ブラジル アルゼンチン ウルグアイ パラグアイ チ リ ペ ル ー コロンビア ボリビア
エクアドル ベネズエラ 各国のデータ
バロンドールFIFAバロンドールFIFA最優秀選手UEFA欧州最優秀選手UEFA年間(欧州)最優秀選手
南米年間年間最優秀選手UEFAジュビリーアウォーズフットボールリーグ歴代名選手100人
トップリーグ得点王うちゴールデンシュー(ブーツ)
FIFAワールドカップ得点王コパ・リベルタドーレス得点王チャンピオンズカップ・チャンピオンズリーグ得点王
UEFAカップ・ヨーロッパリーグ得点王カップウィナーズカップ得点王
母国の代表監督経験者ワールドカップ優勝監督コパ・アメリカ優勝監督チャンピオンズカップ・チャンピオンズリーグ優勝監督
UEFAカップ・ヨーロッパリーグ優勝監督カップウィナーズカップ優勝監督コパ・リベルタドーレス優勝監督
【数字】国際サッカー歴史統計連盟による20世紀世界最優秀選手順位/[数字]同20世紀世界最優秀GK順位
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ブ ラ ジ ル 【168人】
  Os Canarinhos /(The Selection)  
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
シャーレス・ミレール
(チャールズ・ミラー)
(1874/11/24〜1953/6/30)
〔FW〕<A>
セント・メリー
サンパウロAC
※出身はスコットランドである。
ブラジルにサッカーを伝えたとされる人物。
サンパウロ州選手権初代得点王。
(0/1)
ルベンス・サレス
(1891/10/14〜1934/7/21)
〔MF〕<A>
パウリスターノ ※初代代表監督。
(1/1)
ピンダロ・カルバーリョ・ロドリゲス
(1892/6/1〜1965/8/30)
〔MF〕<A>
フルミネンセ
フラメンゴ
南米選手権 19年
※30年W杯時の代表監督。
(?/8)
アルツール・フリーデンライヒ
(1892/7/18〜1969/9/6)
〔FW〕<S>
チグリ(虎) ジェルマーニア
イピランガ
ジェルマーニア
マッケンジー
イピランガ
パウリスターノ
イピランガ
フラメンゴ
パウリスターノ
サントス
サンパウロ
サントス
フラメンゴ
南米選手権 19年 22年
※サッカー史上最多の生涯通算1329ゴールを挙げた伝説的ストライカーで、生涯最多得点者としてギネスブックに掲載されている。
ムラートであり、ドイツ人の父とアフリカ系ブラジル人の母を持つ。そのため激しい差別を受け、キャリアのほとんどを無報酬でプレーしていた。またルーツを隠すため、頭髪をポマードで固め、ネットキャップを被ってプレーしていたともいわれる。
白人以外初めて代表に選ばれた選手で、ブラジルの南米選手権初優勝に貢献した。
(10/23)【54】

アルミカル・バルバイ
(1893/4/29〜1965/8/24)
〔MF〕<A>
コリンチャンス・パウリスタ
パレストラ・イタリア
ラツィオ
南米選手権 19年 22年
(5/19)
マルコス・カルネイロ・メンドーサ
(1894/12/25〜1988/10/19)
〔GK〕<A>
アメリカ
フルミネンセ
南米選手権 19年 22年
(0/19)
ネッコ
マヌエル・ヌネス
(1895/3/5〜1977/5/31)
〔FW〕<A>
ネッコ コリンチャンス・パウリスタ
マッケンジー・カレッジ
南米選手権 19年 22年
(8/15)
フェイチソ
ルイス・マトス

(1901/12/29〜1985/8/23)
〔FW〕<A>
フェイチソ サンベント
サントス
コリンチャンス・パウリスタ
ぺニャロール
ヴァスコ・ダ・ガマ
パルメイラス
(6/4)
(?/6)ウルグアイ
ニーロ・ムルチーニョ・ブラガ
(1903/4/3〜1975/2/7)
〔FW〕<A>
ニーロ フルミネンセ
ボタフォゴ
ワールドカップ 30年
(11/19)
アラケン・パツスカ
(1905/7/17〜1990/1/24)
〔FW〕<A>
アラケン サントス
サンパウロ
インデペンディエンテ
サントス
サンパウロ
ワールドカップ 30年
(0/1)
ドミンゴス・ダ・ギア
(1905/7/17〜1990/1/24)
〔DF〕<A>
バングー・アトレティコ・クルーベ
クラブ・ナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
ボカ・フニオルズ
フラメンゴ
コリンチャンス・パウリスタ
バングー・アトレティコ・クルーベ
ワールドカップ 38年(3)
(0/30)
ジョアン・コエーリョ・ネト
(1905/2/8〜1971/10/1)
〔FW〕<A>
プレギーニョ フルミネンセ ワールドカップ 30年
※ブラジルのW杯初得点をあげた選手。
父は著名な作家である。
(9/5)
アンフィロジーノ・グアリージ
(1905/12/26〜1974/7/8)
〔FW〕<S>
フィロー ポルトゲーザ・デスポルトス
パウリスターナ
コリンチャンス・パウリスタ
ラツィオ
ワールドカップ 34年(優)<イタリア>
※後にイタリア代表となったため、W杯を初めて手にしたブラジル人選手。
(2/4)
(1/6)イタリア
ロドウフォ・バルテツコ
(1910/11/12〜1988/3/13)
〔FW〕<A>
パテスコ パレストラ・イタリア
ナシオナル
ボタフォゴ
アトレチコ・ミネイロ
フルミネンセ
ボタフォゴ
ワールドカップ 34年 38年(3)
(11/34)
ロメウ
(1911/3/26〜1971/7/15)
〔FW〕<A>
パレストラ・イタリア
フルミネンセ
コリンチャンス・パウリスタ
ワールドカップ 38年(3)
(3/13)
カルバーリョ・レイテ
(1912/6/25〜2004/7/19)
〔FW〕<A>
ボタフォゴ ワールドカップ 30年 34年
(15/25)
ヴァウデマール・デ・ブリト
(1913/5/17〜1979/2/21)
〔FW〕<A>
サンパウロ
ボタフォゴ
サン・ロレンソ
フラメンゴ
サン・ロレンソ
サンパウロ
フルミネンセ
ポルトゲーザ・デスポルトス
パルメイラス
アトレティコ・ポルトゲーザ
ワールドカップ 34年
(18/18)
レオニーダス・ダ・シルバ
(1913/9/6〜2004/1/24)
〔FW〕<S>
黒いダイヤモンド
ゴム人間
ぺニャロール
ヴァスコ・ダ・ガマ
サンパウロ
ワールドカップ 34年 38年(3)
※オーバーヘッドキックの発案者とされる。驚異的な運動能力の持ち主で「ゴム人間」と呼ばれた。
ブラジル初の純粋な黒人選手。
(21/19)
テレコ
ウリエル・フェルナンデス

(1913/11/12〜2000/7/22)
〔FW〕<A>
テレコ コリンチャンス・パウリスタ (?/?)
エレーノ・デ・フレイタス
(1920/2/12〜1959/11/8)
〔FW〕<A>
ボタフォゴ
ボカ・フニオルズ
ヴァスコ・ダ・ガマ
アトレティコ・フニオール
アメリカ
(19/18)
アウグスト・ダ・コスタ
(1920/10/22〜2004/3/1)
〔DF〕<A>
サンクリストヴァン
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 50年(準)
南米選手権 49年
(1/20)
シッコ
フランシスコ・アランブル

(1921/1/7〜1997/1/10)
〔FW〕<A>
シッコ フェロカリル
グレミオ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 50年(準)
(6/10)
モアシール・バルボーサ
(1921/3/27〜2000/4/7)
〔GK〕<A>
ヴァスコ・ダ・ガマ
 ボンスセッソ(L)
サンタクルス
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 50年(準)
南米選手権 49年
(0/17)
ジジーニョ
トマス・ソアレス・ダ・シウヴァ

(1921/9/14〜2002/2/8)
〔FW〕<S>
ジジーニョ
メストレ・ジーザ
フラメンゴ
バングー
サンパウロ
ウベラバ
アウダクス・イタリアーノ
ワールドカップ 50年(準)
南米選手権 49年 
※少年時代のペレのアイドル。
(30/53)【47】

クラウジオ
(1922/6/18〜2000/5/1)
〔MF〕<A>
マネージャー サントス
パルメイラス
サントス
コリンチャンス
サンパウロ
(5/12)
アデミール・マルケス
(1922/11/8〜1996/5/11)
〔FW〕<S>
魔法の砲兵
ケイシャダ(顎)
スポルチ・レシフェ
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 50年(準)
南米選手権 49年
※しゃくれていたため、ケイシャダ(顎)といわれていた。
(32/39)
ジョゼ・カルロス・バウエル
(1925/11/21〜2007/2/4)
〔MF〕<S>
マラカナンの巨人 サンパウロ
ボタフォゴ
ポルトゲーザ・デスポルトス
ワールドカップ 50年(準) 54年(8)
※モザンビーク遠征中に、エウゼビオを発見した。
(?/29)
バルタザール
オズワルド・ダ・シルバ
(1926/1/14〜1997/3/25)
〔FW〕<A>
バルタザール ジャバクアラ
コリンチャンス・パウリスタ
ユヴェントス
ジャバクアラ
ワールドカップ 50年(準) 54年(8)
(17/31)
ニウトン・サントス
(1927/5/16〜2013/11/27)
〔DF(SB)〕<S>
エンサイクロペディア フェレチェイレス
ボタフォゴ
ワールドカップ 50年(準) 54年(8) 58年(優) 62年(優)
※ボタフォゴの入団テストを受けにきたガリンシャのプレーに驚嘆し、自分が対戦相手としてマッチアップしたくないという理由で、すぐに入団させるようクラブに進言したとされる。
(3/75)
カルロス・ジョゼ・カスチーリョ
(1927/11/27〜1987/2/2)
〔GK〕<S>
Leiteria
セント・カスチーリョ
フルミネンセ ワールドカップ 50年(準) 54年(8) 58年(優) 62年(優)
(0/29)
ジャウマ・サントス
(1929/6/19〜2013/7/23)
〔DF(SB)〕<S>
ポルトゲーザ・デスポルトス
パルメイラス
アトレチコ・パラナエンセ
ワールドカップ 54年(8) 58年(優) 62年(優)
※非公式戦を含めると、ブラジル代表で初めてキャップ数100を達成した選手。
(3/98)

ジュリーニョ
ジュリオ・ボテーリョ

(1929/7/29〜2003/1/10)
〔FW(WG)〕<S>
ジュリーニョ ジュベントス
ポルトゲーザ・デスポルトス
 フルミネンセ(L)
ポルトゲーザ・デスポルトス
フィオレンティーナ
パルメイラス
ワールドカップ 54年(8)
※50年代を代表する世界的ウィンガー。イタリアでも活躍した。
(13/27)
ジジ
ヴァルディール・ペレイラ

(1929/8/19〜2001/5/12)
〔MF〕<SS>
ジジ フルミネンセ
ボタフォゴ
レアル・マドリード
ボタフォゴ
スポルティング・クリスタル
ボタフォゴ
サンパウロ
ボタフォゴ
ベラクルス
サンパウロ
ワールドカップ 54年(8) 58年(優) 62年(優)
※黄金期のレアル・マドリードにも在籍し活躍したが、ディ・ステファノらと折り合いが悪く、1年でボタフォゴに復帰した。
(20/68)【19】

ジノ・サニ
(1930/5/23〜)
〔MF〕<S>
パルメイラス
キンゼ・デ・ジャウー
コメルシアウ
サンパウロ
ボカ・フニオルズ
ミラン
コリンチャンス・パウリスタ
ワールドカップ 58年(優)
チャンピオンズカップ 62-63年
(1/15)
イウデラウド・ベリーニ
(1930/6/7〜2014/3/20)
〔DF〕<S>
ヴァスコ・ダ・ガマ
サンパウロ
アトレチコ・パラナエンセ
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
※58年ブラジルW杯初優勝時のキャプテン。
(8/14)
ジウマール
(1930/8/22〜2013/8/25)
〔GK〕<S>
コリンチャンス・パウリスタ
サントス
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(0/94)[11]
マウロ
(1930/8/30〜2002/9/18)
〔DF〕<S>
サンパウロ
サントス
デポルティボ・トルーカ
ワールドカップ 54年(8) 58年(優) 62年(優)
南米選手権 49年
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(0/30)
テレ・サンターナ
(1931/6/26〜2006/4/21)
〔FW(WG)〕<A>
フルミネンセ
グアラニ
ヴァスコ・ダ・ガマ
※82年W杯代表監督。ジーコら「黄金のカルテット」を率いた。
ブラジルの異なる4つの州選手権を制したことがある名将。
(0/3)
マリオ・ザガロ
(1931/8/9〜2024/1/5)
〔FW〕<S>
フラメンゴ
ボタフォゴ
ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
※W杯を選手、監督として制した初めての人物。
ブラジル代表の監督・コーチとして臨んだ試合は110勝33引き分けで敗戦はわずか11しかない。
ブラジルでは「教授」と呼ばれ慕われている。
(5/36)

ゾジモ
(1932/6/19〜1977/7/17)
〔DF〕<A>
バングー
フラメンゴ
ポルトゲーザ・デスポルトス
エスポルチーヴァ・グアラチングエタ
スポルト・ボーイズ
ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
※45歳で交通事故死した。
(1/35)
ジト
ジョゼ・エリ・デ・ミランダ

(1932/8/18〜2015/6/14)
〔MF〕<S>
サントス ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(3/46)
カスティーリョ
(1932/11/27〜1987/2/2)
〔GK〕<A>
オラリア
フルミネンセ
ワールドカップ 50年(準) 54年(8) 58年(優) 62年(優)
(0/29)
エヴァリスト・デ・マセド
(1933/6/22〜)
〔FW〕<S>
フラメンゴ
バルセロナ
レアル・マドリード
インターシティーズフェアーズカップ 55-58年
※50年代にバルセロナで活躍したストライカー。
早くに欧州に渡ったため代表での出場機会は多くないが、一試合最多得点記録(5得点)を持つ。
(8/14)
クァレンチニャ
ヴァウディール・カルドソ・ロブレゴ

(1933/9/15〜1996/2/11)
〔FW〕<A>
クァレンチニャ パイサンドゥ
ヴィトーリア
ボタフォゴ
ボンスセッソ
ボタフォゴ
アメリカ・デ・カリ
Union Magdalena
デポルティボ・カリ
アトレティコ・フニオール
(13/14)
ガリンシャ
マヌエル・フランシスコ・ドス・サントス
(1933/10/28〜1983/1/20)
〔FW〕<SS>
ガリンシャ
(ミソサザイ)
魔法の小鳥
脚の曲がった天使
ボタフォゴ
コリンチャンス・パウリスタ
ポルトゲーザ・デスポルトス
アトレティコ・フニオール
フラメンゴ
オラリア
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
※サッカー史上最高のウィンガーのひとりであり、同時代のペレと並びブラジル史上最高の選手といわれる。ペレと出場した代表の試合では負けたことがない。
小児麻痺の後遺症で軽度の知的障害があり、脚は歪曲し長さが6cm違っていた。
(12/50)【8】

ウンベルト・トージ
(1934/2/4〜1980/4/17)
〔FW〕<A>
パルメイラス
ラツィオ
フルミネンセ
ワールドカップ 54年(8)
(1/7)
ジーダ
エジヴァウド・アウヴェス・デ・サンタ・ローザ
(1934/3/26〜2002/9/17)
〔FW〕<A>
ACSA
フラメンゴ
ポルトゲーザ・デスポルトス
アトレティコ・フニオール
ワールドカップ 58年(優)
※少年時代のジーコのアイドル。
ジーコが最初に発した言葉のひとつが「ジーダ」だったという。
(5/8)
ヴァヴァ
エジバウド・イジディオ・ネト
(1934/11/12〜2002/1/19)
〔MF〕<S>
ヴァヴァ ヴァスコ・ダ・ガマ
アトレティコ・マドリード
パルメイラス
クラブ・アメリカ
エルチェ

クラブ・アメリカ
トロス・ネサ
サンディエゴ・トロス
ポルトゲーザ・デスポルトス
ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
(14/22)
ぺぺ
ジョゼ・マシア
(1935/2/25〜)
〔FW〕<S>
ペペ
ヴィラの大砲
サントス ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
※ペレらとともにサントスの黄金期に活躍したフォワード。
元読売ヴェルディ監督。
(22/31)
オルランド
(1935/9/20〜2010/2/10)
〔DF〕<S>
ヴァスコ・ダ・ガマ
ボカ・フニオルズ
サントス
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 58年(優) 66年
(?/?)
ジョゼ・アルタフィーニ
(1938/7/24〜)
〔FW〕<S>
マッゾーラ パルメイラス
ミラン

ナポリ
ユヴェントス
キアッソ
メンドリジョ・スター
ワールドカップ 58年(優) 62年<イタリア>
チャンピオンズカップ 62-63年
※セリエAにおいて通算得点3位の記録を持つ。
ミラン在籍時にはイタリア初のチャンピオンズカップ獲得に貢献した。「マッゾーラ」の愛称は、V・マッツォーラに因む。
(4/8)
(5/6)イタリア
ブリト
(1939/8/9〜)
〔DF〕<A>
ヴァスコ・ダ・ガマ
インテルナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
フラメンゴ
クルゼイロ
ボタフォゴ
コリンチャンス・パウリスタ
アトレチコ・パラナエンセ
デポルティボ・ガリシア
デモクラタ
ワールドカップ 66年 70年(優)
(1/45)
ジャイール
(1940/7/9〜)
〔FW(WG)〕<A>
ポルトゲーザ・デスポルトス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ
サントス
ワールドカップ 62年(優)
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
※60年代、グランデ・インテルで活躍したウィンガ−。
(0/1)
アマリウド
タバレス・デ・シウベイラ・ジュニオール
(1940/7/29〜)
〔FW〕<S>
フルミネンセ
ボタフォゴ
ミラン
フィオレンティーナ
ローマ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 62年(優)
(7/23)
ペレ
エドソン・アランチェス・ド・ナシメント
(1940/10/23〜2022/12/29)
〔FW/MF〕<SSS>
ペレ
王様
サントス
ニューヨーク・コスモス
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年 70年(優)
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
※「サッカーの王様」と呼ばれる史上最高の選手(のひとり)。
元代表最多得点記録保持者。
発明王エジソンに因んで名づけられたが、「Edson」と誤標記されている。愛称である「ペレ」の由来は、当時父親が所属していたクラブのゴールキーパー「ビレ」のファンであったため。しかし少年時代本人はペレと呼ばれることを好まなかった。
58年W杯で10番をつけ、以後「No.10」はサッカーのエースナンバーとして定着したが、当時チーム内の抽選で偶然割り当てられたに過ぎなかった。1000得点目は自ら得たPKで決めた。
ブラジル初の黒人閣僚(スポーツ大臣)を務めた。
息子もサッカー選手(GK)だったが、麻薬密売容疑で逮捕、収監された。
W杯優勝予想がことごとく外れるだけでなく、その国は期待はずれに終わることで有名。
マラドーナとは選手として互いに認め合っているが、事あるごとに批判合戦を繰り広げる。
2011年、サントスがクラブW杯に出場する際、ペレ復帰案が検討され話題となった。
2014年、30歳以上年の離れた日系人女性と再婚した。
(77/92)【1】

ジェルソン
(1941/1/11〜)
〔MF〕<S>
バロット(オウム) フラメンゴ
ボタフォゴ
サンパウロ
フルミネンセ
ワールドカップ 66年 70年(優)
※FIFA100に自分が選ばれなかったことに腹を立て、選考をしたペレを猛然と批判したことがある。
(14/70)
アデミール・ダ・ギア
(1942/4/3〜)
〔MF〕<S>
バングー
パルメイラス
ワールドカップ 74年(3)
※黄金期のパルメイラスで活躍した司令塔。
父はアデミール・マルケス。
(0/9)
コウチーニョ
アントニオ・ウィルソン・オノリオ

(1943/6/11〜2019/3/11)
〔FW〕<S>
サントス
ヴィトーリア
ポルトゲーザ・デスポルトス
サントス
アトラス
バングー
ワールドカップ 62年(優)
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(6/15)
カルロス・アウベルト・トーレス
(1944/7/17〜2016/10/25)
〔DF〕<S>
フルミネンセ
サントス
ボタフォゴ
サントス
フルミネンセ
フラメンゴ
ニューヨーク・コスモス
カリフォルニア・サーフ
ニューヨーク・コスモス
ワールドカップ 66年 70年(優)
※攻撃的サイドバックの草分け的存在。
元名古屋グランパスのトーレスの父。
(8/53)
ジャイルジーニョ
ジャイール・ヴェントゥーラ・フィリヨ

(1944/11/25〜)
〔FW〕<S>
ジャイルジーニョ ボタフォゴ
オリンピック・マルセイユ
クルゼイロ
ポルトゲーザ(ベネズエラ)
ノロエスチ
ナシオナウ・マナウス
クラブ・ホルヘ・ウィルステルマン
ボタフォゴ

ワールドカップ 66年 70年(優) 74年(4)
コパ・リベルタドーレス 76年
※W杯史上唯一初戦から決勝戦まで全試合で得点した選手。
(33/81)
セルジオ越後
(1945/7/28〜)
〔MF/FW〕<B>
セル爺 コリンチャンス・パウリスタ
トレス・ポンターノ
ブラガンチーノ
パウリスタ
藤和不動産
※「エラシコ」をリベリーノに教えたとされる。
日系人として初めてブラジル代表候補に挙がったこともあるが、23歳で一度引退、悩んだ末1972年に来日した。
JSL初の元プロ選手であり、そのデビュー戦には2万人の観客が集まった。
引退後はさわやかサッカー教室を開催し、全国を飛び回って少年少女を直接指導、その数50万人以上とされる。
度々日本サッカー界に対して辛口の苦言を呈するが、代表愛は人一倍で、アジアカップを制した際には中継も忘れ大声で喜びを爆発させた。
2006年、日光アイスバックスぼSDに就任。
(0/0)
ロベルト・リベリーノ
(1946/1/1〜)
〔MF/FW〕<SS>
リーバ コリンチャンス・パウリスタ
フルミネンセ
アル・ヒラル
ワールドカップ 70年(優) 74年(4)
※ペレ引退後のセレソンの10番。
元清水エスパルス監督。
セルジオ越後とはコリンチャンス時代の同僚であり、彼が得意とした「エラシコ」はセルジオから教わったフェイントである。
(43/122)
ダリオ・ホセ・ドス・サントス
(1946/3/4〜)
〔FW〕<A>
ダリオ
ダダ・マラヴィーリャ
アトレチコ・ミネイロ
フラメンゴ
アトレチコ・ミネイロ
スポルチ・レシフェ
インテルナシオナル

