル・ユナイテッド
チャールトン・アスレティック
ワールドカップ 86年(8) 90年(4)
※ジャマイカ出身である。
(11/79)
ナイジェル・ウィンターバーン
(1963/12/11〜)
〔DF(SB)〕<A>
ウィンブルドン
アーセナル
ウェストハム・ユナイテッド
カップウィナーズカップ 93-94年
※フェイマス4のひとりとして堅守のアーセナルを支えたサイドバック。
(0/2)
リー・ディクソン
(1964/3/17〜)
〔DF(SB)〕<A>
チェスター・シティ
ベリー
ストーク・シティ
アーセナル
カップウィナーズカップ 93-94年
※フェイマス4のひとりとして堅守のアーセナルを支えたサイドバック。
(1/22)
ガリー・パリスター
(1965/6/30〜)
〔DF〕<A>
ミドルズブラ
マンチェスター・ユナイテッド
カップウィナーズカップ 90-91年
スーパーカップ 91年
※マンチェスターU.時代、長くブルースとのコンビで鉄壁の守備を誇った。
(0/22)
デス・ウォーカー
(1965/11/26〜)
〔DF〕<A>
ノッティンガム・フォレスト
サンプドリア
シェフィールド・ウェンズデイ
ワールドカップ  90年(4)
(0/59)
ナイジェル・クラフ
(1966/3/19〜)
〔FW/MF〕<A>
ノッティンガム・フォレスト
リヴァプール
マンチェスター・シティ
 ノッティンガム・フォレスト(L)
 シェフィールド・ウェンズデイ(L)
バートン・アルビオン
(0/14)
テディ・シェリンガム
(1966/4/2〜)
〔FW〕<A>
シェリ ミルウォール
 アルダーショット(L)
 ユールゴーデン(L)
ノッティンガム・フォレスト
トッテナム・ホットスパー

マンチェスター・ユナイテッド
トッテナム・ホットスパー
ポーツマス
ウェストハム・ユナイテッド
コルスター・ユナイテッド
ワールドカップ 98年(16) 02年(8)
(11/51)
デヴィッド・プラット
(1966/6/10〜)
〔FW〕<S>
マンチェスター・ユナイテッド
クルー・アレクサンドラ
アストン・ヴィラ
バーリ
ユヴェントス
サンプドリア
アーセナル
ノッティンガム・フォレスト
ワールドカップ 90年(4)
(27/62)
マーティン・キーオン
(1966/7/24〜)
〔DF〕<A>
アーセナル
 ブライトン&ホーヴ・アルビオン(L)
アストン・ヴィラ
エヴァートン
アーセナル
レスター・シティ
レディング
ワールドカップ 98年(16) 02年(8)
カップウィナーズカップ 93-94年
※フェイマス4のひとりとして堅守のアーセナルを支えたディフェンダー。
(2/43)
トニー・アダムス
(1966/10/10〜)
〔DF〕<S>
キャプテン
ファンタスティック
Mr.アーセナル
アーセナル ワールドカップ 98年(16)
カップウィナーズカップ 93-94年
※フェイマス4のひとりとして堅守のアーセナルを支えたディフェンダー。
(5/66)
レス・ファーディナンド
(1966/12/8〜)
〔FW〕<A>
レス クイーンズパーク・レンジャース
 ブレントフォード(L)
 ベシクタシュ(L)
ニューカッスル・ユナイテッド
トッテナム・ホットスパー
ウェストハム・ユナイテッド
レスター・シティ
ボルトン・ワンダラーズ
レディング
ワールドカップ 98年(16)
※リオ・ファーディナンドとは従兄弟である。
95-96年シーズンのニューカッスルの快進撃に貢献した。
(5/17)
ポール・ガスコイン
(1967/5/27〜)
〔MF〕<S>
ガッザ ニューカッスル・ユナイテッド
トッテナム・ホットスパー
ラツィオ
レンジャーズ
ミドルズブラ
エヴァートン
バーンリー
甘粛天馬
ワールドカップ 90年(4)
※90年代のイギリスの国民的英雄…だがトラブルも多い。
2013年、重度のアルコール中毒で、危険な状態であることが公表された。
(10/57)

ポール・インス
(1967/10/21〜)
〔MF〕<S>
インシー
イングランドの心臓
ウェストハム・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
インテルナツィオナーレ・ミラノ
リヴァプール
ミドルズブラ
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
スウィンドン
マクルズフィールド
ワールドカップ 98年(16)
スーパーカップ 91年
※プレミアリーグ(ブラックバーン)初のアフリカ系イギリス人監督として話題となったが、成績不振のため早々に解任された。
(2/53)
マット・ル・ティシエ
(1968/10/14〜)
〔MF〕<A>
聖マット
ゴッド
サウサンプトン
イーストリー
ガーンジー 
※ガーンジー島出身である。
サウサンプトンの英雄といわれる一方、代表での活躍の機会はあまりなかった。
(0/8)
グレアム・ル・ソー
(1968/10/17〜)
〔DF/MF〕<A>
チェルシー
ブラックバーン・ローヴァーズ
チェルシー
サウサンプトン 
ワールドカップ 98年(16)
※ジャージー島出身である。
(1/36)
デヴィッド・バッティ
(1968/12/2〜)
〔MF〕<A>
リーズ・ユナイテッド
ブラックバーン・ローヴァーズ
ニューカッスル・ユナイテッド
リーズ・ユナイテッド 
ワールドカップ 98年(16)
(0/42)
アラン・シアラー
(1970/8/13〜)
〔FW〕<S>
ビッグ・アル
メリーポピンズ
サウサンプトン
ブラックバーン・ローヴァーズ

ニューカッスル・ユナイテッド 
ワールドカップ 98年(16)
※サットンとのコンビで94-95年シーズンのブラックバーンのリーグ優勝の立役者となった。
(30/63)
ガレス・サウスゲート
(1970/9/3〜)
〔DF〕<A>
クリスタル・パレス
アストン・ヴィラ
ミドルズブラ
ワールドカップ 98年(16) 02年(8)
※2016年、イングランド代表監督に就任。
(2/57)
スタン・コリモア
(1971/1/22〜)
〔FW〕<A>
クリスタル・パレス
サウスエンド・ユナイテッド
ノッティンガム・フォレスト
リヴァプール
アストンヴィラ
 フラム(L)
レスター・シティ
ブラッドフォード・シティ
レアル・オビエド
(0/3)
アンディ・コール
(1971/10/15〜)
〔FW〕<A>
アンディ アーセナル
フラム
ブリストル・シティ
ニューカッスル・ユナイテッド

マンチェスター・ユナイテッド
ブラックバーン・ローヴァーズ
マンチェスター・シティ
ポーツマス
バーミンガム・シティ
サンダーランド
バーンリー
ノッティンガム・フォレスト 
チャンピオンズリーグ 98-99年 07-08年
トヨタカップ 99年
※ドワイト・ヨークとのコンビは「ホット・セット」と呼ばれ、98-99年シーズンのマンチェスターU.のトレブルに貢献した。
(1/15)
ウェイン・ショー
(1972/1/13〜)
〔GK〕<D>
サットン・ユナイテッド ※イングランド5部リーグのサットンに所属していた巨漢ゴールキーパー。FAカップ5回戦でアーセナルと対戦することになり一躍有名になった。
体重115キロ。
試合中ベンチでパイを食べる賭けに関与した疑いで契約解除された。
(0/0)
スティーヴ・マクマナマン
(1972/2/11〜)
〔MF〕<A>
マッカ リヴァプール
レアル・マドリード
マンチェスター・シティ 
ワールドカップ 98年(16)
(3/37)
ダレン・アンダートン
(1972/3/3〜)
〔MF〕<A>
シックノート ポーツマス
トッテナム・ホットスパー
バーミンガム・シティ
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
ボーンマス
ワールドカップ 98年(16)
(7/30)
レイ・パーラー
(1973/3/7〜)
〔MF〕<A>
ロムフォードのペレ アーセナル
ミドルズブラ
ハル・シティ
ウェンブリー
カップ・ウィナーズカップ 93-94年
(0/10)
クリス・サットン
(1973/3/10〜)
〔FW/MF〕<A>
クリス ノリッジ・シティ
ブラックバーン・ローヴァーズ

チェルシー
セルティック
バーミンガム・シティ
アストン・ヴィラ
※ブラックバーン時代、シアラーとのコンビで活躍し、リーグ優勝に貢献した。
(0/1)
ソル・キャンベル
(1974/9/18〜)
〔DF〕<A>
ソル トッテナム・ホットスパー
アーセナル
ポーツマス
ノッツ・カウンティ
アーセナル
ニューカッスル・ユナイテッド
ワールドカップ 98年(16) 02年(8)
※ルーツはジャマイカである。
トッテナムからライバルのアーセナルへ移籍し物議を醸した。
(1/73)
ポール・スコールズ
(1974/11/16〜)
〔MF〕<S>
スコールジー マンチェスター・ユナイテッド ワールドカップ 98年(16) 02年(8)
チャンピオンズリーグ 98-99年 07-08年
トヨタカップ 99年
クラブワールドカップ 08年
※「Fergie's Fledglings」(ファーガソンの雛鳥)のひとり。
11-12年シーズン、チームの不振を受けて?現役に電撃復帰した。
(14/66)
ニッキー・バット
(1975/1/21〜)
〔MF〕<A>
ニッキー マンチェスター・ユナイテッド
ニューカッスル・ユナイテッド
 バーミンガム・シティ(L)
南華
ワールドカップ 02年(8)
チャンピオンズリーグ 98-99年
トヨタカップ 99年
※「Fergie's Fledglings」のひとり。
(0/39)
ガリー・ネヴィル
(1975/2/18〜)
〔DF(SB)〕<S>
チェアマン・ネヴ マンチェスター・ユナイテッド ワールドカップ 98年(16) 06年(8)
チャンピオンズリーグ 98-99年 07-08年
トヨタカップ 99年
クラブワールドカップ 08年
※「Fergie's Fledglings」のひとり。
父の名前は「ネヴィル・ネヴィル」という。弟の元代表フィル・ネヴィルもファーガソンの弟子。
(0/85)
ロビー・ファウラー
(1975/4/9〜)
〔FW〕<A>
ゴッド リヴァプール
リーズ・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
リヴァプール
カーディフ・シティ
ブラックバーン・ローヴァーズ
ノースクイーンズランド・フューリー
バース・グローリー
ムアントン・ユナイテッド
ワールドカップ 02年(8)
UEFAカップ 00-01年
スーパーカップ 01年
※ピッチの内外でも問題を起こす。
(8/26)
デヴィッド・ベッカム
(1975/5/2〜)
〔MF〕<S>
ベックス マンチェスター・ユナイテッド
 プレストン・ノースエンド(L)
マンチェスター・ユナイテッド
レアル・マドリード
ロサンゼルス・ギャラクシー
 ミラン(L)
パリ・サンジェルマン
ワールドカップ 98年(16) 02年(8) 06年(8)
チャンピオンズリーグ 98-99年
トヨタカップ 99年
※「Fergie's Fledglings」のひとりだが、現在ファーガソンとの関係は微妙な状況ともいわれている。
デイリーメール紙が選ぶ世界の歴代フリーキッカーで1位に選ばれた。
妻は元スパイスガールズのヴィクトリアで、世界一のお金持ち夫妻とされている。
(17/115)
エミール・へスキー
(1978/1/11〜)
〔FW〕<A> 
レスター・シティ
リヴァプール
バーミンガム・シティ
ウィガン・アスレティック
アストン・ヴィラ
ニューカッスル・ジェッツ
ワールドカップ 02年(8) 10年(16)
UEFAカップ 00-01年
スーパーカップ 01年
(7/62)
ジェイミー・キャラガー
(1978/1/28〜)
〔DF〕<A> 
ザ・ロック
キャラ
リヴァプール ワールドカップ 06年(8) 10年(16)
チャンピオンズリーグ 04-05年
UEFAカップ 00-01年
スーパーカップ 01年
※リヴァプール一筋だが、実はライバルであるエヴァートンの大ファン。
(0/38)
フランク・ランパード
(1978/6/20〜)
〔MF〕<S>
鉄人
ランプス
ウェストハム・ユナイテッド
チェルシー
 マンチェスター・シティ(L)
ニューヨーク・シティ
ワールドカップ 06年(8) 10年(16) 14年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年
※鉄人と呼ばれ、164試合連続出場のプレミアリーグ記録を持つ。
IQが高く、150を超えるらしい。
父のランパード・シニアも元代表選手であり、一家はフットボールの名門として有名。
(29/106)
リオ・ファーディナンド
(1978/11/7〜)
〔DF〕<S>
リオ ウェストハム・ユナイテッド
 ボーンマス(L)
リーズ・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
クイーンズパーク・レンジャーズ
ワールドカップ 02年(8) 06年(8) 10年(16)
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
※父のルーツはセントルシアである。
池田小児童殺傷事件に心を痛め、来日した際に校門に献花したことがある。
(3/81)
キーロン・ダイアー
(1978/12/29〜)
〔MF/DF(SB)〕<A>
イスプウィッチ・タウン
ニューカッスル・ユナイテッド
ウェストハム・ユナイテッド
クイーンズパーク・レンジャーズ
ミドルズブラ
ワールドカップ 02年(8)
(0/33)
マイケル・オーエン
(1979/12/14〜)
〔FW〕<S>
ワンダーボーイ リヴァプール
レアル・マドリード
ニューカッスル・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
ストーク・シティ
ワールドカップ 02年(8) 06年(8)
UEFAカップ 00-01年
スーパーカップ 01年
※18歳と59日での代表デビューは20世紀以降イングランド最年少記録である。
(40/89)
スティーヴン・ジェラード
(1980/5/30〜)
〔MF〕<S>
スティービーG リヴァプール
ロサンゼルス・ギャラクシー
ワールドカップ 06年(8) 10年(16) 14年
チャンピオンズリーグ 04-05年
UEFAカップ 00-01年
スーパーカップ 01年
※ランパードとともに2000年代世界屈指のセントラルミッドフィルダー。極度の潔癖症である。ゲイの間では一番人気とされている。
(21/114)
ジョン・テリー
(1980/12/7〜)
〔DF〕<S>
J.T. チェルシー
 ノッティンガム・フォレスト(L)
アストン・ヴィラ
ワールドカップ  02年(8) 06年(8) 10年(16)
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年
※ジャン・フランコ・ゾラへの敬意から「26番」をつけている(ゾラは25番だった)。
人種差別発言疑惑によりFAから代表キャプテンを剥奪された。
(6/78)

アシュリー・コール
(1980/12/20〜)
〔DF(SB)〕<S>
アッシュ アーセナル
 クリスタル・パレス(L)
チェルシー
ローマ
ロサンゼルス・ギャラクシー
ダービー・カウンティ
ワールドカップ 06年(8) 10年(16)
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12-13年
※父はバルバドス出身。マライヤ・キャリーは親戚である。
FAカップ優勝6回は最多記録。
代表で100試合以上出場しているが得点はない。
(0/107)
オーウェン・ハーグリーヴス
(1981/1/20〜)
〔MF〕<A>
バイエルン・ミュンヘン
マンチェスター・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 02年(8) 06年(8)
チャンピオンズリーグ 00-01年 07-08年
トヨタカップ 01年 
※ドイツ、カナダ、イングランド、ウェールズの代表になる選択肢があったが、イギリスに住んだこともないまま、イングランド代表を選択した。
(0/42)
ピーター・クラウチ
(1981/1/30〜)
〔FW〕<A>
クラウチー トッテナム・ホットスパー
 ダリッジ・ハムレット(L)
 ヘッスレホルム(L)
クイーンズパーク・レンジャーズ
ポーツマス
アストン・ヴィラ
 ノリッジ・シティ(L)
サウサンプトン
リヴァプール
ポーツマス
トッテナム・ホットスパー
ストーク・シティ
バーンリー
ワールドカップ 06年(8) 10年(16)
※身長2mを越す大型フォワードだが、オーバーヘッドシュートを決めたことがある。
ポーツマス時代の川口能活のチームメイト。
(22/42)
マイケル・キャリック
(1981/7/28〜)
〔MF〕<A>
ウェストハム・ユナイテッド
 スウィンドン・タウン(L)
 バーミンガム・シティ(L)
トッテナム・ホットスパー
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 06年(8) 10年(16) 14年
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
ヨーロッパリーグ 16-17年
(0/34)
ジョー・コール
(1981/11/8〜)
〔MF/FW〕<A>
ジョー ウェストハム・ユナイテッド
チェルシー
リヴァプール
 リール(L)
ウェストハム・ユナイテッド
アストンヴィラ
コヴェントリー・シティ
タンパベイ・ローディーズ
ワールドカップ 02年(8) 06年(8) 10年(16)
※PS2のウィニングイレブンが大好き。
(10/56)
リッキー・ランバート
(1982/2/16〜)
〔FW〕<A>
ブラックプール
マクルズフィールド・タウン
ストックポート・カウンティ
ロッチデール
ブリストル・ローヴァーズ
サウサンプトン
リヴァプール
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
カーディフ・シティ
ワールドカップ 14年
※長年2部(チャンピオンシップ)以下で活躍、31歳にして初めて代表に選ばれた遅咲きの選手。
(3/11)
ジャーメイン・デフォー
(1982/10/7〜)
〔FW〕<A>
ウェストハム・ユナイテッド
 ボーンマス(L)
トッテナム・ホットスパー
ポーツマス
トッテナム・ホットスパー
トロント
 トッテナム・ホットスパー(L)
サンダーランド
ボーンマス
レンジャーズ
サンダーランド
ワールドカップ 10年(16)
※父はドミニカ出身、母はセントルシア出身である。
(19/55)
グレン・ジョンソン
(1984/8/23〜)
〔DF(SB)〕<A>
ウェストハム・ユナイテッド
ミルウォール
チェルシー
ポーツマス
リヴァプール
ストーク・シティ
ワールドカップ 10年(16) 14年
※万引きで逮捕されたことがある。
(1/54)
ウェイン・ルーニー
(1985/10/24〜)
〔FW/MF〕<S>
ワンダーボーイ
ワッザ
エヴァートン
マンチェスター・ユナイテッド
エヴァートン
D.C.ユナイテッド
ダービー・カウンティ
ワールドカップ 06年(8) 10年(16) 14年
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
ヨーロッパリーグ 16-17年
※アイルランド系である。
元代表最多得点記録保持者。
短気で癇癪持ちとして知られ、度々退場処分を受ける。
2010年、投票で最も醜い選手に選ばれたことがある。
2011年に植毛を行い、注目をあびた。
(53/120)
ジェイムズ・ミルナー
(1986/1/4〜)
〔MF〕<S>
リーズ・ユナイテッド
 スウィンドン(L)
ニューカッスル・ユナイテッド
アストンヴィラ
マンチェスター・シティ
リヴァプール
ブライトン&ホーヴ・アルビオン
ワールドカップ 10年(16) 14年(4)
チャンピオンズリーグ 18-19年
スーパーカップ 19年
クラブワールドカップ 19年
※プレミアリーグ出場最年少記録を持っていたことがある。
ダーツが得意で、フィル・テイラーと対戦したことがある。
U-21代表の最多出場記録保持者。
(1/61)
ジェイミー・ヴァーディ
(1987/1/11〜)
〔FW〕<A>
ハリファックス・タウン
フリートウッド・タウン
レスター・シティ
ワールドカップ 18年(4)
※6部リーグから、代表まで登りつめた選手。
スピードとパワーを兼ね備え、90分間走り続けられると評価の高いフォワード。
(7/26)
アンディ・キャロル
(1989/1/6〜)
〔FW〕<A>
アンディ ニューカッスル・ユナイテッド
 プレストン・ノースエンド(L)
リヴァプール
ウェストハム・ユナイテッド
ニューカッスル・ユナイテッド
レディング
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
レディング
アミアン
ジロンダン・ボルドー
※イングランド選手最高額3500万ポンドでリヴァプールへ移籍し話題となった。
私生活では問題が多い。
(2/9)
セオ・ウォルコット
(1989/3/16〜)
〔FW/MF〕<A>
セオ サウサンプトン
アーセナル
エヴァートン
サウサンプトン
ワールドカップ 06年(8)
※父はジャマイカ人である。
代表最年少出場記録保持者。
100mを10秒台で走る脚力を生かしたドリブル突破が魅力。
チャーリー・オースティン
(1989/7/5〜)
〔FW〕<A>
キントベリー・レンジャーズ
ハンガーフォード・タウン
プール・タウン
スウィンドン・タウン
バーンリー
クイーンズパーク・レンジャーズ
サウサンプトン
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
クイーンズパーク・レンジャーズ
ブリズベン・ロアー
スウィンドン・タウン
※レンガ職人として働く傍ら、セミプロのプール・タウン(7部相当)で大活躍し、キャリアを積み上げてきた選手。2015年には代表にまで登りつめた。
ダニエル・スタリッジ
(1989/9/1〜)
〔FW〕<A>
ダニー マンチェスター・シティ
チェルシー
 ボルトン・ワンダラーズ(L)
リヴァプール
 ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(L)
トラブゾンスポル
パース・グローリー
ワールドカップ 14年(4)
チャンピオンズリーグ 11-12年 18-19年
(8/26)
カイル・ウォーカー
(1990/5/28〜)
〔DF〕<A>
鉄人 シェフィールド・ユナイテッド
 ノーサンプトン・タウン(L)
トッテナム・ホットスパー
 シェフィールド・ユナイテッド(L)
 クィーンズパーク・レンジャーズ(L)
アストンヴィラ
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 18年
チャンピオンズリーグ 22-23年
スーパーカップ 23年
クラブワールドカップ 23年
ジョーダン・ヘンダーソン
(1990/6/17〜)
〔MF〕<A>
サンダーランド
コヴェントリー・シティ
サンダーランド
リヴァプール
アル・イテファク
アヤックス
ワールドカップ 14年(4) 18年 22年(8)
チャンピオンズリーグ 18-19年
スーパーカップ 19年
クラブワールドカップ 19年
ダニー・ウェルベック
(1990/11/26〜)
〔FW〕<A>
ダニー マンチェスター・ユナイテッド
 プレストン・ノースエンド(L)
 サンダーランド(L)
マンチェスター・ユナイテッド
アーセナル
ワトフォード
ブライトン&ホーヴ・アルビオン
ワールドカップ 14年 18年(4)
※両親はガーナ人である。
(16/42)
ジャック・ウィルシャー
(1992/1/1〜)
〔MF〕<A>
アーセナル
 ボルトン・ワンダラーズ(L)
アーセナル
ウェストハム・ユナイテッド
オーフス
ワールドカップ 14年
(2/34)
ハリー・ケイン
(1993/7/28〜)
〔FW〕<S>
トッテナム・ホットスパー
 レイトン・オリエント(L)
 ミルウォール(L)
 ノリッジ・シティ(L)
 レスター・シティ(L)
トッテナム・ホットスパー
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 18年(4) 22年(8)
※14-15年シーズンに大ブレーク。
代表最速初得点記録を持つ。
2017年、プレミアリーグの年間最多得点新記録39得点を記録した。
代表最多得点記録保持者。
ラヒーム・スターリング
(1994/12/8〜)
〔MF(FW(WG)〕<A>
リヴァプール
マンチェスター・シティ
チェルシー
 アーセナル(L)
ワールドカップ 14年 18年(4) 22年(8)
※ジャマイカ出身である。
ジャック・グリーリッシュ
(1995/9/10〜)
〔MF〕<A>
アストン・ヴィラ
 ノッツ・カウンティ(L)
マンチェスター・シティ
ワールドカップ  22年(8)
スーパーカップ 23年
クラブワールドカップ 23年
※祖父母がアイルランド出身のため、U-21までアイルランド代表だった。
マーカス・ラッシュフォード
(1997/10/31〜)
〔FW〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド ワールドカップ 18年(4) 22年(8)
※代表歴代最年少でEUROに出場した。
ジュード・ベリンガム
(2003/60/29〜)
〔MF/FW〕<A>
バーミンガム・シティ
ボルシア・ドルトムント
レアル・マドリード
ワールドカップ 22年(8)
チャンピオンズリーグ 23-24年
スコットランド 64人】
  Tartan Army   
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
アーサー・キナード
(1847/2/16〜1923/1/30)
〔FW〕<S>
ロード・キナード ワンダラーズ
オールド・イートニアンズ
※2つのクラブでFAカップを5度制している。
記録に残る最古のオウンゴールを入れた選手。
(?/?)
ヘンリー・レニー・テイラー
(1849/10/9〜1920/6/15)
〔FW〕<S>
ロイヤル・エンジニアーズ ※ラグビーのスコットランド代表でもあった。
(?/?)
ジョージ・カー
(18??/?/?〜?)
〔FW〕<S>
ジョーディ クイーンズ・パーク (10/5)
ジョージ・ラムゼイ
(1855/3/1〜1935/10/7)
〔?〕<A>
アストン・ヴィラ ※アストン・ヴィラ黄金期の監督。
FAカップ、リーグともに6度制している。
(?/?)
アーチ・ハンター
(1859/9/23〜1894/11/29)
〔FW〕<A> 
アストン・ヴィラ (?/?)
ウォルター・アーノット
(1863/5/12〜1931/5/18)
〔DF〕<A>
クイーンズ・パーク ※クリケット、テニス、ヨット、ローンボウリングでもトップ選手だった。
(0/14)
ジミー・ロス
(1866/3/28〜1902/6/12)
〔FW〕<A>
プレストン・ノースエンド
リヴァプール
バーンリー
マンチェスター・シティ
(0/1)
ジャック・ベル
(1869/10/6〜?)
〔FW〕<S>
ダンバートン
エヴァートン
セルティック
ニューブライトン・タワー
プレストン・ノースエンド
※スコティッシュリーグ初代得点王。
(?/?)
ジョン・キャンベル
(1870/2/19〜1906/?/?)
〔FW〕<S>
サンダーランド
ニューカッスル・ユナイテッド
※サンダーランドの3度のリーグ優勝に貢献した。
(6/4)
サンディ・マクマホン
(1870/10/16〜1916/1/25)
〔FW〕<A>
サンディ
公爵
セルティック (?/?)
ジョン・J・キャンベル
(1871/9/12〜1947/12/2)
〔FW〕<S>
セルティック
アストン・ヴィラ

