ブ ラ ジ ル 【168人】 |
 |
Os Canarinhos /(The Selection) |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
シャーレス・ミレール
(チャールズ・ミラー)
(1874/11/24〜1953/6/30)
〔FW〕<A> |
− |
セント・メリー
サンパウロAC |
※出身はスコットランドである。
ブラジルにサッカーを伝えたとされる人物。
サンパウロ州選手権初代得点王。
(0/1) |
ルベンス・サレス
(1891/10/14〜1934/7/21)
〔MF〕<A>  |
− |
パウリスターノ |
※初代代表監督。
(1/1) |
ピンダロ・カルバーリョ・ロドリゲス
(1892/6/1〜1965/8/30)
〔MF〕<A>  |
− |
フルミネンセ
フラメンゴ |
南米選手権 19年
※30年W杯時の代表監督。
(?/8) |
アルツール・フリーデンライヒ
(1892/7/18〜1969/9/6)
〔FW〕<S> |
チグリ(虎) |
ジェルマーニア
イピランガ ジェルマーニア
マッケンジー イピランガ
パウリスターノ
イピランガ
フラメンゴ
パウリスターノ
サントス
サンパウロ
サントス
フラメンゴ |
南米選手権 19年 22年
※サッカー史上最多の生涯通算1329ゴールを挙げた伝説的ストライカーで、生涯最多得点者としてギネスブックに掲載されている。
ムラートであり、ドイツ人の父とアフリカ系ブラジル人の母を持つ。そのため激しい差別を受け、キャリアのほとんどを無報酬でプレーしていた。またルーツを隠すため、頭髪をポマードで固め、ネットキャップを被ってプレーしていたともいわれる。
白人以外初めて代表に選ばれた選手で、ブラジルの南米選手権初優勝に貢献した。
(10/23)【54】
 |
アルミカル・バルバイ
(1893/4/29〜1965/8/24)
〔MF〕<A>  |
− |
コリンチャンス・パウリスタ
パレストラ・イタリア
ラツィオ |
南米選手権 19年 22年
(5/19) |
マルコス・カルネイロ・メンドーサ
(1894/12/25〜1988/10/19)
〔GK〕<A> |
− |
アメリカ
フルミネンセ |
南米選手権 19年 22年
(0/19) |
ネッコ
マヌエル・ヌネス
(1895/3/5〜1977/5/31)
〔FW〕<A> |
ネッコ |
コリンチャンス・パウリスタ
マッケンジー・カレッジ |
南米選手権 19年 22年
(8/15) |
フェイチソ 
ルイス・マトス
(1901/12/29〜1985/8/23)
〔FW〕<A> |
フェイチソ |
サンベント
サントス
コリンチャンス・パウリスタ
ぺニャロール
ヴァスコ・ダ・ガマ
パルメイラス |
(6/4)
(?/6)ウルグアイ |
ニーロ・ムルチーニョ・ブラガ
(1903/4/3〜1975/2/7)
〔FW〕<A> |
ニーロ |
フルミネンセ
ボタフォゴ |
ワールドカップ 30年
(11/19) |
アラケン・パツスカ
(1905/7/17〜1990/1/24)
〔FW〕<A> |
アラケン |
サントス
サンパウロ
インデペンディエンテ サントス
サンパウロ |
ワールドカップ 30年
(0/1) |
ドミンゴス・ダ・ギア
(1905/7/17〜1990/1/24)
〔DF〕<A> |
− |
バングー・アトレティコ・クルーベ
クラブ・ナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
ボカ・フニオルズ
フラメンゴ
コリンチャンス・パウリスタ バングー・アトレティコ・クルーベ |
ワールドカップ 38年(3)
(0/30) |
ジョアン・コエーリョ・ネト
(1905/2/8〜1971/10/1)
〔FW〕<A> |
プレギーニョ |
フルミネンセ |
ワールドカップ 30年
※ブラジルのW杯初得点をあげた選手。
父は著名な作家である。
(9/5) |
アンフィロジーノ・グアリージ 
(1905/12/26〜1974/7/8)
〔FW〕<S> |
フィロー |
ポルトゲーザ・デスポルトス
パウリスターナ
コリンチャンス・パウリスタ
ラツィオ |
ワールドカップ 34年(優)<イタリア>
※後にイタリア代表となったため、W杯を初めて手にしたブラジル人選手。
(2/4)
(1/6)イタリア
 |
ロドウフォ・バルテツコ
(1910/11/12〜1988/3/13)
〔FW〕<A> |
パテスコ |
パレストラ・イタリア
ナシオナル
ボタフォゴ
アトレチコ・ミネイロ
フルミネンセ
ボタフォゴ |
ワールドカップ 34年 38年(3)
(11/34) |
ロメウ
(1911/3/26〜1971/7/15)
〔FW〕<A> |
− |
パレストラ・イタリア
フルミネンセ
コリンチャンス・パウリスタ |
ワールドカップ 38年(3)
(3/13) |
カルバーリョ・レイテ
(1912/6/25〜2004/7/19)
〔FW〕<A> |
− |
ボタフォゴ |
ワールドカップ 30年 34年
(15/25) |
ヴァウデマール・デ・ブリト
(1913/5/17〜1979/2/21)
〔FW〕<A> |
− |
サンパウロ
ボタフォゴ
サン・ロレンソ
フラメンゴ
サン・ロレンソ
サンパウロ
フルミネンセ
ポルトゲーザ・デスポルトス
パルメイラス
アトレティコ・ポルトゲーザ |
ワールドカップ 34年
(18/18) |
レオニーダス・ダ・シルバ
(1913/9/6〜2004/1/24)
〔FW〕<S> |
黒いダイヤモンド
ゴム人間 |
ぺニャロール
ヴァスコ・ダ・ガマ
サンパウロ |
ワールドカップ 34年 38年(3)
※オーバーヘッドキックの発案者とされる。驚異的な運動能力の持ち主で「ゴム人間」と呼ばれた。
ブラジル初の純粋な黒人選手。
(21/19)
 |
テレコ
ウリエル・フェルナンデス
(1913/11/12〜2000/7/22)
〔FW〕<A> |
テレコ |
コリンチャンス・パウリスタ |
(?/?) |
エレーノ・デ・フレイタス
(1920/2/12〜1959/11/8)
〔FW〕<A> |
− |
ボタフォゴ
ボカ・フニオルズ
ヴァスコ・ダ・ガマ
アトレティコ・フニオール
アメリカ |
(19/18) |
アウグスト・ダ・コスタ
(1920/10/22〜2004/3/1)
〔DF〕<A> |
− |
サンクリストヴァン
ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 50年(準) 南米選手権 49年
(1/20) |
シッコ
フランシスコ・アランブル
(1921/1/7〜1997/1/10)
〔FW〕<A> |
シッコ |
フェロカリル
グレミオ
ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 50年(準)
(6/10) |
モアシール・バルボーサ
(1921/3/27〜2000/4/7)
〔GK〕<A> |
− |
ヴァスコ・ダ・ガマ
ボンスセッソ(L)
サンタクルス
ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 50年(準) 南米選手権 49年
(0/17) |
ジジーニョ
トマス・ソアレス・ダ・シウヴァ
(1921/9/14〜2002/2/8)
〔FW〕<S> |
ジジーニョ
メストレ・ジーザ |
フラメンゴ
バングー
サンパウロ
ウベラバ
アウダクス・イタリアーノ |
ワールドカップ 50年(準)
南米選手権 49年
※少年時代のペレのアイドル。
(30/53)【47】
 |
クラウジオ
(1922/6/18〜2000/5/1)
〔MF〕<A> |
マネージャー |
サントス
パルメイラス
サントス
コリンチャンス
サンパウロ |
(5/12) |
アデミール・マルケス
(1922/11/8〜1996/5/11)
〔FW〕<S> |
魔法の砲兵
ケイシャダ(顎) |
スポルチ・レシフェ
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 50年(準)
南米選手権 49年
※しゃくれていたため、ケイシャダ(顎)といわれていた。
(32/39)
 |
ジョゼ・カルロス・バウエル
(1925/11/21〜2007/2/4)
〔MF〕<S> |
マラカナンの巨人 |
サンパウロ
ボタフォゴ ポルトゲーザ・デスポルトス |
ワールドカップ 50年(準) 54年(8)
※モザンビーク遠征中に、エウゼビオを発見した。
(?/29) |
バルタザール
オズワルド・ダ・シルバ
(1926/1/14〜1997/3/25)
〔FW〕<A> |
バルタザール |
ジャバクアラ
コリンチャンス・パウリスタ
ユヴェントス
ジャバクアラ |
ワールドカップ 50年(準) 54年(8)
(17/31) |
ニウトン・サントス
(1927/5/16〜2013/11/27)
〔DF(SB)〕<S> |
エンサイクロペディア |
フェレチェイレス
ボタフォゴ |
ワールドカップ 50年(準) 54年(8) 58年(優) 62年(優)
※ボタフォゴの入団テストを受けにきたガリンシャのプレーに驚嘆し、自分が対戦相手としてマッチアップしたくないという理由で、すぐに入団させるようクラブに進言したとされる。
(3/75)
 |
カルロス・ジョゼ・カスチーリョ
(1927/11/27〜1987/2/2)
〔GK〕<S> |
Leiteria
セント・カスチーリョ |
フルミネンセ |
ワールドカップ 50年(準) 54年(8) 58年(優) 62年(優)
(0/29) |
ジャウマ・サントス
(1929/6/19〜2013/7/23)
〔DF(SB)〕<S> |
− |
ポルトゲーザ・デスポルトス
パルメイラス
アトレチコ・パラナエンセ |
ワールドカップ 54年(8) 58年(優) 62年(優)
※非公式戦を含めると、ブラジル代表で初めてキャップ数100を達成した選手。
(3/98)
 |
ジュリーニョ
ジュリオ・ボテーリョ