ポンチ・プレッタ
アトレチコ・ミネイロ
パイサンドゥ
ナウチコ
サンタクルス
バイーア
ゴイアス
コリチーバ
リオ・ネグロ
ナシオナウ
ワールドカップ 70年(優)
※ブラジル全国選手権で3度得点王になった。
(0/7)
アレシャンドレ・カネコ
(1946/6/10〜)
〔MF〕<A>
サントス
べレス・サルスフィエルド
※60年代サントスでペレらとともに活躍した日系選手。
フェイントの技である「ランプレッタ」を考案したとされる。
(0/0)
トスタン
エドアルド・ゴンサウベス・ジ・アンドラーデ
(1947/1/25〜)
〔FW〕<S>
トスタン
(小さな硬貨)
白いペレ
アメリカ・ミネイロ
クルゼイロ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 66年 70年(優)
※網膜はく離の影響で26歳で現役を引退した。
引退後は内科医をしていたことがある。
(35/65)【58】

カビーニョ
エヴァニヴァルド・カストロ
(1948/4/28〜)
〔FW〕<A>
カビーニョ アメリカ
フラメンゴ
ポルトゲーザ・デスポルトス
アトレチコ・ミネイロ
ポルトゲーザ・デスポルトス
プーマス
アトランテ
クラブ・レオン
パイサンドゥ
UANLティグレス
※メキシコで活躍した。
(0/0)
ルイス・フェリペ・スコラーリ
(1948/11/9〜)
〔DF〕<B>
フェリポン カシアス・ド・スル
ジュベントゥージ
ノヴォ・アンブルゴ
CSA
※選手として目立った実績はないものの、監督として02年W杯でブラジルを優勝に導いた。その後、ポルトガル代表監督としてW杯4位の成績を収めた。
14年W杯では自国優勝を目指したが、準決勝でドイツに1-7と惨敗、4位に終わった。
元ジュビロ磐田監督。
(0/0)
ルイス・ペレイラ
(1949/6/21〜)
〔DF〕<A>
サン・ベント
パルメイラス
アトレティコ・マドリード
フラメンゴ
パルメイラス
ポルトゲーザ・デスポルトス
コリンチャンス・パウリスタ
ワールドカップ 74年(4)
※欧州で成功した初のブラジル人ディフェンダーとされる。
(1/38)
エメルソン・レオン
(1949/7/11〜)
〔GK〕<A>
サンジョゼ
パルメイラス
ヴァスコ・ダ・ガマ
グレミオ
コリンチャンス・パウリスタ
パルメイラス
スポルチ・レシフェ
ワールドカップ 70年(優) 74年(4) 78年(3) 86年(8)
※清水エスパルス、ヴェルディ川崎の元監督。
「レオンは悪魔から生まれた」といわれるほど、ブラジルサッカー界において相当嫌われている。ラモスともそりが合わなかった。
(0/106)
エドゥ
ヨナス・エドアルド・アメリコ
(1949/8/6〜)
〔FW〕<A>
エドゥ サントス
コリンチャンス・パウリスタ
インテルナシオナル
UANLティグレス
タンパベイ・ローディス
サンクリストヴァン
ナシオナウ
ドン・ヴァスコ
ワールドカップ 66年 70年(優) 74年(4)
(12/50)
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ
(1952/5/10〜)
〔DF〕<B>
フラメンゴ
インテルナシオナル
ボタフォゴ
※監督として輝かしい実績をもつが、メディアからしばしば批判される行動が多い。
(0/0)
ディルセウ
(1952/6/15〜)
〔MF〕<A>
クリチーバ
ボタフォゴ
フルミネセ
ヴァスコ・ダ・ガマ
クラブ・アメリカ
アトレティコ・マドリード
エラス・ヴェローナ
ナポリ
アスコリ
コモ
アヴェリーノ
ヴァスコ・ダ・ガマ
マイアミ・シャークス
バングー
エボリターナ
ワールドカップ 74年(4) 78年(3) 82年
(7/44)
ジーコ
アルトゥール・アントネス・コインブラ
(1953/3/3〜)
〔MF〕<SS>
ジーコ
白いペレ
ガーロ
マラカナンの英雄
フラメンゴ
ウディネーゼ
フラメンゴ
住友金属工業
鹿島アントラーズ
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
コパ・リベルタドーレス 81年
トヨタカップ 81年
※元日本代表監督。
日本ではしばしば「神様」とも呼ばれ、各国の多くのトップ選手が憧れる名選手。しかし、欧州のビッグクラブに在籍した経験がない(インテルへの移籍が破談になったことがある)。
トヨタカップMVPの副賞のトヨタセリカを「大統領に電話するから」といって持ち帰リ(当時ブラジルは自動車の輸入を禁止していた)、以来長年にわたって愛用していた。
日本を第2の故郷と呼ぶほど親日家だが、きつねうどんが嫌い。長男の妻は日系人である。
(52/72)【14】
ロベルト・ファルカン
(1953/10/16〜)
〔MF〕<S>
ローマの鷹
L'ottavo re di Roma
(第8代ローマ王)
インテルナシオナル
ローマ
サンパウロ
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
※元日本代表監督。
82年W杯では、ジーコらと黄金のカルテットを形成した。
ローマの41年ぶりのスクデット獲得に貢献し「第8代目のローマ王」といわれた。
知性的で監督としても間違いなく成功するといわれていたが、実際はあまりパッとしない。
(9/36)
ソクラテス
(1954/2/19〜2011/12/4)
〔MF〕<S>
ドトール(医者) ボタフォゴ
コリンチャンス・パウリスタ
フィオレンティーナ
フラメンゴ
サントス
ボタフォゴ
ガーフォース・タウン
ワールドカップ 82年 86年(8)
※82年W杯では、ジーコらと黄金のカルテットを形成した。
現役時代はリストバンドがトレードマークだった。
医者であるにもかかわらず、かなりの酒飲みで、愛煙家でもあった。
弟は元代表のライー。
(22/60)
ロベルト・ディナミッチ
カルロス・ロベルト・デ・オリベイラ

(1954/3/13〜)
〔FW〕<A>
ロベルト・ディナミッチ ヴァスコ・ダ・ガマ
バルセロナ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ポルトゲーザ・デスポルトス
ヴァスコ・ダ・ガマ
カンポ・グランデ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 78年(3) 82年
※ブラジル全国選手権の最多得点記録保持者。
ヴァスコ・ダ・ガマ会長。
(26/47)
ジョルジ・メンドンサ
(1954/6/6〜2006/2/17)
〔FW〕<A>
バングー
ナウチコ
パルメイラス
ヴァスコ・ダ・ガマ
グアラニ
ポンチ・プレッタ
クルゼイロ
リオ・ブランコ
コロラドPR
ポンチ・プレッタ
パウリスタ
ワールドカップ 78年(3)
※ジーコにも引けを取らない才能の持ち主といわれたが、サンターナ監督に楯突き、自ら代表での活躍を奪った。
(0/6)
オスカー・ベルナルディ
(1954/6/20〜)
〔DF〕<S>
カピタン ポンチ・ブレッタ
ニューヨーク・コスモス
サンパウロ
日産自動車
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
※元日産自動車、京都パープルサンガ監督。
世界のトップ選手として日本でプレーした先駆者であり、後の呂比須ワグナーと一緒に来日した。
(2/59)
ジュニオール
レオヴェジウド・リンス・ダ・ガマ・ジュニオール

(1954/6/29〜)
〔MF/DF(SB)〕<S>
ジュニオール フラメンゴ
トリノ
ぺスカーラ
フラメンゴ
ワールドカップ 82年 86年(8)
※セレソンではジーコらの攻撃陣にアクセントを加えた攻撃的サイドバック。
ジーコジャパンのスタッフを務めた。
サンバ歌手としてCDを出したことがある。
(6/74)
トニーニョ・セレーゾ
アントニオ・カルロス・セレーゾ

(1955/4/21〜)
〔MF〕<S>
トニーニョ アトレチコ・ミネイロ
ローマ
サンプドリア
サンパウロ
ワールドカップ 78年(3) 82年
トヨタカップ 93年
※鹿島アントラーズ監督(2013年復帰を果たした)。
82年W杯では、ジーコらと黄金のカルテットを形成した。
80〜90年代、ローマやサンプドリアで活躍し、ライカールトの憧れの存在だったという。
息子はトランスジェンダーのファッションモデルをしており、性転換して話題となった。
(6/74)
エジーニョ
(1955/6/5〜)
〔DF〕<S>
フルミネンセ
ウディネーゼ
フラメンゴ
フルミネンセ
グレミオ
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
(3/59)
レイナウド
(1957/1/11〜)
〔FW〕<S>
アトレチコ・ミネイロ
パルメイラス
リオネグロ
クルゼイロ
ヘッケン
テルスター
ワールドカップ 78年(3)
(14/37)
エデル
(1957/5/25〜)
〔FW(WG)〕<A>
オ・カニャン
(大砲)
アメリカ・ミネイロ
グレミオ
アトレチコ・ミネイロ
インテルナシオナル
パルメイラス
サントス
ボタフォゴ
アトレチコ・パラナエンセ
セロ・ポルテーニョ
フェネルバフチェ
ウニオン・サンジョアン
クルゼイロ
ワールドカップ 82年
※強烈な左足のキックを持つ。
(5/52)
チッタ
ミウトン・ケイロス・ダ・パイション

(1958/4/1〜)
〔MF〕<A>
チッタ フラメンゴ
グレミオ
インテルナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
バイエル・レバークーゼン
ペスカーラ
クラブ・レオン
ブエブラ
ワールドカップ 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
※元浦和レッズ監督。
ジーコジャパンのスタッフを務めた。
(6/30)
ジョゼ・レアンドロ・フェレイラ
(1959/3/17〜)
〔DF〕<A>
レアンドロ フラメンゴ ワールドカップ 82年
コパ・リベルタドーレス 81年
トヨタカップ 81年
※黄金のカルテットを後方から支えたサイドバック。
(2/27)
バウタザール
(1959/7/17〜)
〔FW〕<A>
グレミオ
パルメイラス
フラメンゴ
ボタフォゴ
セルタ・デ・ビーゴ
アトレティコ・マドリード
ポルト
スタッド・ドゥ・レンヌ
ゴイアス
京都パープルサンガ
コパ・アメリカ 89年
(3/7)
アレモン
リカルド・ロジェーリオ・デ・ブリト
(1961/11/22〜)
〔MF〕<A>
アレモン ボタフォゴ
アトレティコ・マドリード
ナポリ
アタランタ
サンパウロ
ボルタ・レドンダ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
※「アレモン」とはポルトガル語でドイツ人を意味する。
(6/39)
マウロ・ガウボン
(1961/12/19〜)
〔DF〕<A>
インテルナシオナル
バングー
ボタフォゴ
ルガーノ
グレミオ
ヴァスコ・ダ・ガマ
グレミオ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
(0/26)
リカルド・ローシャ
(1962/9/11〜)
〔DF〕<A>
Xerife(保安官) サンタクルス
グアラニ
スポルティングCP
サンパウロ
レアル・マドリード
サントス
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ
ニューウェルズ・オールドボーイズ
フラメンゴ
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
(0/39)
ジュリオ・セザール
(1963/3/8〜)
〔DF〕<S>
グアラニ
スタッド・ブレスト29
モンペリエ
ユヴェントス
ボルシア・ドルトムント
ボタフォゴ
ボルシア・ドルトムント
パナシナイコス
ヴェルダー・ブレーメン
リオ・ブランコ
ワールドカップ 86年(8)
チャンピオンズ・リーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
UEFAカップ 93-94年
※早々と代表を引退したため、90年、94年W杯に出場していないが、80〜90年代ブラジルを代表するセンターバック。
(0/13)
レナト・ガウショ
(1963/9/9〜)
〔FW〕<A>
グレミオ
フラメンゴ
ローマ
フラメンゴ
グレミオ
ボタフォゴ
クルゼイロ
フラメンゴ
アトレチコ・ミネイロ
フルミネンセ
フラメンゴ
タウバテ
ワールドカップ 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
コパ・リベルタドーレス 83年
トヨタカップ 83年
※86年W杯代表候補だったが、規律違反で追放処分を受けた。
(5/41)
ドゥンガ
カルロス・カエタノ・ブレドルン・ベーヒー

(1963/10/31〜)
〔MF〕<S>
ドゥンガ
鬼軍曹
インテルナシオナル
コリンチャンス・パウリスタ
サントス
ヴァスコ・ダ・ガマ
ピサ
フィオレンティーナ
ペスカーラ
シュトゥットガルト
ジュビロ磐田
インテルナシオナル
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 89年 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※愛称の「ドゥンガ」は、「白雪姫と七人の小人」の一番若い小人の名前(ドーピー)に由来する。
オリンピックロサンゼルス大会銀メダリスト。
日本では名波らを容赦なく怒鳴りつけていたことから、「鬼軍曹」のイメージが強い。
磐田対談後、古巣インテルナシオナルに復帰したが、当時19歳のロナウジーニョに易々と交わされたことで、引退を決意したという。
最初の代表監督時には服の着こなしのセンスの無さが話題となった。
ワールドカップ敗戦(4位)後、2度目の代表監督に就任した。
(6/91)

バウド
(1964/1/12〜)
〔MF〕<A> 
フィゲイレンセ
グレミオ
ベンフィカ
パリ・サンジェルマン
ベンフィカ
名古屋グランパスエイト
クルゼイロ
サントス
スポルチ・レシフェ
アトレチコ・ミネイロ
ジュべントゥージ
サンカエターノ
ボタフォゴ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
※オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(6/59)
ベベット
ジョゼ・ロベルト・ガマ・ジ・オリベイラ

(1964/2/16〜)
〔FW〕<S>
ベベット ヴィトーリア
フラメンゴ
ヴァスコ・ダ・ガマ

デポルティボ・ラ・コルーニャ

セビージャ
ヴィトーリア
クルゼイロ
ボタフォゴ
トロス・ネサ

鹿島アントラーズ
ヴィトーリア
ボタフォゴ
ヴァスコ・ダ・ガマ
アル・イテハド
ワールドカップ 94年(優)
コパ・アメリカ 89年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※94年W杯では当時生まれたばかりのわが子を祝う、ゆりかごダンスが話題となり、以後サッカー界において定着した。
オリンピックソウル大会、アトランタ大会銅メダリスト。
(39/75)
ブランコ
クラウジオ・イブラヒム・ヴァズ・レアル

(1964/4/4〜)
〔DF〕<S> 
ブランコ インテルナシオナル
フルミネンセ
ブレシア

ベンフィカ

ポルト
ジェノア
コリンチャンス・パウリスタ
フラメンゴ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優)
コパ・アメリカ 89年
※90年W杯対アルゼンチン戦で睡眠薬が入ったボトルから水分補給し、体調不良を訴えた。
(9/72)
ジョルジーニョ
ジョルジ・デ・アモリン・カンポス
(1964/8/17〜)
〔DF(SB)/MF〕<S>
ジョルジーニョ アメリカ
フラメンゴ
バイエル・レバークーゼン
バイエルン・ミュンヘン
鹿島アントラーズ
サンパウロ
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
※元鹿島アントラーズ監督。
オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(3/64)
リカルド・ゴメス
(1964/12/13〜)
〔DF〕<A>
フルミネンセ
ベンフィカ
パリ・サンジェルマン
ワールドカップ 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
※オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(4/50)
クラウディオ・タファレル
(1965/5/8〜)
〔GK〕<S>
インテルナシオナル
パルマ
レッジャーナ
アトレチコ・ミネイロ
ガラタサライ
パルマ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 89年 99年
スーパーカップ 00年
※W杯出場試合数18はゴールキーパーとして最多である。
イタリアでプレーした初めてのブラジル人キーパー。
オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(0/105)
ライー
(1965/5/15〜)
〔MF〕<A>
ボタフォゴ
ポンチ・プレッタ
ボタフォゴ
サンパウロ
パリ・サンジェルマン
サンパウロ
ワールドカップ 94年(優)
トヨタカップ 92年
※ソクラテスの弟。
サンパウロでクラブ世界一に貢献したが、その後はパリ・サンジェルマンでも代表でも低調だった。特に94年W杯では10番として活躍を期待されるも絶不調で、途中から控えに回った。
(17/51)
シーラス
パウロ・シーラス・ド・プラド・ペレイラ
(1965/8/27〜)
〔MF〕<A>
シーラス サンパウロ
スポルティングCP
セントラル・エスパニョール
チェゼーナ
サンプドリア
インテルナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
サン・ロレンソ
京都パープルサンガ
アトレチコ・パラナエンセ
リオ・ブランコ
イトゥアーノ
アメリカ・ミネイロ
ポルトゲーザ・デスポルトス
インテルナシオナル
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
(4/38)
アウダイール
(1965/11/30〜)
〔DF〕<S>
フラメンゴ
ベンフィカ
ローマ
ジェノア
ムラタ
ワールドカップ 90年(16) 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 89年 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※アトランタ五輪ではジダと衝突してしまい、伊東輝悦に押し込まれ失点するという失態を演じた。
オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
ローマの6番は彼の永久欠番である。
(4/93)
ロマーリオ
(1966/1/29〜)
〔FW〕<SS>
バイシーニョ
(チビ)
ヴァスコ・ダ・ガマ
PSV
バルセロナ
フラメンゴ
バレンシア
フラメンゴ
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ
アル・サッド
フルミネンセ
ヴァスコ・ダ・ガマ
マイアミ
アデレード・ユナイテッド
ヴァスコ・ダ・ガマ
アメリカ
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
コパ・アメリカ 89年 97年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※フリーデンライヒ、ペレに次いで1000ゴール(自称)を記録したブラジル史上最高のストライカーのひとり。
オリンピックソウル大会銅メダリスト。
PSVや「ドリーム・チーム」でも名を馳せたが、W杯での活躍は94年のみである。
問題児としても有名で、代表内でもいざこざが多い。ミューレル、エジムンド、ベベットとは特に仲が悪く、逆に仲がいいのはドゥンガである。
一度もタバコ、酒を飲んだことがないという。
ブラジル下院議員を務め、ブラジルW杯開催を公然と批判した。
(55/70)

ミューレル
ルイス・アントニオ・コレア・ダ・コスタ
(1966/1/31〜)
〔FW〕<A>
ミューレル サンパウロ
トリノ
サンパウロ
柏レイソル
パルメイラス
ペルージャ
サントス
バイーア
クルゼイロ
コリンチャンス・パウリスタ
サンカエターノ
ツピ
ポルトゲーザ・デスポルトス
イパチンガ
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優)
※「ミューレル」の愛称はゲルト・ミュラーに由来する。
(20/56)
マジーニョ
イオマール・ド・ナシメント

(1966/4/8〜)
〔MF〕<A>
マジーニョ ヴァスコ・ダ・ガマ
レッチェ
フィオレンティーナ
パルメイラス
バレンシア
セルタ・デ・ビーゴ
エルチェ
デポルティボ・アラベス
ヴィトーリア
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
コパ・アメリカ 89年
※チアゴ・アルカンタラの父。
オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(0/22)
カレカ
アントニオ・ジ・オリベイラ・フィリオ
(1966/10/5〜)
〔FW〕<S>
カレカ(禿げ頭) グアラニ
サンパウロ

ナポリ
柏レイソル
サントス
カンピナス
サンジョゼ
ガーフォース・タウン
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
UEFAカップ 88-89年
※「カレカ」という愛称は、彼がファンだったコメディアンに由来し、「禿げ頭」という意味がある。
ナポリ時代はマラドーナとコンビを組んだ。
中田英寿が目標にしていたといわれている。
(29/60)
ジーニョ
クリザン・セーザル・ジ・オリベイラ・フィリョ

(1967/6/17〜)
〔MF)〕<A>
ジーニョ フラメンゴ
パルメイラス
横浜フリュ−ゲルス
パルメイラス
グレミオ
パルメイラス
クルゼイロ
フラメンゴ
ノヴァ・イグアス
マイアミ
ワールドカップ 94年(優)
※パルメイラスの優勝に貢献し、その後移籍した横浜フリューゲルスでは、サンパイオ、エバイールとパルメイラストリオを形成した。
94年W杯ではライーの不調のためゲームメイクを担い、優勝に貢献した。
(7/57)
マウロ・シルバ
(1968/1/12〜)
〔MF〕<S>
グアラニ
ブラガンチーノ
デポルティボ・ラ・コルーニャ
ワールドカップ 94年(優)
コパ・アメリカ 97年
(0/58)
セザール・サンパイオ
(1968/3/31〜)
〔MF〕<A>
サントス
パルメイラス
横浜フリュ−ゲルス
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
コリンチャンス・パウリスタ
柏レイソル
サンフレッチェ広島

サンパウロ
ワールドカップ 98年(準)
コパ・アメリカ 97年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※横浜フリューゲルス時代、ジーニョ、エバイールとパルメイラストリオを形成した。
98年W杯のファーストゴールをあげた。
(6/49)
トゥーリオ
(1969/6/2〜)
〔FW〕<A>
ゴイアス
ボタフォゴ
※ブラジル全国選手権の得点王3回はダリオ、ロマーリオと並び最多で、通算900ゴールをあげている。
(16/15)
レオナルド
(1969/9/5〜)
〔MF/DF(SB)〕<S>
レオ フラメンゴ
サンパウロ
バレンシア
サンパウロ
鹿島アントラーズ
パリ・サンジェルマン
ミラン
サンパウロ
フラメンゴ
ミラン
ワールドカップ 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 97年
トヨタカップ 93年
※華麗なプレーや端正な顔立ちから、日本では「貴公子」「レオ様」とも呼ばれていた。
(8/60)
マルシオ・サントス
(1969/9/15〜)
〔DF〕<A>
インテルナシオナル
ボタフォゴ
ジロンダン・ボルドー
フィオレンティーナ
アヤックス
サンパウロ
ワールドカップ 94年(優)
コパ・アメリカ 97年
(5/43)
カフー
マルコス・エバンゲリス・ジ・モラエス

(1970/6/7〜)
〔DF(SB)/MF〕<S>
カフー サンパウロ
レアル・サラゴサ
パルメイラス
ローマ
ミラン
ワールドカップ 94年(優) 98年(準) 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
スーパーカップ 03年 07年
※代表最多試合出場記録保持者。
(5/142)
ソニー・アンデルソン
(1970/9/19〜)
〔FW〕<A>
ソニー ヴァスコ・ダ・ガマ
グアラニ
セルヴェット