セルティック
サード・ラナーク
※アストン・ヴィラの黄金期に活躍した。
(5/12)
ロバート・ハミルトン
(1877/5/13〜1948/?/?)
〔FW〕<S>
レンジャーズ
フラム
レンジャーズ
(15/11)
ジミー・クイン
(1878/7/8〜1945/11/21)
〔FW〕<A>
セルティック (?/?)
アレックス・ヤング
(1880/6/23〜1959/9/17)
〔FW〕<A>
セントミレン
フォルカーク
エヴァートン
トッテナム・ホットスパー
マンチェスター・シティ
※エヴァートンの初のFAカップ獲得に貢献した。
(0/2)
ハリー・ハンプトン
(1885/5/13〜1963/3/15)
〔FW〕<S>
アストン・ヴィラ
バーミンガム・シティ
ニューポート・カウンティ
※アストン・ヴィラで200以上のゴールをあげたストライカー。
(?/?)
デヴィッド・マクリーン
(1890/12/13〜1967/12/23)
〔FW〕<A>
フォーファー・アスレティック
セルティック
プレストン・ノースエンド
シェフィールド・ウェンズデイ
レンジャーズ
シェフィールド・ウェンズデイ
ブラッドフォード・パーク・アベニュー
フォーファー・アスレティック
ダンディー
フォーファー・アスレティック
(0/1)
アンドリュー・ウィルソン
(1896/2/14〜1973/10/15)
〔FW〕<S>
ミドルズブラ
ダンファームリン・アスレティック
ミドルズブラ
チェルシー
クイーンズパーク・レンジャーズ
(13/12)
デイヴ・ハリディ
(1897/12/11〜1970/?/?)
〔FW〕<A>
セントミレン
ダンディー
サンダーランド
アーセナル
マンチェスター・シティ
クラプトン・オリエント
(0/0)
ヒューイ・ファーガソン
(1898/3/8〜1930/1/8)
〔FW〕<A>
ヒューイ マザーウェル
カーディフ・シティ
ダンディ
(0/0)
アレックス・ジェームス
(1901/9/14〜1953/6/1)
〔MF/FW〕<A>
ライス・ローヴァーズ
プレストン・ノースエンド
アーセナル
※30年代のアーセナル黄金期の中心選手。
(4/8)
ヒューイ・ギャラハー
(1903/2/2〜1957/6/11)
〔FW〕<S>
クイーン・オブ・ザ・ハウス
エアドリオニアス
ニューカッスル・ユナイテッド
チェルシー
ダービー・カウンティ
ノッツ・カウンティ
グリムズビー・タウン
ゲーツヘッド
(23/20)
ジミー・マクグローリー
(1904/4/26〜1984/10/20)
〔FW〕<S>
ジミー セルティック
 クライドバンク(L)
※セルティックの最多得点記録保持者。
(6/7)
マット・バスビー
(1909/5/26〜1994/1/20)
〔FW/MF〕<A>
Sir Matt マンチェスター・シティ
リヴァプール
※1945年から20年以上もの間マンチェスターU.の監督をつとめた。
50年代に、エドワーズやチャールトンら「バスビー・ベイブス」と呼ばれる選手達を育てた。1958年「ミュンヘンの悲劇」の際は一命を取りとめ、チャールトンやその後入団したロー、ベストらを擁し、イングランドのクラブ初のチャンピオンズカップを勝ち取った。
(0/1)
ビル・シャンクリー
(1913/9/2〜1981/9/29)
〔FW〕<A>
カーライル・ユナイテッド
プレストン・ノースエンド
※60年代にリヴァプールを立て直し、その後の黄金期の礎を築いた名将。アンフィールドには銅像が立っている。
(0/5)
ビリー・リッデル
(1922/1/10〜2001/7/3)
〔FW〕<A>
リヴァプール ※イギリス代表として「世紀の試合(FIFAへの復帰記念)」に出場した。
(6/28)
ジョック・ステイン
(1922/10/5〜1985/9/10)
〔DF〕<B>
ジョック アルビオン・ローヴァーズ
ラネリ
セルティック
※主にセルティックや代表監督として成功を収めた。
特に66-67年シーズンにはイギリスのクラブ初となるチャンピオンズカップをはじめ、4冠を達成した。
代表監督時代にW杯大陸間プレーオフの最中、心臓発作により急死した。
(6/28)
ボビー・エバンス
(1927/7/16〜2001/9/1)
〔MF〕<A>
セルティック
チェルシー
ニューポート・カウンティ
グリーンノック・モートン
サード・ラナーク
ライス・ローヴァーズ
ワールドカップ 54年 58年
(0/48)
ロウリー・ライリー
(1928/10/28〜2013/7/22)
〔FW〕<A>
ハイバーニアン (22/38)
デヴィッド・ハード
(1934/4/15〜2016/10/1)
〔FW〕<A>
ストックポート・カウンティ
アーセナル
マンチェスター・ユナイテッド
ストーク・シティ
ウォーターフォード
チャンピオンズカップ 67-68年
(3/5)
デイヴ・マッカイ
(1934/11/14〜2015/3/2)
〔MF/DF〕<A>
ハート・オブ・ミドロシアン
トッテナム・ホットスパー
ダービー・カウンティ
スィンドン・タウン
ワールドカップ 58年
カップウィナーズカップ 62-63年
※トッテナム黄金期の中心選手。
(4/22)
アレックス・ヤング
(1937/2/3〜2017/2/27)
〔FW〕<A>
ハート・オブ・ミドロシアン
エヴァートン
グレントラン
ストックポート・カウンティ
(5/8)
イアン・セントジョン
(1938/6/7〜2021/3/1)
〔FW〕<A>
マザーウェル
リヴァプール
ヘレニック
コヴェントリー・シティ
コープタウン・シティ
トランメア・ローヴァーズ
(9/21)
アラン・ギルツェーン
(1938/10/23〜2018/7/8)
〔FW〕<A>
ダンディー
 アルダーショット・タウン(L)
トッテナム・ホットスパー
ハイランズ・パーク
(12/22)
フランク・マクリントック
(1939/12/28〜)
〔MF〕<S>
レスター・シティ
アーセナル
クイーンズパーク・レンジャーズ
※アーセナル史に残る偉大なキャプテン。
(1/9)
デニス・ロー
(1940/2/24〜)
〔FW〕<SS>
金髪の悪魔
キング
ハッダースフィールド・タウン
マンチェスター・シティ
トリノ
マンチェスター・ユナイテッド

マンチェスター・シティ
ワールドカップ 74年
チャンピオンズカップ 67-68年
※代表最多得点記録保持者のひとり。
チャールトン、ベストとともにマンチェスターU.の一時代を築いたスター選手。鋭いヘディングシュートは「ジャックナイフ」と恐れられた。
当時、生まれた子供に「デニス」と名づけることが流行し、ベルカンプもそのひとりである。
(30/55)【50】

ビリー・マクニール
(1940/3/2〜2019/4/22)
〔DF〕<A>
ビリー セルティック チャンピオンズカップ 66-67年
※セルティックの最多試合出場記録保持者。
(3/29)
アレックス・ファーガソン
(1941/12/31〜)
〔DF〕<B>
ファギー クイーンズ・パーク
セント・ジョンストン
ダンファームリン
レンジャーズ
フォルカーク
エア・ユナイテッド
※27年もの間、マンチェスターU.を率い、数々のタイトルを獲得した名将。
また、若手の育成にも定評があり、彼が育てたギグスやベッカムらは「Fergie's Fledglings」と呼ばれた。香川真司は彼が呼び入れた最後の弟子ともいえる。
(0/0)
ジョン・グレイグ
(1942/9/11〜)
〔DF〕<A>
レンジャーズ ※レンジャーズ史上最も偉大な選手とされる。
(3/44)
ビリー・ブレムナー
(1942/12/9〜1997/12/7)
〔MF〕<A>
赤毛のビリー
スコッチテリア
リーズ・ユナイテッド
ハル・シティ
ドンカスター・ローヴァーズ
ワールドカップ 74年
インターシティーズフェアーズカップ  67-68年 70-71年
(3/54)
ボビー・レノックス
(1943/8/30〜)
〔FW〕<A>
セルティック
ヒューストン・ハリケーン
セルティック
チャンピオンズカップ 66-67年
(3/10)
ジミー・ジョンストン
(1944/9/30〜2006/9/30)
〔FW〕<A>
ジミー セルティック
サンノゼ・アースクエイクス
シェフィールド・ユナイテッド
ダンディー
シェルボーン
エリン・シティ
ワールドカップ 74年
チャンピオンズカップ 66-67年
(4/23)
ジョージ・グラハム
(1944/11/30〜)
〔FW〕<A>
アストン・ヴィラ
チェルシー
アーセナル
マンチェスター・ユナイテッド
ポーツマス
クリスタル・パレス
カリフォルニア・サーフ
※アーセナル監督時代、「フェイマス4」を中心とした守備を基調とした手堅いサッカーで一時代を築いた。
(3/12)
ピーター・ロリマー
(1946/12/14〜)
〔FW(WG)〕<A>
リーズ・ユナイテッド
 ケープタウン・シティ(L)
トロント・ブリザード
ヨーク・シティ
トロント・ブリザード
バンクーバー・ホワイトキャプス
 ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン(L)
リーズ・ユナイテッド
ワールドカップ 74年
※リーズ黄金期のスター選手。
(4/21)
ダニー・マクグレイン
(1950/5/1〜)
〔DF〕<A>
ダニー セルティック
ハミルトン・アカデミカル
ワールドカップ 74年 82年
(0/62)
ケニー・ダルグリッシュ
(1951/3/4〜)
〔FW〕<S>
ケニー
キング・ケニー
セルティック
リヴァプール
ワールドカップ 74年 78年 82年
チャンピオンズカップ 77-78年 80-81年 83-84年
スーパーカップ 77年
※代表最多試合出場、最多得点記録保持者。
スコットランドとイングランドの両リーグで100得点を挙げた最初の選手。
(30/102)
ジョー・ジョーダン
(1951/12/15〜)
〔FW〕<A>
グリノック・モートン
リーズ・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
ミラン
エラス・ヴェローナ
サウサンプトン
ブリストル・シティ
ワールドカップ 74年 78年 82年
※ファールを受けることの多い選手だったため、前歯が折れ、ほとんどなくなってしまった。
(11/52)
ゴードン・マックイーン
(1952/6/26〜)
〔FW〕<A>
セントミレン
リーズ・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 74年 78年
(5/30)
グレアム・スーネス
(1953/5/6〜)
〔MF〕<A>
トッテナム・ホットスパー
 モントリオール・オリンピック(L)
ミドルズブラ
 ウェスト・アデレード(L)
リヴァプール

サンプドリア
レンジャーズ
ワールドカップ 78年 82年 86年
(4/54)
アラン・ハンセン
(1955/6/13〜)
〔DF〕<A>
パーティック
リヴァプール
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 80-81年 83-84年
(0/26)
アンディ・グレイ
(1955/11/30〜)
〔FW〕<A>
ダンディー・ユナイテッド
アストン・ヴィラ
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
エヴァートン
アストン・ヴィラ
 ノッツ・カウンティ(L)
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
レンジャーズ
チャルトナム・タウン
カップウィナーズカップ 84-85年
(7/20)
ゴードン・ストラカン
(1957/2/9〜)
〔MF〕<A>
ダンディー
アバディーン
マンチェスター・ユナイテッド
リーズ・ユナイテッド
コヴェントリー・シティ
ワールドカップ 82年 86年
※中村俊輔在籍時のセルティック監督。
(5/50)
ジム・レイトン
(1958/7/24〜)
〔GK〕<S>
アバディーン
マンチェスター・ユナイテッド
 アーセナル(L)
 レディング(L)
ダンディー
シェフィールド・ウェンズデイ
ハイバーニアン
アバディーン
ワールドカップ 82年 86年 90年 98年
※1982年から17年もの間、代表のゴールマウスを守った。
(0/91)
グレアム・シャープ
(1960/10/16〜)
〔FW〕<A>
ドンバートン
エヴァートン
オールダム・アスレティック
ワールドカップ 86年
カップウィナーズカップ 84-85年
※リネカーらとともにエヴァートンの一時代を築いたクラブの中心選手。
(1/12)
アリー・マッコイスト
(1962/9/24〜)
〔FW〕<A>
セント・ジョンストン
サンダーランド
レンジャーズ
キルマーノック
ワールドカップ 90年
(19/61)
モー・ジョンストン
(1963/4/13〜)
〔FW〕<A>
モー パーティック・シッスル
ワトフォード
セルティック
ナント
レンジャーズ
エヴァートン
ハーツ・オブ・ミドロシアン
フォルカーク
カンザスシティ・ウィザーズ
ワールドカップ 90年
※アルフィー・コンに次いでセルティックとレンジャーズという2大クラブに在籍した選手。
(14/38)
ブライアン・マクレアー
(1963/12/8〜)
〔FW/MF〕<A>
アストン・ヴィラ
マザーウェル
セルティック
マンチェスター・ユナイテッド
マザーウェル
(2/30)
アンディ・ゴラム
(1964/4/13〜)
〔GK〕<A>
オールダム・アスレティック
ハイバーニアン
レンジャーズ
ノッツ・カウンティ
シェフィールド・ユナイテッド
マザーウェル
 マンチェスター・ユナイテッド(L)
ハミルトン・アカデミカル
コヴェントリー・シティ
オールダム・アスレティック
クイーン・オブ・ザ・サウス
エリン・シティ
ワールドカップ 86年 90年
※レンジャーズ不動の守護神。
しかし代表ではレイトンの控えに甘んじていた。
(0/43)
ガリー・マカリスター
(1964/12/25〜)
〔MF〕<A>
マザーウェル
レスター・シティ
リーズ・ユナイテッド
コベントリー・シティ
リヴァプール
コベントリー・シティ
ワールドカップ 90年
UEFAカップ 00-01年
(5/57)
トム・ボイド
(1965/11/24〜)
〔DF〕<A>
トム マザーウェル
チェルシー
セルティック
ワールドカップ 98年
(1/72)
ケヴィン・ギャラハー
(1966/11/23〜)
〔MF〕<A>
ダンディー・ユナイテッド
コベントリー・シティ
ブラックバーン・ローヴァーズ
ニューカッスル・ユナイテッド
ブレストン・ノースエンド
シェフィールド・ウェンズデイ
ハッダース・フィールド
ワールドカップ 98年
(9/53)
ポール・ランバート
(1969/8/7〜)
〔MF〕<A>
セント・ミレン
マザーウェル
ボルシア・ドルトムント
セルティック
リヴィングストン
ワールドカップ 98年
チャンピオンズ・リーグ 96-97年
(1/40)
クリス・ボイド
(1983/8/18〜)
〔FW〕<A>
ボイディ キルマーノック
レンジャーズ
ミドルズブラ
 ノッティンガム・フォレスト(L)
エスキシェヒールスポル
ポートランド・ティンバーズ
キルマーノック
レンジャーズ
キルマーノック
(7/18)
ダレン・フレッチャー
(1984/2/1〜)
〔DF〕<A>
フレッチ マンチェスター・ユナイテッド
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
ストーク・シティ
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
(5/80)
アンドリュー・ロバートソン
(1994/3/11〜)
〔DF/MF〕<A>
Robbo クイーンズ・パーク
ダンディ・ユナイテッド
ハル・シティ
リヴァプール
チャンピオンズリーグ 18-19年
クラブワールドカップ 19年
スーパーカップ 19年
ウェールズ 23人】
  The Dragons   
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ビリー・メレディス
(1874/7/30〜1958/4/19)
〔FW〕<S>
ウェールズの賢者 ノースウィッチ・ヴィクトリア
マンチェスター・シティ
マンチェスター・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
※マンチェスターU.草創期の伝説的選手。
50歳まで現役を続けた。
(11/48)
グレンヴィル・モーリス
(1877/4/13〜1959/11/27)
〔FW〕<S>
トップ下のプリンス スウィンドン・タウン
ノッティンガム・フォレスト
(9/21)
リー・リッチモンド・ルース
(1877/11/27〜1916/10/7)
〔GK〕<S>
ストーク・シティ
エヴァートン
ストーク・シティ
サンダーランド
ハッダースフィールド・タウン
アストン・ヴィラ
ウールウィッチ・アーセナル
(0/24)
ビリー・ヒューズ
(1918/5/6〜1981/6/16)
〔DF〕<A>
バーミンガム・シティ
ルートン・タウン
チェルシー
※イギリス代表として「世紀の試合(FIFAへの復帰記念)」に出場した。
(0/14)
トレヴァー・フォード
(1923/10/1〜2003/5/29)
〔FW〕<A>
スウォンジー・タウン
アストン・ヴィラ
サンダーランド
カーディフ・シティ
PSV
ニューポート・カウンティ
(23/38)
デヴィッド・ボウエン
(1928/6/7〜1995/9/25)
〔MF(WG)〕<A>
デイヴ ノーザンプトン・タウン
アーセナル
ノーザンプトン・タウン
ワールドカップ 58年(8)
※58年W杯時のキャプテン。
(1/17)
アイヴァー・オールチャーチ
(1929/10/16〜1997/7/10)
〔FW〕<S>
ゴールデン・ボーイ スウォンジー・タウン
ニューカッスル・ユナイテッド
カーディフ・シティ
スウォンジー・タウン
ワールドカップ 58年(8)
(23/68)
ジャック・ケルシー
(1929/11/19〜1992/3/18)
〔GK〕<A>
ジャック アーセナル ワールドカップ 58年(8)
(0/41)
スチュアート・ウィリアムス
(1930/7/9〜2013/11/5)
〔DF〕<A>
レクサム
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
サウサンプトン
ワールドカップ 58年(8)
(0/43)
ジョン・チャールズ
(1931/12/27〜2004/2/21)
〔FW/DF〕<S>
優しき巨人 リーズ・ユナイテッド
ユヴェントス

リーズ・ユナイテッド
ローマ
カーディフ・シティ
ヘレフォード・ユナイテッド
ワールドカップ 58年(8)
※ヨーロッパ大陸で成功した数少ないイギリス人で、ユヴェントス歴代最高外国人選手に選ばれている。
(15/38)