(1929/7/29〜2003/1/10)
〔FW(WG)〕<S> |
ジュリーニョ |
ジュベントス
ポルトゲーザ・デスポルトス
フルミネンセ(L) ポルトゲーザ・デスポルトス
フィオレンティーナ パルメイラス |
ワールドカップ 54年(8)
※50年代を代表する世界的ウィンガー。イタリアでも活躍した。
(13/27) |
ジジ
ヴァルディール・ペレイラ
(1929/8/19〜2001/5/12)
〔MF〕<SS> |
ジジ |
フルミネンセ
ボタフォゴ
レアル・マドリード
ボタフォゴ
スポルティング・クリスタル ボタフォゴ
サンパウロ
ボタフォゴ
ベラクルス
サンパウロ |
ワールドカップ 54年(8) 58年(優) 62年(優)
※黄金期のレアル・マドリードにも在籍し活躍したが、ディ・ステファノらと折り合いが悪く、1年でボタフォゴに復帰した。
(20/68)【19】
 |
ジノ・サニ
(1930/5/23〜)
〔MF〕<S> |
− |
パルメイラス
キンゼ・デ・ジャウー
コメルシアウ
サンパウロ
ボカ・フニオルズ
ミラン
コリンチャンス・パウリスタ |
ワールドカップ 58年(優)
チャンピオンズカップ 62-63年
(1/15) |
イウデラウド・ベリーニ
(1930/6/7〜2014/3/20)
〔DF〕<S> |
− |
ヴァスコ・ダ・ガマ
サンパウロ
アトレチコ・パラナエンセ |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
※58年ブラジルW杯初優勝時のキャプテン。
(8/14) |
ジウマール
(1930/8/22〜2013/8/25)
〔GK〕<S> |
− |
コリンチャンス・パウリスタ
サントス |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(0/94)[11]
 |
マウロ
(1930/8/30〜2002/9/18)
〔DF〕<S> |
− |
サンパウロ
サントス
デポルティボ・トルーカ |
ワールドカップ 54年(8) 58年(優) 62年(優) 南米選手権 49年
コパ・リベルタドーレス 62年 63年 インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(0/30) |
テレ・サンターナ
(1931/6/26〜2006/4/21)
〔FW(WG)〕<A>    |
− |
フルミネンセ
グアラニ ヴァスコ・ダ・ガマ |
※82年W杯代表監督。ジーコら「黄金のカルテット」を率いた。
ブラジルの異なる4つの州選手権を制したことがある名将。
(0/3)
 |
マリオ・ザガロ
(1931/8/9〜2024/1/5)
〔FW〕<S>    |
− |
フラメンゴ
ボタフォゴ |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
※W杯を選手、監督として制した初めての人物。
ブラジル代表の監督・コーチとして臨んだ試合は110勝33引き分けで敗戦はわずか11しかない。
ブラジルでは「教授」と呼ばれ慕われている。
(5/36)
 |
ゾジモ
(1932/6/19〜1977/7/17)
〔DF〕<A> |
− |
バングー
フラメンゴ
ポルトゲーザ・デスポルトス
エスポルチーヴァ・グアラチングエタ
スポルト・ボーイズ
|
ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
※45歳で交通事故死した。
(1/35) |
ジト
ジョゼ・エリ・デ・ミランダ
(1932/8/18〜2015/6/14)
〔MF〕<S> |
− |
サントス |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(3/46) |
カスティーリョ
(1932/11/27〜1987/2/2)
〔GK〕<A> |
− |
オラリア
フルミネンセ |
ワールドカップ 50年(準) 54年(8) 58年(優) 62年(優)
(0/29) |
エヴァリスト・デ・マセド
(1933/6/22〜)
〔FW〕<S> |
− |
フラメンゴ
バルセロナ
レアル・マドリード |
インターシティーズフェアーズカップ 55-58年
※50年代にバルセロナで活躍したストライカー。
早くに欧州に渡ったため代表での出場機会は多くないが、一試合最多得点記録(5得点)を持つ。
(8/14) |
クァレンチニャ
ヴァウディール・カルドソ・ロブレゴ
(1933/9/15〜1996/2/11)
〔FW〕<A> |
クァレンチニャ |
パイサンドゥ
ヴィトーリア
ボタフォゴ
ボンスセッソ
ボタフォゴ
アメリカ・デ・カリ
Union Magdalena
デポルティボ・カリ
アトレティコ・フニオール |
(13/14) |
ガリンシャ
マヌエル・フランシスコ・ドス・サントス
(1933/10/28〜1983/1/20)
〔FW〕<SS> |
ガリンシャ
(ミソサザイ)
魔法の小鳥
脚の曲がった天使 |
ボタフォゴ
コリンチャンス・パウリスタ
ポルトゲーザ・デスポルトス
アトレティコ・フニオール
フラメンゴ
オラリア |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年
※サッカー史上最高のウィンガーのひとりであり、同時代のペレと並びブラジル史上最高の選手といわれる。ペレと出場した代表の試合では負けたことがない。
小児麻痺の後遺症で軽度の知的障害があり、脚は歪曲し長さが6cm違っていた。
(12/50)【8】
 |
ウンベルト・トージ
(1934/2/4〜1980/4/17)
〔FW〕<A> |
− |
パルメイラス
ラツィオ
フルミネンセ |
ワールドカップ 54年(8)
(1/7) |
ジーダ
エジヴァウド・アウヴェス・デ・サンタ・ローザ
(1934/3/26〜2002/9/17)
〔FW〕<A> |
− |
ACSA
フラメンゴ
ポルトゲーザ・デスポルトス
アトレティコ・フニオール |
ワールドカップ 58年(優)
※少年時代のジーコのアイドル。
ジーコが最初に発した言葉のひとつが「ジーダ」だったという。
(5/8) |
ヴァヴァ
エジバウド・イジディオ・ネト
(1934/11/12〜2002/1/19)
〔MF〕<S> |
ヴァヴァ |
ヴァスコ・ダ・ガマ
アトレティコ・マドリード
パルメイラス
クラブ・アメリカ
エルチェ クラブ・アメリカ
トロス・ネサ
サンディエゴ・トロス
ポルトゲーザ・デスポルトス |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
(14/22)
 |
ぺぺ
ジョゼ・マシア
(1935/2/25〜)
〔FW〕<S> |
ペペ
ヴィラの大砲 |
サントス |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優)
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
※ペレらとともにサントスの黄金期に活躍したフォワード。
元読売ヴェルディ監督。
(22/31) |
オルランド
(1935/9/20〜2010/2/10)
〔DF〕<S> |
− |
ヴァスコ・ダ・ガマ
ボカ・フニオルズ
サントス
ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 58年(優) 66年
(?/?) |
ジョゼ・アルタフィーニ 
(1938/7/24〜)
〔FW〕<S> |
マッゾーラ |
パルメイラス
ミラン 
ナポリ
ユヴェントス
キアッソ
メンドリジョ・スター |
ワールドカップ 58年(優) 62年<イタリア>
チャンピオンズカップ 62-63年
※セリエAにおいて通算得点3位の記録を持つ。
ミラン在籍時にはイタリア初のチャンピオンズカップ獲得に貢献した。「マッゾーラ」の愛称は、V・マッツォーラに因む。
(4/8)
(5/6)イタリア
 |
ブリト
(1939/8/9〜)
〔DF〕<A> |
− |
ヴァスコ・ダ・ガマ
インテルナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
フラメンゴ
クルゼイロ
ボタフォゴ
コリンチャンス・パウリスタ
アトレチコ・パラナエンセ
デポルティボ・ガリシア
デモクラタ |
ワールドカップ 66年 70年(優)
(1/45) |
ジャイール
(1940/7/9〜)
〔FW(WG)〕<A> |
− |
ポルトゲーザ・デスポルトス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ローマ
サントス |
ワールドカップ 62年(優)
チャンピオンズカップ 63-64年 64-65年
インターコンチネンタルカップ 64年 65年
※60年代、グランデ・インテルで活躍したウィンガ−。
(0/1) |
アマリウド
タバレス・デ・シウベイラ・ジュニオール
(1940/7/29〜)
〔FW〕<S> |
− |
フルミネンセ
ボタフォゴ
ミラン
フィオレンティーナ
ローマ
ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 62年(優)
(7/23) |
ペレ
エドソン・アランチェス・ド・ナシメント
(1940/10/23〜2022/12/29)
〔FW/MF〕<SSS>  |
ペレ
王様 |
サントス
ニューヨーク・コスモス |
ワールドカップ 58年(優) 62年(優) 66年 70年(優)
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
※「サッカーの王様」と呼ばれる史上最高の選手(のひとり)。
元代表最多得点記録保持者。
発明王エジソンに因んで名づけられたが、「Edson」と誤標記されている。愛称である「ペレ」の由来は、当時父親が所属していたクラブのゴールキーパー「ビレ」のファンであったため。しかし少年時代本人はペレと呼ばれることを好まなかった。