オリンピック・マルセイユ
モナコ

バルセロナ
オリンピック・リヨン

ビジャレアル
アル・ラーヤン

アル・ガラファ
スーパーカップ 97年
※清水エスパルス等で活躍したトニーニョの弟。
(1/6)
ジャウミーニャ
ジャウマ・フェイトサ・ジアス

(1970/12/9〜)
〔MF〕<A>
ジャウミーニャ フラメンゴ
グアラニ
清水エスパルス
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
アウストリア・ウィーン
クラブ・アメリカ
コパ・アメリカ 97年
※代表では同じようなポジションにリバウドがいたため、目立った実績はないが、クラブレベルでは、「スーペル・デポル」のトップ下としてチームを牽引した。
引退後はインドアサッカーで活躍している。
(5/14)
エジムンド
(1971/4/2〜)
〔FW〕<A> 
野獣
アニマウ
ヴァスコ・ダ・ガマ
パルメイラス
フラメンゴ
コリンチャンス・パウリスタ
ヴァスコ・ダ・ガマ

フィオレンティーナ
ヴァスコ・ダ・ガマ
サントス
ナポリ
クルゼイロ
東京ヴェルディ1969
浦和レッドダイヤモンズ
ヴァスコ・ダ・ガマ

フルミネンセ
ノヴァ・イグアス
フィゲイレンセ
パルメイラス
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 98年(準)
コパ・アメリカ 97年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※素行の悪さで有名。またロマーリオとは犬猿の仲である。
クルゼイロ時代、古巣のヴァスコから点を取りたくないとして、PKを故意に外すなどして戦力外通告された。
フィオレンティーナ時代、リオのカーニバルに参加するためシーズン中に帰国したことがある。
日本への移籍を決めた理由のひとつにイタリア料理店の多さがあったとされている。
(9/37)
リバウド
(1972/4/19〜)
〔FW/MF〕<SS>
左脚の魔術師 コリンチャンス・パウリスタ
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
バルセロナ

ミラン
クルゼイロ
オリンピアコス
AEKアテネ
ブニョドコル
サンパウロ
カブルスコルプ
サンカエターノ
ワールドカップ 98年(準) 02年(優)
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
スーパーカップ 97年 03年
※2000‐01年シーズン最終節バレンシア戦のハットトリックは伝説となっており、当時「キャプテン翼のようだ」と賞賛された。
プロになって初めてステーキを食べた時に、それまで栄養失調だったため歯が抜け落ち、入れ歯をしている。
オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(34/74)

エウベル
(1972/7/23〜)
〔FW〕<S> 
ロンドリーナ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
シュトゥットガルト
バイエルン・ミュンヘン
オリンピック・リヨン
ボルシア・メンヘングラートバッハ
クルゼイロ
チャンピオンズリーグ 00-01年
トヨタカップ 01年
※ブンデスリーガ外国人最多得点記録保持者。
(7/15)
ロジェリオ・セニ
(1973/1/22〜)
〔GK〕<A>
サンパウロ ワールドカップ 02年(優) 06年(8)
コンフェデレーションズ カップ 97年
コパ・リベルタドーレス 92年・93年・05年
トヨタカップ 92年・93年
クラブ世界選手権 05年
※代表では控えが多いが、クラブでは多くのタイトルを獲得している。
フリーキックが得意で、ゴールキーパーとして史上最多得点記録を持ち、その数は100ゴールを超えている。
(0/17)
ジュニーニョ・パウリスタ
オズバウド・ジロウド・ジュニオール

(1973/2/22〜)
〔MF〕<A>
パウリスタ サンパウロ
ミドルズブラ
アトレティコ・マドリード
ヴァスコ・ダ・ガマ
フラメンゴ
ミドルズブラ
セルティック
パルメイラス
シドニー
イトゥアーノ
ワールドカップ 02年(優)
コンフェデレーションズ カップ 97年
トヨタカップ 93年
※オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(5/51)
ロベルト・カルロス
(1973/4/10〜)
〔DF(SB)〕<S>
悪魔の左足 ウニオン・サンジョアン
パルメイラス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
レアル・マドリード
フェネルバフチェ
アンジ・マハチカラ
ワールドカップ 98年(準) 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※長くレアル・マドリード、代表で活躍した超攻撃的左サイドバック。マドリーの外国人最多試合出場記録を持つ。
左足のキックは特に強烈で、小島伸幸の指を骨折させたことがある。
オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(11/125)
エジミウソン
(1973/7/10〜)
〔DF/MF〕<A>
牧師さん サンパウロ
オリンピック・リヨン
バルセロナ
ビジャレアル
パルメイラス
レアル・サラゴサ
セアラー
ワールドカップ 02年(優)
チャンピオンズリーグ 05-06年
クラブワールドカップ 06年
(2/39)
マリオ・ジャルデウ
(1973/9/18〜)
〔FW〕<A>
スーパーマリオ ヴァスコ・ダ・ガマ
グレミオ

ポルト

ガラタサライ
スポルティングCP
コパ・リベルタドーレス 95年
スーパーカップ 00年
(1/10)
ジダ
ネルソン・ジ・ジーザス・シウバ

(1973/10/7〜)
〔GK〕<S>
ジダ ヴィトーリア
クルゼイロ
コリンチャンス・パウリスタ
ミラン
 コリンチャンス・パウリスタ(L)
ポルトゲーザ・デスポルトス
グレミオ
ワールドカップ 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年 05年
チャンピオンズリーグ 02-03年 06-07年
クラブ世界選手権 00年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 03年 07年
※アトランタ五輪ではアウダイールと衝突してしまい、伊東輝悦に押し込まれ失点するという失態を演じた。
オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(0/91)
サヴィオ
(1974/1/9〜)
〔FW〕<A>
Anjo loiro
(金髪の天使)
フラメンゴ
レアル・マドリード
ジロンダン・ボルドー
レアル・サラゴサ
レアル・ソシエダ
レバンテ
アノルトシス・ファマグスタ
アヴァイ
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年
スーパーカップ 02年
※オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(17/44)
ヴァンペッタ
マルコス・アンドレ・バチスタ・サントス
(1974/3/13〜)
〔MF〕<A>
ヴァンペッタ ヴィトーリア
PSV
 VVVフェンロー(L)
 フルミネンセ(L)
コリンチャンス・パウリスタ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
パリ・サンジェルマン
フルミネンセ
コリンチャンス
ヴィトーリア
クウェート
ブラジリエンセ
ゴイアス
コリンチャンス・パウリスタ
ジュベントス
ワールドカップ 02年(優)
コパ・アメリカ 99年
※ゲイ雑誌にヌード写真を掲載するなど、ピッチ外の話題に事欠かない。
(2/41)
シウヴィーニョ
シウヴィオ・メンデス・カンポス・ジュニオル
(1974/4/12〜)
〔DF〕<A>
シウヴィーニョ コリンチャンス・パウリスタ
アーセナル
バルセロナ
マンチェスター・シティ
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年
(0/6)
フラビオ・コンセイソン
(1974/6/13〜)
〔MF〕<A>
リオ・ブランコ
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
レアル・マドリード
 ボルシア・ドルトムント(L)
ガラタサライ
パナシナイコス
コパ・アメリカ 97年 99年
チャンピオンズリーグ 01-02年
※オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(4/45)
アモローゾ
(1974/7/5〜)
〔FW〕<A>
グアラニ
ヴェルディ川崎
グアラニ
フラメンゴ
ウディネーゼ

パルマ
ボルシア・ドルトムント
マラガ
サンパウロ
ミラン
コリンチャンス・パウリスタ
グレミオ
アリス・テッサロニキ
グアラニ
コパ・アメリカ 99年
コパ・リベルタドーレス 05年 
クラブ世界選手権 05年
※ヴェルディ川崎時代は外国人枠に阻まれ出場できなかったが、移籍後頭角を現し、ウディネーゼではセリエAの得点王になった。
FC東京への入団が内定していたが、それを蹴ってミランに移籍したとされる。
一時期日本への帰化を考えていたこともあったと告白している。
(8/19)
ゼ・ロベルト
ジョゼ・ロベルト・ダ・シウヴァ・ジュニオル
(1974/7/6〜)
〔MF〕<S>
ポルトゲーザ・デスポルトス
レアル・マドリード
フラメンゴ
バイエル・レバークーゼン
バイエルン・ミュンヘン
サントス
バイエルン・ミュンヘン
ハンブルガー
アル・ガラファ
グレミオ
ワールドカップ 98年(準) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年 05年
※自己管理が徹底しており、マクドナルドには一度も行ったことがなく、飲み物もミネラルウォーターかグレープジュースしか口にしないという。
(6/84)
ジュニーニョ・ペルナンブカーノ
アントニオ・アウグスト・リベイロ・レイス・ジュニオール

(1975/1/30〜)
〔MF〕<A>
ペルナンブカーノ スポルチ・レシフェ
ヴァスコ・ダ・ガマ
オリンピック・リヨン
アル・ガラファ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ニューヨーク・レッドブルズ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 06年(8)
コンフェデレーションズ カップ 05年
※世界屈指のフリーキックの名手。
リーグ・アンを7連覇したリヨンの中心選手。
(6/40)
エメルソン
(1976/4/4〜)
〔MF〕<S>
エミ グレミオ
ボタフォゴ
グレミオ
バイエル・レバークーゼン
ローマ
ユヴェントス
レアル・マドリード
ミラン
サントス
ワールドカップ 98年(準) 06年(8)
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 05年
※ウィニングイレブンが得意。
(6/73)
ロケ・ジュニオール
(1976/8/31〜)
〔DF〕<A>
パルメイラス
ミラン
リーズ・ユナイテッド
シエナ
バイエル・レバークーゼン
デュイスブルク
アル・ラーヤン
パルメイラス
ワールドカップ 02年(優)
コンフェデレーションズ カップ 05年
(2/48)
ロナウド
(1976/9/22〜)
〔FW〕<SS>
フェノーメノ
(超常現象・怪物)
クルゼイロ
PSV

バルセロナ

インテルナツィオナーレ・ミラノ
レアル・マドリード

ミラン
コリンチャンス・パウリスタ
ワールドカップ 94年(優) 98年(準) 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 03年
UEFAカップ 97-98年
カップウィナーズカップ 96-97年
※ブラジル代表通算得点3位、W杯通算最多得点記録2位を持つ90〜2000年代における世界屈指のストライカー。
デビュー当時はロナウジーニョと呼ばれていた。
1999年以降は度重なる大ケガや太りすぎに悩まされた。
02年W杯では「大五郎カット」が話題となった。
オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(62/97)

ジウベルト・シウバ
(1976/10/7〜)
〔MF〕<A>
アトレチコ・ミネイロ
アーセナル
パナシナイコス
グレミオ
アトレチコ・ミネイロ
ワールドカップ 02年(優) 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 07年
※中澤佑二とはアメリカ・ミネイロユース時代からの知り合いである。
(3/93)
デニウソン
(1977/8/24〜)
〔MF(WG)〕<A>
サンパウロ
レアル・ベティス
 フラメンゴ(L)
ジロンダン・ボルドー
アル・ナスル
ダラス
パルメイラス
イトゥンビアラ
シ・マン・ハイ・フォン
カバラ
ワールドカップ 98年(準) 02年(優)
コパ・アメリカ 97年
(9/61)
アレックス
アレッサンドロ・ジ・ソウザ

(1977/9/14〜)
〔MF〕<A>
コリチーバ
パルメイラス
フラメンゴ
パルメイラス
クルゼイロ
パルマ
クルゼイロ
フェネルバフチェ
コリチーバ
コパ・アメリカ 99年 04年
コパ・リベルタドーレス 99年
(21/68)
ルシオ
ルシマール・ダ・シウバ・フェレイラ
(1978/5/8〜)
〔DF〕<S>
インテルナシオナル
バイエル・レバークーゼン
バイエルン・ミュンヘン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
サンパウロ
パルメイラス
ゴア
ガマ
ブラジリエンセ
ワールドカップ 02年(優) 06年(8) 10年(8)
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
(4/105)
フアン
(1979/2/1〜)
〔DF〕<A>
フラメンゴ
バイエル・レバークーゼン
ローマ
インテルナシオナル
フラメンゴ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 04年 07年
(7/79)
ジュリオ・セザル
(1979/9/3〜)
〔GK〕<A>
フラメンゴ
 キエーヴォ・ヴェローナ(L)
インテルナツィオナーレ・ミラノ
クイーンパーク・レンジャーズ
 トロント(L)
ベンフィカ
フラメンゴ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8) 14年(4)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 09年 13年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
(0/87)
ロナウジーニョ
ロナウド・デ・アシス・モレイラ
(1980/3/21〜)
〔MF/FW〕<S>
ロナウジーニョ
ロニー
グレミオ
パリ・サンジェルマン
バルセロナ
ミラン
フラメンゴ
アトレチコ・ミネイロ
ケレタロ
フルミネンセ
シエンシアーノ
ワールドカップ 02年(優) 06年
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 05年
チャンピオンズリーグ 05-06年
クラブワールドカップ 06年
※代理人をしている兄のロベルトはかつて札幌に在籍していたことがある。
サンバが大好きで、セレソンのバスの中などでよく歌ったり踊ったりしている。夜遊びがたたって(?)プレーに精彩を欠くことがある。
全てのカテゴリーのブラジル代表で活躍した数少ない選手。
オリンピック北京大会銅メダリスト。
(33/97)
ルイス・ファビアーノ
(1980/11/8〜)
〔FW〕<A>
ポンチ・プレッタ
スタッド・レンヌ
サンパウロ

ポルト
セビージャ
サンパウロ
天津権健
ヴァスコ・ダ・ガマ
ワールドカップ 10年(8)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 09年
トヨタカップ 04年
UEFAカップ 05年-06年 06年-07年
(28/45)
ルイゾン
アンデルソン・ルイス・ダ・シウバ

(1981/2/13〜)
〔DF〕<A>
ルイゾン ジュベントス
クルゼイロ
ベンフィカ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
(3/44)
マイコン
(1981/7/26〜)
〔DF(SB)〕<S>
クルゼイロ
モナコ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
マンチェスター・シティ
ローマ
アヴァイ
クリシューマ
ヴィラ・ノヴァ
ソーナ
トレ・ペンネ
ワールドカップ 10年(8) 14年(4)
コパ・アメリカ 04年 07年
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
※父親がマイケル・ダグラスのファンで、ポルトガル語の発音に近いマイコン・ドウグラスと名づけた。
(7/72)
ジュリオ・バティスタ
(1981/10/1〜)
〔MF/FW〕<A>
野獣 サンパウロ
セビージャ
レアル・マドリード
 アーセナル(L)
ローマ
マラガ
クルゼイロ
オーランド・シティ
クルジュ
ワールドカップ 10年(8)
コパ・アメリカ 07年
(5/47)
アドリアーノ
(1982/2/17〜)
〔FW〕<A>
フェノメノ・ドゥエ フラメンゴ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 フィオレンティーナ(L)
 パルマ(L)
 サンパウロ(L)
フラメンゴ
ローマ
コリンチャンス・パウリスタ
フラメンゴ
アトレチコ・パラナエンセ
マイアミ・ユナイテッド
ワールドカップ 06年(8)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 09年
※ビドーネ・ドーロを3度受賞している。
中田英寿を「先生」と呼び慕っており、06年W杯ではブラジルに敗れて倒れこんだ中田を慰めに行った。
(27/47)
カカ
リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ

(1982/4/22〜)
〔MF/FW〕<S>
カカ
リッキー
サンパウロ
ミラン

レアル・マドリード
ミラン
オーランド・シティ
 サンパウロ(L)
ワールドカップ 02年(優) 06年(8) 10年(8)
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
チャンピオンズリーグ 06-07年
トヨタカップ 07年
スーパーカップ 07年
※「カカ」という愛称は幼い弟が「リカルド」とうまく発音できなかったことに由来する。
呂比須ワグナーと仲がよい。若いころのケガのため長い間極度の近視であった。(今はレーシック手術を受けて回復しているらしい。)
山形県にホームステイしたことがある。
(29/92)
ダニエウ・アウヴェス
(1983/5/6〜)
〔DF(SB)〕<S>
ダニ バイーア
セビージャ
バルセロナ
ユヴェントス
パリ・サンジェルマン
サンパウロ
バルセロナ
ウニベルシダ・ナシオナル
ワールドカップ 10年(8) 14年(4) 22年(8)
コパ・アメリカ 07年 19年
コンフェデレーションズ カップ 09年 13年
チャンピオンズリーグ 08-09年 10年-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 06年 09年 11年 15年
UEFAカップ 05年-06年 06年-07年
※観客から侮蔑の意味で投げつけられたバナナを頬張り話題となった。
(8/126)
フレッジ
フレデリコ・シャヴェス・ゲデス
(1983/10/3〜)
〔FW〕<A>
アメリカ・ミネイロ
クルゼイロ
オリンピック・リヨン
フルミネンセ

アトレチコ・ミネイロ
クルゼイロ
フルミネンセ
ワールドカップ 06年(8) 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 13年
(18/39)
ダンテ
(1983/10/18〜)
〔DF〕<A>
ジュヴェントゥージ
リール
スタンダール・リエージュ
ボルシア・メンヘングラートバッハ
バイエルン・ミュンヘン
ヴォルフスブルク
ニース
ワールドカップ 14年(4)
※30歳から代表入りした遅咲きといえる選手だが、バイエルン不動のディフェンダーとして一時代を築いた。。
14年W杯では、チームメートが多数いるドイツに7失点という屈辱的敗戦を喫した。
(2/13)
ロビーニョ
ロブソン・デ・ソウザ
(1984/1/25〜)
〔FW〕<A>
ロビーニョ サントス
レアル・マドリード
マンチェスター・シティ
 サントス(L)
ミラン
 サントス(L)
広州恒大淘宝
アトレチコ・ミネイロ
スィヴァススポル
イスタンブール・バシャクシェヒル
サントス
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 07年
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
(28/100)
チアゴ・シウバ
(1984/9/22〜)
〔DF/MF〕<S>
ジュヴェントゥージ
ディナモ・モスクワ
フルミネンセ
ミラン
パリ・サンジェルマン
チェルシー
フルミネンセ
ワールドカップ 10年(8) 14年(4) 18年(8) 22年(8)
コンフェデレーションズカップ 13年
コパ・アメリカ 19年
※マルディーニから、自身の後継者と認められていたが、パリSGに移籍してしまった。
オリンピック北京大会銅メダリスト。
(7/113)
ジエゴ
(1985/2/28〜)
〔MF〕<A>
ジエギーニョ サントス
ポルト
ヴェルダー・ブレーメン
ユヴェントス
ヴォルフスブルク
アトレティコ・マドリード
フェネルバフチェ
フラメンゴ
コパ・アメリカ 04年 07年
トヨタカップ 04年
※ヴォルフスブルク時代、リトバルスキー監督の指示を無視して自分でPKを蹴り、はずしたことがある。
オリンピック北京大会銅メダリスト。
(4/33)
ウルク
ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ
(1986/7/25〜)
〔FW〕<A>
ウルク
フッキ
ヴィトーリア
川崎フロンターレ
 コンサドーレ札幌(L)
東京ヴェルディ1969
川崎フロンターレ
東京ヴェルディ1969

レンティスタス
ポルト
ゼニト・サンクトペテルブルク
上海上港集団
アトレチコ・ミネイロ
ワールドカップ 14年(4)
ヨーロッパリーグ 10−11年
※愛称の「ウルク」はアメコミの超人ハルクに由来する。
Jリーグ時代は「フッキ」の登録名でプレーしていた。
ラミレス
(1987/3/24〜)
〔MF〕<A>
ジョインヴィレ
クルゼイロ
ベンフィカ
チェルシー
江蘇蘇寧
パルメイラス
ワールドカップ 10年(8) 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 09年
(4/52)
ダヴィド・ルイス
(1987/4/22〜)
〔DF〕<A>
ヴィトーリア
ベンフィカ
チェルシー
パリ・サンジェルマン
チェルシー
アーセナル
フラメンゴ
ワールドカップ 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 13年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12−13年
※14年夏、パリSGに移籍したことにより、代表でもパートナーであるチアゴ・シウバとチームメイトになった。
(3/57)
マルセロ
(1988/5/12〜)
〔DF(SB)〕<S>
フルミネンセ
レアル・マドリード
オリンピアコス
フルミネンセ
ワールドカップ 14年(4) 18年(8)
コンフェデレーションズカップ 13年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年
クラブワールドカップ 14年 16年 17年
スーパーカップ 14年 16年 17年
※オリンピック北京大会銅メダリスト。オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
パウリーニョ
ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール
(1988/7/25〜)
〔MF〕<A>
ヴィリニュス
ウッチ
アウダックス・サンパウロ
ブラガンチーノ
コリンチャンス
トッテナム・ホットスパー
広州恒大淘宝
バルセロナ
広州恒大淘宝
アル・アハリ
コリンチャンス
ワールドカップ 14年(4) 18年(8)
コパ・リベルタドーレス 12年
クラブワールドカップ 12年
※リトアニアでプロデビューした。
得点力、パスにも長けた守備的ミッドフィルダー。
(13/56)
アレシャンドレ・パト
アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウバ
(1989/9/2〜)
〔FW〕<A>
パト(アヒル) インテルナシオナル
ミラン
コリンチャンス
 サンパウロ(L)
 チェルシー(L)
ビジャレアル
天津権健
サンパウロ
オーランド・シティ
サンパウロ
※オリンピック北京大会銅メダリスト。オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
(10/27)
ガンソ
パウロ・エンリケ・シャガス・ジ・リマ
(1989/10/12〜)
〔FW〕<A>
ガンソ(ガチョウ) サントス
サンパウロ
セビージャ
 アミアン(L)
フルミネンセ
※愛称の「ガンソ」には「サッカーがへたくその選手」の意味がある。
オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
(0/8)
オスカル
(1991/9/9〜)
〔MF〕<A>
サンパウロ
インテルナシオナル
チェルシー
上海上港集団
サンパウロ
ワールドカップ 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 13年
ヨーロッパリーグ 12-13年
※オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
(12/48)
ロベルト・フィルミーノ
(1991/10/2〜)
〔FW〕<S>
フィゲイレンセ
ホッフェンハイム
リヴァプール
アル・アハリ
ワールドカップ 18年(8)
コパ・アメリカ 19年
チャンピオンズリーグ 18-19年
スーパーカップ 19年
クラブワールドカップ 19年
(17/55)
ネイマール
(1992/2/5〜)
〔FW〕<S>
サントス
バルセロナ
パリ・サンジェルマン
アル・ヒラル
ワールドカップ 14年(4) 18年(8) 22年(8)
コンフェデレーションズカップ 13年
チャンピオンズリーグ 14-15年
クラブワールドカップ 15年
※オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
オリンピックリオ大会金メダリスト。
代表最多得点記録保持者。
14年W杯ではエースとして自国優勝に期待がかかったが、対コロンビア戦で背中に激しいチャージを受け脊椎を骨折、大会から去ることとなった。
カゼミーロ
カルロス・エンリケ・ジョゼ・フランシスコ・ヴェナンシオ・カジミーロ
(1992/2/23〜)
〔MF〕<S>
カゼミーロ サンパウロ
レアル・マドリード
 ポルト(L)
レアル・マドリード
マンチェスター・ユナイテッド
ワールドカップ 18年(8) 22年(8)
コパ・アメリカ 19年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
21-22年
クラブワールドカップ 16年 17年 18年
スーパーカップ 16年 17年 22年
フェリペ・コウチーニョ
(1992/6/12〜)
〔MF/FW〕<A>
ヴァスコ・ダ・ガマ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 エスパニョール(L)
リバプール
バルセロナ
 バイエルン・ミュンヘン(L)
アストンヴィラ
 アル・ドゥハイル(L)
ヴァスコ・ダ・ガマ
コパ・アメリカ 19年
ガブリエル・ジェズス
(1997/4/3〜)
〔FW/MF〕<A>
ジョイア・ラーラ パルメイラス
マンチェスター・シティ
アーセナル
ワールドカップ 18年(8) 22年(8)
コパ・アメリカ 19年
※19歳で代表デビューした逸材。
ヴィニシウス・ジュニオール
(2000/7/12〜)
〔FW(WG)〕<A>
ヴィニ フラメンゴ
レアル・マドリード
ワールドカップ 22年(8)
チャンピオンズリーグ 21-22年 23-24年
クラブワールドカップ 18年 22年
スーパーカップ 22年
※19歳で代表デビューした逸材。
ロドリゴ
(2001/1/9〜)
〔FW〕<A>
サントス
レアル・マドリード
ワールドカップ 22年(8)
チャンピオンズリーグ 21-22年 23-24年
クラブワールドカップ 22年
スーパーカップ 22年
アルゼンチン 【127人】
  La Albiceleste(The White and Sky Blue) 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
アルベルト・オアコ
(1884/1/12〜1950/3/8)
〔FW〕<A>
ラシン・クラブ ※ラシン黄金期のエースストライカー。
(7/13)
ペドロ・カロミノ
(1892/3/13〜1950/1/12)
〔FW〕<A>
ボカ・フニオルズ 南米選手権 21年 25年
(0/38)
アルベルト・マルコベッキオ
(1893/3/6〜1958/2/29)
〔FW〕<A>
ラシン・クラブ (9/11)
ソテロ・アラングレン
(1894/5/7〜1922/?/?)
〔FW(WG)〕<A>
レアル・マドリード ※レアル・マドリード初のアルゼンチン選手のひとり。
(0/0)
アメリコ・テソリエーレ
(1899/3/18〜1977/12/30)
〔GK〕<A>
ボカ・フニオルズ 南米選手権 21年
(5/37)
ペドロ・オチョア
(1900/2/22〜1947/9/5)
〔FW〕<A>
ラシン・クラブ ※オリンピックアムステルダム大会銀メダリスト。
(0/2)
アルフレッド・カリアベリー
(1900/10/8〜1942/9/23)
〔FW〕<A>
ラシン・クラブ 南米選手権 27年
※オリンピックアムステルダム大会銀メダリスト。
(4/12)
ルイス・モンティ
(1901/5/15〜1983/9/9)
〔MF〕<S>
ドブレ・アンチョ ウラカン
サン・ロレンソ
ボカ・フニオルズ
ユヴェントス
ワールドカップ 30年(準) 34年(優)<イタリア>
南米選手権 27年
※イングランドとの試合で開始2分で脚を折られたことがある。
オリンピックアムステルダム大会銀メダリスト。
(5/16)
(1/18)イタリア

