East Asian FF |
日 本 【37人】 |
 |
Samurai Blue |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
鈴木 重義
(1902/10/13〜1971/12/20)
〔FW〕<C>  |
− |
早稲田大学 |
※1927年、日本代表初勝利となった第8回極東選手権の際のキャプテンで、自身も先制点を挙げた。
代表監督時代、オリンピックベルリン大会でWMシステムを急遽採用し、スウェーデンを破るという大金星をあげた(ベルリンの奇跡)。
(1/2) |
竹腰 重丸
(1906/2/15〜1980/10/6)
〔FW〕<C>  |
− |
東京大学 |
※第9回極東選手権時のキャプテン。
(1/5) |
川本 泰三
(1914/1/17〜1985/9/20)
〔FW〕<B> |
シュートの名人 |
早稲田大学 |
※オリンピックベルリン大会の「ベルリンの奇跡」のメンバー。
ソ連の捕虜となりシベリアに4年間抑留されていた。
「40歳106日」という日本代表最年長出場記録保持者である。
(3/9)
 |
野村 六彦
(1940/2/10〜)
〔MF〕<C> |
− |
日立製作所 |
※日本サッカーリーグ初代得点王。
身長が低いという理由で代表に選ばれることはついになかったが、JSL史上屈指のパサーであり、1試合4アシストというギネス記録を持つ。
(0/0) |
杉山 隆一
(1941/7/4〜)
〔MF(WG)〕<B> |
黄金の左足 |
三菱重工業 |
※オリンピックメキシコ大会銅メダリスト。
代表では釜本とのコンビで活躍した。左ウィングで「黄金の左足」といわれたが、右利きである。
(15/56) |
小城 得達
(1942/12/10〜)
〔MF〕<B> |
− |
東洋工業 |
※オリンピックメキシコ大会銅メダリスト。
(11/62) |
釜本 邦茂
(1944/4/15〜)
〔FW〕<A> |
ガマ
ガマッチョ |
ヤンマーディーゼル       |
※日本史上最高のストライカーで代表通算75得点(JFA計算)を誇る。エウゼビオのキックを参考にシュート技術を磨いたとされる。
オリンピックメキシコ大会銅メダリストで得点王。
五輪後、ウイルス性肝炎にかかり、70年W杯アジア予選に出られなかっただけでなく、西ドイツ移籍も叶わなかった。
当時の実力を計リ知ることはできないが、パルメイラス、アーセナルとの親善試合での活躍、当時の逸話、引退試合で来日したメンバーから推測し、世界でも十分通用し得るストライカーだったと思われる。
世界選抜に2度選ばれているが、最初の1度は辞退した。
公表している身長より実際は2cm大きい。
日本代表に対し、度々コメントを寄せるが、ネット上ではほとんど同意を得られたことがない。
元参議院議員。
(75/76)(55/61 FIFA)
 |
奥寺 康彦
(1952/3/12〜)
〔MF/DF(SB)〕<A> |
東洋のコンピュータ |
古河電工
ケルン
ヘルタ・ベルリン
ヴェルダー・ブレーメン
古河電工 |
※チャンピオンズカップで得点した初めてのアジア人選手。
キャプテン翼に実名で登場し、1対1の勝負を挑んだ翼を、こてんぱんにしたことがある。
(9/32)
 |
ラモス 瑠偉
(1957/2/9〜)
〔DF/MF/FW〕<B> |
カリオカ |
サージ
読売サッカークラブ 
ヴェルディ川ア
京都パープルサンガ
ヴェルディ川ア |
※ブラジル出身である。
19歳の時、与那城ジョージにスカウトされ来日した。読売時代は2度の長期出場停止処分、バイク事故などトラブルが絶えなかったが、2度の得点王(うち1度はアシスト王との二冠)を獲得するなど読売〜ヴェルディの全盛期を牽引した。
1989年に帰化、90年から日本代表に選出。日本をW杯に出場させるため奮闘するもかなわなかった。日本代表最年長得点記録保持者。
2005年、ビーチサッカー日本代表監督に就任、2005年W杯で4位入賞を果たした。
2016年、脳梗塞で倒れるも、翌年復帰した。
(1/32) |
木村 和司
(1958/7/19〜)
〔MF〕<B> |
ミスター・マリノス |
日産自動車
横浜マリノス |
※プロサッカー選手登録制度第1号。
フリーキックの名手として知られ、82年W杯予選、対韓国戦のフリーキックは語り草となっている。
解説でも広島弁を使う。
(26/54) |
水島 武蔵
(1964/9/10〜)
〔MF〕<B> |
− |
サンパウロ
サンベント
ポルトゲーザ・デスポルトス
サントス
日立製作所
全日空 |
※キャプテン翼のモデルとなった人物。翼のライバルは「武蔵」に因んで「小次郎」と名づけられたとされる。
ブラジル全国リーグに出場した初めての日本人選手で、そのためにブラジル国籍を取得した。
「ムサシ、世界へ翔ぶ」という単行本が発売されたことがある。
2014年、J3藤枝MYFCの監督に就任し、久々にその名が表に出ることとなった。
(0/0) |
三浦 知良
(1967/2/26〜)
〔FW/FW(WG)〕<A>  |
KAZU
KING KAZU |
サントス
マツバラ
クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル
キンゼ・デ・ジャヴー
コリチーバ
サントス
読売サッカークラブ
ヴェルディ川ア
ジェノア(L)
クロアチア・ザグレブ
京都パープルサンガ
ヴィッセル神戸
横浜FC
シドニー(L)
鈴鹿ポイントゲッターズ
オリヴェイレンセ |
※代表最多得点記録保持者のひとり。(FIFA統計)
15歳でブラジルへ単身渡航。コリチーバ、サントスなどで左ウィングとして活躍した。ヴェルディや代表では専らセンターフォワードとして日本サッカー界を牽引したひとり。
セリエAに移籍し得点した初の日本人選手。
中学3年の進路指導で、「第1志望 ブラジル」と書き、先生に怒られたことがある。ブラジルから帰国当時ラッシャー板前のところに居候していたことがあるらしい。
ブラジル永住権を持っている。
ゴッドファーザーが好きで、ファッションにもその影響を受けている。
2012年、フットサル日本代表に選ばれ話題となった。
Jリーグ最年長ゴール記録保持者。
妻はモデル、タレントの設楽りさ子である。
(55/89)
 |
中山 雅史
(1967/9/23〜)
〔FW〕<B> |
ゴン
中山隊長 |
ヤマハ発動機
ジュビロ磐田 
北海道コンサドーレ札幌
アスルクラロ沼津 |
ワールドカップ 98年 02年(16)
※W杯で初めて得点した日本人選手。
4試合連続ハットトリックがギネス記録になっていた。
愛称の「ゴン」は学生時代「鬼瓦権造」に似ていたため。その縁で「タンスにゴン」のCMに出演していたことがある。
2015年JFLの沼津で現役復帰。
妻はタレントの生田智子である。
(21/53) |
中田 英寿
(1977/1/22〜)
〔MF〕<A>   |
ヒデ |
ベルマーレ平塚
ペルージャ
ローマ
パルマ
ボローニャ
フィオレンティーナ
ボルトン・ワンダラーズ |
ワールドカップ 98年 02年(16) 06年
※当時世界最高峰だったセリエAで活躍した初の日本人選手。
バロンドールに初めてノミネートされた日本人選手だが、チャンピオンズリーグ本戦の出場はない。
Jリーグデビュー当時は今では考えられない3枚目役で「日清ラ王」のCMに出演していた。(主役は前園だった)
英語、イタリア語が堪能で、他にもスペイン語、ポルトガル語、フランス語、ロシア語も話せる。
観光庁の「アドバイザリーボード」や東ハトの非常勤執行役員をしている。イタリアの功労勲章を受章している。
偏食家で野菜をあまり食べられない。
(11/77)
 |
中村 俊輔
(1978/6/24〜)
〔MF〕<A> |
シュンスケ
ナカ |
横浜マリノス/横浜F・マリノス
レッジーナ
セルティック
エスパニョール
横浜F・マリノス
ジュビロ磐田
横浜FC |
ワールドカップ 06年 10年(16)
※日本人で初めてチャンピオンズリーグで得点をあげた。
06-07年シーズンにはスコットランドPFA年間最優秀選手賞を受賞、欧州のリーグでMVPに選ばれた唯一の日本人選手。
(24/98) |
高原 直泰
(1979/6/4〜)
〔FW〕<B> |
タカ |
ジュビロ磐田
ボカ・フニオルズ(L)
ハンブルガー
アイントラハト・フランクフルト
浦和レッドダイヤモンズ
水原三星ブルーウィングス
清水エスパルス
東京ヴェルディ1969
SC相模原
沖縄SV |
ワールドカップ 06年
※02年W杯直前にエコノミー症候群を発症し代表落選した。その年、Jリーグ得点王とMVPをダブル受賞。
4ヶ国のトップリーグで通算100ゴールを達成、ドイツブンデスリーガで2桁得点をあげた初の日本人選手となった。
14年シーズン途中でJ3の相模原へ移籍した。
16年シーズンから自身らが立ち上げた沖縄SVで監督兼任でプレーしている。
(23/57) |
稲本 潤一
(1979/9/18〜)
〔MF〕<B> |
イナ |
ガンバ大阪
アーセナル(L)
フラム(L)
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
カーディフ・シティ(L)
ガラタサライ
アイントラハト・フランクフルト
スタッド・レンヌ
川アフロンターレ
北海道コンサドーレ札幌
SC相模原
南葛SC |
ワールドカップ 02年(16) 06年 10年(16)
※チャンピオンズリーグ、UEFAカップ、インタートトカップに出場経験がある。
チャンピオンズリーグで得点をあげた2人目の日本人選手。
代表通算5得点の相手の内訳は欧州3、南米1、アフリカ1で、全てアジア相手以外である。
妻はモデルの田中美保である。
(5/82)
|
小野 伸二
(1979/9/27〜)
〔MF〕<A>  |
シンジ
センセイ |
浦和レッドダイヤモンズ
フェイエノールト
ボーフム
清水エスパルス
ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ
北海道コンサドーレ札幌
FC琉球 北海道コンサドーレ札幌 |