クリフ・ジョーンズ
(1935/2/7〜)
〔FW(WG)〕<A>
スウォンジー・タウン
トッテナム・ホットスパー
フラム
ワールドカップ 58年(8)
カップィナーズカップ 62-63年
(16/59)
ロン・デイヴィス
(1942/5/25〜2013/5/24)
〔FW〕<S>
ロン チェスター・シティ
ルートン・タウン
ノリッジ・シティ
サウサンプトン

ポーツマス
マンチェスター・ユナイテッド
 ミルウォール(L)
(9/29)
ジョン・トシャック
(1949/3/22〜)
〔FW〕<A>
カーディフ・シティ
リヴァプール
スウォンジー・シティ
チャンピオンズカップ 76-77年
UEFAカップ 72-73年 75-76年
スーパーカップ 77年
(12/40)
ネヴィル・サウスオール
(1958/9/16〜)
〔GK〕<S>
ベリー
エヴァートン
 ポート・ヴェイル(L)
 サウスエンド・ユナイテッド(L)
ストーク・シティ
ドンカスター・ローヴァーズ
トーキー・ユナイテッド
ハッダースフィールド・タウン
ブラッドフォード・シティ
カップウィナーズカップ 84-85年
(0/93)[42]

イアン・ラッシュ
(1961/10/20〜)
〔FW〕<S>
チェスター・シティ
リヴァプール

ユヴェントス
リヴァプール
リーズ・ユナイテッド
ニューカッスル・ユナイテッド
 シェフィールド・ユナイテッド(L)
レクサム
シドニー・オリンピック
チャンピオンズカップ 83-84年
※リヴァプールで活躍した選手だが、少年時代はライバルのエヴァートンのファンだった。
(28/78)

マーク・ヒューズ
(1963/11/1〜)
〔FW〕<A>
スパーキー マンチェスター・ユナイテッド
バルセロナ
 バイエルン・ミュンヘン(L)
マンチェスター・ユナイテッド
チェルシー
サウサンプトン
エヴァートン
ブラックバーン・ローヴァーズ
カップウィナーズカップ 90-91年 97-98年
スーパーカップ 91年
(16/72)
ディーン・ソーンダース
(1964/6/21〜)
〔FW〕<A>
スウォンジー・シティ
 カーディフ・シティ(L)
ブライトン&ホーヴ・アルビオン
オックスフォード・ユナイテッド
ダービー・カウンティ
リヴァプール
アストン・ヴィラ
ガラタサライ
ノッティンガム・フォレスト
シェフィールド・ユナイテッド
ベンフィカ
ブラッドフォード・シティ
(22/75)
ガリー・スピード
(1969/9/8〜2011/11/27)
〔MF〕<A>
スピーディー
不老の男
リーズ・ユナイテッド
エヴァートン
ニューカッスル・ユナイテッド
ボルトン・ワンダラーズ
シェフィールド・ユナイテッド
※2011年、自宅にて縊死。
(7/85)
ライアン・ギグス
(1973/11/29〜)
〔MF(WG)〕<S>
ギグシー マンチェスター・ユナイテッド チャンピオンズリーグ 98-99年 07-08年
トヨタカップ 99年
クラブワールドカップ 08年
スーパーカップ 91年
※「Fergie's Fledglings」のひとり。マンチェスターU.の最多試合出場記録保持者。
オリンピックロンドン大会ではイギリスチームのキャプテンをつとめた。
2009年に植毛を行ったことが発覚した。
(12/64)
クレイグ・ベラミー
(1979/7/13〜)
〔FW〕<A> 
ノリッジ・シティ
コヴェントリー・シティ
ニューカッスル・ユナイテッド
 セルティック(L)
ブラックバーン・ローヴァーズ
リヴァプール
ウェストハム・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
 カーディフ・シティ(L)
リヴァプール
カーディフ・シティ
※ピッチの内外で問題行動を起こすことで有名。
(19/78)
ガレス・ベイル
(1989/7/16〜)
〔MF/DF(SB)〕<A>
サウサンプトン
トッテナム・ホットスパー
レアル・マドリード
 トッテナム・ホットスパー(L)
ロサンゼルスFC
ワールドカップ 22年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
クラブワールドカップ 14年 17年 18年
スーパーカップ 14年 16年 17年
※イングランド代表も可能だったが、ウェールズを選択した。
代表最年少出場記録、得点記録を持つ。
(40/111)
ジョー・アレン
(1990/3/14〜)
〔MF/DF(SB)〕<A>
ジョー スウォンジー・シティ
 レクサム(L)
スウォンジー・シティ
リヴァプール
ストーク・シティ
スウォンジー・シティ
ワールドカップ 22年
(2/74)
アーロン・ラムジー
(1990/12/26〜)
〔MF〕<A>
ランボー カーディフ・シティ
アーセナル
 ノッティンガム・フォレスト(L)
カーディフ・シティ
アーセナル
ユヴェントス
 レンジャーズ(L)
ニース
カーディフ・シティ
ワールドカップ 22年
アイルランド 8人】
  Green & White Army  
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ビリー・マクラッケン
(1883/1/29〜1979/1/20)
〔DF〕<A>
ビル ニューカッスル・ユナイテッド ※オフサイドトラップを発明した人物とされる。
(?/?)
ビリー・ギレスピー
(1891/8/6〜1981/7/2)
〔FW〕<A>
リーズ・シティ
シェフィールド・ユナイテッド
※代表最多得点記録保持者。
(12/25)
エリシャ・スコット
(1894/8/24〜1959/5/16)
〔GK〕<A>
ブロードウェイ・ユナイテッド
リンフィールド
リヴァプール
ベルファスト・ユナイテッド
リンフィールド
ベルファスト・セルティック
リヴァプール
ベルファスト・セルティック
※代表最多出場記録保持者。
(0/31)
ジミー・ダン
(1905/9/3〜1949/11/14)
〔FW〕<A>
シェフィールド・ユナイテッド
アーセナル
サウサンプトン
シャムロック・ローヴァーズ
(4/7)
ジョー・バンブリック
(1905/11/3〜1983/10/13)
〔FW〕<A>
グレントラン
リンフィールド
チェルシー
ウォルソール
※代表最多得点記録保持者。
(12/11)
ピーター・ドハーティ
(1913/1/29〜1990/4/6)
〔FW〕<A>
ブラックプール
マンチェスター・シティ
ダービー・カウンティ
ハダースフィールド・タウン
ドンカスター・ローヴァーズ
(3/16)
ジョニー・キャリー
(1919/2/23〜1995/8/22)
〔FW〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド
(0/9)
ディヴィ・ウォルシュ
(1923/4/28〜2016/3/14)
〔FW〕<A>
リムリック
 シェルドーン(L)
リンフィールド
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
アストン・ヴィラ
ウォルソール
ウスター・シティ
(5/20)
北アイルランド 16人】
  Green & White Army  
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ダニー・ブランチフラワー
(1926/2/10〜1993/12/9)
〔MF〕<S>
ダニー
北アイルランドの英雄
グレントラン
バーンズリー
アストン・ヴィラ
トッテナム・ホットスパー
 トロント・シティ(L)
ワールドカップ 58年(8)
カップウィナーズカップ 62-63年
※弟は「ミュンヘンの悲劇」で選手生命を絶たれたジャッキー・ブランチフラワー。
(2/56)

バーティー・ピーコック
(1928/9/28〜2004/7/22)
〔DF〕<A>
小さな蟻 コールレーン
グレントラン
セルティック
コールレーン
 モートン(L)
コールレーン
ワールドカップ 58年(8)
(2/31)
(0/1)イギリス
ビリー・ビンガム
(1931/8/5〜2022/6/9)
〔MF〕<A>
グレントラン
サンダーランド
ルートン・タウン
エヴァートン
ポート・ヴェイル
ワールドカップ 58年(8)
※長く母国の代表監督を務めた。
(10/56)
ジミー・マクロイ
(1931/10/25〜2018/8/20)
〔MF〕<A>
グレントラン
バーンリー
ストーク・シティ
オールダム・アスレティック
ワールドカップ 58年(8)
(10/55)
ハリー・グレッグ
(1932/10/27〜2020/2/16)
〔GK〕<A>
ドンカスター・ローヴァーズ
マンチェスター・ユナイテッド
ストーク・シティ
ワールドカップ 58年(8)
※「ミュンヘンの悲劇」の生存者。事故時、ユーゴスラビア外交官の家族やバスビー監督を救出し、ミュンヘンの英雄と賞賛された。
(0/25)
ピーター・マクパーランド
(1934/4/25〜)
〔FW〕<A>
ドンダーク
アストン・ヴィラ
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
プリマス・アーガイル
ウスター・シティ
アトランタ・チーフス
グレントラン
ワールドカップ 58年(8)
※W杯での北アイルランド代表最多得点記録保持者。
(10/34)
テリー・ネイル
(1942/5/8〜)
〔DF〕<A>
テリー アーセナル
ハル・シティ
(2/59)
パット・ジェニングス
(1945/6/12〜)
〔GK〕<S>
パット ワトフォード
トッテナム・ホットスパー
アーセナル
トッテナム・ホットスパー
UEFAカップ 71-72年
※代表最多出場記録保持者。
(0/119)[13]

ジョージ・ベスト
(1946/5/22〜2005/11/25)
〔FW/MF〕<SS>
エル・ビートル マンチェスター・ユナイテッド
ストックポート・カウンティ
コーク・セルティック
ロサンゼルス・アズテックス
フラム
フォートローダーデール・ストライカーズ
ハイバーニアン
サンノゼ・アースクエイクス
シー・ビー
ホンコン・レンジャーズ
ボーンマス
ブリスベーン・ライオンズ
チャンピオンズカップ 67-68年
※サッカー界における史上最初のスーパースターと呼ばれ、5人目のビートルズといわれた。
史上初めてのPK戦における最初のキッカーである。
(9/37)【16】

パット・ライス
(1949/3/17〜)
〔DF〕<A>
アーセナル
ワトフォード
※アーセナルでも代表でもネルソンとコンビを組んだ。
70年代のアーセナルの中心選手。
ヴェンゲルの下、長くアシスタントコーチをつとめた。
(0/49)
サミー・ネルソン
(1949/4/1〜)
〔DF〕<A>
アーセナル
ブライトン
※アーセナルでも代表でもライスとコンビを組んだ。
70年代のアーセナルの中心選手。
(0/51)
マーティン・オニール
(1952/3/1〜)
〔MF〕<A>
リスバーン・ディスティラリー
ノッティンガム・フォレスト
ノリッチ・シティ
マンチェスター・シティ
ノリッチ・シティ
ノッツ・カウンティ
チェスターフィールド
フラム
ワールドカップ 82年
チャンピオンズカップ 78-79年 79-80年
(8/64)
サミー・マッキルロイ
(1954/8/2〜)
〔FW/MF〕<A>
サミー マンチェスター・ユナイテッド
ストーク・シティ
マンチェスター・シティ
ベリー
エルグリーテ
 アドミラ・ヴァッカー(L)
プレストン・ノースエンド
ノースウィッチ・ヴィクトリア
(5/88)
ノーマン・ホワイトサイド
(1965/5/7〜)
〔FW/MF〕<A>
ビッグ・ノーマン マンチェスター・ユナイテッド
エヴァートン
ワールドカップ 82年 86年
※82年W杯に最年少記録の17歳41日で出場した。
現役期間は短く、けがのため25歳で引退した。
(9/38)
デヴィッド・ヒーリー
(1979/8/5〜)
〔FW〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド
 ポート・ヴェイル(L)
ブレストン・ノースエンド
 ノリッジ・シティ(L)
リーズ・ユナイテッド
フラム
サンダーランド
 イスプウィッチ・タウン(L)
 ドンカスター・ローヴァーズ(L)
レンジャーズ
ベリー
※代表最多得点記録保持者。
EURO 08予選でスペインからハットトリックを達成した。
(36/95)
スティーヴン・デイヴィス
(1985/1/1〜)
〔MF〕<A>
アストン・ヴィラ
フラム
レンジャーズ
サウサンプトン
レンジャーズ
(13/140)
ジブラルタル 【1人】
  Gib
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
リアム・ウォーカー
(1993/8/11〜)
〔FW〕<C>
エクセター・シティ
 ドーチェスタータウン(L)
 グロスター・シティ(L)
ブリストル・ローヴァーズ
 ニューポート・カウンティ(L)
 ケンブリッジ・ユナイテッド(L)
アイルランド共和国 28人】
  The Boys in Green  
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ジミー・ダン
(1905/9/3〜1949/11/14)
〔FW〕<A>
シェフィールド・ユナイテッド
アーセナル
サウサンプトン
シャムロック・ローヴァーズ
(13/15)
ジョニー・キャリー
(1919/2/23〜1995/8/22)
〔FW〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド
(3/29)
ディヴィ・ウォルシュ
(1923/4/28〜2016/3/14)
〔FW〕<A>
リムリック
 シェルドーン(L)
リンフィールド
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
アストン・ヴィラ
ウォルソール
ウスター・シティ
(5/20)
ノエル・キャントウェル
(1932/2/28〜2005/9/8)
〔DF〕<A>
コーク・アスレティック
ウェストハム・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
(14/36)
ジョニー・ジャイルズ
(1940/12/6〜)
〔MF〕<S>
マンチェスター・ユナイテッド 
リーズ・ユナイテッド
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
フィラデルフィア・フューリー
シャムロック・ローヴァーズ
インターシティーズフェアーズカップ  67-68年 70-71年
(5/59)
トニー・ダン
(1941/7/24〜)
〔DF(SB)〕<A>
トニー マンチェスター・ユナイテッド
ボルトン・ワンダラーズ
チャンピオンズカップ 67-68年
(?/33)
リアム・ブレイディ
(1956/2/13〜)
〔MF〕<A>
チッピー アーセナル
ユヴェントス
サンプドリア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
アスコリ
ウェストハム・ユナイテッド
※フィシュアンドチップスが好物のため、愛称の由来となっている。
(9/72)
ケヴィン・モーラン
(1956/4/29〜)
〔DF〕<A>
ボヘミアンズ
マンチェスター・ユナイテッド
スポルティング・デ・ヒホン
ブラックバーン・ローヴァーズ
ワールドカップ 90年(8) 94年(16)
(6/71)
デヴィッド・オレアリー
(1958/5/2〜)
〔DF〕<A>
アーセナル
リーズ・ユナイテッド
ワールドカップ 90年(8)
※アーセナルに20年近く在籍し、最多出場記録を持つ。
監督としては、リーズ(ヤング・リーズ)時代が有名。
(1/68)
ジョン・オルドリッチ
(1958/9/18〜)
〔FW〕<A>
ニューポート・カウンティ
オックスフォード・ユナイテッド
リヴァプール

レアル・ソシエダ
トランメア・ローヴァーズ
ワールドカップ 90年(8) 94年(16)
(19/69)
ミック・マッカーシー
(1959/2/7〜)
〔DF〕<A>
ミック バーンズリー
マンチェスター・シティ
セルティック
オリンピック・リヨン
ミルウォール
ワールドカップ 90年(8)
※イングランドの生まれである。
(2/57)
ポール・マグラー
(1959/12/4〜)
〔DF〕<A>
セント・パトリックス・アスレティック
マンチェスター・ユナイテッド
アストン・ヴィラ
ダービー・カウンティ
シェフィールド・ユナイテッド
ワールドカップ 90年(8) 94年(16)
(8/83)
パット・ボナー
(1960/5/24〜)
〔GK〕<A>
セルティック ワールドカップ 90年(8) 94年(16) 02年(16)
(0/80)
ロニー・ウィラン
(1961/9/25〜)
〔MF〕<A>
ホーム・ファーム
リヴァプール
サウスエンド・ユナイテッド
ワールドカップ 90年(8) 94年(16)
チャンピオンズカップ 83-84年
スーパーカップ 91年
(3/53)
レイ・ホートン
(1962/1/9〜)
〔MF〕<A>
ウェストハム・ユナイテッド
フラム
オックスフォード・ユナイテッド
リヴァプール
アストン・ヴィラ
クリスタルパレス
レディング
スティヴネイジ・ボロ
ワールドカップ 90年(8) 94年(16)
(6/73)
トニー・カスカリーノ
(1962/9/1〜)
〔FW〕<A>
ジリンガム
ミルウォール
アストン・ヴィラ
セルティック
チェルシー
オリンピック・マルセイユ
ナンシー
レッドスター93
ワールドカップ 90年(8) 94年(16)
(19/88)
デニス・アーウィン
(1965/10/31〜)
〔DF〕<A>
リーズ・ユナイテッド
オールダム・アスレチック
マンチェスター・ユナイテッド
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
ワールドカップ 94年(16)
チャンピオンズリーグ 98-99年
トヨタカップ 99年
スーパーカップ 91年
(4/56)
ナイアル・クイン
(1966/10/6〜)
〔FW〕<A>
アーセナル
マンチェスター・シティ
サンダーランド
ワールドカップ 90年(8) 02年(16)
(21/92)
スティーヴ・ストーントン
(1969/1/19〜)
〔DF〕<A>
ダンドーク
リヴァプール
 ブラッドフォード・シティ(L)
アストン・ヴィラ
リヴァプール
 コヴェントリー・シティ(L)

アストン・ヴィラ
コヴェントリー・シティ
ウォルソール
ワールドカップ 90年(8) 94年(16) 02年(16)
※アイルランドが出場した3回のW杯全てで代表入りしている。
(8/102)
ロイ・キーン
(1971/8/10〜)
〔MF〕<S>
キーノ
闘将
コープ・ランプラーズ
ノッティンガム・フォレスト
マンチェスター・ユナイテッド
セルティック
ワールドカップ 94年(16) 02年(16)
チャンピオンズリーグ 98-99年
※現役時代は一匹狼的で、何かとアイルランドサッカー協会ともめていた。02年W杯ではマッカーシー監督と対立し、キャンプ先から帰国した(サイパン事件)。
(9/66)
シェイ・ギヴン
(1976/4/20〜)
〔GK〕<A>
シェイ ブラックバーン・ローヴァーズ
 スウィンドン・タウン(L)
 サンダーランド(L)
ニューカッスル・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
アストン・ヴィラ
ワールドカップ 02年(16)
(0/121)
スティーヴ・フィナン
(1976/4/24〜)
〔DF(SB)〕<A>
ウェリング・ユナイテッソ
バーミンガム・シティ
 ノッツ・カウンティ(L)
フラム
リヴァプール
エスパニョール
ポーツマス
ワールドカップ 94年(16) 02年(16)
チャンピオンズリーグ 04-05年
スーパーカップ 05年
(0/52)
ロリー・デラップ
(1976/7/6〜)
〔MF〕<A>
人間発射台 カーライル・ユナイテッド
ダービー・カウンティ
サウサンプトン
サンダーランド
ストーク・シティ
 バーンズリー(L)
※ロングスローが得意で、スピード、飛距離ともに他の追随を許さない。この武器によってエヴァートンやアーセナルが痛い目に会ったことがある。
マツコ&有吉の怒り新党内の「新・3大○○調査会」で紹介された。
(0/11)
イアン・ハート
(1977/8/31〜)
〔DF〕<A>
ハート
ゴールデン・レフティ
リーズ・ユナイテッド
レバンテ
サンダーランド
ブラックプール
カーライル・ユナイテッソ
レディング
ワールドカップ 02年(16)
※代表通算63試合で12得点しており、ディフェンダーとしては高い得点率を誇る。
(12/63)
ダミアン・ダフ
(1979/3/2〜)
〔MF〕<A>
ブラックバーン・ローヴァーズ
チェルシー
ニューカッスル・ユナイテッド
フラム
メルボルン・シティ
シャムロック・ローヴァーズ
ワールドカップ 02年(16)
(8/95)
ロビー・キーン
(1980/7/8〜)
〔FW〕<S>
キーノ
アイルランドの羊飼い
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
コヴェントリー・シティ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 リーズ・ユナイテッド(L)
トッテナム・ホットスパー
リヴァプール
トッテナム・ホットスパー
 セルティック(L)
ウェストハム・ユナイテッド
ロサンゼルス・ギャラクシー
 アストン・ヴィラ(L)
アトレティコ・デ・コルタカ
ワールドカップ 02年(16)
※代表最多得点記録保持者。
02年W杯で滞在した出雲市のホテルには彼のサインが書かれたシャンデリアがある。
インドリーグのコルタカの選手兼監督に就任した。
(68/146)
ジョン・オシェイ
(1981/4/30〜)
〔DF〕<A>
マンチェスター・ユナイテッド
 ボーンマス(L)
 ロイヤル・アントワープ(L)
サンダーランド
レディング
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
(3/118)
シェーン・ロング
(1987/1/22〜)
〔FW〕<B>
コーク・シティ
レディング
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
ハル・シティ
サウサンプトン
 ボーンマス(L)
レディング
(17/88)
シェイマス・コールマン
(1988/10/11〜)
〔MF/DF(SB)〕<B>
スライゴ・ローヴァーズ
エヴァートン
 ブラックプール(L)
ド イ ツ(西ドイツ) 143人】
  Die Nationalelf  
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ハインリッヒ・リソ
(1882/7/30〜1952/8/?)
〔DF〕<A>
ライプツィヒ ※第1回ドイツ全国選手権においてディフェンダーながら決勝点(ハットトリック)をあげ、得点王になった選手。
(0/2)
ヴィリ・ヴォルピツキー
(1886/8/25〜1953/10/10)
〔FW〕<A>
ヴィクトリア89ベルリン ※ドイツ全国選手権で得点王3回。
(5/9)
フリッツ・フェデラー
(1888/1/5〜1952/12/20)
〔FW〕<A>
カールスルーエFV (10/11)
ゴットフリード・フックス
(1889/5/3〜1972/2/25)
〔FW〕<A>
カールスルーエFV ※オリンピックストックホルム大会得点王。
(14/6)
オットー・ハーダー
(1892/11/25〜1956/3/4)
〔FW〕<A>
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク
ハンブルガー
(14/15)
ハインリッヒ・トレーグ
(1893/1/3〜1976/10/13)
〔FW(WG)〕<A>
ニュルンベルク ※20年代、ニュルンベルク黄金期の中心選手。
(1/6)
ハインリッヒ・シュトゥールファウト
(1896/1/11〜1966/9/12)
〔GK〕<A>
ニュルンベルク ※20年代、ニュルンベルク黄金期の守護神。
(0/21)
ゼップ・ヘルベルガー
(1897/3/28〜1977/4/28)
〔FW〕<A>
ゼップ ヴァルトホーフ・マンハイム
マンハイム
テニス・ボルシア・ベルリン
※ドイツサッカーの父と呼ばれる。クラマーやバイスバイラーらに多大な影響を与えたドイツ最高の名将。
54年W杯西ドイツ優勝時の監督。
(2/3)
ユリウス・ヒルシュ
(1897/4/7〜1945/5/8)
〔FW(WG)〕<A>
ユラー カールスルーエFV
グロイター・フュルト
※カールスルーエのドイツ選手権優勝に貢献したクラブの中心選手。
ドイツ系ユダヤ人であったため、アウシュヴィッツ収容所に収監され死去した。
(4/7)
エルンスト・クツォラ
(1905/10/16〜1990/1/1)
〔FW〕<S>
シャルケ04 ※シャルケ史上最も偉大な選手とされる。
シャルケのホームスタジアムであるヴェルティンス・アレナはエルンスト・クツォラ通り1にある。
(7/12)
リヒャルト・ホフマン
(1906/2/8〜1983/5/5)
〔FW〕<A>
ドレスデン (24/25)
フリッツ・ツェパン
(1907/2/2〜1974/12/14)
〔FW〕<S>
フリッツ シャルケ04 ワールドカップ 34年(3) 38年
※30年代、シャルケ黄金期の中心選手。
「第二次大戦前におけるベッケンバウアー」との認識がなされている。
(8/34)
ラインハルト・ミュンツェンベルク
(1909/1/25〜1986/6/25)
〔MF〕<A>
アレマニア・アーヘン
ヴェルダー・ブレーメン
ハンブルク
アレマニア・アーヘン
ワールドカップ 34年(3) 38年
(0/41)
オットー・ジフリンク
(1912/8/3〜1939/10/20)
〔MF〕<A>
ヴァルトホーフ・マンハイム ワールドカップ 34年(3) 38年
(17/31)
エルンスト・レーナー
(1912/11/7〜1986/1/10)
〔MF〕<A>
シュヴァーベン・アウグスブルク
ブラウヴァイス90ベルリン
ワールドカップ 34年(3) 38年
(?/?)
エトムント・コーネン
(1914/11/10〜1990/3/5)
〔FW〕<S>
ザールブリュッケン
シュトゥットガルト・キッカーズ
ヤングフェロー・チューリッヒ
ワールドカップ 34年(3)
(27/28)
ヘルムート・シェーン
(1915/9/15〜1996/2/23)
〔FW〕<A>
ドレスデン
ザンクトパウリ
ヘルタ・ベルリン
※第二次大戦後西ドイツへ亡命、14年間代表監督を務め、ゼーラーやベッケンバウアーらを擁して欧州選手権優勝1回、準優勝1回、W杯優勝1回、準優勝1回、3位1回という成績を収めたドイツ屈指の名将。
(17/16)
ヘネス・バイスバイラー
(1919/12/15〜1983/7/5)
〔FW〕<B>
ボルシア・ドルトムト ※60年代にボルシアMGを欧州屈指の強豪に育てた。
ケルン監督時代、奥寺を見出したことでも知られる。
(0/0)
フリッツ・ヴァルター
(1920/10/31〜2002/7/17)
〔FW〕<SS>
フリッツ
フェルゼ・マイスター
(ヒールの達人)
カイザースラウテルン ワールドカップ 54年(優) 58年(4)
※第二次大戦中にソ連軍の捕虜となるが、シベリアに抑留される途中偶然に難を逃れ帰国できた。
西ドイツがW杯初優勝した時のキャプテン。「ベルンの奇蹟」
雨でぬかるんだピッチで真価を発揮したことから、ドイツでは大雨の天気のことを「フリッツ・ヴァルターの天気」という。
(33/61)【23】