ジュリオ・リボナッティ
(1901/7/5〜1981/10/9)
〔FW〕<A>
ニューウェルズ・オールドボーイズ
トリノ
ジェノア
リミニ
※トリノの初優勝に貢献したストライカー。
(8/15)
(15/17)イタリア
ライムンド・オルシ
(1901/12/2〜1986/4/6)
〔FW(WG)〕<S>
チモ インデペンディエンテ
ユヴェントス
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 34年(優)<イタリア>
南米選手権 27年
※30年代、ユヴェントスの最初の黄金期の中心選手。
オリンピックアムステルダム大会銀メダリスト。
(3/13)
(13/35)イタリア
マヌエル・セオアネ
(1902/3/19〜1975/8/21)
〔FW〕<A>
インデペンディエンテ
ボカ・フニオルズ
南米選手権 25年 27年 29年
(14/19)
ドミンゴ・タラスコーニ
(1904/12/20〜1991/7/3)
〔FW〕<S>
ボカ・フニオルズ
ニューウェルズ・オールドボーイズ
ジェネラル・サンマルティン
アルヘンチノス・フニオルズ
南米選手権 25年 27年 29年
※オリンピックアムステルダム大会銀メダリスト。
(18/24)
マヌエル・フェレイラ
(1905/10/22〜1983/7/29)
〔FW〕<A>
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
リーベル・プレート
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ワールドカップ 30年(準)
南米選手権 29年
※オリンピックアムステルダム大会銀メダリスト。
(11/21)
ギジェルモ・スタービレ
(1906/1/17〜1966/12/26)
〔FW〕<S>
エル・フェルトラドール
(侵入者)
ウラカン
ジェノア
ナポリ
ジェノア
レッドスター・パリ
ワールドカップ 30年(準)
※W杯初代得点王。
アルゼンチン代表監督として、6度南米チャンピオンになっている。
(8/4)
(1/4)フランス
ロベルト・チェロ
(1907/2/23〜1965/10/11)
〔FW〕<A>
フェロカリル・オエステ
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 30年(準)
南米選手権 29年 37年
※オリンピックアムステルダム大会銀メダリスト。
(13/16)
カルロス・ペウセジェ
(1907/9/13〜1990/4/1)
〔FW〕<A>
サン・テルモ
スポルティーボ・ブエノスアイレス
リーベル・プレート
ワールドカップ 30年(準)
南米選手権 29年 37年
※リーベル・プレート監督時代「ラ・マキナ」と呼ばれるアルゼンチン最強チームを創り上げたことで有名。
(12/29)
アルベルト・ソサヤ
(1908/4/13〜1981/2/17)
〔FW〕<A>
プロフェッサー エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ラシン・クラブ
南米選手権 37年
(8/9)
ベルナベ・フェレイラ
(1909/2/12〜1972/5/22)
〔FW〕<A>
アトレティコ・ティグレ
 べレス・サルスフィエルド(L)
リーベル・プレート
南米選手権 37年
(0/4)
ホセ・マリア・ミネラ
(1909/8/9〜1981/?/?)
〔MF〕<A>
ヒムナシア・ラ・プラタ
リーベル・プレート
ペニャロール
グリーン・クロス
南米選手権 37年 41年
(1/24)
フランシスコ・バラージョ
(1910/2/5〜2010/8/30)
〔FW〕<S>
ヒムナシア・ラ・プラタ
 べレス・サルスフィエルド(L)
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 30年(準)
南米選手権 37年
※パレルモに抜かれるまで、60年以上ボカの歴代最多得点記録保持者であった。
(7/16)

エレニオ・エレーラ
(1910/4/10〜1997/11/9)
〔FW〕<B>
魔術師 スタッド・フランセ
エクセルシオール・ルーベ
レッドスター・オリンピック
スタッド・フランセ
※幼少期にフランス国籍を取得している。
50年代のアトレティコ、バルセロナ、60年代のインテルで名声を高めた名将。
特にインテルでは「グランデ・インテル」と呼ばれる当時欧州最強クラブを作り創り上げた。
(0/0)
エンリケ・グアイタ
(1910/7/11〜1959/5/18)
〔FW〕<S>
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ローマ

ラシン・クラブ
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ワールドカップ 34年(優)<イタリア>
南米選手権 37年
(1/4)
(5/10)イタリア
エルミニオ・マサントニオ
(1910/8/5〜1956/9/11)
〔FW〕<S>
ウラカン
ディフェンソール・スポルティング
バンフィエルド
南米選手権 42年
(21/19)
エヴァリスト・バレラ
(1911/12/30〜1982/6/7)
〔FW〕<A>
ラシン・クラブ
ラツィオ
ナポリ
アスコリ
(0/0)
エンリケ・ガルシア
(1912/11/20〜1969/8/23)
〔FW(WG)〕<A>
Chueco ロサリオ・セントラル
ラシン・クラブ
南米選手権 37年 41年
(9/35)
ホセ・マヌエル・モレノ
(1916/8/3〜1978/8/26)
〔FW〕<SS>
リーベル・プレート
クラブ・エスパーニャ
リーベル・プレート
ウニベルシダ・カトリカ
ボカ・フニオルズ
ウニベルシダ・カトリカ
ディフェンソール・スポルティング
フェロカリル・オエステ
インデペンディエンテ・メデジン
南米選手権 41年 42年 47年
※40年代アルゼンチン最強の攻撃陣を誇った「ラ・マキナ」のひとり。
ボカのトライアウトに不合格の後、リーベル入りした。アルゼンチンリーグ通算得点で第3位の記録を持つ。
アルゼンチン、メキシコ、チリ、コロンビアのリーグで優勝を経験した。
(19/34)【25】

ルイス・カルニグリア
(1917/10/4〜2001/6/22)
〔FW〕<B>
ティグレ
ボカ・フニオルズ
チャカリタ・フニオルズ
アトラス
ニース
スポルタン・トゥーロン・ヴァール
※レアル・マドリード監督時代、チャンピオンズカップ5連覇のうちの2連覇を成し遂げた。
(0/0)
アンヘル・ラブルナ
(1918/9/28〜1983/9/20)
〔FW〕<S>
リーベル・プレート
ランプラ・ジュニオールス
プラテンセ
レンジャーズ・デ・タルカ
ワールドカップ 58年
南米選手権 55年
※「ラ・マキナ」のひとり。
アルゼンチンリーグ通算得点で第1位タイの記録を持つ。
(17/37)
アドルフォ・ペデルネラ
(1918/11/15〜1995/5/12)
〔FW〕<S>
エル・マエストロ
(マスター)
リーベル・プレート
アトランタ
ウラカン
ミジョナリオス
南米選手権 41年 45年
※「ラ・マキナ」のひとり。
ミジョナリオス時代はディ・ステファノともプレーした。
(7/21)
フアン・カルロス・ムニョス
(1919/3/4〜2009/11/22)
〔FW(WG)〕<S>
リーベル・プレート
プラテンセ
南米選手権 45年
※「ラ・マキナ」のひとり。
(2/11)
レネ・ポントーニ
(1920/5/18〜1983/5/14)
〔FW)〕<A>
ニューウェルズ・オールドボーイズ
サン・ロレンソ
インデペンディエンテ・サンタフェ
ポルトゲーザ・デスポルトス
サン・ロレンソ
南米選手権 47年
(19/19)
マリオ・ボエ
(1922/6/30〜1992/7/21)
〔FW(WG)〕<A>
エル・マタドール ボカ・フニオルズ
ジェノア
ミジョナリオス
ラシン・クラブ
ウラカン
ボカ・フニオルズ
南米選手権 45年 46年 47年
(7/17)
フェリックス・ロウストウ
(1922/12/25〜2003/1/5)
〔FW(WG)〕<S>
扇風機 リーベル・プレート
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
南米選手権 45年 46年 47年
※「ラ・マキナ」のひとり。
(10/28)
ノルベルト・メンデス
(1923/1/5〜1998/6/22)
〔FW〕<A>
ウラカン
ラシン・クラブ
アトレティコ・ティグレ
ウラカン
南米選手権 45年 46年 47年
※コパ・アメリカ通算得点王。
(19/31)
ネストル・ロッシ
(1925/5/10〜2007/6/13)
〔MF〕<A>
Pipo リーベル・プレート
ミジョナリオス
リーベル・プレート
ウラカン
ワールドカップ 58年
南米選手権 47年
ミジョナリオスではディ・ステファノともプレーした。
(0/26)
アマディオ・カリーソ
(1926/6/12〜2020/3/20)
〔GK〕<S>
ターザン リーベル・プレート
アリアンサ・リマ
ミジョナリオス
ワールドカップ 58年
(0/20)[10]
アルフレッド・ディ・ステファノ
(1926/7/4〜2014/7/7)
〔FW〕<SSS>
ブロンドの矢
ドン・アルフレッド
リーベル・プレート
 ウラカン(L)
ミジョナリオス

(バルセロナ)
レアル・マドリード

エスパニョール
ワールドカップ 62年<スペイン>
南米選手権 47年
チャンピオンズカップ 55-56年 56-57年 57-58年 58-59年
59-60年
インターコンチネンタルカップ 60年
※ルーツはイタリアである。
サッカー史上最高のストライカーとされ、歴代最優秀選手として「スーパー・バロンドール」に選出されている。
スペイン移籍の際、レアル・マドリードとバルセロナの間で激しい争奪戦が繰り広げられた。結果的にマドリーの選手となり、後に「20世紀最高のクラブ」と称されるレアル・マドリードの礎を築いた。
一方代表での目立った活躍は47年の南米選手権のみ。これは50年代アルゼンチンがW杯に参加しておらず、30代になってスペイン国籍を取得し、代表入りしたが、60年欧州選手権は途中不戦敗、62年W杯はケガのため出場できなかったためである。
スペイン代表暦は4年だが、ブトラゲーニョに破られるまで、最多得点記録保持者だった。
ベネズエラで反政府ゲリラに拉致されたことがある。
10代のころ当時まだ子供だったローマ法王と草サッカーをしたことがあるのではという報道がなされ話題となった。
2014年永眠までレアル・マドリードの名誉会長。
(6/6)
(0/4)コロンビア
(23/31)スペイン【4】

ペドロ・デラハ
(1926/7/9〜2010/7/31)
〔DF〕<A>
キルメス
ラシン・クラブ
クラブ・ネカクサ
ワールドカップ 58年
コパ・アメリカ 55年 57年
※現役時代はアルゼンチン代表キャプテンを務めた。
監督としては、黄金期のインデペンディエンテを指揮し、コパ・リベルタドーレス4連覇のうち2度優勝に導いた。
(?/?)
オスバルド・スベルディア
(1927/6/24〜1982/1/17)
〔FW〕<B>
ベレス・サルスフィエルド
ボカ・フニオルズ
アトランテ
バンフィエルド
※エストゥディアンテス黄金期を創り上げた。
当時としては画期的な、オフサイドトラップの使用や戦術的ファールの遂行などを用いた名将。
(?/?)
エルネスト・グリーロ
(1929/10/1〜1998/6/18)
〔MF〕<A>
ミラン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボカ・フニオルズ
コパ・アメリカ 55年
(8/21)
ロヘリオ・ドミンゲス
(1931/3/9〜2004/7/23)
〔GK〕<A>
ラシン・クラブ
レアル・マドリード
リーベル・プレート
ベレス・サルスフィエルド
セロ
クラブ・ナシオナル
フラメンゴ
ワールドカップ 62年
(0/58)
アントニオ・ローマ
(1932/7/13〜2013/2/20)
〔GK〕<A>
ターザン フェロカリル・オエステ
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 62年 66年(8)
※スローイングが個性的なことから「ターザン」と呼ばれた。
(0/18)
ウンベルト・マスチオ
(1933/2/20〜)
〔FW〕<A>
ラシン・クラブ
ボローニャ
アタランタ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
フィオレンティーナ
ラシン・クラブ
ワールドカップ 62年
コパ・アメリカ 57年
コパ・リベルタドーレス 67年
インターコンチネンタルカップ 67年
(12/12)
(0/2)イタリア
ホセ・サンフィリッポ
(1935/5/4〜)
〔FW〕<A>
エル・ネネ サン・ロレンソ
ボカ・フニオルズ

クラブ・ナシオナル
バンフィエルド
ワールドカップ 58年 62年
(21/29)
オマール・シボリ
(1935/10/2〜2005/2/17)
〔MF/FW〕<S>
エル・カベソン
(デカ頭)
リーベル・プレート
ユヴェントス

ナポリ
ワールドカップ 62年<イタリア>
※ユヴェントスでは「トリオ・マジコ」と呼ばれたボニペルティやJ・チャールズとのトリオで活躍した。
(9/19)
(8/9)イタリア【36】

アントニオ・ラティン
(1937/3/16〜)
〔MF〕<A>
ボカ・フニオルズ ワールドカップ 62年 66年(8)
(1/34)
アントニオ・アンヘリージョ
(1937/9/13〜2018/1/5)
〔FW〕<A>
ボカ・フニオルズ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ
ミラン
レッコ
ジェノア
(11/11)
(1/2)イタリア
セサル・ルイス・メノッティ
(1938/11/5〜2024/5/5)
〔FW〕<A>
エル・フラコ
(やせっぽち)
ロサリオ・セントラル
ラシン・クラブ
ボカ・フニオルズ
ニューヨーク・ジェネラルス
サントス
ジュヴェントス
※78年W杯優勝監督。
軍事政権下の自国開催というプレッシャーの中、パサレラやアルディレスら若手の国内組を起用し、自国優勝を成し遂げた。
(0/2)
ルイス・アルティメ
(1938/12/2〜)
〔FW〕<S>
リーベル・プレート
インデペンディエンテ
クラブ・ナシオナル
ワールドカップ  66年(8)
コパ・リベルタドーレス 71年
インターコンチネンタルカップ 71年
(24/25)

シルビオ・マルソリーニ
(1940/10/4〜)
〔DF(SB)〕<A>
フェロカリル・オエステ
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 62年 66年(8)
(1/28)
アルフィオ・バシーレ
(1943/11/1〜)
〔DF〕<A>
ココ ラシン・クラブ
ウラカン
※アルゼンチン監督時代にコパ・アメリカを2連覇した。
(1/8)
ファン・ラモン・ベロン
(1944/3/17〜)
〔MF/FW〕<A>
ブルッハ
(魔法使い)
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
パナシナイコス
アトレティコ・フニオルズ
コパ・リベルタドーレス 68年 69年 70年
インターコンチネンタルカップ 68年
※セバスチャン・ベロンの父。
(0/4)
ロドルフォ・フィスチェル
(1944/4/2〜)
〔FW〕<A>
エル・ロボ(狼) サン・ロレンソ
ボタフォゴ
ヴィトーリア
サン・ロレンソ
オンセ・カルダス
(12/35)
ウーゴ・ガッティ
(1944/8/19〜)
〔GK〕<A>
エル・ロコ(狂人) リーベル・プレート
ヒムナシア・ラ・プラタ
ウニオン・サンタフェ
ボカ・フニオルズ
コパ・リベルタドーレス 77年 78年
インターコンチネンタルカップ 78年
※44歳まで現役を続けた。
(0/18)[27]

エクトル・ヤサルデ
(1946/5/29〜)
〔FW〕<A>
インデペンディエンテ
スポルティングCP

オリンピック・マルセイユ
ニューウェルズ・オールドボーイズ
ワールドカップ 74年
(2/10)
オスカル・マス
(1946/10/29〜)
〔FW〕<A>
リーベル・プレート
レアル・マドリード

アメリカ・デ・カリ
ディフェンソール・ベルグラノ
ワールドカップ 66年(8)
(10/37)
デリオ・オニス
(1948/3/24〜)
〔FW〕<A>
ヒムナシア
スタッド・ドゥ・ランス
モナコ

トゥーア

スポルタン・トゥーロン・ヴァール
※主にフランスで活躍した選手。
(0/0)
カルロス・ビアンチ
(1949/4/26〜)
〔FW〕<S>
エル・ビレイ
(総督)
ベレス・サルスフィエルド
スタッド・ドゥ・ランス

パリ・サンジェルマン

ストラスブール
※主にフランスリーグで活躍したストライカー。
べレスの監督時代、トヨタカップで下馬評を覆しミランに勝利しクラブを世界一に導いた。
そのべレス時代を含め、4度コパ・リベルタドーレスを制した名将。
(7/14)
レオポルド・ルケ
(1949/5/3〜)
〔FW〕<S>
ウニオン・デ・サンタフェ
ロサリオ・セントラル
リーベル・プレート
ラシン・クラブ
サントス
チャカリタ・フニオルズ
ワールドカップ 78年(優)
(22/45)
ホセ・ペケルマン
(1949/9/3〜)
〔MF〕<A>
アルヘンチノス・フニオルズ
インデペンディエンテ・メデリン
※特にU-20アルゼンチン代表監督として輝かしい経歴を誇る。
10年W杯後の日本代表監督候補に挙がったことがある。
(0/0)
ウバルド・フィジョール
(1950/7/21〜)
〔GK〕<S>
エル・パト
(アヒル)
キルメス
ラシン・クラブ
リーベル・プレート
アルヘンチノス・フニオルズ
フラメンゴ
アトレティコ・マドリード
ベレス・サルスフィエルド
ワールドカップ 74年 78年(優) 82年
(0/58)[14]

ミゲル・アンヘル・ブリンディシ
(1950/10/8〜)
〔FW〕<A>
ウラカン
ラス・パルマス

ウラカン

ボカ・フニオルズ
クラブ・ナシオナル
ラシン・クラブ
ワールドカップ 74年
(17/46)
ホルヘ・オルギン
(1952/5/17〜)
〔DF〕<A>
サン・ロレンソ
インデペンディエンテ
アルヘンチノス・フニオルズ
ワールドカップ 78年(優) 82年
※元福岡ブルックス監督。
(0/60)
オズワルド・アルディレス
(1952/8/3〜)
〔MF〕<S>
オジー インスティトゥート・コルドバ
トッテナム・ホットスパー
オリンピック・マルセイユ
ワールドカップ 78年(優) 82年
UEFAカップ 83-84年
※清水、横浜FM、東京V、町田といった日本のクラブの監督暦がある。
トッテナム時代、フォークランド紛争が勃発してもなお、ファンに愛された選手だった。イングランドのリーグ歴代名選手100人に南米の選手で唯一選ばれている。
映画「勝利への脱出」にペレらと出演した。
(8/63)
ダニエル・パサレラ
(1953/5/25〜)
〔DF〕<S>
エル・ゲレーロ
(戦士)
エル・グラン・カピタン
(偉大なキャプテン)
リーベル・プレート
フィオレンティーナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 78年(優) 82年
※小柄ながらアルゼンチン史上最高のディフェンダーともいわれ、通算100ゴール以上をあげる得点力にも長けた選手。
マラドーナと確執があり、そのため86年W杯に召集されなかったとされている。
代表監督時代は長髪の選手を招集するのを好まなかった。
(22/70)
リカルド・ボチーニ
(1954/1/25〜)
〔MF〕<A>
エル・ボカ
(ボール)
インデペンディエンテ ワールドカップ 86年(優)
コパ・リベルタドーレス 73年 74年 75年 84年
インターコンチネンタルカップ 73年
トヨタカップ 84年
※マラドーナの少年時代のアイドル。
インデペンディエンテ一筋で、コパ・リベルタドーレスを4連覇した黄金期の中心選手。
(0/11)
マリオ・ケンペス
(1954/7/15〜)
〔FW/MF〕<S>
エル・マタドール
(闘牛士)
エル・トロ(雄牛)
インスティトゥート・コルドバ
ロサリオ・セントラル