ワールドカップ 98年 02年(16) 06年
UEFAカップ 01-02年
※欧州の主要カップのタイトルを獲得している唯一の日本人選手。
オランダでプレーしていたため、ファン・ペルシやスナイデルなどオランダ代表や監督からの評価が非常に高い。
10人兄弟の5番目である。
(6/56) |
遠藤 保仁
(1980/1/28〜)
〔MF〕<B>  |
ヤット |
横浜フリューゲルス
京都パープルサンガ
ガンバ大阪 ジュビロ磐田 |
ワールドカップ 06年 10年(16) 14年
※代表最多出場記録保持者。
キーパーの動きを最後まで見極め、逆を取ってゆるく放つ通称「コロコロPK」が得意で、クラブW杯ではファン・デルサールから決めた。
遠藤三兄弟の末っ子。
(15/152) |
松井 大輔
(1981/5/11〜)
〔MF〕<B> |
ダイ
ル・マンの太陽 |
京都パープルサンガ
ル・マン
サンテティエンヌ
グルノーブル・フット38
トム・トムスク(L)
ディジョン
スラヴィア・ソフィア
レヒア・グダニスク
ジュビロ磐田
オードラ・オポーレ
横浜FC
サイゴンFC
Y.S.C.C横浜 |
ワールドカップ 10年(16)
※日本屈指のドリブラー。
ル・マンの1部昇格に大きく貢献し、「ル・マンの太陽」と呼ばれた。
10年W杯対カメルーン戦では右からのクロスで本田の得点をアシストした。
妻は女優の加藤ローサである。
(1/31) |
前田 遼一
(1981/10/9〜)
〔FW/MF〕<B> |
マエチン |
ジュビロ磐田 
FC東京
FC岐阜 |
※リーグ戦初ゴールを奪った相手は、2部に降格するというジンクスが2007年から6年連続で続き、「前田の呪い」とささやかれた。
2013年シーズンは気にしすぎてか調子が上がらす、所属する磐田が降格する羽目になった。
(10/33) |
佐藤 寿人
(1982/3/12〜)
〔FW〕<B> |
ヒサト |
ジェフユナイテッド市原
セレッソ大阪(L)
ベガルタ仙台
サンフレッチェ広島
名古屋グランパスエイト
ジェフユナイテッド千葉 |
※一瞬の飛び出しでディフェンスの裏を取ることに長けたフォワード。8シーズンで2桁得点を記録し、J2も含めると10年連続である。
15年シーズン最終節で中山の持つJリーグ1部最多得点記録に並んだ。16年シーズン第2節で更新。
双子の兄、勇人も元日本代表である。
(4/31) |
大久保 嘉人
(1982/6/9〜)
〔FW/MF〕<B> |
ヨシト |
セレッソ大阪
マヨルカ(L)
ヴィッセル神戸
ヴォルフスブルク
ヴィッセル神戸
川崎フロンターレ  
FC東京
川崎フロンターレ
東京ヴェルディ1969
セレッソ大阪 |
ワールドカップ 10年(16) 14年
※マジョルカでのデビュー戦で1ゴール、1アシストと活躍した。リーガ・エスパニョーラ日本人最多得点記録を持っていた。
13年〜15年シーズン3年連続Jリーグ得点王は史上初である。
Jリーグ最多得点記録保持者。
(6/60) |
長谷部 誠
(1984/1/18〜)
〔MF/DF(SB)/DF〕<A>  |
マコ |
浦和レッドダイヤモンズ
ヴォルフスブルク
ニュルンベルク
アイントラハト・フランクフルト |
ワールドカップ 10年(16) 14年 18年(16)
ヨーロッパリーグ 22−23年
※自己啓発書「心を整える」がミリオンセラーとなった。
その印税は東日本大震災支援のため、全額ユニセフに寄付した。
フランクフルトではリベロとしても高評価を得るなど、ユーティリティに優れる。
ブンデスリーガ出場試合数がアジア人最多である。
フランクフルトと2027年まで契約を結んだ。
妻はタレントの佐藤ありさである。
(2/114) |
岡崎 慎司
(1986/4/16〜)
〔FW/MF〕<A>  |
オカちゃん |
清水エスパルス
シュトゥットガルト
マインツ05
レスター・シティ
マラガ
ウエスカ
カルタヘナ
シント=トロイデン |
ワールドカップ 10年(16) 18年(16)
※2009年に代表戦で15得点をあげ、IFFHSにより世界得点王に選ばれた。
日本代表史上最速で30得点に到達した。
また、4大リーグでの通算得点が日本人最多である。
(50/119) |
本田 圭佑
(1986/6/13〜)
〔MF/FW〕<A> |
ケイスケ |
名古屋グランパスエイト
VVVフェンロー
CSKAモスクワ
ミラン
パチューカ
フィテッセ
ボタフォゴ
ポルティモネンセ
ネフチ・バクー
スードゥヴァ |
ワールドカップ 10年(16) 14年 18年(16)
※ガンバジュニアユースのチームメイト家長と生年月日が同じである。
いつも両腕に腕時計をしている。
日本人として初めてチャンピオンズリーグベスト8に進出した。
本田△「本田さんカッケー」というネットスラングがあり、流行語大賞にノミネートされた。
2013年暮れACミランへの入団が決まり、10番をつけることとなった。
14年W杯対コートジボワール戦での得点により通算3得点となり、日本人最多となった。(通算4得点)
2018年、カンボジア代表監督に就任。
2020年、5大陸でゴールをあげた史上初のサッカー選手となった。
(37/98) |
長友 佑都
(1986/9/12〜)
〔DF(SB)〕<B>  |
ユウト |
FC東京
チェゼーナ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ガラタサライ(L)
オリンピック・マルセイユ
FC東京 |
ワールドカップ 10年(16) 14年 18年(16) 22年(16)
※明治大学時代、彼が叩く太鼓の応援が話題となり、鹿島のサポーター集団に勧誘されたことがある。
スナイデルやカッサーノと仲がよい。
妻は女優、タレントの平愛梨である。 |
内田 篤人
(1988/3/27〜)
〔DF(SB)〕<A> |
ウッチ(シ)ー |
鹿島アントラーズ
シャルケ04
ウニオン・ベルリン
鹿島アントラーズ |
ワールドカップ 10年(16) 14年
※前シーズン王者のインテルを破り、日本人として初めてチャンピオンズリーグベスト4に進出した。
14年W杯後、代表引退を示唆したとの報道がなされた。(本人は否定) |
乾 貴士
(1988/6/2〜)
〔MF/FW(WG)〕<A> |
タカシ |
横浜F・マリノス
セレッソ大阪
ボーフム
アイントラハト・フランクフルト
エイバル
べティス
アラベス(L)
エイバル
セレッソ大阪 |
ワールドカップ 18年(16)
※日本人初となるリーガ・エスパニョーラ2シーズン目最終節ではバルセロナから2得点をあげた。
17-18年シーズンにはリーガ7万ゴール目をあげるなど、日本選手で初めてリーガに適応し活躍している。 |
吉田 麻也
(1988/8/24〜)
〔DF〕<A> |
マヤ
ヨッシー |
名古屋グランパスエイト
VVVフェンロー
サウサンプトン
サンプドリア
シャルケ04
ロサンゼルス・ギャラクシー |
ワールドカップ 14年 18年(16) 22年(16)
※4大リーグにおいて、センターバックとしてレギュラアーをはる初めての日本人選手といえる。
内田と仲が良すぎる。 |
香川 真司
(1989/3/17〜)
〔MF〕<A>  |
− |
セレッソ大阪
ボルシア・ドルトムント
マンチェスター・ユナイテッド
ボルシア・ドルトムント
ベシクタシュ(L)
レアル・サラゴサ
PAOKテッサロニキ
シント=トロイデン
セレッソ大阪 |
ワールドカップ 14年 18年(16)
※セレッソ大阪時代、食事の量が多かったため、元南海の香川伸行氏になぞらえ、「ドカベン香川」と呼ばれており、スタジアムに横断幕を掲げられていたことがある。
イングランドプレミアリーグで初めてハットトリックしたアジア人選手。 |
遠藤 航
(1993/2/9〜)
〔MF/DF〕<A> |
− |
湘南ベルマーレ
浦和レッドダイヤモンズ
シント=トロイデン
シュトゥットガルト
リヴァプール |
ワールドカップ 22年(16)
ブンデスリーガ2シーズン連続デュエル王。 |
伊東 純也
(1993/3/9〜)
〔MF〕<A> |
− |
ヴァンフォーレ甲府
柏レイソル
ヘンク
スタッド・ランス |
ワールドカップ 22年(16) |
鎌田 大地
(1996/8/5〜)
〔MF〕<A> |
− |
サガン鳥栖
アイントラハト・フランクフルト
シント=トロイデン(L)
ラツィオ
クリスタル・パレス |
ワールドカップ 22年(16)
ヨーロッパリーグ 22−23年 |
三笘 薫
(1997/5/20〜)
〔MF〕<A> |
− |
川崎フロンターレ
ブライトン&ホーヴ・アルビオン
ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ(L) |
ワールドカップ 22年(16)
※左サイドを主戦場とする世界屈指のドリブラー。
兄は俳優の結木滉星である。少年時代、松重豊の同じマンションの隣に住んでいた。 |
冨安 健洋
(1998/11/5〜)
〔DF(CB/SB)〕<A> |
− |
アビスパ福岡
シント=トロイデン
ボローニャ
アーセナル |
ワールドカップ 22年(16)
※ベルギー、イタリア、イングランドと着実にキャリアを積み上げる大型センターバック。右サイドバックも無難にこなすユーティリティー性も持ち合わせる。 |
久保 建英
(2001/6/4〜)
〔FW/MF〕<A> |
− |
FC東京
横浜Fマリノス(L)
レアル・マドリード
マヨルカ(L)
ビジャレアル(L)
ヘタフェ(L)
マヨルカ(L)
レアル・ソシエダ |
ワールドカップ 22年(16)
※バルセロナのカンテラに合格、インファンティルAに所属していたが、バルサの登録違反により帰国を余儀なくされた。
2017年11月J1デビューを飾る。
2019年代表デビュー。コパ・アメリカでも才能の片鱗を見せつけた。
2019年レアル・マドリードに移籍し、ファンを驚かせた。 |
韓 国 【26人】 |
 |
Taegeuk Warriors |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
金 容植(キム ヨンシク) 