58年W杯で10番をつけ、以後「No.10」はサッカーのエースナンバーとして定着したが、当時チーム内の抽選で偶然割り当てられたに過ぎなかった。1000得点目は自ら得たPKで決めた。
ブラジル初の黒人閣僚(スポーツ大臣)を務めた。
息子もサッカー選手(GK)だったが、麻薬密売容疑で逮捕、収監された。
W杯優勝予想がことごとく外れるだけでなく、その国は期待はずれに終わることで有名。
マラドーナとは選手として互いに認め合っているが、事あるごとに批判合戦を繰り広げる。
2011年、サントスがクラブW杯に出場する際、ペレ復帰案が検討され話題となった。
2014年、30歳以上年の離れた日系人女性と再婚した。
(77/92)【1】
 |
ジェルソン
(1941/1/11〜)
〔MF〕<S> |
バロット(オウム) |
フラメンゴ
ボタフォゴ
サンパウロ
フルミネンセ |
ワールドカップ 66年 70年(優)
※FIFA100に自分が選ばれなかったことに腹を立て、選考をしたペレを猛然と批判したことがある。
(14/70)
 |
アデミール・ダ・ギア
(1942/4/3〜)
〔MF〕<S> |
− |
バングー
パルメイラス |
ワールドカップ 74年(3)
※黄金期のパルメイラスで活躍した司令塔。
父はアデミール・マルケス。
(0/9) |
コウチーニョ
アントニオ・ウィルソン・オノリオ
(1943/6/11〜2019/3/11)
〔FW〕<S> |
− |
サントス
ヴィトーリア
ポルトゲーザ・デスポルトス サントス
アトラス
バングー |
ワールドカップ 62年(優)
コパ・リベルタドーレス 62年 63年
インターコンチネンタルカップ 62年 63年
(6/15) |
カルロス・アウベルト・トーレス
(1944/7/17〜2016/10/25)
〔DF〕<S> |
− |
フルミネンセ
サントス
ボタフォゴ サントス
フルミネンセ
フラメンゴ
ニューヨーク・コスモス
カリフォルニア・サーフ ニューヨーク・コスモス |
ワールドカップ 66年 70年(優)
※攻撃的サイドバックの草分け的存在。
元名古屋グランパスのトーレスの父。
(8/53)
 |
ジャイルジーニョ
ジャイール・ヴェントゥーラ・フィリヨ
(1944/11/25〜)
〔FW〕<S> |
ジャイルジーニョ |
ボタフォゴ
オリンピック・マルセイユ
クルゼイロ
ポルトゲーザ(ベネズエラ)
ノロエスチ
ナシオナウ・マナウス
クラブ・ホルヘ・ウィルステルマン
ボタフォゴ
|
ワールドカップ 66年 70年(優) 74年(4)
コパ・リベルタドーレス 76年
※W杯史上唯一初戦から決勝戦まで全試合で得点した選手。
(33/81)
 |
セルジオ越後
(1945/7/28〜)
〔MF/FW〕<B> |
セル爺 |
コリンチャンス・パウリスタ
トレス・ポンターノ
ブラガンチーノ
パウリスタ
藤和不動産 |
※「エラシコ」をリベリーノに教えたとされる。
日系人として初めてブラジル代表候補に挙がったこともあるが、23歳で一度引退、悩んだ末1972年に来日した。
JSL初の元プロ選手であり、そのデビュー戦には2万人の観客が集まった。
引退後はさわやかサッカー教室を開催し、全国を飛び回って少年少女を直接指導、その数50万人以上とされる。
度々日本サッカー界に対して辛口の苦言を呈するが、代表愛は人一倍で、アジアカップを制した際には中継も忘れ大声で喜びを爆発させた。
2006年、日光アイスバックスぼSDに就任。
(0/0) |
ロベルト・リベリーノ
(1946/1/1〜)
〔MF/FW〕<SS> |
リーバ |
コリンチャンス・パウリスタ
フルミネンセ
アル・ヒラル |
ワールドカップ 70年(優) 74年(4)
※ペレ引退後のセレソンの10番。
元清水エスパルス監督。
セルジオ越後とはコリンチャンス時代の同僚であり、彼が得意とした「エラシコ」はセルジオから教わったフェイントである。
(43/122)
 |
ダリオ・ホセ・ドス・サントス
(1946/3/4〜)
〔FW〕<A> |
ダリオ
ダダ・マラヴィーリャ |
アトレチコ・ミネイロ 
フラメンゴ
アトレチコ・ミネイロ
スポルチ・レシフェ
インテルナシオナル
ポンチ・プレッタ
アトレチコ・ミネイロ
パイサンドゥ
ナウチコ
サンタクルス
バイーア
ゴイアス
コリチーバ
リオ・ネグロ
ナシオナウ |
ワールドカップ 70年(優)
※ブラジル全国選手権で3度得点王になった。
(0/7) |
アレシャンドレ・カネコ
(1946/6/10〜)
〔MF〕<A> |
− |
サントス
べレス・サルスフィエルド |
※60年代サントスでペレらとともに活躍した日系選手。
フェイントの技である「ランプレッタ」を考案したとされる。
(0/0) |
トスタン
エドアルド・ゴンサウベス・ジ・アンドラーデ
(1947/1/25〜)
〔FW〕<S>  |
トスタン
(小さな硬貨)
白いペレ |
アメリカ・ミネイロ
クルゼイロ
ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 66年 70年(優)
※網膜はく離の影響で26歳で現役を引退した。
引退後は内科医をしていたことがある。
(35/65)【58】
 |
カビーニョ
エヴァニヴァルド・カストロ
(1948/4/28〜)
〔FW〕<A> |
カビーニョ |
アメリカ フラメンゴ
ポルトゲーザ・デスポルトス
アトレチコ・ミネイロ
ポルトゲーザ・デスポルトス
プーマス   
アトランテ  
クラブ・レオン
パイサンドゥ
UANLティグレス
|
※メキシコで活躍した。
(0/0) |
ルイス・フェリペ・スコラーリ
(1948/11/9〜)
〔DF〕<B>   |
フェリポン |
カシアス・ド・スル
ジュベントゥージ
ノヴォ・アンブルゴ
CSA |
※選手として目立った実績はないものの、監督として02年W杯でブラジルを優勝に導いた。その後、ポルトガル代表監督としてW杯4位の成績を収めた。
14年W杯では自国優勝を目指したが、準決勝でドイツに1-7と惨敗、4位に終わった。 元ジュビロ磐田監督。
(0/0) |
ルイス・ペレイラ
(1949/6/21〜)
〔DF〕<A> |
− |
サン・ベント
パルメイラス
アトレティコ・マドリード
フラメンゴ
パルメイラス
ポルトゲーザ・デスポルトス コリンチャンス・パウリスタ |
ワールドカップ 74年(4)
※欧州で成功した初のブラジル人ディフェンダーとされる。
(1/38) |
エメルソン・レオン
(1949/7/11〜)
〔GK〕<A>  |
− |
サンジョゼ
パルメイラス
ヴァスコ・ダ・ガマ
グレミオ
コリンチャンス・パウリスタ
パルメイラス
スポルチ・レシフェ |
ワールドカップ 70年(優) 74年(4) 78年(3) 86年(8)
※清水エスパルス、ヴェルディ川崎の元監督。
「レオンは悪魔から生まれた」といわれるほど、ブラジルサッカー界において相当嫌われている。ラモスともそりが合わなかった。
(0/106) |
エドゥ
ヨナス・エドアルド・アメリコ
(1949/8/6〜)
〔FW〕<A> |
エドゥ |
サントス
コリンチャンス・パウリスタ
インテルナシオナル
UANLティグレス
タンパベイ・ローディス
サンクリストヴァン
ナシオナウ
ドン・ヴァスコ |
ワールドカップ 66年 70年(優) 74年(4)
(12/50) |
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ
(1952/5/10〜)
〔DF〕<B>   |
− |
フラメンゴ
インテルナシオナル
ボタフォゴ |
※監督として輝かしい実績をもつが、メディアからしばしば批判される行動が多い。
(0/0) |
ディルセウ
(1952/6/15〜)
〔MF〕<A> |
− |
クリチーバ
ボタフォゴ
フルミネセ
ヴァスコ・ダ・ガマ
クラブ・アメリカ
アトレティコ・マドリード
エラス・ヴェローナ
ナポリ
アスコリ
コモ
アヴェリーノ
ヴァスコ・ダ・ガマ
マイアミ・シャークス
バングー
エボリターナ
|
ワールドカップ 74年(4) 78年(3) 82年
(7/44) |
ジーコ
アルトゥール・アントネス・コインブラ
(1953/3/3〜)
〔MF〕<SS>    |
ジーコ
白いペレ
ガーロ
マラカナンの英雄 |
フラメンゴ  
ウディネーゼ フラメンゴ
住友金属工業
鹿島アントラーズ |
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
コパ・リベルタドーレス 81年
トヨタカップ 81年
※元日本代表監督。
日本ではしばしば「神様」とも呼ばれ、各国の多くのトップ選手が憧れる名選手。しかし、欧州のビッグクラブに在籍した経験がない(インテルへの移籍が破談になったことがある)。
トヨタカップMVPの副賞のトヨタセリカを「大統領に電話するから」といって持ち帰リ(当時ブラジルは自動車の輸入を禁止していた)、以来長年にわたって愛用していた。
日本を第2の故郷と呼ぶほど親日家だが、きつねうどんが嫌い。長男の妻は日系人である。
(52/72)【14】
 |
ロベルト・ファルカン
(1953/10/16〜)
〔MF〕<S>  |
ローマの鷹
L'ottavo re di Roma
(第8代ローマ王) |
インテルナシオナル
ローマ
サンパウロ |
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
※元日本代表監督。
82年W杯では、ジーコらと黄金のカルテットを形成した。
ローマの41年ぶりのスクデット獲得に貢献し「第8代目のローマ王」といわれた。
知性的で監督としても間違いなく成功するといわれていたが、実際はあまりパッとしない。
(9/36)
|
ソクラテス
(1954/2/19〜2011/12/4)
〔MF〕<S>  |
ドトール(医者) |
ボタフォゴ
コリンチャンス・パウリスタ
フィオレンティーナ
フラメンゴ
サントス
ボタフォゴ
ガーフォース・タウン |
ワールドカップ 82年 86年(8)
※82年W杯では、ジーコらと黄金のカルテットを形成した。