バレンシア

リーベル・プレート
バレンシア
エルクレス
ファースト・ヴィエナ
ザンクト・ペルテン
クレムザー
アルトゥーロ・フェルナンデス・ビアル
ペリタ・ジャワ
ワールドカップ 74年 78年(優) 82年
スーパーカップ 80年
カップウィナーズカップ 79-80年
※W杯には3度出場しているが、得点をあげたのは、得点王となった78年大会のみである。
途中3年ほどブランクはあるが、42歳まで現役を続けた。
(20/43)

ダニエル・ベルトーニ
(1955/3/14〜)
〔FW〕<S>
インデペンディエンテ
セビージャ
フィオレンティーナ
ナポリ
ウディネーゼ
ワールドカップ 78年(優) 82年
コパ・リベルタドーレス 73年 74年 75年
インターコンチネンタルカップ 73年
(12/31)
アメリコ・ガジェゴ
(1955/4/25〜)
〔MF〕<S>
エル・トーロ ニューウェルズ・オールドボーイズ
リーベル・プレート
ワールドカップ 78年(優) 82年
コパ・リベルタドーレス 86年
トヨタカップ 86年
(3/73)
マルセロ・ビエルサ
(1955/7/21〜)
〔DF〕<B>
エル・ロコ(狂人) ニューウェルズ・オールドボーイズ
インスティトゥート・コルドバ
アルヘンティーノ・デ・ロサリオ
※戦術マニアとして有名な監督。
アルゼンチン代表監督時代、W杯南米予選を圧倒的強さで突破し、本戦でも優勝候補に挙げられたが、まさかのグループリーグ敗退となってしまった。
(0/0)
ホルヘ・バルダーノ
(1955/10/4〜)
〔FW〕<A>
エル・フィロソーフォ
(哲学者)
ニューウェルズ・オールドボーイズ
アラベス
レアル・サラゴサ
レアル・マドリード
ワールドカップ 86年(優)
UEFAカップ 84-85年 85-86年
※レアル・マドリードのゼネラルディレクター時代、モウリーニョとの軋轢が話題となった。
(7/22)
エクトル・ラウル・クーペル
(1955/11/16〜)
〔DF〕<A>
フェロカリル・オエステ
リバタビア
フェロカリル・オエステ
ウラカン
※マヨルカやバレンシアなどで名声を高めた監督。
一方八百長に関与し、報酬を受け取っていたこともある。
(0/5)
リカルド・ジュスティ
(1956/12/11〜)
〔MF〕<A>
ニューウェルズ・オールドボーイズ
アルヘンチノス・フニオルズ
インデペンディエンテ
ウニオン・デ・サンタフェ
ワールドカップ 86年(優)
コパ・リベルタドーレス 84年
トヨタカップ 84年
(0/53)
ネリー・プンピート
(1957/7/30〜)
〔GK〕<A>
ウニオン・デ・サンタフェ
ベレス・サルスフィエルド
リーベル・プレート
レアル・ベティス
ワールドカップ 82年 86年(優) 90年
(0/38)
リカルド・ガレカ
(1958/2/10〜)
〔FW〕<A>
エル・ティグレ(虎) ボカ・フニオルズ
サルミエント
リーベル・プレート
アメリカ・デ・カリ

ベレス・サルスフィエルド
インデペンディエンテ
(5/20)
フリオ・オラルティコエチェア
(1958/10/18〜)
〔DF(SB)〕<A>
エル・バスコ
(バスク人)
ラシン・クラブ
リーベル・プレート
ボカ・フニオルズ
アルヘンチノス・フニオルズ
ワールドカップ 82年 86年(優) 90年(準)
(0/32)
フアン・バルバス
(1959/8/23〜)
〔MF〕<A>
ラシン・クラブ
レアル・サラゴサ
レッチェ
シオン
ウラカン
ワールドカップ 82年
(0/33)
ラモン・ディアス
(1959/8/29〜)
〔FW〕<S>
リーベル・プレート
ナポリ
アヴェッリーノ
フィオレンティーナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
モナコ
横浜マリノス
ワールドカップ 82年
※マラドーナとの確執から代表にはあまり縁がなかったが、クラブレベルでは主にセリエAで活躍した。
Jリーグ初代得点王。
右脚をほとんど使わない極端なレフティーだが、利き腕は右である。
(10/24)
ディエゴ・マラドーナ
(1960/10/30〜)
〔FW〕<SSS>
エル・ピベ・デ・オロ
(ゴールデンボーイ)
神の子
ペルーサ
ナポリの王
アルヘンチノス・フニオルズ
ボカ・フニオルズ
バルセロナ
ナポリ

セビージャ
ニューウェルス・オールドボーイズ
ワールドカップ 86年(優) 90年(準) 94年(16)
UEFAカップ 88-89年
※常に「ペレとどちらが最高か?」という議論がついて回る、歴代最高の選手のひとり。そのペレとは度々批判合戦を繰り広げ、話題となる。
ラモン・ディアス、ダニエル・パサレラと仲が悪い。
幼少期から人工的な肉体増強をしており、度重なるコカイン接収やエフェドリン検出によるW杯からの追放など、薬物に侵された一面があった。そのため名古屋や鳥栖(PJM)への入団が実現しなかったともいわれている。
90年W杯で対戦相手のブラジルのボトルに睡眠薬を混ぜた疑惑がある。
代表監督時代、マスチェラーノを重用し、それまで主力だったインテル組のミリートやサムエル、カンビアッソ、サネッティを全く使わなかった。
(34/91)【5】

オスカル・ルジェリ
(1962/1/26〜)
〔DF〕<S>
エル・カベソン
(デカ頭)
ボカ・フニオルズ
リーベル・プレート
レアル・マドリード
べレス・サルスフィエルド
クラブ・アメリカ
サン・ロレンソ
ワールドカップ 86年(優) 90年(準) 94年(16)
コパ・アメリカ 91年 93年
キング・ファハドカップ 92年
コパ・リベルタドーレス 86年
トヨタカップ 86年
(7/97)
セルヒオ・バティスタ
(1962/9/11〜)
〔MF〕<A>
エル・チェコ アルヘンチノス・フニオルズ
リーベル・プレート
ヌエバ・チカゴ
PJM鳥栖フューチャーズ
オールボーイズ
ワールドカップ 86年(優) 90年(準)
コパ・リベルタドーレス 85年
※現役時代、髭と長髪が印象的だった。
元鳥栖フューチャーズ監督。
(0/39)
ホルヘ・ブルチャガ
(1962/10/9〜)
〔MF/FW〕<A>
エル・ブル インデペンディエンテ
ヴァランシエンヌ
ナント
ワールドカップ 86年(優) 90年(準)
コパ・リベルタドーレス 84年
(13/59)
セルヒオ・ゴイコチェア
(1963/10/17〜)
〔GK〕<A>
リーベル・プレート
ミジョナリオス
ラシン・クラブ
スタッド・ブレスト29
セロ・ポルテーニョ
クラブ・オリンピア
デポルティボ・マンディーユ
インテルナシオナル
ベレス・サルスフィエルド
ワールドカップ 90年(準) 94年(16)
コパ・アメリカ 87年 91年 93年
キング・ファハドカップ 92年
(0/44)
アベル・バルボ
(1966/6/1〜)
〔FW〕<A>
ニューウェルス・オールドボーイズ
リーベル・プレート
ウディネーゼ
ローマ
パルマ
フィオレンティーナ
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 90年(準) 94年(16) 98年(8)
(11/37)
ネストル・センシーニ
(1966/12/10〜)
〔DF/MF〕<A>
ニューウェルス・オールドボーイズ
ウディネーゼ
パルマ
ラツィオ
ワールドカップ 90年(準) 94年(16) 98年(8)
UEFAカップ 94-95年 98-99年
スーパーカップ 93年
(0/60)
クラウディオ・カニーヒァ
(1967/1/9〜)
〔FW〕<A>
風の申し子
エル・パハロ
(スズメ)
リーベル・プレート
エラス・ヴェローナ
アタランタ
ローマ
ベンフィカ
ボカ・フニオルズ
レンジャーズ
ワールドカップ 90年(準) 94年(16) 02年
コパ・アメリカ 91年
キング・ファハドカップ 92年
※代表やボカでコンビを組むことが多く「マラドーナの恋人」といわれていた。
94年W杯期間中マラドーナが薬物使用で追放された際、二人の関係や、コカイン摂取暦から薬物使用疑惑を持たれた。
98年W杯は、長髪を切ることに反発して代表に選ばれなかったとの説があるが、実際は96年頃から代表に呼ばれておらず、直前の「値札張替えによる逮捕」などが影響していると思われる。
02年W杯では代表に復帰し、周囲を驚かせたが、試合中ベンチから暴言を吐き、退席処分を受けた。
(16/50)
ガブリエル・バティストゥータ
(1969/2/1〜)
〔FW〕<S>
レオーネ(獅子王) リーベル・プレート
フィオレンティーナ

ローマ
アル・アラビ
ワールドカップ 94年(16) 98年(8) 02年
コパ・アメリカ 91年 93年 95年
キング・ファハドカップ 92年
※メッシに抜かれるまで代表最多得点記録保持者だった。
W杯2大会連続ハットトリックの記録を持つ。
現役引退後は足を悪くしている。
(54/77)
フェルナンド・レドンド
(1969/6/6〜)
〔MF〕<S>
エル・プリンシペ
(王子様)
アルヘンチノス・フニオルズ
テネリフェ
レアル・マドリード
ミラン
ワールドカップ 94年(16)
コパ・アメリカ 91年 93年
キング・ファハドカップ 92年
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 02-03年
スーパーカップ 03年
トヨタカップ 98年 02年
※90年代を代表する「ピボーテ」「5番」。
90年W杯代表に召集されるもこれを辞退、98年はパサレラとのいわゆる長髪問題で選ばれなかった。
ちなみに98年W杯後に髪をバッサリ切っている。
(1/29)
ディエゴ・シメオネ
(1970/4/28〜)
〔MF〕<S>
エル・チョロ ベレス・サルスフィエルド
ピサ
セビージャ
アトレティコ・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ラツィオ
ラシン・クラブ
ワールドカップ 98年(8) 02年
コパ・アメリカ 91年 93年 95年
キング・ファハドカップ 92年
チャンピオンズリーグ 09-10年
スーパーカップ 99年
UEFAカップ 97-98年
※98年W杯イングランド戦で痛がるふりをして、ベッカムを退場に追いやった張本人。
古巣アトレティコを建て直し、ヨーロッパリーグ優勝やラ・リーガ優勝、チャンピオンズリーグの決勝に導くなど、監督としても成功を収めている。
麒麟の田村がよく顔まねをするほど地味な顔立ちである。
オリンピックアトランタ大会銀メダリスト。
(11/106)

ロベルト・アジャラ
(1973/4/14〜)
〔DF〕<S>
エル・ラトン
(ネズミ)
リーベル・プレート
ナポリ
ミラン
バレンシア
ワールドカップ 98年(8) 02年 06年(8)
コパ・アメリカ 95年
UEFAカップ 03-04年
※長くアルゼンチン代表のディフェンスラインを支えた。代表デビューがサネッティと同じである。
98年W杯では、オーウェンにぶっちぎられて得点を許した。
オリンピックアトランタ大会銀メダリスト。オリンピックアテネ大会金メダリスト。
(7/115)
ギジェルモ・バロスケロット
(1973/5/4〜)
〔FW〕<A>
ギジェ
エル・メジソ
(双子)
ヒムナシア・ラ・プラタ
ボカ・フニオルズ
コロンバス・クルー
ヒムナシア・ラ・プラタ
コパ・リベルタドーレス 00年 01年 03年
トヨタカップ 00年 03年
※2000年代のボカの象徴的存在。
個人通算17タイトルを獲得している。
(0/10)
ハビエル・サネッティ
(1973/8/10〜)
〔DF(SB)/MF〕<S>
プピ バンフィールド
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 98年(8) 02年
コパ・アメリカ 96年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
UEFAカップ 97-98年
※代表最多出場記録保持者。
しかし06年、10年と2大会連続でW杯代表にはもれている。インテルでの公式戦出場試合数が最多である。
オリンピックアトランタ大会銀メダリスト。

マルティン・パレルモ
(1973/11/7〜)
〔FW〕<A>
エル・ロコ(奇人)
ティタン
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ボカ・フニオルズ

ビジャレアル
ワールドカップ 10年
コパ・リベルタドーレス 00年 07年
トヨタカップ 00年
※ボカの歴代最多得点記録保持者。
99年コパ・アメリカでPKを3回蹴って3回失敗するという珍プレーを犯した。
ボカ時代リケルメとは盟友であったが、引退試合には呼んでいない。あくまでピッチ内での盟友であったようである。
女装癖があることで有名でエル・ロコの異名がある。
(9/15)
マティアス・アルメイダ
(1973/12/21〜)
〔MF〕<A>
7つの肺を持つ男 リーベル・プレート
セビージャ
ラツィオ
パルマ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ブレシア
ワールドカップ 98年(8) 02年
(1/39)
アリエル・オルテガ
(1974/3/4〜)
〔FW〕<A>
エル・ブリート
(小さいロバ)
リーベル・プレート
バレンシア
サンプドリア
パルマ
フェネルバフチェ
ニューウェルス・オールドボーイズ
ワールドカップ 94年(16) 98年(8) 02年
※欧州では全く活躍できなかった。
オリンピックアトランタ大会銀メダリスト。
(19/98)
フリオ・クルス
(1974/4/4〜)
〔FW〕<A>
ハルディネーロ
(庭師)
バンフィエルド
リーベル・プレート
フェイエノールト
ボローニャ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 06年(8)
(4/22)
クラウディオ・ロペス
(1974/7/17〜)
〔FW/MF〕<A>
エル・ピオホ
(のみ)
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ラシン・クラブ
バレンシア
ラツィオ
クラブ・アメリカ
カンザスシティ・ウィザーズ
コロラド・ラピッズ
ワールドカップ 98年(8) 02年
※アカプルコで海水浴中溺れ、救助されたことがある。
オリンピックアトランタ大会銀メダリスト。
(10/58)
キリ・ゴンサレス
(1974/8/4〜)
〔MF(WG)〕<A>
キリ ロサリオ・セントラル
ボカ・フニオルズ
レアル・サラゴサ
バレンシア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
サン・ロレンソ
ワールドカップ 02年
※オリンピックアテネ大会金メダリスト。
(10/56)
ファン・セバスティアン・ベロン
(1975/3/9〜)
〔MF〕<S>
セバ
ブルヒータ
(小さな魔法使い)
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ボカ・フニオルズ
サンプドリア
パルマ
ラツィオ
マンチェスター・ユナイテッド
チェルシー
 インテルナツィオナーレ・ミラノ(L)
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
アソシアシオン・コロネル・ブランドセン
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ワールドカップ 98年(8) 02年 10年(8)
コパ・リベルタドーレス 09年
スーパーカップ 99年
UEFAカップ 98-99年
※父は元代表のファン・ラモン・ベロン。
父が魔法使いと呼ばれていたため、ブルヒータ(小さな魔法使い)の異名を持つ。
(9/73)