(1910/7/25〜1985/3/8)
〔MF〕<B>  |
− |
京城普成専門学校
全京城蹴球団 |
※ベルリンオリンピック日本代表メンバーである。
第2次大戦後は韓国代表、コーチ、監督を歴任し、「韓国サッカーの父」と呼ばれている。
(0/3)日本
(?/?) |
鄭 國振(チョン・グクジン)
(1917/1/2〜1983/12/8)
〔FW〕<B>  |
− |
? |
ワールドカップ 54年
(?/?) |
崔 貞敏(チェ ジョンミン)
(1930/8/30〜1983/8/8)
〔FW〕<B>  |
黄金の足 |
大韓民国軍 |
ワールドカップ 54年
※朝鮮戦争により平壌から亡命した韓国を代表するストライカー。
(?/?) |
金 正男(キム ジョンナム)
(1943/1/28〜)
〔DF〕<B>  |
− |
高麗大学校 |
※監督として代表を86年W杯出場に導いた。
(?/?) |
車 範根(チャ ボングン)
(1953/5/22〜)
〔FW〕<A> |
ベルクカイザー |
大韓民国空軍
ダルムシュタット
アイントラハト・フランクフルト
バイエル・レバークーゼン |
ワールドカップ 86年
UEFAカップ 79-80年 87-88年
※代表最多得点記録保持者で、西ドイツで活躍したアジアを代表するストライカー。
IFFHSのランキングでアジア人最上位である。
(55/121)【60】
 |
許 丁茂(ホ ジョンム)
(1955/1/13〜)
〔MF〕<B>  |
珍島犬 |
韓国電力
PSV
現代ホランイ |
ワールドカップ 86年
※しつこいマンマークが持ち味で、86年W杯でマッチアップしたマラドーナから「彼はテコンドーを挑んできた」と評され(皮肉られ)た。
(25/84) |
朴 成華(パク ソンファ)
(1955/5/7〜)
〔FW/MFDF〕<B> |
− |
ハレルヤ 浦項製鉄アトムス
|
※初代KリーグMVP。
(28/92) |
崔 淳鎬(チェ スンホ)
(1962/1/10〜)
〔FW〕<B>   |
− |
浦項製鉄アトムス
ラッキー金星黄牛 浦項製鉄アトムス
ロデズ |
ワールドカップ 86年 90年
(30/94) |
金 鋳城(キム ジュソン)
(1966/1/17〜)
〔FW(WG)〕<B>    |
− |
大宇ロイヤルズ
ボーフム
釜山アイコンス |
ワールドカップ 86年 90年
※3年連続でアジア年間最優秀選手となった。
(14/77) |
黄 善洪(ファン ソノン)
(1968/7/14〜)
〔FW〕<B> |
ファンセ |
ヴッパーターラーSVボルシア
浦項アトムス/浦項スティラース
セレッソ大阪
水原三星ブルーウィングス
柏レイソル(L)
全南ドラゴンズ |
ワールドカップ 90年 94年 98年 02年(4)
(50/103) |
洪 明甫(ホン ミョンボ)
(1969/2/12〜)
〔DF〕<B>  |
アジアのリベロ |
浦項アトムス/浦項スティラース
ベルマーレ平塚
柏レイソル
浦項スティラース
ロザンゼルス・ギャラクシー |
ワールドカップ 94年 98年 02年(4)
※代表最多出場記録を誇る90年代アジア屈指のディフェンダー。
背番号20番を好んでつけた。
(10/136) |
金 度勲(キム ドフン)
(1970/7/21〜)
〔FW〕<B> |
爆撃機
(コリアン・ボンバー) |
全北現代ダイノス
ヴィッセル神戸
全北現代モータース
城南一和天馬 |
ワールドカップ 98年
※Kリーグ最多得点記録保持者。
(30/72) |
柳 想鐵(ユ サンチョル)
(1971/10/18〜)
〔MF/DF/FW〕<B> |
− |
蔚山現代
横浜F・マリノス
柏レイソル
蔚山現代ホランイ
横浜F・マリノス
蔚山現代ホランイ |
ワールドカップ 98年 02年(4)
※ゴールキーパー以外どのポジションでもこなせるマルチプレーヤー。
2019年、すい臓がんを発症したと公表した。
(18/122) |
崔 龍洙(チェ ヨンス)
(1973/9/10〜)
〔FW〕<B> |
トクスリ
(ハゲワシ) |
LGチーターズ/安養LG
光州尚武フェニックス
ジェフユナイテッド市原
京都パープルサンガ
ジュビロ磐田
ソウル |
ワールドカップ 98年 02年(4)
(27/69) |
李 榮杓(イ ヨンピョ)
(1977/4/23〜)
〔DF(SB)〕<A> |
yp |
安養LG
PSV
トッテナム・ホットスパー
ボルシア・ドルトムント
アル・ヒラル
バンクーバー・ホワイトキャップス |
ワールドカップ 02年(4) 06年 10年(16)
※敬虔なクリスチャン。英語が堪能である。
(5/127) |
薛 g鉉(ソル ギヒョン)
(1979/1/8〜)
〔MF/FW〕<B> |
スナイパー |
ロイヤル・アントワープ
アンデルレヒト
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
レディング
フラム
アル・ヒラル(L) 浦項スティラーズ
蔚山現代
仁川ユナイテッド |
ワールドカップ 02年(4) 06年
※優秀選手海外留学プログラムの1期生。
(19/82) |
李 同國(イ ドングク)
(1979/4/29〜)
〔FW〕<B> |
ライオンキング |
浦項スティラーズ
ヴェルダー・ブレーメン(L)
光州尚武フェニックス 浦項スティラーズ
ミドルズブラ
城南一和天馬
全北現代モータース |
ワールドカップ 98年 10年(16)
※Kリーグ最多得点記録保持者。旧名は李東國。
長女と次女、三女と四女は双子である。
(33/103) |
朴 智星(パク チソン)
(1981/2/25〜)
〔MF〕<A> |
Oxygen Tank
(酸素タンク)
Ji |
京都パープルサンガ
PSV
マンチェスター・ユナイテッド
クイーンズパーク・レンジャース
PSV |
ワールドカップ 02年(4) 06年 10年(16)
チャンピオンズリーグ 07-08年
クラブ・ワールドカップ 08年
※欧州で最も成功したといえるアジア人選手で、唯一のチャンピオンズリーグの優勝経験者でもある。
ビッグマッチで度々大きな仕事をする。
(13/100)
 |
朴 主永(パク チュヨン)
(1985/7/10〜)
〔MF〕<B> |
− |
FCソウル
モナコ
アーセナル
セルタ・デ・ビーゴ(L)
アーセナル
ワトフォード(L)
アル・シャバブ
FCソウル
蔚山現代 |
ワールドカップ 14年
※兵役先送り問題、アーセナル移籍問題、代表監督批判などなにかとお騒がせな選手。
オリンピックロンドン大会銅メダリスト。
(24/68) |
朴 柱昊(パク チュホ)
(1987/1/16〜)
〔DF〕<B> |
− |
水戸ホーリーホック
鹿島アントラーズ
ジュビロ磐田
バーゼル
マインツ05
ボルシア・ドルトムント
蔚山現代
水原FC |
ワールドカップ 14年 18年
(1/40) |
奇 誠庸(キ ソンヨン)
(1989/1/24〜)
〔MF〕<B> |
− |
FCソウル
セルティック
スウォンジー・シティ
サンダーランド(L)
ニューカッスル・ユナイテッド
マヨルカ
FCソウル |
ワールドカップ 10年(16) 14年 18年
※猿まねパフォーマンスなど、何かと騒動をまき起こす。言動に対し非難されることが多い。
20試合出場させるというオプション付でスウォンジーに移籍、その後チームの中心として活躍した。
(10/112) |
孫 興民(ソン フンミン)
(1992/7/8〜)
〔FW〕<S>     |
− |
ハンブルガー
バイエル・レバークーゼン
トッテナム・ホットスパー |
ワールドカップ 14年 18年 22年
※優秀選手海外留学プログラムの6期生。
欧州で最も活躍しているアジア人選手のひとり。 |
黄 喜燦(ファン ヒチャン)
(1996/1/26〜)
〔FW〕<B> |
− |
レッドブル・ザルツブルク
リーフェリング(L)
ハンブルガー(L)
RBライプチヒ
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ |
ワールドカップ 18年 22年
※ザルツブルク時代はハーランドや南野のチームメイトだった。 |
金ミン哉(キム ミンジェ)
(1996/11/15〜)
〔DF〕<B> |
− |
慶州KHNP
全北現代モータース
北京国安
フェネルバフチェ
ナポリ
バイエルン・ミュンヘン |
ワールドカップ 22年
※ナポリの33シーズンぶりのスクデット獲得に貢献した。 |
李 承佑(イ スンウ)
(1998/1/6〜)
〔FW/MF〕<B> |
− |
エラス・ヴェローナ
シント・トロイデン
ポルティモネンセ(L)
水原FC 全北現代モータース |
ワールドカップ 18年 22年
※2017U-17W杯で活躍した韓国期待の選手。
バルセロナのフベニールAまで昇格したが、バルサBへは上がれなかった。 |
李 康仁(イ ガンイン)
(2001/2/19〜)
〔MF〕<B> |
− |
バレンシア
マヨルカ
パリ・サンジェルマン |
ワールドカップ 22年
※バレンシアのカンテラ出身。
バレンシアでは度重なるラフプレー、チームメイトとのトラブルで批判にさらされた。 |
北 朝 鮮 【5人】 |
 |
Chollima |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ミョン レヒョン
(1932/10/27〜)
〔DF〕<C>  |
− |
4.25体育団 |
※66年W杯で北朝鮮をベスト8に導いた。。 |
朴 承振(パク スンジン)
(1941/1/11〜2011/8/5)
〔FW〕<B> |
− |
牡丹峰体育団 |
ワールドカップ 66年(8)
※66年W杯において、対チリ戦、対ポルトガル戦で得点をあげた選手。
(?/?) |
朴 斗翼(パク ドゥイク)
(1942/3/17〜)
〔FW〕<B>  |
− |
? |
ワールドカップ 66年(8)
※大番狂わせとされる66年W杯の対イタリア戦で決勝点をあげた選手。
現役時代の職業は歯医者だったという都市伝説がある。
(?/?)