バート・トラウトマン
(1923/10/22〜2013/7/19)
〔GK〕<A>
セントへレンズ・タウン
マンチェスター・シティ
ウェリントン・タウン
※第二次大戦でイギリス軍の捕虜となり、収用所生活を送った。
戦後は母国には帰らず、イングランドでサッカー選手になった。
マンチェスターCの伝説的守護神。
(0/0)
オットマール・ヴァルター
(1924/3/6〜2013/7/16)
〔FW〕<A>
カイザースラウテルン ワールドカップ 54年(優)
※フリッツ・ヴァルターの弟。
カイザースラウテルンのホームスタジアムである「フリッツ・ヴァルターシュタディ オン」の北門は「オットマール・ヴァルターゲート」という。
(10/21)
デットマール・クラマー
(1925/4/4〜2015/9/17)
〔FW〕<C>
ヴィクトリア・ドルトムント
ゲルマニア・ウィースバーデン
※日本サッカーの父と呼ばれる。
日本代表のオリンピック東京大会メキシコ大会での飛躍にコーチとして貢献した。
FIFA公認のコーチとして世界各地で指導した後、バイエルンの監督に就任、チャンピオンズカップを2連覇した。
ベッケンバウアーを抜擢したことでも知られる。
(0/0)
マックス・モーロック
(1925/9/10〜1994/9/10)
〔FW〕<A>
ニュルンベルク ワールドカップ 54年(優)
※ニュルンベルクの最多得点記録保持者。
(21/26)
ルディ・グーテンドルフ
(1926/8/30〜2019/9/13)
〔FW〕<D>
ノイエンドルフ ※ヘルベルガーの弟子。元読売クラブ監督。
1968年のバミューダ諸島代表監督を皮切りに、5大陸の代表を指導、18ヶ国55チームの監督をつとめた。
(0/0)
ユップ・デアヴァル
(1927/3/10〜2007/6/26)
〔MF〕<A>
ユップ レナニア・ヴュルゼレン
アレマニア・アーヘン
フォルトゥナ・デュッセルドルフ
※80年欧州選手権優勝監督。
82年W杯も準優勝に導いた。
その後、トルコへ渡り、トルコサッカー界に多大な影響を与えたとされる。
(0/2)
ハンス・シェーファー
(1927/10/19〜2017/11/7)
〔FW(WG)/MF〕<A>
ケルン ワールドカップ 54年(優) 58年(4)
(15/39)
ヘルムート・ラーン
(1929/8/16〜2003/8/14)
〔FW〕<S>
ブルドーザー
ボス
ロートヴァイス・エッセン
ケルン
トゥウェンテ
ワールドカップ 54年(優) 58年(4)
※引退後は自動車のセールスマンとなった。
(21/40)
ヘルベルト・エアハルト
(1930/7/6〜2010/7/3)
〔DF〕<A>
グロイター・フュルト
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 54年(優) 58年(4) 62年(8)
(1/50)
ホルスト・エッケル
(1932/2/8〜2021/12/3)
〔MF〕<A>
カイザースラウテルン ワールドカップ 54年(優) 58年(4)
※引退後は中学教師となった。
(0/32)
ウド・ラテック
(1935/1/16〜2015/2/1)
〔FW〕<C>
ヴィッパーフュルト
オスナブリュック
※選手としては、アマチュアの経験しかないものの、異なるクラブでUEFA3大カップを制した経験を持つ名将。
しかしドイツ代表監督の経験がない。
(0/0)
ハンス・チルコフスキ
(1935/7/12〜2020/1/5)
〔GK〕<A>
ゾーリンゲン
ボルシア・ドルトムント
アイントラハト・フランクフルト
ヴェストファリア・フェルネ
カールスルーエ
ワールドカップ 58年(4)
(0/39)
ウーヴェ・ゼーラー
(1936/11/5〜2022/7/21)
〔FW〕<SS>
デア・ディッケ
西ドイツの太陽
ハンブルガー ワールドカップ 58年(8) 62年(8) 66年(準) 70年(3)
※ハンブルガー一筋で、シンボル的存在の名選手。
西ドイツブンデスリーガ初代得点王。
(43/72)【45】

オットー・レーハーゲル
(1938/8/9〜)
〔DF〕<B>
ロートヴァイス・エッセン
ヘルタ・ベルリン
カイザースラウテルン
※EURO2004でギリシャ代表を率い、大方の予想を覆して優勝に導いた。
(0/0)
ヴィリ・シュルツ
(1938/10/4〜)
〔DF〕<S>
シャルケ04
ハンブルガー
ワールドカップ 62年(8) 66年(準) 70年(3)
(0/66)
カール=ハインツ・シュネリンガー
(1939/3/31〜2024/5/20)
〔DF〕<S>
ブロンディ ケルン
マントーヴァ
ローマ
ミラン
TeBeベルリン
ワールドカップ 58年(8) 62年(8) 66年(準) 70年(3)
チャンピオンズカップ 62-63年 68-69年
インターコンチネンタルカップ 69年
カップウィナーズカップ 67-68年 72-73年
※ドイツの選手としては珍しく、大半をイタリアのクラブでプレーし、なおかつ活躍した稀有な選手。
(1/47)
ヘルムート・ハーラー
(1939/7/21〜2012/10/11)
〔MF〕<A>
ブロンドの稲妻 アウクスブルク
ボローニャ
ユヴェントス
アウクスブルク
ワールドカップ 62年(8) 66年(準) 70年(3)
(13/33)
ゼップ・ピオンテック
(1940/3/15〜)
〔DF〕<A>
ヴェルダー・ブレーメン ※「ダニッシュ・ダイナマイト」と呼ばれるデンマーク代表を率い、欧州選手権ベスト4、初のW杯出場を成し遂げた。
(0/6)
ローター・エメリッヒ
(1941/8/13〜2003/8/13)
〔FW〕<S>
ボルシア・ドルトムント
ケルミナル・ベールスホット
オーストリア・クラーゲンフェルト
シュヴァインフルト05
ヴュルツブルガー
キッカーズ・ヴュルツブルク
ワールドカップ 66年(準)
カップウィナーズカップ 65-66年
※ドルトムントでのヘルトとのコンビは「テレブルツインズ」と呼ばれた。
(2/5)
ジークフリート・ヘルト
(1942/8/7〜)
〔FW(WG)〕<S>
ジギ キッカーズ・オッフェンバッハ
ボルシア・ドルトムント
キッカーズ・オッフェンバッハ
ボルシア・ドルトムント
プロイセン・ミュンスター
バイエル・ユルティンゲン
ワールドカップ 66年(準) 70年(3)
カップウィナーズカップ 65-66年
※エメリッヒとのコンビは、「テレブルツインズ」と呼ばれた。
元ガンバ大阪監督。
(5/41)
ホルスト=ディーター・ヘットゲス
(1943/9/10〜)
〔DF〕<S>
Eisenfu(鉄の足) ボルシア・メンヘングラートバッハ
ヴェルダー・ブレーメン
オーバーハウゼン
ワールドカップ 66年(準) 70年(3) 74年(優)
欧州選手権 72年
(1/66)
ウォルフガンク・オフェラート
(1943/9/29〜)
〔MF〕<S>
デア・シュバッテ
左足の芸術家
ケルン ワールドカップ 66年(準) 70年(3) 74年(優)
欧州選手権 72年
※60〜70年代、西ドイツを代表するミッドフィルダー。
クラブではボルシアMGとバイエルンの2強に阻まれ、カップ戦優勝1回にとどまるも、代表ではネッツァーと熾烈なポジション争いに勝利し、74年W杯優勝の大きな原動力となった。
(17/81)
ラインハルト・リブダ
(1943/10/10〜1996/8/25)
〔FW(WG)〕<A>
スタン
シャルケの王
シャルケ04
ボルシア・ドルトムント
シャルケ04
ストラスブール
シャルケ04
ワールドカップ 70年(3)
※ドイツ史上最高のドリブラー。
異名の「スタン」はスタンリー・マシューズに因む。
(3/26)
ゼップ・マイヤー
(1944/2/28〜)
〔GK〕<SS>
ゼップ ハール
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 66年(準) 70年(3) 74年(優) 78年
欧州選手権 72年
チャンピオンズカップ 73-74年 74-75年 75-76年
インターコンチネンタルカップ 75年
カップウィナーズカップ 66-67年
※ドイツ代表歴代の「守護神」の中でも最高の存在といえる。
(0/95)[4]

ユルゲン・グラボウスキー
(1944/7/7〜2022/3/10)
〔FW/MF〕<S>
アイントラハト・フランクフルト ワールドカップ 70年(3) 74年(優)
(5/44)
ギュンター・ネッツァー
(1944/9/14〜)
〔MF〕<SS>
賢人 ボルシア・メンヘングラートバッハ
レアル・マドリード 
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
ワールドカップ 74年(優) 
欧州選手権 72年 
※センチメーターパスと呼ばれる正確無比のキックでボルシアMGの全盛期やレアル・マドリードで活躍したゲームメーカー。当時世界最高のミッドフィルダーともいわれた。 
72年欧州選手権でのベッケンバウアーとのコンビによるゲームメイクは、夢のチームと称された。
しかし、74年W杯ではオフェラートとのポジション争いに敗れ控えに回った。対東ドイツ戦の敗戦の戦犯のような扱いを受け、以降試合に出場することはなかった。一説にはベッケンバウアーの意向(排除?)が大きく働いたともいわれる。
足のサイズが31cmとかなり大きいが、さらにひと回り大きいスパイクを履いていた。
実家は八百屋である。
(6/37)

ヘルベルト・ヴィンマー
(1944/11/9〜)
〔MF〕<S>
Hacki ボルシア・メンヘングラートバッハ ワールドカップ 74年(優)
欧州選手権 72年
UEFAカップ 74-75年
1970年代、ボルシアMG黄金期の守備の要。
(4/36)
ユップ・ハインケス
(1945/9/5〜)
〔FW〕<S>
ユップ ボルシア・メンヘングラートバッハ
ハノーファー96
ワールドカップ 74年(優)
欧州選手権 72年
UEFAカップ 74-75年
※70年代のボルシアMG黄金期のエースストライカー。
UEFA3大カップ全てで得点王になっている。
一方、代表ではミュラーの存在が大きく、レギュラー定着とまではいかなかった。
史上4人目となる異なる複数のクラブでチャンピオンズリーグを制した名将。17-18年シーズン途中、72歳にしてバイエルンの監督に復帰した。
(14/39)

フランツ・ベッケンバウアー
(1945/9/11〜)
〔DF/MF〕<SSS>
デア・カイザー
(皇帝)
バイエルン・ミュンヘン
ニューヨーク・コスモス
ハンブルガー
ニューヨーク・コスモス
ワールドカップ 66年(準) 70年(3) 74年(優)
欧州選手権 72年
チャンピオンズカップ 73-74年 74-75年 75-76年
インターコンチネンタルカップ 75年
カップウィナーズカップ 66-67年
※リベロシステムを確立させたドイツ史上最高の選手。
ドイツで初めて代表キャップ数100を達成した選手でもある。
人格者であり、ドイツではもはや神格化されたに近い存在である。
所得隠しを指摘され、税務署から家宅捜査を受けたことがある。この騒動から逃れるように、北米サッカーリーグのニューヨーク・コスモスに移籍した。
代表監督としても成功を収め、選手、監督としてW杯を制した2人目の人物となった(最初はマリオ・ザガロ)。
06年W杯期間中に3度目の結婚をし、話題となった。
(14/103)【3】

ゲルト・ミュラー
(1945/11/3〜2021/8/15)
〔FW〕<SS>
デア・ボンバー
(爆撃機)
ネルトリンゲン
バイエルン・ミュンヘン

フォートローダーデール・ストライカーズ
スミス・ブラザーズ
ワールドカップ 70年(3) 74年(優) 78年
欧州選手権 72年
チャンピオンズカップ 73-74年 74-75年 75-76年
インターコンチネンタルカップ 75年
カップウィナーズカップ 66-67年
※鋭い嗅覚で泥臭いゴールを得意としたドイツ史上最高のストライカー。
ブンデスリーガ最多得点記録保持者。欧州のカップ戦、W杯、ドイツ代表通算得点数は2位である。
一時期アルコール中毒に陥ったが、現役当時のチームメイトの助けで社会復帰した。
(68/62)【13】

ベルント・ヘルツェンバイン
(1946/3/9〜2024/4/15)
〔FW〕<S>
ホルツ アイントラハト・フランクフルト
フォートローダーデール・ストライカーズ
メンフィス・アメリカンズ
ボルティモア・ブラスト
ザールモア
ワールドカップ 74年(優) 78年
※74年W杯決勝でヤンセンのファウルを誘いPKを獲得した勝利の殊勲者。後日、ヤンセンの足は掛かっていなかったことを認めた。
(5/40)
ベルティ・フォクツ
(1946/12/30〜)
〔DF〕<S>
ベルティ
テーリア
ビュトゲン
ボルシア・メンヘングラートバッハ
ワールドカップ 70年(3) 74年(優) 78年
UEFAカップ 74-75年 78-79年
※70年代のボルシアMG黄金期の中心選手。
74年W杯ではクライフを完璧に抑えた勝利の功労者。
明石家さんまが好きなサッカー選手のひとり。
(1/96)
ハインツ・フローエ
(1948/1/28〜2013/6/15)
〔FW〕<A>
ケルン
1860ミュンヘン
ワールドカップ 74年(優) 78年
(8/39)
ハンス=ゲオルグ・シュヴァルツェンベック
(1948/4/3〜)
〔DF〕<S>
カッチェ
鉄の脛
バイエルン・ミュンヘン ワールドカップ 74年(優) 78年
欧州選手権 72年
チャンピオンズカップ 73-74年 74-75年 75-76年
インターコンチネンタルカップ 75年
※引退後は新聞雑誌販売店を経営している。
(0/44)
オットマール・ヒッツフェルト
(1949/1/12〜)
〔FW〕<B>
バーゼル
シュトゥットガルト
ルガーノ
ルツェルン
※低迷していたドルトムントを再生させ、チャンピオンズリーグ優勝へと導いた。
14年W 杯スイス代表監督を最後に監督業から引退。
(0/0)
ベルンハルト・クルマン
(1949/11/1〜)
〔MF〕<A>
ベルント ケルン ワールドカップ 74年(優) 78年
欧州選手権 80年
(6/40)
ユップ・カペルマン
(1949/12/19〜)
〔MF〕<A>
ユップ アレマニア・アーヘン
ケルン
バイエルン・ミュンヘン
1860ミュンヘン
ワールドカップ 74年(優)
チャンピオンズカップ 73-74年 74-75年 75-76年
インターコンチネンタルカップ 75年
※引退後は整形外科医をしている。
(0/5)
マンフレート・ブルクスミュラー
(1949/12/22〜)
〔FW〕<A>
ロートヴァイス・エッセン
バイエル・ユルティンゲン
ボルシア・ドルトムント
ニュルンベルク
ロートヴァイス・オーバーハウゼン
ヴェルダー・ブレーメン
※サッカー選手引退後はNFLヨーロッパのアメリカンフットボール選手として復帰し、ワールドボウル制覇に貢献した。
52歳まで現役を続け、最高齢のアメリカンフットボーラーとなった。
(0/3)
クラウス・フィッシャー
(1949/12/27〜)
〔FW〕<S>
1860ミュンヘン
シャルケ04

ケルン
ボーフム
ワールドカップ 78年 82年(準)
※ブンデスリーガ通算得点数はミュラーに次いで2位である。
(32/45)
ホルスト・ルベッシュ
(1951/4/17〜)
〔FW〕<S>
ロートヴァイス・エッセン
ハンブルガー

スタンダール・リエージュ
ボルシア・ドルトムント
ワールドカップ 82年(準)
欧州選手権 80年
チャンピオンズカップ 82-83年
(6/21)
パウル・ブライトナー
(1951/9/5〜)
〔DF(SB)/MF〕<S>
狼男 バイエルン・ミュンヘン
レアル・マドリード
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 74年(優) 82年(準)
欧州選手権 72年
チャンピオンズカップ 73-74年
※頬に蓄えたひげが印象的。
ディフェンダーで異なるW杯決勝で得点した唯一の選手。
愛読書は「毛沢東語録」という。
(10/48)

ウリ・ヘーネス
(1952/1/5〜)
〔FW〕<S>
ウリ バイエルン・ミュンヘン
ニュルンベルク
ワールドカップ 74年(優)
欧州選手権 72年
チャンピオンズカップ 73-74年 74-75年 75-76年
インターコンチネンタルカップ 75年
※引退後はバイエルンのGMとして手腕を発揮したが、2014年脱税により禁固刑を言い渡された。
(5/35)
ライナー・ボンホフ
(1952/3/29〜)
〔MF〕<S>
雷神 ボルシア・メンヘングラートバッハ
バレンシア
ケルン
ヘルタ・ベルリン
ワールドカップ 74年(優) 78年
欧州選手権 80年
UEFAカップ 74-75年
カップウィナーズカップ 79-80年
※70年代のボルシアMG黄金期の中心選手。
(9/53)
マンフレート・カルツ
(1953/1/6〜)
〔DF〕<A>
マニー ハンブルガー
ジロンダン・ボルドー
ミュルーズ
ハンブルガー
ワールドカップ 78年
欧州選手権 80年
チャンピオンズカップ 82-83年
カップウィナーズカップ 76-77年
※鋭く曲がる正確なクロスボールは「Bananenflanken」と呼ばれた。
ブンデスリーガ最多オウンゴール記録保持者。
(9/69)
ディーター・ヘーネス
(1953/1/7〜)
〔FW〕<A>
シュトゥットガルト
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 86年(準)
※ウリ・ヘーネスの弟。
(4/6)
フェリックス・マガト
(1953/7/26〜)
〔MF〕<A>
クエーリックス ザールブリュッケン
ハンブルガー
ワールドカップ 82年(3) 86年(準)
欧州選手権 80年
カップウィナーズカップ 76-77年
※父はプエルトリコ出身である。
監督として一定の結果を残しているが、軍隊式のハードなフィジカルトレーニングを課すことで有名で、その手腕には懐疑的な見方がある。
2015年、サガン鳥栖から監督のオファーを受けたが、断った。
(3/43)
ディーター・ミュラー
(1954/4/1〜)
〔FW〕<A>
キッカーズ・オッフェンバッハ
ケルン