現役時代はリストバンドがトレードマークだった。
医者であるにもかかわらず、かなりの酒飲みで、愛煙家でもあった。
弟は元代表のライー。
(22/60)
 |
ロベルト・ディナミッチ
カルロス・ロベルト・デ・オリベイラ
(1954/3/13〜)
〔FW〕<A> |
ロベルト・ディナミッチ |
ヴァスコ・ダ・ガマ
バルセロナ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ポルトゲーザ・デスポルトス ヴァスコ・ダ・ガマ
カンポ・グランデ ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 78年(3) 82年
※ブラジル全国選手権の最多得点記録保持者。
ヴァスコ・ダ・ガマ会長。
(26/47) |
ジョルジ・メンドンサ
(1954/6/6〜2006/2/17)
〔FW〕<A> |
− |
バングー
ナウチコ パルメイラス
ヴァスコ・ダ・ガマ
グアラニ
ポンチ・プレッタ
クルゼイロ
リオ・ブランコ
コロラドPR
ポンチ・プレッタ
パウリスタ |
ワールドカップ 78年(3)
※ジーコにも引けを取らない才能の持ち主といわれたが、サンターナ監督に楯突き、自ら代表での活躍を奪った。
(0/6) |
オスカー・ベルナルディ
(1954/6/20〜)
〔DF〕<S> |
カピタン |
ポンチ・ブレッタ
ニューヨーク・コスモス
サンパウロ
日産自動車 |
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
※元日産自動車、京都パープルサンガ監督。
世界のトップ選手として日本でプレーした先駆者であり、後の呂比須ワグナーと一緒に来日した。
(2/59) |
ジュニオール
レオヴェジウド・リンス・ダ・ガマ・ジュニオール
(1954/6/29〜)
〔MF/DF(SB)〕<S> |
ジュニオール |
フラメンゴ
トリノ
ぺスカーラ フラメンゴ |
ワールドカップ 82年 86年(8)
※セレソンではジーコらの攻撃陣にアクセントを加えた攻撃的サイドバック。
ジーコジャパンのスタッフを務めた。
サンバ歌手としてCDを出したことがある。
(6/74)
 |
トニーニョ・セレーゾ
アントニオ・カルロス・セレーゾ
(1955/4/21〜)
〔MF〕<S> |
トニーニョ |
アトレチコ・ミネイロ
ローマ
サンプドリア
サンパウロ |
ワールドカップ 78年(3) 82年
トヨタカップ 93年
※鹿島アントラーズ監督(2013年復帰を果たした)。
82年W杯では、ジーコらと黄金のカルテットを形成した。
80〜90年代、ローマやサンプドリアで活躍し、ライカールトの憧れの存在だったという。
息子はトランスジェンダーのファッションモデルをしており、性転換して話題となった。
(6/74)
 |
エジーニョ
(1955/6/5〜)
〔DF〕<S> |
− |
フルミネンセ
ウディネーゼ
フラメンゴ
フルミネンセ
グレミオ |
ワールドカップ 78年(3) 82年 86年(8)
(3/59) |
レイナウド
(1957/1/11〜)
〔FW〕<S> |
− |
アトレチコ・ミネイロ
パルメイラス
リオネグロ
クルゼイロ
ヘッケン
テルスター |
ワールドカップ 78年(3)
(14/37) |
エデル
(1957/5/25〜)
〔FW(WG)〕<A> |
オ・カニャン
(大砲) |
アメリカ・ミネイロ
グレミオ
アトレチコ・ミネイロ
インテルナシオナル
パルメイラス
サントス
ボタフォゴ
アトレチコ・パラナエンセ
セロ・ポルテーニョ
フェネルバフチェ
ウニオン・サンジョアン
クルゼイロ
|
ワールドカップ 82年
※強烈な左足のキックを持つ。
(5/52) |
チッタ
ミウトン・ケイロス・ダ・パイション
(1958/4/1〜)
〔MF〕<A> |
チッタ |
フラメンゴ
グレミオ
インテルナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
バイエル・レバークーゼン
ペスカーラ
クラブ・レオン
ブエブラ |
ワールドカップ 90年(16) コパ・アメリカ 89年
※元浦和レッズ監督。
ジーコジャパンのスタッフを務めた。
(6/30) |
ジョゼ・レアンドロ・フェレイラ
(1959/3/17〜)
〔DF〕<A> |
レアンドロ |
フラメンゴ |
ワールドカップ 82年
コパ・リベルタドーレス 81年
トヨタカップ 81年
※黄金のカルテットを後方から支えたサイドバック。
(2/27) |
バウタザール
(1959/7/17〜)
〔FW〕<A> |
− |
グレミオ
パルメイラス
フラメンゴ
ボタフォゴ
セルタ・デ・ビーゴ
アトレティコ・マドリード
ポルト
スタッド・ドゥ・レンヌ
ゴイアス
京都パープルサンガ |
コパ・アメリカ 89年
(3/7) |
アレモン
リカルド・ロジェーリオ・デ・ブリト
(1961/11/22〜)
〔MF〕<A> |
アレモン |
ボタフォゴ
アトレティコ・マドリード
ナポリ
アタランタ
サンパウロ
ボルタ・レドンダ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
※「アレモン」とはポルトガル語でドイツ人を意味する。
(6/39) |
マウロ・ガウボン
(1961/12/19〜)
〔DF〕<A> |
− |
インテルナシオナル
バングー
ボタフォゴ
ルガーノ
グレミオ
ヴァスコ・ダ・ガマ グレミオ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
(0/26) |
リカルド・ローシャ
(1962/9/11〜)
〔DF〕<A>  |
Xerife(保安官) |
サンタクルス
グアラニ
スポルティングCP
サンパウロ
レアル・マドリード
サントス
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ
ニューウェルズ・オールドボーイズ
フラメンゴ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
(0/39) |
ジュリオ・セザール
(1963/3/8〜)
〔DF〕<S> |
− |
グアラニ
スタッド・ブレスト29
モンペリエ
ユヴェントス
ボルシア・ドルトムント
ボタフォゴ
ボルシア・ドルトムント
パナシナイコス
ヴェルダー・ブレーメン
リオ・ブランコ |
ワールドカップ 86年(8)
チャンピオンズ・リーグ 96-97年
トヨタカップ 97年
UEFAカップ 93-94年
※早々と代表を引退したため、90年、94年W杯に出場していないが、80〜90年代ブラジルを代表するセンターバック。
(0/13) |
レナト・ガウショ
(1963/9/9〜)
〔FW〕<A> |
− |
グレミオ
フラメンゴ
ローマ
フラメンゴ グレミオ
ボタフォゴ
クルゼイロ
フラメンゴ
アトレチコ・ミネイロ
フルミネンセ
フラメンゴ
タウバテ |
ワールドカップ 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
コパ・リベルタドーレス 83年
トヨタカップ 83年
※86年W杯代表候補だったが、規律違反で追放処分を受けた。
(5/41) |
ドゥンガ
カルロス・カエタノ・ブレドルン・ベーヒー
(1963/10/31〜)
〔MF〕<S>   |
ドゥンガ
鬼軍曹 |
インテルナシオナル
コリンチャンス・パウリスタ
サントス
ヴァスコ・ダ・ガマ
ピサ
フィオレンティーナ
ペスカーラ
シュトゥットガルト
ジュビロ磐田
インテルナシオナル |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 89年 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※愛称の「ドゥンガ」は、「白雪姫と七人の小人」の一番若い小人の名前(ドーピー)に由来する。
オリンピックロサンゼルス大会銀メダリスト。
日本では名波らを容赦なく怒鳴りつけていたことから、「鬼軍曹」のイメージが強い。
磐田対談後、古巣インテルナシオナルに復帰したが、当時19歳のロナウジーニョに易々と交わされたことで、引退を決意したという。
最初の代表監督時には服の着こなしのセンスの無さが話題となった。
ワールドカップ敗戦(4位)後、2度目の代表監督に就任した。
(6/91)
 |
バウド
(1964/1/12〜)
〔MF〕<A> |
− |
フィゲイレンセ
グレミオ
ベンフィカ
パリ・サンジェルマン ベンフィカ
名古屋グランパスエイト
クルゼイロ
サントス
スポルチ・レシフェ
アトレチコ・ミネイロ
ジュべントゥージ
サンカエターノ
ボタフォゴ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
※オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(6/59) |
ベベット
ジョゼ・ロベルト・ガマ・ジ・オリベイラ
(1964/2/16〜)
〔FW〕<S>  |
ベベット |
ヴィトーリア
フラメンゴ
ヴァスコ・ダ・ガマ
デポルティボ・ラ・コルーニャ
セビージャ
ヴィトーリア
クルゼイロ
ボタフォゴ
トロス・ネサ
鹿島アントラーズ
ヴィトーリア
ボタフォゴ
ヴァスコ・ダ・ガマ
アル・イテハド |
ワールドカップ 94年(優)
コパ・アメリカ 89年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※94年W杯では当時生まれたばかりのわが子を祝う、ゆりかごダンスが話題となり、以後サッカー界において定着した。
オリンピックソウル大会、アトランタ大会銅メダリスト。
(39/75)
 |
ブランコ クラウジオ・イブラヒム・ヴァズ・レアル
(1964/4/4〜)
〔DF〕<S> |
ブランコ |
インテルナシオナル
フルミネンセ
ブレシア
ベンフィカ
ポルト
ジェノア
コリンチャンス・パウリスタ