 |
鄭 大世(チョン テセ)
(1984/3/2〜)
〔FW〕<B> |
テセ
人間ブルドーザー |
川崎フロンターレ
ボーフム
ケルン
水原三星ブルーウィングス
清水エスパルス
アルビレックス新潟(L)
町田ゼルビア |
ワールドカップ 06年
※在日コリアン三世。父は韓国籍である。
(15/33) |
韓 光成(ハン グァンソン)
(1998/7/21〜)
〔FW〕<B> |
− |
カリアリ
ペルージャ(L)
U-23ユヴェントス
アル・ドゥハイル 4.25体育団 |
※北朝鮮初のセリエAプレイヤー。
(1/10) |
中 国 【8人】 |
 |
Wanli Changcheng |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
范 志毅(ファン ジーイ)
(1969/11/6〜)
〔DF〕<B>  |
大将軍 |
上海申花
クリスタル・パレス
ダンディ
上海中遠
カーディフ・シティ
流浪
球海中邦 流浪 |
ワールドカップ 02年
本来はディフェンダーだが、上海時代はフォワードとして得点王になったことがある。
(17/109) |
カク 海東(ハオ ハイドン)
(1970/8/25〜)
〔FW〕<B> |
社長 |
八一振邦
大連実徳
シェフィールド・ユナイテッド |
ワールドカップ 02年
※代表最多得点記録保持者。
(41/115) |
李 鐵(リー ティエ)
(1977/9/18〜)
〔MF〕<B> |
− |
遼寧
エヴァートン
シェフィールド・ユナイテッド
成都謝菲聯陜西宝榮 |
ワールドカップ 02年
※イングランドプレミアリーグに在籍した初めての中国人選手。
(6/92) |
孫 継海(スン チーハイ)
(1977/9/30〜)
〔DF〕<B> |
− |
大連実徳
クリスタル・パレス
マンチェスター・シティ
シェフィールド・ユナイテッド
成都謝菲聯陜西宝榮
貴州人和
重慶力帆
北京人和 |
ワールドカップ 02年
※マンチェスターCに在籍し、欧州で唯一成功したといえる中国人選手。
(1/78) |
鄭 智(チェン チー)
(1980/8/20〜)
〔MF/DF〕<B>  |
− |
深セン平安科健
山東魯能泰山
チャールトン・アスレティック
セルティック
広州恒大 |
(15/108) |
董 方卓(ドン ファンジュオ)
(1985/1/23〜)
〔FW〕<B> |
− |
大連実徳
マンチェスター・ユナイテッド
ロイヤル・アントワープ(L)
大連実徳
レギア・ワルシャワ
ポルティモネンセ
ミカ
湖南湘濤
河北華夏 |
※マンチェスターU.のトライアルにてファーガソンの目に留まり入団、ビザ問題などで出場機会には恵まれなかったが、1試合だけリーグ戦にも出場している。
アントワープでは2部ながら得点王にもなったが、それ以外はパッとしない。
(2/13) |
蒿 俊閔(ハオ ジュンミン)
(1987/3/24〜)
〔MF〕<B> |
ハロ |
天津康師傳
シャルケ04
山東魯能泰山
武漢
広州 |
(12/90) |
武 磊(ウー レイ)
(1991/11/19〜)
〔FW〕<B> |
− |
上海海港
エスパニョール 上海海港 |
※中国選手初のラ・リーガ得点者。 |
中 華 民 国 【2人】 |
 |
Los Catrachos |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
梁 玉堂 
( ? 〜 ? )
〔MF/GK〕<B> |
− |
南華 |
※極東選手権で日本とも対戦した。
(?/?) |
陳 昌源(シャビエル チェン)
(1983/10/5〜)
〔DF〕<B> |
− |
コルトレイク
メヘレン
貴州人和 メヘレン |
※母親はベルギー人でベルギーU-19代表に選ばれたことがある。
(3/9) |
香 港 【1人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
陳 肇麒(チャン シウキ)
(1985/7/14〜)
〔FW〕<C> |
− |
大埔
香港レンジャーズ
傑志
南華
広東日之泉洞窟
南華
香港飛馬
東区体育会
クイタン |
※代表最多得点記録保持者。
(40/70) |
マ カ オ 【1人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
陳 健星(チャン キンセン)
(1985/3/19〜)
〔FW〕<C> |
− |
モンテカルロ
名門世家加義
モンテカルロ
基聯足球会
マカオFC
恒勢体育会
|
※代表最多得点記録保持者。 |
モ ン ゴ ル 【1人】 |
 |
(Blue Wolves) |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ドノロヴィン・ルンベンガラヴ
(1977/1/27〜)
〔DF〕<C> |
− |
ウランバートル・モンウラン
ホルムホン
エルチム
ウランバートル・ユニバーシティ
セレンゲプレッス・ウランバートル |
※代表最多出場、最多得点記録保持者。 |
グ ア ム(USA) 【1人】 |
 |
Matao |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ジェイソン・カンリフ
(1983/10/23〜)
〔FW〕<C> |
− |
クオリティ・ディストリビューターズ
グアム・シップヤード
パチャンガ
ローヴァーズ
グアム・ストライカーズ |
※代表最多出場、最多得点記録保持者。 |
北マリアナ諸島(USA) 【1人】 |
 |
Blue Ayuyus |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ジョー・ワン・ミラー
(19??/?/?〜)
〔FW〕<C> |
− |
マリアナ・パシフィック・ユナイテッド  |
※リーグ2年連続得点王。
代表最多得点記録保持者。 |
ASEAN FF |
フィリピン 【8人】 |
 |
Azkals |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
パウリノ・アルカンタラ 
(1896/11/7〜1964/2/13)
〔FW〕<S> |
− |
ガレノ
バルセロナ
ボヘミアンズ・マニラ バルセロナ |
※父はフィリピン駐在のスペイン人軍人である。
サミティエールと並び、バルセロナの伝説的ストライカー。
欧州で成功した初めてのアジア人選手ともいえる。
フィリピン代表として極東選手権で日本とも対戦し、こてんぱんにしたことがある(15-2で勝利)。
スペイン代表監督も務めたことがある。
(?/?)
(6/5)スペイン
 |
レイ・アンソニー・ヨンソン
(1979/2/3〜)
〔DF〕<C> |
− |
グリンダビク
GGグリンダビク(L)
ケプラヴィーク |
※父はアイスランド人であり、アイスランドU-21代表の経験がある。
(0/31) |
シュテファン・シュレック
(1986/8/21〜)
〔MF/DF(SB)〕<B> |
シュレッキ |
グロイター・フュルト
ホッフェンハイム
アイントラハト・フランクフルト
グロイター・フュルト
セレス・ネグロス |
※父はドイツ人で、ブンデスリーガでプレーしている。
ドイツU-20代表の経験がある。 |
フィリップ・ヤングハズバンド
(1987/8/4〜)
〔FW〕<C> |
− |
チェルシー
エスビャウ(L)
サン・ベダ
ロヨラ・マラルコ・スパークス
タバオ・アギラス |
※父はイギリス人で、チェルシーの下部組織で育った。
代表最多得点記録保持者。
(52/108) |
ハビエル・パティーニョ
(1988/2/14〜)
〔FW〕<B> |
− |
アルコベンダス
サン・セバスティアン・デ・ロス・レイエス
コルドバ
ヘレス(L)
ブリーラム・ユナイテッド
河南建業
ブリーラム・ユナイテッド
ラーチャブリー・ミトポン
ポートFC |
※スペイン出身である。
(7/20) |
ローランド・ミュラー
(1988/3/2〜)
〔GK〕<B> |
− |
デュイスブルク
セルヴェット
カルージュ(L) |
※ドイツ出身で、ケルンの下部組織で育った。 |
ニール・エザリッジ
(1990/2/7〜)
〔GK〕<B> |
− |
フラム
リアザーヘッド(L)
チャールトン・アスレティック(L)
ブリストル・ローヴァーズ(L)
クルー・アレクサンドラ(L)
オールダム・アスレティック
チャールトン・アスレティック
ウォルソール
カーディフ・シティ
バーミンガム・シティ
ブリーラム・ユナイテッド |
※イングランド生まれで、フラムの下部組織で育った。
イングランドU-16の経験がある。 |
佐藤 大介
(1994/9/20〜)
〔DF/MF〕<C> |
− |
グローバル
ストゥデンツェスク・ヤシ
ホーセンス
シェプシOSK・スフントゥ・ゲオルゲ
ムアントン・ユナイテッド
スパンブリー
ラーチャブリー
プルシブ・バンドン |
※父は日本人で、浦和ユース出身である。 |
タ イ 【4人】 |
 |
Changsuek |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ピヤポン・ピウオン
(1959/11/14〜)
〔FW〕<B> |
トゥク |
エアフォース・ユナイテッド
ラッキー金星
バハン
エアフォース・ユナイテッド |
※映画「七人のマッハ!!!!!!」に出演した。
2009年現在の階級は空軍少佐である。
(103/129)※タイでの統計。 |
キャティサック・セーナームアン
(1973/8/11〜)
〔FW〕<C>  |
ジーコ |
クルン・タイ・バンク
ラチャプラチャ クルン・タイ・バンク
プルリス
ハダーズフィールド・タウン
シンガポール・アームド・フォーズ
ホアンアイン・シャーライ
テロ・サーサナ |
※代表最多出場、最多得点記録保持者。
(71/134) |
ティーラシン・デーンダー
(1988/6/6〜)
〔FW〕<C> |
− |
ロイヤル・タイ・エアフォース
ラパチャ
ムアントン・ユナイテッド
マンチェスター・シティ
グラスホッパー・クラブ・チューリッヒU
ラパチャ
ムアントン・ユナイテッド
アルメニア(L)
サンフレッチェ広島(L)
清水エスパルス
パトゥム・ユナイテッド |
− |
チャナティプ・ソングラシン
(1993/10/5〜)
〔MF/FW〕<B> |
ジェイ |
テロ・サーサナ
ムアントン・ユナイテッド
北海道コンサドーレ札幌
川アフロンターレ
パトゥム・ユナイテッド |
※タイのメッシといわれる。
|
マレーシア 【6人】 |
 |
Sang Harimau |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ソ・チン・アン
(1950/7/28〜)
〔DF〕<B>  |
タウケイ |
セランゴール
マラッカ |
※代表最多出場記録保持者。
アセアン地域最高のサッカー選手ともいわれる。