シュトゥットガルト
ジロンダン・ボルドー
ザールブリュッケン
キッカーズ・オッフェンバッハ
ワールドカップ 78年
※ダブルハットトリック(6得点)を達成したことがある。
(9/12)
ハラルト・シューマッハー
(1954/5/6〜)
〔GK〕<S>
トニー ケルン
シャルケ04
フェネルバフチェ
バイエルン・ミュンヘン
ボルシア・ドルトムント
ワールドカップ 82年(3) 86年(準)
欧州選手権 80年
※80年代、欧州を代表するゴールキーパーのひとり。
(0/76)[23]

ウリ・シュティーリケ
(1954/11/15〜)
〔MF/DF〕<S>
ウリ ボルシア・メンヘングラートバッハ
レアル・マドリード
ヌーシャテル・ザマックス
ワールドカップ 82年(3) 86年(準)
欧州選手権 80年
※W杯で唯一PKに失敗しているドイツ人。
(3/42)
カール=ハインツ・ルンメニゲ
(1955/9/25〜)
〔FW〕<SS>
Mr.ヨーロッパ リップシュタット
バイエルン・ミュンヘン

インテルナツィオナーレ・ミラノ
セルヴェット
ワールドカップ 78年 82年(3) 86年(準)
欧州選手権 80年
チャンピオンズカップ 75-76年
インターコンチネンタルカップ 76年
※80年代の欧州を代表するフォワード。
バイエルン対日本代表の試合では開始1分で得点したことがある。
(45/95)【35】

ハンス=ペーター・ブリーゲル
(1955/10/11〜)
〔DF〕<S>
カイザースラウテルン
エラス・ヴェローナ
サンプドリア
ワールドカップ 82年(3) 86年(準)
欧州選手権 80年
※ヴェローナのスクデッド獲得に貢献した。
(4/72)
クラウス・アロフス
(1956/12/5〜)
〔FW〕<S>
フォルトゥナ・デュッセルドルフ
ケルン
オリンピック・マルセイユ
ジロンダン・ボルドー
ヴェルダー・ブレーメン
ワールドカップ 86年(準)
欧州選手権 80年
カップウィナーズカップ 91-92年
(17/56)
ハンジ・ミュラー
(1957/7/27〜)
〔MF〕<A>
ハンジ シュトゥットガルト
インテルナツィオナーレ・ミラノ
コモ
ヴァッカー・インスブルック
ワールドカップ 78年 82年(3)
欧州選手権 80年
(5/42)
クラウス・アウゲンターラー
(1957/9/26〜)
〔DF〕<S>
アウゲ バイエルン・ミュンヘン ワールドカップ 82年(3) 86年(準) 90年(優)
(0/27)
カール=ハインツ・フェルスター
(1958/7/25〜)
〔DF〕<S>
天使の顔 シュトゥットガルト
オリンピック・マルセイユ
ワールドカップ 82年(3) 86年(準)
欧州選手権 80年
※兄のベルントも元西ドイツ代表。
(2/81)
ベルント・シュスター
(1959/12/22〜)
〔MF/DF〕<SS>
ブロンダーエンゲル
(金髪の天使)
アウクスブルク
ケルン
バルセロナ
レアル・マドリード
アトレティコ・マドリード
バイエル・レバークーゼン
プーマス
欧州選手権 80年
※80年代以降で、世界でも傑出したゲームメーカーだが、欧州選手権以降代表への関心が薄れ、ケガなどの影響もあって、W杯の出場はない。
スペインの3大クラブに在籍したことがある。
(4/21)
ヴォルフガンク・ロルフ
(1959/12/26〜)
〔MF〕<A>
フォルトゥナ・ケルン
ハンブルガー
レアル・マドリード
バイエル・レバークーゼン
ストラスブール
バイエル・ユルディンゲン
カールスルーエ
フォルトゥナ・ケルン
ワールドカップ 86年(準)
チャンピオンズカップ 82-83年
UEFAカップ 87-88年
※リトバルスキーと仲がよい。
(0/37)
ヨアヒム・レーヴ
(1960/2/3〜)
〔FW〕<B>
フライブルク
シュトゥットガルト
アイントラハト・フランクフルト
カールスルーエ
シャフハウゼン
ヴィンタートゥール
フラウエンフェルト
※クリンスマンの片腕として06年W杯3位に貢献、その後代表監督を引き継ぎ、EURO2008で準優勝、10年W杯で3位、そして14年W杯で優勝に導いた。
(0/0)
ルディ・フェラー
(1960/4/13〜)
〔FW〕<S>
ルディ キッカーズ・オッフェンバッハ
1860ミュンヘン
ヴェルダー・ブレーメン

ローマ
オリンピック・マルセイユ
バイエル・レバークーゼン
ワールドカップ 86年(準) 90年(優)
チャンピオンズリーグ 92-93年
※陽気な性格で、ドイツでは絶大な人気を誇る。
90年W杯対オランダ戦で、人種差別的発言をしてライカールトを怒らせ、二人とも退場処分を受けた。
06W杯で柳沢がゴールを外した際、リトバルスキーは「フェラーならギブスをしても入る。」とコメントしたが、フェラー自身も90年W杯で簡単なシュートを外したことがある。
(47/90)
ピエール・リトバルスキー
(1960/4/16〜)
〔MF〕<S>
リティ
ドリブラルスキー
ケルン
ラシン・クラブ・パリ
ケルン
ジェフユナイテッド市原
ブランメル仙台
ワールドカップ 82年(3) 86年(準) 90年(優)
※ルーツはロシアである。
現在の奥さんは日本人で日本語も堪能である。
日本やドイツで監督経験があるが、もうひとつ結果が出ていない。
(18/73)
アンドレアス・ブレーメ
(1960/11/9〜)
〔DF(SB)/MF〕<S>
アンディ ザールブリュッケン
カイザースラウテルン
バイエルン・ミュンヘン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
レアル・サラゴサ
カイザースラウテルン
ワールドカップ 86年(準) 90年(優)
UEFAカップ 90-91年
※ドイツきってのフリーキックの名手といわれる。
(8/86)
ギド・ブッフバルト
(1961/1/24〜)
〔DF〕<S>
ギド シュトゥットガルト
浦和レッドダイヤモンズ
カールスルーエ
ワールドカップ 90年(優) 94年(8)
※レッズ退団セレモニーではなぜか白馬に乗り、優勝パレードではなぜか白馬の引く馬車に乗った。
(4/76)
ローター・マテウス
(1961/3/21〜)
〔DF〕<SS>
鉄人 ボルシア・メンヘングラートバッハ
バイエルン・ミュンヘン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
バイエルン・ミュンヘン
ニューヨーク・メトロスターズ
ワールドカップ 82年(3) 86年(準) 90年(優) 94年(8) 98年
(8)
欧州選手権 80年
UEFAカップ 90-91年 95-96年
※代表キャップ数150、5度のW杯出場と最多試合出場という輝かしい経歴の持ち主だが、素行はかなり悪いといわれている。(そのためかドイツ国内のクラブから監督のオファーが一度もない)。
クリンスマンとは犬猿の仲である。
一時期ガンバ大阪に入団する話があった。
(23/150)【15】

アンドレアス・ケプケ
(1962/3/12〜)
〔GK〕<S>
アンディ ホルシュタイン・キール
シャルロッテンブルク
ヘルタ・ベルリン
ニュルンベルク
アイントラハト・フランクフルト
オリンピック・マルセイユ
ニュルンベルク
ワールドカップ 90年(優) 98年(8)
(0/59)[44]
シュテファン・クンツ
(1962/10/30〜)
〔FW〕<A>
ボーフム
ユルティンゲン05
カイザースラウテルン
ベシクタシュ
アルミニア・ベールスホット
ワールドカップ 94年(8)
EURO 96年
※出場した代表の試合は20勝5分けと負けがない。
(6/25)
ユルゲン・クリンスマン
(1964/7/30〜)
〔FW〕<S>
黄金の隼 シュトゥットガルト・キッカーズ
シュトゥットガルト

インテルナツィオナーレ・ミラノ
モナコ
トッテナム・ホットスパー
バイエルン・ミュンヘン
サンプドリア
 トッテナム・ホットスパー(L)
オレンジ・カウンティ
ワールドカップ 90年(優) 94年(8) 98年(8)
UEFAカップ 90-91年 95-96年
※フェラーと並び、代表得点記録3位である。
実家はパン屋であり、自身も職人の資格を持っている。
オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(47/108)

トーマス・ベルトルト
(1964/11/12〜)
〔DF〕<S>
アイントラハト・フランクフルト
エラス・ヴェローナ
ローマ
バイエルン・ミュンヘン
シュトゥットガルト
アダナスポル
ワールドカップ 86年(準) 90年(優) 94年(8)
UEFAカップ 90-91年  
(1/62)
トーマス・ヘルマー
(1965/4/21〜)
〔DF〕<A>
アルミニア・ビーレフェルト
ボルシア・ドルトムント
バイエルン・ミュンヘン
ヘルタ・ベルリン
ワールドカップ 94年(8) 98年(8)
EURO 96年
UEFAカップ 95-96年
(5/68)
カール=ハインツ・リードレ
(1965/9/16〜)
〔FW〕<S>
アウクスブルク
ブラウ・ヴァイス・ベルリン
ヴェルダー・ブレーメン
ラツィオ
ボルシア・ドルトムント
リヴァプール
フラム
ワールドカップ 94年(8)
チャンピオンズリーグ 96-97年
※オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(16/42)
ユルゲン・コーラー
(1965/10/6〜)
〔DF〕<S>
鋼のストッパー ヴァルトホーフ・マンハイム
ケルン
バイエルン・ミュンヘン
ユヴェントス
ボルシア・ドルトムント
ワールドカップ 90年(優) 94年(8) 98年(8)
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
UEFAカップ 92-93年
※ドイツでは「サッカーの神」と呼ばれている。
(2/105)
ウルフ・キルシュテン
(1965/12/4〜)
〔FW〕<S>   
ケミー・リーサ
ディナモ・ドレスデン
バイエル・レバークーゼン
ワールドカップ 94年(8) 98年(8)
※東ドイツ、ドイツ代表として合計100試合に出場した。
(21/51)
トーマス・ドル
(1966/4/9〜)
〔MF〕<A>   
ハンザ・ロシュトク
ディナモ・ベルリン
ハンブルガー
ラツィオ
アイントラハト・フランクフルト
バーリ
(1/18)
オラフ・トーン
(1966/5/1〜)
〔MF/DF〕<A>
シャルケ04
バイエルン・ミュンヘン
シャルケ04
ワールドカップ 86年(準) 90年(優) 98年(8)
UEFAカップ 96-97年
(3/52)
トーマス・へスラー
(1966/5/30〜)
〔MF〕<S>
イッケ ケルン
ユヴェントス
ローマ
カールスルーエ
ボルシア・ドルトムント
1860ミュンヘン
アウストリア・ザルツブルク
ワールドカップ 90年(優) 94年(8) 98年(8)
EURO 96年
※オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(11/101)

シュテファン・ロイター
(1966/10/16〜)
〔DF/MF〕<A>
ターボ・シュテファン ニュルンベルク
バイエルン・ミュンヘン
ユヴェントス
ボルシア・ドルトムント
ワールドカップ 90年(優) 98年(8)
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
(2/69)
ボド・イルクナー
(1967/4/7〜)
〔GK〕<S>   
ケルン
レアル・マドリード
ワールドカップ 90年(優) 94年(8) 98年(8)
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年
トヨタカップ 98年
(0/54)
ユルゲン・クロップ
(1967/6/16〜)
〔FW〕<B>
アイントラハト・フランクフルト
ヴィクトリア・ジンドリンゲン
ロート=ヴァイス・フランクフルト
マインツ05
※低迷の続いたドルトムントを立て直すとともに、ゲッツェ、シャヒン、ベンダー、香川ら若手をブレイクさせた。
(0/0)
アンドレアス・メラー
(1967/9/2〜)
〔MF〕<S>
ターボ アイントラハト・フランクフルト
ボルシア・ドルトムント
アイントラハト・フランクフルト
ユヴェントス
ボルシア・ドルトムント
シャルケ04
アイントラハト・フランクフルト
ワールドカップ 90年(優) 94年(8) 98年(8)
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
UEFAカップ 92-93年
(30/85)

マテアス・ザマー
(1967/9/5〜)
〔MF/DF〕<S>
   
鉄人
ファイヤー・ヘッド
ディナモ・ドレスデン
シュトゥットガルト
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボルシア・ドルトムント
ワールドカップ 94年(8)
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
※90年代を代表するリベロ。
ゲームを組み立てるにとどまらず、時としてシャードーストライカー的役割をこなした。
故障に苦しみ、若くして現役を引退した。
(8/51)
オリバー・ビアホフ
(1968/5/1〜)
〔FW〕<A>
ジャーマンタワー バイエル・ユルティンゲン
ハンブルガー
オーストリア・ザルツブルク
アスコリ
ウディネーゼ
ミラン

モナコ
キエーヴォ・ヴェローナ
ワールドカップ 98年(8)
EURO 96年
UEFAカップ 95-96年
※引退試合は日本で行われた。
ミランではザッケローニ監督のもと、1トップとしてスクデット獲得に貢献した。
(37/70)
シュテファン・エッフェンベルク
(1968/8/2〜)
〔MF〕<A>
エッフェ
ティーガー
ボルシア・メンヘングラートバッハ
バイエルン・ミュンヘン
フィオレンティーナ
ヴォルフスブルク
アル・アラビ・ドーハ
ワールドカップ 94年(8)
※問題児として知られ、94年W杯では、観客に挑発的態度を取ったとして強制帰国させられた。
(5/35)
マリオ・バスラー
(1968/12/18〜)
〔MF〕<A>
スーパー・マリオ カイザースラウテルン
ロット・ヴァイス・エッセン
ヘルタ・ベルリン
ヴェルダー・ブレーメン
バイエルン・ミュンヘン
カイザースラウテルン
アル・アラヤーン
ワールドカップ 94年(8)
※問題児として知られる。
極度のヘビースモーカーである。
(2/30)
オリバー・カーン
(1969/6/15〜)
〔GK〕<S>
オリー カールスルーエ
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 94年(8) 98年(8) 02年(準) 06年(3)
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 00-01年
トヨタカップ 01年
UEFAカップ 95-96年
※W杯には4度メンバーに選ばれているが、レギュラーだったのは2002年のみである。
相手のサポーターからゴリラの真似をされることが度々あった。
(0/86)

マルコ・ボーデ
(1969/7/23〜)
〔MF〕<A>
ヴェルダー・ブレーメン ワールドカップ 02年(準)
EURO 96年
カップウィナーズカップ 91-92年
(9/40)
イェンス・レーマン
(1969/11/10〜)
〔GK〕<S>
マッド・イェンス シャルケ04
ミラン
ボルシア・ドルトムント
アーセナル
シュトゥットガルト
アーセナル
ワールドカップ 98年(8) 02年(準) 06年(3)
UEFAカップ 96-97年
※試合中こっそり広告看板の陰で放尿したことがある。
(0/61)
メーメット・ショル
(1970/10/16〜)
〔MF〕<A>
ショリー
ガラスの天才
カールスルーエ
バイエルン・ミュンヘン
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 00-01年
トヨタカップ 01年
UEFAカップ 95-96年
(8/36)
クリスティアン・ツィーゲ
(1972/2/1〜)
〔DF/MF〕<A>
バイエルン・ミュンヘン
ミラン
ミドルズブラ
リヴァプール
トッテナム・ホットスパー
ボルシア・メンヘングラートバッハ
ワールドカップ 98年(8) 02年(準)
EURO 96年
UEFAカップ 95-96年
(9/72)
オリバー・ノイヴィル
(1973/5/1〜)
〔FW〕<A>
オリー セルヴェット
テネリフェ
ハンザ・ロシュトック
バイエル・レバークーゼン
ボルシア・メンヘングラートバッハ
アルミニア・ビーレフェルト
ワールドカップ 02年(準) 06年(3)
※父はベルギー人、母はイタリア人である。
若干猫背で、あまり凄そうに見えないが、代表の試合で度々貴重な得点をあげる。
(10/69)
ディートマー・ハマン
(1973/8/27〜)
〔MF〕<A>
ディディ バイエルン・ミュンヘン
ニューカッスル・ユナイテッド
リヴァプール
ボルトン・ワンダラーズ
マンチェスター・シティ
ミルトン・キーンズ
ワールドカップ 98年(8) 02年(準)
(5/59)
ベルント・シュナイダー
(1973/11/17〜)
〔MF〕<S>
シュニックス カールツァイス・イェーナ
アイントラハト・フランクフルト
バイエル・レバークーゼン
ワールドカップ 02年(準) 06年(3)
(4/81)
イェンス・ノボトニー
(1974/1/11〜)
〔DF〕<A>
イェンネ カールスルーエ
バイエル・レバークーゼン
ディナモ・ザグレブ
ワールドカップ 06年(3)
(1/48)
イェンス・イェレミース
(1974/3/15〜)
〔MF〕<A>
イェリー ディナモ・ドレスデン
1860ミュンヘン
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 98年(8) 02年(準)
(1/55)
カルステン・ラメロウ
(1974/3/20〜)
〔MF/DF〕<A>
ヘルタ・ベルリン
バイエル・レバークーゼン
ワールドカップ 02年(準)
(3/46)
カルステン・ヤンカー
(1974/8/20〜)
〔FW〕<A>
ケルン
ラピド・ウィーン
バイエルン・ミュンヘン
ウディネーゼ
カイザースラウテルン
上海申花
マッテルスブルク
ワールドカップ 02年(準)
(10/33)
ミハエル・バラック
(1976/9/26〜)
〔MF〕<S>
小皇帝 カイザースラウテルン
バイエル・レバークーゼン
バイエルン・ミュンヘン
チェルシー
バイエル・レバークーゼン
ワールドカップ 02年(準) 06年(3)
※ルーツはドイツ少数民族のソルブ人である。
国際タイトルに縁がなく「シルバーコレクター」の異名がある。
引退に際し、ドイツサッカー協会と揉めた。
(42/98)

トルステン・フリンクス
(1976/11/22〜)
〔MF〕<A>
ルッチャー アレマニア・アーヘン
ヴェルダー・ブレーメン
ボルシア・ドルトムント
バイエルン・ミュンヘン
ヴェルダー・ブレーメン
トロント
ワールドカップ 02年(準) 06年(3)
(10/79)
ミロスラフ・クローゼ
(1978/6/9〜)
〔FW〕<S>
ミロ カイザースラウテルン
ヴェルダー・ブレーメン

バイエルン・ミュンヘン
ラツィオ
ワールドカップ 02年(準) 06年(3) 10年(3) 14年(優)
※ポーランド出身である。
代表最多得点記録保持者。
カイザースラウテルン時代はプロになるまで大工のアルバイトをしていた。
得点すると、前方宙返りを行う。
W杯にめっぽう強く、通算得点の歴代1位。ドイツ代表としても、2014年にとうとうゲルト・ミュラーを抜き、トップとなった。
(71/136)
アルネ・フリードリヒ
(1979/5/29〜)
〔DF〕<A>   
シューティングスター
フルド
フェール
アルミニア・ビーレフェルト
ヘルタ・ベルリン
ヴォルフスブルク
シカゴ・ファイアー
ワールドカップ 06年(3) 10年(3)
(1/82)
セバスティアン・ダイスラー
(1980/1/5〜)
〔MF〕<A>
バスティ ボルシア・メンヘングラートバッハ
ヘルタ・ベルリン
バイエルン・ミュンヘン
※将来を嘱望されたゲームメーカーだったが、うつ病にかかり、度々戦列を離れた。一時期行方不明となった事もある。
(3/36)
ケヴィン・クラニー
(1982/3/2〜)
〔FW〕<A>
ケブ シュトゥットガルト
シャルケ04
ディナモ・モスクワ
ホッフェンハイム
※母はパナマ人である。
ブラジル国籍も持つが、ナショナルチームはドイツを選択した。
2000年代のドイツを代表するフォワードだが、W杯には縁がなかった。
(19/52)
フィリップ・ラーム
(1983/11/11〜)
〔MF/DF(SB)〕<S>
ワイヤレス・ラーム
魔法の小人
バイエルン・ミュンヘン
 シュトゥットガルト(L)
ワールドカップ 06年(3) 10年(3) 14年(優)
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年

※2011年に自伝を出版し、フェラー、クリンスマン、ファン・ハール、マガトら複数の監督を批判した。
(5/113)

シュテファン・キースリング
(1984/1/25〜)
〔MF〕<A>
ニュルンベルク
バイエル・レバークーゼン
ワールドカップ 10年(3)
※代表戦出場にはあまり恵まれないが、クラブではコンスタントに得点をあげ、計算できるフォワード。
(0/6)
ヴァスティアン・シュバインシュタイガー
(1984/8/1〜)
〔MF〕<S>
ヴァスティ バイエルン・ミュンヘン
マンチェスター・ユナイテッド
シカゴ・ファイアー
ワールドカップ 06年(3) 10年(3) 14年(優)
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
※愛称は一般的にはシュヴァイニーと呼ばれるが、Schweinは豚の意味であるため、本人は気に入っていない。
妻はプロテニスプレイヤーのアナ・イバノヴィッチである。
(24/121)
ペア・メルテザッカー
(1984/9/29〜)
〔DF〕<A>   
ハノーファー96
ヴェルダー・ブレーメン
アーセナル
ワールドカップ 06年(3) 10年(3) 14年(優)
(4/104)
ルーカス・ポドルスキ
(1985/6/4〜)
〔FW〕<S>
ポルディ
プリンツ・ポルディ
ケルン
バイエルン・ミュンヘン
ケルン
アーセナル
 インテルナツィオナーレ・ミラノ(L)
ガラタサライ
ヴィッセル神戸
アンタルヤスポル
グールニク・サブジェ
ワールドカップ 06年(3) 10年(3) 14年(優)
※ポーランド(系ドイツ)人であることを誇りに思っている。
ミハエル・シューマッハが彼のケルン復帰のために875ユーロの資金援助をしたことがある。
(48/129)
マリオ・ゴメス
(1985/7/10〜)
〔FW〕<A>
闘牛士
スーパーマリオ
シュトゥットガルト
バイエルン・ミュンヘン