フラメンゴ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優)
コパ・アメリカ 89年
※90年W杯対アルゼンチン戦で睡眠薬が入ったボトルから水分補給し、体調不良を訴えた。
(9/72)
 |
ジョルジーニョ
ジョルジ・デ・アモリン・カンポス
(1964/8/17〜)
〔DF(SB)/MF〕<S> |
ジョルジーニョ |
アメリカ
フラメンゴ
バイエル・レバークーゼン
バイエルン・ミュンヘン
鹿島アントラーズ
サンパウロ
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
※元鹿島アントラーズ監督。 オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(3/64) |
リカルド・ゴメス
(1964/12/13〜)
〔DF〕<A> |
− |
フルミネンセ
ベンフィカ
パリ・サンジェルマン |
ワールドカップ 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
※オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(4/50) |
クラウディオ・タファレル
(1965/5/8〜)
〔GK〕<S> |
− |
インテルナシオナル
パルマ
レッジャーナ
アトレチコ・ミネイロ
ガラタサライ
パルマ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 89年 99年
スーパーカップ 00年
※W杯出場試合数18はゴールキーパーとして最多である。
イタリアでプレーした初めてのブラジル人キーパー。 オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(0/105)
 |
ライー
(1965/5/15〜)
〔MF〕<A>  |
− |
ボタフォゴ
ポンチ・プレッタ
ボタフォゴ
サンパウロ
パリ・サンジェルマン
サンパウロ |
ワールドカップ 94年(優)
トヨタカップ 92年
※ソクラテスの弟。
サンパウロでクラブ世界一に貢献したが、その後はパリ・サンジェルマンでも代表でも低調だった。特に94年W杯では10番として活躍を期待されるも絶不調で、途中から控えに回った。
(17/51) |
シーラス
パウロ・シーラス・ド・プラド・ペレイラ
(1965/8/27〜)
〔MF〕<A> |
シーラス |
サンパウロ
スポルティングCP
セントラル・エスパニョール
チェゼーナ
サンプドリア
インテルナシオナル
ヴァスコ・ダ・ガマ
サン・ロレンソ
京都パープルサンガ
アトレチコ・パラナエンセ
リオ・ブランコ
イトゥアーノ
アメリカ・ミネイロ
ポルトゲーザ・デスポルトス
インテルナシオナル |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
コパ・アメリカ 89年
(4/38) |
アウダイール
(1965/11/30〜)
〔DF〕<S> |
− |
フラメンゴ
ベンフィカ
ローマ
ジェノア
ムラタ |
ワールドカップ 90年(16) 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 89年 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※アトランタ五輪ではジダと衝突してしまい、伊東輝悦に押し込まれ失点するという失態を演じた。 オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
ローマの6番は彼の永久欠番である。
(4/93)
 |
ロマーリオ
(1966/1/29〜)
〔FW〕<SS>   |
バイシーニョ
(チビ) |
ヴァスコ・ダ・ガマ 
PSV     
バルセロナ
フラメンゴ
バレンシア
フラメンゴ
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ
アル・サッド
フルミネンセ
ヴァスコ・ダ・ガマ
マイアミ
アデレード・ユナイテッド
ヴァスコ・ダ・ガマ
アメリカ
|
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
コパ・アメリカ 89年 97年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※フリーデンライヒ、ペレに次いで1000ゴール(自称)を記録したブラジル史上最高のストライカーのひとり。
オリンピックソウル大会銅メダリスト。
PSVや「ドリーム・チーム」でも名を馳せたが、W杯での活躍は94年のみである。
問題児としても有名で、代表内でもいざこざが多い。ミューレル、エジムンド、ベベットとは特に仲が悪く、逆に仲がいいのはドゥンガである。
一度もタバコ、酒を飲んだことがないという。
ブラジル下院議員を務め、ブラジルW杯開催を公然と批判した。
(55/70)
 |
ミューレル
ルイス・アントニオ・コレア・ダ・コスタ
(1966/1/31〜)
〔FW〕<A> |
ミューレル |
サンパウロ
トリノ サンパウロ
柏レイソル
パルメイラス
ペルージャ
サントス
バイーア
クルゼイロ
コリンチャンス・パウリスタ
サンカエターノ
ツピ
ポルトゲーザ・デスポルトス
イパチンガ |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16) 94年(優)
※「ミューレル」の愛称はゲルト・ミュラーに由来する。
(20/56) |
マジーニョ
イオマール・ド・ナシメント
(1966/4/8〜)
〔MF〕<A> |
マジーニョ |
ヴァスコ・ダ・ガマ
レッチェ
フィオレンティーナ
パルメイラス
バレンシア
セルタ・デ・ビーゴ
エルチェ
デポルティボ・アラベス
ヴィトーリア |
ワールドカップ 90年(16) 94年(優)
コパ・アメリカ 89年
※チアゴ・アルカンタラの父。 オリンピックソウル大会銅メダリスト。
(0/22) |
カレカ
アントニオ・ジ・オリベイラ・フィリオ
(1966/10/5〜)
〔FW〕<S> |
カレカ(禿げ頭) |
グアラニ
サンパウロ
ナポリ
柏レイソル
サントス
カンピナス
サンジョゼ
ガーフォース・タウン |
ワールドカップ 86年(8) 90年(16)
UEFAカップ 88-89年
※「カレカ」という愛称は、彼がファンだったコメディアンに由来し、「禿げ頭」という意味がある。
ナポリ時代はマラドーナとコンビを組んだ。
中田英寿が目標にしていたといわれている。
(29/60)
 |
ジーニョ
クリザン・セーザル・ジ・オリベイラ・フィリョ
(1967/6/17〜)
〔MF)〕<A> |
ジーニョ |
フラメンゴ
パルメイラス
横浜フリュ−ゲルス パルメイラス
グレミオ パルメイラス
クルゼイロ
フラメンゴ
ノヴァ・イグアス
マイアミ |
ワールドカップ 94年(優)
※パルメイラスの優勝に貢献し、その後移籍した横浜フリューゲルスでは、サンパイオ、エバイールとパルメイラストリオを形成した。
94年W杯ではライーの不調のためゲームメイクを担い、優勝に貢献した。
(7/57) |
マウロ・シルバ
(1968/1/12〜)
〔MF〕<S> |
− |
グアラニ
ブラガンチーノ
デポルティボ・ラ・コルーニャ |
ワールドカップ 94年(優)
コパ・アメリカ 97年
(0/58) |
セザール・サンパイオ
(1968/3/31〜)
〔MF〕<A> |
− |
サントス
パルメイラス
横浜フリュ−ゲルス
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
コリンチャンス・パウリスタ
柏レイソル
サンフレッチェ広島
サンパウロ |
ワールドカップ 98年(準)
コパ・アメリカ 97年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※横浜フリューゲルス時代、ジーニョ、エバイールとパルメイラストリオを形成した。
98年W杯のファーストゴールをあげた。
(6/49) |
トゥーリオ
(1969/6/2〜)
〔FW〕<A> |
− |
ゴイアス
ボタフォゴ  |
※ブラジル全国選手権の得点王3回はダリオ、ロマーリオと並び最多で、通算900ゴールをあげている。
(16/15) |
レオナルド
(1969/9/5〜)
〔MF/DF(SB)〕<S> |
レオ |
フラメンゴ
サンパウロ
バレンシア サンパウロ
鹿島アントラーズ
パリ・サンジェルマン
ミラン
サンパウロ
フラメンゴ
ミラン |
ワールドカップ 94年(優) 98年(準)
コパ・アメリカ 97年
トヨタカップ 93年
※華麗なプレーや端正な顔立ちから、日本では「貴公子」「レオ様」とも呼ばれていた。
(8/60) |
マルシオ・サントス
(1969/9/15〜)
〔DF〕<A> |
− |
インテルナシオナル
ボタフォゴ
ジロンダン・ボルドー
フィオレンティーナ
アヤックス
サンパウロ |
ワールドカップ 94年(優)
コパ・アメリカ 97年
(5/43) |
カフー
マルコス・エバンゲリス・ジ・モラエス
(1970/6/7〜)
〔DF(SB)/MF〕<S>  |
カフー |
サンパウロ
レアル・サラゴサ
パルメイラス
ローマ
ミラン |
ワールドカップ 94年(優) 98年(準) 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
スーパーカップ 03年 07年
※代表最多試合出場記録保持者。
(5/142)
 |
ソニー・アンデルソン
(1970/9/19〜)
〔FW〕<A> |
ソニー |
ヴァスコ・ダ・ガマ
グアラニ
セルヴェット
オリンピック・マルセイユ
モナコ
バルセロナ
オリンピック・リヨン 
ビジャレアル
アル・ラーヤン
アル・ガラファ |
スーパーカップ 97年
※清水エスパルス等で活躍したトニーニョの弟。
(1/6) |
ジャウミーニャ