エルナン・クレスポ
(1975/7/5〜)
〔FW〕<S>
バルダニート リーベル・プレート
パルマ
ラツィオ

インテルナツィオナーレ・ミラノ
チェルシー
ミラン
ジェノア
パルマ
ワールドカップ 98年(8) 02年 06年(8)
コパ・リベルタドーレス 96年
UEFAカップ 98-99年
※オリンピックアトランタ大会銀メダリスト。
(35/65)
マルセロ・ガジャルド
(1976/1/18〜)
〔DF〕<A>
エル・ムニェコ
(人形)
リーベル・プレート
モナコ
パリ・サンジェルマン
D.C.ユナイテッド
クラブ・ナシオナル
ワールドカップ 98年(8) 02年
※オリンピックアトランタ大会銀メダリスト。
(14/44)
フアン・パブロ・ソリン
(1976/5/5〜)
〔DF(SB)/MF〕<A>
フアンピ アルヘンチノス・フニオルズ
ユヴェントス
リーベル・プレート
クルゼイロ
ラツィオ
バルセロナ
パリ・サンジェルマン
ビジャレアル
ハンブルガー
クルゼイロ
ワールドカップ 02年 06年(8)
コパ・リベルタドーレス 96年
※ユダヤ人である。
ガルシア・マルケスやヘルマン・ヘッセなどの小説の愛読している。
(12/76)
ワルテル・サムエル
(1978/3/23〜)
〔DF〕<S>
ザ・ウォール ニューウェルズ・オールドボーイズ
ボカ・フニオルズ
ローマ
レアル・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
バーゼル
ワールドカップ 02年 10年(8)
コパ・リベルタドーレス 00年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
(5/56)
ガブリエル・エインセ
(1978/4/19〜)
〔DF〕<S>
グリンゴ ニューウェルズ・オールドボーイズ
レアル・バリャドリード
スポルティングCP
パリ・サンジェルマン
マンチェスター・ユナイテッド
レアル・マドリード
オリンピック・マルセイユ
ローマ
ニューウェルズ・オールドボーイズ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
※オリンピックアテネ大会金メダリスト。
(3/72)
フアン・ロマン・リケルメ
(1978/6/24〜)
〔MF〕<S>
ロミー ボカ・フニオルズ
バルセロナ
ビジャレアル
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 06年(8)
コパ・リベルタドーレス 00年 01年 07年
トヨタカップ 00年
※絶滅寸前のクラシックタイプのゲームメーカー。
そのため戦術主義のファン・ハールとは全く合わず、バルセロナ時代は不遇であったが、彼中心でチームをつくったとされるボカ、ビジャレアル、代表などでは圧倒的な存在感を示している。
11人兄弟の長男である。
オリンピック北京大会金メダリスト。
(17/51)
ディエゴ・ミリート
(1979/6/12〜)
〔FW〕<A>
エル・プリンシペ
(王子様)
ディゴエル
ラシン・クラブ
ジェノア
レアル・サラゴサ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ラシン・クラブ
ワールドカップ 10年(8)
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
※ルーツはイタリアである。
ガブリエル・ミリートの兄。
フランチェスコリと容姿が似ているため、彼と同じ「プリンシペ」との愛称がある。
(4/25)
パブロ・アイマール
(1979/11/3〜)
〔MF〕<A>
エル・パジャッソ
(ピエロ)
リーベル・プレート
バレンシア
レアル・サラゴサ
ベンフィカ
ダルル・タクジム
リーベル・プレート
ワールドカップ 02年 06年(8)
コパ・アメリカ 96年
UEFAカップ 03-04年
※リケルメと仲がよい。
(8/52)
エステバン・カンビアッソ
(1980/8/18〜)
〔MF〕<A>
クチュ インデペンディエンテ
リーベル・プレート
レアル・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
レスター・シティ
オリンピアコス
ワールドカップ 06年(8)
トヨタカップ 02年
クラブワールドカップ 10年
チャンピオンズリーグ 09-10年
スーパーカップ 02年
※端正な顔立ちだが、若いうちから頭髪が薄くなった。
(5/52)
ガブリエル・ミリート
(1980/9/7〜)
〔DF〕<A>
エル・マリスカル
(元帥)
インデペンディエンテ
レアル・サラゴサ
バルセロナ
インデペンディエンテ
ワールドカップ 06年(8)
チャンピオンズリーグ 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年
スーパーカップ 09年
※ルーツはイタリアである。
ディエゴ・ミリートの弟。
インデペンディエンテ時代はライバルチームのラシンに兄が在籍、試合中激しくやりあったことがある。一方サラゴサ時代はチームメイトだった。
(1/42)
マキシ・ロドリゲス
(1981/1/2〜)
〔MF〕<A>
マキシ
ラ・フィエラ
ニューウェルズ・オールドボーイズ
エスパニョール
アトレティコ・マドリード
リヴァプール
ニューウェルズ・オールドボーイズ
ペニャロール
ニューウェルズ・オールドボーイズ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8) 14年(準)
(16/57)
アンドレス・ダレッサンドロ
(1981/4/1〜)
〔MF〕<A>
エル・カベソン
(デカ頭)
リーベル・プレート
ヴォルフスブルク
 ポーツマス(L)
レアル・サラゴサ
 サン・ロレンソ(L)
インテルナシオナル
 リーベル・プレート(L)
ナシオナル
インテルナシオナル
コパ・リベルタドーレス 10年
※マラドーナの後継者と呼ばれていた頃がある。
クラブ・ワールドカップでは中心として期待されたが、南米代表として初めて決勝に進めなかった。
オリンピックアテネ大会金メダリスト。
(3/28)
ニコラス・ブルディッソ
(1981/4/2〜)
〔DF〕<A>
ニコ ボカ・フニオルズ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ
ジェノア
トリノ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・リベルタドーレス 00年 01年 03年
トヨタカップ 00年 03年
※オリンピックアテネ大会金メダリスト。
(2/49)
ハビエル・サビオラ
(1981/12/11〜)
〔FW〕<A>
エル・コネホ
(ウサギ)
エル・ビビート
(子供)
リーベル・プレート
バルセロナ
モナコ
セビージャ
レアル・マドリード
ベンフィカ
マラガ
オリンピアコス
エラス・ヴェローナ
リーベル・プレート
エンカンプ(フットサル)
ワールドカップ 06年(8)
UEFAカップ 05-06年
コパ・リベルタドーレス 15年
※本人は「ウサギ」というニックネームを好んでいない様子。
大のバルセロニスタであり、バルセロナでプレーすることにこだわった。ケガや監督の構想外扱いなどで大活躍とまではいかなかったが、ファンの間からは非常に人気があった。
オリンピックアテネ大会金メダリスト。
(11/40)
ロドリゴ・パラシオ
(1982/2/5〜)
〔FW〕<A>
ラ・ホジャ(宝石)
エル・ラジョ(雷)
ウラカン
バンフィエルド
ボカ・フニオルズ
ジェノア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボローニャ
ブレシア
ワールドカップ 06年(8) 14年(準)
コパ・リベルタドーレス 07年
※三つ編みがトレードマーク。
負傷したゴールキーパーに替わり、10分間だけゴールを守ったことがある。
(3/27)
カルロス・テベス
(1984/2/5〜)
〔FW〕<S>
ボカ・フニオルズ
コリンチャンス・パウリスタ
ウェストハム・ユナイテッド
マンチェスター・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
ユヴェントス
ボカ・フニオルズ
上海緑地申花
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・リベルタドーレス 03年
トヨタカップ 03年
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブワールドカップ 08年
※1歳の時に誤って熱湯を浴びて大火傷を負い、その痕が今も残っている。ボカが痕を消す手術の費用を負担すると提案したが、断った。
2011年、途中出場をめぐるマンチーニ監督との確執から無断帰国するという騒動を起こした。
2016年、上海申花への移籍が話題となった。
オリンピックアテネ大会金メダリスト。
(13/76)
ハビエル・マスチェラーノ
(1984/6/8〜)
〔MF/DF〕<S>
リーベル・プレート
コリンチャンス・パウリスタ
ウェストハム・ユナイテッド
リヴァプール
バルセロナ
河北華夏幸福
エストゥディアンテス・ラプラタ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8) 14年(準) 18年(16)
チャンピオンズリーグ 10-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 11年 15年
※マラドーナ代表監督から絶大な信頼を寄せられていた。
14年W杯では奮迅の活躍を見せ、準優勝の功労者。
オリンピックアテネ大会、北京大会金メダリスト。
(3/135)
パブロ・サバレタ
(1985/1/16〜)
〔DF(SB)/MF〕<A>
サン・ロレンソ
エスパニョール
マンチェスター・シティ
ウェストハム・ユナイテッド
ワールドカップ 14年(準)
※オリンピック北京大会金メダリスト。
(0/58)
エセキエル・ラベッシ
(1985/5/3〜)
〔FW〕<A>
エル・ポチョ
(稲妻)
サン・ロレンソ
ナポリ
パリ・サンジェルマン
河北華夏幸福
ワールドカップ 14年(準)
※オリンピック北京大会金メダリスト。
(9/51)
リオネル・メッシ
(1987/6/24〜)
〔FW/MF〕<SSS>
ブルガアトミカ
(強力なノミ)
レオ
バルセロナ
パリ・サンジェルマン
インテル・マイアミ
ワールドカップ 06年(8) 10年(8) 14年(準) 18年(16) 22年(優)
コパ・アメリカ 21年 24年
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年 10-11年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 09年 11年 15年
※ルーツはイタリアである。
史上初バロンドールを4年連続受賞した現役最高の選手。
しかし、2010年、「バロンドール受賞者はその年のW杯に勝てない」というジンクスを破れなかった。
幼少期、成長ホルモンの分泌異常(低身長)があったが、バルセロナは治療費の全額負担を約束してまでも入団させた。
バルセロナの公式戦最多得点記録を持つ。11-12年シーズンにリーガ50得点を記録し、ゴールデンシュー創設以降の欧州リーグの得点記録を塗り替えた。2012年には年間91ゴールを記録した。
12-13年シーズンにはリーガ19クラブから19試合連続得点をあげるという偉業を達成した。
フランスの実質15部のクラブからオファーを受けたことがある。
「マラドーナ2世」とも呼ばれ、マラドーナ本人からもその異名を認められているひとり。
チャンピオンズリーグ得点王。
出場、得点ともに代表最多となった。
オリンピック北京大会金メダリスト。
ゴンサロ・イグアイン
(1987/12/10〜)
〔FW〕<S>
エル・ピピータ リーベル・プレート
レアル・マドリード
ナポリ
ユヴェントス
 ミラン(L)
 チェルシー(L)
インテル・マイアミ
ワールドカップ 10年(8) 14年(準) 18年(16)
※フランス生まれである。
(31/75)
アンヘル・ディ・マリア
(1988/2/14〜)
〔MF〕<S>
アンヘリート
エル・フィデオ
ロサリオ・セントラル
ベンフィカ
レアル・マドリード
マンチェスター・ユナイテッド
パリ・サンジェルマン
ユヴェントス
ベンフィカ
ワールドカップ 10年(8) 14年(準) 18年(16) 22年(優)
コパ・アメリカ 21年 24年
チャンピオンズリーグ 13-14年
スーパーカップ 14年
※オリンピック北京大会金メダリスト。
セルヒオ・アグエロ
(1988/6/2〜)
〔FW〕<S>
エル・クン インデペンディエンテ
アトレティコ・マドリード
マンチェスター・シティ
バルセロナ
ワールドカップ 10年(8) 14年(準) 18年(16)
コパ・アメリカ 21年
スーパーカップ 10年
※オリンピック北京大会金メダリスト。
愛称の「クン」は、子供のころ好きだったという安彦良和のアニメ「わんぱく大昔クムクム」に由来する。
マラドーナの娘婿だったことがある。元浦和のエスクデロと仲がよい。
アルゼンチンリーグの最年少出場記録を持つ。
(41/101)
ハビエル・パストーレ
(1989/6/20〜)
〔MF〕<A>
エル・フラコ
(やせっぽち)
タジェレス
 ウラカン(L)
チッタ・ディ・パレルモ
パリ・サンジェルマン
ローマ
エルチェ
カタール
ワールドカップ 10年(8)
※カントナに高く評価されている。
(2/27)
マウロ・イカルディ
(1993/2/19〜)
〔FW〕<A>
サンプドリア
インテルナツィオナーレ・ミラノ
パリサンジェルマン(L)
ガラタサライ
(1/8)
パウロ・ディバラ
(1993/11/15〜)
〔FW〕<A>
La Joya(宝石) インスティトゥート・コルドバ
チッタ・ディ・パレルモ
ユヴェントス
ローマ
ワールドカップ 18年(16) 22年(優)
※ルーツはイタリアとポーランドである。
ラウタロ・マルティネス
(1997/8/22〜)
〔FW〕<S>
El Toro(雄牛) ラシン・クラブ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ワールドカップ 22年(優)
コパ・アメリカ 21年 24年
フリアン・アルバレス
(2000/1/31〜)
〔FW〕<A>
ラ・アラーニャ(蜘蛛) リーベル・プレート
マンチェスター・シティ
ワールドカップ 22年(優)
コパ・アメリカ 21年 24年
チャンピオンズリーグ 22-23年
スーパーカップ 23年
クラブワールドカップ 23年
ウルグアイ 【47人】
  La Celeste(The Sky Blue One)/ Los Charruas
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
カエターノ・サポリティ
(1887/1/14〜1954/?/?)
〔GK〕<A>
モンテビデオ・ワンダラーズ 南米選手権 16年 17年
(0/51)
ホセ・ピエンディベネ
(1890/6/5〜1969/11/12)
〔FW〕<A>
ペニャロール 南米選手権 16年 17年 20年
(20/40)
アルフレード・フォリーノ
(1893/?/?〜1968/?/?)
〔DF〕<A>
クラブ・ナシオナル 南米選手権 16年 17年 20年
※第1回南米選手権で代表監督も務めた。
(0/47)
アンヘル・ロマーノ
(1894/8/2〜1972/8/22)
〔FW〕<S>
クラブ・ナシオナル 南米選手権 16年 17年 20年 23年 24年 26年
※オリンピックパリ大会金メダリスト。
(28/68)
イサベリノ・グラディン
(1897/7/8〜1944/12/21)
〔FW〕<A>
ペニャロール
クラブ・ナシオナル
南米選手権 16年 17年
※南米選手権初代得点王。
(10/24)
エクトル・スカローネ
(1898/11/26〜1967/4/4)
〔FW〕<S>
マーゴ(魔術師) クラブ・ナシオナル
バルセロナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
チッタ・ディ・パレルモ
ワールドカップ 30年(優)
南米選手権 17年 23年 24年
※フォルランに抜かれるまで、代表最多得点記録を持っていた。
オリンピックパリ大会、アムステルダム大会金メダリスト。
(31/52)
ロレンツォ・フェルナンデス
(1900/5/20〜1973/11/16)
〔FW〕<A>
エル・ガレゴ Capurro
リーベル・プレート
Capurro
アトレティコ・ワンダラーズ
Capurro
ペニャロール
ワールドカップ 30年(優)
南米選手権 26年 35年
※オリンピックアムステルダム大会金メダリスト。
(4/31)
ペドロ・セア
(1900/9/1〜1970/9/18)
〔FW〕<A>
リト・モンテビデオ ワールドカップ 30年(優)
南米選手権 23年 24年
※オリンピックパリ大会、アムステルダム大会金メダリスト。
(13/27)
ホセ・ナサシ
(1901/5/24〜1968/6/17)
〔DF〕<S>
エル・マリスカル
(元帥)
クラブ・ナシオナル ワールドカップ 30年(優)
南米選手権 23年 24年 26年 35年
※ウルグアイ代表キャプテンを務めた。よってジュールリメ杯を手にした最初の選手。
オリンピックパリ大会、アムステルダム大会金メダリスト。
(0/51)

ホセ・アンドラーデ
(1901/10/1〜1957/10/5)
〔MF〕<SS>
ラ・マラビジャ・ネグラ
(黒い驚異)
ビリャ・ビスタ
クラブ・ナシオナル
ペニャロール
ワールドカップ 30年(優)
南米選手権 23年 24年 26年
※13歳の時、誤って右前腕を切断している。
オリンピックパリ大会、アムステルダム大会金メダリスト。
(1/33)【29】

アンドレス・マザリ
(1902/7/22〜1975/10/30)
〔MF〕<A>
クラブ・ナシオナル 南米選手権 23年 24年 26年
※オリンピックパリ大会、アムステルダム大会金メダリスト。
(20/21)
エクトル・カストロ
(1904/11/29〜1960/9/15)
〔FW〕<S>
エル・マンコ
(隻腕)
クラブ・ナシオナル ワールドカップ 30年(優)
南米選手権 26年 35年
※オリンピックアムステルダム大会金メダリスト。
(20/25)【40】
ペドロ・ペトローネ
(1905/5/11〜1964/12/13)
〔FW/MF〕<S>
クラブ・ナシオナル
フィオレンティーナ
ワールドカップ 30年(優)
南米選手権 23年 24年
※オリンピックパリ大会、アムステルダム大会金メダリスト。
(24/29)
セヴェリーノ・バレラ
(1913/9/14〜1995/7/29)
〔FW〕<A>
リーベル・プレート
ペニャロール
ボカ・フニオルズ
コパ・アメリカ 42年
(19/24)
アティリオ・ガルシア
(1914/8/26〜1973/12/12)
〔FW〕<S>
プラテンセ
ボカ・フニオルズ
クラブ・ナシオナル
※アルゼンチン出身である。
※40年代ナシオナル黄金期のエースストライカー。
(10/11)
アニバル・チョッカ
(1915/7/23〜1981/11/7)
〔FW〕<A>
モンテビデオ・ワンダラーズ
クラブ・ナシオナル
コパ・アメリカ 35年 42年
(?/?)
ロベルト・スカローネ
(1917/7/16〜1994/4/25)
〔DF〕<B>
ペニャロール
ヒムナシア・ラ・プラタ
クラブ・アメリカ
アトランテ
ヒムナシア・ラ・プラタ
※ペニャロール監督時代、第1回2回とコパ・リベルタドーレスを連覇した。
(0/0)
オブドゥリオ・バレラ
(1917/9/20〜1996/8/2)
〔MF〕<S>
モンテビデオ・ワンダラーズ
ペニャロール
ワールドカップ 50年(優) 54年(4)
コパ・アメリカ 42年
※50年W杯時のキャプテン。
(9/45)【53】

ロケ・マスポリ
(1917/10/12〜2004/2/22)
〔GK〕<S>
クラブ・ナシオナル
リベル・プール
ペニャロール
ワールドカップ 50年(優) 54年(4)
※80歳の時、母国の代表監督を務めた。
(0/38)[29]

シュベルト・ガンベッタ
(1920/4/14〜1991/8/9)
〔DF〕<A>
クラブ・ナシオナル
ククタ・デポルティボ
ワールドカップ 50年(優)
(3/36)
フアン・アルベルト・スキアフィーノ
(1925/7/28〜2002/11/13)
〔FW/MF〕<SS>
ペペ(胡椒)
ドンファン
ペニャロール
ミラン
ローマ
ワールドカップ 50年(優) 54年(4)
(8/21)ウルグアイ
(0/4)イタリア【17】

アルシデス・ギジャ
(1926/12/22〜2015/7/16)
〔FW〕<A>
ペニャロール
ローマ
ミラン
ダヌービオ
ワールドカップ 50年(優)
※50年W杯決勝で決勝点をあげ、マラカナンスタジアムを静まり返らせた選手(マラカナンの悲劇)。
(4/12)
(1/5)イタリア
オスカル・ミゲス
(1927/12/5〜2006/8/19)
〔FW〕<S>
ペニャロール
スポルティング・クリスタル
ワールドカップ 50年(優) 54年(4)
コパ・アメリカ 56年
※W杯でのウルグアイ代表最多得点記録保持者。
(27/39)
ホセ・サンタマリア
(1929/7/31〜)
〔DF〕<S>
クラブ・ナシオナル
レアル・マドリード
ワールドカップ 54年(4) 62年<スペイン>
チャンピオンズカップ 57-58年 58-59年 59-60年 65-66年
インターコンチネンタルカップ 60年
※50年代レアル・マドリード黄金期の守備の要。
国籍取得後はスペイン代表監督も務めた。
(0/20)
(0/16)スペイン
ルイス・クビジャ
1940/3/28〜2013/3/3)
〔MF〕<A>
エル・ネグロ ペニャロール
バルセロナ
リーベル・プレート
クラブ・ナシオナル
 
ワールドカップ  62年 70年(4) 74年
コパ・リベルタドーレス 60年 61年 71年
インターコンチネンタルカップ 61年 71年
※選手としてだけではなく、オリンピア監督として輝かしい実績を持つ。
(11/38)【64】
ペドロ・ローシャ
1942/12/3〜2013/12/2)
〔FW〕<A>
エル・ヴァードゥゴ
(死刑執行人)
ペニャロール
サンパウロ
ワールドカップ  62年 66年(8) 70年(4) 74年
南米選手権 67年
※元京都パープルサンガ監督。
(17/52)
ラディスラオ・マズルケヴィッチ
(1945/2/14〜2013/1/2)
〔GK〕<S>
ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ
ペニャロール
アトレチコ・ミネイロ
グラナダ
ワールドカップ 70年 74年
コパ・リベルタドーレス 66年
インターコンチネンタルカップ 66年
(0/44)[12]

パブロ・フォルラン
(1945/7/14〜)
〔DF〕<A>
ペニャロール
サンパウロ
ワールドカップ 66年(8) 74年
コパ・リベルタドーレス 66年
インターコンチネンタルカップ 66年
※ディエゴ・フォルランの父。
(0/17)
オスカル・タバレス
(1947/3/3〜)
〔DF〕<B>
エル・マエストロ スド・アメリカ
スポルティーボ・イタリアーノ
モンテビデオ・ワンダラーズ
フェニックス
ブエブラ
ぺジャ・ビスタ
※小学校の先生をしていたことがある。
10年W杯ではウルグアイをベスト4、コパ・アメリカでは優勝に導いた。
(0/0)
フェルナンド・モレナ
(1952/2/2〜)
〔FW〕<A>
リーベル・プレート・モンテビデオ
ペニャロール

ラーヨ・バジェカノ
バレンシア
ワールドカップ 74年
コパ・アメリカ 83年
コパ・リベルタドーレス 82年
トヨタカップ 82年
スーパーカップ 80年
(22/54)
ロドルフォ・ロドリゲス
(1956/1/20〜)
〔GK〕<A>
クラブ・ナシオナル
サントス
スポルティングCP
ポルトゲーザ・デスポルトス
バイーア
ワールドカップ 86年(16)
コパ・アメリカ 83年
コパ・リベルタドーレス 80年
トヨタカップ 80年
(0/79)
アントニオ・アルサメンディ
(1956/6/7〜)
〔FW〕<A>
ペニャロール
インデペンディエンテ
リーベル・プレート
クラブ・ナシオナル
ワールドカップ 86年(16) 90年(16)
コパ・アメリカ 83年 87年
コパ・リベルタドーレス 86年
トヨタカップ 86年
(6/31)
ウーゴ・デレオン
(1958/2/27〜)
〔DF〕<A>
エル・カウディージョ
(司令官)
クラブ・ナシオナル
グレミオ
コリンチャンス・パウリスタ
サントス
東芝深川町
ワールドカップ 90年(16)
コパ・リベルタドーレス 80年 83年 88年
トヨタカップ 83年 88年
(0/48)
ルベン・パス
(1959/8/8〜)
〔MF〕<A>
ペニャロール
インテルナシオナル
ラシン・クラブ・パリ
ラシン・クラブ
ジェノア
ワールドカップ 86年(16) 90年(16)
(7/45)
エンツォ・フランチェスコリ
(1961/11/12〜)
〔MF〕<S>
エル・プリンシペ
(王子様)
ル・プランス
リーベル・プレート
オリンピック・マルセイユ
カリアリ
トリノ
ワールドカップ 86年(16) 90年(16)
コパ・アメリカ 83年 87年 95年
※マルセイユ時代、ジダンの少年時代のアイドル。
(15/73)
ホルヘ・ダ・シルバ
(1961/12/11〜)
〔FW〕<A> 
ポリージャ(蛾) フェニックス
ダヌービオ
デフェンソール・スポルティング
レアル・バリャドリード
アトレティコ・マドリード
リーベル・プレート
パレスティーノ
アメリカ・デ・カリ
ミジョナリオス
デフェンソール・スポルティング
ワールドカップ 86年(16)
(6/26)
カルロス・アギレラ
(1964/9/21〜)
〔FW〕<A>
リーベル・プレート(ウルグアイ)
クラブ・ナシオナル
インデペンディエンテ・メデジン
ラシン・クラブ
テコス
ペニャロール
ジェノア
トリノ
ペニャロール
ワールドカップ 86年(16) 90年(16)
コパ・アメリカ 83年
(23/65)
ルベン・ソサ
(1966/4/25〜)
〔FW〕<A>
ゴールの詩人 ダヌービオ
レアル・サラゴサ
ラツィオ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ボルシア・ドルトムント
クラブ・ナシオナル

ログロニェス
上海申花
ラシン・クラブ
ワールドカップ 90年(16)
コパ・アメリカ 87年 95年
(19/46)
ダニエル・フォンセカ
(1969/9/13〜)
〔FW〕<A>
エル・ティグレ
(猛虎)
クラブ・ナシオナル
カリアリ
ナポリ
ローマ
ユヴェントス
リーベル・プレート
ワールドカップ 90年(16)
コパ・アメリカ 95年
※引退後は代理人をしている。
(11/30)
アルバロ・レコバ
(1976/3/17〜)
〔MF/FW〕<A>
エル・チーノ
(東洋人)
クラブ・ナシオナル
インテルナツィオナーレ・ミラノ
 ヴェネツィア(L)
 トリノ(L)
パニオニオス
ダヌービオ
クラブ・ナシオナル
ワールドカップ 02年
UEFAカップ 97-98年
※インテル時代「モラッティの秘蔵っ子」と呼ばれていた。
(12/69)
セバスティアン・アブレウ
(1976/10/17〜)
〔FW〕<A>
エル・ロコ(狂人) デフェンソール・スポルティング
サン・ロレンソ
デポルティボ・ラ・コルーニャ
グレミオ
テコス
クラブ・ナシオナル
クルス・アスル
クラブ・アメリカ
ドラドス・デ・シナロア
モンテレイ
サン・ルイス
ティグレス
 リーベル・プレート(L)
ベイタル・エルサレム
リーベル・プレート
 レアル・ソシエダ(L)
アリス・テッサロニキ
ボタフォゴ
 フィゲレンセ(L)
クラブ・ナシオナル
 ロサリオ・セントラル(L)
 アウカス(L)
ソル・デ・アメリカ
サンタ・テクラ
バング
セントラル・エスパニョール
ブエルト・モント
アウダックス・イタリアーノ
マガジャーネス
リオブランコ
ボストン・リーベル
アスレティック・クラブ
スド・アメリカ
ワールドカップ 02年 10年(4)
コパ・アメリカ 11年
※所属クラブ数のギネス記録を持っている。
代表では控えが多いが、得点能力は非常に高い。
(26/70)
ディエゴ・フォルラン
(1979/5/19〜)
〔FW〕<S>
インデペンディエンテ
マンチェスター・ユナイテッド
ビジャレアル

アトレティコ・マドリード

インテルナツィオナーレ・ミラノ
インテルナシオナル
セレッソ大阪
ペニャロール
ムンバイ・シティ
傑志
ワールドカップ 02年 10年(4) 14年(16)
コパ・アメリカ 11年
スーパーカップ 10年
※代表最多出場記録保持者。
上半身の筋肉が凄い。
フォルランと父のパブロ、フランス代表のユーリ・ジョルカエフと父のジャンはそれぞれW杯で対戦している。
祖父から三代続けてコパ・アメリカを制した。
(36/112)
ディエゴ・ルガーノ
(1980/11/2〜)
〔DF〕<A>
Tota(吠える人) クラブ・ナシオナル
ブラサ・コロニア
サンパウロ

ガラタサライ
パリ・サンジェルマン
 マラガ(L)
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
ヘッケン
セロ・ポルテーニョ
サンパウロ
ワールドカップ 10年(4) 14年(16)
コパ・アメリカ 11年
※ルーツはイタリアであり、自身もイタリア国籍を持っている。
(9/95)
クリスティアン・ロドリゲス
(1985/9/30〜)
〔MF〕<A>
セボージャ
(たまねぎ)
ペニャロール
パリ・サンジェルマン
 ベンフィカ(L)
ポルト
アトレティコ・マドリード
 パルマ(L)
 グレミオ(L)
インデペンディエンテ
ペニャロール
プラサ・コロニア
ワールドカップ 14年(16) 18年(8)
コパ・アメリカ 11年
スーパーカップ 12年
(11/110)
ディエゴ・ゴディン
(1986/2/16〜)
〔DF〕<A>
セロ
クラブ・ナシオナル
ビジャレアル
アトレティコ・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
カリアリ
ベレス・サルスフィエルド
ワールドカップ 10年(4) 14年(16) 18年(8) 22年
コパ・アメリカ 11年
ヨーロッパ・リーグ 11−12年
スーパーカップ 10年 12年
(8/161)
ルイス・スアレス
(1987/1/24〜)
〔FW〕<S>
ルチョ
エル・ピストレロ
(ガンマン)
クラブ・ナシオナル
フローニンゲン
アヤックス