フィオレンティーナ
 ベシクタシュ(L)
ヴォルフスブルク
シュトゥットガルト
ワールドカップ 10年(3) 18年
チャンピオンズリーグ 12-13年
※父はスペイン人である。
(31/78)
マヌエル・ノイアー
(1986/3/27〜)
〔GK〕<S>
マヌ シャルケ04
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 10年(3) 14年(優) 18年 22年
チャンピオンズリーグ 12-13年 19-20年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年 20年
※タイミングのよい飛び出し、足元のうまさ、キックの精度、シュートへの反応全てにおいて一流かつ現役最高のゴールキーパー。11人目のフィールドプレーヤーのような存在である。
14年W杯ドイツ優勝の立役者。
サミ・ケディラ
(1987/4/4〜)
〔MF〕<S>
シュトゥットガルト
レアル・マドリード
ユヴェントス
ヘルタ・ベルリン
ワールドカップ 10年(3) 14年(優) 18年
チャンピオンズリーグ 13-14年
クラブワールドカップ 14年
スーパーカップ 14年

※父はチュニジア人である。
(7/77)
ユリアン・ナーゲルスマン
(1987/7/23〜)
〔DF〕<D>
1860ミュンヘンU
アウクスブルクU
※2016年、28歳でブンデスリーガ史上最年少監督になった。
(0/0)
ジェローム・ボアテンク
(1988/9/3〜)
〔DF〕<A>   
ヘルタ・ベルリン
ハンブルガー
マンチェスター・シティ
バイエルン・ミュンヘン
オリンピック・リヨン
サレルニターナ
LASKリンツ
ワールドカップ 10年(3) 14年(優) 18年
チャンピオンズリーグ 12-13年 19-20年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年 20年

※父はガーナ出身である。
異母弟で、ガーナ代表を選択したケビンとは10年W杯で対戦した。
(1/73)
メスト・エジル
(1988/10/15〜)
〔MF〕<S>   
新たなジエゴ
オズの魔法使い
El Buho(フクロウ)
ニモ
シャルケ04
ヴェルダー・ブレーメン
レアル・マドリード
アーセナル
フェネルバフチェ
イスタンブール・バシャクシェヒル
ワールドカップ 10年(3) 14年(優) 18年
※トルコ系移民の3世で、ムスリムであり、サッカーに支障のない程度でラマダンも行っている。
(23/91)
マッツ・フメンルス
(1988/12/16〜)
〔DF〕<A>
バイエルン・ミュンヘン
ボルシア・ドルトムント
バイエルン・ミュンヘン
ボルシア・ドルトムント
ローマ
ワールドカップ 10年(3) 14年(優)
(5/76)
マルコ・ロイス
(1989/5/31〜)
〔MF/FW〕<A>
バイエル・レバークーゼン
ボルシア・ドルトムント
ロサンゼルス・ギャラクシー
ワールドカップ 10年(3) 18年
※14年W杯は直前のケガにより出場を断念した。
トマス・ミュラー
(1989/9/13〜)
〔MF/FW〕<S>
バイエルン・ミュンヘン ワールドカップ 10年(3) 14年(優) 18年 22年
チャンピオンズリーグ 12-13年 19-20年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年 20年

※10年W杯では、最年少の20歳で得点王となった。
オフ・ザ・ボールの王様と称される。
トニ・クロース
(1990/1/4〜)
〔MF〕<S>
バイエルン・ミュンヘン
 バイエル・レバークーゼン(L)

レアル・マドリード
ワールドカップ 10年(3) 14年(優) 18年
チャンピオンズリーグ 12-13年 15-16年 16-17年 17-18年
21−22年 23−24年
クラブワールドカップ 13年 14年 16年 17年 18年 22年
スーパーカップ 13年 14年 16年 17年 22年
※FIFAの分析システムにおいて、14年W杯の最高選手に選ばれた。
2024年、母国開催のEURO2024に向け、約3年ぶりに代表に復帰した。
(17/106)
イルカイ・ギュンドアン
(1990/10/24〜)
〔MF〕<S>
ニュルンベルク
ボルシア・ドルトムント
マンチェスター・シティ
バルセロナ
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 18年 22年
※両親はトルコ人である。
香川と仲が良い。
アンドレ・シュールレ
(1990/11/6〜)
〔FW〕<A>
マインツ05
バイエル・レバークーゼン
チェルシー
ヴォルフスブルク
ボルシア・ドルトムント
 フラム(L)
 スパルタク・モスクワ(L)
ワールドカップ 14年(優)
(22/57)
マルク=アンドレ・テア・シュテーゲン
(1992/4/30〜)
〔GK〕<S>
ボルシア・メンヘングラートバッハ
バルセロナ
ワールドカップ 18年 22年
チャンピオンズリーグ 14-15年
クラブワールドカップ 15年

スーパーカップ 15年
※14-15年シーズンにバルセロナへ移籍、リーグ戦出場はゼロながら、CLでは全試合に出場し、クラブの3冠に貢献した。
マリオ・ゲッツェ
(1992/6/3〜)
〔MF〕<A>
ボルシア・ドルトムント
バイエルン・ミュンヘン
ボルシア・ドルトムント
PSV
アイントラハト・フランクフルト
ワールドカップ 14年(優) 22年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年

※ザマ−から「最高の逸材」と評価されていたが、バイエルン移籍後は徐々に精彩を欠き、ドルトムントに復帰した。
14年W杯決勝で決勝点をあげた。
約5年ぶりに代表に復帰、22年ワールドカップ代表に選ばれた。
(17/62)
ユリアン・ドラクスラー
(1993/9/20〜)
〔FW〕<A>
シャルケ04
ヴォルフスブルク
パリ・サンジェルマン
 ベンフィカ(L)
アル・アハリ・ドーハ
ワールドカップ 18年
コンフェデレーションズカップ 17年
※2014年、ドイツ代表史上最年少でキャプテンをつとめた。
ヨシュア・キミッヒ
(1995/2/8〜)
〔MF〕<A>
レッドブル・ライプティヒ
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 18年 22年
セルジュ・ニャブリ
(1995/7/14〜)
〔FW(WG)〕<A>
アーセナル
 ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(L)
ヴェルダー・ブレーメン
バイエルン・ミュンヘン
 ホッフェンハイム(L)
ワールドカップ 22年
チャンピオンズリーグ 19-20年
スーパーカップ 20年
クラブワールドカップ 20年

※父はコートジボワール人である。
レロイ・サネ
(1996/1/11〜)
〔FW〕<A>
シャルケ04
マンチェスター・シティ
バイエルン・ミュンヘン
ワールドカップ 22年
コンフェデレーションズカップ 17年
スーパーカップ 20年
※父は元セネガル代表選手。母は新体操のオリンピック銅メダリストである。
ティモ・ヴェルナー
(1996/3/6〜)
〔FW〕<A>
シュトゥットガルト
レッドブル・ライプティヒ
チェルシー
レッドブル・ライプティヒ
 トッテナム・ホットスパー(L)
ワールドカップ 18年
コンフェデレーションズカップ 17年
ジャマル・ムシアラ
(2003/2/26〜)
〔MF〕<A>
バイエルン・ミュンヘン ワールドカップ 22年
※父はナイジェリア出身。幼いころにイギリスへ渡ったため、U-21まではイングランド代表だった。。
東 ド イ ツ 9人】
  Weltmeister in Freundschaftsspielen   
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ペーター・デュッケ
(1941/10/14〜)
〔FW〕<A>
カールツァイス・イェーナ ワールドカップ 74年
※オリンピックミュンヘン大会銅メダリスト。
(15/68)
ユルゲン・クロイ
(1946/10/19〜)
〔GK〕<A>
ツヴィッカウ ワールドカップ 74年
※オリンピックミュンヘン大会銅メダリスト。
(0/86)[46]
ハンス・ユルゲン・クライシェ
(1947/7/19〜)
〔FW〕<A>
ディナモ・ドレスデン ワールドカップ 74年
※オリンピックミュンヘン大会銅メダリスト。
(25/50)
ユルゲン・シュパールヴァッサー
(1948/6/4〜)
〔MF〕<A>
マクデブルク ワールドカップ 74年
カップウィナーズカップ 73年-74年
※引退後、西ドイツへ亡命した。
オリンピックミュンヘン大会銅メダリスト。
(15/53)
ヨアヒム・シュトライヒ
(1951/4/13〜)
〔FW〕<A>
ハンザ・ロストック
マクデブルク
ワールドカップ 74年
※代表最多出場、最多得点記録保持者。
オリンピックミュンヘン大会銅メダリスト。
(53/98)
ライナー・エルンスト
(1961/12/31〜)
〔FW〕<B>
ベルリナーFCディナモ
カイザースラウテルン
ジロンダン・ボルドー
カーン
チューリッヒ
ザルムローア
(20/56)
ウルフ・キルシュテン
(1965/12/4〜)
〔FW〕<A>   
ケミー・リーサ
ディナモ・ドレスデン
バイエル・レバークーゼン
ワールドカップ 94年(8) 98年(8)
(14/49)
トーマス・ドル
(1966/4/9〜)
〔MF〕<A>   
ハンザ・ロシュトク
ディナモ・ベルリン
ハンブルガー
ラツィオ
アイントラハト・フランクフルト
バーリ
(7/29)
マテアス・ザマー
(1967/9/5〜)
〔MF/DF〕<S>
   
鉄人
ファイヤー・ヘッド
ディナモ・ドレスデン
シュトゥットガルト
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボルシア・ドルトムント
ワールドカップ 94年(8)
EURO 96年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
(6/23)
ザールラント 3人】
  
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ヘルベルト・ビンケルト
(1923/9/3〜2020/1/4)
〔FW〕<B>
ザールブリュッケン
カールスルーエ
シュトゥットガルト
ザールブリュッケン
※代表最多得点記録保持者。
(6/12)
ヘルベルト・マルティン
(1925/8/25〜2016/9/29)
〔FW〕<B>
エンスドルフ
ザールブリュッケン
※代表最多得点記録保持者。
(6/16)
ハインツ・ヴォルマー
(1936/4/26〜1987/10/11)
〔FW〕<A>
ザールブリュッケン ワールドカップ 64年
※西ドイツ代表として62年W杯のメンバーに選ばれた。
(4/4)
(3/12)西ドイツ
イ タ リ ア 158人】
  Azzurri   
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
エンリコ・パスツール
(1882/8/27〜1958/11/28)
〔MF〕<A>
ジェノア ※19世紀から20世紀に掛けて、イタリア選手権に5度優勝したジェノアの中心選手。
ヴィットーリオ・ポッツォ
(1886/3/2〜1968/6/2)
〔?〕<A>
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
トリノ
※メソドシステムを確立し、34年、38年とイタリアをW杯2連覇に導いた名将。
(0/0)
カルロ・カルカーノ
(1891/2/26〜1965/6/23)
〔MF〕<B>
アレッサンドリア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
アレッサンドリア
ナポリ
※30年代、ユヴェントスの黄金期を創り上げ、セリエAを4連覇した。
(1/5)
エンリコ・サルディ
(1891/4/1〜1969/7/4)
〔FW〕<A>
ジェノア
サボナ
※20年代にイタリア選手権を2連覇したジェノアの中心選手。
(4/7)
カルロ・ランピニ
(1891/10/25〜1968/3/28)
〔FW〕<A>
プロ・ヴェルチェッリ ※ヴェルチェッリの黄金期に活躍した。
(3/8)
レンツォ・デ・ヴェッキ
(1894/5/14〜1967/5/14)
〔DF(SB)〕<S>
神の子 ミラン
ジェノア
※20年代にイタリア選手権を2連覇したジェノアの中心選手。
15歳で代表に選ばれ、1912年から3度の五輪に出場した。
(0/43)
カルロ・ビガット
(1895/8/29〜1942/9/16)
〔MF〕<A>
ユヴェントス ※ユヴェントスのキャプテンをつとめた。
(0/5)
アドルフォ・バロンチェッリ
(1897/7/27〜1986/7/23)
〔FW〕<A>
アレッサンドリア
トリノ
コモ
※トリノの初優勝に貢献したクラブの中心選手。
オリンピックアムステルダム大会銅メダリスト。
(25/47)
オッタビオ・バルビエリ
(1899/4/30〜1949/12/28)
〔MF〕<A>
ジェノア ※20年代にイタリア選手権を2連覇したジェノアの中心選手。
(0/21)
ウンベルト・カリガリス
(1901/7/26〜1940/10/19)
〔DF〕<A>
ユヴェントス
ブレシア
ワールドカップ 34年(優)
※オリンピックアムステルダム大会銅メダリスト。
オリンピックベルリン大会金メダリスト。
(0/59)
フェデリコ・ムネラティ
(1901/9/20〜1980/7/26)
〔FW〕<A>
ユヴェントス
サンプドリア
ピストイエーゼ
※30年代、ユヴェントスの最初の黄金期の中心選手。
(0/4)
マリオ・マニョッツィ
(1902/3/20〜19716/25)
〔MF〕<A>
リヴォルノ
ミラン
リヴォルノ
※オリンピックアムステルダム大会銅メダリスト。
(13/29)
ジャンピエロ・コンビ
(1902/12/20〜1956/8/12)
〔GK〕<S>
ユヴェントス ワールドカップ 34年(優)
※30年代、ユヴェントスの最初の黄金期の不動の守護神。
オリンピックアムステルダム大会銅メダリスト。
(0/47)40]
ジノ・ロセッティ
(1904/11/7〜1992/5/16)
〔MF〕<A>
スペツィア
トリノ
ナポリ
トリノ
スペツィア
※トリノの初優勝に貢献したクラブの中心選手。
オリンピックアムステルダム大会銅メダリスト。
(9/13)
アンジェロ・スキアビオ
(1905/10/15〜1990/4/17)
〔FW〕<S>
ボローニャ ワールドカップ 34年(優)
※ボローニャ黄金期の中心選手。
34年W杯の得点王とされてきたが、2006年に記録が訂正され、得点王でなくなった。
(15/21)

フルビオ・ベルナルディーニ
(1905/12/28〜1984/1/13)
〔MF〕<A>
ラツィオ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ
M.A.T.E.ローマ
※オリンピックアムステルダム大会銅メダリスト。
ローマの殿堂のひとり。
(3/26)
ジョヴァンニ・フェラーリ
(1907/12/2〜1982/12/2)
〔MF〕<S>
アレッサンドリア
インテルナポリ
アレッサンドリア
ユヴェントス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボローニャ
ユヴェントス
ワールドカップ 34年(優) 38年(優)
※30年代、ユヴェントスの最初の黄金期の中心選手。
(14/44)
ジュゼッペ・メアッツァ
(1910/8/23〜1979/8/21)
〔FW〕<SS>
ペッピーノ
バリッラ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ミラン
ユヴェントス
ヴァレーゼ
アタランタ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 34年(優) 38年(優)
※インテルとミランのホームスタジアムにその名を残すイタリア史上最高の伝説的ストライカー。30年代インテルの最初の黄金期に活躍した。
インテル、ミラン、ユーヴェの三大クラブを渡り歩いた稀有な選手。
(33/54)21】
アルフレド・フォニ
(1911/1/20〜1985/1/28)
〔DF〕<A>
ウディネーゼ
ラツィオ
パドヴァ
ユヴェントス
ワールドカップ 38年(優)
※オリンピックベルリン大会金メダリスト。
インテル監督時代、ボルトシステムを取り入れ、スクデットを獲得した。
(0/23)
アンニベレ・フロッシ
(1911/8/6〜1999/2/26)
〔MF〕<A>
ウディネーゼ
パドヴァ
バーリ
パドヴァ
ラクイラ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
プロ・パトリア
コモ
※極度の近視でまん丸の眼鏡姿が印象的。
オリンピックベルリン大会金メダリストで得点王。日本戦でハットトリックを達成した。
インテル(アンブロジアーナ)の30年代の黄金期にレギュラーとして活躍した。
(8/5)
ネレオ・ロッコ
(1912/12/20〜1979/2/20)
〔MF〕<A>
トリエスティーナ
ナポリ
パドヴァ
※ミランの監督時代、イタリアのクラブ初のチャンピオンズカップ優勝を成し遂げた名将。
カテナチオを初めて戦術として取り入れた監督とされる。
(0/1)

シルビオ・ピオラ
(1913/9/29〜1996/10/4)
〔FW〕<SS>
プロ・ヴェルチェッリ
ラツィオ

トリノ
ユヴェントス
ノヴァーラ
ワールドカップ 38年(優)
※セリエA通算最多得点を誇るイタリアを代表するフォワード。
(30/34)【51】

フェリーチェ・ボレール
(1914/4/5〜1993/1/21)
〔FW〕<S>
ユヴェントス
トリノ
ユヴェントス
アレッサンドリア
ナポリ
ワールドカップ 34年(優)
※30年代、ユヴェントスの最初の黄金期に活躍したイタリアを代表するストライカー。
(1/3)
アメデオ・ビアバーティ
(1915/4/4〜1979/4/22)
〔FW〕<A>
ボローニャ ワールドカップ 38年(優)
※ボローニャ黄金期の中心選手。
(8/18)
アルド・ボッフィ
(1915/10/26〜1987/10/26)
〔FW〕<S>
ミラン
アタランタ
セレーニョ
※セリエA得点王3回は、イタリア人としてはトップタイである。
(0/2)
グリエルモ・ガベット
(1916/2/24〜1949/5/4)
〔FW〕<S>
ユヴェントス
トリノ
※40年代、セリエAで圧倒的な強さを誇った「グランデ・トリノ」のメンバー。「スペルガの悲劇」にて早世。
(5/6)
エクトル・プリチェッリ
(1916/9/15〜2001/5/15)
〔FW〕<A>
ボローニャ
ミラン
※ウルグアイ出身である。
ボローニャ黄金期の中心選手。
(1/1)
バレンティーノ・マッツォーラ
(1919/1/26〜1949/5/4)
〔FW/MF〕<S>
トゥーレン
(ブリキ職人)
ヴェネツィア
トリノ
※「グランデ・トリノ」のキャプテンであり中心選手。「スペルガの悲劇」にて早世。
サンドロ・マッツォーラの父。
(4/12)

ロメオ・メンティ
(1919/9/5〜1949/5/4)
〔FW〕<S>
ヴィチェンツァ
フィオレンティーナ
トリノ
※「グランデ・トリノ」のメンバー。「スペルガの悲劇」にて早世。
(5/7)
エツィオ・ロイク
(1919/9/26〜1949/5/4)
〔FW〕<A>
ミラン
ウニオーネ・ヴェネツィア
トリノ
 ミラン(L)
 スタビア(L)
 フィオレンティーナ(L)
※「グランデ・トリノ」のメンバー。「スペルガの悲劇」にて早世。
(0/0)
エスセビオ・カスティリャーノ
(1921/2/9〜1949/5/4)
〔MF〕<A>
プロ・ヴェルチェッリ
ビエレーゼ
トリノ
※「グランデ・トリノ」のメンバー。「スペルガの悲劇」にて早世。
(1/7)
アルド・バッラリン
(1922/5/4〜1949/5/4)
〔DF〕<A>
ロヴィーゴ
トリエステョーナ
ウニオーネ・ヴェネツィア
トリノ
※「グランデ・トリノ」のメンバー。
弟のディノも「スペルガの悲劇」で犠牲になった。
(0/9)
リッカルド・カラペッレーゼ
(1922/7/1〜1995/10/20)
〔FW〕<A>
スペツィア
コモ
ミラン
トリノ
ユヴェントス
ジェノア
カターニア
ヴィジェーヴァノ
テルナーナ
ワールドカップ 50年 54年
(10/16)
オメーロ・トニョン
(1924/3/3〜1990/8/23)
〔MF〕<A>
ミラン ワールドカップ 50年 54年
※50年代のミラン黄金期のミッドフィルダー。
(0/14)
ベニト・ロレンツィ
(1925/12/20〜2007/3/3)
〔FW〕<A>
ベレーノ エンポリ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
アレッサンドリア
ブレシア
ベレーゼ
ワールドカップ 50年 54年
(4/14)
エジスト・パンドルフィーニ
(1926/2/19〜2019/1/29)
〔FW〕<A>
フィオレンティーナ
エンポリ
SPAL
フィオレンティーナ
ローマ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
SPAL
エンポリ
ワールドカップ 50年 54年
(9/21)
エンツォ・ベアルツォット
(1927/9/26〜2010/12/21)
〔MF〕<A>
インテルナツィオナーレ・ミラノ
カターニア
トリノ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
トリノ
※82年W杯では様々な逆境の中、イタリアを44年ぶりの優勝に導いた監督。
(0/1)
ジャンピエロ・ボニペルティ
(1928/7/8〜2021/6/18)
〔FW/MF〕<S>
ユヴェントス ワールドカップ 50年 54年
※チャールズ、シボリとのトリオは「トリノ・マジコ」と呼ばれた。
ユヴェントス会長時代デル・ピエーロを見出したが、ユーヴェの歴代最多得点記録はそのデル・ピエーロに抜かれるまでトップだった。
(7/38)