ジャウマ・フェイトサ・ジアス
(1970/12/9〜)
〔MF〕<A> |
ジャウミーニャ |
フラメンゴ
グアラニ
清水エスパルス
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
アウストリア・ウィーン
クラブ・アメリカ |
コパ・アメリカ 97年
※代表では同じようなポジションにリバウドがいたため、目立った実績はないが、クラブレベルでは、「スーペル・デポル」のトップ下としてチームを牽引した。
引退後はインドアサッカーで活躍している。
(5/14) |
エジムンド
(1971/4/2〜)
〔FW〕<A> |
野獣
アニマウ |
ヴァスコ・ダ・ガマ
パルメイラス
フラメンゴ
コリンチャンス・パウリスタ ヴァスコ・ダ・ガマ
フィオレンティーナ
ヴァスコ・ダ・ガマ
サントス
ナポリ
クルゼイロ
東京ヴェルディ1969
浦和レッドダイヤモンズ
ヴァスコ・ダ・ガマ
フルミネンセ
ノヴァ・イグアス
フィゲイレンセ
パルメイラス ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 98年(準)
コパ・アメリカ 97年
コンフェデレーションズ カップ 97年
※素行の悪さで有名。またロマーリオとは犬猿の仲である。
クルゼイロ時代、古巣のヴァスコから点を取りたくないとして、PKを故意に外すなどして戦力外通告された。
フィオレンティーナ時代、リオのカーニバルに参加するためシーズン中に帰国したことがある。
日本への移籍を決めた理由のひとつにイタリア料理店の多さがあったとされている。
(9/37) |
リバウド
(1972/4/19〜)
〔FW/MF〕<SS>   |
左脚の魔術師 |
コリンチャンス・パウリスタ
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
バルセロナ
ミラン
クルゼイロ
オリンピアコス
AEKアテネ
ブニョドコル
サンパウロ
カブルスコルプ
サンカエターノ |
ワールドカップ 98年(準) 02年(優)
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
スーパーカップ 97年 03年
※2000‐01年シーズン最終節バレンシア戦のハットトリックは伝説となっており、当時「キャプテン翼のようだ」と賞賛された。
プロになって初めてステーキを食べた時に、それまで栄養失調だったため歯が抜け落ち、入れ歯をしている。 オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(34/74)
 |
エウベル
(1972/7/23〜)
〔FW〕<S> |
− |
ロンドリーナ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ
シュトゥットガルト
バイエルン・ミュンヘン
オリンピック・リヨン
ボルシア・メンヘングラートバッハ
クルゼイロ |
チャンピオンズリーグ 00-01年
トヨタカップ 01年
※ブンデスリーガ外国人最多得点記録保持者。
(7/15) |
ロジェリオ・セニ
(1973/1/22〜)
〔GK〕<A> |
− |
サンパウロ |
ワールドカップ 02年(優) 06年(8)
コンフェデレーションズ カップ 97年
コパ・リベルタドーレス 92年・93年・05年
トヨタカップ 92年・93年
クラブ世界選手権 05年
※代表では控えが多いが、クラブでは多くのタイトルを獲得している。
フリーキックが得意で、ゴールキーパーとして史上最多得点記録を持ち、その数は100ゴールを超えている。
(0/17) |
ジュニーニョ・パウリスタ
オズバウド・ジロウド・ジュニオール
(1973/2/22〜)
〔MF〕<A> |
パウリスタ |
サンパウロ
ミドルズブラ
アトレティコ・マドリード
ヴァスコ・ダ・ガマ
フラメンゴ ミドルズブラ
セルティック
パルメイラス
シドニー
イトゥアーノ |
ワールドカップ 02年(優)
コンフェデレーションズ カップ 97年
トヨタカップ 93年
※オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(5/51) |
ロベルト・カルロス
(1973/4/10〜)
〔DF(SB)〕<S> |
悪魔の左足 |
ウニオン・サンジョアン
パルメイラス
インテルナツィオナーレ・ミラノ
レアル・マドリード
フェネルバフチェ
アンジ・マハチカラ |
ワールドカップ 98年(準) 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年 02年
スーパーカップ 02年
※長くレアル・マドリード、代表で活躍した超攻撃的左サイドバック。マドリーの外国人最多試合出場記録を持つ。
左足のキックは特に強烈で、小島伸幸の指を骨折させたことがある。 オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(11/125)
 |
エジミウソン
(1973/7/10〜)
〔DF/MF〕<A> |
牧師さん |
サンパウロ
オリンピック・リヨン
バルセロナ
ビジャレアル
パルメイラス
レアル・サラゴサ
セアラー |
ワールドカップ 02年(優)
チャンピオンズリーグ 05-06年
クラブワールドカップ 06年
(2/39) |
マリオ・ジャルデウ
(1973/9/18〜)
〔FW〕<A> |
スーパーマリオ |
ヴァスコ・ダ・ガマ
グレミオ
ポルト    
ガラタサライ
スポルティングCP |
コパ・リベルタドーレス 95年
スーパーカップ 00年
(1/10) |
ジダ
ネルソン・ジ・ジーザス・シウバ
(1973/10/7〜)
〔GK〕<S> |
ジダ |
ヴィトーリア
クルゼイロ
コリンチャンス・パウリスタ
ミラン
コリンチャンス・パウリスタ(L)
ポルトゲーザ・デスポルトス
グレミオ
|
ワールドカップ 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年 05年
チャンピオンズリーグ 02-03年 06-07年
クラブ世界選手権 00年
クラブワールドカップ 07年
スーパーカップ 03年 07年
※アトランタ五輪ではアウダイールと衝突してしまい、伊東輝悦に押し込まれ失点するという失態を演じた。
オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(0/91) |
サヴィオ
(1974/1/9〜)
〔FW〕<A> |
Anjo loiro
(金髪の天使) |
フラメンゴ
レアル・マドリード
ジロンダン・ボルドー
レアル・サラゴサ
レアル・ソシエダ
レバンテ
アノルトシス・ファマグスタ
アヴァイ |
チャンピオンズリーグ 97-98年 99-00年 01-02年
トヨタカップ 98年
スーパーカップ 02年
※オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(17/44) |
ヴァンペッタ
マルコス・アンドレ・バチスタ・サントス
(1974/3/13〜)
〔MF〕<A> |
ヴァンペッタ |
ヴィトーリア
PSV
VVVフェンロー(L)
フルミネンセ(L)
コリンチャンス・パウリスタ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
パリ・サンジェルマン
フルミネンセ
コリンチャンス
ヴィトーリア
クウェート
ブラジリエンセ
ゴイアス コリンチャンス・パウリスタ
ジュベントス |
ワールドカップ 02年(優)
コパ・アメリカ 99年
※ゲイ雑誌にヌード写真を掲載するなど、ピッチ外の話題に事欠かない。
(2/41) |
シウヴィーニョ
シウヴィオ・メンデス・カンポス・ジュニオル
(1974/4/12〜)
〔DF〕<A> |
シウヴィーニョ |
コリンチャンス・パウリスタ
アーセナル
バルセロナ
マンチェスター・シティ |
チャンピオンズリーグ 05-06年 08-09年
(0/6) |
フラビオ・コンセイソン
(1974/6/13〜)
〔MF〕<A> |
− |
リオ・ブランコ
パルメイラス
デポルティボ・ラ・コルーニャ
レアル・マドリード
ボルシア・ドルトムント(L)
ガラタサライ
パナシナイコス |
コパ・アメリカ 97年 99年
チャンピオンズリーグ 01-02年
※オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(4/45) |
アモローゾ
(1974/7/5〜)
〔FW〕<A> |
− |
グアラニ
ヴェルディ川崎 グアラニ
フラメンゴ
ウディネーゼ
パルマ
ボルシア・ドルトムント
マラガ
サンパウロ
ミラン
コリンチャンス・パウリスタ
グレミオ
アリス・テッサロニキ
グアラニ |
コパ・アメリカ 99年
コパ・リベルタドーレス 05年
クラブ世界選手権 05年
※ヴェルディ川崎時代は外国人枠に阻まれ出場できなかったが、移籍後頭角を現し、ウディネーゼではセリエAの得点王になった。
FC東京への入団が内定していたが、それを蹴ってミランに移籍したとされる。
一時期日本への帰化を考えていたこともあったと告白している。
(8/19) |
ゼ・ロベルト
ジョゼ・ロベルト・ダ・シウヴァ・ジュニオル
(1974/7/6〜)
〔MF〕<S> |
− |
ポルトゲーザ・デスポルトス
レアル・マドリード
フラメンゴ
バイエル・レバークーゼン
バイエルン・ミュンヘン
サントス バイエルン・ミュンヘン
ハンブルガー
アル・ガラファ
グレミオ |
ワールドカップ 98年(準) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年 05年
※自己管理が徹底しており、マクドナルドには一度も行ったことがなく、飲み物もミネラルウォーターかグレープジュースしか口にしないという。
(6/84) |
ジュニーニョ・ペルナンブカーノ
アントニオ・アウグスト・リベイロ・レイス・ジュニオール