(10/252)※マレーシアでの統計。 |
モクタル・ダハリ
(1953/11/13〜1991/7/11)
〔FW〕<B> |
スーパー・モク |
セランゴール
RHBバンク |
※代表最多得点記録保持者。
アーセナルから2得点したことがあり、レアル・マドリードからオファーを受けた。
(125/167)※マレーシアでの統計。 |
ザイナル・アビディン・ハッサン
(1961/11/9〜)
〔FW〕<C> |
− |
セランゴール
パハン
セランゴール
パハン セランゴール |
※サラーとのコンビで名を馳せた。
(78/138)※マレーシアでの統計。 |
ダラー・サラー
(1963/10/10〜)
〔FW〕<C>  |
− |
ジョホール
セランゴール
パハン
マラッカ・ユナイテッド
ヌグリ・スンピラン |
※ザイナル・アビディン・ハッサンとのコンビで名を馳せた。
(48/97) |
モハマド・アムリ・ヤヒア
(1981/1/21〜)
〔FW/MF〕<C> |
− |
セランゴール ジョホール・ダルル・タクジム
ムラカ・ユナイテッド
セランゴール
サラワク・ユナイテッド
サパ |
※バルセロナから得点をあげたことがある。 |
モハマド・サフィク・ラヒム
(1987/7/5〜)
〔MF〕<C> |
− |
セランゴール
PLUS セランゴール
ジョホール・ダルル・タクジム |
※東南アジア選手権史上ミッドフィルダーとして初めて得点王に輝いた。 |
シンガポール 【5人】 |
 |
The Lions |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ファンディ・アマド
(1962/5/29〜)
〔MF/FW〕<B> |
− |
シンガポールFA
ニアック・ミトラ
フローニンゲン
クアラルンプール
クレタ
パハン
シンガポールFA
ゲイラン・ユナイテッド
シンガポール・アームド・フォーシズ |
※代表最多得点記録保持者。
UEFAカップ出場歴があり、対インテル戦でも活躍した。同クラブでプレーした最も偉大な選手25人に選ばれている。
(55/101) |
ヴァラダラジュ・スンドラモールシー
(1965/10/6〜)
〔MF/FW〕<C> |
The dazzler
キングコブラ |
シンガポールFA
バーゼル
ケダ
パハン
シンガポールFA
ケランタン
ウッドランド・ウェリントン
ジュロン |
※シンガポール史上有数の選手。
(?/?) |
ノー・アラム・シャー
(1980/9/3〜)
〔FW〕<C> |
− |
センバワン・レンジャーズ シンガポール・アームド・フォーシズ センバワン・レンジャーズ
ダンピネス・ローヴァーズ
PDRM(L)
アレマ・インドネシア ダンピネス・ローヴァーズ
PSSスレマン
ダンピネス・ローヴァーズ |
※東南アジア選手権史上最も得点をあげた選手。
(35/84) |
イズワン・マハブド
(1990/7/14〜)
〔GK〕<C> |
− |
ヤング・ライオンズ
シンガポール・ライオンズ]U
ダンピネス・ローヴァーズ
ノーンブワ・ピチャヤ
トラート
サムットプラーカーン・シティ
ホウガン・ユナイテッド |
※W杯2次予選、対日本戦でスーパーセーブを連発し、0-0のドローに持ち込む殊勲をあげた。 |
ハリス・ハルン
(1990/11/19〜)
〔MF/DF〕<C> |
− |
ヤング・ライオンズ
シンガポール・ライオンズ]U
ジョホール・ダルル・タクジム
ルスピタレート(L)
ホーム・ユナイテッド(L) |
※16歳で代表デビューを果たした。 |
北ベトナム  |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
− |
− |
− |
− |
南ベトナム 【1人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
レ・フー・ドゥク
(19??/?/?〜)
〔FW〕<C> |
− |
? |
※56年アジアカップで3得点を挙げた。 |
ベ ト ナ ム 【2人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
レ・フイン・ドゥク
(1972/4/20〜)
〔FW〕<C> |
− |
ホーチミン・ポリス 
重慶力帆
SHBダナン |
(30/66) |
レ・コン・ビン
(1985/12/10〜)
〔FW〕<C> |
− |
ソンラム・ゲアン
T&Tハノイ
レイションイス(L)
ハノイ
ソンラム・ゲアン
北海道コンサドーレ札幌(L)
べカメックス・ビンズオン |
※代表最多得点記録保持者。
初のベトナム人Jリーガー。
(31/55) |
カンボジア 【1人】 |
 |
The Royal Khmers |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ホック・ソチェトラ
(1974/?/?〜)
〔FW〕<C>  |
− |
? |
※代表最多出場記録保持者。
(42/?) |
ラ オ ス 【1人】 |
 |
Thim Xad |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ヴィセイ・パボウバニン
(1985/7/12〜)
〔FW〕<C> |
− |
ヴィエンチャン |
※代表最多得点記録保持者。 |
インドネシア 【3人】 |
 |
Merah Putih |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アフマド・ナウィル 
(1911/?/?〜1995/4/?)
〔MF〕<B> |
− |
ソエラバジャ |
ワールドカップ 38年
(0/2)オランダ領東インド
 |
バンバン・バムンカス
(1980/6/10〜)
〔FW〕<C> |
− |
プルシジャ・ジャカルタ
ノラド
プルシジャ・ジャカルタ
セランゴール
プルシジャ・ジャカルタ
マドゥラ・ユナイテッド プルシジャ・ジャカルタ |
※代表最多試合出場、最多得点記録保持者。
(37/85) |
イルファン・ハリース・バフディム
(1988/8/11〜)
〔MF〕<C> |
− |
ユトレヒト
ハールレム
アルゴン
プルセマ・マラン
チョンブリー
シーラーチャー(L)
ヴァンフォーレ甲府
北海道コンサドーレ札幌
バリ・ユナイテッド
PSSスレマン
ペルシス・ソロ
プルシク・ケディリ |
※母はオランダ人で、オランダでプロデビューした。
初のインドネシア人Jリーガー。
母国での人気は絶大で、Twitterのフォロワー数が400万人を超える。
(12/41) |
ミャンマー 【1人】 |
 |
The White Angels |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ソー・ミャ・ミン
(1982/5/19〜)
〔FW〕<C> |
− |
ファイナンス・アンド・レベニュー |
(39/90) |
ブ ル ネ イ 【1人】 |
 |
Wasps |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アズワン・サレハ
(1988/1/6〜)
〔MF/DF〕<C> |
− |
ブルネイDPMM
インデラ |
※代表最多出場記録保持者。 |
東ティモール 【1人】 |
 |
O Sol Nascente |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ムリロ・リベリオ・デ・アルメイダ
(1989/1/21〜)
〔FW〕<C> |
− |
バイーア
ペルシラジャ
アル・ブサイティーン・クラブ
マグウェイ
アル・ミサインマー
アル・イテファク
大分トリニータ
長野パルセイロ(L)
南華
チェンナイ・シティ
クアンタン
ルヴェルゼンセ |
※ブラジル出身である。
代表最多得点記録保持者。
(6/7) |
オーストラリア 【14人】 |
 |
Socceroos |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アドリアン・アルストン
(1949/2/6〜)
〔FW〕<B> |
− |
セントラルコースト・ユナイテッド
セントジョージ・セインツ
サーフウェイ・ユナイテッド
ルートン・タウン
カーディフ・シティ
タンパベイ・ロウディーズ
キャンベラ・シティ |
ワールドカップ 74年
(17/62) |
フランク・ファリーナ
(1964/9/6〜)
〔FW〕<A>   |
− |
キャンベラ・シティ
シドニー・シティ
マルコーニ・スタリオンズ
クラブ・ブルッヘ
バーリ
ストラスブール
リール・メトロポール
ブリスベン・ストライカーズ |
※第1回オセアニア年間最優秀選手。
(10/37) |
ダミアン・モリ
(1970/9/30〜)
〔FW〕<B> |
− |
サウス・メルボルン
サンシャイン・ジョージクロス
メルボルン・ナイツ
アデレード・シティ  
ボルシア・メンヘングラートバッハ
アデレード・シティ
バース・グローリー 
アデレード・シティ
バース・グローリー アデレード・シティ
セントラルコースト・マリナーズ
クイーンズランド・ロアー
アデレード・シティ
セントラルコースト・マリナーズ
アデレード・シティ
サウスアデレード・パンサーズ アデレード・シティ |
※代表最多得点記録保持者。
開始3.69秒でゴールしたことがある。
(29/45) |
マーク・ボスニッチ
(1972/1/13〜)
〔GK〕<A>  |
− |
マンチェスター・ユナイテッド
シドニー・ユナイテッド
アストン・ヴィラ
チェルシー
セントラルコースト・マリナーズ
シドニー・オリンピック |
トヨタカップ 99年
(1/17) |
マーク・シュワルツァー
(1972/10/6〜)
〔GK〕<A> |
− |
マルコーニ・スタリオンズ
ディナモ・ドレスデン
カイザー・スラウテルン
ブラッドフォード・シティ
ミドルズブラ
フラム
チェルシー |
ワールドカップ 06年(16) 10年
※代表最多出場記録保持者。
(0/109) |
マーク・ヴィドゥカ
(1975/10/9〜)
〔FW〕<A>  |
− |
メルボルン・ナイツ
ディナモ・ザグレブ
セルティック
リーズ・ユナイテッド
ミドルズブラ
ニューカッスル・ユナイテッド |
ワールドカップ 06年(16)
(11/43) |
ジョン・アロイージ
(1976/2/5〜)
〔FW〕<A> |
− |
アデレード・シティ
スタンダール・リエージュ
ロイヤル・アントワープ
クレモネーゼ
ポーツマス
コヴェントリー・シティ
オサスナ
デポルティーボ・アラベス
セントラルコースト・マリナーズ
シドニー
メルボルン・ハート |
ワールドカップ 06年(16)
(27/55) |
ルーカス・ニール
(1978/3/9〜)
〔DF〕<B> |
− |
ミルウォール
ブラックバーン・ローヴァーズ
ウェストハム・ユナイテッド