リヴァプール
バルセロナ
アトレティコ・マドリード
クラブ・ナシオナル
グレミオ
インテル・マイアミ
ワールドカップ 10年(4) 14年(16) 18年(8) 22年
コパ・アメリカ 11年
クラブワールドカップ 15年
スーパーカップ 15年
※代表最多得点記録保持者。
2010年代を代表するフォワードだが、素行に問題が多い。
10年W杯対ガーナ戦での故意のハンドが、結果的に勝利を呼んだため、議論の的となった。
14年W杯対イタリア戦でのキエッリーニに対する噛み付き行為により、4ヶ月間活動禁止などの重い処分を受けた。
(69/143)
エディソン・カバーニ
(1987/2/14〜)
〔FW〕<S>
エル・マタドール
(闘牛士)
ダヌービオ
パレルモ
ナポリ
パリ・サンジェルマン
マンチェスター・ユナイテッド
バレンシア
ボカ・フニオルズ
ワールドカップ 10年(4) 14年(16) 18年(8)
コパ・アメリカ 11年
コパ・リベルタドーレス 05年
(58/136)
パラグアイ 【27人】
  Los Guaranies / La Albirroja(White and red) 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
マヌエル・フレイタス・ソリッヒ
(1900/12/30〜1984/3/24)
〔MF〕<A>
エル・ブルーホ クラブ・ナシオナル
ボカ・フニオルズ
ラシン・クラブ
プラテンセ
ボカ・フニオルズ
(?/?)
アウレリオ・ゴンサレス
(1905/9/25〜1997/7/9)
〔FW〕<A>
スポルティボ・ルケーニョ
クラブ・オリンピア
ワールドカップ 30年
※パラグアイにおいて、エリコに次ぐ偉大な選手。
(10/14)
デルフィン・ベニテス・カセレス
(1910/10/24〜2004/1/8)
〔FW〕<A>
ボカ・フニオルズ
ラシン・クラブ
フェロカリル・オエステ
ワールドカップ 30年
(3/15)
(1/1)アルゼンチン
アルセニオ・エリコ
(1915/3/30〜1977/7/23)
〔FW〕<S>
クラブ・ナシオナル
インデペンディエンテ

ウラカン
※パラグアイ史上最も偉大な選手といわれる。
アルゼンチンリーグで通算293ゴールをあげている。
(56/26)【49】

ディオニシオ・アルセ
(1927/7/14〜)
〔FW〕<A>
スポルティボ・ルケーニョ
ラツィオ
ナポリ
サンプドリア
トリノ
チッタ・ディ・パレルモ
※イタリアで活躍した。
(7/7)
アンヘル・ベリーニ
(1931/1/9〜2017/11/24)
〔FW〕<A>
クラブ・オリンピア
ボカ・デ・カリ
サン・ロレンソ

ヒムナシア・ラプラタ
レアル・ベティス
ワールドカップ 50年
(4/7)
マッシモ・ロロン
(1934/11/18〜)
〔FW〕<A>
クラブ・リベルタ
エヴェルトン
サン・ルイス・デ・キヨタ
アメリカ・デ・カリ
サンティアゴ・ワンダラーズ
(?/?)
エウロヒオ・マルチネス
(1935/6/11〜1984/9/30)
〔FW〕<A>
バルセロナ
エルチェ
アトレティコ・マドリード
ワールドカップ 62年
※50年代バルセロナの中心選手。
(4/9)
(6/8)スペイン
カエターノ・レ
(1938/2/7〜)
〔FW〕<A>
セロ・ポルテーニョ
エルチェ
バルセロナ
エスパニョール
ワールドカップ 58年
(?/25)
エラディオ・サラテ
(1942/1/14〜)
〔FW〕<A>
サン・ロレンソ
ウラカン
ウニオン・エスパニョーラ
ウニベルシダ・デ・チレ
※主にチリで活躍した。
(3/10)
エベル・ウーゴ・アルメイダ
(1948/7/1〜)
〔GK〕<A>
セロ・ポルテーニョ
グアラニ
クラブ・オリンピア
コパ・リベルタドーレス 79年 90年
インターコンチネンタルカップ 79年
※パラグアイの伝説的ゴールキーパー。
(0/22)
ロベルト・フェルナンデス
(1956/7/29〜)
〔GK〕<A>
リーベル・プレート・アスンシオン
エスパニョール
デポルティボ・カリ
セロ・ポルテーニョ
インテルナシオナル
パルメイラス
セロ・ポルテーニョ
ワールドカップ 86年(16)
(0/78)
フリオ・セサール・ロメロ
(1960/8/28〜)
〔MF〕<A>
ロメリート スポルティーボ・ルケーニョ
ニューヨーク・コスモス
フルミネンセ
ワールドカップ 86年(16)
コパ・アメリカ 79年
(13/32)
ラウル・アマリージャ
(1960/10/20〜)
〔FW〕<A>
バンブ スポルティーボ・ルケーニョ
レアル・サラゴサ
バルセロナ
クラブ・オリンピア
クラブ・アメリカ
横浜フリューゲルス
※スペインU-21代表経験者のため、パラグアイ代表に選ばれていない。
(0/0)
ロベルト・カバニャス
(1961/4/20〜)
〔FW〕<A>
ニューヨーク・コスモス
アメリカ・デ・カリ
スタッド・ブレスト29
オリンピック・リヨン
ボカ・フニオルズ
インデペンディエンテ・メデジン
ワールドカップ 86年(16)
(11/28)
ホセ・ルイス・チラベルト
(1965/7/27〜)
〔GK〕<S>
チラ グアラニ
サン・ロレンソ
レアル・サラゴサ
べレス・サルスフィエルド
ワールドカップ 98年(16) 02年(16)
トヨタカップ 94年
※フリーキックが得意で、ゴールキーパーながら代表で8得点、リーグで54得点を挙げている。
国際大会を開催するより、学校や病院を建てることが大事と、99年自国開催のコパ・アメリカ出場を辞退した。
(8/74)[6]

セルソ・アジャラ
(1970/8/20〜)
〔DF〕<A>
オリンピア
ロサリオ・セントラル
リーベル・プレート
レアル・ベティス
アトレティコ・マドリード
サンパウロ
リーベル・プレート
コロコロ
ワールドカップ 98年(16) 02年(16)
(6/85)
カルロス・ガマーラ
(1971/1/17〜)
〔DF〕<A>
セロ・ポルテーニョ
インデペンディエンテ
インテルナシオナル
ベンフィカ
コリンチャンス・パウリスタ
アトレティコ・マドリード
フラメンゴ
AEKアテネ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
パルメイラス
クラブ・オリンピア
ワールドカップ 98年(16) 02年(16) 06年
※パラグアイ代表通多試合出場記録保持者だった。
(12/110)
ロベルト・アクーニャ
(1972/5/25〜)
〔MF〕<A>
トロ クラブ・ナシオナル
アルヘンチノス・フニオルズ
ボカ・フニオルズ
インデペンディエンテ
レアル・サラゴサ
デポルティボ・ラ・コルーニャ
ロサリオ・セントラル
クラブ・オリンピア
ワールドカップ 98年(16) 02年(16) 06年
(5/97)
フスト・ビジャール
(1977/6/30〜)
〔GK〕<A>
ソル・デ・アメリカ
リベルタ

ニューウェルズ・オールドボーイズ
レアル・バリャドリード
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
クラブ・ナシオナル
コロコロ
クラブ・ナシオナル
ワールドカップ 02年(16) 06年 10年(8)
(0/120)
ネルソン・クエバス
(1980/1/10〜)
〔FW(WG)〕<A>
テンベタリー
リーベル・プレート

 陝西宝榮(L)
パチューカ
クラブ・アメリカ
クラブ・リベルタ
サントス
ウニベルシダ・デ・チレ
クラブ・オリンピア
アルバセテ
ブエブラ
セロ・ポルテーニョ
スポルティボ・ルケーニョ
スポルティボ・カラペグア
ワールドカップ 02年(16) 06年
※W杯でのパラグアイ代表最多得点記録保持者。
(6/41)
パウロ・ダ・シルバ
(1980/2/1〜)
〔DF〕<A>
セロ・ポルテーニョ
ペルージャ
ラヌース
ベネツィア
コゼンツァ
クラブ・リベルタ
テポルティーボ・トルーカ
サンダーランド
レアル・サラゴサ
パチューカ
テポルティボ・トルーカ
クラブ・リベルタ
ドセ・デ・オクトゥブレ
インディペンディエンテFBC
ドセ・デ・フニオ
アトランティダ
ワールドカップ 06年 10年(8)
※パラグアイ代表通多試合出場記録保持者。
(3/150)
サルバトール・カバニャス
(1980/8/5〜)
〔FW〕<A>
ドセ・デ・オクトゥブレ
グアラニ
アウダックス・イタリアーノ

チアバス

クラブ・アメリカ
ドセ・デ・オクトゥブレ
ワールドカップ 06年
※メキシコのレストランで銃撃されたが、2年後に復帰した。
(10/41)
ロケ・サンタ・クルス
(1981/8/16〜)
〔FW〕<A>
チコ クラブ・オリンピア
バイエルン・ミュンヘン
ブラックバーン・ローヴァーズ
マンチェスター・シティ
マラガ
クルス・アスル
 マラガ(L)
クラブ・オリンピア
クラブ・リベルタ
ワールドカップ 98年(16) 02年(16) 06年 10年(8)
※パラグアイ代表通多得点記録保持者。
(32/112)
オスカル・カルドソ
(1983/5/20〜)
〔FW〕<A> 
タクアラ(竹棒) トレス・デ・フェブレロ
クラブ・ナシオナル
ニューウェルス・オールドボーイズ
ベンフィカ

トラブゾンスポル
オリンピアコス
クラブ・リベルタ
ワールドカップ 10年(8)
(12/56)
ルーカス・バリオス
(1984/11/13〜)
〔FW〕<B>
パンサー アルヘンチノス・フニオルズ
 ティグレ(L)
テムコ
ティロ・フェデラル
コブレロア
アトラス
コロコロ
ボルシア・ドルトムント
広州恒大
スパルタク・モスクワ
 モンペリエ(L)
パルメイラス
グレミオ
アルヘンチノス・フニオルズ
コロコロ
ウラカン
ヒムナシア・ラ・プラタ
ディフェンサ・イ・フスティシア
パトロナート
ワールドカップ 10年(8)
コパ・リベルタトーレス 17年
※アルゼンチン出身である。
(10/36)
パブロ・セバージョス
(1986/3/4〜)
〔FW〕<A> 
ソル・デ・アメリカ
オリエンテ・ペトロレーロ
クルス・アスル
セロ・ポルテーニョ
クラブ・オリンピア
クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ
 エメレク(L)
ボタフォゴ
アトレティコ・ナシオナル
 クラブ・オリンピア(L)
 クラブ・リベルタ(L)
スポルティボ・ルケーニョ
 アル・ワクラ(L)
ソル・デ・アメリカ
※パラグアイリーグで得点王3回。
(1/9)
チ  リ 【25人】
  La Roja   
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ダヴィド・アレラーノ
(1902/7/29〜1927/5/3)
〔FW(WG)〕<A>
マガジャーネス
コロコロ
(7/6)
ギジェルモ・スビアブレ
(1903/2/25〜1964/?/?)
〔FW〕<A>
コロコロ
サンチアゴ・ワンダラーズ
ワールドカップ 30年
(10/10)
セルジオ・リビングストン
(1920/3/26〜2012/9/11)〔GK〕<A>
エル・サポ
(カエル)
ウニベルシダ・カトリカ
ラシン・クラブ
ウニベルシダ・カトリカ
コロコロ
ウニベルシダ・カトリカ
ワールドカップ 50年
(0/52)
ジョージ・ロブレド
(1926/4/14〜1989/4/1)
〔FW〕<A>
バーンズリー
ニューカッスル・ユナイテッド

コロコロ
ワールドカップ 50年
※母はイングランド人である。
(3/31)

エンリケ・ホーマザバル
(1931/7/29〜1999/4/18)
〔FW〕<B>
サンチアゴ・モーニング
コロコロ
(17/47)
ハイメ・ラミレス
(1931/8/14〜2003/2/26)
〔FW(WG)〕<A>
ウニベルシダ・デ・チレ
エスパニョール
コロコロ
グラナダ
オヒギンス
ウニベルシダ・デ・チレ
ラシン・クラブ
アウダックス・イタリアーノ
エスパニョール
ウニベルシダ・デ・チレ
ワールドカップ 62年(3) 66年
(12/46)
レオネル・サンチェス
(1936/1/6〜)
〔FW〕<S>
ウニベルシダ・デ・チレ
コロコロ
パレスティーノ
フェロバリオス
ワールドカップ 62年(3) 66年
(23/84)
※W杯でのチリ代表最多得点記録保持者。

カルロス・カンポス
(1937/2/14〜)
〔FW〕<A>
ウニベルシダ・デ・チレ ワールドカップ 62年(3) 66年
(3/6)
アルベルト・フィイユ
(1940/11/22〜)
〔MF〕<A>
ウニベルシダ・デ・カトリカ
Huachipato
ウニオン・エスパニョーラ
リール
ウニベルシダ・デ・カトリカ
ワールドカップ 62年(3) 66年
(12/70)
フランシスコ・バルデス
(1943/3/19〜)
〔MF〕<A>
チャマコ コロコロ
ウニオン・エスパニョーラ
デポルテス・アントファガスタ
コロコロ
サンチアゴ・ワンダラーズ
コブレロア
コロコロ
デポルテス・アリカ
ワールドカップ  66年 74年
※チリリーグ最多得点記録保持者だが、得点王になったことはない。
(9/52)
エリアス・フィゲロア
(1946/10/25〜)
〔DF〕<S>
ドン・エリアス ペニャロール
インテルナシオナル
バレスティノ
ワールドカップ 66年 74年 82年
(2/47)【37】

カルロス・カスセリー
(1950/7/5〜)
〔FW〕<A>
コロコロ
レバンテ
エスパニョール
コロコロ
ニューヨーク・コスモス
コロコロ
バルセロナSC
ワールドカップ 74年
(29/49)
マヌエル・ペレグリーニ
(1953/9/16〜)
〔DF〕<B>
ウニベルシダ・デ・チレ ※ビジャレアルをスペインの強豪へ押し上げたことで有名。
その後、マラガやマンチェスターCの監督として名声を得ている。
(0/1)
イバン・サモラーノ
(1967/1/18〜)
〔FW〕<S>
バンバン
雷帝
コブレサル
 コブレアンディーノ(L)
ザンクトガレン

セビージャ
レアル・マドリード

インテルナツィオナーレ・ミラノ
クラブ・アメリカ
コロコロ
ワールドカップ 98年(16)
UEFAカップ 97-98年
※98年W杯でサラスと「Za-Sa」コンビを組んだ。
ピチーチ賞を獲得した唯一のチリ人選手。
オリンピックシドニー大会銅メダリスト。
(34/69)
マルセロ・サラス
(1974/12/24〜)
〔FW〕<A>
エル・マタドール
(闘牛士)
ウニベルシダ・デ・チレ
リーベル・プレート
ラツィオ
ユヴェントス
 リーベル・プレート(L)
ウニベルシダ・デ・チレ
ワールドカップ 98年(16)
カップウィナーズカップ 98-99年
※98年W杯でサモラーノと「Za-Sa」コンビを組んだ。
L・サンチェスと並び、W杯でのチリ代表最多得点記録保持者である。
(37/70)
ホルヘ・バルガス
(1976/2/8〜)
〔DF〕<B>
ウアチパト
ウニベルシダ・カトリカ
 コキンボ・ウニド(L)
レッジーナ
エンポリ
リヴォルノ
レッドブル・ザルツブルク
エンポリ
スペツィア
サンルイス・デ・キジョータ
ラ・セレナ
(1/38)
ダビド・ピサーロ
(1979/9/11〜)
〔MF〕<A>
Pek サンチアゴ・ワンダラーズ
ウディネーゼ
 ウニベルシダ・デ・チレ(L)
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ
 マンチェスター・シティ(L)
フィオレンティーナ
サンチアゴ・ワンダラーズ
ウニベルシダ・デ・チレ
コパ・アメリカ 15年 16年
※オリンピックシドニー大会銅メダリスト。
(2/46)
ウンベルト・スアソ
(1981/5/10〜)
〔FW〕<A>
サンルイス・キロタ
アウダックス・イタリアーノ
コロコロ
モンテレイ
 レアル・サラゴサ(L)
コロコロ
ワールドカップ 10年(16)
(21/60)
クラウディオ・ブラーボ
(1983/4/13〜)
〔GK〕<A>
コロコロ
レアル・ソシエダ
バルセロナ
マンチェスター・シティ
レアル・ベティス
ワールドカップ 10年(16) 14年(16)
コパ・アメリカ 15年 16年
クラブワールドカップ 15年
スーパーカップ 15年
(0/146)
ホルヘ・バルディビア
(1983/10/19〜)
〔MF〕<A>
コロコロ
 ウニベルシダ・コンセプシオン(L)
 ラーヨ・バジェカーノ(L)
セルヴェット
パルメイラス
アル・アイン
パルメイラス
アル・ワフダ
コロコロ
モナルカス・モレリア
マサトラン
コロコロ
ウニオン・ラ・カレラ
クラブ・ネカクサ
ワールドカップ 10年(16) 14年(16)
コパ・アメリカ 15年
※ベネズエラ出身である。
代表に欠かせない存在だが、よく謹慎処分を受ける。
(7/79)
ジャン・ボーセジュール
(1984/6/1〜)
〔MF〕<A>
Palmatoria ウニベルシダ・カリトカ
ウニベルシダ・コンセプシオン
セルヴェット
グレミオ
ヘント
コブレロア
オヒギンス
クラブ・アメリカ
バーミンガム
ウィガン・アスレティック
コロコロ
ウニベルシダ・デ・チレ
コキンボ・ウニド
ワールドカップ 10年(16) 14年(16)
コパ・アメリカ 15年 16年
※マプチェの血を引いている。
門限破りと飲酒により代表を追放されたことがある。
(6/109)
マティアス・フェルナンデス
(1986/5/15〜)
〔MF〕<A>
マティ
マティゴル
コロコロ
ビジャレアル
スポルティングCP
フィオレンティーナ
 ミラン(L)
クラブ・ネカクサ
アトレティコ・フニオル
コロコロ
ラ・セレナ
ワールドカップ 10年(16)
コパ・アメリカ 15年 16年
(14/74)
アルトゥーロ・ビダル
(1987/3/22〜)
〔MF/DF〕<A>
コロコロ
バイエル・レバークーゼン
ユヴェントス
バイエルン・ミュンヘン
バルセロナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
フラメンゴ
アトレチコ・パラナエンせ
コロコロ
ワールドカップ 10年(16) 14年(16)
コパ・アメリカ 15年 16年
※チリのコパ・アメリカ初優勝に大きく貢献したが、その大会の最中に交通事故を起こした。
マウリシオ・イスラ
(1988/6/12〜)
〔MF〕<A>
ウアッソ ウディネーゼ
ユヴェントス
 クィーンズパーク・レンジャーズ(L)
 オリンピック・マルセイユ(L)
カリアリ
フェネルバフチェ
フラメンゴ
ウニベルシダ・カリトカ
ワールドカップ 10年(16) 14年(16)
コパ・アメリカ 15年 16年
アレクシス・サンチェス
(1988/12/19〜)
〔FW〕<S>
ニーノ・マラヴィージャ
(ワンダーボーイ)
コブレロア
ウディネーゼ
 コロコロ(L)
 リーベル・プレート(L)
バルセロナ
アーセナル
マンチェスターユナイテッド
インテルナツィオナーレ・ミラノ
オリンピック・マルセイユ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ウディネーゼ
ワールドカップ 10年(16) 14年(16)
クラブワールドカップ 11年
スーパーカップ 11年
コパ・アメリカ 15年 16年
※代表最多試合出場記録、最多得点記録保持者。
ペ ル ー 【19人】
  La Blanquirroja / La Rojiblanca 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
テオドロ・フェルナンデス
(1913/5/20〜1996/9/17)
〔FW〕<A>
ウニベルシタリオ・デポルテス 南米選手権 39年
(24/32)
ヴァレリアーノ・ロペス
(1926/5/4〜1993/5/7)
〔FW〕<A>
スポルト・ボーイズ
デポルティボ・カリ
スポルト・ボーイズ
ウラカン
アリアンサ・リマ
ラモン・カスティーリャ
スポルト・ボーイズ
デポルティボ・カリ
(11/12)
アルベルト・テリー
(1929/5/16〜2006/2/7)
〔FW〕<A>
TOTO ウニベルシタリオ・デポルテス
スポルティング・クリスタル
(11/25)
フアン・セミナリオ
(1936/7/22〜)
〔FW〕<S>
エル・ココ デポルティボ・ムニシパル
スポルティングCP
レアル・サラゴサ

フィオレンティーナ
バルセロナ
サバデル
アトレティコ・グラウ
※ピチーチ賞を獲得した唯一のペルー人選手。
サラゴサ黄金期のエースストライカー。
(6/19)
アルベルト・ヘラルド
(1940/11/28〜2001/1/19)
〔FW〕<B>
マリスカル・スクレ
スポルティング・クリスタル
ミラン
カリアリ
パルメイラス
スポルティング・クリスタル
ワールドカップ 70年(8)
(11/37)
エクトル・チュンピタス
(1944/4/11〜)
〔DF〕<A>
キャプテン・オブ・アメリカ デポルティボ・ムニシパル
ウニベルシタリオ・デポルテス
アトラス
スポルティング・クリスタル
ワールドカップ 70年(8) 78年
コパ・アメリカ 75年
(3/105)
オズワルド・ラミレス
(1947/3/28〜)
〔FW〕<A>
スポルト・ボーイズ
ウニベルシタリオ・デポルテス
アトレティコ・エスパニョール
スポルティング・クリスタル
ワールドカップ 70年(8)
コパ・アメリカ 75年
(17/57)
テオフィロ・クビジャス
(1949/3/8〜)
〔MF〕<S>
エル・ネネ(子供) アリアンサ・リマ
バーゼル
ポルト
フォートローダーデール・ストライカーズ
サウスフロリダ・サンフォートラーダーデール
デポルティボ・ムニシパル
ワールドカップ 70年(8) 78年 82年
コパ・アメリカ 75年
※ペルー史上最高の選手といわれる。
(26/81)【48】