セルジオ・チェルヴァト
(1929/10/22〜2005/11/9)
〔DF〕<A>
フィオレンティーナ
ユヴェントス
SPAL
ワールドカップ 54年
(4/28)
ジョルジョ・ゲッツィ
(1930/7/10〜1990/12/12)
〔GK〕<A>
カミカゼ リミニ
モデナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ジェノア
ミラン
ワールドカップ 54年
(0/6)
カルロ・ガッリ
(1931/3/6〜2022/11/6)
〔FW〕<A>
黄金のヘッド チッタ・ディ・パレルモ
ローマ
ミラン
ウディネーゼ
ジェノア
ラツィオ
ワールドカップ 54年
(5/13)
チェーザレ・マルディーニ
(1932/2/5〜2016/4/3)
〔DF〕<A>
トリエスティーナ
ミラン
トリノ
ワールドカップ 62年
※パオロ・マルディーニの父。
(6/22)
ジュリアーノ・サルティ
(1933/10/2〜2017/6/6)
〔GK〕<A>
フィオレンティーナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ユヴェントス
※「グランデ・インテル」のゴールlキーパー。
(0/8)
ファビオ・クディチーニ
(1935/10/20〜)
〔GK〕<A>
黒グモ ウディネーゼ
ローマ
ブレシア
ミラン
チャンピオンカップ 62-63年 68-69年
インターコンチネンタルカップ 69年
カップウィナーズカップ 67-68年
※ミラン史に残る名ゴールキーパーのひとり。一方代表では控えに甘んじ、1試合も出場したことがない。
(0/0)
ジョバンニ・トラパットーニ
(1939/3/17〜)
〔MF〕<A>
トラップ
テデスコ
ミラン
ヴァレーゼ
ワールドカップ 62年
チャンピオンカップ 62-63年 68-69年
インターコンチネンタルカップ 69年
カップウィナーズカップ 67-68年
※監督としてUEFA3大タイトルを獲得したイタリア屈指の名将。
(1/17)
タルチシオ・ブルニチ
(1939/4/25〜2021/5/26)
〔DF〕<A>
ウディネーゼ
ユヴェントス
チッタ・ディ・パレルモ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ナポリ
ワールドカップ 66年 70年(準) 74年
欧州選手権 68年
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
※「グランデ・インテル」のメンバーのひとり。
(2/66)
ジョルジオ・フェッリーニ
(1939/8/18〜1976/11/8)
〔MF〕<A>
ヴァレーゼ
トリノ
ワールドカップ 62年
欧州選手権 68年
※60〜70年代のトリノ黄金期の中心選手で、クラブの最多出場記録保持者。
(0/7)
エンリコ・アルベルトージ
(1939/11/2〜)
〔GK〕<S>
フィオレンティーナ
カリアリ
ミラン
エルピディエンセ
ワールドカップ 62年 66年 70年(準) 74年
カップウィナーズカップ 60-61年
(0/34)
マリオ・コルソ
(1941/8/25〜2020/6/20)
〔MF〕<A>
マリオーノ インテルナツィオナーレ・ミラノ
ジェノア
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
※「グランデ・インテル」のメンバー。
(4/23)
アンジェロ・ドメンギーニ
(1941/8/25〜)
〔FW(WG)〕<A>
アタランタ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
カリアリ
ローマ
エラス・ヴェローナ
フォッジャ
オルビア
トレント
ワールドカップ 70年(準)
欧州選手権 68年
チャンピオンズカップ 64-65年
インターコンチネンタルカップ 65年
※「グランデ・インテル」のメンバーのひとり。
(7/33)
ディノ・ゾフ
(1942/2/28〜)
〔GK〕<SS>
モニュメント
スーペル・ディノ
ウディネーゼ
マントーヴァ
ナポリ
ユヴェントス
ワールドカップ 70年(準) 74年 78年(4) 82年(優)
欧州選手権 68年
UEFAカップ 76-77年
※1143分間連続無失点記録を持つ歴代欧州を代表するゴールキーパー。
(0/112)[3]
ジョバンニ・ロデッティ
(1942/8/10〜2023/9/22)
〔MF〕<A>
ミラン
サンプドリア
フォッジャ
ノヴァーラ
ワールドカップ 62年
欧州選手権 68年
チャンピオンカップ 62-63年 68-69年
インターコンチネンタルカップ 69年
カップウィナーズカップ 67-68年
(2/17)
ジャチント・ファケッティ
(1942/7/18〜2006/9/4)
〔DF〕<S>
インテルナツィオナーレ・ミラノ ワールドカップ 66年 70年(準) 74年
欧州選手権 68年
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
※「グランデ・インテル」のメンバー。
頻繁に攻撃参加するサイドバックの先駆け的存在。
(3/94)42】

サンドロ・マッツォーラ
(1942/11/8〜)
〔FW/MF〕<SS>
サンドロ インテルナツィオナーレ・ミラノ ワールドカップ 66年 70年(準) 74年
欧州選手権 68年
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
※「グランデ・インテル」の中心選手。リベラと並びイタリア史上屈指のゲームメーカーで、かつ高い得点能力を併せ持つ。
父は「グランデ・トリノ」のヴァレンティーノ・マッツォーラ。
6歳の時に父を事故でなくした。「スペルガの悲劇」
(22/70)43】

ジャンニ・リベラ
(1943/8/18〜)
〔MF〕<SS>
バンビーノ・デ・オーロ
(ゴールデンボーイ)
超頭脳
ガラスの脚
アレッサンドリア
ミラン
ワールドカップ 62年 66年 70年(準) 74年
欧州選手権 68年
チャンピオンカップ 62-63年 68-69年
インターコンチネンタルカップ 69年
カップウィナーズカップ 67-68年 72-73年
※15歳288日でセリエAデビュー(史上2番目)した当時欧州屈指のファンタジスタ。
カテナチオを痛烈に批判していたことから批判も多かった。
60〜70年代のミラン黄金期の中心選手として多くのタイトルを獲得したが、代表ではマッツォーラの控えに回ることが度々あった。
(14/60)19】

ロベルト・ボニンセーニャ
(1943/11/13〜)
〔FW〕<S>
プラート
ポテンツァ
ヴァレーゼ
カリアリ
インテルナツィオナーレ・ミラノ

ユヴェントス
エラス・ヴェローナ
ワールドカップ 70年(準) 74年
UEFAカップ 76-77年
(9/22)
ルイジ・リーヴァ
(1944/11/7〜2024/1/22)
〔FW〕<S>
サルディーニャの太陽
ジジ
カリアリ  ワールドカップ 70年(準) 74年
欧州選手権 68年
※代表最多得点記録保持者。
セリエA得点王3回は、イタリア人としてはトップタイである。
ユヴェントスなど多くのクラブからオファーを受けたが、引退するまでカリアリ一筋で過ごし、クラブ史上唯一のスクデット獲得に貢献した。
(35/42)

アリゴ・サッキ
(1946/4/1〜)
〔DF〕<C>
ディレッタンティ ※選手としては、親の会社を手伝いながら、5部のクラブでプレーしていた程度だったが、指導者になるやセリエC1のパルマを皮切りに、着々とキャリアを積み、ミランや代表監督にまで上り詰めた。
ゾーンプレスの生みの親。これは、ナポリのマラドーナ封じのために生み出した戦術とされる。
(0/0)
ファビオ・カペッロ
(1946/6/18〜)
〔MF〕<A> 
SPAL
ローマ
ユヴェントス
ミラン
ワールドカップ 74年
※ミランやレアル・マドリードなど監督としても多くの成功を修めている。
(8/32)
ピエリーノ・プラティ
(1946/12/13〜2020/6/22)
〔FW〕<A>
サレルニターナ
ミラン

 サヴォーナ(L)
ローマ
フィオレンティーナ
サヴォーナ
ロチェスター・ランサーズ
サヴォーナ
ワールドカップ  70年(準)
欧州選手権 68年
チャンピオンズカップ 62-63年 68-69年
インターコンチネンタルカップ 69年
カップウィナーズカップ 67-68年 72-73年
※チャンピオンズカップ決勝でハットトリックを達成した。
(7/14)
ジョルジオ・キナーリヤ
(1947/1/24〜2012/4/1)
〔FW〕<A>
ロング・ジョン スウォンジー・シティ
マッセーゼ
インテルナポリ
ラツィオ
ニューヨーク・コスモス
ワールドカップ 74年
※ラツィオ初のスクデットに貢献したエースストライカー。
ニューヨーク・コスモスではペレやベッケンバウアーらとプレーし、毎年のように得点王となった。
(4/14)
ネヴィオ・スカラ
(1947/11/22〜)
〔FW〕<A>
ミラン
 ローマ(L)
ビチェンツァ
フィオレンティーナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ミラン
フォッジャ
モンツァ
アドリエーセ
※90年代に「ミラクルパルマ」と呼ばれたパルマ黄金期の監督。
(0/0)
ピエトロ・アナスターシ
(1948/4/7〜)
〔FW〕<A>
ヴァレーゼ
ユヴェントス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
アスコリ
ルガーノ
ワールドカップ 74年
欧州選手権 68年
チャンピオンズカップ 67-68年
(8/25)
マルチェロ・リッピ
(1948/4/11〜)
〔MF〕<B>
サンプドリア
サヴォーナ
サンプドリア
ピストイエーゼ
ルッケーゼ
※W杯とチャンピオンズリーグを制した経験を持つ名将。
2012年、キャリア30年にして初めてイタリア国外の監督(広州)に就任した。
葉巻タバコの愛好家である。
(0/0)
フランコ・カウジオ
(1949/2/1〜)
〔MF〕<S>
バロン レッチェ
サンベネッテーゼ
ユヴェントス
レッジョ・カラブリア
チッタ・ディ・パレルモ
ユヴェントス
ウディネーゼ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
レッチェ
トリエスティーナ
ワールドカップ 74年 78年(4) 82年(優)
UEFAカップ 76-77年
(6/63)
パオロ・プリチ
(1950/2/7〜)
〔FW〕<A>
トリノ
ウディデーゼ
フィオレンティーナ
ワールドカップ 74年 78年(4)
※60〜70年代のトリノ黄金期のエースストライカー。
セリエA得点王3回は、イタリア人としてはトップタイである。
(5/19)
ルイジ・デル・ネーリ
(1950/8/23〜)
〔MF〕<B>
フォッジャ
ノヴァーラ
フォッジャ
ウディネーゼ
サンプドリア
ヴィチェンツァ
シエナ
プロ・ゴリッツァ
オピテリジーナ
※昇格のスペシャリストと呼ばれる。
(0/0)
ロベルト・ベッテガ
(1950/12/27〜)
〔FW〕<S>
ベンナ・ブランカ 
(白い羽)
ユヴェントス
 ヴァレーゼ(L)
トロント・ブリザード
ワールドカップ 78年(4)
UEFAカップ 76-77年
(19/42)
イヴァノ・ボルドン
(1951/4/13〜)
〔GK〕<A>
インテルナツィオナーレ・ミラノ
サンプドリア
ブレシア
サンレメーゼ
ワールドカップ 78年(4) 82年(優)
(0/22)
クラウディオ・ラニエリ
(1951/10/20〜)
〔DF〕<B>
アッジュスタトーレ
(修理屋)
ローマ
カタンツォーラ
カターニア
チッタ・ディ・パレルモ
※監督として「修理屋」の異名をとる。
リーグ優勝には恵まれなかったが、15-16年シーズンにレスターをプレミアリーグ優勝に導いた。
(0/0)
ガブリオレ・オリアリ
(1952/11/25〜)
〔MF〕<A>
インテルナツィオナーレ・ミラノ
フィオレンティーナ
ワールドカップ 82年(優)
(1/28)
フランチェスコ・グラッツィアーニ
(1952/12/16〜)
〔FW〕<S>
チェチョ アレッツォ
トリノ

フィオレンティーナ
ローマ
ウディネーゼ
ワールドカップ 78年(4) 82年(優)
(23/64)
ガエターノ・シレア
(1953/5/22〜1989/9/3)
〔DF〕<SS>
アタランタ
ユヴェントス
ワールドカップ 78年(4) 82年(優) 86年(16)
チャンピオンズカップ 84-85年
トヨタカップ 85年
UEFAカップ 76-77年
スーパーカップ 84年
カップウィナーズカップ 83-84年
※80年代ヨーロッパ屈指のリベロ。
引退後、ユーヴェのスタッフとして対戦相手の視察を終えた後、岐路の途中で交通事故にあい死去した(享年36歳)。
欧州の3大カップおよびスーパーカップ、トヨタカップを手にした初めての選手。
(2/78)
クラウディオ・ジェンティーレ
(1953/9/27〜)
〔DF/MF〕<S>

エースキラー
アローナ
ヴァレーゼ
ユヴェントス
フィオレンティーナ
ピアチェンツァ
ワールドカップ 78年(4) 82年(優)
UEFAカップ 76-77年
カップウィナーズカップ 83-84年
※執拗なマンマークを得意としており、82年W杯では、ジーコやマラドーナを押さえ込んだ。
(1/71)
ジャンカルロ・アントニョーニ
(1954/4/1〜)
〔MF〕<S>
フィレンツェの至宝 アスティ
フィオレンティーナ
ローザンヌ・スポルト
ワールドカップ 78年(4) 82年(優)
※70〜80年代にかけてのイタリア屈指のゲームメーカー。
(7/73)
マルコ・タルデッリ
(1954/9/24〜)
〔MF/DF〕<S>
スキッツォ ピサ
コモ
ユヴェントス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ザンクト・ガレン
ワールドカップ 78年(4) 82年(優) 86年(16)
チャンピオンズカップ 84-85年
スーパーカップ 84年
カップウィナーズカップ 83-84年
(6/81)
ブルーノ・コンティ
(1955/3/13〜)
〔MF〕<A>
ローマ
 ジェノア(L)
 ジェノア(L)
ワールドカップ 82年(優) 86年(16)
(5/47)
ロベルト・プルッツォ
(1955/4/1〜)
〔FW〕<A>
ジェノア
ローマ

フィオレンティーナ
※セリエA得点王3回は、イタリア人としてはトップタイである。
(0/6)
アゴスティーノ・ディ・バルトロメイ
(1955/4/8〜1994/5/30)
〔MF/DF〕<A>
ディーバ ローマ
ビチェンツァ
ミラン
チェゼーナ
サレルニターナ
※80年代前半のローマ黄金期のキャプテン。
ローマがチャンピオンズカップ決勝で敗れたちょうど10年後、自ら命を絶った。
(0/0)
アレッサンドロ・アルトベリ
(1955/11/28〜)
〔FW〕<A>
スピッロ(針) ラティーナ
ブレシア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ユヴェントス
ブレシア
ワールドカップ 82年(優) 86年(16)
(25/61)
ブルーノ・ジョルダーノ
(1956/8/13〜)
〔FW〕<A>
ラツィオ
ナポリ
アスコリ
ボローニャ
※ナポリ時代、マラドーナ、カレカとのトリオは「Ma-Gi-Ca」と呼ばれた。
(1/13)
パオロ・ロッシ
(1956/9/23〜)
〔FW〕<S>
バンビーノ・デ・オーロ
(ゴールデンボーイ)
パブリート
ユヴェントス
 コモ(L)
ビチェンツァ

 ペルージャ(L)
ユヴェントス

ミラン
エラス・ヴェローナ
ワールドカップ 78年(4) 82年(優) 86年(16)
チャンピオンズカップ 84-85年
スーパーカップ 84年
カップウィナーズカップ 83-84年
※初のセリエB、セリエA連続得点王(2人目はデル・ピエロ)。
八百長疑惑が掛かり、2年間出場停止処分を受けた。82年W杯で復帰すると、ブラジル戦でのハットトリックなど、2次リーグから本領を発揮、優勝に貢献した。
(20/46)
サルバトーレ・バーニ
(1956/9/25〜)
〔MF〕<A>
ペルージャ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ナポリ
アヴェッリーノ
ワールドカップ 86年(16)
(4/41)
フラビオ・コロバティ
(1957/5/9〜)
〔DF〕<A>
ミラン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ウディネーゼ
ローマ
ジェノア
ワールドカップ 82年(優) 86年(16)
(3/50)
ピエトロ・ヴィルディス
(1957/6/26〜)
〔FW〕<A>
カリアリ
ユヴェントス
ウディネーゼ
ミラン
レッチェ
(0/0)
チェーザレ・プランデッリ
(1957/8/19〜)
〔MF〕<B>
クレモネーゼ
アタランタ
ユヴェントス
アタランタ
チャンピオンズカップ 84-85年
カップウィナーズカップ 83-84年
※パルマ監督時代起用法を巡って中田と対立したとされる。
EURO2012では準優勝に導き、アズーリ復権を印象づけたが、W杯では一転グループリーグ敗退となってしまった。
(0/0)
アントニオ・カブリーニ
(1957/10/8〜)
〔DF(SB)〕<S>
クレモネーゼ
アタランタ
ユヴェントス
ボローニャ
ワールドカップ 82年(優)
トヨタカップ 85年
UEFAカップ 76-77年
スーパーカップ 84年
カップウィナーズカップ 83-84年
(9/73)
ジョバンニ・ガッリ
(1958/4/29〜)
〔GK〕<A>
フィオレンティーナ
ミラン
ナポリ
トリノ
パルマ
ルッケーゼ
ワールドカップ 82年(優) 86年(16)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
トヨタカップ 89年
UEFAカップ 94-95年
(0/19)
ルチアーノ・スパレッティ
(1959/3/7〜)
〔MF〕<C>
エンテラ
スペツィア
ヴィアレッジョ
エンポリ
※名波のヴェネツィア時代の監督。
ウディネーゼやローマでの実績が顕著である。
ローマでは、トッティの0トップシステムを採用し話題となった。スクデットはならなかったものの、クラブを立て直しに成功した。
(0/0)
ピエトロ・ヴィエルコウッド
(1959/4/6〜)
〔DF〕<S>
il Russo(ロシア人)
Lo Zar(皇帝)
コモ
フィオレンティーナ
ローマ
サンプドリア
ユヴェントス
ミラン
ビチェンツァ
ワールドカップ 82年(優) 86年(16) 90年(3)
チャンピオンズリーグ 95-96年
UEFAカップ 89-90年
※父はウクライナ出身で軍人である。
41歳まで現役を続けた鉄人。
(2/45)
カルロ・アンチェロッティ
(1959/6/10〜)
〔MF〕<A>
カルレット
ターミネーター
パルマ
ローマ
ミラン
ワールドカップ 86年(16) 90年(3)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
トヨタカップ 89年
※選手、監督としてチャンピオンズリーグで優勝している。
(1/26)
マウロ・タソッティ
(1960/6/19〜)
〔DF〕<A>
ラツィオ
ミラン
ワールドカップ 94年(準)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
チャンピオンズリーグ 93-94年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 89年 90年 94年
(0/7)
ワルテル・ゼンガ
(1960/4/28〜)
〔GK〕<S>
スパイダーマン インテルナツィオナーレ・ミラノ
 サレルニターナ(L)
 サボナ(L)
 サンベネディッテーゼ(L)
サンプドリア
パドヴァ
ニューイングランド・レボリューション
ワールドカップ 90年(3)
UEFAカップ 90-91年 93-94年
(0/58)[20]
フランコ・バレージ
(1960/5/8〜)
〔DF〕<SS>
フランキーノ
ピッシニーン
ミラン ワールドカップ 82年(優) 90年(3) 94年(準)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
チャンピオンズリーグ 93-94年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 90年 94年
※イタリア史上屈指のセンターバック。ミランの6番は永久欠番となっている。
クラブで数々のタイトルを獲得したが、代表ではシレアがいたため、しばらく控えだった。
(1/81)33】

アルド・セレーナ
(1960/6/25〜)
〔FW〕<A>
インテルナツィオナーレ・ミラノ
コモ
バーリ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ミラン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
トリノ
ユヴェントス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ミラン
ワールドカップ 86年(16) 90年(3)
(5/24)
ジュゼッペ・ベルゴミ
(1963/1/22〜)
〔DF(SB)〕<S>
Lo Zio(おじさん) インテルナツィオナーレ・ミラノ ワールドカップ 82年(優) 86年(16) 90年(3) 98年(8)
UEFAカップ 90-91年 93-94年 97-98年
※ひげを蓄えていたので愛称は「おじさん」だが、82年W杯の時はまだ18歳だった。
(6/81)

ロベルト・ドナドーニ
(1963/9/9〜)
〔MF〕<A>
アタランタ
ミラン
ニューヨーク・メトロスターズ
ミラン
アル・イテハド
ワールドカップ 90年(3) 94年(準)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
チャンピオンズリーグ 93-94年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 89年 90年 94年
(5/63)
フェルナンド・デ・ナポリ
(1964/3/15〜)
〔MF〕<A>
ランボー リミニ
アヴェッリーノ
ナポリ
ミラン
レッジャーナ1919
ワールドカップ 86年(16) 90年(3)
UEFAカップ 88-89年
※ナポリ黄金期にマラドーナらと活躍した。
(1/54)
ジャンルカ・ヴィアリ
(1964/7/9〜2023/1/6)
〔FW〕<S>
ゴールマシン クレモネーゼ
サンプドリア