エヴァートン
ガラタサライ
アル・ジャジーラ・クラブ
アル・ワスル
シドニー
大宮アルディージャ
ワトフォード
ドンカスター・ローヴァーズ(L) |
ワールドカップ 06年(16) 10年
(1/96) |
ブレット・エマートン
(1979/2/22〜)
〔MF〕<B>  |
− |
シドニー・オリンピック
フェイエノールト・ロッテルダム
ブラックバーン・ローヴァーズ
シドニー |
ワールドカップ 06年(16)
(20/95) |
ハリー・キューウェル
(1979/9/22〜)
〔MF〕<A>   |
ハリー
オズの魔法使い |
リーズ・ユナイテッド
リヴァプール
ガラタサライ
メルボルン・ビクトリー
アル・ガラファ
メルボルン・ハート |
ワールドカップ 06年(16) 10年
チャンピオンズリーグ 04-05年
※オーストラリア史上最高の選手といわれる。
(17/56)
 |
ティム・ケーヒル
(1979/12/6〜)
〔FW/MF〕<A>  |
ティミー タイニイ・ティム |
ミルウォール
エヴァートン
ニューヨーク・レッドブルズ
上海緑地申花痩
抗州緑城
メルボルン・シティ
ミルウォール
ジャムシェートプル |
ワールドカップ 06年(16) 10年 14年 18年
※母はサモア人でサモアU-17代表の経歴を持つ。
代表最多得点記録保持者。
弟のクリスはサモア代表キャプテンである。
W杯をはじめ、日本戦でよくゴールを挙げ、度々日本代表の天敵といわれる。
(50/107) |
マーク・ブレッシアーノ
(1980/2/11〜)
〔MF〕<A> |
マルコ |
カールトン
エンポリ
パルマ
チッタ・ディ・パレルモ
ラツィオ
アル・ナスル
アル・ガラファ |
ワールドカップ 06年(16) 10年 14年
※父はイタリア人、母はクロアチア人である。
(13/84) |
ルーク・ウィルクシャー
(1981/10/2〜)
〔MF/DF〕<B> |
− |
ミドルズブラ
ブリストル・シティ
トゥウェンテ
ディナモ・モスクワ
フェイエノールト
テレク
ディナモ・モスクワ
シドニーFC
ウロンゴン・ウルブス |
ワールドカップ 06年(16) 10年
※オーストラリアのクラブに在籍したことがない。
(8/80) |
ミル・ジェディナク
(1984/8/3〜)
〔MF〕<B> |
− |
シドニー・ユナイテッド
ヴァラジュディン(L)
サウスコースト・ユナイテッド(L)
セントラルコースト・マリナーズ
ゲンチレルビルディ
アンタルヤスポル(L)
クリスタルパレス
アストン・ヴィラ |
ワールドカップ 10年 14年 18年
※蓄えたひげが印象的。
(20/79) |
South Asian FF |
イ ン ド 【3人】 |
 |
Blue Tigers |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
プラディプ・クマール・バネルジー
(1936/10/15〜)
〔FW(WG)〕<B>  |
− |
アルヤン
イースタン・レールウェイ |
※20世紀インド最優秀選手。
(?/84) |
バイチュン・ブティア
(1974/12/15〜)
〔FW〕<C> |
シッキムのスナイパー |
イースト・ベンガル
JCTミルズ イースト・ベンガル
ベリー
モフン・バガン
イースト・ベンガル
ペラ(L)
セランゴール・MKランド
イースト・ベンガル
モフン・バガン
イースト・ベンガル
ユナイテッド・シッキム |
※イングランドのプロリーグに在籍した初のインド人選手。
代表最多試合出場記録保持者。
(43/108) |
スニル・チェトリ
(1984/8/3〜)
〔FW〕<C> |
− |
モフン・バガン
JCTミルズ
イースト・ベンガル
デンポ
カンザスシティ・ウィザーズ
プラヤグ・ユナイテッド
モフン・バガン
スポルティングCP U
チャーチル・ブラザーズ(L)
ベンガルール
ムンバイ・シティ
ベンガルール
ムンバイ・シティ(L) |
※代表最多出場、最多得点記録保持者。 |
バングラディシュ 【2人】 |
 |
Bengal Tigers |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
カイザー・ハミド
(19??/?/?〜)
〔DF〕<C> |
− |
? |
※母親は有名なチェスの選手である。 |
アシュラフ・ウディン・アハメド・チュヌ
(1956/8/1〜)
〔FW〕<C> |
− |
アバハニ・ダッカ
モフン・バガン
アル・ヒラル |
(17/50) |
スリランカ 【1人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
カサン・ジャヤスリヤ
(1980/3/25〜)
〔FW〕<C> |
− |
ペタ・ユナイテッド
インディアン・バンク
ペタ・ユナイテッド
デンポ
ラトナム  
サンダーズ |
※スリランカリーグ3年連続得点王。
代表最多得点記録保持者。
(27/56) |
ネ パ ー ル 【1人】 |
 |
The Gorkhalis |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アニル・グルン
(1988/9/23〜)
〔FW〕<C> |
− |
サハラ・クラブ・ポカラ
ブリゲード・ボーイズ・クラブ
スリースター・クラブ マナン・マルシャンディ・クラブ
ニューロード・チーム
シロン・ラジョン
マナン・マルシャンディ・クラブ スリースター・クラブ |
(10/51) |
ブ ー タ ン 【1人】 |
 |
Yellow Dragons |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ワンゲイ・ドルジ
(1976/1/9〜)
〔FW〕<C> |
− |
− |
※2002年、モントセラトとのアザー・ファイナルでハットトリックを達成した。
(5/20) |
モルディブ 【1人】 |
 |
Red Snappers |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アリ・アシファク
(1985/9/6〜)
〔FW〕<C> |
− |
ブルネイDPMM
VBスポーツクラブ
ニューラディアント
PDRM
マジヤS&RC |
※代表最多得点記録保持者。 |
パキスタン 【1人】 |
 |
The Greenshirts |
名前(誕生年月日)〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ゼッシュ・レーマン
(1986/12/30〜)
〔DF〕<B> |
− |
フラム
ブライトン&ホーヴ・アルビオン(L)
ノーウィッチ・シティ(L)
クイーンズパーク・レンジャーズ
ブライトン&ホーヴ・アルビオン(L)
ブラックプール(L)
ブラッドフォード・シティ
ムアントン・ユナイテッド
傑志
バハン
ジリンガム
南区足球会 |
※イギリス出身のパキスタン選手。
(1/25) |
Central Asian FF |
アフガニスタン 【1人】 |
 |
(The lions of Khorasan) |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
バラル・アレゾウ
(1988/12/28〜)
〔FW〕<C> |
− |
アーレンダール
フレドリクスタ
アスケー・フットボール
チャーチル・ブラザーズ(L)
モス
アスケー・フットボール
アーレンダール
トラウマ
グラネ・アーレンダール |
※ノルウェーのクラブに所属している。
(9/27) |
ウズベキスタン 【4人】 |
 |
White Wolves |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ミルジャラル・カシモフ
(1970/9/17〜)
〔FW〕<B>  |
− |
パフタコール・タシュケント
ディナモ・ミンスク
パフタコール・タシュケント
アラニア・ウラジカフカス
パフタコール・タシュケント
アラニア・ウラジカフカス
パフタコール・タシュケント
クリリヤ・ソヴェトフ
アル・シャバーブ
パフタコール
アラニア・ウラジカフカス
マシュアル・ムバレク |
(31/67) |
マクシム・シャツキフ
(1978/8/30〜)
〔FW〕<B> |
− |
ソコル・サラトフ
トルペド・ヴォルシスキー
ラダ・トリアッティ
ガソヴィィク・ガスプロム・イジェフスク
バルチカ・カリーニングラード
ディナモ・キエフ 
ロコモティフ・アスタナ
アルセナル・キエフ
チョルノモレツ・オデッサ
アルセナル・キエフ
ホヴェルラ・ウージュホロド
Rukh Vynnyky |
※シェフチェンコ移籍後のディナモのエースストライカーで、チャンピオンズリーグでも活躍した実績がある。
代表最多得点記録保持者。
(34/61) |
セルヴェル・ジェパロフ
(1982/10/3〜)
〔MF〕<B>   |
− |
ナフパホール・ナマンガン
パフタコール・タシュケント
ブニョドコル
ソウル
アル・シャバブ・リヤド
城南
蔚山現代
ロコモティフ・タシュケント
エステグラル
セパハン(L)
ジェティス
メタルルグ・べカバード |
(25/128) |
オディル・アフメドフ
(1987/11/25〜)
〔MF〕<B> |
− |
パフタコール・タシュケント
アンジ・マハチカラ
クラスノダール
上海上港集団
天津泰達(L)
石家荘永昌 |
(21/108) |
トルクメニスタン 【1人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ウラジミール・バイラモフ
(1980/8/2〜)
〔FW〕<B> |
− |
コペトダグ・アシガバート
ゼニス・アスタナ
アクセス・ペトロパブロフスク
クリスタル・スモレンスク メタルルグ・クラスノヤルスク
ルビン・カザン
テレク・グロズヌイ
ルビン・カザン
ヒムキ
トボル・コスタナイ(L)
カイラト・アルマトイ
アハル
バルカン |
※代表最多得点記録保持者。
欧州の1部リーグでプレーした数少ないトルクメニスタン人選手。
(11/32) |
タジキスタン 【2人】 |
 |
The Crown |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ヌモンジョン・ハキモフ
(1978/9/5〜)
〔FW〕<C> |
− |
ヴァフシュ・クルガン・テッパ 
CSKAパミール・ドゥシャンベ ヴァフシュ・クルガン・テッパ |
(13/34) |
マヌチェフル・ジャリロフ
(1990/9/27〜)
〔FW〕<C> |
− |
ロコモティフ2・モスクワ
ネフテミヒク・ニジネカムスク
イスティクロル 
スリウィジャヤ
ペルセバヤ・スラバヤ
イスティクロル |
※ロシア生まれである。 |
キ ル ギ ス 【1人】 |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ミルラン・ムルザエフ