ウーゴ・ソティル
(1949/3/8〜)
〔FW/MF〕<A>
デポルティボ・ムニシパル
アリアンサ・リマ
バルセロナ
インデペンディエンテ・メデジン
ワールドカップ 70年(8) 78年 82年
コパ・アメリカ 75年
(18/62)
ペルシー・ロハス
(1949/9/16〜)
〔FW/MF〕<A>
ウニベルシタリオ・デポルテス
インデペンディエンテ
スポルティング・クリスタル
セラン
ワールドカップ 78年 82年
コパ・アメリカ 75年
(7/49)
フアン・カルロス・オブリタス
(1951/2/16〜)
〔FW(WG)〕<A>
ウニベルシタリオ・デポルテス
エルチェ
ベラクルス
スポルティング・クリスタル
セラン
ウニベルシタリオ・デポルテス
ワールドカップ 78年 82年
コパ・アメリカ 75年
(7/49)
ホセ・ベラスケス
(1952/6/4〜)
〔MF〕<A>
アリアンサ・リマ
インデペンディエンテ・メデジン
トロント・ブリザード
アリアンサ・リマ
エラクレス
ワールドカップ 78年 82年
コパ・アメリカ 75年
(11/63)
ホセ・ルイス・カランサ
(1964/1/8〜)
〔MF〕<A>
ウニベルシタリオ・デポルテス ※フェルナンデスやチュンピタスとならんでクラブの象徴的存在。彼がつけていた22番は永久欠番となっている。
(1/55)
ペルシー・オリバレス
(1968/6/5〜)
〔DF〕<A>
スポルティング・クリスタル
デポルティボ・カリ
スポルティング・クリスタル
ニュルンベルク
テネリフェ
ロサリオ・セントラル
フルミネンセ
クルス・アスル
PAOK
パナシナイコス
ウニベルシタリオ・デポルテス
ダラス・バーン
スポルティング・クリスタル
アリアンサ・アトレティコ
※コパ・アメリカ代表に6回選ばれている。
(1/83)
ノルベルト・ソラーノ
(1974/12/12〜)
〔MF/DF(SB)〕<B>
ノビー スポルティング・クリスタル
ボカ・フニオルズ
ニューカッスル・ユナイテッド
アストンヴィラ
ウェストハム・ユナイテッド
AEL
ウニベルシタリオ・デポルテス
レスター・シティ
ハル・シティ
(20/88)
クラウディオ・ピサーロ
(1978/10/3〜)
〔FW〕<A>
ピッツア アリアンサ・リマ
ヴェルダー・ブレーメン
バイエルン・ミュンヘン
チェルシー
ヴェルダー・ブレーメン
バイエルン・ミュンヘン
ヴェルダー・ブレーメン
チャンピオンズリーグ 12-13年
クラブワールドカップ 13年
スーパーカップ 13年
※競走馬を30頭以上所有しているほど競馬好き。
(20/85)
フアン・マヌエル・バルガス
(1983/10/5〜)
〔MF/DF(SB)〕<A>
エル・ロコ(狂人) ウニベルシタリオ・デポルテス
コロン・デ・サンタフェ
カターニア
フィオレンティーナ
ジェノア
レアル・ベティス
ウニベルシタリオ・デポルテス
(4/62)
ホセ・パオロ・ゲレーロ
(1984/1/1〜)
〔FW〕<A>
バイエルン・ミュンヘン
ハンブルガー
コリンチャンス・パウリスタ
フラメンゴ
インテルナシオナル
アヴァイ
ラシン・クラブ
※代表最多得点記録保持者。
W杯南米予選アルゼンチン戦の後のドーピング検査でコカインが検出され、1年間の出場停止処分を受けた。
ジェフェルソン・ファルファン
(1984/10/26〜)
〔FW〕<A>
ジェフリー アリアンサ・リマ
PSV
シャルケ04
アル・ジャジーラ・クラブ
ロコモティフ・モスクワ
アリアンサ・リマ
ワールドカップ 18年
※シャルケでは右サイドの内田と抜群のコンビを見せた。
(27/102)
コロンビア 【25人】
  Los Cafeteros(The Coffee Growers) 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
カオル・ドク〔道工 薫〕
(1924/?/?〜)
〔MF〕<A>
インデペンディエンテ・サンタフェ ※日系2世の海軍軍人である。
コロンビアリーグ初代チャンピオンのサンタフェでキャプテンを務めた伝説の選手。
ミジョナリオス時代のディ・ステファノとも対戦をしている。
(?/?)
カルロス・アランゴ
(1928/1/31〜2014/8/19)
〔FW〕<B>
エル・マエストロ デポルテス・カルダス
デポルテス・サマリオ
アトレティコ・ナシオナル
サンタフェ
インデペンディエンテ・メデジン
ククタ・デポルティボ
ウニオン・マグダレナ
ミジョナリオス
(6/22)
フランシスコ・マツラナ
(1949/2/15〜)
〔DF〕<B>
ジェフリー アトレティコ・ナシオナル
アトレティコ・ブカラマンガ
デポルテス・トリマ
※コロンビア代表やアトレティコ・ナシオナルで実績を残したコロンビア屈指の名将。
(0/6)
アルノルド・イグアラン
(1957/1/18〜)
〔FW〕<A>
ククタ・デポルティボ
デポルテス・トリマ
インデペンディエンテ・サンタフェ
ミジョナリオス

アトレティコ・フニオール
ワールドカップ 90年(16)
(25/68)
カルロス・バルデラマ
(1961/9/2〜)
〔MF〕<S>
エル・ピーペ
(少年)
ライオン
コレヒオ・セレドン
ウニオン・マグダレナ
デポルティボ・カリ
モンペリエ
レアル・バリャドリード
インデペンディエンテ・メデジン
ジュニオール・バランキア
タンパベイ・ミューティニー
コロラド・ラピッズ
ワールドカップ 90年(16) 94年
※90年代南米を代表するゲームメーカー。
代表最多出場記録保持者。
両親や兄弟は黒人(肌が黒い)だが、本人だけ肌が白い。
(11/111)

アントニー・デ・アビラ
(1962/12/21〜)
〔FW〕<B>
アメリカ・デ・カリ
ウニオン・デ・サンタフェ
ニューヨーク・メトロスターズ
バルセロナSC
ワールドカップ 94年 98年
※アメリカ・カリの最多得点記録保持者。
(13/53)
レネ・イギータ
(1966/8/28〜)
〔GK〕<A>
エル・ロコ(狂人) アトレティコ・ナシオナル
レアル・バリャドリード
ベラクルス
インデペンディエンテ・メデジン
レアル・カルタヘナ
アトレティコ・フニオール
アウカス
グアロス・デ・ララ
デポルティボ・リオネグロ
デポルティボ・ペレイラ
ワールドカップ 90年(16)
コパ・リベルタドーレス 89年
※スイーパー的役割をこなし、時にはドリブルで攻め上がるなど、攻撃的ゴールキーパーといわれた。
イングランドとの親善試合で見せた海老反りセーブは特に有名である。
代表で8得点、リーグで25得点をあげている。
(8/68)[32]

フレディ・リンコン
(1966/8/14〜)
〔MF〕<A>
アトレティコ・ベナベンチュラ
インデペンディエンテ・サンタフェ
アメリカ・デ・カリ
パルメイラス
ナポリ
レアル・マドリード
コリンチャンス・パウリスタ
サントス
クルゼイロ
ワールドカップ 90年(16) 94年 98年
クラブ世界選手権 00年
(17/84)
アンドレス・エスコバル
(1967/3/13〜1994/7/2)
〔DF〕<A>
El Caballero del Futbol アトレティコ・ナシオナル
ヤング・ボーイズ
アトレティコ・ナシオナル
ワールドカップ 90年 94年
コパ・リベルタドーレス 89年
※90年代南米屈指のディフェンダーのひとり。
94年W杯対アメリカ戦で痛恨のオウンゴールを献上し、コロンビアの1次リーグ敗退のひとつの要因となってしまった。その数日後地元で射殺されてしまう。
この悲劇をきっかけに「自殺点」という言い方が「オウンゴール」と改められた。
(1/51)
アドルフォ・バレンシア
(1968/2/6〜)
〔FW〕<A>
サンタフェ
バイエルン・ミュンヘン
アトレティコ・マドリード
サンタフェ
アメリカ。デ・カリ
レッジーナ
インデペンディエンテ・メデジン
PAOK
ニューヨーク・メトロスターズ
サンタフェ
ウニオン・マラカイボ
ワールドカップ 94年 98年
(14/37)
ファウスティーノ・アスプリージャ
(1969/11/10〜)
〔FW〕<A>
ティーノ アトレティコ・ナシオナル
パルマ
ニューカッスル・ユナイテッド
パルメイラス
フルミネンセ
アトランテ
ウニベルシダ・デ・チレ
エストゥディアンテス・デ・ラプラタ
ワールドカップ 94年 98年
UEFAカップ 94-95年 98-99年
カップウィナーズカップ 92-93年
スーパーカップ 93年
※トラブルメーカーとして有名。
(20/57)
オスカル・コルドバ
(1970/2/3〜)
〔GK〕<A>
アトレティコ・ナシオナル
デポルティボ・カリ
デポルテス・キンディオ
ミジョナリオス
オンセ・カルダス
アメリカ・デ・カリ
ボカ・フニオルズ
ペルージャ
ベシクタシュ
アンタルヤスポル
デポルティボ・カリ
ミジョナリオス
ワールドカップ 94年 98年
コパ・アメリカ 01年
(0/73)
ファリド・モンドラゴン
(1971/6/21〜)
〔GK〕<A>
El Turco デポルティボ・カリ
レアル・カルタヘナ
サンタフェ
セロ・ポルテージョ
アルヘンチノス・フニオルズ
インデペンディエンテ
サンタフェ
インデペンディエンテ
レアル・サラゴサ
インデペンディエンテ
メス
ガラタサライ
ケルン
フィラデルフィア・ユニオン
デポルティボ・カリ   
ワールドカップ 94年 98年 14年(8)
※ルーツはレバノンである。
42歳11ヶ月にして14年W杯のメンバー入りし、対日本戦で途中出場、最年長記録を塗り替えた。
ビクトル・アリスティサバル
(1971/12/9〜)
〔FW〕<A>
アリスティ アトレティコ・ナシオナル
バレンシア
サンパウロ
サントス
デポルティボ・カリ
ヴィトーリア
クルゼイロ
コリチーバ   
ワールドカップ 94年 98年
コパ・アメリカ 01年
(15/66)
マリオ・ジェペス
(1976/1/13〜)
〔DF〕<A>
コルトゥルア
デポルティボ・カリ
リーベル・プレート
ナント
パリ・サンジェルマン
キエーヴォ・ヴェローナ
ミラン
ワールドカップ 14年
コパ・アメリカ 01年
イバン・コルドバ
(1976/8/11〜)
〔DF〕<S>
ターボ デポルティボ・リオネグロ
アトレティコ・ナシオナル
サン・ロレンソ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
コパ・アメリカ 01年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
※長くインテルで活躍し、公式戦出場数で4位である。
(5/67)

ファビアン・バルガス
(1980/4/14〜)
〔MF〕<A>
アメリカ・デ・カリ
ボカ・フニオルズ
 インテルナシオナル(L)
アルメリア
AEKアテネ
インデペンディエンテ
バルセロナSC
ミジョナリオス
コパ・アメリカ 01年
トヨタカップ 03年
クラブワールドカップ 06年
テオフィロ・グティエレス
(1985/5/17〜)
〔DF〕<A>
バランキージャ
アトレティコ・ジュニオール
トラブゾンスポル
ラシン・クラブ
 ラヌース(L)
アトレティコ・ジュニオール
クルス・アスル
リーベル・プレート
スポルティングCP
 ロサリオ・セントラル(L)
ジュニオール
デポルティーボ・カリ
ワールドカップ 14年(8)
(15/51)
フアン・スニガ
(1985/12/14〜)
〔DF(SB)〕<A>
アトレティコ・ナシオナル
シエナ
ナポリ
 ボローニャ(L)
 ワトフォード(L)
アトレティコ・ナシオナル
ワールドカップ 14年(8)
※14年W杯対ブラジル戦でネイマールを骨折させてしまい、ブラジルの一部ファンから暗殺を計画されるほど怒りを買ってしまった。
(1/62)
アドリアン・ラモス
(1986/1/22〜)
〔FW〕<A>
アメリカ・デ・カリ
 トルハリャノス(L)
インデペンディエンテ・サンタフェ
ヘルタ・ベルリン
ボルシア・ドルトムント
 グラナダ(L)
重慶当代力帆
 グラナダ(L)
アメリカ・デ・カリ
ワールドカップ 14年(8)
(4/35)
ラダメル・ファルカオ
(1986/2/10〜)
〔FW〕<S>
エル・ティグレ
(猛虎)
リーベル・プレート
ポルト
アトレティコ・マドリード
モナコ
 マンチェスター・ユナイテッド(L)
 チェルシー(L)
ガラタサライ
ラーヨ・バジェカーノ
ミジョナリオス
ワールドカップ 18年(16)
ヨーロッパリーグ 10-11年 11-12年
スーパーカップ 12年
※代表最多得点記録保持者
「ファルカオ」はミドルネームで、ロベルト・ファルカンに因んで名づけられた。
2010年代を代表するフォワードのひとりで、14年W杯での活躍が期待されたが、ケガのため出場を断念した。
(36/104)
フレディ・グアリン
(1986/6/30〜)
〔MF〕<A>
エンビカド
ボカ・フニオルズ
サンテティエンヌ
ポルト
インテルナツィオナーレ・ミラノ
上海緑地申花
ヴァスコ・ダ・ガマ
ミジョナリオス
ワールドカップ 14年(8)
ヨーロッパリーグ 10-11年
(4/57)
カルロス・バッカ
(1986/9/8〜)
〔FW〕<A>
ミンエルベン・ボリバル
パランキア
アトレティコ・ジュニオール
クラブ・ブルッヘ
セビージャ
ミラン
ビジャレアル
グラナダ
アトレティコ・ジュニオール
ワールドカップ 14年(8) 18年(16)
(16/52)
ジャクソン・マルティネス
(1986/10/3〜)
〔FW〕<A>
インデペンディエンテ・メデジン
ハグアレス
ポルト
アトレティコ・マドリード
広州恒大淘宝
ポルティモネンセ
ワールドカップ 14年(8)
(9/40)
ハメス・ロドリゲス
(1991/7/12〜)
〔MF〕<A>
バンディット
バムバム
エンビガド
バンフィエルド
ポルト
モナコ
レアル・マドリード
 バイエルン・ミュンヘン(L)
エヴァ―トン
アル・ラ―ヤン
オリンピアコス
サンパウロ
ラーヨ・バジェカーノ
クラブ・レオン
ワールドカップ 14年(8) 18年(16)
チャンピオンズリーグ 15-16年 16-17年
ヨーロッパリーグ 10-11年
クラブワールドカップ 14年 16年
スーパーカップ 14年
※14年W杯得点王。
ボ リ ビ ア 【10人】
  La Verde(The Green One
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
カルロス・ボルハ
(1910/9/19〜)
〔FW〕<B>
クラブ・ボリバル ワールドカップ 30年
(2/14)
ヴィクトル・ウガルテ
(1926/5/5〜1995/3/20)
〔FW〕<B>
クラブ・ボリバル
サン・ロレンソ
オンセ・カルダス
クラブ・ボリバル
ワールドカップ 50年
(16/45)
ビクトル・ウーゴ・アンテロ
(1946/11/2〜)
〔FW〕<B>
Tucho オリエンテ・ペトロレロ
レアル・サンンタクルス
クラブ・ブルーミング
フジタ工業
クラブ・ボリバル
クラブ・ザ・ストロンゲスト
※ボリビアリーグ最多得点記録保持者だが、代表キャップ数は11と少ない。
(2/11)
カルロス・ボルハ
(1960/12/25〜)
〔MF〕<B>
クラブ・ボリバル ワールドカップ 94年
※引退後は政治家となった。
(1/88)
エルウィン・サンチェス
(1969/10/19〜)
〔MF〕<A>
ボリビアのプラティニ クラブ・デストロイヤー
クラブ・ボリバル
ベンフィカ
 エストリル=プライア(L)
ボアビスタ
ベンフィカ
ボアビスタ
オリエンテ・ペトロレロ
ワールドカップ 94年
※W杯でボリビア唯一の得点を挙げた選手。
U-16代表時代に石川康とチームメートだった。
(15/57)
マルコ・エチェベリ
(1970/9/26〜)
〔MF〕<B>
エル・ディアブロ
(悪魔)
クラブ・デストロイヤー
クラブ・ボリバル
アルバセテ
コロコロ
アメリカ・デ・カリ
D.C.ユナイテッド
バルセロナSC
ワールドカップ 94年
※94年W杯対ドイツ戦で後半から出場したが、マテウスへのファウルで一発退場となり、出場わずか数分で大会から去った。
(13/71)
フリオ・セサール・バルディビエソ
(1971/12/2〜)
〔MF〕<B>
クラブ・ホルヘ・ウィルステルマン
クラブ・ボリバル
ニューウェルズ・オールドボーイズ
横浜マリノス
バルセロナSC
アル・ナスル
クラブ・アウロラ
アル・ワクラ
カラカス
デポルティボ・ケベド
クラブ・ザ・ストロンゲスト
ワールドカップ 94年
※中村俊輔初のハットトリックのうち2得点のアシストをした。
アウロラの監督時代、12歳の息子をデビューさせ、大議論を呼んだ。
(15/85)
フアン・マヌエル・ペーニャ
(1973/1/17〜)
〔DF〕<B>
レアル・バリャドリード
ビジャレアル
セルタ・デ・ビーゴ
D.C.ユナイテッド
ワールドカップ 94年
(1/85)
ホアキン・ボテロ
(1977/12/10〜)
〔FW〕<B>
マリスカル・ブラウン
デポルティボ・ムニシパル
クラブ・ボリバル
プーマス
サン・ロレンソ・デ・アルマグロ
デポルティボ・タチラ
クラブ・ボリバル
コレカミノスUAT
 アル・アラビ(L)
サン・ホセ
スポルト・ボーイズ・ワルネス
※代表最多得点記録保持者。
(20/48)
ロナルド・ラルデス
(1981/4/20〜)
〔DF〕<B>
デストロイヤーズ
オリエンテ・ペトロレロ
ロサリオ・セントラル
アル・ヒラル
クルス・アスル
マッカビ・テルアビブ
コロン
オリエンテ・ペトロレロ
クラブ・ボリバル
※代表最多出場記録保持者。
エクアドル 【10人】
  La Tri(Tri-color) 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
カルロス・アルベルト・ラフォ
(1926/4/10〜2013/9/18)
〔FW〕<B>
プラセンテ
アルヘンティナ・デ・キト
エメレク
エベレスト
※63年コパ・アメリカ得点王
(10/13)
アルベルト・スペンサー
(1937/12/6〜2006/11/3)
〔FW〕<S>
ロメリト エベレスト・グアキヤル
ペニャロール

バルセロナSC
コパ・リベルタドーレス 60年 61年 66年
※エクアドル史上最高の選手で、60年代の南米を代表するストライカー。コパ・リベルタドーレスの最多得点記録保持者。
(4/11)
(2/6)ウルグアイ【56】
ホアン・カルロス・サンチェス
(1956/9/1〜)
〔FW〕<B>
グアビラ
クラブ・ブルーミング

ホルヘ・ウィステルマン
リトラル
サン・ホセ
(1/5)
アレックス・アギナガ
(1968/7/9〜)
〔MF〕<B>
ゲーロ(金髪) デポルティボ・キト
クラブ・ネカクサ
クルス・アスル
LDUキト
ワールドカップ 02年
(23/109)
ホセ・セバージョス
(1971/4/17〜)
〔GK〕<B>
モリネーラ
バルセロナSC
 オンセ・カルダス(L)
デポルティボ・アソゲス
LDUキト
ワールドカップ 02年
※スポーツ担当大臣に選ばれた。
(0/89)
ウリセス・デ・ラ・クルス
(1974/2/8〜)
〔DF(SB)〕<B>
デポルティボ・キト
バルセロナSC
クルゼイロ
アウカス
LDUキト
ハイバーニアン
アストン・ヴィラ
レディング
バーミンガム・シティ
ワールドカップ 02年 06年(16)
(6/98)
イバン・ウルタード
(1974/8/16〜)
〔DF〕<A>
エメレク
アトレティコ・セラヤ
ティグレス
バルセロナSC
レアル・ムルシア
パチューカ
アル・アラビ
アトレティコ・ナシオナル
ミジョナリオス
デポルティボ・キト
ワールドカップ 02年 06年(16)
※代表最多出場記録保持者。
アグスティン・デルガド
(1974/12/23〜)
〔FW〕<A>
TIN エスポリ
バルセロナSC
エル・ナシオナル
クルス・アスル
クラブ・ネカクサ
サウサンプトン
アウカス
プーマス
LDUキト
ワールドカップ 02年 06年(16)
※代表最多得点記録保持者。
(31/71)
エディソン・メンデス
(1979/3/16〜)
〔MF〕<A>
デポルティボ・キト
エル・ナシオナル
サントス・ラグナ
LDUキト
PSV
アトレチコ・ミネイロ
エメレク
LDUキト
インデペンディエンテ・サンタフェ
エル・ナシオナル
ワールドカップ 02年 06年(16) 14年
(18/111)
アントニオ・バレンシア
(1985/8/4〜)
〔MF〕<A>
エル・ナシオナル
ビジャレアル
 レクレアティーボ・ウェルバ(L)
ウィガン・アスレティック
マンチェスター・ユナイテッド
LDUキト
ケレタロ
ワールドカップ 06年 14年
※2012年にはマンチェスターU.の7番をつけた。
(11/99)
ベネズエラ 【5人】
  La Vinotinto(The Burgundy) 
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕
異名・愛称 所属クラブ 主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ)
ホセ・マヌエル・レイ
(1975/5/20〜)
〔DF〕<B>
カラカス
エメリク
アトレティコ・ナシオナル
ポンテペドラ
コロコロ
デポルティボ・ララ
※アランゴに抜かれるまで、代表最多出場記録保持者だった。
(11/110)
フアン・アランゴ
(1980/5/16〜)
〔FW/MF〕<B>
アランゴル カラカス
モンテレイ
パチューカ
ブエブラ
マヨルカ
ボルシア・メンヘングラートバッハ
クラブ・ティフアナ
ニューヨーク・コスモス
※代表最多出場記録保持者。ロンドンに抜かれるまで、代表最多出場記録保持者だった。
マヨルカ時代の大久保のチームメイト。
(24/130)
ヒアンカルロ・マルドナード
(1982/6/29〜)
〔FW〕<B>
リーベル・プレート(ウルグアイ)
ナシオナル・タチラ
ミネロス
マラカイボ
オヒギンス
アトレンテ
アトラス
ミネロス
デポルティボ・タチラ
エストゥディアンテス・デ・メリダ
デポルティボ・タチラ
アトランテ
レアル・エスパーニャ
アトレティコ・ベネズエラ
デポルティボ・タチラ
オアハカ
クラブ・サンノゼ
アトランテ
デポルティボ・タチラ
アカデミア・プエルト・カベロ
(22/65)
フェルナンド・アモレビエタ
(1985/3/21〜)
〔DF〕<B>
La Grulla(鶴) アトレティック・クラブ
フラム
 ミドルズブラ(L)
スポルティング・ヒホン
インデペンディエンテ
セロ・ポルテーニョ
※両親がバスク州出身のベネズエラ人である。
スペインU-19代表の経験があるが、A代表はベネズエラを選択した。
(1/15)
ホセ・サロモン・ロンドン
(1989/9/16〜)
〔FW〕<B>
アラグア
ラス・パルマス
マラガ
ゼニト・サンクトペテルブルク
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
 ニューカッスル・ユナイテッド(L)
大連一方
 CSKAモスクワ(L)
エヴァ―トン
リーベル・プレート
パチューカ
※代表最多得点記録保持者。