ユヴェントス
チェルシー
ワールドカップ 86年(16) 90年(3)
チャンピオンズカップ 95-96年
トヨタカップ 96年
UEFAカップ 92-93年
カップウィナーズカップ 89-90年
(16/59)
セバスティアーノ・ロッシ
(1964/7/20〜)
〔GK〕<A>
チェゼーナ
 フォルリ(L)
 エンポリ(L)
 ロンディネッラ(L)
ミラン
ペルージャ
チャンピオンズリーグ 93-94年
トヨタカップ 90年
スーパーカップ 90年 94年
※90年代のミラン不動のゴールキーパー。しかし、代表の経験はない。
(0/0)
ジュゼッペ・ジャンニーニ
(1964/8/20〜)
〔MF〕<A>
プリンチペ ローマ
シュトルム・グラーツ
ナポリ
レッチェ
ワールドカップ 90年(3)
※少年時代のトッティの憧れの選手。
ローマのプリンチペの異名はそのトッティに受け継がれた。
(6/47)
ロベルト・マンチーニ
(1964/11/27〜)
〔MF〕<S>
マンチョ
Mr.サンプ
ボローニャ
サンプドリア
ラツィオ
レスター・シティ
ワールドカップ 90年(3)
スーパーカップ 99年
カップウィナーズカップ 89-90年 98-99年
※サンプドリア時代、ヴィアリと絶妙なコンビで活躍した。
監督として、マンチェスターCを44年ぶりの優勝に導いたが、その手腕には疑問の声も多い。
(4/36)
サルヴァトーレ・スキラッチ
(1964/12/1〜2024/9/18)
〔FW〕<A>
トト(救世主) メッシーナ
ユヴェントス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ジュビロ磐田
ワールドカップ 90年(3)
※ジュビロ磐田時代に武田を殴り、前歯を折ったことがある。
植毛をしたらしく、頭髪が増えている。
(7/16)
アレッサンドロ・コスタクルタ
(1966/4/24〜)
〔DF〕<S>
ビリー ミラン
 モンツァ(L)
ワールドカップ 94年(準) 98年(8) 02年(16)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
チャンピオンズリーグ 93-94年 02-03年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 90年 94年
(2/59)
ジャンフランコ・ゾラ
(1966/7/5〜)
〔MF/FW〕<S>
サルディーニャの
魔法使い
ヌオレーゼ
トレス
ナポリ
パルマ
チェルシー
カリアリ
ワールドカップ 94年(準)
UEFAカップ 94-95年
カップウィナーズカップ 97-98年
スーパーカップ 93年
※90年代のイタリアを代表するファンタジスタだが、同時代にバッジョがいたため、代表ではその実力ほど目立った活躍はしていない。
(10/35)
アンジェロ・ディ・リービオ
(1966/7/26〜)
〔MF〕<S>
ソルダティーノ
(二等兵・小さな戦士)
ローマ
レッジャーナ1919
ノチェリーナ
ペルージャ
パドヴァ
ユヴェントス
フィオレンティーナ
ワールドカップ 98年(8) 02年(16)
チャンピオンズカップ 95-96年
トヨタカップ 96年
スーパーカップ 96年
(0/40)
ジャンルカ・パリューカ
(1966/12/18〜)
〔GK〕<S>
ボローニャ
サンプドリア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボローニャ
アスコリ
ワールドカップ 94年(準) 98年(8)
UEFAカップ 97-98年
カップウィナーズカップ 89-90年
※W杯ではじめて退場処分を受けたゴールキーパー。
(0/39)
チロ・フェラーラ
(1967/2/11〜)
〔DF〕<A>
ナポリ
ユヴェントス
ワールドカップ 90年(3)
チャンピオンズカップ 95-96年
トヨタカップ 96年
スーパーカップ 96年 98年
UEFAカップ 88-89年
※ナポリ時代、マラドーナがロッカールームに置き忘れたスパイクをチャリティオークションに出品したことがある。
(0/49)
ロベルト・バッジョ
(1967/2/18〜)
〔FW〕<SS>
ロビー
コディーノ
イタリアの至宝
ヴィチェンツァ
フィオレンティーナ
ユヴェントス
ミラン
ボローニャ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ブレシア
ワールドカップ 90年(3) 94(準) 98年(8)
UEFAカップ 92-93年
※90年代世界屈指のファンタジスタ。代表で点を取った試合は負けないという不敗神話があった。
94年W杯では決勝トーナメントからその真価を発揮、神がかり的な活躍でチームを決勝まで導いたが、最後はPK失敗で力尽きた。
創価学会の信徒。
(27/56)
ニコラ・ベルティ
(1967/4/14〜)
〔MF〕<A>
パルマ
フィオレンティーナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
トッテナム・ホットスパー
デポルティーボ・アラベス
ワールドカップ 90年(3) 94(準)
UEFAカップ 90-91年 93-94年
(3/39)
マッシミアーノ・アッレグリ
(1967/8/11〜)
〔MF〕<B>
クオイオペッリ
リヴォルノ
ピサ
プロ・リヴォルノ
パヴィーア
ぺスカーラ
カリアリ
ペルージャ
パドヴァ
ナポリ
ピストエーゼ
アグリアネーゼ
(0/0)
イゴール・プロッティ
(1967/9/24〜)
〔FW〕<A>
リボルノ
ヴィレシット
メッシーナ
バーリ
ラツィオ
レッジャーナ1919
※降格クラブから得点王になった唯一の選手。セリエA、B、Cで得点王になった唯一の選手でもある。
(0/0)
ジュゼッペ・シニョーリ
(1968/2/17〜)
〔FW〕<A>
ベッペ ピアチェンツァ
トレント
ピアツェンツァ
フォッジャ
ラツィオ

サンプドリア
ボローニャ
イラクリス
ショプロン
ワールドカップ 94年(準)
※セリエAで得点王に3度輝いたストライカーだが、代表ではそれほど目立った活躍はしていない。
リーグの八百長に関与していた疑いで逮捕された。
(7/28)
パオロ・マルディーニ
(1968/6/26〜)
〔DF(SB)〕<SS>
パオリーノ ミラン ワールドカップ 94(準) 98年(8) 02年(16)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
チャンピオンズリーグ 93-94年 02-03年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 89年 90年 94年 03年
※ミランの象徴的選手。父、チェーザレも元ミランの選手。
セリエA単一クラブ最多出場記録、セリエA最多出場記録保持者。
(7/126)

パオロ・ディ・カーニオ
(1968/7/9〜)
〔FW〕<A>
ラツィオ
ユヴェントス
ナポリ
ミラン
セルティック
シェフィールド・ウェンズデイ
ウェストハム・ユナイテッド
チャールトン・アスレティック
※フェアープレー精神を見せる(2000年12月16日対エヴァートン戦など)一方で破天荒な言動も目立つ。
(2/9)
ファブリッツィオ・ラバネッリ
(1968/12/11〜)
〔FW〕<A>
銀狼
ペンナ・ビアンカ
(白い翼)
ペルージャ
アヴェッリーノ
レッジャーナ1919
ユヴェントス
ミドルズブラ
オリンピック・マルセイユ
ラツィオ
ダービー・カウンティ
ダンディー
チャンピオンズリーグ 95-96年
※娘の名前「ルカ」は当時のチームメイトのジャンルカ・ヴィアリから取ったらしい。
(8/22)
マルコ・シモーネ
(1969/1/7〜)
〔FW〕<A>
コモ
ミラン
パリ・サンジェルマン
モナコ
ニース
(0/4)
ピエルルイジ・カジラギ
(1969/3/4〜)
〔FW〕<A>
ダイ・ハード
空飛ぶストライカー
モンツァ
ユヴェントス
ラツィオ
チェルシー
ワールドカップ 94年(準)
(13/44)
アントニオ・コンテ
(1969/7/31〜)
〔MF〕<A>
レッチェ
ユヴェントス
ワールドカップ 94年(準)
チャンピオンズリーグ 95-96年
トヨタカップ 96年
スーパーカップ 96年
※2012年、八百長問題で10ヶ月の監督停止処分となった。
その後、イタリア代表監督として復帰した。
(2/20)
アンジェロ・ペルッツィ
(1970/2/16〜)
〔GK〕<A>
ローマ
エラス・ヴェローナ
ユヴェントス
ワールドカップ 06年(優)
UEFAカップ 92-93年
スーパーカップ 96年
(0/31)
ロベルト・ディ・マッテオ
(1970/5/29〜)
〔MF〕<A>
シャフハウゼン
チューリッヒ
アーラウ
ラツィオ
チェルシー
ワールドカップ 98年(8)
カップウィナーズカップ 97-98年
スーパーカップ 98年
※スイス生まれのため、スイスのクラブでキャリアをスタートさせた。
2012年、ビラスボアス監督の解任により、暫定的にチェルシーの監督に昇格し、チャンピオンズリーグ優勝に導いた。
(2/34)
ジャンルカ・ペソット
(1970/8/11〜)
〔MF/DF〕<A>
教授 ミラン
ヴァレーゼ
マッセーゼ
ボローニャ
エラス・ヴェローナ
トリノ
ユヴェントス
ワールドカップ 98年(8)
チャンピオンズリーグ 95-96年
トヨタカップ 96年
スーパーカップ 96年
※2006年、八百長疑惑の中、飛び降り自殺を図った。
(0/22)
エンリコ・キエーザ
(1970/12/29〜)
〔FW〕<A>
サンプドリア
テラーモ
キエーティ
サンプドリア
モデナ
クレモネーゼ
サンプドリア
パルマ
フィオレンティーナ
ラツィオ
シエナ
フィリーネ・ヴァルダルノ
ワールドカップ 98年(8)
UEFAカップ 98-99年
※セリエC2のクラブにも在籍していた。
(7/17)
ルイジ・ディ・ビアジョ
(1971/6/3〜)
〔MF〕<A>
ラツィオ
モンツァ
フォッジャ
ローマ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ブレシア
アスコリ
ワールドカップ 94(準) 98年(8)
(2/38)
ディノ・バッジョ
(1971/7/24〜)
〔MF〕<A>
トリノ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ユヴェントス
パルマ
ラツィオ
ブラックバーン・ローヴァーズ
アンコーナ
ラツィオ
トリエスティーナ
ワールドカップ 94(準) 98年(8)
UEFAカップ 92-93年 94-95年 98-99年
※同時期にロベルト・バッジョがいたため、「もうひとりのバッジョ」とよくいわれていた。
(7/60)
デメトリオ・アルベルティーニ
(1971/8/23〜)
〔MF〕<S>
メトロノーム ミラン
パドヴァ
ミラン
アトレティコ・マドリード
ラツィオ
アタランタ
バルセロナ
ワールドカップ 94(準) 98年(8)
チャンピオンズカップ 88-89年 89-90年
チャンピオンズリーグ 93-94年 02-03年
トヨタカップ 89年 90年
スーパーカップ 89年 94年
※ジャンニ・リベラの再来といわれていたことがある。
(3/79)

フランチェスコ・トルド
(1971/12/2〜)
〔GK〕<A>
トルドーネ トレント
ラヴェンナ
フィオレンティーナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 98年(8) 02年(16)
(0/28)
クリスティアン・パヌッチ
(1973/4/12〜)
〔DF〕<A>
ジェノア
ミラン
レアル・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 チェルシー(L)
モナコ
ローマ
パルマ
ワールドカップ 02年(16)
チャンピオンズリーグ 93-94年 97-98年
トヨタカップ 98年
スーパーカップ 94年
※クラブ、代表の監督と衝突することがやたら多い。
(4/57)
クリスチャン・ビエリ
(1973/7/12〜)
〔FW〕<S>
ボボ プラート
トリノ
ピサ
ラヴェンナ
ヴェネツィア
アタランタ
ユヴェントス
アトレティコ・マドリード

ラツィオ
インテルナツィオナーレ・ミラノ

ミラン
モナコ
アタランタ
フィオレンティーナ
アタランタ
ワールドカップ 98年(8) 02年(16)
スーパーカップ 96年
※インザーギは大親友だが、同じ女性に好意を持っていた時期があり、その頃は疎遠だったらしい。
(23/49)
フィリッポ・インザーギ
(1973/8/9〜)
〔FW〕<S>
ピッポ ピアチェンツァ
 アルビーノ・レッフェ(L)
 エラス・ヴェローナ(L)
パルマ
アタランタ

ユヴェントス
ミラン
ワールドカップ 98年(8) 02年(16) 06年(優)
チャンピオンズリーグ 02-03年 06-07年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 03年 07年
※ディフェンスの裏を取る絶妙なタイミングの飛び出しと、泥臭さを併せ持つフォワード。
弟のシモーネも元代表選手。
(25/57)
マルコ・マテラッツィ
(1973/8/19〜)
〔DF〕<A>
マトリックス マルサラ
トラパーニ
ペルージャ
 カルピ(L)
エヴァートン
ペルージャ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
チェンナイイン
ワールドカップ 02年(16) 06年(優)
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
※06年W杯決勝でジダンから頭突きを食らわされた。
外見に反して子煩悩で有名。
2014年、インドでプレイングマネージャーとして現役復帰することとなった。
(2/41)
ファビオ・カンナヴァーロ
(1973/9/13〜)
〔DF〕<SS>
ナポリ
パルマ
ユヴェントス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
レアル・マドリード
ユヴェントス
アル・アハリ・ドバイ
ワールドカップ 02年(16) 06年(優)
UEFAカップ 98-99年
※純粋なディフェンダーとしてはバロンドールを受賞した唯一の選手。身長はそれ程高くないものの90〜2000年代を代表するセンターバックのひとり。
峰不二子のファン。
(2/136)
ヴィンチェンツォ・モンテッラ
(1974/6/18〜)
〔FW〕<A>
小型飛行機
トップガン
エンポリ
ジェノア
サンプドリア
ローマ
 フラム(L)
サンプドリア
ワールドカップ 02年(16)
(3/20)
アレッサンドロ・デルピエーロ
(1974/11/9〜)
〔FW〕<S>
アレックス
ピントゥリッキオ
パドヴァ
ユヴェントス

シドニー
デリー・ディナモス

ワールドカップ 98年(8) 02年(16) 06年(優)
チャンピオンズリーグ 95-96年
トヨタカップ 96年
スーパーカップ 96年
※ユヴェントスの最多試合出場、最多得点記録を持つ90〜2000年代イタリアを代表するファンタジスタ。
ルパン三世のファン。
(27/91)
アレッサンドロ・ネスタ
(1976/3/19〜)
〔DF〕<S>
サンドロ ラツィオ
ミラン
モントリオール・インパクト
ワールドカップ 98年(8) 02年(16) 06年(優)
チャンピオンズリーグ 02-03年 06-07年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ  99年 03年 07年
カップウィナーズカップ 98-99年
※同じローマ出身のトッティとはライバルだが、学業はトッティと違いかなり優秀だったとされる。
ローマにスカウトされた時、父親が強烈なラツィオファンだったため、入団を断ったという逸話がある。
(0/78)
フランチェスコ・トッティ
(1976/9/27〜)
〔MF/FW〕<S>
イル・プリンチペ
(王子様)
ローマ ワールドカップ 02年(16) 06年(優)
※イタリア史上最高の10番とも称される。
ローマの最多試合出場、最多得点記録保持者。また、セリエA通算得点で2位の記録を持つ。
生後9ヶ月で歩き始め、16歳でセリエAにデビューした。
ローマカラーは赤だが、自身は白いセカンドユニフォームの方が似合うと思っている。
イタリアではおバカキャラで通っおり、日本でも「トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話」という本が出版された。
東京ヴェルディへの移籍の噂があったが、2017年をもって25年間の選手生活に幕を下ろした。ローマ一筋のバンディエラである。
(9/58)
ジャンルカ・ザンブロッタ
(1977/2/19〜)
〔DF(SB)〕<S>
ゾロ コモ
バーリ
ユヴェントス
バルセロナ
ミラン
ワールドカップ 02年(16) 06年(優)
※バルセロナ時代、エスパニョールファンのタクシー運転手に乗車拒否され、練習に遅刻したことがある。
(2/97)
ルカ・トーニ
(1977/5/26〜)
〔FW〕<A>
トニゴル モデナ
エンポリ
フィオレンツォーラ
チスコ・ローマ
トレビゾ
ビチェンツァ・
ブレシア
チッタ・ディ・パレルモ
フィオレンティーナ

バイエルン・ミュンヘン

 ローマ(L)
ジェノア
ユヴェントス
アル・ナスル
フィオレンティーナ
エラス・ヴェローナ
ワールドカップ 06年(優)
※フィオレンティーナ時代、セリエAでは47年ぶりに30得点以上し得点王になった。
セリエC1やBも経験しており、遅咲きのストライカーといえる。
(16/47)
マッシモ・アンブロジーニ
(1977/5/29〜)
〔MF〕<A>
マックス チェゼーナ
ミラン
 ビチェンツァ(L)
チャンピオンズリーグ 02-03年 06-07年
スーパーカップ 03年
クラブワールドカップ 07年
(0/35)
シモーネ・ペロッタ
(1977/9/17〜)
〔MF〕<A>
レッジョ・カラブリア
ユヴェントス
バーリ
キエーヴォ・ヴェローナ
ローマ
ワールドカップ 06年(優)
(2/47)
アントニオ・ディ・ナターレ
(1977/10/13〜)
〔FW/MF〕<A>
トト エンポリ
 イペルゾラ(L)
 ヴァレーゼ(L)
 ヴィアレッジョ(L)
ウディネーゼ
ワールドカップ 10年
(11/42)
ファビオ・グロッソ
(1977/11/28〜)
〔DF(SB)/MF〕<A>
レナト・クーリ
キエーティ
ペルージャ
チッタ・ディ・パレルモ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
オリンピック・リヨン
ユヴェントス
ワールドカップ 06年(優)
(4/48)
ジェンナーロ・ガットゥーゾ
(1978/1/9〜)
〔MF〕<A>
リンギオ ペルージャ
レンジャーズ
 サレルニターナ(L)
ミラン
シオン
ワールドカップ 02年(16) 06年(優)
チャンピオンズリーグ 02-03年 06-07年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 03年 07年
※マテラッティを慕っている。キャプテン翼のキャラクターでは石崎のファンである。
(1/71)
ジャン・ルイジ・ブッフォン
(1978/1/28〜)
〔GK〕<SS>
スーぺルマン パルマ
ユヴェントス
パリ・サンジェルマン
ユヴェントス
パルマ
ワールドカップ 98年(8) 02年(16) 06年(優) 10年 14年
UEFAカップ 98-99年
※代表最多出場記録保持者。
カシージャスとともに2000年代最高のゴールキーパー。
スポーツ一家に育ち、両親は共に陸上の投擲競技、姉はバレーボールのオリンピック選手、62年W杯の正ゴールキーパーのロレンツォ・ブッフォンは親戚にあたる。
トーマス・ヌコノの影響でキーパーに転向した。それで息子の名は「ルイス・トーマス」という。
EURO 2012で国歌を大熱唱する姿が一部話題となった。
2017年、イタリアのW杯予選敗退を受けて代表を引退した。
(0/175)
アンドレア・ピルロ
(1979/5/19〜)
〔MF〕<S>
ネクスト・バッジョ ブレシア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 レッジョ・カラブリア(L)
 ブレシア(L)
ミラン
ユヴェントス
ニューヨーク・シティ
ワールドカップ 06年(優) 10年 14年
チャンピオンズリーグ 02-03年 06-07年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 03年 07年
※元々はトップ下だったが、ミランにルイ・コスタがいたため、若干下がり目のポジションに転向、「レジスタ」というポジションの地位を確立した。
オリンピックアテネ大会銅メダリスト。
(13/116)
アルベルト・ジラルディーノ
(1982/7/5〜)
〔FW〕<A>
ジラ ビチェンツァ
エラス・ヴェローナ
パルマ
ミラン
フィオレンティーナ
ジェノア
 ボローニャ(L)
広州恒大淘宝
 フィオレンティーナ(L)
チッタ・ディ・パレルモ
エンポリ
ぺスカーラ
スペツィア
ワールドカップ 06年(優)
チャンピオンズリーグ 06-07年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 07年
※イタリアが82年W杯で優勝した日に誕生した。
オリンピックアテネ大会銅メダリスト。
(19/57)
アントニオ・カッサーノ
(1982/7/12〜)
〔FW〕<A>
バーリ
ローマ
レアル・マドリード
サンプドリア
ミラン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
パルマ
サンプドリア
エラス・ヴェローナ
ワールドカップ 14年
※問題児として知られ、監督とたびたび衝突する。そのためかW杯には縁がなかったが、14年W杯で32歳にして初選出となった。(EUROでは3度代表になっている)。
2011年、心臓疾患が見つかり、手術を受けた。
所属した5つのチームのダービーマッチ全てで得点している。
2013年に誕生した次男に、メッシに敬意を表して「リオネル」と名づけた。
(10/39)
ティアゴ・モッタ
(1982/8/28〜)
〔MF〕<A>
バルセロナ
アトレティコ・マドリード
ジェノア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
パリ・サンジェルマン
ワールドカップ 14年
チャンピオンズリーグ 05-06年 09-10年
クラブワールドカップ 10年
※ブラジル出身である。
(1/30)
ダニエレ・デ・ロッシ
(1983/7/24〜)
〔MF〕<S>
ローマ
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 06年(優) 10年 14年
※オリンピックアテネ大会銅メダリスト。
(21/117)
ジョルジョ・キエッリーニ
(1984/8/14〜)
〔DF〕<A>
キエッロ リヴォルノ
ローマ
 フィオレンティーナ(L)
ユヴェントス
ロサンゼルスFC
ワールドカップ 10年 14年
EURO 21年
※14年W杯でウルグアイのスアレスに噛みつかれた。
(8/117)
リッカルド・モントリーヴォ
(1985/1/18〜)
〔MF〕<A>
アタランタ
フィオレンティーナ
ミラン
ワールドカップ 10年
(2/66)
※イタリア人には珍しく無神論者であるという。
クラウディオ・マルキージオ
(1986/1/19〜)
〔MF〕<A>
ユヴェントス
 エンポリ(L)
ユヴェントス
ゼニト・サンクトペテルブルク
ワールドカップ 10年
(5/55)
ジュゼッペ・ロッシ
(1987/2/6〜)
〔FW〕<A>
ペビート マンチェスター・ユナイテッド
 ニューカッスル・ユナイテッド(L)
 パルマ(L)
ビジャレアル
 フィオレンティーナ(L)
 セルタ・デ・ビーゴ(L)
ジェノア
レアル・ソルトレイク
S.P.A.L
※アメリカ生まれである。
(7/30)
レオナルド・ボヌッチ
(1987/5/1〜)
〔DF〕<A>
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 トレヴィーノ(L)
 ピサ(L)
ジェノア
バーリ
ユヴェントス
ミラン
ユヴェントス
ウニオン・ベルリン
フェネルバフチェ
ワールドカップ 10年 14年
EURO 20年
※強盗に襲われたことがある。
(8/121)
チーロ・インモービレ
(1990/2/20〜)
〔FW〕<S>
ユヴェントス
 シエナ(L)
 グロッセト(L)
 ぺスカーラ(L)
ジェノア
トリノ
ボルシア・ドルトムント
 セビージャ(L)
 トリノ(L)
ラツィオ
ベシクタシュ
ワールドカップ 14年
EURO 20年
マリオ・バロテッリ
(1990/8/12〜)
〔FW〕<A>
スーペル・マリオ ルメッツァーネ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
マンチェスター・シティ
ミラン
リヴァプール
 ミラン(L)
ニース
オリンピック・マルセイユ
ブレシア
モンツァ
アダナ・デミルスポル
シオン
アダナ・デミルスポル
ジェノア
ワールドカップ 14年
※ルーツはガーナで、幼少のころ里子に出された。
悪童として有名であり、保守的なイタリア(代表)の中でアフリカ系移民の子でありながら存在感を高めつつあったが、EURO以降精彩を欠く。
インテル時代チームメイトのマテラッツィにこっ酷く怒られたことがある。
(14/36)
ステファン・エル・シャーラウィ
(1992/10/27〜)
〔FW/MF〕<A>
ファラオーネ ジェノア
 パドヴァ(L)
ミラン
 モナコ(L)
ローマ
上海緑地申花
ローマ
※父はエジプト人である。
マルコ・ヴェラッティ
(1992/11/5〜)
〔MF〕<A>
ぺスカーラ
パリ・サンジェルマン
アル・アラビ
ワールドカップ 14年
EURO 20年
※ポストピルロとされるレジスタ。
サンマリノ 1人】
  La Serenissima  
名前(誕生年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
マッシモ・ボニーニ
(1959/10/13〜)
〔MF〕<A>
チェゼーナ
ユヴェントス
ボローニャ
チャンピオンズカップ 84-85年
トヨタカップ 85年
スーパーカップ 84年
カップウィナーズカップ 83-84年
※サンマリノ唯一の世界的サッカー選手。80年代のユーヴェを守備面で支え、プラティニの信頼も厚かった。
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