(1990/3/29〜)
〔FW〕<C> |
− |
ドルドイ・ビシュケク
ロコモティフ・モスクワ(L)
ハポエル・ペタク・チクヴァ
ドルドイ・ビシュケク
デニズリスポル
ドルドイ・ビシュケク
アフジェト・アフィヨンスポル
ウシャクスポル
セリク・べレデイェシュポル
ソマスポル
ドルドイ・ビシュケク
ドアン・テュルク・ビルリ
ドルドイ・ビシュケク
チェンナイイン
アルガ・ビシュケク
ナフバボール・ナマンガン
モハメダン
ハノイ
ドルドイ・ビシュケク アルガ・ビシュケク |
※プレジデンツカップで2度の得点王。 |
イ ラ ン 【18人】 |
 |
Team Melli |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アリ・パルヴィ
(1946/9/25〜)
〔MF〕<B>  |
スルタン |
ペルセポリス |
ワールドカップ 78年
※イランの伝説的ミッドフィルダー。
(8/76)
 |
ナセル・エジャジ
(1949/12/14〜2011/5/23)
〔GK〕<B>  |
Ostureh(レジェンド) |
ナデル
タジ
シャフバス
エステグラル・テヘラン
モハメダン |
ワールドカップ 78年
(0/62)[41]
 |
ゴラム・ホセイン・マズローミ
(1950/1/13〜)
〔FW〕<B> |
− |
タジ 
シャフバス |
※70年代イランを代表するストライカー。
(37/48) |
ベフタシュ・ファリ
(1955/2/11〜)
〔FW〕<B> |
− |
ラーフ・アーハン
バス・テヘラン
タジ |
ワールドカップ 78年
(12/16) |
ハッサン・ローシャン
(1955/10/24〜)
〔FW〕<B> |
− |
タジ
アル・アハリ・ドーハ
タジ
アル・アハリ・ドーハ
タジ |
ワールドカップ 78年
(13/39) |
アリ・ダエイ
(1969/3/21〜)
〔FW〕<A>   |
ペルシアン・タワー |
ピルズィ・テヘラン
アル・サッド
アルミニア・ビーレフェルト
バイエルン・ミュンヘン
ヘルタ・ベルリン
アル・シャバブ・リヤド
ピルズィ・テヘラン
サバ・バッテリー
サイパ |
ワールドカップ 98年 06年
※90〜2000年代中東を代表するストライカー。度々日本代表を苦しめた。
代表での得点109ゴールは世界記録である。
94年広島アジア大会で来日以来、大の親日家である。
スポーツ用品店「ダエイ」を経営しており、代表のユニフォームは彼の会社のブランドである。
(109/147)
 |
カリム・バゲリ
(1974/2/24〜)
〔MF/DF〕<B> |
− |
トラークトゥール・サーズィー
ケシャヴァルズ
ピルズィ・テヘラン アルミニア・ビーレフェルト
アル・ナスル(L)
チャールトン・アスレティック
アル・サッド
ピルズィ・テヘラン |
ワールドカップ 98年
イングランドプレミアリーグでプレーした最初の選手。
ミッドフィールダーながら、代表でダエイに次ぐ50ゴールをあげている。
(50/87) |
ラフマン・レザイー
(1975/2/20〜)
〔DF〕<B> |
国防大臣 |
バルグ・テヘラン
ラーフ・アーハン
ゾブ・アハン・エスファハーン
ペルージャ
メッシーナ
リヴォルノ
ペルセポリス
アル・アハリ・ドーハ
シャーヒーン・ブーシェフル
ペイカーン |
ワールドカップ 06年
(3/56) |
ヴァヒド・ハシェミアン
(1976/7/21〜)
〔FW〕<B> |
ヘリコプター |
ファトハ・テヘラン
バス・テヘラン
ハンブルガー
ボーフム
バイエルン・ミュンヘン
ハノーファー96
ボーフム
ピルズィ・テヘラン |
ワールドカップ 06年
※かつてバイエルンで9番をつけていたことがある。
10年W杯予選韓国戦で緑色のリストバンドをしていたため、改革派と受け取られ、マハダビキア、カリミとともに処分を受けた。
(15/50) |
メフディ・マハダビキア
(1977/7/24〜)
〔MF〕<A>  |
− |
ペルセポリス
ボーフム(L)
ハンブルガー
アイントラハト・フランクフルト
スティール・アジン
ダーマーシュ・ギーラーン ペルセポリス |
ワールドカップ 98年 06年
※ハンブルガー時代は高原のチームメイト、曰く「いびきがうるさい」らしい。
10年W杯予選韓国戦で緑色のリストバンドをしていたため、改革派と受け取られ、ハシェミアン、カリミとともに処分を受けた。
(13/111) |
アリ・カリミ
(1978/11/8〜)
〔MF/FW〕<B>  |
テヘランの魔術師 |
ピルズィ・テヘラン
アル・アハリ
バイエルン・ミュンヘン
カタール
ピルズィ・テヘラン
スティール・アジン
シャルケ04
ピルズィ・テヘラン
トラークトゥール・サーズィー |
ワールドカップ 06年
※10年W杯予選韓国戦で緑色のリストバンドをしていたため、改革派と受け取られ、ハシェミアン、マハダビキアとともに処分を受けた。
(38/127) |
ジャバド・ネクナム
(1980/9/7〜)
〔MF〕<B> |
− |
バス・テヘラン
アル・ワハダ・アブダビ
アル・シャールジャ
オサスナ
エステグラル・テヘラン
アル・クウェート
オサスナ
サイパ
アル・アラビ |
ワールドカップ 06年 14年
※10年W杯予選韓国戦でつけていた緑色のリストバンドを後半はずしたため、処分を免れた、
(39/151) |
アンドラニク・テイムリアン
(1983/3/6〜)
〔MF〕<B> |
− |
オガブ
アブーモスレム
ボルトン・ワンダラーズ
フラム
バーンズリー(L)
トラークトゥール・サーズィー
エステグラル・テヘラン
アル・ホライティヤット
エステグラル・テヘラン
トラークトゥール・サーズィー
ウンム・サラール
サイパ
マチーネ
ナフト
ゴスタレシュ・フ―ラード |
ワールドカップ 06年 14年
キリスト教徒である。非ムスリムで初めてイラン代表キャプテンとなった。
(9/101) |
マスード・ショジャエイ
(1984/6/9〜)
〔MF〕<B> |
− |
サナト・ナフト・アーバーダーン
サイパ
アル・シャールジャ
オサスナ
ラス・パルマス
アル・シャハーニーヤ
アル・ガラファ
パ二オニオス
AEKアテネ
トラ―クトゥール
ナッサジ
ハヴァダル(L) |
ワールドカップ 06年 14年 18年
※10年W杯予選韓国戦でつけていた緑色のリストバンドを後半はずしたため、処分を免れた、
(8/87) |
レザ・グーチャンネジャード
(1987/9/20〜)
〔FW〕<B> |
− |
ヘーレンフェーン
ゴー・アヘッド・イーグルス(L)
エメン(L) ゴー・アヘッド・イーグルス
カンブール・レーワルデン
シント・トロイデンVV
スタンダール・リエージュ
チャールトン・アスレティック
アル・クェート(L)
アル・ワクラ(L)
ヘーレンフェーン
APOEL
シドニー(L)
ズヴォレ |
ワールドカップ 14年 18年
※オランダ国籍も持ち、U-19までの代表でもあった。
(16/44) |
カリム・アンサリファルド
(1990/4/3〜)
〔FW〕<B> |
− |
サイパ
ペルセポリス
トラークトゥール・サーズィー
オサスナ
パニオニオス
オリンピアコス
ノッティンガム・フォレスト
アル・スィーリーヤ
AEKアテネ
オモニア・ニコシア
アリス・テッサロニキ |
ワールドカップ 14年 18年 22年 |
メフディ・タレミ
(1992/7/18〜)
〔FW〕<A> |
− |
シャーヒーン
イラン・ジャワン
ペルセポリス 
アル・ガラファ
リオ・アヴェ
ポルト
インテルナツィオナーレ・ミラノ |
ワールドカップ 18年 22年 |
サルダル・アズムン
(1995/1/1〜)
〔FW〕<B> |
− |
ルビン・カザン
ロストフ
ルビン・カザン
ゼニト・サンクトペテルブルクナ
バイエル・レバークーゼン
ローマ(L)
アル・アハリ・ドバイ
|
ワールドカップ 18年 22年 |
West Asian FF |
イ ラ ク 【4人】 |
 |
Lions of Mesopotamia |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
フセイン・サイード
(1958/1/21〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・タラバ  |
※代表最多得点記録保持者。
(61/126) |
アーメド・ラディ
(1964/3/21〜)
〔FW〕<B>  |
ネウロイ |
アル・ザウラ
アル・ラシード
アル・ザウラ
アル・ワクラ
アル・ザウラ |
ワールドカップ 86年
※中東を代表するイラク黄金期のエースストライカー。
いわゆる「ドーハの悲劇」の時の相手のひとりである。
引退後は政治家に転身した。
(42/73) |
ハワル・ムラ・モハメド
(1981/6/1〜)
〔MF〕<B> |
− |
アル・クウワ・アル・ジャウウィーヤ
アル・アンサール
アポロン・リマソール
アル・アイン(L)
アル・ホール
アノルトシス ピルズィ・テヘラン エステグラル・テヘラン
ゾブ・アハン・エスファハーン
アルビール
アル・クウワ・アル・ジャウウィーヤ |
※チャンピオンズリーグに出場した初のイラク人選手。
(20/113) |
ユニス・マフムード
(1983/3/2〜)
〔FW〕<B> |
バジュラ |
アル・タラバ
アル・ワフダ・アブダビ(L)
アル・ホール
アル・ガラファ 
アル・アラビ・ドーハ(L)
アル・ワクラ
アル・サッド
アル・アハリ
アルビール
アル・タラバ |
※イラク黄金世代のエースストライカー。
イラク人サッカー選手で初の個人公式ウェブサイトを開設した。
(57/148) |
サウジアラビア 【8人】 |
 |
The Green Falcons |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
マジェド・アブドゥラー
(1959/11/11〜)
〔FW〕<A> |
砂漠のペレ |
アル・ナスル      |
ワールドカップ 94年(16)
※代表最多得点記録保持者。サウジアラビア史上最高のストライカーといわれる。
(71/116)【64】
 |
サイード・オワイラン
(1967/8/19〜)
〔FW〕<B>  |
− |
アル・シャバブ・リヤド |
ワールドカップ 94年(16) 98年
※戒律違反により2年余りの出場停止処分を受けた。
(24/75) |
モハンマド・アル=ハラウィ
(1971/8/21〜)
〔DF〕<B> |
− |
アル・イテハド
アル・アハリ |
ワールドカップ 94年(16) 98年
(1/142) |
モハメド・アル=デアイエ
(1972/8/2〜)
〔GK〕<A> |
アジアの黒蜘蛛 |
アル・ターイ
アル・ヒラル |
ワールドカップ 94年(16) 98年 02年 06年
※代表最多出場記録保持者。
IFFHSのゴールキーパーランキングでアジア人最上位である。