(1975/1/30〜)
〔MF〕<A> |
ペルナンブカーノ |
スポルチ・レシフェ
ヴァスコ・ダ・ガマ
オリンピック・リヨン
アル・ガラファ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ニューヨーク・レッドブルズ ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 06年(8)
コンフェデレーションズ カップ 05年
※世界屈指のフリーキックの名手。
リーグ・アンを7連覇したリヨンの中心選手。
(6/40) |
エメルソン
(1976/4/4〜)
〔MF〕<S> |
エミ |
グレミオ
ボタフォゴ
グレミオ
バイエル・レバークーゼン
ローマ
ユヴェントス
レアル・マドリード
ミラン
サントス |
ワールドカップ 98年(準) 06年(8)
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 05年
※ウィニングイレブンが得意。
(6/73)
 |
ロケ・ジュニオール
(1976/8/31〜)
〔DF〕<A> |
− |
パルメイラス
ミラン
リーズ・ユナイテッド
シエナ
バイエル・レバークーゼン
デュイスブルク
アル・ラーヤン
パルメイラス |
ワールドカップ 02年(優)
コンフェデレーションズ カップ 05年
(2/48) |
ロナウド
(1976/9/22〜)
〔FW〕<SS>      |
フェノーメノ
(超常現象・怪物) |
クルゼイロ
PSV
バルセロナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
レアル・マドリード
ミラン
コリンチャンス・パウリスタ |
ワールドカップ 94年(優) 98年(準) 02年(優) 06年(8)
コパ・アメリカ 97年 99年
コンフェデレーションズ カップ 97年
チャンピオンズリーグ 96-97年
トヨタカップ 03年
UEFAカップ 97-98年
カップウィナーズカップ 96-97年
※ブラジル代表通算得点3位、W杯通算最多得点記録2位を持つ90〜2000年代における世界屈指のストライカー。
デビュー当時はロナウジーニョと呼ばれていた。
1999年以降は度重なる大ケガや太りすぎに悩まされた。 02年W杯では「大五郎カット」が話題となった。
オリンピックアトランタ大会銅メダリスト。
(62/97)
 |
ジウベルト・シウバ
(1976/10/7〜)
〔MF〕<A> |
− |
アトレチコ・ミネイロ
アーセナル
パナシナイコス
グレミオ
アトレチコ・ミネイロ |
ワールドカップ 02年(優) 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 07年
※中澤佑二とはアメリカ・ミネイロユース時代からの知り合いである。
(3/93) |
デニウソン
(1977/8/24〜)
〔MF(WG)〕<A> |
− |
サンパウロ
レアル・ベティス
フラメンゴ(L)
ジロンダン・ボルドー
アル・ナスル
ダラス
パルメイラス
イトゥンビアラ
シ・マン・ハイ・フォン
カバラ |
ワールドカップ 98年(準) 02年(優)
コパ・アメリカ 97年
(9/61) |
アレックス
アレッサンドロ・ジ・ソウザ
(1977/9/14〜)
〔MF〕<A> |
− |
コリチーバ
パルメイラス
フラメンゴ パルメイラス
クルゼイロ
パルマ クルゼイロ
フェネルバフチェ コリチーバ |
コパ・アメリカ 99年 04年
コパ・リベルタドーレス 99年
(21/68) |
ルシオ
ルシマール・ダ・シウバ・フェレイラ
(1978/5/8〜)
〔DF〕<S> |
− |
インテルナシオナル
バイエル・レバークーゼン
バイエルン・ミュンヘン
インテルナツィオナーレ・ミラノ
サンパウロ
パルメイラス
ゴア
ガマ
ブラジリエンセ |
ワールドカップ 02年(優) 06年(8) 10年(8)
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
(4/105)
 |
フアン
(1979/2/1〜)
〔DF〕<A> |
− |
フラメンゴ
バイエル・レバークーゼン
ローマ
インテルナシオナル
フラメンゴ |
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 04年 07年
(7/79) |
ジュリオ・セザル
(1979/9/3〜)
〔GK〕<A> |
− |
フラメンゴ
キエーヴォ・ヴェローナ(L)
インテルナツィオナーレ・ミラノ
クイーンパーク・レンジャーズ
トロント(L)
ベンフィカ
フラメンゴ |
ワールドカップ 06年(8) 10年(8) 14年(4)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 09年 13年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
(0/87) |
ロナウジーニョ
ロナウド・デ・アシス・モレイラ
(1980/3/21〜)
〔MF/FW〕<S>     |
ロナウジーニョ
ロニー |
グレミオ
パリ・サンジェルマン
バルセロナ
ミラン
フラメンゴ
アトレチコ・ミネイロ
ケレタロ
フルミネンセ
シエンシアーノ |
ワールドカップ 02年(優) 06年
コパ・アメリカ 99年
コンフェデレーションズ カップ 05年
チャンピオンズリーグ 05-06年
クラブワールドカップ 06年
※代理人をしている兄のロベルトはかつて札幌に在籍していたことがある。
サンバが大好きで、セレソンのバスの中などでよく歌ったり踊ったりしている。夜遊びがたたって(?)プレーに精彩を欠くことがある。
全てのカテゴリーのブラジル代表で活躍した数少ない選手。
オリンピック北京大会銅メダリスト。
(33/97)
 |
ルイス・ファビアーノ
(1980/11/8〜)
〔FW〕<A> |
− |
ポンチ・プレッタ
スタッド・レンヌ
サンパウロ
ポルト
セビージャ
サンパウロ
天津権健
ヴァスコ・ダ・ガマ |
ワールドカップ 10年(8)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 09年
トヨタカップ 04年
UEFAカップ 05年-06年 06年-07年
(28/45) |
ルイゾン
アンデルソン・ルイス・ダ・シウバ
(1981/2/13〜)
〔DF〕<A> |
ルイゾン |
ジュベントス
クルゼイロ
ベンフィカ |
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
(3/44) |
マイコン
(1981/7/26〜)
〔DF(SB)〕<S> |
− |
クルゼイロ
モナコ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
マンチェスター・シティ
ローマ
アヴァイ
クリシューマ
ヴィラ・ノヴァ
ソーナ
トレ・ペンネ |
ワールドカップ 10年(8) 14年(4)
コパ・アメリカ 04年 07年
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
チャンピオンズリーグ 09-10年
クラブワールドカップ 10年
※父親がマイケル・ダグラスのファンで、ポルトガル語の発音に近いマイコン・ドウグラスと名づけた。
(7/72) |
ジュリオ・バティスタ
(1981/10/1〜)
〔MF/FW〕<A> |
野獣 |
サンパウロ
セビージャ
レアル・マドリード
アーセナル(L)
ローマ
マラガ
クルゼイロ
オーランド・シティ
クルジュ |
ワールドカップ 10年(8)
コパ・アメリカ 07年
(5/47) |
アドリアーノ
(1982/2/17〜)
〔FW〕<A> |
フェノメノ・ドゥエ |
フラメンゴ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
フィオレンティーナ(L)
パルマ(L)
サンパウロ(L)
フラメンゴ
ローマ
コリンチャンス・パウリスタ
フラメンゴ
アトレチコ・パラナエンセ
マイアミ・ユナイテッド |
ワールドカップ 06年(8)
コパ・アメリカ 04年
コンフェデレーションズ カップ 09年
※ビドーネ・ドーロを3度受賞している。
中田英寿を「先生」と呼び慕っており、06年W杯ではブラジルに敗れて倒れこんだ中田を慰めに行った。
(27/47) |
カカ
リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ
(1982/4/22〜)
〔MF/FW〕<S>    |
カカ
リッキー |
サンパウロ
ミラン
レアル・マドリード
ミラン
オーランド・シティ
サンパウロ(L) |
ワールドカップ 02年(優) 06年(8) 10年(8)
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
チャンピオンズリーグ 06-07年
トヨタカップ 07年
スーパーカップ 07年
※「カカ」という愛称は幼い弟が「リカルド」とうまく発音できなかったことに由来する。
呂比須ワグナーと仲がよい。若いころのケガのため長い間極度の近視であった。(今はレーシック手術を受けて回復しているらしい。)
山形県にホームステイしたことがある。
(29/92)
 |
ダニエウ・アウヴェス
(1983/5/6〜)
〔DF(SB)〕<S> |
ダニ |
バイーア
セビージャ
バルセロナ
ユヴェントス
パリ・サンジェルマン
サンパウロ
バルセロナ
ウニベルシダ・ナシオナル
|
ワールドカップ 10年(8) 14年(4) 22年(8)
コパ・アメリカ 07年 19年
コンフェデレーションズ カップ 09年 13年
チャンピオンズリーグ 08-09年 10年-11年 14-15年
クラブワールドカップ 09年 11年 15年
スーパーカップ 06年 09年 11年 15年
UEFAカップ 05年-06年 06年-07年