90年代、度々日本代表の前に立ちはだかった中東を代表するゴールキーパーだが、カルバハルとともにW杯最多失点記録保持者でもある。
(0/178)[39]
 |
サーミー・アル=ジャービル
(1972/12/11〜)
〔FW〕<B> |
砂漠の英雄 |
アル・ヒラル 
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
アル・アイン
アル・ヒラル |
ワールドカップ 94年(16) 98年 02年 06年
※90年代のアジア屈指のフォワードのひとり。
(46/163) |
アウベイド・アル=ドッサリ
(1975/10/2〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・ワフダ
アル・アハリ
ダマク |
ワールドカップ 98年 02年
(41/53) |
ヤセル・アル・カフタニ
(1982/10/20〜)
〔FW〕<B> |
スナイパー |
アル・カディシーヤ・アル・ホバル
アル・ナジマ(L)
アル・ヒラル
アル・アイン(L) |
ワールドカップ 06年
※2000年代における代表のエースストライカー。
(42/112) |
ナシル・アルシャムラニ
(1983/11/23〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・ワフダ
アルシャバブ
アル・ワフダ
アルシャバブ  
アル・ヒラル
アル・アイン(L)
アル・シャバブ
アル・イテハド
アル・ヒッド |
(19/78) |
アラブ首長国連邦 【4人】 |
 |
Al Abyad |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アドナン・アル=タリヤニ
(1964/10/3〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・シャーブ |
ワールドカップ 90年
※代表最多得点、最多出場記録保持者。
(54/164) |
アリー・マブフート
(1990/10/5〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・ジャジーラ・クラブ |
※代表最多得点記録保持者。 |
アーメド・カリル
(1991/6/8〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・アハリ
アル・ジャジーラ・クラブ
アル・アイン
シャバブ・アル・アハリ |
※16歳でUAEA代表入りを果たした。
(51/100) |
オマル・アブドゥッラフマーン
(1991/9/20〜)
〔MF〕<B> |
− |
アル・アイン
アル・ヒラル(L)
アル・ジャジーラ・クラブ
アル・アハリ・ドバイ
アル・ワスル
|
※UAE史上最高のミッドフィルダーといわれる。
(11/74) |
クウェート 【3人】 |
 |
Al Azraq |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ファイサル・アル=ダヒル
(1957/8/13〜)
〔FW〕<C> |
− |
アル・カーディシーヤ・クウェート |
ワールドカップ 82年
※W杯で唯一ゴールをあげたクウェート人選手。
(36/80) |
バシャール・アブドゥッラー
(1977/10/12〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・サールミーア
アル・ヒラル
アル・サールミーア 
アル・ラーヤン
アル・アイン
アル・クウェート
アル・サールミーア アル・クウェート |
代表最多出場、最多得点記録保持者。
クウェートで最も有名なサッカー選手。
(75/134) |
アブドゥルハーディー・ハミース
(1990/12/19〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・クウェート |
− |
オ マ ー ン 【2人】 |
 |
Al Ahmar |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アリ・アル=ハブシ
(1981/12/30〜)
〔GK〕<B> |
ハブシ |
アル・ミダイビ
アル・ナスル
リン・オスロ
ボルトン・ワンダラーズ
ウィガン・アスレティック
ブライトン&ホーヴ・アルビオン(L)
レディング
アル・ヒラル
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン |
※元消防士である。
チームメートだった宮市をとても気にかけている。
(0/136) |
イマド・アル=ホサニ
(1984/7/18〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・ハーブーラ
アル・リヤド
カタール
アル・ラーヤン
シャルルロワ
アル・ラーヤン
アル・アハリ・ジッダ
アル・ナスル
サハム・クラブ
ファンジャ |
(37/126) |
カ タ ー ル 【2人】 |
 |
Annabi |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
エメルソン
マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ
(1978/12/6〜)
〔FW〕<B> |
エメ |
サンパウロ
コンサドーレ札幌(L)
ヴェルディ川崎
浦和レッドダイヤモンズ
アル・サッド
スタッド・ドゥ・レンヌ
アル・サッド
フラメンゴ
アル・アイン
フルミネンセ
コリンチャンス・パウリスタ |
コパ・リベルタドーレス 12年
クラブワールドカップ 12年
※ブラジルU-20経験であるにもかかわらず、カタール代表として試合に出場したことがある。(FIFAによりカタール代表に資格なしと裁定)
また、異なる2つの出生証明書を悪用していたことが判明し、ブラジル連邦警察に逮捕された。日本でのプロフィールは偽物の方で、3歳サバを読んでいたことになる。
(0/2) |
ビラル・モハメド
(1986/6/2〜)
〔DF〕<C> |
− |
アル・ガラファ
アル・マークヒヤ |
(4/108) |
バーレーン 【2人】 |
 |
The Red |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
モハメド・サルミーン
(1980/11/4〜)
〔MF〕<B> |
− |
アル・ムハーラク
アル・ハーラ
アル・アラビ・ドーハ アル・ムハーラク
アル・ザフラ(L)
アル・ムハラック |
※バーレーン最高の選手ともいわれる。
W杯予選の対日本戦でオウンゴールを与えてしまった。
(11/126) |
アラ・フバイル
(1982/6/25〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・アハリ・マナーマ
アル・ガラファ
アル・クウェート
アル・サラル
アル・アハリ・マナーマ
タリーア
ネジメ
タリーア
シトラ・クラブ
マナーマ
アル・ハーラ |
※バーレーン代表最多得点記録保持者。
(23/69) |
レ バ ノ ン 【2人】 |
 |
The Cedars |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ユセフ・モハマド
(1980/7/1〜)
〔DF〕<B> |
− |
サファー・ベイルート
オリンピック・ベイルート
フライブルク
ケルン
アル・アハリ・ドバイ
ネジメ |
(3/81) |
ロダー・アンタル
(1980/9/12〜)
〔MF〕<B> |
− |
ハンブルガー
フライブルク
ケルン
山東魯能泰山
江蘇舜天
抗州緑城
アル・タダーモン・ティルス |
※シ出身である。
ドイツブンデスリーガでハットトリックを達成した初のアジア人選手。
(20/58) |
ヨ ル ダ ン 【2人】 |
 |
Al-Nashama |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
ハテム・アケル
(1978/6/20〜)
〔DF〕<C> |
− |
アル・ファイサリ・アンマン
アル・ラーイド
アル・アラビ
ザート・ラース・クラブ |
(10/98) |
ハッサン・アブデル=ファター
(1982/8/17〜)
〔MF〕<B> |
− |
アル・ワフダート
ハッタ・クラブ(L)
アル・カラーマ(L)
アル・クウェート(L)
アル・ホール(L)
アル・フライティヤート アル・ワフダート |
※代表最多得点記録保持者。 |
シ リ ア 【2人】 |
 |
Qasioun Eagles |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
フィラース・アル=ハティーブ
(1983/6/9〜)
〔FW〕<B> |
− |
アル・カラーマ
アル・ナスル
アル・アラビ
アル・アハリ(L)
アル・カーディシーヤ・クウェート
ウム・サラル
アル・カーディシーヤ・クウェート
ザーホー
上海緑地申花
アル・アラビ
アル・クウェート
アル・サルミヤ |
※代表最多得点記録保持者。
(36/72) |
サンハリブ・マルキ
(1984/3/1〜)
〔FW〕<B> |
− |
ロイヤル・ユニオン・サン・ジロワーズ
ルーセラーレ
ケルミナル・ベールスホッツット
スポルティング・ロケレン
パンスラキコス(L)
ローダ
カスムパシャ
アル・ワクラ
カラグムリュク |
(7/28) |
イ エ メ ン 【1人】 |
 |
Al-Yemen A'sa'eed |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アリ・アル・ノノ
(1980/6/7〜)
〔FW〕<C> |
− |
アル・アハリ・サナー
アル・マスリ
アル・アハリ・サナー
アル・シャーブ
アル・メレイフ
アル・ブシティーン・クラブ
ティシュリーン
アル・アハリ・サナー
アル・ティラール
アル・アハリ・サナー |
※代表最多得点記録保持者。
イエメンの英雄と呼ばれる。
(29/40) |
南イエメン  |
 |
|
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
− |
− |
− |
− |
パレスチナ 【1人】 |
 |
Al-Fursan |
名前(生年月日〜没年月日)
〔ポジション〕 |
異名・愛称 |
所属クラブ |
主な戦績 ※逸話・為人
(代表得点/代表出場※代表引退者のみ) |
アシュラフ・ヌーマン
(1986/7/29〜)
〔FW〕<C> |
− |
タルジー・ワーディアル・ニース
アル・ファイサリー・アンマン タルジー・ワーディアル・ニース アル・ファイサリー |
※パレスチナ初のタイトル(チャレンジカップ)獲得に貢献した。 |