※観客から侮蔑の意味で投げつけられたバナナを頬張り話題となった。
(8/126) |
フレッジ
フレデリコ・シャヴェス・ゲデス
(1983/10/3〜)
〔FW〕<A> |
− |
アメリカ・ミネイロ
クルゼイロ
オリンピック・リヨン
フルミネンセ  
アトレチコ・ミネイロ
クルゼイロ
フルミネンセ |
ワールドカップ 06年(8) 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 13年
(18/39) |
ダンテ
(1983/10/18〜)
〔DF〕<A> |
− |
ジュヴェントゥージ
リール
スタンダール・リエージュ
ボルシア・メンヘングラートバッハ
バイエルン・ミュンヘン
ヴォルフスブルク
ニース |
ワールドカップ 14年(4)
※30歳から代表入りした遅咲きといえる選手だが、バイエルン不動のディフェンダーとして一時代を築いた。。
14年W杯では、チームメートが多数いるドイツに7失点という屈辱的敗戦を喫した。
(2/13) |
ロビーニョ
ロブソン・デ・ソウザ
(1984/1/25〜)
〔FW〕<A> |
ロビーニョ |
サントス
レアル・マドリード
マンチェスター・シティ
サントス(L)
ミラン
サントス(L)
広州恒大淘宝
アトレチコ・ミネイロ
スィヴァススポル
イスタンブール・バシャクシェヒル
サントス |
ワールドカップ 06年(8) 10年(8)
コパ・アメリカ 07年
コンフェデレーションズ カップ 05年 09年
(28/100) |
チアゴ・シウバ
(1984/9/22〜)
〔DF/MF〕<S> |
− |
ジュヴェントゥージ
ディナモ・モスクワ
フルミネンセ
ミラン
パリ・サンジェルマン
チェルシー
フルミネンセ |
ワールドカップ 10年(8) 14年(4) 18年(8) 22年(8)
コンフェデレーションズカップ 13年 コパ・アメリカ 19年
※マルディーニから、自身の後継者と認められていたが、パリSGに移籍してしまった。
オリンピック北京大会銅メダリスト。
(7/113)
 |
ジエゴ
(1985/2/28〜)
〔MF〕<A> |
ジエギーニョ |
サントス
ポルト
ヴェルダー・ブレーメン
ユヴェントス
ヴォルフスブルク
アトレティコ・マドリード
フェネルバフチェ
フラメンゴ |
コパ・アメリカ 04年 07年
トヨタカップ 04年
※ヴォルフスブルク時代、リトバルスキー監督の指示を無視して自分でPKを蹴り、はずしたことがある。
オリンピック北京大会銅メダリスト。
(4/33) |
ウルク
ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ
(1986/7/25〜)
〔FW〕<A> |
ウルク
フッキ |
ヴィトーリア
川崎フロンターレ
コンサドーレ札幌(L)
東京ヴェルディ1969
川崎フロンターレ
東京ヴェルディ1969
レンティスタス
ポルト
ゼニト・サンクトペテルブルク
上海上港集団
アトレチコ・ミネイロ |
ワールドカップ 14年(4)
ヨーロッパリーグ 10−11年
※愛称の「ウルク」はアメコミの超人ハルクに由来する。
Jリーグ時代は「フッキ」の登録名でプレーしていた。 |
ラミレス
(1987/3/24〜)
〔MF〕<A> |
− |
ジョインヴィレ
クルゼイロ
ベンフィカ
チェルシー
江蘇蘇寧
パルメイラス |
ワールドカップ 10年(8) 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 09年
(4/52) |
ダヴィド・ルイス
(1987/4/22〜)
〔DF〕<A> |
− |
ヴィトーリア
ベンフィカ
チェルシー
パリ・サンジェルマン
チェルシー
アーセナル
フラメンゴ |
ワールドカップ 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 13年
チャンピオンズリーグ 11-12年
ヨーロッパリーグ 12−13年
※14年夏、パリSGに移籍したことにより、代表でもパートナーであるチアゴ・シウバとチームメイトになった。
(3/57) |
マルセロ
(1988/5/12〜)
〔DF(SB)〕<S> |
− |
フルミネンセ
レアル・マドリード
オリンピアコス
フルミネンセ |
ワールドカップ 14年(4) 18年(8)
コンフェデレーションズカップ 13年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年
クラブワールドカップ 14年 16年 17年
スーパーカップ 14年 16年 17年
※オリンピック北京大会銅メダリスト。オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
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パウリーニョ
ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール
(1988/7/25〜)
〔MF〕<A> |
− |
ヴィリニュス
ウッチ
アウダックス・サンパウロ
ブラガンチーノ
コリンチャンス
トッテナム・ホットスパー
広州恒大淘宝
バルセロナ
広州恒大淘宝
アル・アハリ
コリンチャンス |
ワールドカップ 14年(4) 18年(8)
コパ・リベルタドーレス 12年
クラブワールドカップ 12年
※リトアニアでプロデビューした。
得点力、パスにも長けた守備的ミッドフィルダー。
(13/56) |
アレシャンドレ・パト
アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウバ
(1989/9/2〜)
〔FW〕<A> |
パト(アヒル) |
インテルナシオナル
ミラン
コリンチャンス
サンパウロ(L)
チェルシー(L)
ビジャレアル
天津権健
サンパウロ
オーランド・シティ
サンパウロ |
※オリンピック北京大会銅メダリスト。オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
(10/27)
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ガンソ
パウロ・エンリケ・シャガス・ジ・リマ
(1989/10/12〜)
〔FW〕<A> |
ガンソ(ガチョウ) |
サントス
サンパウロ
セビージャ
アミアン(L)
フルミネンセ |
※愛称の「ガンソ」には「サッカーがへたくその選手」の意味がある。
オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
(0/8) |
オスカル
(1991/9/9〜)
〔MF〕<A> |
− |
サンパウロ
インテルナシオナル
チェルシー
上海上港集団
サンパウロ |
ワールドカップ 14年(4)
コンフェデレーションズカップ 13年
ヨーロッパリーグ 12-13年
※オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
(12/48) |
ロベルト・フィルミーノ
(1991/10/2〜)
〔FW〕<S> |
− |
フィゲイレンセ
ホッフェンハイム
リヴァプール
アル・アハリ |
ワールドカップ 18年(8)
コパ・アメリカ 19年
チャンピオンズリーグ 18-19年
スーパーカップ 19年
クラブワールドカップ 19年
(17/55) |
ネイマール
(1992/2/5〜)
〔FW〕<S>   |
− |
サントス
バルセロナ
パリ・サンジェルマン
アル・ヒラル |
ワールドカップ 14年(4) 18年(8) 22年(8)
コンフェデレーションズカップ 13年
チャンピオンズリーグ 14-15年
クラブワールドカップ 15年
※オリンピックロンドン大会銀メダリスト。
オリンピックリオ大会金メダリスト。 代表最多得点記録保持者。
14年W杯ではエースとして自国優勝に期待がかかったが、対コロンビア戦で背中に激しいチャージを受け脊椎を骨折、大会から去ることとなった。
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カゼミーロ
カルロス・エンリケ・ジョゼ・フランシスコ・ヴェナンシオ・カジミーロ
(1992/2/23〜)
〔MF〕<S> |
カゼミーロ |
サンパウロ
レアル・マドリード
ポルト(L)
レアル・マドリード
マンチェスター・ユナイテッド |
ワールドカップ 18年(8) 22年(8) コパ・アメリカ 19年
チャンピオンズリーグ 13-14年 15-16年 16-17年 17-18年
21-22年
クラブワールドカップ 16年 17年 18年
スーパーカップ 16年 17年 22年 |
フェリペ・コウチーニョ
(1992/6/12〜)
〔MF/FW〕<A> |
− |
ヴァスコ・ダ・ガマ インテルナツィオナーレ・ミラノ
エスパニョール(L)
リバプール
バルセロナ
バイエルン・ミュンヘン(L)
アストンヴィラ
アル・ドゥハイル(L)
ヴァスコ・ダ・ガマ |
コパ・アメリカ 19年 |
ガブリエル・ジェズス
(1997/4/3〜)
〔FW/MF〕<A> |
ジョイア・ラーラ |
パルメイラス
マンチェスター・シティ
アーセナル |
ワールドカップ 18年(8) 22年(8) コパ・アメリカ 19年
※19歳で代表デビューした逸材。 |
ヴィニシウス・ジュニオール
(2000/7/12〜)
〔FW(WG)〕<A> |
ヴィニ |
フラメンゴ
レアル・マドリード |
ワールドカップ 22年(8)
チャンピオンズリーグ 21-22年 23-24年
クラブワールドカップ 18年 22年
スーパーカップ 22年
※19歳で代表デビューした逸材。 |
ロドリゴ
(2001/1/9〜)
〔FW〕<A> |
− |
サントス
レアル・マドリード |
ワールドカップ 22年(8)
チャンピオンズリーグ 21-22年 23-24年
クラブワールドカップ 22年
スーパーカップ 22年 |